ライフキャリア総研★主筆の部屋

ライフキャリア総研★主筆の部屋

2006年04月06日
XML
 昨日の続きで、ヘーゲルが言っていた「他者の承認の声」という部分について現代の文脈の中で読み替えて検討してみたいと思います。

 そのような「社会的な承認」に背を向ける「不適応タイプ」(パーソナリティ障害)の若者が2タイプ存在する――「自己愛型」と「拒絶型」については書きましたが、現代の全ての若者が「社会的な承認」に無関心あるいは拒絶的であるかというと、決してそうではないでしょう。

 では、「社会的な承認」について、いまの若者の大多数はどのように考えているのでしょうか。

 フランス現代思想専門の大学教授・内田 樹さんの対談集『身体の言い分』(池上六朗氏との共著、毎日新聞社)に、次のような言葉が出てきます。

●引用1「若者は社会的な承認に対して内向きの基準しか持っていない」(本文142ページ)

「ぼくは大学の教師だから学生を見ていると、 今の子たちは社会的な承認を求めて必死であるにもかかわらず、社会的な承認をどうやって確認できるか、ということに関しては、非常に内向きの基準しかもっていないんですよ。

 つまり、これこれこういう資格を取るぞとか、英語検定試験で何点取る、という感じの。

 たしかに、 資格や免許を取って公的に認知されたい 、という気持ちはわかるんだけれども、ではその、きみが取ろうとしているそのナントカ士という資格は、いったい世の中にどのような需要があって存在し、どのような社会的寄与を果たすべきもので、だれを喜ばせるものであって、どういう経緯で発生してきて、今何人くらい有資格者がいて、将来的な需要の推移の見通しはどうであるのか……というようなことを訊くと、絶句しちゃうんですよ。ほんとに。

 その資格に対して今後も社会的ニーズが継続的にあるかどうかということさえ調べていないんです。調べていないというより、調べるということを思いつきもしない」

●引用2「プライベートな幻想に耽溺しているだけ」そして「エゴイスティックな動機づけの語法でしか語られていない」(本文142~143ページ)



 たとえば、英語の検定試験の点数を上げたいと思っている学生は、そうすると就職に有利だというところまでしか考えない。

「就職に有利」ということは就職という競争的局面で他人を蹴落とすのに有利ということでしょう。

 そんな、他人を蹴落とすのに有利な資格や能力を、蹴落とされる側の人間が求めているわけないじゃないですか。

 だとしたら、 いったい何のための資格なのか

「英語を生かした仕事に就きたい」って言うけど、それは言い換えれば、「英語ができない人間には参入できないうまみのある仕事をしたい」というのがしばしば本音ですよね。

社会的認知を求めるということが全部エゴイスティックな動機づけの語法でしか語られていない

 その能力を使って、どんなサービスをして他人を喜ばせて、世の中によいことを積み増しできるだろうかということを本気で考えている人は、「キャリアパス」なんてことを口走りませんよ。

 そうやって、キャリアを積んで云々という人は、「ドア」を自分でこじ開けようとするんです。でも、その「ドア」というのは自分じゃ開けられない」

●引用3「ドアは向こうからしか開かない」(本文143~144ページ)

「仕事って「これ、やってくれる?」ってあっちから来るもので、「これ、やらせてください」って自分から言うものじゃないと思うんですよ。本来は。



 この「あなたなら、できるんじゃないの」という評価をもって社会的承認というのであって、ドアをこじ開ける力のことを言うわけではないんです。

 ドアは向こうからしか開かないし、梯子は上からしか下りてこない。それを自分で「ステップアップ」とか言って、あたかも梯子を自力でかけて自力で上がれるかのような幻想をふりまいて、「成功のドアを開けよう」なんてとんちんかんなことを言っている(笑)。

 成功のドアは向こう側からしか開かないし、ステップアップの梯子は上からしか下りてこない」

 以上、引用終わり。

 ああ、実に愉快ですね。内田先生は(色々な意味で)言いにくいことを実にズバリと言ってくれるではありませんか。



 そのような「社会的承認の誤読」をしてしまうのは、若者だけなんでしょうか。

 実は私、ある就業支援団体から資格に関するサブテキストの執筆を依頼され、以上のような内田先生の考え方にならって次のような文章を書いたら、ボツを食らいました。その理由は、最後に書きます。

資格についてのもうひとつの視点

●あなたに「働く資格」はありますか?

 そもそも資格って、何でしょうか。ふだんの生活の中で資格という言葉を使う場面について考えてみてください。たとえば、ケンカをしたときには「あなたにはそんなことを言う資格がない」という使い方をします。それと同じ意味合いで、「あなたに働く資格がありますか?」と問いかけられたら、あなたはどのように答えるでしょうか。

「働く資格」といわれても、バクゼンとしていて困ってしまいます。そこで、「美容師として働く資格」「一般事務職として働く資格」などと職種名を前に置いたらどうでしょう。だいぶ答えやすくなります。たとえば、「美容師として働く資格がありますか?」と問われたら、美容師の国家資格を持っている人なら「はい、あります」と答えられます。そうでない場合は、美容師として働きたくても「国家資格がないので働けません」ということになります。

 一方、一般事務職には国家資格が存在しません。では、誰でも一般事務の仕事ができるかというとそうではなくて、まず、一般事務の求人があることが前提であり、その求人に応募して、その会社の面接を受けて、「あなたはわが社の一般事務職として働くための適格性を持っている」と評価されれば採用され、その会社の一般事務職として働くことができます。

 このように、資格の本来の意味は「適格性」であって、自分が持っているつもりでも、相手が「適格性なし」=「働く資格なし」と見なしてしまえば、働くことができなくなってしまいます。「働く資格」があるかないかは自分で決めることではなく、相手が決めることです。

●再就職のドアは2つあります

 これから再就職をしようと決断したあなたは、社会に出て行くためのドアを自分で開けたところです。でも、そのもう1つ先にもドアがあって、いまはまだ閉じられています。そのドアは自分から開けることができず、向こう側からしか開きません。向こう側から「どうぞ、わが社に入って来てください」と呼ばれない限りは、入っていけないのです。

 では、どうしたらドアを開けてもらえるのでしょうか。資格を取れば自分の力でドアをこじ開けられるでしょうか――それは不可能です。自分が持っている能力や資質のうち、相手が求めるものを差し出さなければ、ドアを開けてもらえません。秘書検定や簿記検定といった資格を取っても、それだけで相手が評価してくれるとは限らないのです。

「この職種で働きたい」「こういう会社に勤めたい」という志望を持つことが再就職のスタートになりますが、それだけでは不十分です。「自分は他人のために何ができるのか?」という問い方をしてみてください。「だれが自分の働きを必要としているか?」という問いを自分自身に向けることのできる人だけが、他の人の役に立つことができます。そして、向こう側からドアを開けてもらうことができるのです。

 私たちは、仕事に報酬や「やりがい」を求めますが、それは後からついてくるものであって、その前に「誰かの役に立つ」とか「お客様を満足させる」ことが必要不可欠です。

「誰かの役に立てる能力」や「お客様を満足させられる能力」があって初めて、「あなたには働く資格がある」と認めてもらえるのです。

 以上、引用終わり。うわー、内田先生そっくりぃ!でも、もちろん、私なりにアレンジして、キャリアカウンセラーっぽく書いたつもりです。

 ボツにした側の言い分は、次のとおりです。

1)内容がきびしすぎるので、これから再就職しようという人の意欲を減退させてしまう。もっと優しく書いてほしい。

2)「誰かの役に立つ」という発想はボランティアのものであって、仕事とは関係ない。

3)個人の意見として講座のときにお話しされるのよいが、当財団のテキストに載せる文章としては不適切である。

 どう思いますか?

1)については、マア、そうかもしれません。ライターとしては曖昧な表現を嫌い、現実を過不足なく伝えることを使命としているのでこういう文章になってしまいますが、キャリアカウンセラーの言葉としては、「指示的」過ぎ、またきびしすぎると言われればそうでしょう。

2)については、笑っちゃいますね。この依頼主である財団の職員は大半が労働行政からの天下りなんで、「公務員っていうのはこういう発想をするのか!」と驚かされました。いやあ、人生、ナニゴトも勉強ですね。

3)については、後で裏話を聞いて、まあ、同情させられました。こういう公的な団体が無料で配るものについては、悪質なクレーマーからの「抗議の電話」がつきもので、担当者の苦労が耐えないとか。クレーマーさんは、書かれていることに対する反対意見をえんえんと電話でお話しになって、「自分と違う意見を公的なものに載せるのは怪しからん」とお怒りになるそうです。南無阿弥陀仏。

 さて、「社会的承認の誤読」というものがなぜ、起きてしまうのかというふうに考えると、そこには「自己実現」幻想がつきまとっているのではないでしょうか。

「自己実現」といえば、マズロー先生の五段階欲求説で最上位に位置づけられているものですね。

 私の本棚にたまたまマズロー先生の著書の最も新しい訳書である『完全なる経営』(日本経済新聞社)があったりします。監訳者は、キャリアカウンセリング界における西側というか関西の重鎮、金井壽宏先生です。

 ぼちぼち読んでみましょうか。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年04月06日 12時19分23秒
[キャリアカウンセリング研究] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: