私がサポートしているのは、専業主婦の再就職支援ですが、母親が働くか、働かないかをいかに自己決定したかが、子どもの精神的な成長に大きく関係してくるのではないかという問題意識を持ちました。
「専業主婦の子どもはニートになりやすい」とか、短絡的な結論を出すつもりはまったくありません。
ただ、母親の人生観、労働観が子どもの生き方や自立に大きく関わることは確かだと思うのです。
先日、あるニートに関するシンポジウムに参加したところ、シンポジストのおひとりが、こんな趣旨の発言をされました。
「いまの大学生や若者は、そもそも働く意味や就職する意味について考えなければ動けないが、私たちの時代は、就職するのが当たり前で、何も考えずに親や先生の勧める会社に入った」
「違うぞ」と思いました。この方と私は多分1歳違いなのでそんなに時代は違わないのですが、周囲の環境が違っていたのでしょう。
私が大学4年生のときには、就職する意味や働く意味について否が応でも考えざるを得ませんでした。
だって、四大女子は男子と比べて明らかに差別されていたんだもん。
均等法施行の2年ぐらい前の話です。求人は男女別が当たり前。差別のないのは、出版社とマスコミと、世の中に出現したばかりのソフトウェア会社ぐらい。
百貨店も四大女子を比較的多く採用していたけれども、確か男子とは処遇が違ったような記憶があります。
銀行や商社は短大卒が中心で、四大は「指定校」からごく少数だけ採用していました。ただし事務職で男子よりも初任給が格段に低かった。
人権問題でした。実存にかかわる問題でした。なぜ、学力も気力も(私の場合は体力も!)ほとんど変わらないのに、男子と差別されるのか。
思えば、そのときの私の心模様は、いま「生きづらい!」と叫んでいるニートやフリーターの若者に近いものがあったのかもしれません。リストカットはしなかったけれど、少しは「ひきこもり」だったかもしれない。「うつ傾向」だったかもしれない。ただ、当時はそういうモノが普及していなかった。
「企業なんてクソくらえ!」って思っていましたね。「アングリー・ヤング・ウーマン」でした。
なかなか内定がもらえず、卒論を提出しても行く先が決まらず、年を越してしまいました。
会社とは-Kゼミ24人の軌跡 』とか、『 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば-現代の貧しさについて 』とか、『 わが亡きあとに洪水はきたれ-ルポルタージュ<巨大企業と労働者> 』とか……。
いま、再就職しようかどうか迷っている主婦の皆さんの多くは、バブルの時期か、それ以降に入社し、結婚や出産、夫の転勤を機に退職した方々でしょう。
とすれば、「就職しないで生きるには」という考え方は、理解しにくいかもしれませんね。
あるいは、「そうか、就職しなくたって、生きていけるならそれでいいじゃん!」と思って気が楽になるかな。
ただ、収入が足りないと生きていけないので、お金が十分にないと生活をエンジョイできないので、たとえ就職しなくても、何か仕事をして収入を得る必要に迫られますね。
それならば、どうするのか?
続きはまた明日か明後日。毎日完結させようと思うと、なかなか日記が続きません。ごめんなさい。ちょっとずつ書きます。
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