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あれはもう随分昔の話になるが、NHKテレビの英語講座で放送・会議通訳者の篠田顕子さんのインタビューがあった。全て英語で答えられていたのだが、ご本人の話の中で、今となっては原文は忘れたのだけれど、「私はバイリンガルじゃありません。なぜなら自分の確立された英語のスタイル、個性を持っているわけじゃないから。」というような意味の、興味深い発言をされていた(この辺、記憶が曖昧なのでもしご存知の方いらっしゃったら訂正してもらえると有り難いです。)世間一般の眼からすれば、篠田さんはバイリンガルだ。幼少のころから、香港やイギリス、アメリカ、オーストラリアと海外生活を送り、今では押しも押されもしない一流の会議通訳者である。普通の人からみたらバイリンガル以外の何者でもない。でもご本人がおっしゃているんだから、しょうがない。理由はいろいろあると思う。まず比較的早く海外に出たのは事実だが、母語は日本語であるという点。またバイリンガルの定義をどこに置くかという点によっても、見方は異なってくると思う。それを踏まえた上で、なぜバイリンガルといえないかというと、英語を話すときは自分独自のスタイルや個性を持って話しているとはいえないから、だという。つまり、恐らく英語をいくら流暢にしゃべっていても、やはりSecond Launguageとして身についたコトバは、自動的に言葉が出てこないということかもしれない。他人から見たら、完璧に流暢に喋っているように見えても、やはり頭の中では考えて、組立てて、しゃべらざるを得ないため、結果として独自の発話スタイルというまでには言語を操作できないのかもしれない。いや、操作という感覚すらもたないのが母語の母語たる所以なのだろう。これは感覚的にはとてもよくわかる。英語を理解し、正しく話すことは、長年の訓練で誰でも達成できることだと思う。しかし、そこにオリジナルの英語スタイルがあるか、といわれれば…。結局、訓練によって、限りなく自動的に発話できるようにはなるが、やはりそこでは「考え、文を組み立て、間違えないように注意しながらしゃべる」という意識がどうしてもあると思う。母語というのは、話すときにこういう意識は持たない。いわゆる「考えなくても自然に出てくる」ものだ。これは発音が上手いとか、リスニングがすごいとか、そういう問題じゃない。発音もリスニングも、訓練次第でネイティブレベルまで引き上げていくことは、かなり困難ではあるが全く不可能ではないと思う。しかし、英語名人と呼ばれている人々の英語を聞いてみると共通して言えることは、その人達が日本語を喋っているときと英語を喋っているときのスタイルが、殆ど同じであるということだ。英語自体は確かに凄いが、しゃべるスピード、リズム、声の大きさなどは、その人が日本語を喋ってるときと同じなのだ。逆に、生まれたときからアメリカ育ちで英語で育ったような日本人の英語を聞くと、やはり日本語を喋るときとは別人格になってしまう。独自の発話スタイルを持っているという感じがする。そんなわけで、完璧に英語と日本語それぞれに、オリジナルな別の発話スタイルを持つ人にはめったに出会わない。おそらくこれが狭義のバイリンガルであろう。英語も日本語も、考えずに同じ知的レベルの発話ができる人。そんな人はめったにいないし、そして目指そうとすべき目標ではない。むしろ、そういう現実を踏まえて、日本語という母語に影響された英語スタイルであると自覚し、むしろそれを楽しむくらいの気持ちで英語の習得に励んでいけばいいのだと思う。
March 25, 2005
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通訳という仕事を成功させるために必要なのは読むことだ。これは考えてみれば当たり前のことだけど、通訳の仕事に興味を抱く人はだいたい「英会話好き」、そう、英語を話すことが好きというのを出発点にしている人が多いので、中には読書嫌いの人もいる。しかし、はっきり言って、本を読むのが嫌いな人は通訳という道はスッパリあきらめるべきだ。通訳というのは、ある人が伝えたいことがあって、でもそれを異言語の人には自分では伝えられないから通訳の手を借りて伝える、という時に初めて発生する仕事だ。つまり、通訳あるところには、必ず伝えたい中身があり、情報があり、思いがある。「中身と情報」については、話し手が持っている背景知識や専門知識であり、その人に代わってそれを伝えるには、できるだけ話し手の持っている知識レベルに近づく努力をしなければならない。そして、それができるのは読んだり聞いたりというインプットがどうしても必要だが、現実的には「読むこと」だけが唯一の選択となる。そして「思い」に関して言えば、スピーカーの感情表現を上手く通訳して伝えるには、日頃から様々な感情表現に触れておく必要が出てくる。例えば「うれしい」という表現一つとっても、どのようなレベルの嬉しさか、ただ単に儀礼的にうれしいのか(Nice to meet you.)、涙が出るほどうれしいのか(I nearly wept for joy.)、さらに飛び上がるほど嬉しいのか(Nothing could make me happier!)、その時々のスピーカーの感情レベルを推し量って適切に訳出できなければ、本当の意味でコミュニケーションの目的が達成されたとはいえないだろう。この感情レベルの様々な表現の習得には、個人的な生活経験が寄与する部分も多いと思うが、映画や小説などの文学的な言語表現を学ぶことで自分の中にとりいれることができる(これは英語だけでなくて、日本語にもあてはまる)。なので、ここでも「読むこと」が如何に重要かということがわかる。また、上記に加えて、一般教養、時事など、話し手が当然知っている知識については、通訳者もできる限りフォローしておきたい。なので、新聞や週刊誌などを通訳をする両言語において、可能な限り読む努力が必要だ。人間には24時間しかない。これは全人類に平等な数少ない条件の一つだ。この中で上記のものを如何に効率的に読み、自分のものにしていくか。まさに日々活字との戦いに明け暮れなければならないし、そのためのストラテジーをどうやって立てていくかも、通訳者にとって恐らく最も重要なスキルだろう。
March 24, 2005
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先日、公開授業をしてきた。こういうの客寄せパンダっていうんだろうな、って思いつつ、でもいざやるとなんか自分が学校側のスタッフになったつもりになってしまって、思わず営業トークが出てきてしまう、そんな自分が怖かった(笑)さて最近は、こういう公開授業をすると、かなり参加者の中に通訳の経験を持っていたり、すでに別の学校に通ってたりする人がいる。向学心が強いのか、はたまたいろんな学校を渡り歩いて吟味してるのかわからないが、とにかく熱心さが伝わってきて、えらいなーと思う。しかし、なんせ小一時間のレッスンなのでやれることは限られている。どうしてもさわりだけちょこっとかじる感じになってしまうので逆にフラストレーションがたまってしまうのだけど、最後には予定してなかった英日の同通デモまでしてしまい、意外にノッていた自分にハッとして、そんな自分がまた怖かった(笑)でもまあ、終了後バンバン質問もあり、さっそく申し込みをして帰ったかたも多かったので、ひとまずうまくいったのかな?事務の人も喜んでたし(ギャラあげて下さいね 笑)しかし、テストに受かるのがまた大変なので、何人の方と4月からお目にかかれるだろうか。しかし、延べ人数でいくと何人くらい教えたことになるんだろう…。これだけ多くの受講生を見てきているのに、卒業していまバリバリやってます!と噂でも聞く人はほとんどいない。ことほど左様に、通訳というのは厳しい世界だ。しかも最初はペイもよくないし、吉本興業の芸人の世界のようだなぁ。いやしかし、吉本と違うのは、売れてもたいして儲けることはできないという世界だということ。通訳になろうって人は、決してそれで金持ちになろうなんてユメユメ思ってはならないのだ。まぁ、身一つで稼ぐわけだし、料金にも上限があるので仕方ないことなんですが、厳しさの先、イバラの道の先にある果実が大しておいしくないのに目指す人が多いっていうのは、金額以外の魅力が大きいということなのだろうか。「通訳は三日やったら辞められない」という言葉があるそうな。
March 17, 2005
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「14歳からの仕事道」(玄田有史 理論社)を読んだ。かつて「仕事の中の曖昧な不安」を読んだことがあるが、その著者でもあり、NEETについての考察などで、最近よく名前を聞くことの多い労働経済学者の方の本だ。なんかタイトルが村上龍のバカ売れ本のパクリそのものでチープだし、なんだかなぁと思ったけど、「仕事の中~」がなかなかによかった印象があったので、買ってみた。いいこと書いてあるじゃないの。いや、少なくとも村上さんの本より、特に仕事や進路に悩んでる人には、14歳でなくても参考になる部分があると思った。というか、自分自身がそもそも悩み体質なので、ストンと腑に落ちるというか、もやもやが晴れるというか、特に今、あらたなチャレンジに対峙しようとしている身には、大いに勇気づけられるものがあったのだ。振り返ってみると、ここ何年か常に「選択する」という状況に直面することが多くて、いつも頭の中、いや胸のあたりに「モヤモヤ~」とした気持ちがあったような気がする。もちろん、悩みの種はいつも尽きないわけだけど、それにも種類があって、大きな宿題をいつまでも抱えて、でもそれを完全に忘れて遊びに没頭してしまえる子供のように勇気があるわけじゃなくて、なんだかなぁ、冴えないなぁ、ってな気持ちがずっとあった気がする。しかし、「大きなモヤモヤ」がパッと晴れたときわかったことは、その原因そのものが解決したから、いい答えが出たからではない、ということだった。なんていうか、堂々巡りの中でもがいていた自分に、完璧な正解じゃないかもしれないけど、とりあえず、「決めた!」って言えたとき、なんとも言えない穏やかな気持ちが、心の中で広がっていく実感があった。喜びでもなく、悲しみでもなく、興奮でもなく、そう、Peacefulという言葉は、こういう時にあるものなんじゃないか、と思えるような気持ち。なんだろう、これは。そう考えていたときに、この本を手に取り、その中に書いてあったことばに、Peacefulな気持ちのわけを見出して膝を打ったのだ。(以下、引用)【悩みながら歩こう】『岡本太郎さんという芸術家は、「自分はあれかこれかと迷ったら、必ず自分にとってマイナスだな、危険だなって思うほうを選ぶことにしてきた」って言いました。人間は誰でも弱い。自分が大事だから、安心や安定のほうに逃げたがる。なんとかかんとか理屈をつけて安定のほうに逃げたがる。でも迷っていて、答えが出ないということは、危険な道を本当の自分が行きたい道なんだと考えることにしたって言うんです(『自分の中に毒を持て』より)。それに安定なんて、求めたからって手に入るものではないんです。これから起こるかもしれないリスク(思いがけない出来事)に対して想像力を発揮して、最悪の場合を具体的にイメージして、それに備えて自分にできる限りの準備だけはしておく。何かと不安なことがたくさんあるこの時代に、「安定」という言葉にすがりたい気持ちはよくわかります。もうこれ以上心配しなくてもいい、何も考えなくてもいい、ラクになりたいという気持ちは誰にでもあります。でも、いろいろと先の見えない不安定から逃げずに、悩みながら歩き続ける人のほうが、いい仕事もできるし、幸運にもめぐり会える。それだけは、まちがいありません。』【必ず本気になれる】『苦しいですよ、二つのうち、現在だけでなく、将来も含めて、どっちが自分にとって本当にハッピーな選択なのか。わかるわけがない。だから悩むしかない。私は、結局、大学院にどうして進もうと決心したのか、わからないし、覚えていない。覚えていないけど、ひとつだけハッキリ記憶にあるのは、バカみたいに悩んだこと、苦しんだことだけです。最後の最後は悩むこと自体にヘトヘトになって、答えが出ないんだから、もうどっちでもいいや、しょうがないや、くらいに開き直るしかなかった。でも、それで良かったんじゃないかと、今は思っています。二つのうち、どちらがいいかはわからない。その中で、選択をどちらかにする。選択した後に、いろいろなことがある。失敗もある。イヤなこともある。こっちの選択はまちがいだったかなって。けれど、迷うだけ、迷った挙句に開き直って決めた道だと、どこかで潔くなれるんです。こっちもたいへんだけど、あれだけ悩んだ末に決めたんだからしょうがないじゃない。向こうの道に行っていたって、多分、いろいろとそれなりに苦しいことはあったと思うよって、自分に言うことができる。悩むだけ悩んで、それで答えが出ないんだったら、悩んだ二つの道はどっちに行こうが成功だし、どっちに行こうが失敗もある。それはそれでしょうがない。そんな心境になれるんですよ。』【進路についてのアドバイスを、と若い人に言われて】『「苦しいけど、もっともっと苦しんでください、悩んでください、簡単に結論なんか出さないでください」なんて言います。少なくとも、安定だったりとか、他人の言うこととか、周りの常識だったりとか、そんなことで簡単に悩むことから降りないでほしい。寝られないくらいに、食事ができないくらいに、悩んでほしい。それで、ぎりぎり、締め切り間際まで真剣に、最後に決めてください。自分の力で。そこまで苦しめば、後はなんとかなりますよ。そのときの自分は本気だもの。人生の選択に答えなんかない。けど、答えなんかない、わからないからといって、最初に悩むことにあきらめるのは、できればしないでほしい。就職でも、恋愛でも、悩んで苦しむだけ苦しんだ人のほうが、どういう結果であれ、その姿は魅力的で美しいと思います。』(引用、終わり)つまりは、悩むことで答えはでない。確実な正解なんて、ない。でも、悩みきることで、自分を納得させ、次に進むことがはじめてできるようになる、ということだと思う。悩んでいい。悩んで、悩んで、悩んだ先に、道ができていくのだろう。
March 2, 2005
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