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ローマについて、まずSIMカードを買わなければなりません。楽天モバイルはローミングできるはずなのですが、電波はつかんでもつながりません。このままごちゃごちゃしていても仕方ないので、テルミニに買いに行きました。前は駅の2階にTIMがあったのですが、地下一階に移転していました。 サンタマリア・マッジョーレに行き、近くでジェラートを食べました。レモン・木の実の果実、も一つは忘れました。昼間寝てしまうと時差ぼけがひどくなるので、夜まで何とか起きていました。晩御飯では、仲良しのJB神父にも会いました。現役で受付をしていました。もう85歳ですが、まだまだ大丈夫そうです。
2022.09.05
関空23時45分発のドバイ経由ローマ行きのエミレーツに乗りました。びっくりしたことは、関空の免税店をはじめ、ほとんどの店が閉まっていることでした。もちろん、コンビニやマクドナルドは開いていましたが、中に入ってからゆっくり食べようとしたら、まさかの全部が閉まっている状態でした。コロナの影響はこんなにも大きいのかと改めて感じました。 ご飯を食べるつもりで早めに入ったので、何もすることがなく、空港内をひたすら歩いたり、ネットを見たりしていましたが、しばらく長距離のフライトをしていないので、少し不安になりました。載ってみると、ほとんど満席でした。エミレーツは座席指定をするのが結構高いのですが、これは出した甲斐がありました。十数時間も真ん中の席に座ったら、しんどくて仕方なかったでしょう。しかも少し勘が鈍っているのか、水分を買って乗らなかったので、結構喉が渇きました。貰えばいいのですが、深夜のフライトは少し気がひけるのです。 飛行機の中では、映画を見ていました。シンデレラと007シリーズでしたか?特に面白くもなかったですが、時間潰しには良かったです。ドバイまでは長かったですが、機内食はなかなか美味しかったです。写真に撮っておけば良かったのですが、私の席のUSBが壊れていて、充電できなかったので、バッテリー節約のために電源切っていました。まあ、そうこうしているうちに、ドバイにつきました。 ドバイでは、免税店は思いっきり開いていました。せっかくの会議なので、ウィスキーを一本だけ買いました。今度はちゃんと水を買いました。とにかく大きな空港なので、探検したかったのですが、荷物が重かったので、おとなしく座っていました。なかなかいい場所に座れていたので助かりました。機体のトラブルで、少し遅れましたが、まあまあ許せる範囲で、ローマにつきました。ローマには、院長のナターレ神父が迎えに来てくれていました。初めて会う人ですが、付き合いやすそうな人です。きっとお世話になることでしょう。
2022.09.04
勉強を終えて、日本に帰国しました。初めは時差ぼけに苦しみましたが、どうにか回復しました。すると、腰を痛めて、寝込んでいます。 イタリアでの生活をちょこちょこと書いていましたが、イタリアに戻ることなさそうですので、この日記も終わりにしようと思います。これからは、日本の教会のために、少しですが、力になれればと思います。 イタリアで、困ったときやつらいとき等、叱咤激励のメールをいただいて、奮い立ったのを思い出します。また、どこかで日記をつけ始めるかもしれませんし、日本の教会は小さな集まりで、どこかでお会いすることもあるかもしれませんね。 2年間色々とありがとうございました。
2008.06.12
今日は御聖体の祝日でした。日本では、イタリアも結構そうですが、バチカン の暦では、今日がその日にあたります。だから、今日はバチカン市国は祝日で、 お休みでした。だからバチカンで働いている神父様たちと、久しぶりに昼食を一 緒にとれました。 ローマでは、この御聖体の祝日に、教皇様が夜7時からサン・ジョバンニ・イ ン・ラテラノ教会で、ミサをされ、そこから、歩いて20-30分くらいのとこ ろにあるサンタ・マリア・マジョーレ教会まで、御聖体行列があります。 御聖体行列は、結構長いものですが、教皇様は少しクラッシクな感じの車に乗 られ、祈りながら、その行列の最後尾から来られます。 私もミサにあずかりたかったのですが、切符を申し込むのを忘れてしまったの で、行列の到着地点であるサンタ・マリア・マジョーレ教会で待っていました。 ミサが7時からですから、おそらく8時くらいに終わり、それから行列ですから、 結構かかると思いましたが、到着したのは、ほぼ9時くらいでした。御聖体が聖 堂前に用意された祭壇に顕示され、教皇様は、その前で跪かれて、しばらくお祈 りされていました。そのときは、多くの人が共に祈っていました。 そして、最後に御聖体で祝福をされて、終わりました。 写真を載せるつもりだったのですが、コードがどこかにいってしまって、探し ています。見つかったら、写真をのせることにしましょう。
2008.05.22
日本にいて、一番苦労することの一つに、神学の本を探すことがあります。もともと出版されている本が少ないことと、結構誤訳が多いので、何か変だと思ったら、オリジナルを見直してみなければならないので、それが手に入らないと困ります。 イタリアにいると、ある意味で、その苦労からだけはしなくてすみます。出されている神学やキリスト教関連の書籍は、山のようにありますし、それを扱う専門の書店も結構あります。ただ、神学の本は、というかイタリアの出版業界の傾向かもしれませんが、再版しないことが結構あって、見つけたら、すぐ買わないと、次手に入るのはいつのことかという感じです。 そうなると、書店にいって、「これは!」と思った本を見つけたら、とりあえず買ってしまいます。大体1ページくらいは読んで買います。部屋に戻って、全部読むかは分かりませんが。 こういうことをしていると、部屋にどんどん本がたまってくるのです。そこで日本に一度送ってしまおうと思いました。梱包して、郵便局に持っていくと、びっくりするほど送料がかかります。「これはいかん」と思って、10キロくらいの箱を抱えて、部屋に戻って、色々考えてみて、他の日本人はどうしているのかと思って、問い合わせてみました。すると、「大学に本を発送するサービスがあるので、それを利用する」というとのこと。 発送には予約が必要で、専用のダンボールでなくてはならないのですが、値段は半額以下ですし、ちゃんと着くそうです。イタリアの郵便事情はとても悪いので、このちゃんと着くというのも、大事な要素なのです。 最近は、学校でも本ではなくて、パソコンのファイルでプリントをくれたり、学生には特別に、PDFになっている本のファイルをくれたりするのですが、やはり手元に本があるというのは安心ですし、大事なことなのでしょう。パソコンだと、ぱらぱらめくって、何となく読むって言うことができませんしね。それにしても、本っていうのは、重いものですね。
2008.05.15
5月はマリア様の月なので、ほとんどの教会では毎夕ロザリオの祈りが捧げら れています。もちろん、修道院でもなのですが、ローマの修道院は元々毎晩ロザ リオをするので、そういう意味ではあまり変化がありません。 それよりも今週は聖霊降臨のノベナの週で、学生神父が夕の祈りでの準備を担 当しています。私は運がいいというか、午後に授業があり、帰ってくるのが晩の 祈りの途中になってしまうので、今回は当番がありませんが、同僚の神父は色々 と工夫を凝らした話を準備しています。普段は結構ワンパターンな話をする人も、 なかなか面白い話をし、いい祈りをしていました。 聖霊降臨は大きな祝日であるはずですが、日本ではGW前後になってしまうため、 少し力が入らないかもしれません。聖週間の年度末か年度始めですから、バタバ タしてしまうので、そういう意味では不幸ともいえるカレンダーを持っているか もしれません。 聖霊降臨は言い換えれば、大変化とか大改革とか、とにかく何かが大きく変わっ た祝日。現在でも続いているので、大きな変化を祝う祝日です。復活祭で180 度反転した世界の歴史が、聖霊降臨に更に大きく変わるのでしょう。聖書におい ても、直接、間接の記述を探せば、実に多くの表現があります。 今回のノベナの話で印象に残ったものは、変化を恐れない生き方というものが ありました。前の教皇様が何度も、恐れないでくださいと言われましたし、今の 教皇様も自ら、恐れずに多くのメッセージを出されますし、難しい場所を訪問さ れます。先日、幼児虐待の問題やイスラム教との関係、イラクの戦争など、様々 なデリケートな問題に触れざるを得ない訪問でしたが、ここ数回の一般謁見での 話やお告げの祈りでのメッセージなどを聞くと、成功を求めにいかれたのではな く、恐れずに、聖霊の促しを識別しきって、行かれたのが良くわかります。大き な成功があったかどうかは分かりませんが、聖霊降臨を前に、アメリカを訪問さ れたのは、その訪問自体が大きなメッセージであるからではないかと思います。 聖霊降臨の祝日を、私はあるグループに招待されて、シチリアのカターニャと 言うところで迎えます。祈りの日の中での聖霊降臨の祝日となりますが、この日 が、私にとっても、このグループにとってもいい日になりますように。がんばっ てきます。
2008.05.09

司祭をしていると、しばしば危機に出会うときがあります。もちろん自分自身が陥る危機と言うのもあるわけですが、私の場合、その多くが自業自得だったりするので、危機というよりも墓穴と言うほうがいいかもしれません。 今日、書こうと思うのは、自分のことではないのです。もちろん危機に出会うと言うときに、自分も含むのですけれどね。 この週末、ペルージャに行ってきました。親しくしていた家庭が危機に陥っていたので、少し話を聞きに行ってきました。私が行ったところで何かが変わるわけではありませんが、電話では、私の言葉の問題もありますし、緊張して、話しきれないこともあるので、少し遠いですが行ってみたわけです。 結果として、何も変わらないのかもしれないのですが、今私の頭の中に残っている言葉があります。それは、「野の花を見よ」と言われた主のことばです。 聖書のことばは、様々に解釈され、理解されていくのですが、危機に陥ったとき、特に人間の力では、膠着状態から抜け出せなくなったとき、主の言葉を、そのまま受け入れていくというのは、大事かもしれません。 ペルージャの修道院に泊まりましたが、ここは何回か書いたように、広い庭というか農場があります。当然、多くの花が咲いているのです。色々思い巡らしながら、庭を散歩してみたのですが、いくつか気に入った花を見つけました。思い悩むとき、苦しいとき、主の言葉に従って、花を探しにいくといいかもしれませんね。 何と言う花か全然知らないのですけれど、癒されました。
2008.05.06

一昨日亡くなったファビアーノ・ジョルジーニ神父の葬儀がありました。彼が亡くなってから、二日たったわけです。亡くなった後、すぐに彼のところに行き、「長い間お疲れ様でした」と感謝の気持ちを込めて握った手は、まだ暖かかったですが、昨日彼に触れたとき、当然ながら、もう冷たくなっていました。彼は本当に行ってしまったのだと感じた瞬間でした。 亡くなったその日は、結構よく眠れたのですが、昨日はほとんど眠れませんでした。だから今日は一日ほとんどふらふらになっていました。 特に何か特別に役割が与えられたわけではないので、忙しいということもなかったのですが、何か眠っているときではないような気がして、ただ起きていたり、祈っていたり時間をすごしていたのですが、時々彼の体のある聖堂にいくと、誰かはいるという感じで、愛された司祭だったのだと思いました。 今日は朝の祈りから始まりました。当然私は頭がもうろうとしていたのですが、シスターや信徒の方も大勢いらしていたので、祈りはとても荘厳な感じでした。教会の祈りは日々唱えている祈りなので、とても安定しています。だから、この祈りの間は悲しいとかさびしいという感情は表に出てきません。感情に動かされずに彼の死と向かいあうためには、素晴らしい祈りですし、なぜ教会が詩篇の朗読を毎日続けるのかが分かったような気がしました。 教会の祈りの後、葬儀に参加できない人のために、ミサが捧げられました。私は葬儀に出るので、このミサにはでませんでしたが、働きにでるシスターや信徒の方が大勢いらしていました。 葬儀は12時からですが、2時間くらい前から、ロザリオなどの祈りが捧げられます。私も11時くらいからロザリオを一緒に祈っていました。この祈りも毎日の祈りで安定しているのですが、聖書のことばを思い起こしながら、彼の死を見つめていると、多くの人が感情的になってしまいます。あちこちから泣き声が聞こえるのですが、共同体は、その悲しみを受け入れながら祈り続けます。ロザリオの祈りは泣くことがゆるされる祈りです。声がでなくても、ロザリオ自体が祈ってくれます。共同体は泣く者を慰めることも、励ますこともしません。ただ、イエスの生涯をロザリオを祈りながら、共に歩む、それだけが行われるということでしょう。慰めるのも、励ますのも、全ては神ご自身がされることです。頭で理解するのではなく、泣いてぐちゃぐちゃになっている、悲しみで体が震えている、こういう普段ではあまり見られない状況をも、ロザリオの祈りは自然な形で受け入れてくれるのを感じました。 葬儀は12時少し過ぎから、始まりました。教会の鐘が、3回ずつ鳴り続けます。「ゴーンゴーンゴーン」これが何度も何度も続くのです。黙想の家の聖堂から、行列をして、バジリカに向かいます。庭をまわっていくのですが、かなりの人が行列するのですから、長い行列でした。鐘が3回ずつ鳴り続ける中、10分か15分くらいでしょうか、ゆっくりと列は進んでいきました。 バジリカに入ると、後は特別なことはありませんでした。ミサはごく普通の葬儀ミサでした。ミサの始まる前に、経歴が読まれるのですが、要職を歴任された会員であったので、かなり長いものになりました。これだけの経歴があると、人間は傲慢になりそうな気もしますが、彼はいつも謙遜で、仕えるということばを、そのまま生きていました。 日本の葬儀と違うところは、イタリアでは、いわゆる告別式というのがないのです。告別は前日までに、行われるので、ミサが終わると、あっさりと棺が運び出され、車に乗せられてしまいます。 普段なら、ここでおしまいなのですが、彼の所属する管区のミサがあるのと、今日埋葬も行われると言うので、院長に頼んで連れて行ってもらいました。車で1時間半くらいでしょうか。グランサッソというところにある聖ガブリエルの巡礼教会に向かいました。 葬儀は、巡礼教会の古いほうの聖堂で行われました。 葬儀の写真はもちろん撮れなかったのですが、イタリアの人は葬儀ミサでも、あまり正装をして来ません。雰囲気としては、キリスト教の葬儀とは本来こういうものなのかもしれません。死は特別な出来事ですが、必ず人間が迎えることだからです。喪服を着て、特別な時間をすごすことに、これも意味がありますが、死を人間の歴史の一部として捉えるなら、特別でありながらも、区切られるときではないのかもしれません。しかし、葬儀の時は、共同体が本当に祈りの時になるので、やはり非常に特別なときであるのは確かなのでしょう。 ミサが終わり、埋葬に向かいました。棺が5つ入るようになっているマンションのような形をしている真ん中に収められました。棺が入ると、入り口にレンガのようなものを積んで、封をしてしまいます。 彼のお墓からは山がよく見えます。ローマの騒がしい中で長くすごしていたのでしょうけど、きっと彼はこういう田舎が好きだったのではないかと思います。この地で永遠にこの山々を見ながら、神様を賛美し、私たちのために祈ってくださいますように。
2008.04.30
今日、夕食の少し前に、尊敬していた司祭が亡くなりました。少し前から具合 が悪かったので、覚悟はしていましたが、やはりそのときが来ると、悲しいもの です。 おしゃべり好きのイタリア人たちも、今日ばかりは静かですし、神学生や学生 神父たちは、夜中の付き添いをしていたこともあって、沈んだ感じがあります。 彼はとても静かな人で、会の歴史の専門家でした。公会議のあと、会のカリス マというものが注目されるようになりましたが、彼は、その理解を深める中心の 仕事をしていました。道なかばでの帰天は彼にとって、とても心残りだったよう ですが、きっと誰かが後を継いで、彼の始めた仕事を成し遂げてくれることでしょ う。 最後の数日、ほとんど意識もなくなっていたようですが、彼はいつも、「アッ ビ ピエタ ディ メ(私をあわれんでください)」と繰り返し繰り返し、しぼ りだすような小さな声でつぶやいていました。人間は死に際に、その人の人生が 明かされると言われますが、彼の姿を見ていると、それが本当だと感じます。 なんか、あまり日記を書く気力がないので、このくらいにしましょう。葬儀は、 明日の11時半(イタリア時間)、本部のバジリカで行われ、遺体はサンガブリエ ルに埋葬されます。永遠の安息と主の平和のうちに、過ごされますよう。
2008.04.28

ローマの本部修道院には、4つの小共同体から成り立っています。私はその中の司祭で勉強を続けている者の共同体に属しているのですが、この共同体は、あまり一緒になることがありません。朝のミサは、外部にミサに行く者が多いですし、勉強しているところがバラバラなので、何かを一緒にするのが難しいのです。そこで、月に一度はみんなで集まって、ミサをし、その後、一緒にピザを食べるようにしています。 それぞれが勉強していることを分かち合えるだけでなく、学生は学生が独自に抱えているストレスがあるので、それを語ることもできるからです。4人が試験前とかレポートがあるとかで、参加できなかったのですが、ミサもゆっくりすることができましたし、いい時を過ごすことができました。特に、いない人のため、病人のために、多くの祈りをささげました。 月に一度、ゆっくりと皆でミサをし、その後、その流れをもって、一緒に食事をするのは、共同体と言うものを考える上で、役に立つかもしれません。カトリックの共同体は、ミサから始まって、次のミサまで世の中で生きていくのです。 本来ミサが生活の中でのアクセントになっていく必要があるのでしょう。修道者であれば、大体が毎日ミサにあずかります。それが主日のミサと同じになっては、おかしな話です。日曜日は、主の日なのですから。そして、大きな祝日が、それは当日だけでなく、大体1週間前から始まる準備も含めて、祝いの感覚を失ってしまっては、これもおかしな話です。 同じように、共同体が共同生活の意味を失っては、これも意味がないので、共同体に、それ時々のアクセントを与えるために、こういう普段の形でないミサを定期的に行うのは、生活を整えていく上でいいような気がします。
2008.04.24
人が生きている。この現実は当然ですが、不思議なことです。健康なときは、ともかく大きな病気を患っている方やそれを支えている人には、特にそれが強く感じられるのではないでしょうか。 先日、この修道院の重鎮で、長い間共同体のために、また学問的分野で活躍してくれた神父が病院から戻ってきました。病院といっても、ホスピスからで、病気の具合からしても回復は難しいといわれています。 修道院では多くの場合、治療が難しいと判断されると、病院から自分の修道院に戻ってきます。これには当然、本人はもちろん、それを迎える共同体が覚悟が必要となります。通常の生活リズムとは違うことが求められますし、常に死の現実と相対することになるのですから。 この緊張感を抱えた状況に入ると、現場で働いている医療関係の方々や介護に携わっている方、また同じように難しい病者を持つ家族の現実が少し見えてくる気がします。ボーっとしているとサインを見逃してしまうので、近くにいるときは、普通にしていながらも緊張し、何か張り詰めたものがあるからです。それはキリスト者であろうとなかろうと同じことでしょう。 自分で経験していないので、何ともいえないのですが、神父であろうとなかろうと、死の怖れはあるのでしょう。未知の何かに出会うとき、私たちは不安になり、元に戻ろうとするのですから。ただ、今ある緊張感とは、死を怖れる不安よりも、むしろ病気で十分に苦しんでいるのだから、これ以上の苦しみを与えたくないという緊張だという気がします。 信仰の浅い深いというのは分かりませんが、信仰によって、死を迎えるときの迎え方は確かに違うのでしょう。死とは未知の何かですが、キリスト者にとって、それはキリストの死によって知られています。その死が乗り越えられることであることを知っています。それが何かは分からなくても、最も信頼する方が、それを知り、それを乗り越え、私と共におられるのであれば、とらえどころのないように思える死を迎えるときに、信仰を通して、その時に何を見れば分かってくるような気がします。 司祭が死を迎える前のとき、修道院に戻されるのには、訳があるのでしょう。この修道院の病室は絶妙な場所に配置されています。それは聖堂から食堂に向かう経路の途中にあるのです。一日少なくとも数回その前を必ず通りますし、聖堂で祈った後、何か思うところがあると、すぐに病室に立ち寄れるのです。病の発するエネルギーは大きいので、どうしても足を運ぶのを躊躇してしまうことがありますが、経路上にあるなら、流れの中で訪問することができます。本人はお見舞いが多くて参っているかもしれませんけどね。 夜は看護士のブラザーや昼間積極的に目を配っている院長に休んでもらうために、神学生や私のような学生神父が交代でベットの側にいます。できることは、水が飲みたいときに、ストローつきのコップを口にもっていくこと、唇がすぐ乾くので、ぬれたガーゼで湿らせてあげること、点滴の液が少なくなると、院長に連絡して交換してもらうことだけで、その他のことは、昼間のうちに看護士のブラザーがやってくれるのです。最重要の仕事は、異変があったとき、院長と看護士のブラザーに電話をすることです。 慣れていないものに介護される方は大変でしょうけれど、夜が更けて、誰も起きていないときに、先輩会員と二人きりで、水を飲ませたり、唇を湿らせたりする姿の中にこそ、修道生活の持つ真の輝きがあるのかもしれません。 介護の大変さを知らないで、そのいいところだけをとっているような気がしなくもないのですが、今日は何時から何時までの当番だなと思うとき、その中に入っていこうとする、やる気のようなものが沸き起こってくるのは、きっとこの人に生きつづけて欲しいと願う心ではないかと思います。 生きることの不思議さを感じながら、今日も寝る前にいつもと違う時間を目覚ましにセットしています。
2008.04.21

夕方から、同僚の神父の手伝いで、カステル・ガンドルフに行ってきました。ここは、教皇様が夏休みを過ごすので、有名な避暑地で、町の頂上にある城はバチカン市国になっています。湖のそばにあって、静かで、夏は快適だそうです。 ただ、今回、夕方に出かけて、カステル・ガンドルフに到着したのは、残念ながら日が落ちてからでした。城の少し下に車を止めて、坂を上ってくると、城の正面玄関に到着します。 それほど、古い感じはしませんが、どっしりとした門ですし、この門が開いたら、結構迫力があるのでしょうね。そして、城の前の広場には、噴水があって、これが夜の光の中で綺麗でした。イタリアには、よく広場の真ん中に噴水を見かけますが、夏涼しいでしょうし、景色になるように思います。 そして、ちょっと離れて、この二つが重なり合うと、また絵になるようですね。 教皇様がどこから入られるのかは分からないのですが、見た感じだと入り口は2箇所あって、立派なのは、この正面の入り口ですから、きっとここから入られるのでしょうね。 この噴水の反対側は普通の街並みですが、これもきれいですね。 何となく私がイメージを持っているヨーロッパの街並みという感じで、この写真は結構気に入りました。お店は閉まっていても、テーブルや椅子は出しっぱなしですね。 カステル・ガンドルフの有名な湖に行ってみましたが、やはり真っ暗でほとんど何も見えませんでした。きっと昼間見るときれいなのでしょうね。残念です。 休暇とか観光で昼間来たら、きっと町も色々と回れるのでしょうが、今日は仕事なので仕方がありませんでした。うまく撮れなかったのですが、カステル・ガンドルフからは、ローマの街の夜景が見えて、これもとても綺麗でした。車で1時間かからない位のところなのですが、雰囲気も違って、いいところですね。あまり面白くありませんが、カステル・ガンドルフでした。
2008.04.20

同僚の韓国人の神父のコンサートがあるので行ってきました。彼はローマの教皇庁立聖音楽学校で作曲の勉強をしています。歌は全学生の必修だそうですが、50人しかいないそうです。その中で韓国人が8人いるそうなので、韓国の教会がいかに音楽に力をいれているかがわかるような気がします。 会場は、ローマの中心から少し離れたEURという地区の教会でした。古い石造りの教会に慣れていると、レンガ造りの新しい教会がとても新鮮に思えます。 彼の車に乗せてもらって、途中でシスター二人を拾いながら会場に向かいました。いつも彼の車に乗せてもらうと道に迷うのですが、やっぱり今日も迷いました。教会は見えていたのですが、なかなか近づけず、大騒ぎしながら、ようやく到着です。 かなり早めに着いたので、発声練習でも始めるのかと思ったのですが、誰もそんなことしていないではありませんか。不思議に思って尋ねてみると、皆、来る前に声を作ってからやってくるのだそうです。 彼はさっさと教会に入っていくので、何をするのかと思ったら、お祈りをしていました。彼は作曲をするときも、歌を歌うときも、ピアノを弾くときも、いつも祈ってからでないと、うまくいかないそうです。 何をしに教会に入るのだろうと思った私が馬鹿でした。彼は当たり前のことをしたのですね。 午後8時前にコンサートが始まりました。録音と写真を頼まれたので、最前列に座っていました。始まる前は、皆、笑ったり、おしゃべりしたりしていたのに、本番になると、さすがに雰囲気が違います。録音はきちんとしたのですが、何か圧倒されてしまって、あまり写真は撮れませんでした。 曲の最後のパートでは、パイプオルガンが入ってくるので、同僚の神父が指揮者を見ながら、オルガン奏者を助けています。 1時間半くらいのコンサートが終わり、記念撮影。気持ちよく歌えたそうで、皆満足そうな顔をしていました。 修道院に戻ると、もう一人の韓国の神父がラーメンを作る準備をして待っていました。おなかもすいていたので、3人で大喜びしながら、ラーメンパーティです。韓国の人たちとは、やはり近くの国で、食べるものとか礼儀とか、大体共通しています。聖音楽のあと、ラーメンとご飯をたべながら、ビールで乾杯するなんて、イタリア人とはできないですものね。楽しい一日でした。
2008.04.19

ローマは本当に暖かくなりました。もちろん、朝晩は多少寒いですが、昼間はTシャツで歩いている人もいるくらいです。暖かくなると、散歩に出かけたくなるので、今日も少し歩いてきました。 ローマは古い街で、中心部にいくと、ほとんど緑はありません。でも、私の修道院の周りは、比較的広場とか、大きな公園が多いので、助かります。「何か黄色い塊があるなぁ」と思って近づいてみると、小さな花がいっぱい咲いていました。 いつもは、綺麗だと思っても、結構すぐに過ぎ去ってしまうのですが、しばらく立ち止まって、眺めてみました。それほど、強い黄色でもなく、でも淡いという感じでもないので、結構気に入ってしまいました。 たとえ散歩をしていても、目に入ってくるのは当たり前なので、なんとなくすぎさってしまうのですけど、意識していると、結構色々なものが季節を主張しているのですね。 道には、石畳の間から草が生えてきていますし、飛んでいる鳥も、一ヶ月前とは違うようです。ツバメみたいなのとか、ウミネコも戻ってきました。そういえば、空の雲も、高いところにあるような気がします。 御復活から、ほぼ一ヶ月がたったわけですけど、復活節が50日続くのは、この喜びがいかに大きいかを表しているのでしょうね。特に北半球では春から初夏に向けての時期にあたるわけですから、自然のリズムと共に、典礼季節も移り変わっていくのでしょう。 生活と信仰、生活と典礼の関連が大切だといわれますが、復活節に自然に注意してみるとか、お天気を意識してみるとかすると、何かいいインスピレーションが与えられるかもしれませんね。
2008.04.18

今日、トラピストの高橋神父様にお会いしました。日本では当別の修道院におられましたが、今ローマの本部で、ご奉仕されておられます。とにかく、有名な神父様ですし、以前日本人会で、お会いしていて、是非一度お話を伺いたいと思っていました。本来なら、私の方から出かけていくべきなのですが、神父様が私の修道院に来てくださいました。 ローマにいて、少しストレスがたまることの一つとして、信仰とか神のことについて、本当に深く話ができないことがあります。それは、もちろん言葉の問題もありますが、国や文化が違うと、同じ信仰、同じ神を信じていても、その視点や切り口は当然異なります。ある話題について語っていても、何か視点が少しずれてしまう、そんなことが時々あります。 そんな中で神父様とお話できたのは、私にとって大きな喜びでした。神父様は学者ですし、みことばに対する造詣はとても深い方ですが、理屈っぽくお話されることなく、信仰の話、神について語られるので、本当に癒されました。普段なら、こんなに長く時間をとっていただく機会は、まずないと思うので、恵みの時間でした。 そして、修道院で昼食を一緒しました。トラピストの修道者は、特に尊敬されている上、院長も経験されている神父様が来られたので、明らかに一緒のテーブルについていた者は緊張していました。トラピストでは、食事中おしゃべりする習慣がないので、神父様から話しかけられることもないわけですから、普段は大声をあげて食事をしているテーブルが、静かなのですから、少しおかしかったです。 失敗したと思ったのは、若い司祭たちも、神父様の話を聞きたかったらしく、夕食のとき、 トラピストの司祭は、今日泊まっているのかとか、何の話をしたのかとか、色々尋ねられました。神父様を独占してしまって、同僚達に少し申し訳なく感じています。 私も緊張していたので、一緒に写真を撮っていただこうと思い、カメラも用意していたのですが、舞い上がってしまって、すっかり忘れていました。何も載せないのももったいないので、12月にお会いしたときの写真があったので、載せておくことにしました。 ローマでお会いする機会はもうないと思うのですが、日本に戻られたら、是非またお話を伺いたいと思います。神父様に引っ張られて、少し聖化されているような気がして、いただいたクッキーを食べながら、これを書いています。
2008.04.17

学校に行っていると、あまり日記に書く話題がないので、なんということはありませんが、修道院のひとこまを書いておきましょう。 ローマの修道院では、食事後は、学生をしている神父が中心になって、お皿洗いをします。授業などの関係で、お皿洗いをする人数が少ないと、お年の会員が手伝ってくれることもあります。 ここには、黙想の家も併設されているので、黙想者が多いと洗うお皿の数は、かなりの数になります。それでも、シスターも含めれば、12,3人でわいわいやりながら、後片付けをするのは、それなりに楽しいものですね。
2008.04.15
最近全く行っていなかったのですが、ローマで小さな劇団のする劇を見てきま した。劇といっても、今回のは、フラメンコ中心のもので、スペインぽいもので した。 靴で、カッカカ、カッカカ鳴らす技には、びっくりしました。踊った後は、ぜー ぜーしていましたから、相当な運動量なのでしょうね。ただ単にテクニックとい うだけでなくて、表現力とかも求められるのでしょうから、これを準備するのに は、相当な時間とエネルギーが必要なのでしょう。 日本にいるときは、こういう小さな劇団のものとかには、あまり興味がなかっ たのですが、間近で見ることも出来るし、迫力もあって、びっくりさせられます。 もちろん、イタリア語で見ていると、初めの10分くらい聞いたら疲れてしまうの で、あとは見ているだけになってしまうのですが。ただ映画と違って、色々想像 力も働かさなければならないですから、見ているときも結構疲れるものです。 日本に戻ったら、時々出かけていきたいものですが、どうやったら見つかるの か。帰ってから考えることにしましょうか。
2008.04.13

夕方に、私の修道院にある大聖堂でピアノコンサートがありました。同僚の神父の弟が演奏するというので、喜んで行ってきました。 初めは、聖堂の椅子に座っていたのですが、開始15分位前から、急に人が増えてきて、会員は上にあるパイプオルガンのところに移動しました。何か覗き見しているような気がして、少しおかしな気分でした。 この聖堂は、結婚式が多いので有名ですが、明かりを全部つけると確かに美しいですし、音響もいいそうで、しばしばコンサートにも使われます。パイプオルガンも、これまであまり意識しませんでしたが、立派なものがあるのですね。 無料のコンサートだったのですが、ご近所の人が多く来ていました。真夏には、しばしばコンサートなどがあって、いつも思いますが、音楽を気軽に聴きに来られる雰囲気は良いなと思いました。子供もいて、大人やお年よりもいるのですが、良い雰囲気だったと思います。 音楽のことは、とんと分からないのですが、コンサートが終わったとき、とても良い気分になったので、一生懸命拍手しました。彼のやり遂げたという顔は、とても見ていてすがすがしかったですね。
2008.04.12

今日はローマに戻る日です。お昼の電車に乗って、学校に直行してから、ローマの修道院に戻ります。イタリアに来て、修道生活の理屈の部分を学校で勉強し、修道院で、それについて考えて、自分のものにしていったのですけれど、ここに来て、ホセ神父とそれについて、話をすることが、一番力になっているようです。 もう少し、ここにいたい気持ちもありますが、学校での勉強なしに、彼と話をしていても仕方がないので、学校に行くことにしましょう。 ちょっと時間もあるので、修道院の内部をのせておきます。 昔の修練院は今でも残っています。黙想のために使われているのですが、聖人、福者のいた部屋には、プレートがついています。創立者の部屋は、さすがに泊まることはできませんが、その他の部屋は、今でも泊まることが出来ます。神の僕 ベルナルド神父の部屋聖ビンチェンゾ・マリア・ストランビの部屋創立者の部屋です 部屋の中に入りたかったのですが、鍵が閉まっていて入れませんでした。次回入ることにしましょう。 廊下の突き当りには、鐘つきの部屋があります。今はもうこの鐘は使われていないのですが、昔はこれを鳴らすことが修練者の大事な仕事でした。もちろん、個人では時計ももっていなかったので、この鐘が修道院全体の時刻を知らせる大事な役割を持っていたのです。 とても小さな部屋です。 こういう風になっていて、縄が鐘まで届いています。短い縄が高い音で、長いのが低い音を出す鐘につながっています。試しに引っ張ってみましたが、なりませんでした。 修道院の食堂に通じる扉があった場所です。今は別のところに扉があるので、昔の扉は埋められてしまいました。 ここに昔の扉があったとかかれています。 食堂内部です。食堂自体は昔と変わりませんが、テーブルの配置とかは変わっています。 今はそれほどでもありませんが、昔は座る位置がきちんと決められていました。だから、ここに創立者が座っていたと書かれていますが、まず間違いがありません。 創立者の時代に使われていた聖堂です。今でも黙想のグループが来たときには、この聖堂が使われます。 左側の脇祭壇です。 正面の祭壇です。普段は聖櫃の中は、からっぽです。 祭壇側から入り口をみたところ 右側の脇祭壇です 小さいですが、クーポラがあります。 ということで、今回はモンテアルジェンタリオの写真集のようになってしまいました。
2008.04.08

モンテアルジェンタリオの庭を紹介してくださいという連絡をいただきました。広大な土地に立っていると思われがちですが、実は小さいものです。東京のイエズス会の黙想の家くらいでしょうか。この家は、山の中にあるので、この山全体を黙想の場所にするなら、かなり大きなものになるのでしょうけれど。 庭の入り口付近です。左側にホセ神父が作っている畑があります。この時期、ヤマアラシという動物が毎日作物を荒らしに来ます。朝早く散歩すると、ヤマアラシの針が落ちています。真夜中に来るそうなので、姿は見たことがありません。 ちょっと進むと、こんな感じになります。山の中を切り開いて作っているのですから、写真だとあまり違いが良く分かりませんね。もちろん、実際に行っても雰囲気はあまり変わりませんけれど。 もうちょっと進むと、こんな感じになります。ほとんど何も変わりませんね。このとんがり帽子みたいな木には、小さな鳥がいっぱいやってきます。巣があるわけではないのですが、休憩にくるのでしょうか。特に午前中は、この木の下にいると、ピーチクパーチクと結構うるさいですね。ただ、真下にいると、フンを落とされるので危険です。 さて、庭を歩いていると、不思議な階段を見つけました。古い階段です。それを降りると、こんな穴がぽっかり開いています。いかにも、怪しいこの穴。「きっと昔のお墓ではないか。イエス様の時代には、この穴のところに、石を転がして、ふたをしていたに違いない」 と最初思ったのですが、よくよく考えると、時代が全く違いました。しかも、ここはイタリア。全くの見当違いです。これは、昔の冷蔵庫だそうです。今はもちろん、使っていません。 中はこんな感じです。創立者の時代に作られたものではなく、会員が増えてきて、下にあるもう一つの修道院と完全に独立した時代にに作られたのだろうとのことです。 中はひんやりしています。外に比べて、大分温度は低いようです。左側に見える窓のようなところは、空気穴です。煙突みたいになっていて、ガスを外に抜くようになっています。ちなみに、この冷蔵庫の中にも、暖炉のようなものがあって、ここで何かを燃やすことも出来たようですが、何もここで燃やさなくても、よさそうなものですけどね。温度あがってしまいそうですが。きっと何か必要があったのでしょうね。 ということで、モンテアルジェンタリオの庭を紹介しました。写真にしてしまうと、あまり面白くないのですが、海が見えて、山が見えて、鳥の声が聞こえて、多くの修道者が、ここで修練をしてから、宣教に出て行ったのかと思うと、この庭も何か特別なものがあるような気がします。 先日、下の修道院から、昔の修練長がやってきて、話をしましたが、公会議後しばらくは、まだここで修練をしていて、彼はその最後の時期の修練長だったのですが、ここで修練長をできたことを、とても誇りに思っているらしく、色々と話してくれました。自分の修練者の中から、今の管区長が出て、それもとても誇らしげに話をしてくれました。私の会の色々な歴史を知っている修道院ですね、ここは。
2008.04.07

昨日の夜、結構遅くまで、ホセ神父と話をしていましたし、今日はミサが夜7時からなので、安心して朝寝坊をしました。 しかし、外はもう春ですから、ここモンテアルジェンタリオでは、鳥の鳴き声で目が覚めてしまいます。本当にうるさいくらい元気に鳥さんたちが鳴いています。 特に何かをするわけでもないので、朝からお散歩し、今日の聖書の朗読の練習をしたり、その黙想をして、一日が過ぎていきます。日曜日は、ホセ神父も畑仕事はしませんし、この修道院は静かです。 庭を散歩していると、色々な花が咲いています。花は写真に撮るのが本当に難しいですね。でも、何となくモンテアルジェンタリオの春を感じられるので、花の写真を載せておきましょう。 黄色い花には、ミツバチがいっぱい集まってきます。きっとおいしい蜂蜜がとれるのでしょうね。蜜を集めているとき、ミツバチは写真を撮るために近づいても、私に全然気づかないようですね。 私は結構この白い花が好きです。地味に咲いていますが、緑の中に白い花が咲いていると結構映えるような気がします。小さな花ですが、春を感じますし、一生懸命咲いている気がして、なんか元気が出てきますね。 これも壁沿いに、ぽつんと咲いているのですけど、なんか愛嬌があって、いい感じです。 モンテアルジェンタリオは、山の中にあって、十字架の道行きなどは、屋外にあります。木の間から差し込んでくる光は綺麗というだけでなく、本当に暖かさを持ってきてくれて、春と同時に、この光が命を生み出していると感じます。 そして、修道院の庭を一周して最後は、マリア様のところです。マリア様も教会の母です。教会で生まれてくる命、この世を去っていく命のために、いつも父なる神に祈ってくださる私たちの母です。真っ青な海をバックに、祈りをささげているマリア像はいつも美しいです。 ということで、修道院の庭を一周してきて、春を感じてきました。明日は修道院の中を案内しようか、それとも修道院の外に出て、また春を探しに行こうか。それは明日決めることにしましょう。 今日は今からミサです。主司式は多分ホセ神父がするでしょうが、朗読がまわってくるでしょうから、練習しないといけません。がんばってきます。
2008.04.06

モンテアルジェンタリオに来ました。復活祭休みに、本当は来るつもりでしたが、ここの修道院の改築をしていたので、来れなかったのです。復活祭の疲れは、もう十分に休んだので、とれているのですが、ここの院長のホセ神父は、私の生涯の師匠になりそうな人なので、この聖週間、私が感じたこと、体験したことを、話して、話されようと思ってきました。 昨日の夜、同僚の神父と少し話しこんでしまって、電話できなかったのですが、先週電話したときに、「駅から歩いていくから」と伝えておいたので、ぶらぶら歩き始めました。修道院に電話しましたが誰もでないので、きっと忙しいのだろうと思いました。 駅から修道院まで約11キロ。途中から山になるので、およそ2時間から2時間半かかりそうですが、今日は天気もいいですし、絶好のお散歩日和です。 駅からずっと、私の会の最初の修道院が白く見えます。私が泊まるのは、これよりも少し上にある、二番目に建てられた聖ヨセフ修道院ですが、これを目印に歩いていけば、必ずつけるはずです。 歩いて約一時間、のんきに記念撮影をしていたら、どこからか「フランシス」という声が聞こえます。イタリア語では「フランチェスコ」ですから、イタリアでフランシスという音を聞くのは、特別なことです。ふと我に返り、その音源に目をやると、ホセ神父が手を振っていました。 いやーいい所で出会ったと思って、おはようと言って近づくと、なんかぺらぺらと話しています。きっと、あえてうれしいといっているのだろうと、聞き流していたのですが、どうやら、私が昨日電話しなかったので、電車の来る時間に待っていたそうです。しかも私が乗った電車は30分以上遅れたので、よけい混乱させてしまったようです。まあ、冷静に考えればですね、駅で待っていてくれれば、確実なのに、なぜか彼らは、途中で待っていました。歩いていくつもりだったのですが、せっかく来てくれたので、車に乗せてもらって、無事に修道院へ。2月に持ってきてもらったウィスキーをお土産に渡して、無事に到着です。ちなみに、イタリアでは、食後酒として、時々ウィスキーを飲むので、お土産に持っていくと、とても喜ばれるのです。 修道院に着くと、他の住人も出迎えてくれました。 この犬はとっても賢くて、時々行く私を覚えているようで、私が行ってもほえません。ただ、私が行くと遊んでもらえると分かっているらしく、しばらく走り回らなければならないのです。最近、太ってきたので走るのは少しつらいのですが。 それから、 鶏君たち。多分、行く度に変わっているとは思うのですが、いつもおいしいお肉と卵で私を出迎えてくれます。今日の夕食も、きのこのオムレツで、おいしい卵でした。ちなみに、キノコは秋に収穫して冷凍しているのが、まだ数十キロ残っているらしくて、使い放題だそうです。うらやましい限りですね。 昼、ゆっくり周りを散歩してまわりました。本当に春を感じます。日本のように、梅が咲き、桃が咲いて、桜が咲くという感じで春を感じることは出来ませんが、もちろん、全部こっちにあるのですけど、こっちで春を感じるのは、特にモンテアルジェンタリオでは、野の花でしょうね。この紹介は明日することにしましょう。
2008.04.05
今日は、前の教皇ヨハネパウロ二世の命日でした。3年目がたちました。聖ペ トロでは、教皇様司式で、記念ミサが行われ、多くの人が参列したそうです。彼 は私が司祭叙階を受けて、一ヶ月もしないうちに亡くなられました。ミサの中で、 「私たちの教父ヨハネパウロ二世」というのは、30回もなかったのです。 ヨハネパウロ二世は、在位期間が長かったですし、非常に人々に愛された教皇 であったので、今でも彼のお墓にはお祈りする人が絶えないですし、来年もカレ ンダーにも、彼の写真入のものが多く出ているほどです。 彼がどのような人であり、どのような事を行ったのかを私がここで語る必要は ないと思いますが、世界のために祈り、カトリック教会を導き、希望を与えたと いうのは、間違いないでしょう。 これは実は難しいことです。様々な世界があり、多くの苦しみが悩みがある中 で、人々にそれを求めるのは、難しいことです。それは彼自身が病気で苦しみ、 悩みの中にいたからこそ、語ることが出来たことなのでしょう。 彼は、生きることの中に、しるしを示すことを望んだのでしょう。この世界で、 最も大切なことのしるしを、示すことこそ、信仰の力であるというのでしょう。 今自分が、彼のことばを受け入れ、それを生きているか、しばしば不安に感じ ることもなくはないのですが、彼の写真を今目の前にして、自分が信仰を持ち、 司祭叙階を受けるまで、ずっと彼が私のために祈ってくれたと思いました。どう か、天国でも私たちのために、祈ってくださいますように。
2008.04.02
主のお告げの祝日でしたね。聖週間が早かったので、それにおされて、例年よ り1週間遅い祝日となりました。復活最後の8日間のすぐ後なので、大きなお祝 いもありませんでしたが、日本ではきっと桜が咲いている中での一日だったこと でしょうね。 何となくマリア様の祝日だという気がしたのですが、よくよく考えると、主の 祝日ですね。ミサ典礼書が手元にないので、自信があるわけではないのですが。 長いこの世界の中で、神の救いが実現する。イスラエルの民は、いまかいまか と、半分希望を失いながらも、その到来を待ち望んでいました。全員が神殿に集 まってということではないでしょう。もしかしたら、ほんの一部の人だけが、数 パーセントの人が、ひょっとしたら、1%にも満たない人かもしれないですが、 心から、それを信じ、待っていたのでしょう。 イスラエルの民からすれば、もう待たされ過ぎた、もう待つことすら出来ない ほど長い時間がたってしまって、その到来を信じていながらも忘れてしまうほど だったかもしれません。 そういう中で、主の到来の第一報が、この世界に届いた。この世界に大きくそ れを広められる政治的、宗教的権力者のもとにではなく、マリアとヨセフという、 何の通信媒体というか、広報する手段を持たない二人の人に、静かに告げられた。 主のお告げの祝日は、今だから、私たちは知っていますが、その時知っていた のは、二人だけ。そういう静かな、小さな祝日です。世界にとっては大きな大き な出来事で、待ちに待った日々だったのですが。 この日に、静かに、お告げの祈りを唱えながら、この出来事を黙想しました。
2008.03.31

カラブリアでの聖週間の思い出です。聖土曜日のことです。もうかなり昔のことのように感じますが、まだたったの1週間しかたっていないのですね。 この小教区に来て、感じたのは、イタリアでは、もちろん全部がそうでもないのですけれど、信仰が冷めていないということでしょう。これは国民性もあるのでしょうが、何かをするとき、白けないで、する方も見る方も真面目にやるのです。聖土曜日の十字架の道行きは、そういう意味では非常にいい例です。 一般に十字架の道行きというと、教会の中に留があって、司祭とか奉仕者が、そこまで歩き、招きの祈りを唱えて、その箇所を黙想するというのが普通ではないかと思います。この小教区も、普段の十字架の道行きは、そのようにしているのですが、聖土曜日は違います。 若者が帰省してきていることもあり、こういうお祭り的なことが好きだということもあるのでしょうか、劇形式で十字架の道行きが行われます。 このことについては、昨年の日記にも書いたかもしれません。町の道路を使ってやるのですから、もちろんこの時間は車の通行は出来ません。この町は小さいので警察署がないので、実質自主的にやっているわけですが、町のほとんどの人が、この十字架の道行きに来ているのですから、あまり問題にならないようです。 この着ている服などは、一部既製品もあるのですが、ほとんどが手作りのようです。兵士のヘルメットも、自分達で作っているみたいです。よく見ると、一人一人微妙に違うので面白いですし、ベロニカの衣装やイエスの顔のあとがついた布なども、よくできていますね。 そして、何がすごいかというと、真面目にやって、真面目に見ているということではないでしょうか。日本のお神輿とかと似ているのかもしれませんが、十字架の道行きだと、もうすぐイエスが倒れるところだと分かっていて、倒れると悲鳴が上がったりしていました。 こういう十字架の道行きは、テレビでもやっていて、色々な町で工夫を凝らしてやっているようですね。もちろん、イタリアだけでなく、フィリピンでもやっているのを見たことがありますが、信仰に一種の冷めたところがないというのは、見ていて、何か納得してしまいました。ただ、結構迫力ある演技をするので、祈りというか本当に劇を見ているようなので、果たして、これは十字架の道行きなのだろうかと思ってしまったりもしましたけれどね。 イタリアでの十字架の道行きは、教皇様がされるコロッセオのものが有名なのですが、こういう十字架の道行きもあるのですよ。ちなみに、私の修道院はコロッセオのそばで、ローマに残っている人たちは、みんな揃って参加するのですが、テレビで見ていたら、そのうちの一人が映っていて、何かうれしかったです。ま、これはどうでもいいことなのですが。
2008.03.29

やっと疲れが取れてきて、何かをやろうという気になってきました。今回は思ったよりも回復が早かったようです。 カラブリアでは、あまり日記もかけなかったので、ちょっとまとめて書いておこうと思います。南イタリアは比較的信心が強いようで、多くの巡礼教会があります。様々な奇跡とかが起こった所に建てられるようですね。 今回訪れた一つに黒い十字架の教会がありました。火事になって、ほとんどが焼けてしまったのに、十字架だけが、真っ黒になったものの、そのままの形で焼け残ったというか、立っていたそうです。小さい巡礼教会ですが、きれいに手入れされていました。 教会の入り口に、黒い十字架の絵があって、はっと目を引きます。 中は小さいのですけれど、祭壇の上に黒い十字架があって、引き締まった空気を感じます。 ちょうど、2時半くらいに、この教会を訪れたので、この時間は大体お昼寝の時間で、誰もいませんでした。しばらくこの十字架の下で祈っていました。南イタリアの田舎にある、小さな巡礼教会ですが、多くの人が、同じように、この十字架の下で祈ったのでしょうね。大きな巡礼教会も華やかで素晴らしいのですが、こういう小さな教会もいい感じですね。 祈り終わって、振り返ると、ステンドグラスが、ぱあっと目に入ってきます。これも結構インパクトがありますし、いい感じですねぇ。 小さい教会なので、写真に大体全部入りました。 特に有名な教会でもなく、有名な人の絵があったりするわけでもないのですが、イタリアの田舎にも、いい感じの教会がいっぱいあるのですね。
2008.03.28
今、カラブリア州から戻る電車の中です。6時間の長旅ですが、復活祭のお休 みが終わるからでしょうか、電車は満席で、いつも陽気な南イタリアの人たちも、 さすがに疲れているようです。おそらく日本のお盆の帰省と似ているかもしれま せんね。 月曜日の朝で、小教区の奉仕は終わっていたのですが、前から近くの町で、是 非来て欲しいと依頼されていたので、聖週間の休憩をかねるつもりで、2泊ほど 滞在しました。ただ、初めの予定とは違って、結構多くの人が、どこから噂を聞 いたのか、話しを聞いてくださいとか、ゆるしの秘跡をしてほしいとか訪ねてき たので、あまり休むことはできませんでした。 私の会は、ゆるしの秘跡や霊的指導者が多いので、有名ですし、小教区ミッショ ンといって、巡回説教とも言われることをしているので、その会員が来ているの だから行ってみよういうことなのでしょう。 人の困難を一瞬であっても共にすることは、日本語でも大変なのですが、イタ リア語だと、もう限りなく大変です。ただ、イタリア語だと逆に何かしてあげよ うなどとは思わず、最も大切な共に祈るということしかできないので、司祭の本 来の役割が出来たのかもしれません。 人の困難のため、病気のため、苦しみのために、祈るというのは、その中にい る人は、もちろんのこと、その人々と共にしている人にとっても、難しいことで す。気休めのことばを与えることは容易なことですが、それこそ偽善なわけで、 主に委ねるというキリスト教信仰の根源を歩むしかないのです。 今、日本語版がないので、かけないのですけれど、復活賛歌を歌っていて、私 達の生き方とは、この復活賛歌で表現されているのかなと感じます。一度倒れた ものが、立ち上がったときに歌う賛歌である復活賛歌。ゆっくりと味わうことは、 とてもとても意味があるでしょう。
2008.03.26
聖週間の奉仕が終わりました。ゆるしの秘跡、一色の一週間でしたし、もうヘ トヘトと言っていい感じですが、よくがんばったと思います。ゆるしの秘跡で何 をして、何を伝えていくのか、はっきりと分かった気がします。 この秘跡は、司祭は他の司祭に相談できないので、一人一人が、秘跡の深みへ と潜っていかなければならないのですが、今回を含めて、3回、この小教区でゆ るしの秘跡を共にして、自分なりに、この秘跡が指し示す方向を理解できたよう に思います。それ自体は、自分の体験の中に渦巻くものなので、うまく言葉にで きないですし、言葉にしてはならない部分もあるので、ここに書くことはできな いのですが、「私は弱いときにこそ、強い」という聖書のことばは、確かであっ て、人間が自分の弱さと本当に向き合おうとしたとき、確かに再び歩み始める歩 みは強められると感じます。とにかく、成し遂げましたので、少しお休みです。
2008.03.24
午前中休みだったので、少しゆっくりできました。もちろん、教会の扉を開け ておけば、ゆるしの秘跡をしに来る人もいるのですが、明日から始まる忙しさに 備えて、体力の温存です。 お昼ごはんは、仲良しの人が家に呼んでくれたので喜んでいってきました。こ の一年で多少変わったところは、一年前だと、家に呼ばれたりすると、イタリア 語で必死に話さなければならないので、結構ストレスがたまったのですが、今は それなりに喜んで行っています。決してイタリア語が話せるようになったわけで はないのですが、身の程を知るようになったのでしょうね。もちろん、多少はヒ アリング力がついたので、それもなくはないのですが、日本語で話すようには、 話せないのだと割り切ったら、楽になってきました。 難しい言葉を使わなくても、信仰については話ができます。これは日本語でも やってみると分かります。本当に大事なことを伝えようと思ったら、難しい単語 を並べる必要などなく、必死に表現して、相手に理解の鍵を見つけてもらえば、 伝わっていくのです。きっと、フランシスコ・ザビエルが日本に来て、キリスト について述べ伝えたときも、このように必死に伝えたのではないでしょうか。宣 教とは、こういうことなのかもしれませんね。 夕方、聖体奉仕者の任命式のミサがあったので、隣の小教区に行ってきました。 私がいる小教区よりも大分大きなところです。10人の方が、主任司祭から任命 書と聖書を手渡されて、病人やお年寄りの所を訪問し、御聖体をもって行く役割 が与えられました。田舎ですから、お年寄りが多いので、きっと彼らもやるべき ことが沢山与えられるでしょうね。 明日から、ついに聖なる3日間が始まりますね。まず最初は聖香油のミサに行 くことから始まるのですが、明日はちょっとはなれたところにあるカテドラルま で行かないといけないので、早起きをします。帰ってきてから、ゆるしの秘跡、 ミサと続いていきます。いよいよ忙しい日々が始まりますので、いい奉仕ができ るように、お祈りください。
2008.03.19
小教区で奉仕していると、ほとんど毎日が同じ生活になります。朝8時半にミ サがありました。今日は主任司祭が9時からミサがあるというので、8時半のミ サを私が司式したのですが、ミサとミサの間を30分しかとらないというのは、 普段の私の感覚では考えられないのですが、ここでは、そういうものだと考えて 黙っています。 ただ、イタリア語でミサをすると、日本語の6割くらいの時間で済むのは確か なのです。ただ、今日は福音が長くて、ゆっくりしか読めないので、結局30分 以上かかってしまいましたけれどね。 ちなみに、ユダの裏切りの箇所の朗読ですが、私はこのヨハネの箇所を黙想す るのが好きです。好きと言うか、何か心に響きあうものがあって、しばしば思い 巡らします。「夜であった」というところに、ものすごくアクセントがあるよう な気がします。 聖週間は午前中ゆるしの秘跡をしないでいいので、少しゆっくりできました。 前にも書きましたが、この町では、まだ暖炉で薪を燃やして暖をとります。薪が シューシューと燃える音、かすかに匂う木の燃えるにおい、そして、時々あがる 白い煙を見ていると、何か落ち着く気がして、1時間位ずっと眺めていました。 この薪は、どうやら周りにずっとあるオリーブの木のようです。オリーブは枝を よく落とすのを、木が大きくなると間引きをするので、この町で消費する薪は十 分まかなえるそうです。ただ、お年寄りの家などでは、やはり運び込む手間や、 薪は重いので、だんだんとガスストーブを使うようにもなっているようです。 夕方にゆるしの秘跡を3時間聞いていました。疲れました。だから、今日は素 直に寝ることにしましょう。木曜の午後からは、ぶっつづけで、ずっと聞くこと になるのですから。がんばらなくては。
2008.03.18
復活祭の奉仕のために、カラブリア州に来ています。ローマから特急で6時間 ほどで、レッジョ・カラブリアから1時間くらいのところにある町です。珍しく 電車が時刻どおりに出発し、到着も2分しか遅れないという順調さでした。 お昼ごはんは、信者さんの家でご馳走になったのですが、1時間位休もうと思っ ていたら、そこでも、ゆるしの秘跡をすることになって、お昼寝することができ ずに、小教区での、ゆるしの秘跡の時間が来てしまいました。ゆるしの秘跡をし ている間は、緊張しているので、決して眠くはならないのですが、緊張している ので、疲れたまま聞いていると、集中力が欠けてしまうので、本当は少し休みた いのです。ただ、今日はまだ初日ということで、体力があったので、大丈夫でし た。 明日からミサの司式も始まるので、今日は早めに寝ることにしましょう。
2008.03.17
枝の主日を迎え、今日から聖週間が始まりました。聖ペトロでのミサの切符を もらったので、朝起きて向かおうとしたら、今日はなんとローママラソンの日で した。 ローママラソンは結構大きなマラソン大会らしく、ローマの名所を大体全て回 るようなコースです。もちろん、私の修道院の近くにあるコロッセオは、その中 心みたいなところなので、この道は完全に通行止めになっています。普段バスで 聖ペトロに行くのですが、もちろん今日は走っていません。地下鉄に乗ろうと思っ て、コロッセオに行こうとするのですが、この道一本渡れば、すぐに駅の入り口 なのですが、どこから渡ったらいいのか分からないぐらい人がいたり、通行止め になっていたりで、結局時間切れになってしまって、すごすごと修道院に戻りま した。今から考えれば、すこし遠いですが、別の駅まで歩いて、そこから地下鉄 に乗ればよかったのですが(実はこれは昨年もあったことだったのですが)、そ こまで頭がまわりませんでした。 そこで、夕方のサンタマリア・マッジョーレのミサに行きました。枝の行列な どは、一番大きなミサでしかしないので、夕方のミサは、普通のミサでした。当 たり前なのですが、すこしがっかりしてしまいました。でも、結構大勢の人がミ サにあずかっていましたし、ミサの時は聖堂内の照明がすべて点灯するので、と てもきれいな中での聖週間の始まりを迎えることが出来ました。 明日から、何度か訪問しているカラブリアの小教区に奉仕に出ます。ゆるしの 秘跡の毎日ですが、司祭職を任されたと感じる瞬間でもありますから、しっかり 奉仕してこようとおもっています。 祈りと犠牲の一週間です。このときだけ祈ればいいというのではないでしょう が、少なくとも祈りが生活の中心に来るときです。何をするかは個人の信仰との 関係の中のことですが、エルサレムに入られ、もう迷わずにご自分の道をまっす ぐに歩まれる主の姿を、私達の心の中にしっかりと焼き付けたいと思います。
2008.03.16
今日は聖ヨセフの祝日です。本来は固定の祝日で来週ですが、来週は聖週間で、 全ての祝日はキャンセルされますので、大きな祝日である聖ヨセフは、その直前 である今日に移動しているのです。 聖ヨセフは、イタリアでは大きな祝日です。国民の祝日というわけではありま せんが、カトリック教会の中では、かなり大きくお祝いします。福音書の中でも、 マタイのお告げの箇所に登場しますが、それ以外では、ほとんど姿を見せない人 です。しかし、ある人は聖ヨセフを「聖人の中の聖人」と表現していました。た だ、彼の生きた足跡をなぜか憧れ、思い起こしてしまう、きっと聖ヨセフとは、 そのような人なのでしょう。 私達が思い描く聖人とは、まさに聖ヨセフのような人かもしれません。聖人と はいえ、きっと罪の苦しみもあったでしょう。人間的な弱さや悩みも体験したに 違いありません。しかし、その中で人生の困難と格闘していく中で、一生懸命生 き、神の示す道を一歩ずつ歩んでいった姿こそ、聖性の道であり、聖人の生きか たといえるのかもしれません。 聖ヨセフの祝日は毎年、春の訪れを実感する時期でもあります。曇りと晴れ、 雨がめまぐるしく移り変わるのですが、草は新しい命を確かに芽生えだし、鳥の さえずりがはっきりと聞こえるようになります。人間も外に出て何かをしようと、 何かを探そうと出てくるのです。 今年も、ローマでは、春の訪れと共に、聖ヨセフの祝日を祝っています。人が 生きるということと、生きることへの憧れを示してくれる、この聖人と共に、祈 りのうちに、明日の枝の主日から始まる聖週間を祝いたいと思います。
2008.03.15
四旬節いかがお過ごしでしょうか?ローマにいても、特に普段と違うことはな く、食卓に魚が上ることが多くなったくらいでしょうか。昔は全く肉を食べるこ とはなかったそうですが、最近は金曜日はもちろん魚とか野菜、チーズだけにな りますが、他の日は肉がでることもあります。特にローマは魚の値段が高いので、 経済的な理由もあるのではないかと思いますが。 よく四旬節は準備の時と言われます。確かに40日間かけて、聖週間の準備を しているのですが、バザーとか試験とかの準備というのとは根本的に違うような 気がします。それは四旬節が回心の時と言われていることと関係があるでしょう。 私達は、いつもよい人になりたいと願っています。そして、なかなかなれない ことに悩んだり、苦しんだりしています。回心しようと思っても、いつまでたっ ても訪れない時に、落胆してしまうことすらあります。 福音書を読んでいると、イエスの弟子達の気持ちは、まさにそんな感じではな かったのではと思います。素晴らしい教えを語り、多くの病人を癒し、そして様 々な奇跡を起こすナザレのイエスですが、いつまでたっても、エルサレムに上り、 自分達を苦しめている悪と戦おうとしないのですから。 四旬節の部分は、そういうイエスがエルサレムへと向かい始めながらも、未だ 行動を起こそうとしない苛立ちというか焦りを感じるときなのかもしれません。 そして、聖週間には、ご存知の通り、イエスは苦しみ、十字架につけられ、死に 向かうわけです。 このプロセスの中で、四旬節とは、いわゆる心の準備というレベルのものでは ないように思います。また回心して、イエスに何も疑わず従っていけるようにな るという時でもないように思います。おそらく、それは弟子達のように、神の国 の到来を待ち望みながらも、なかなか訪れないことへのイライラや落胆すら感じ る時ともいえるかもしれないでしょう。 四旬節は、自分に義務を課し、何かを成し遂げていく時ではないのでしょう。 むしろ、十字架を見たとき、十字架上の主を見て、涙を流す、その準備の時とい えるかもしれません。
2008.03.11
風邪は完全によくなりました。励ましのメールとか、体調管理をちゃんとしな さいというお叱りのメールとかいただきましたけれど、もう大丈夫です。 日記の更新を再開したのですが、いきなり楽天ブログのメンテナンスの時間と 重なってしまって、アップロードした瞬間に書いたものが消えてしまって、意気 消沈し、その後書く気力を失ってしまいました。結構がんばって書いたものだっ たので、ショックが大きかったのです。 これまでも、何度も同じミスを繰り返しているのですが、私がパソコンの前に いる時間と、メンテナンスの時間が重なっているらしく、どうも相性が悪いよう です。 といって、いつまでもクヨクヨしていてもだめなので、また気を取り直して、 書き始めます。今週が終わると、来週はいよいよ聖週間に入りますね。また南イ タリアのカラブリアの小教区にお手伝いに行きます。そろそろ、長時間のゆるし の秘跡にたえられる心の準備も始めないといけないですね。さて、今日も一日が んばりましょう!
2008.03.10

一般謁見が終わったあと、どこに行くのかは結構迷うところです。移動だけを考えるならば、そのまま聖ペトロ大聖堂かバチカン美術館を訪れるのが普通ですが、当然人が多いのです。もし、時間に多少余裕があるなら、お昼ご飯を済ませた後、移動してしまうのも、いい選択肢だと思います。 この日も、昼食後、思い切って、スペイン広場、トレビの泉、パンテオン、聖ルイ教会のコースを選んでみました。スペイン広場は、スペイン階段があり、ローマの休日やダビンチ・コードなどで有名な観光地です。観光のほかに、スペイン広場には、よい彫刻があるので、それを見るのも面白いと思います。ちょうどスペイン大使館のまん前に、オベリスクが建っていて、その周りに、モーセ、ダビデ、ダニエル、エゼキエルの4人の預言者の像があります。これが結構いい感じです。オベリスクのてっぺんには、マリア様の像があります。これを見るのも、結構いいと思います。(オベリスク)(預言者の像)(スペイン階段)(沈みかけた船の噴水)(階段の上から) ここから、15分くらい歩くと、トレビの泉に行くことができます。これは巡礼とは、ほとんど関係のない場所ですが、パンテオンに行く途中にあります。ローマでも、最も人気のある観光のポイントで、多くの人が後ろ向きになって、小銭を投げ入れるので有名です。写真で見る感じよりも大きなものです。それ以外には、特にコメントはいらないでしょうか。(トレビの泉) トレビの泉から、歩いて10分くらいのところに、パンテオンがあります。ここは、もともと教会ではなかったのですが、後に教会になったところだそうです。教会であるか、どうかを別にしても、ここはローマを訪れたら、是非行かれるといいと思います。できれば、夕方くらいがお勧めです。とにかく、美しいです。外から見るとたいしたことがないのですが、中に入ると、丸天井になっていて、何か吸い込まれる感じがします。うまく表現できないのですが、美しい空間です。(パンテオン外側)(パンテオン内部1)(パンテオン内部2)(パンテオン内部3)(パンテオン内側から外側) ここから、もう少し足を伸ばすと、フランス人の教会、聖ルイ教会があります。何が違うのか分からないのですが、何となくフランスの教会という気がします。ナボナ広場に行く途中にあります。静かですし、巡礼中によるのには、ふさわしい教会だという気がします。 実は、このあと、ナボナ広場に行き、ジェズ教会に行ったのですが、なぜか写真を撮っていなかったようです。 ナボナ広場は、いつ行っても画家のおじさんがいて、似顔絵などを描いてくれます。もちろん、結構な値段がするのですけど、うまい人は、とってもうまいので、ローマの思い出にいいかもしれないです。 そして、ジェズ教会ですけど、ここはフランシスコ・ザビエルの右手があるのと、イグナチオのお墓があるので有名です。ここも見るものが多いところですけれど、巡礼に行くなら、この教会はお祈りするところでしょう。日本に初めて福音を述べ伝え、祝福を与えてくれたフランシスコ・ザビエルの前で、また彼を日本に送り、その後も多くの宣教師を送り続けてくれたイグナチオのお墓の前で祈ることは、大きな意味があるでしょう。遠い歴史のことで、あまり気にもならないのですが、彼らの働きなしに、今の私達の信仰はなかったかもしれないのですから。 ローマを回ったことのある人なら、今日の日程がかなりきついということが分かられると思いますが、かなりがんばって歩きました。しかもバスではなく、ローマの街の雰囲気を感じながら、歩いて移動したので、私も巡礼団も、いきなりくたくたになりました。でも、よく祈れた一日だったのではないかと思います。
2008.02.20

私が東京で奉仕していた小教区から巡礼団がやってきました。4日間と短い期間に、ローマでなにか信仰に役立つことをと考えると、教皇様とお会いすること、巡礼教会でお祈りすること、そして絵画や彫刻などの信仰の表現を目にして心に刻むことなどがあげられるでしょう。 ちょうど今日は水曜日、一般謁見がある日です。教皇様はペトロの後継者で、ペトロを通して保たれた教えを、責任を持って民のために保つ役割を担われている方です。この方から直接話を聞き、自分の信仰を見つめるのは、それだけで素晴らしいことです。ただ、日本人の場合、ことばの問題があるので、必ずしもお話を理解できるわけではないのですが、教皇様を直接見ると、教皇様の回勅やメッセージが心に響いてくることは間違いないでしょうから、それだけでも意味があると思います。 一般謁見の切符は、同じ修道院の神父様にお願いして手に入れてもらいました。朝8時くらいから並べば、いい席を取ることも出来るのですが、昨日の夜到着して、疲れもあるわけですから、少し後のほうでも仕方がないと思い、ゆっくりとバチカンにあるパウロ六世ホールに向かいました。 やはり長蛇の列が出来ていて、入場するまでに45分くらいかかったでしょうか。運良く、7人固まって座ることが出来ました。半分からちょっと後くらいの端のほうでした。謁見が始まるまでに、1時間くらい待ちましたが、ようやく教皇様が入ってこられ、ホールはすごい熱気に包まれていました。 謁見の中での、お話はアウグスティヌスについての話でした。謁見の話はバチカンのホームページで聞くことが出来ますし、パソコンがあるなら映像でも見ることができるようです。 謁見でのお話もそうですが、遠い国から、この謁見のために来ている巡礼団も少なくなく、事前にお願いしておくと、グループの名前をよんでもらえるのですが、名前が呼ばれると、そのグループが立ち上がったり、歌いだしたり、なかなか楽しいものですね。その国のお国柄がでたり、グループの性格や年齢とかによって、手の振り方などのアピールも違って、それを見ているだけでも楽しくなります。 ほぼ2時間くらいの謁見でしたが、私も入れて、巡礼団7人は自らの牧者の顔と声をきっちりと頭に刻み込んで、大満足でバチカンを後にしました。みんなまだ疲れや時差ぼけが抜けていなくて、ちょっとつらそうでしたけれど、きっといい思い出になったことでしょう。
2008.02.20

ローマはもう春がやってきましたね。お天気もいいですし、暖かいです。冬は曇っていて、暗いのですが、一気に明るくなるのが不思議です。 まだ学校が始まらないので、散歩に行ってきました。本当は本屋さんにいくつもりで出たのですが、途中で財布を忘れたのに気づいて、急遽、大散歩に切り替えました。 1時間くらい歩いて、修道院の近くに戻ってきたら、カメラを持ってきていることに気づきました。ちょうど聖ステファノ・ロトンド教会があいていたので、撮ってきました。この教会はヨハネ黙示録で有名だそうですが、なぜかは知りません。今度聞いておきましょう。外から見ると、普通の教会ですね。中に入ると、丸くなっているので、びっくりします。 内部の壁には、初代教会の殉教者の殉教の様子が描かれています。様々な方法で迫害されたのが分かりますし、教会がそれを保っていこうとしたのが分かります。この教会が初代教会にあったわけではないのですが、キリストの絵ではなく、殉教者の絵が並んでいるのは、かなり珍しいのではないかと思います。 日本語では、殉教者というと、少しマイナスイメージを持たれるような気もしますが、イタリア語だと、尊敬される言葉の一つです。 もう四旬節にはいりましたが、この四旬節は、主と共に死ぬというパウロの言葉を黙想していこうと思っています。
2008.02.12

城には、フランシスコ・ザビエルの記念聖堂が立っているので、当時の姿とは、少し違うようです。もちろん、この城も再建されたもので、当時のものは、ごく一部だそうです。(聖堂)(聖堂の入り口にある)(聖堂内部)(聖堂にあるフランシスコ・ザビエルの像)(フランシスコ・ザビエルが生まれた場所) 聖堂の位置には、もともと党があって、それが聖堂になっています。だから、フランシスコ・ザビエルは、今聖堂になっているところの一角で生まれたそうです。聖堂自体は、それほど大きいものでもなく、むしろ質素さが表れていますが、きっと多くの巡礼者がここで祈ったのでしょうね。 さて、城に入ってみました。(門です)(復元模型) 内部は簡単な博物館みたいになっています。当時、城の中にあった絵や、フランシスコ・ザビエルゆかりの品が展示されています。その中でも、この模型は当時の城の再現ですから、よく分かります。(塔の下の部分。これはオリジナル) これが有名な微笑む十字架像です。この周りの壁に、骸骨が描かれているのでも有名です。(城の側面) 小さな城ですから、ゆっくり見ても1時間くらいでしょうか。ここに来るには、半日をこれだけのために使う必要がありそうですね。でも、フランシスコ・ザビエルは、日本に福音を延べ伝えるために、何年という日々を費やしてきたのです。それに比べると、巡礼に使う時間は、ほんの少しですし、フランシスコ・ザビエルの熱い思いを感じるために、来る価値はあると思います。ただ、本当に地味な巡礼地であることに違いはないでしょう。 これで、一応私のスペインに来た目的は全部終わりました。明日、ビルバオに戻り、あさって、ローマに帰ります。休暇という名目で来たのですが、休むことよりも、心を奮い立たされることの多かったスペインでの日々でした。
2008.02.07
スペインの管区の修練院に来ました。ここはスペインにある3つの管区、そしてポルトガルの管区と、南米のスペイン語を話す管区の修練者が集まってきている合同修練院です。 私の中で、国際修練院というのは、一つのイメージが出来上がっているのですが、実際にその場を見てみたかったので、今回来たわけです。 修練院は、秘密ではないのですが、公にする場でもないので、ここで具体的に、ああだこうだは書きませんが、自分の中で、ひっかかっていたものや、気がつかされたものが多くありました。ここを訪れずに、日本に戻って修練をしなくてよかったと思えるほど、収穫がありました。 (写真を入れる) そして、今回会った修練長は、とても素晴らしい人でした。私に色々話をしてくれて、修練長をするうえでの注意や、それに向けての心構えなどを、優しく教えてくれました。そして、何より大切なのは、修練者を一番大切にする生き方をすることだと、何度も語っていたのが印象に残っています。これは、私に向けて、一番大切な言葉だと思って、これからの生活を組み立てていかなければならないと思っています。 ということで、あまり書けない部分なので、今日はこのくらいにしておきます。
2008.02.06

サラゴーサという街に移動してきました。この街は、今年の6月から万博が行われるそうで、町中が工事をしています。スペインの町は、新旧がうまく調和していて、とてもいい感じですね。 街の教会を、ここの神父様に案内してもらったのですが、ローマ時代の教会もあれば、現代建築の教会もありますし、様々ですね。でも、どこも落ち着きがあっていい感じでした。スペイン語しか話さない神父様が案内してくれたので、説明の半分くらいは分かりませんでした。ということで、今日の写真は説明なしで、ずらっと並べましょう。街の雰囲気を味わってください。 私の会の管区本部は街から少し離れたところにあります。ここには、小教区もあるのですが、ここは現代建築ですが、いい感じの建物です。内部もデザインに非常に凝っていたり、信徒席の間隔とか向きとかに非常に気を使っているといっていました。なるほどと思いました。 実は今日から泊まるのは、修練院なのです。市内から車で1時間くらいです。今回の旅の目的はここに来ることだったのです。これについては、また日を改めて書くことにしましょう。
2008.02.05

サラゴーサという街に移動してきました。この街は、今年の6月から万博が行われるそうで、町中が工事をしています。スペインの町は、新旧がうまく調和していて、とてもいい感じですね。 街の教会を、ここの神父様に案内してもらったのですが、ローマ時代の教会もあれば、現代建築の教会もありますし、様々ですね。でも、どこも落ち着きがあっていい感じでした。スペイン語しか話さない神父様が案内してくれたので、説明の半分くらいは分かりませんでした。ということで、今日の写真は説明なしで、ずらっと並べましょう。街の雰囲気を味わってください。 私の会の管区本部は街から少し離れたところにあります。ここには、小教区もあるのですが、ここは現代建築ですが、いい感じの建物です。内部もデザインに非常に凝っていたり、信徒席の間隔とか向きとかに非常に気を使っているといっていました。なるほどと思いました。 実は今日から泊まるのは、修練院なのです。市内から車で1時間くらいです。今回の旅の目的はここに来ることだったのです。これについては、また日を改めて書くことにしましょう。
2008.02.05

今日はマドリード最後の日なので、朝おきて、スペイン人の神父様と二人でミサをして、9時に出発しました。ここはまだ8時だと薄暗い感じですね。 初めは、もう一度プラド美術館を訪問するつもりだったのですが、今日は月曜日で休館日です。昨日、「明日見ればいいや」といくつかの絵を飛ばしてしまったので、少し悔いが残っています。でも、休みですから仕方ありません。 そこで、今日は気分を変えて、マドリードの王宮と、土曜日にいったカテドラルをもう一度訪れました。王宮はカテドラルの隣にあるので、両方一度に周れるので、これは幸いでした。 まず王宮にいってみました。朝早いこともあって、人も少なく、ほとんど並ばずに入れました。ただ、この王宮、写真撮影を徹底的に取り締まっていて、内部の写真は撮れませんでした。それにしても、外見は結構質素というか、ぎらぎらしていないのですが、内部はぎらぎらです。本当に、昔のスペインがいかにお金持ちであったかがよく分かります。多分、お金を使い切れないと、これだけ豪華なものが作れるのでしょう。部屋全体が豪華で、安っぽいところが全くないというのが適切な表現でしょうか。 写真がないと、説明もしづらいのですが、もしマドリードに来られたら、この王宮を訪れるのはおすすめです。 さて、隣のカテドラルに来ました。 新しいとはいっても、つい最近できたというものではないようですね。この地区には、古い教会が集まっているので、新しく見えましたけれど。 聖堂の大きさは、ローマの大聖堂と同じくらいでしょうか。聖ペトロほど大きくはありませんが、聖パウロくらいの大きさではないかと思います。祭壇の方にいると、それほど大きく感じなかったのですが、相当な大きさですね。 そして、この教会の右側には、立派な祭壇があります。これもすごいものです。 この祭壇のすぐ横に、お祈りするための聖堂がありました。誰もいなかったのですが、私がしばらく祈っていたので、写真を撮る気がしなかったので、とりませんでしたけど、いい感じの聖堂でした。 祭壇の裏から、聖堂を覗くと、こんな感じです。立派なパイプオルガンが見えますね。 結構、このカテドラルに圧倒されて、帰り道についたのですが、なにやら小さい教会が目に付きました。よく見ると、カテドラルと書いています。どうやら、軍隊のための教会のカテドラルのようです。こじんまりとしていますが、結構立派な教会です。 マドリードには、養成の家がないので、もともとルートに入っていなかったのですが、色々興味深いものを見れました。修道院の共同体もお年寄りが多いですが、まだまだパワーがあるという感じですし、来てよかったと思います。
2008.02.04

マドリードは、スペインの中でも、最も有名な都市のひとつではないでしょうか。今回の目的に、初めマドリードは入っていなかったのですが、せっかくスペインを訪れたのですから、3つある管区を全部訪問したほうがいいだろうと思いましたし、この街にあるプラド美術館は一度は見ておきたいのでした。 2月2日、この日は主の奉献の祝日で、特に修道生活を送るものの祝日でした。マドリードでも、枢機卿である大司教様の司式でミサがあったので、行ってきました。マドリードのカテドラルは、新築されたものですが、決して古い建物に引け劣らない素晴らしい聖堂でした。 現代建築も得意なスペインですが、伝統的な建物を安心した感じで作ることもできるのですね。外側を見ても、内側も安っぽいさが全く感じられませんね。 もちろん、ミサ中は写真を撮るという雰囲気もありませんし、ことばが通じないので、おとなしくしていました。司祭も大勢、シスターや信徒も大勢参加していました。いいミサだったと思います。 そして、私はマドリードの管区長館に泊まっているのですが、ここは聖ジェンマ・ガルガーニの巡礼教会があります。ジェンマはスペインではすごい人気があるそうです。今日の日曜の9時のミサを共同司式しましたが、結構多くの人が来ていました。ちなみに9時のミサはスペインでは早いそうです。大体10時以降のミサが人が多いそうです。 そして、ミサ後、念願のプラド美術館に行きました。こっちの神父様が、日曜日は無料だといっていたのですが、無料になるのは午後5時からで、午前中はちゃんと入場料を払わなければなりませんでした。6ユーロで、ベラスケスの特別展に入るのに2ユーロいったので、8ユーロでしたが、結果として、これは十分な価値がありました。特にTITIANのキリストとキレネのシモンの絵は、素晴らしかったです。もちろん、エルグレコやゴヤの絵がよかったこともいうまでもありません。3時間しかいることが出来なかったのですが、3時間では全く時間が足りません。おそらく7,8時間いて、もう少しいたいと思うくらいではないかと思います。広いだけでなく、迷路のように部屋が分かれているので、迷子になったりしていると、すぐに時間が過ぎてしまいますね。 あと1日マドリードには滞在するのですが、何となくの感じですけど、ローマよりもマドリードのほうが日本人には過ごしやすいでしょうね。日本と似ているところが多いですから。スターバックスコーヒーもありますし、バスや地下鉄には落書きがないですし、街自体が近代化されていますから。ローマの良さは、近代化をあえて受け入れないところにあるのでしょうけれど、これは便利になれている日本人には少しつらいですね。 ということで、ほとんど内容のないものになりましたが、これは別にないというのではなく、美術館で絵を見て、疲れたのと、絵の感想というのは、なかなか表現できないからなのです。それでは、また。
2008.02.03

今日は、楽しみにしていたロヨラに行きました。ビルバオから車で約1時間くらい、高速道路と山道を走ると、いきなり視界が開けて、聖イグナチオの巡礼教会が見えてきます。ここで起こった回心が、イエズス会の種となり、キリストの福音を世界中に述べ伝えたのですから、イエズス会だけでなく、世界の教会にとって、また聖イグナチオの改心はフランシスコ・ザビエルが日本に来るきっかけとなるわけですから、日本の教会にとっても大切な場所です。 私は学生の頃に、イエズス会の教会でキリスト教と出会い、そこで育ててもらったので、一度は祈りに行きたいと思っていました。ひょんとしたことで、それが実現したので、結構うれしかったのです。 まずは大聖堂に入りました。かなり大きく、金キラしていますが、結構落ち着ける感じがありました。大きいといっても、イタリアの教会のように、遠く遠くに祭壇があるという感じではなく、聖堂内部は結構小さいのかもしれません。今の時期、全然人がいないので、どのくらい大きいのか、見当がつかないのですけど。 一緒に案内してくれた神父様が、イグナチオが生まれて、回心の起こった聖堂に行こうとせかすので、もう少しいたかったのですが、行くことにしました。他のグループがいないので、今がチャンスだというのです。大聖堂のすぐ隣がイグナチオの家です。イグナチオのプロフィールは私が言うよりも、色々と本が出ているので、それを読んでいただいたほうがいいでしょう。ただ、地方の貴族、領主の息子で、騎士を目指していた青年であり、戦争で怪我をして、回心にいたったのです。この辺はアシジのフランシスコとよく似ていますね。 イグナチオの家は、最新のガイドのシステムが導入されていて、日本語もあります。普通はイヤホンを使いますが、ここではスピーカーから音が出てきます。内容も分かりやすかったです。ただ、この家では、私は祈りに専念したいので、回心の聖堂までは一切写真を撮っていません。本当に祈りたいときは、写真は撮らないほうがいいですものね。 回心の聖堂で、真剣にお祈りしました。今までお祈りを頼まれていた人たち、修道会の兄弟達、家族や友人、一人一人の顔を思い出しながら、また自分自身のために祈りました。私達以外に誰もいなかったので、ゆっくりと静かに祈ることができたのは、ある意味で今日一日で一番の恵みだったかもしれません。 祈りが終わると、私のモードはまた写真に戻りましたけれど、結構祈りがいい感じで、後を引いていたので、あまり撮れませんでした。写真集と絵葉書を買っていますから、日本に帰ったら見せましょう。ロヨラに来られている日本人は多いので、あまり珍しくもないかもしれません。 ロヨラが終わると、バスク地方にある私の会の修道院を巡りました。3つ回りましたが、ちょうど時間があわなくて、昼食をいただいた共同体以外では、あまり会員に会うことができませんでした。本部の修道院はイタリア語をしゃべる人が結構いますけど、他の共同体はほとんどしゃべる人がいません。当たり前でしょうか。されに、今日昼食を食べた共同体は、ほとんどバスク語でしゃべっているので、もう完全に分からないです。スペイン語なら、何を話しているかは分かりますけどね。バスク語をイタリア語に翻訳してもらって理解するのですから、私にはハードルが高いのですけど、それでもなんか分かるので、私も捨てたものではないですな。 そのあと、アランザサというフランシスコ会の巡礼地に行きました。山にあって、この地方の保護のマリア様の教会です。。バスク地方は、なんか現代建築が多くて、この巡礼地もそうなのです。ここのマリア像は30センチくらいの小さなものですが、遠くから見ると、その像は点にしか見えないのです。しかし、2回にあがると、案内してくれる神父様が緑のボタンを押すと、なんと壁が回転して、御像が目の前に現れるので、びっくりしました。小さいけどかわいらしい、でもなんか聖なる雰囲気のある顔をしていますね。 それから、ちょこちょこと連れて行ってもらったのですが、夕方5時に戻ってきました。ロヨラの印象は強かったです。どうにか、このたびの間に、ザビエル城も行きたいのですが、さて実現するでしょうか。
2008.01.31

試験休みに入りました。私はとっている科目が少ないのと、初めの2日で全部終わってしまったので、土日をいれたら10日くらいあります。スペインの管区から、一度おいでと言われていたので、思い切って、スペインにいくことにしました。 もうすぐ四旬節が始まりますし、復活祭休みは、もう行くところが決まっているので、おそらく旅はこれが最後でしょう。今回も一応目的があるので、単なる休暇というわけでないので、楽しい旅になるかどうか分かりませんが。 昨日到着していたのですが、街を回るのは今日が最初です。ミサが終わって、すぐに仲良しのブラザーと出発しました。彼はこの前まで、ローマにいたのでよく知っていますし、イタリア語が通じるので、助かります。 ビルバオという街は、バスク地方にあります。この地方は非常に民族意識というか、独立意識が強く、ことばもバスク語をしゃべります。スペイン語と全く違いますし、街では普通にバスク語がしゃべられていてびっくりしました。スペイン語だと時々分かりますが、バスク語は何も分かりません。 この街は、川の右側は現代建築、左側は伝統的な建物が並んでいます。新旧が並んでたっているのが何か面白いですね。 ローマには、現代建築はないと思いますので、なんか新鮮です。しかも、新旧入り乱れているというのではなくて、整理されているので、安心して街を歩くことができます。2時間くらい町を歩いていましたが、特に目新しいものはないようです。 ローマの教会は、大理石中心ですが、ここの教会は石と木でできていますね。特に、カテドラルの扉が木だったのですが、イタリアの教会には木の扉が少ない気がして、なんかこれは新鮮でした。 街をうろうろしていたのですが、昼から近くの修道院に車で連れて行ってくれるというので、2時間くらいの散歩で終わってしました。でも、イタリアとは違う街の雰囲気をいっぱい味わえました。 お昼から車で、隣の修道院まで行きました。1時間くらいでしょうか。神学生の共同体にいってきました。9月に初誓願を立てた神学生が二人いました。お昼ごはんをご馳走になり、食事中も食後も結構色々話ができました。もちろん、イタリア語があまり通じないのですが、一緒に行ってくれた神父様はイタリア語ができるのと、ここの院長は英語をしゃべるので、どうにかコミュニケーションが取れましたよ。 この共同体を出発して、別の共同体に向かう途中、マルタ騎士団のシスターの修道院の横を通りました。ここはヨーロッパに2つしかないらしく、製塩所があります。川に多く含まれている塩を太陽の熱で蒸発させて塩にするそうです。今は新しいところがあるのですが、基本的に方法は同じようです。 そこから、さらに30分くらいで、山奥にある修道院に着きました。ここは巡礼地になっていて、春になると多くの人が訪れるそうです。今いるお年寄りの神父様たちは、ここで修練をしたそうですが、山奥の静かなところです。 イタリアにも、巡礼地はいっぱいあるのですが、スペインも多いようですね。大きな巡礼地ではありませんが、こういう小さな巡礼地というのもいいですね。この修道院は、お年寄りの神父様ばかりいるのですが、とても立派な黙想の家がついていて、びっくりしました。そして、ここには、この管区の亡くなった会員が全て入っているお墓があったので、お祈りしてきました。 帰りは霧が深くて、大変でしたけど、9時前に無事に帰り着きました。さて、ゆっくり寝ることにしましょう
2008.01.31

クリスマス以降、なんか忙しかったり、試験があったりで、とにかく書くだけ書いていた日々が続いていたのですが、最近、3人の方から、「文字ばかりでつまらないので、写真を載せてください」 「読みにくいので、工夫してください」 「散歩の話しだけではなく霊的な話もしなさい」と、続けざまに、お叱りを受けたので、せっかく書くのだから、楽しんで読んでもらえるように、工夫していこうと思います。 少し時期が過ぎてしまいましたが、1月16日がクメレント神父様の命日でした。今になって、「なぜ神父様が生きておられたとき、もっと神父様の生き方をみて、話をしておかなかったのか」と思います。今、修道会のカリスマとか霊性を意識して生活しています。そのモデルを探していると、クレメント神父様の生き方こそが、とてもピッタリしてくるように感じます。 この会には、いわゆる聖人といわれる人が多くいます。誰が見ても、温厚で愛に満ちた姿が人々の心を打つというタイプの人です。クレメント神父様も、もちろん優しかったですし、愛を感じましたけれど、今私の心に残っている神父様の姿は、そそくさとお祈りに向かうものです。「時間ですから、祈らないといけないでしょ」と、いつか言われたのを、思い出しました。時間になったので、自分の仕事とか、ちょっと疲れたという思いを抑えて、聖堂に向かう。この姿の中に、修道者の持つ根本的な姿があるように思います。 キリストと共にいる時間を最も大切にする。ただ、司祭としてすべき役割を与えられているので、自分が好きなようにいられるわけではないけれど、時間が来たら、聖堂に体を向ける。それは、この時間というのが、時間割というのが、彼を縛るものではなく、解放していくものだったということなのでしょう。 がんばって愛そうとしても、なかなか愛せるものではないでしょう。手助けをしたいと思ってもできないこともあれば、教会の分裂を嘆いても何をしていいのか分からない。世界中の人が迷っているのだから、当然かもしれない。ただ、そんなときに、このみことばのままに生きている人がいるなら、何か私達の心の中に熱いものが湧き上がるような気がします。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。 この現実の世界の中で、病気が一気に治ったり、歩けない人が歩けるようになるという軌跡のような出来事は私達の心を大きく揺さぶるだろう。一方で、何が窮屈に見える生活をしていながらも、その人の存在が何か心に残るというのも、現代世界で、特に今の日本には大切なのかもしれないと思います。 愛というのは、様々な現れかたをするのだと思います。目に見えない愛が、あたかも見えるかのように現れてくるときもあるでしょうし、逆に耳を澄ませば聞こえるけれど、気にしなければ聞こえない風のふく音のようなものもあるでしょう。もちろん両方必要なのですけれど、小さな音のする愛を追い求めていくのもいいなと思います。
2008.01.25
イタリア人の政治好きはよく知られていることで、それは修道院でも同じことです。食卓でも政治の話が始まったら止まらないですし、何を言っているのか、さっぱり分かりません。昨晩の食卓は不運にもイタリア人ばかりの食卓に座ってしまって、なんか首相が辞めるやら何やらの話をしていたので、「つまらん」と思って、「このワイン甘すぎておいしくないですね」って言ってみたのです。すると、話が急に止まって、一気にワインの話になりました。作戦大成功!!前に、ここにも書いたのですが、食卓のワインが変わったのです。しかも先週から完全に新しいワインになったのですが、どうもこのワイン、甘いのです。甘いというのは、かなりの自己主張ですから、好きな人はいいのでしょうけど、どちらかといえば食事の味を楽しみたい人には、なんか違和感があるのですね。それで、ちょっといってみたのですが、どうもこのテーブルの人は、甘いのが嫌い派なのでしょうね。院長が歩いてくると、「フランシスが、このワイン好きではないといっているぞ」と大声で叫んだりするのです。「私のせいにするんではない」といいつつも、私が確かに言ったのですから、「ちょ、ちょとあますぎるんじゃないかしら」と言ってみたところ、またわいわいと議論をしあっていました。まあ、1000本単位で買っているでしょうから、簡単にはなくならないと思いますけど、前の甘くないワインのほうがいいなぁ。 それと、これは夜に書くつもりでしたが、今のうちに書いておくことにしましょう。キリスト教の一致について、今週は毎日祈られています。信仰宣言というのは、教会の信仰を本当によく言い表しているのですが、一つの教会というフレーズは確かに矛盾しているのであって、祈られるにふさわしいことなのです。これはもう人間の力ではどうしようもない状況なのですから。神学的には、この一つということは、きちんと説明されていて、納得できるものもあるのですが、カトリックがあって、正教会があって、イギリスの教会があり、ルーテルがあって、その他の諸教派があるというのは、やはり一つではないという気もします。 日本にいると、あまり教会の分裂というのは感じませんが、ヨーロッパにいると、正教会やルーテルの人は結構多いのですね。それはカトリックが弱くなっているといわれますが、それはプロテスタントが強くなっているかというと、そういうわけでもなく、むしろ世界でキリスト教の力が落ちていっているというのが正しいのでしょう。これはキリストの福音が世に受け入れられなくなっているとことでしょうか?それなら、大変なことでしょう。 この視点から教会の分裂を考えるなら、分裂している場合ではないのでしょう。組織的な一致は今までの歴史の時間以上にかかるでしょうから、それは別問題としても、キリストのうちに一つになるという神の民の考え方は本当に大切でしょう。エキュメニカル運動ということばを目にしますが、これは運動なのか?信仰宣言の一つではないかと思ったりもします。私達は、どのようにひとつになるのか、何がひとつになるということなのか、これは祈りの中で私達が識別していかなければならないことでしょうね。何を何をどのように、どのように、識別するのかすら、分かっていない私達ですが、静かに主に心を開いて、祈りをささげるとき、きっと主が私達自身をお導き下さることでしょう。 ワインのことは、食卓で重大な問題で、大騒ぎになるわけですが、ここにも対話と一致があります。おいしく、楽しく食事をしたいというのが、みんなの本当の気持ちなので、色々と議論を交わしているのです。大きく次元の違う問題ですけれど、愛をもって対話をし、共に神の元に集う民となりたいものですね。(なお、このブログの中では、教会一致に関する議論はご遠慮ください。私のお手紙ブログですから。)
2008.01.24
大きな修道会だと、どこも列聖手続きを進める担当者がいるようです。この手続きは非常に複雑で、時間がかかるとか、お金がかかるとか批判されることもあるのです。ただ、人間を神にしない。どれほど、すばらしい人徳を示し、素晴らしい生き方をしたとしても、それはすべて神の恵みによるものであるのを、カトリック教会が意識している表れでもあるでしょう。人間はどうすれば、もっと神に近づけるのか。言い方を変えるなら、自分の生の意味は何なのか。自分はどのようにすれば、善しとされる生き方ができるのか、心の片隅に持っているのではないかと思います。それを直視するのはつらいので、見ないようにすることも多いのですが、世界には、この人は確かに美しいと思える生き方、善いと思える人生を全うしていった人がいるというのは確かなことでしょう。イタリアでは、聖人といわれる人が多く、一番人気は聖パードレ・ピオではないでしょうか。とにかくすごい人気があり、彼の取次ぎを求める祈りや、彼の御像の前に多いの花束が置かれているのを目にします。これをちょっと見ると、まるで神様へのお供えという感じがしますが、それは日本人の文化観が大きく影響しているのでしょう。もともと、仏教の教えではないといわれますが、日本人の精神性の中に、やはり人間は亡くなったら、仏様になるという思いが自然のうちに根付いているのではないかと思います。仏様になると、この世と分断された上の世界というか、別の世界に行ってしまうような感じがあるのではないかと思います。これは、私は深く勉強したことがないので、本当がどうか怪しいのですけどね。ただ、イタリアにいて、聖人といわれる人たちへの思いというのは、かなり異なる感じがします。もっと近いのですね。とても親しみやすい。同じ国で生きて、同じ言葉をしゃべって、同じものを食べておいしいと思った、あの人の生き方は素晴らしいじゃないか。一種の惚れた状態になってしまうのでしょうか。こういう感じがあって、その人に取次ぎを求めるというのがあるので、かなり俗っぽい祈りになることも多いわけですけれど、その分、自然な感じがある気もします。ただ、イタリア人の自由な共同祈願は長い…。 今日のお昼ご飯のときに、私の会で列聖調査を担当している神父様がニコニコして入ってきました。まあ、いつもにこにこしているのですけれど、うれしそうでした。食卓の話を聞いていると、会員が一人列聖調査のプロセスに入ったようです。これから、様々な手続きがあり、尊者とか、福者とかを通って、聖人へ向かうわけですが、それが開始されるというだけでも、すごく大きな仕事の結果だそうです。本当に地味な仕事なようですが、お昼ご飯が終わった後に、そのことが報告されて、みんなで彼の功績に感謝をしました。彼は非常に謙遜な人なので、私の祝いではなく、彼(プロセスに入った神父)の祝いだと照れていましたが、本当にうれしそうだったので、私もなんか幸せな気分になりました。これから、列聖までに、何十年もかかり、きっと彼が生きている間には列聖されることはないのでしょうけれど、そういうプロセスを通して、私たちは、どのように生きていけばいいのか。私は何を求め、どこに向かって歩めばいいのかを祈りのうちに感じ、考えていけると思います。
2008.01.22
今日は昼前から、ローマのラジオ、特にラジオバチカンでは、このニュースが80%を閉めているのではないかというほど、様々な言葉で、このニュースを伝えています。 日本で働き、私も少しだけですが、上智で教えていただいた、アドルフ・ニコラス神父様が選ばれましたね。ラジオでは、イエズス会とは、どんな会なのかとか、総長とはどういう立場にあるのかなどが説明されて、「おお、そうだったのか」と思ったところもありました。 大きな修道会というだけで、これだけ大きなニュースになるというのではないように思います。日本でもそうですし、世界中で、イエズス会の神父様やブラザーは一生懸命奉仕をしています。自分が外国にいて分かるのですが、外国で宣教したり、奉仕をするのは、本当に大変なことです。自分の知っていること、伝えたいことを、もっと伝えたいけれど、言葉や文化、習慣の壁などがあって、伝えきることができないときも多々あります。その国の人だとしても、その国の考え方との食い違いなどで、なかなかうまく伝わらないこともあります。それを学校をはじめ、様々な社会活動、教会内外での奉仕を通して、伝え続けているからこそ、この世界に影響を与えているのでしょう。 これから、大役を果たされるニコラス神父様が多くの会員の道を照らす光となりますように、お祈りしたいと思います。
2008.01.19
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