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February 3, 2006
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カテゴリ: 日常生活
今日は、23時くらいに帰宅できました。

仕事は忙しいけれど、密度が少し下がってきて、立ち止まって物事を考える余裕が出てきました。そうすると、やはり、見えなかったものが見えてくるようになって、ミスも減るし、生産性も上がりますね。

帰宅してから、音楽を聴いていました。

私は、疲れたときや、何かをやるのが面倒になって投げ出したくなったとき、よくショパンを聴きます。

英雄ポロネーズ、幻想即興曲、バラード第1番ト短調などが好きです。

勇気付けられるというか、前に歩みだす気力が与えられるような気がします。

そして、聴き終えたあと、必ず、少し寂しくなります。

ショパンは、誰にも真似できないような全く新しい音楽の世界を創り出しました。

それに比べて、私は、エコノミストとしては、どうしても誰かの亜流になってしまっているような気がするのです。



才能が乏しい分だけ、人一倍、努力して、積み上げてきたのですが、それでも独創性の乏しさは、時には悲しいほど致命的で・・・。

そして、一方で、同じエコノミストのレポートを読めば、誰が優れていて、誰が凡庸なのか、それはすぐに峻別できるのです。

俊才の才能を見出す力はあっても、自分が俊才になる力はない。

才能、というものが、生まれたときから備わっている「天賦の才」なのだとしたら、神は残酷なことをするなぁ、と思います。

でも、だからと言って、投げ出してしまっては何も前には進みません。

才能の差があるなら、才能のある人の何倍も努力するしかないのです。

才能の差を感じたのは、高校3年の終わり頃でした。

付属の大学の経済学部への進学が決まっていた私は、入学前の春休みに、少しは体系的に経済学を勉強してみようと思い、「経済原論」の教科書を買って、自分で読み始めました。

経済には中学生の頃から強い興味があり、経済や金融関係の本はかなり読んでいましたし、日本経済新聞も親に頼んで購読させてもらっていたので、自分なりに経済知識はあるつもりでしたし、高校の政経でも常にトップで2位の人に20点近い大差をつけていたので、自分では強い自信があったのです。

しかし、大学の教科書を読んでみると、全くわからないのです。

字面を追うことはなんとかできて、意味はわかっても、書かれていることの「メカニズム」を理解することができないのです。



結局、自分は経済をわかったつもりになっていただけで、本当は何もわかっちゃいないんだ。

そう思うと、全身から力が抜けていくような虚脱感に襲われました。

このまま経済学部に進学しても、ちゃんとやっていけるのだろうか。

そう思うと、ただ怖くて、春休み中、憂鬱な気分で過ごすことになりました。

そんなとき、医学部に進学した友達とたまたま会うことがあり、持っていた教科書をみせて、「この部分(かなり複雑な数式)がわからないんだよね」と言ったら、彼は、ちょっと「うーん」と考えた後、枯れ木の枝で公園の地面に数式を書いて、「たぶん、数式で説明すると、こういうことなんだと思う。要するに、最初の局面では、X(労働量)が1増えるとY(生産高)は3増えるけれど、後の局面になると、Xが1増えても、Yは0.2しか増えなくなる。だんだんYの増え方が小さくなるんだよ」と説明してくれました。



確かにそうだ。一定の広さの農地に野菜の苗を植えていくとき、ある一定量までは苗を植えただけ収穫は上がるけれど、あまりにもたくさん植えすぎると、お互いが邪魔しあって、伸び悩み、収穫量の増加幅が小さくなってくる。それと同じだ。

そして、そのとき、はっきりとわかったのです。

彼は、数式を簡単に解くことでメカニズムを容易に理解することができる才能がある。きっと、こういう人が新しい理論を作っていくんだ。

私は、自分の得ている知識・情報を頭に思い浮かべ、その相互連関関係を考えることからメカニズムを理解するアプローチしか採れない。だから、私は、誰かが作った理論を理解して使って、世の中の経済事象をみていくしかないだろう。

自分に経済学者としての重要な素質が欠けていることを初めて強烈に認識されられた瞬間でした。

そして、その認識はやはり正しく、私は、経済関係の書籍を読んで内容を理解することはできるので、「分析レポート」などは内容の濃いものが書けるのですが、経済理論を自分なりに編み出して、独創性のある「論文」を書くことは結局、できませんでした。

そして、今も、経済理論を使って世の中の経済事象を分析する「エコノミスト」にはなっているものの、博士号を取れるような学位論文は書けそうにありませんので、学者になれる見込みはありません。

将来、どこかの大学の教授に取り立ててもらえたとしても、「研究者」としてではなく、「教育者」としての役割を期待されることでしょう。

ただ、それも悪くないな、と思うのです。

「偉い学者」にはなれなくても、「偉い学者の書いた論文や主張を理解できる学者・エコノミスト」として、「偉い学者」の研究成果を若い人にわかりやすく教え、その人たちの中から、さらに「偉い学者や革新的な経営者」が生まれたら、とても嬉しいことではないかと思うのです。

そのようにすることが、それなりの能力を与えられて生まれてきた、この私の役目であるような気がします。

そうわかっていても、私は、ショパンを聴くたびに、いつも少し淋しい気持ちになるのです。

きっと、まだ心のどこかで、「もっと高い才能を持って生まれてきたかったな」と思っているのでしょうね。

映画「アマデウス」では、ウィーンの宮廷音楽家のサリエリが、モーツアルトの才能を妬んで毒殺した、というシナリオで描かれていますが、私はサリエリの気持ちはよくわかるような気がします。

そして、真実はサリエリがモーツアルトを毒殺したのではないことも。

モーツアルトの音楽を初めて聴いたとき、サリエリは、その素晴らしさを理解して興奮し、とても嬉しかったと思います。

嫉妬も感じただろうけれど、それ以上に、偉大な才能によって新しい世界が創られる、その瞬間に立ち会っている喜びを感じたと思います。

宮廷音楽家としての地位は危うくなるかもしれない。

でも、ヨーロッパの宮廷はウイーンだけじゃない。

ウイーンが駄目なら、パリでもフランドルでも北イタリアでも、彼の程度の才能があれば、生活するには全く困らないどころか、賞賛に包まれた人生を過ごすことができたはずでした。

彼が自分の保身のために、後進の才能を潰したとは信じたくない気がします。

同じ世界に生きる者として、自分のいる世界を大きく大きく発展させてくれる人をみるのは、スリリングで楽しく、次に何が起こるか、世界がどう変わっていくのか、考えるだけで、わくわくするじゃないですか。

知的好奇心は嫉妬に勝るのです。

今年は、モーツアルト生誕250年。

どんな新しい事実が明らかになるのでしょうか。





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最終更新日  February 4, 2006 04:18:34 AM
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