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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、昨日食べたカレーです。 しかも例によってなじみの梅田の「ミンガス」のカツカレーです。 仕事の前に食べて、出張に行きました。ここでカツカレーを食べて気合を入れました。 ところで、ここのお店には椅子はあるのですが、今日は立ち食でした。
2024年11月22日
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昨日は出張で姫路方面へ行っていました。そして、帰りにいつもとおり三宮の串カツ「まこと」で一杯ひっかけて帰りました。 この日は、大根とかしいたけがラインナップに入っていて、いもも絶品とのことでいただきました。 前にも書きましたが、このお店は私が93年に神戸の職場へ移籍した時からなじみのお店なんですが、少し遅い時間に行くとお店の先代のご主人の奥さんがおられることがありました。でも、ここ5年以上お見掛けしていないので元気にされているのかなって気にしておりました。 するとこの日、お店の入り口が開くと懐かしいお顔が・・・。その人も私の顔をみてはっとされたようです。 私「おっかさん、ご無沙汰しています! お元気でしたか?」 私がその奥さんのことを勝手に「おっかさん」と呼んでいたのですが、その奥さんも私の顔を見ると「いやぁ、久しぶり~元気にしとぉった?」と声をかけてくれました。元気そうで安心しました。 なかなかありえないようなタイミングでしたが、お会いすることができてホッとしました。
2024年11月21日
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俳優の火野正平(本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんが、14日に死去したことが分かった。75歳。東京都出身。葬儀は家族で行った。俳優として時代劇・映画で活躍したほか、歌手としても長く活動し、昨年は新曲をリリース。プライベートでは“元祖プレイボーイ”として数多くの浮名で70年代のワイドショーを騒がせ、「モテ男の代名詞」として知られた。(中略) 私生活では71年に結婚し2児の父となるが72年に離婚。結婚直後に新藤恵美との交際、さらに翌年には小鹿みきとの交際が報じられ、その後も仁支川峰子ら有名女優との浮名が浮上。70年代のワイドショーを賑わせ“最大11股”などと報じられたが、82年に事実婚を公表した。火野さんのモテぶりから、「火野さん=モテモテ男性の代名詞」となり、モテる男性有名人を「平成の火野正平」と称して報じるメディアが多数存在していた。【スポニチアネックスから引用】 火野正平さんがお亡くなりになったとのこと。出先でケータイのニュースを見てびっくりしました。 少し前までNHKBSで自転車に乗って全国を走り回っておられましたね。時々見ていたのですが、純粋にサイクリングを楽しんで、出会う人とのふれあいを大切にしているような感じでした。 火野正平さんは、ドラマなどで主役よりも脇役で輝くような感じだったように思います。「京都殺人案内」で藤田まことさんとの絡みがあったと思うのですが、自然な関西弁でのやりとりは見ていてほっとするものでした。 そんな脇役で輝く火野正平さん、若かりし頃は本文にもありましたようにプレイボーイとして名をはせた人。晩年はすっかり頭髪がなくなっていましたが、若かりし頃はフサフサ(といいながら晩年を知っているだけに怪しい感じがしましたけど)で、背は大きくない(168cmだったそうです。私とほとんど変わらん)し、決して二枚目というわけではなく(失礼!)、そこまで情勢と浮名を流すことができるんだろうって思っていました。そして、名前の挙がった女性からは多額の慰謝料を請求されることなかった。本当に不思議な方だと思いました。確かどこかで見たような気がするのですが、火野正平さんが狙う女性は有名女優ではなく、「三番手・四番手」だったかな。要するにトップクラスの女優さんは主演の人が行くだろうし、自分の立ち位置を考えれば・・・だったかな。そのような感じのことを書いてあったように記憶しています。そういったところと母性本能をくすぐるところがあったのかもしれませんね。 ドラマなどで飄々としてつかみどころがない役が多かったように思いますが、このような役柄を自然に演じられる味わいのある俳優がだんだんといなくなってきましたね・・・。 火野正平さん、お疲れさまでした・・・。
2024年11月20日
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先日、西宮へデリカSWのオイル交換へ行った際に、甲子園周辺を歩きました。前にも書きましたが、私は96年に結婚して3年間は甲子園の南側にあった団地に住んでいましたので、阪神ファンでなくても甲子園球場はなじみのところです。毎日この球場を見ながら出勤し、この球場を見ながら家に帰るんですから、熱狂的な阪神ファンの方にとっては夢みたいなところでしょうね。残念ながら私は阪神ファンじゃないけど。 それはさておき、このような掲示がありました。左側がFA宣言した阪神タイガースの4番打者大山選手です。まさかFA宣言するとは思わなかったけど、出身が茨城県ということで在京球団に行きたいのかな。待遇的には球団はかなり評価してくれていると思えるけど、「金じゃない」なんて言われたら厳しいですよね・・・。ちなみに、右側の近本選手も今回の大山選手のFA宣言の流れを参考にする、と言ったとか・・・。 ところで、カープの場合は主軸選手が次々に他球団に移っていくのを何度も見てきました。川口、江藤、金本、新井と中心選手が抜けていくのはなかなか辛いものでした。最近は西川選手もオリックスへ移籍しましたね。いずれも高騰する年俸が厳しくなって放出に至ったんじゃないかって思っているのですが、そんな主軸選手が抜けていくことになれていないチーム、特に阪神ファンの方にとっては「なんでやねん、なにが不満やねん?!」って思うでしょうね。確かに主軸選手が移籍するって普通は考えられないですからね。でも、歴史的にはあり得る話で、それはカープだけでなく他のチームでもあったわけだし、阪神ファンの人たちもそれを受け入れないと行けないのかもしれませんね。受け入れがたいとは思うけど。特に、移籍先の一つに水道橋のオレンジのチームも入っているとなれば、「心穏やかに送り出す」心境にはならないでしょうね。それはよくわかります。カープでも水道橋のオレンジのチームへFA移籍したことがありましたから。でも、その代わりにやってきたのが人格者のチョーさんこと長野選手でしたね。 どのような結果になるのかはわかりませんが、ファン感謝祭にも参加されるとのことなのでどんな話が飛び出すのか、それともまだ決まっていないなら何も話さないかもしれませんね。岡田前監督(どんでん)の掲示もありましたが、このような掲示はそのうち撤去されて来シーズン用に代わるでしょうから、阪神ファンじゃないけど記録しておきました。
2024年11月19日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第52回目は山陽本線の富海駅です。 下関から普通列車に乗ってやってきました。 今や貴重となった国鉄時代からの115系3000番台に揺られてやってきました。 実はこの駅にやってくるのは二度目なんです。最初にやってきたときは、こんなにきれいだったかな・・・? この案内にあるように、駅から歩いてすぐのところにきれいな砂浜があります。 最初にやってきたときは、普通列車で下関方面へ向かっていたのですが、あまりのきれいさに感動して途中下車したのでした。 山陽本線は海沿いをカーブして走っていまして、海がきれいに見えるのです。 駅から海岸へ行く途中に道路がありますが、海水浴シーズンは混雑するのでしょうか。 国道からは外れているので、海水浴シーズンでなければとても静かなところです。前回やってきたときも今から20年くらい前の10月か11月ごろだったと思います。 逆光ですが、砂浜が広がっています。 奈良は海なし県なので、やはり海に憧れますね。遠浅の海なのかな・・・。 山陽本線の列車が海沿いを通っていきます。これは普通列車のようです。 こちらは貨物列車ですね。 最初にやってきたときも、ここで海を見ながら、通過する列車をみながらのんびりしていました。 そして、私が乗るはずの列車まで見送ってしまって大慌て・・・。その日は、ここで途中下車さえしなければ普通列車だけで目的地の博多までいくはずだったのですが、新下関から新幹線で向かうことになってしまいました・・・。 今回は次に乗る列車の時間をしっかり把握して、のんびりしていました。何も考えずに海を眺めるっていいなぁってね。 そんなことをして、再び駅に戻ってきました。木造のこ線橋がいい味を出していますね。 山陽本線は貨物列車の本数が多いのです。本州と九州を結ぶ重要な路線ですからね。 そして、次にやってきた普通列車で徳山へ向かいました。
2024年11月18日
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今日は、西宮の三菱のディーラーへデリカSWのオイル交換と車検の見積もりに行ってきました。オイル交換は、交換予定距離数よりもやや超えてしまったのですが・・・。車検の見積もりもあったので、時間がかかるとのことだったので、その間は食事をして待つことにしました。 甲子園球場にほど近いところにある「百楽」という中華屋さん、ここの麻婆丼は私のお気に入りで、お店が当時住んでいた甲子園九番町にお店があった時からのお気に入りなんです。 食事が終わってから、浜甲子園まで歩いてみました。ここも上の子供が小さい時の散歩コースでした。 さて、車検の見積もりはというと18万円くらいとのことだったので、まぁ想定内だったのですが、それ以上にお金がかかることがもう一つありました。というのは、タイミングベルトの交換があるということ。法定交換部品の一つで10万キロごとに交換することとなっていますが、過去2回は10万キロまでに交換していて、全会派19万キロで交換しています。現在28万キロなのでちょうど今くらいに変えるのがいいのですが、それにかかる費用が車検と同じくらいかかるというもの。合計すると36万円弱かかるけいさんになるというのがつらいところ。車検を通さないわけにはいかないし、タイベル交換しないのもダメ。車を買い替えるのも無理となれば、どうすりゃいいんだ?というところです。 さて、困ったなぁ・・・。
2024年11月17日
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今日は毎年恒例の職場野球部の大会がありました。今年で68回目の大会、広島と四国のチームを迎えての大会、私の大阪の職場が主催となります。持ち回りでやっていますので3年に一回主催となるのですが、毎回頭を悩ませるのが「グラウンドの確保」「お弁当」「懇親会の場所」です。 「グラウンドの確保」は、何とかお願いして何とかなっています。「お弁当」はこれまでお願いしていたところが廃業されたのか全然連絡が付かず。そこでいろいろ検討してみたのですが、これも何とか調達することができました。「懇親会の場所」は。これまで使っていたところがやめてしまったようなので、これもチームの監督が別のところを探してなんとかなりました。一応、開催までには懸念はすべて払しょくされたので大丈夫だったのですが、ここにたどり着くまでが試合よりもしんどく感じました。あとは、当日の天候。こればかりはどうしようもないんですけどね。 さて、前置きが長くなりましたが、心配された天気も曇天でしたが開催することができました。試合会場は、大阪府泉南市の「J:COMサザンスタジアム」です。ここは、南海本線樽井駅から徒歩10分くらいの距離にあって、ほかのチームからも人気のある野球場なのです。 開会式では、優勝旗などや個人賞の返還がありましたが、昨年大会で優勝監督となった私(正確には優勝監督ではなく、監督代行)も賞を返還し、優勝縦のレプリカをもらいました。長いことこの大会にでていますが、賞をもらうのは初めてでした。 試合は広島=四国の職場の対戦でスタート、メンバーに力のある四国のチームが試合を優位に進めて勝ちました。その負けた広島と私の職場の大阪の職場の対戦が第二試合でした。その試合に先立って、監督のM55さんから「あけやん、スタメンでサードだから」との話が・・・。ここ数年実力のある若手が私の職場チームにも入ってきて、私のようなおじさんは実質裏方になっているんだけど、冗談ですか?と尋ねると「人がおらん」・・・。いないことはないんだけど、誤算は大会直前になって若手二人が急遽参加できなくなったこと。一人は親戚に不幸があったこと、もう一人は仕事の関係で参加できなくなったとのことでした。そんなこともあって、久しぶりに9番サードで出場しました。 先発投手は、昨年の大会MVPのH19君。左のサイドハンドからの速球が武器なのですが、立ち上がりから力みがあって序盤から苦しい展開に。それでも何とか持ちこたえていたのですが、中盤以降に失点、結局5-1で負けました。私の打撃成績は、1打席目が四球、2打席目がピッチャーエラーでいずれも出塁しましたが得点にはつながらず。守備機会もサードを守りながら1回だけ。それでも、久しぶりになれたサードを守って楽しかったです。来年は今回参加できなかった若手が来てくれるはずなので、私の出番はありません。 3試合目は1試合目に勝利している四国のチームとの対戦。四国の投手は大会屈指の好投手K18君。去年はワンチャンスを生かして勝利したので何とかなるかと思ったのですが、途中までパーフェクトに抑え込まれる状況・・・。対する私の職場の先発は、こちらも速いテンポで投げ込むH61君。しかし、上位打線にうまくつながれて失点、終盤には走者一掃のタイムリーを浴びるなどして7-0で負けました。去年は優勝しているのですが、連覇ならずでした。 なお、この試合には私は出場していません。ファールボールを追いかけたり、イニング間においてキャッチボールの相手をするなど裏方に徹していました。 ところで、懸念していたお弁当は、ほっかほっか亭にお願いしまして配達してもらいました。そして、弁当ガラの引き取り(いずれも有料ですが)もお願いしまして、これまでの大会と変わらない状況で行うことができました。お弁当の内容も申し分ないものとなっていました。 それから、審判についても毎回お願いしているSKYCUPさんにジャッジをお願いしました。ジャッジのコールの大きさなどでとても好評なんです。 大会が終わって、場所をりんくうタウンへ移動。入浴タイムを経て懇親会へ。私は車なので飲めませんでしたが、それでもほかの職場チームのメンバーといろいろと話をして懇親を深めました。四国チームのY22さんや広島の職場チームのH30さんなどは若い時から何度も対戦して気心も知れているので、この集まりが楽しみで野球をやっているといっても過言ではないです。他のメンバーもおいしいもの食べて、がっつりと飲んで楽しんでいました。 そんな大きなイベントが終わり、また来年の暖かくなる時期までは職場チームの活動としては休止となります。来年はもっと練習して、練習試合もやってかないといけないなぁって思いました。
2024年11月16日
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今日11月16日は妻の誕生日。しかし、今日はあとで紹介しますが職場野球部の大会があって早朝から夜の懇親会まであったことから、食事などに行くことができませんでした。 そこで、先日りくろーおじさんのチーズケーキを買ってプレゼントしました。 期間限定のりくろーおじさんのチーズケーキ誕生40周年記念の焼き印入りでした。 後日、遅ればせになりますが、誕生日の食事へ行こうと考えています。
2024年11月16日
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奈良公園(奈良市)で観光客が雄ジカの角に刺され、けがをする事故が急増している。 9月の被害者数は35人で、5人だった昨年に比べ7倍になった。雄は発情期の秋に特に攻撃的になることが多く、10月には京都府で死亡事故も発生したことから、県などは警戒と啓発を強化している。 県によると、けがの多くは鹿せんべいを与えた際にシカに触ることで起きており、9月には10人が病院に搬送された。うち1人は太ももを数センチ刺され出血する大けがをした。また、京都府福知山市の田んぼでは10月上旬、農作業中の男性(68)が胸から血を流して死亡しているのが発見された。府警は野生の雄ジカの角に刺されたとみている。 公園内でのけがについて、県の担当者は「今年の多さは異例。雄ジカが例年より100頭ほど多いことが影響している」と話す。県などは安全のため、8月下旬から1日10~15頭のペースで角を切っているが、「追い付かず、結果的にけが人の増加につながった可能性がある」と指摘する。 けが頻発を受け、シカの保護活動を行う「奈良の鹿愛護会」から協力を依頼された県と奈良市は、駅の電子看板やSNSで、シカにむやみに触らないことや、雄ジカに注意することを呼び掛けている。愛護会の山崎伸幸事務局長は「シカはペットではなく野生動物。適度な距離感を持って触れ合ってほしい」と訴える。【時事通信ネット版から引用】 奈良公園へ行くと、普通に見られる鹿。奈良以外からやってきた観光客の方々は街中に普通にいる鹿の群れにびっくりするでしょうね。おとなしい鹿がほとんどなのですが、発情期はそうでもないようで・・・。しかも、あの大きな角を持っている個体は、発情期でなくても怖いですよね。あんなので突かれたら本文にもありましたけど下手すりゃ大けがや亡くなるリスクもあるわけですから。だから、奈良公園周辺の鹿は角を切り落とすことをしているようですけど、それでも自然の生き物ですから全力でぶつかられたら怪我しますよね。 ただ、最近はどことも一緒かもしれませんが、海外からの客が大勢やってきているのですけど、この人たちの行為が鹿たちをイラつかせているのではないかって思ったりします。例えば鹿せんべいをじらしてなかなか与えないとか。そういう光景は何度か見たことがありますが、「はよあげたれや!」って傍目で見ていたら思うようなこともありますから。先にも書きましたが、鹿も自然の生き物でペットではありませんし、人間が理解できない行動をとることだってあるでしょう。体当たりとか角を振り回すとか・・・。 奈良へ来られる方、鹿は見た目はかわいいかもしれないけど、やはりそこは野生動物なので適当な距離感で接してもらえたらと思います。こっちに悪気がなくても、体当たりしてきたり追いかけられたりすることもありますから。(私の息子は、5歳くらいの時に追いかけられて転倒していました・・・) そういえば、このブログで奈良公園の鹿に対する接し方について紹介した看板があることを紹介したと思います。意外と鹿は凶暴であることを書いてあったと思うのですが、あの手の看板をよく鹿が集まる(っていうか集めているんだけどね)興福寺周辺とかに多く設置してほしいって思います。
2024年11月14日
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先日の九州鉄道記念館で見かけた車両の続きです。かつては東海道・山陽・九州・東北など全国を結んでいた寝台特急、ブルートレイン。国鉄が分割民営化されてしまって、そして新幹線が発達し、高速バスが勝地を結ぶようになってくると姿を消してしまいました。使われていた車両も次々に廃車となってしまいましたが、現役当時のままで保存されたり再利用されているものもあります。ここでは、現役当時のままで保たれていました。 ここに展示されているのは14系とよばれるシリーズのスハネフ14です。 14系は1972年に登場。このスハネフ14には床下に客車内の照明や空調設備用としてディーゼルエンジンが搭載されていました。それまでの20系は電源車を別に連結していたのですが、この14系のようなスタイルは列車の行き先を複数に分割することができるというメリットがあり、実際に東京~長崎・佐世保行きの特急「さくら」のように行き先を二か所に仕向けることが可能となりました。ただ、静寂性が求められるはずの寝台車の床下にディーゼルエンジンがあるわけですから、なかなか騒々しいと思いますが・・・。 寝台の様子です。14系は登場当初は3段寝台だったのですが、その後の改造で2段寝台になりました。3段寝台当時はちょっと窮屈だったでしょうね。2段寝台だとゆったりとくつろぐことができるスペースとなっています。 私は現役当時のブルートレインや東京~大阪間の寝台急行「銀河」に何度も乗ったことがありますので、この空間はとても懐かしいものです。この車両は、シートが張り替えられてしゃれたものになっていますが、国鉄当時は青色一色のシートでした。上段も下段も利用しましたが、どちらも快適でした。 窓側にはテーブルがあるのですが、通路側にもこのようなテーブルがあります。2段寝台なのでお客さんは2人いるわけですが、寝台に入るまでは下の段が座席替わりとなります。よって、通路側に座った人のテーブルはこれを使うことになります。 それから、通路には窓のところにこのような椅子が収納されています。なかなか寝付けない時にこういうところに座って窓の外を見る、なんていうこともできたんですね。 窓側には灰皿もあります。懐かしい国鉄当時の灰皿、客車はもちろん、急行列車や快速の車両にもありましたね。 それとセットであったのが、この栓抜き。ビンの飲み物がポピュラーだった時代には、必需品ですよね。私は実際に使うことは少なかったかな・・・。この栓抜きの上が窓側のテーブルになります。 車内の銘板です。号車札を入れるところも懐かしいです。 車端部にはこのようなスペースもありました。2段寝台の向かいには壁になっていまして、圧迫感はあるかもしれないけど、個人的にはこのスペースで寝てみたかったなぁ・・・。 それにしても、高速バスは運転士不足ということが表面化してきているし、「朝起きたら目的地」という寝台列車の需要はあると思うんです。ところが、国鉄が分割されてしまったので復活させようという雰囲気はないですね。東京~大阪間に運転されていた急行「銀河」なんてホテル代よりは高いかもしれないけど、寝て起きたら大阪(あるいは東京)って最高だったんだけどな・・・。東京~大阪間だけでなく、ほかの地方でも利用された方はとても便利だったと思うんです。 現在の寝台列車というと、東京と山陰の出雲市と四国の高松を結んでいる「サンライズ」しかありませんが、いつの日か復活してくれたらいいなぁって思っています。
2024年11月13日
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広島は12日、九里亜蓮投手(33)がFA権を行使すると発表した。昨季に海外FA権を取得していた。 九里は8年連続で20試合、100イニング超の登板を重ねるなど故障知らずの鉄腕。DeNAなど複数の国内球団が興味を示しているとみられ、メジャー挑戦を含めて去就が注目される。 九里は亜大から13年ドラフト2位指名で広島入団。通算260試合に塗板し、21年の最多勝など通算71勝を挙げている。国内FA権を取得した21年は権利を行使せず、3年契約で残留していた。 今季は自身初の開幕投手を務めるなど23試合に登板。7勝10敗で防御率3.21だった。【スポニチアネックスから引用】 まぁカープファンはこういうことは慣れっこですけど、実際に出ていかれるとなればつらいなぁ。 でも、これまでカープのために故障なくがんばってくれたし、残りの野球人生を金銭面においても充実したものにしてもらうためにも、喜んで送り出すのかな・・・。金満球団のファンの人にしてみたらこんな思いはすることなんてないでしょうけどね・・・。 さて、FA宣言して海外へ、というのが基本線のようですが、メジャーがどれくらい評価しているかわからないですよね。もし、あまり評価されていないとして、それでも行きたいというのならいいのですが、金銭面でそれほどではないんだったら国内の他球団へ、っていうことになるんでしょうね。カープの場合はFAしたら引き止めないって言われていますし。 国内だったらどこへ行くんだろう、水道橋のオレンジのチームかな・・・。どこへ行っても、怪我なく頑張ってください。カープ戦は手を抜いてね! ところで、今シーズンは9月に入って劇的な負けっぷりで優勝争いから脱落しただけでなく、Bクラスにまでなったカープ。新井監督は来シーズンについては「変化の年。痛みも生じる」というようなことをコメントしたそうですが、今のところ痛みを生じているのはファンだけのようですね。9月に大失速した総括もせずに、選手、コーチはそのままで何の変化はなく、主軸投手はFAで出ていく。とりあえず新外国人は補強したようですけど、これとてオープン戦で大当たりしたとてペナントレースに入ると途端に打てなくなるのは何度も見てきたことですし。このまま何の変化もなければ、来シーズンに入ってからさらに痛みを生じるのはすべてのカープファンのようです・・・。開幕して9連敗! なんて容易に想像できそうです・・・。 そういえば、今シーズンオフにはほかの球団の選手でもメジャーチャレンジなんていう話が出ていますね。中でも驚いたのが千葉ロッテの佐々木投手。まだ23歳なのでポスティングではなくチャレンジすることに対して賛否両論のようです。 見た目しかわからないのですが、個人的に思うのは体系的にかなり線が細いのが気になります。久里投手のようにがっちりした体形だったらタフだろうし、しかもメジャーは試合数が多いだけでなく、移動するのが大変だといわれているし、ボールの質やマウンドの堅さなど日本とは全く異なる状況ですからね。そんな状況をもちろん理解していくんだろうけど・・・。 ポスティングではないのでチームには移籍料というのかな、そういった金銭が入ってこないし、心情的には「ここまで活躍の場を与えてきたのに」なんていう意見もあるようですけど、本人は何とも思っていないだろうし、何の愛着もないんじゃないかな。だから、個人的には久里投手のような喜んで送り出す、というよりも、「はいそうですか」って感じかな。 ところで、プロ野球の今年のゴールデングラブ。遊撃手部門でカープの矢野選手が選ばれましたね。あんな異次元の守備、肩を見せ付けられたら、ほかのチームのファンも納得されたのではないでしょうか。久しぶりに「魅せるショート」がでてきましたね。来シーズンも怪我には注意してさらにすごいプレーを魅せてほしいです。ただ、残念なのは「該当なし」というのに投票した記者が3人もいたとのこと。ぜひともその3人に聞きたいね。「なぜ該当なしなんだ?」って。矢野選手以外にも各チームのショートのいい選手がいるはずなのに、何が気に入らなくて「該当なし」なんだろう。もう記者投票って記名式にして、その投票した理由や該当なしにした理由まで書かせるようにしたらいいんじゃないか。当然その理由は書けるよね、いい大人なんだから。しかもスポーツ紙の記者なんだから、さぞかし目も肥えているはずだし。 今日は久しぶりのプロ野球の話をたくさん書きました。 ここまでご覧いただきましてありがとうございました。
2024年11月12日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第51回目は近鉄の天理駅です。 天理駅は近鉄とJRの駅が同居するような形になっていまして、高架がJR線、近鉄はこの高架の少し奥に駅があります。 近鉄天理線は、近鉄橿原線の平端から分かれて天理にやってくる路線で、この天理が終点となっています。 私は天理には何度かやってきたことがありますが、いずれも車でした。列車でやってきて駅に降り立つのは初めてです。ましてや近鉄天理線に乗るのも初めてでした。 さて、天理駅に列車が入る直前に蒸気機関車と客車が見えましたので、行ってみました。 保存されていたのは、蒸気機関車を代表する形式のD51形でした。この691号機は1942年に国鉄鷹取工場で製造、主に奈良周辺で使われてきた機関車であるとのことです。 その後ろには、茶色い客車が連結されていました。客車もセットで、しかもちゃんと屋根付きのフェンス付きで保存されているのはいいですね。自由に立ち入ることができないのはもどかしいのですが、いたずらされてモノを盗られるよりはいいのかな。 ちなみに、茶色い客車もなかなか貴重なものでして、オハ61という元々木造車両だったものを車体を鋼製化して作り替えたものなのです。よって、車内は向かい合わせのクロスシートが並んでいるものの、その背ずりはクッションのない板張りとなっていまして、その様子は天理駅に到着する列車の車内から辛うじて見ることができました。 初めてやってきた天理駅ですが、天理といえば高校野球(それ以外のスポーツも強いのですが)の強豪校の天理高校と天理教で有名となっていますけれども、個人的には前出のような貴重な車両を大切に保存してくれていることに感謝したいと思います。
2024年11月11日
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先日の九州鉄道記念館で見かけた車両についての続きです。今回紹介する車両は私と同い年の車両です。 581系です。この車両は1967年に登場、私も1967年うまれです。 昼間は座席特急、夜間は寝台車として使われました。車両のスタイルもそれまでのボンネット型からそれ以降の国鉄特急のスタイルを確定したものとなりました。 登場当時のパンフレットなのかな、それも展示されていました。そこにもありますように、昼間は特急「みどり」、夜間は寝台特急「月光」として使用されていました。 「月光」のサボがはいっています。 行き先表示器です。 登場当初は山陽新幹線は開業していませんから、新大阪から東海道・山陽本線と門司から鹿児島本線を経由して運転されていました。 先頭車両には「JNR」のマークがありました。このマークに憧れました。 室内はというと、残念ながら現役当時のまま、というわけでがありません。国鉄末期になって、寝台列車の廃止が相次ぎ、余剰となったこの車両を通勤用に魔改造するということが行われ、寝台部分を撤去もしくは使用停止して、形式も715系と改めて長崎本線などで使われました。 ところで、寝台列車として使われていた時は通路を挟んで三段のベッドが設置されていました。その関係でシートの間隔はかなり広かったのですが、昼間の特急として使われる際にはリクライニングはしないし、当時の急行列車よりはシート間隔は広いかもしれないけど、急行列車のような向かい合わせのシートでは特急料金を払うにはなんだかなぁだったのかもしれませんね。 ちなみに、581・583系を改造した419系がJR西日本に引き継がれて長らく使われていて、私自身も北陸本線で何度も乗ったことがあるので、この車内はかなり懐かしく思いました。残念ながら419系としての保存車両はありませんが・・・。 話を戻して、世界的に見てもかなり珍しい昼夜兼用の車両として登場、最後は通勤用の車両に改造されてしまいましたけど、このような形で保存されたのは価値あるものだと思いました。
2024年11月10日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、先日食べたカレーです。 べたですが、カップヌードルのカレーです。 たまに無性に食べたくなって購入。やはりおいしいですね。 献血でもらったけんけつちゃんが蓋が開かないようにがんばってくれています。 カップヌードルは、普通のヤツが一番好きなのですが、カレーもいいものですね。
2024年11月08日
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先日、泉大津港から阪九フェリーに乗った際に、気になる車両がありました。 車を止めていたところから、遠くに見慣れたバスが止まっていました。 あの色は、南海バスだよな・・・。 これ以上近づくのは無理だったのですが、ギリギリまで行ってみるとやはり南海バス、日野のブルーリボンシティでした。LEDだった行先表示は取り外されていまして、南海バスを示す表示などは黒く塗りつぶされていましたが、オレンジと赤の波模様はそのままです。 このバスはどうするんだろうって思っていたら、私の車と同じくこの船に乗りました。バスは私の車とは違う車両甲板に乗船していきました。ただ、新門司港からどこへ行ったのかはわかりませんが、中古バスとして九州のバス会社のどこかで使われるのかな・・・。
2024年11月07日
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このところ雨が降ったり、暑かったりで作物の様子が心配だったのですが、今朝様子を見に行ってみました。 白菜にネットをかけていたのですが、葉が伸びて窮屈になっていたのでとりました。このところ冷えて込みもでてきているので、これから巻き巻きモードになるのかな。まだ今のところは巻きは浅いけど。ブロッコリーも大きくなりつつあります。 最後の方に植えた水菜も結構大きくなってきました。白菜とともに鍋料理に入れられたらいいなぁって思っています。
2024年11月05日
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先日の九州鉄道記念館で見かけた車両についての続きです。ここにはかなり貴重な車両が保存されていました。 この正面がラウンドした車両、「キハ07」です。一般的な鉄道車両は食パンを切ったような四角い車両が多いわけですが、こんなラウンドした車両はかなり珍しいですね。空気抵抗を抑えることを考えてこんな形になったといわれていますが、そこまで影響したとは思えないですけどね。 この車両は長らく豊後森機関区(大分県)にて保存されていたのですが、九州鉄道記念館が完成した際に移籍してきたそうです。客車列車で見られた行き先案内板(サボ)がいい味を出しています。 キハ07は、国鉄を引退後は私鉄に移籍してその後も活躍を続けたり、同系の車両がつくられたりとなかなか優秀な車両だったようです。 ここに保存されているキハ07 41は、1937年に製造されて1969年に引退するまで九州島内で活躍していたとのことです。 キハ07のむこうには、クハ481が保存されていました。私にとっては、北陸本線の特急「雷鳥」で使われていたのをよく覚えていますし、おなじみの車両です。しかし、ここで保存されている車両はちょっとマニアックです。 この車両のサイドビューです。鉄分の少ない人には意味が分からないかもしれませんが、窓の大きさが一般の車両と比べるとやや小さめなんです。なぜ小さめなのか? その答えは、この案内板に書かれていました。元々はクロ481というグリーン車だった車両だったんですね。それを普通車に改造したもの、それがこのクハ481-603なんです。 クハ481-603と表示されていますが、元はクロ481-5だったので窓の大きさはグリーン車当時の大きさなんですね。 車体の妻面には、新製当時の昭和44年日本車両製造の銘板が取り付けられていますが、改造銘板はないですね。昭和58年に当時の鹿児島車両所で普通車に改造されています。 車内は現役末期のままですね。JRになってからは、シートがもっといいものに交換されたものが多かったのですが、わたしにとっては座り心地が良くなくてもこちらの方がなじみますね。 それにしても、ほかにもっといい車両があったと思うのですが、あえてこの車両を残すことにしたというところにこだわりを感じました。
2024年11月04日
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私は1972年1月から1996年6月までと1999年5月から2001年1月まで合計30年近く実家のある大阪府堺市に住んでいました。みなさんは堺市にどんなイメージをお持ちでしょうか。関西以外の方にとっては「堺市って何がある?」って思うでしょうね。堺市は大阪市のすぐ南に位置していて、大阪府の政令指定都市の一つです。世界最大規模の古墳、仁徳天皇量があるところなんですけど全国的な認知度は低いかもなぁ・・・。「もののはじまち みな さかい」なんて言われて中世の時期には南蛮貿易で栄えた由緒正しいところだったりします。もっともその当時の堺は環濠都市、すなわち堀に囲まれた地域だったそうですが・・・。発展していくにつれて環濠都市の外側に広がって、戦中戦後を経て最近では旧美原町も加えた広大な市域になっています。 そんな歴史も文化も豊かな堺市なのですが、それだけ大きくなって人の出入りも多くなれば、これはどうしようもないことですが変なのも一定数入ってくるというのは避けられないところ。いつだったかの大阪ローカルの番組だったと思うのですが、堺市の周りの市町村に住む人たちが堺市についてどんなイメージを持っているか、という質問に対して盛大にディスられていたのをみて、堺市出身の私にとっては残念に思いつつも「まぁだろうな」と妙に納得するところもありました。ただ、私はこれまでそんな場面に出くわすことはあまりなかったのですが、この連休中に堺市の実家へ行って立ち寄ったスーパー銭湯で「やはりそうだわな!」って思うような場面が立て続けにありました。〔その1〕 スーパー銭湯によっては、料金を「先払い」のところが多いのですが「後払い」のところもあります。施設内の飲食などを受け付けの際に渡されるQRカードなどで利用して最後に支払うというパターンです。今回のところがそれにあたります。 その受付をするために並んでいたところ、あとからきた女の親子三人連れが私が並んでいるところを悪びれることなく順番ぬかし・・・。「なんだ、こいつ。日本人じゃないんか?」。たまにいるのですが、たいがいは日本語の通じないヤツなんですけど、そいつらはがっつり日本語でしたわ・・・。〔その2〕 お会計をしようとでてきた私。そのQRは下駄箱のカギと一緒になっていて、下駄箱のカギを受付に渡して精算、という仕組みです。ところが、私はそのカギを下駄箱にさしたままにしていたことに気が付いて戻ってみると、さっきまで使っていた下駄箱のカギがない! 靴は取り出したんだからカギはあるはずなのになんでないんだ? ものの1,2分の間になくなることなんてあるのかよ、って困惑しながら受付に事情を話すと、受付の人も困っていました。そりゃそうですよね、靴はあるのになぜカギはないの?っていうことなんですから。 どうやら、そのカギがなくなった想定されるいきさつとしては、「受付せずに下駄箱に靴を入れてそのまま入場した」ということじゃないかとのこと。前出のとおり、スーパー銭湯には「先払い」のところもありますので、それと勘違いしたんじゃないかとのことですけど、もしそうだったとしたらお金払っていないんですけどね。要するに、「カギが刺さったままになっているのを見つけて、それで施設を利用して、頃合いを見てカギを当該下駄箱に刺してそのまま施設を出る」なんていうことができるということになる、つまりは「タダ入り」ということなんですけどね。 それにしても当事者のやろう、お店の関係者にとっつかまってがっつり注意されて、「出禁!」になっていたら痛快なんだけどな。 今回紹介した「その1」も「その2」も、当事者がクソなだけで堺市全体が悪いわけではないことは、もちろん私もよく理解しています。ただ、同じ場所で立て続けにこんなことを目の当たりすると、前出の番組で堺市が盛大にディスられるのも妙に納得できるし、堺市出身ということ自体がとても恥ずかしく思えてしまいます。 その1やその2で紹介したようなことは、残念だけどほかの地域でもありうる話だし、もっとひどいこともあるだろうな、って思います。でも、なんだかなぁ、自分自身の出身地で「テレビ用に面白おかしくしとるだけやろ?」って思っていたことがそうじゃないんだと思ったわけで、かなり残念な気分になりました。
2024年11月03日
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先日の九州鉄道記念館の続きです。 先日のブログにて紹介した関門トンネルを専用に運転されていたEF30の前に活躍していたのがこのEF10でした。関門トンネルが開通したのは1942年、その当時に活躍して性能も安定していたであろうこのEF10が使われたのではないかと思います。先日紹介したEF30もそうでしたが、海底トンネルという性格上、普通鋼では腐食が心配されるのでステンレス車体となっていましたが、このEF10も塗装はされていますがステンレス車体となっています。 電気部分は芝浦電機、車体などは汽車会社で製造されたプレートが取り付けられています。 その奥には、ED72が展示されていました。この車両は鹿児島本線などで客車列車をけん引するために製造されたもので、1号機は試作車となっています。このため、ヘッドライトに特徴があります。横から見ると車体が「くの字」になっています。要するに車体下部の方に向けて絞られているような感じです。 このED72は1961年に東芝で製造されたもの。赤い車体は交流電気機関車の特徴です。今のJR貨物でも交流区間を走る電気機関車には赤い色が使われていますね。 このED72が活躍している時代には、生で見たことはありませんが、九州の鉄道の歴史を語る上でも大事な車両なので、このように展示されているのはありがたいです。
2024年11月02日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが先日食べたカレーです。 最近お気に入りのインド料理店に行ってきました、香芝市にある「シャクティー」で、今回はランチです。 ランチメニューも充実していて、ナンはお替り可能です。 チキンカレーです。カレーの辛さは5倍にしてみました。汗かきながら完食しました(笑)。
2024年11月01日
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先日、北九州へ行った際に門司港へ行きましたが、その目的がここへ行くことでした。 九州鉄道記念館です。九州で活躍した車両が展示されていまして、こじんまりした場所ですが、ファン的にはなかなか興味深いところです。 フェンス越しですが、機関車の前頭部分が展示されています。本当は全体を置いてくれたらいいんですけど、鉄道車両ってかなり大きいですからね。このように展示してくれるだけでもありがたいものです。 車両は左側がED76、九州内では貨車や客車、ブルートレインをけん引していまして、今もごくわずかが現役で残っています。右側の議員色の車体がEF30。関門トンネルを通過する貨車や客車をけん引する専用の機関車でした。 入場料を払って中に入ると2両の蒸気機関車が展示されていました。その一両が9600形、大正時代につくられた車両ですが、手ごろな大きさと力があったことから国鉄の蒸気感謝の歴史の最後まで活躍したという優秀な車両です。そんな優秀な車両ゆえに、太平洋戦争中には軍に徴用されて中国大陸にも送られたとか・・・。さて、ここに展示されている59634号は煙突に特徴があって、一般的なパイプ状の煙突ではなく、煙突の途中に帽子のように見える化粧煙突となっています。大正時代に製造された蒸気機関車によく見られた装備となっています。 運転席部分(キャブ)にはカーブしたラインがなんともおしゃれにみえるデザインとなっています。無骨な蒸気機関車なんですけど、化粧煙突といいこのカーブしたキャブといい、優雅な感じがします。 こちらは、東海道・山陽本線などの幹線、九州なら鹿児島本線などの特急・急行列車を専用にけん引するために製造されたC59形。大きくて立派な車体です。 展示されているこれらの車両の運転席部分には立ち入ることはできませんが、しっかり整備されてとてもきれいでした。屋根もきちんと設置されて雨風はしのげるのはいいですね。
2024年10月31日
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先日、職場にやってきた書類に返信用の封筒が入っていました。その封筒へこちらの書類を入れようとしたらうまく入りません。なぜなんだろう、普通の封筒のはずなのに、って思ってよく見たらこんな感じでした。 要するに、元々の封筒を裏返して接着していました。接着している場所の幅が広かったので、うまく書類が入らなかったんですね。 そういえば、ある自治体からの封筒において、例えば角二号の封筒を長3号の封筒へ再利用するためにあらかじめカットする位置が記されたものがありました。 それにしても、「封筒を裏返して使う」っていうことは、私が職場に入ったころは時折このようなことをされている人を見かけましたけど、ここ何年も見たことがなかったのでちょっと懐かしく思いました。資源を無駄にしない、という気持ちの表れですよね。
2024年10月30日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第50回目はJR山陰本線の和田山駅です。出張先の最寄り駅でした。 和田山駅がある場所は、京都から鳥取方面へ向かう途中にありまして、JR播但線と接続しています。 この列車は、JR播但線の車両。同線は非電化なのでディーゼルカーで運転されています。 私が高校生だった1984年ごろといえば、国鉄でしたがその当時運転されていた旧型客車の乗り鉄と写真を撮るために何度かこの山陰本線へ行きました。その時にこの和田山駅にも立ち寄っています。駅の外にはでていませんが・・・。その当時運転されていた編成は7,8両編成というものもあったので、ホーム長はかなり長いですね。 和田山といえばこのレンガ造りの建物。屋根がすっかり抜けてしまっていますが、かつてこの場所にあった和田山機関区の名残です。1912年に造られたものだそうで、機関車の配置がなくなってからも引き続き使われていまして、私が1984年ごろよく行っていたころにも使われていました。また、この建物の周りの空き地には引き込み線がたくさんあって、廃車となった車両が留置されている光景も見かけました。貴重な文化遺産だと思うのですが、残念ながら現状はこんな感じです・・・。 改札口の手前には、このようなかわいい車両がありました。現状使われている車両とかつて使われいた車両です。右から3番目の黄色に紺色の帯の車両は、国鉄末期の1986年11月に福知山線と山陰本線の福知山~城崎間が電化開業した際に各地から寄せ集めて作った113系800番台をイメージしているようですね。鉄分の多い人はすぐわかったかもしれませんが(苦笑)。 駅の外に出ました。 駅の正面には朝来市役所がありましたが、駅周辺にはあまりお店がありません・・・。かつてはにぎわっていたのかもしれませんが、ちょっと寂しい感じでした。
2024年10月29日
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今日は天気が心配されましたが、とてもいい天気で草野球の試合がありました。場所は久宝寺緑地軟式野球上、相手はフィルシーさんでした。平均年齢的にはガゼルスと同じような感じでした。今日は9人ギリギリの参加、私は最初久しぶりのサードで出場、途中からキャッチャーへ変わりました。 試合は相手投手の乱調もあって、序盤3回で合計6点をあげる展開。しかし、得点は上げているものの残塁の数も多い状況・・・。なんだかもやもやするような感じでした。それでも終盤にはT11君やF16さんのタイムリーなどでさらに追加点をあげてちょっとすっきりしました。 先発のF16さんは立ち上がりに1点を失ったものの、なんとか抑えている状況でした。それでも、途中1イニングだけ私がキャッチャーに入りましたが、迎えたピンチも絶妙な変化球で三振に打ち取るなど洋書は占めていました。その後、H12さんがリリーフしましたが、H12さんも立ち上がりは良くなかったものの、三者連続三振にとるなどしり上がりに調子を上げていきました。そして12-3で勝ちました。 私の成績は、二塁打一本がでました。〔今日の成績〕1打席目 遊失2打席目 四球3打席目 遊ゴロ4打席目 左二塁打5打席目 四球20打数3安打3打点4三振6四球 打率。150
2024年10月27日
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今日は買い物のために、八尾市のアリオ八尾へ行きました。昼食も兼ねてだったのですが、思いのほか買い物に時間がかかりました。まぁ私は本屋などで時間をつぶしていたんですけどね・・・。 さて、ここへやってくると帰りに買うのがこれ。なかなか懐かしいでしょ。 レモネードです。口の中がさっぱりしていいものですね。 アリオ八尾の中にあるお店でした。
2024年10月26日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、先日利用した阪九フェリーの朝ごはんで食べたカレーです。サラダもついていました。 朝カレーです。朝からカレーということですけど、ヘビーだなと思いつつもそうでもないです。 私の実家では私が子供のころから朝カレーは普通でした。当時の友達には変人扱いされましたけど、あのイチローさんが朝カレーを食べていたという話を聞いて、やはりそうやんなぁって思いました。 話を戻して、フェリーで朝カレーを食べて船を下りて大分へと向かったのでした。
2024年10月25日
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先日の大分へ行った最大の目的、それは献血をすることでした。温泉に入ることではなかったんですね。本当なら温泉にも入りたかったけど・・・。 大分市のトキハわさだタウンというショッピングモールの一角にあります。こういうショッピングモールにある方が気軽に献血に行こうという気持ちになると思うので、これはいいと思います。 今回も血漿の成分献血だったのですが、血管がうまく浮かないのかかなり苦労されていました。暖かい飲み物を飲んだんだけどな・・・。何とか始まったものの、血漿の割にはかなりゆっくりとしたペースでの献血となりました。普通なら50分程度で終わるのに、1時間以上かかりました・・・。 終わってから景品としてキャノーラ油をもらったので、息子と同棲している息子の彼女にあげました。 さて、結果の方はというと血圧が高めなのはここ最近の傾向なのですが、γーGTPの数値が基準を少し超えていました。そのほかの数値は安定していましたが。 今回、大分県で献血完了しましたので、北海道、宮城、福島、栃木、群馬、茨城、埼玉、東京、千葉、神奈川、山梨、長野、静岡、富山、石川、福井、岐阜、愛知、三重、滋賀、京都、大阪、奈良、和歌山、兵庫、岡山、広島、山口、島根、香川、徳島、高知、愛媛、福岡、佐賀、大分、鹿児島の1都1道2府33県となり、全国制覇まで残り10となりました。 また、今回の献血で300回となりました。さすがに次の400回は無理でしょうね・・・。
2024年10月24日
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昨日の続きです。息子の家に泊めてもらって、翌朝の19日は朝から行動開始。帰りは船ではなくて新幹線で帰るだけなのですが、何の工夫もなく小倉から新幹線で帰るのは面白くない。 私が考えたのは、まず門司港へ行って門司港から門司へ戻って在来線で徳山へ行き、新幹線で新大阪へ戻ることにしました。 まず、息子の家から近いところにあるJR九州の小倉総合車両センターへ。国鉄時代は小倉工場といわれていましたが、今はJR九州の車両の整備を一手に行っているところです。この日は、イベントが行われるようでその準備をされていました。 そこから、バスと列車を乗り継いで門司港へ。門司港へやってくるのは2004年以来20年ぶり。 ここへやってきたのは目的があるからなのですが、それはまた後日に・・・。 ちなみに、門司港駅はきれいに改装されていて、レトロ感が増していました。 もう少し門司港でゆっくりしたかったのですが、この日は山陽本線で倒竹があってダイヤが乱れているということだったので、早めに出発して門司へ。 この駅もまた後日紹介します。 下関からは山陽本線上り普通列車に乗車。今や貴重となった国鉄当時の車両が多いこの区間なので、のんびりと乗り鉄しました。(写真は今年3月に撮影したものの使いまわしですが・・・) その列車は途中の富海駅で途中下車。ここで降りた理由もまた後日に・・・。 そして、予定通りに徳山から新幹線に乗り換えました。列車の遅れも回復していて、遅れはありませんでした。 徳山からはこだま856号で広島へ行って、広島からのぞみ38号で新大阪へ戻りました。
2024年10月23日
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昨日の続きです。 大分を出発して、目的地の北九州を目指します。その途中で、妻から親戚の家にもっていくお土産を買ってきてほしいと要望があり、何がいいか尋ねたところ「『博多通りもん』がいい」とのこと。HPで確認すると、さすがに北九州では売っていない。そりゃそうだ、博多だもん。ただ、博多~北九州の間で売っているところが宗像市にあることがわかり、北九州へ行く前にそちらへ向かうことにしました。 ただ、大分を出てしばらく走ると、上の写真にあるように心配された天気が悪くなり、特に大分と福岡の県境あたりでは豪雨! 片側一車線の東九州自動車道で後ろには車がついてくるし、かといって飛ばせないし、路面は水が浮きまくり。ハンドルが持っていかれないように慎重に走ってようやく豪雨のところは過ぎたのですが、さすがに疲れました・・・。今から30年近く前に中央高速道走っているときもそのようなことがありましたけど、事故しなくてよかったですよ・・・。 そんな大変な目に逢いながらも、16時半ごろなんとか宗像市のサンリブくりえいとに到着。「博多通りもん」をゲットして、最終目的地の北九州を目指します。 宗像市からは国道3号線を通っていきました。北九州市内に入ってこの建物のある黒崎駅前を通過しました。92年ごろだったかな、仕事で博多へ行った際にここにも立ち寄ったことがありました。西鉄の路面電車である北九州市内線の短区間だけ乗車したのですが、その時にこの建物も印象に残っていました。当時は、黒崎そごうだったんですね。その後井筒屋になったのですが、2020年に閉店したとのこと。建物は残っていますが、使われなくなって4年も経つんですね・・・。 17時半ごろに息子の住む北九州市の小倉に到着。夕食に近くの資さんうどんへ行きました。 九州のうどんなので柔らかめのうどん、ミニかつ丼もついてがっつりとまではいきませんでしたが、おいしくいただきました。 この日は息子の家に泊めてもらうことができました。 息子に車を引き渡しましたが、駐車場が家から歩いて5分ちょっとのところなのですけど、駐車するにはちょっと工夫が必要かなっていうところ。大丈夫なのかって気になりました。
2024年10月22日
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昨日の続きです。 19日早朝に新門司港につきまして、そこから大分を目指しました。 まだ夜も明けきらない6時に新門司港に接岸しました。雨が降っていたようですが、接岸した時点ではやんでいました。 今回利用した阪九フェリーの横には、東京港(有明)を出港して535に到着したオーシャン東九フェリーの船がありました。 さて、ここから一路大分を目指すのですが、大分へ行く目的がありましてそれについてはまた後日紹介したいと思いますが、普通に考えたら大阪や神戸から別府に向かう商船三井さんふらわーが就航しているのでそれを利用するのですが、実はなかなか値段が高いのです。そして、新門司港から高速に乗っていく方がまだ若干安いということで、わざわざ朝6時に到着する阪九フェリーを利用したのでした。そうはいっても、距離的にはかなり走らないといけないし、この日は途中から雨になるし、車はいつものデリカSWではなくてワゴンRだし大変でした・・・。 無事に用事が終わるとちょうど昼頃。おなかもすいたし、何を食べようかと考えました。大分といえば関あじ・関さばが有名ですが、鶏のから揚げも有名ですよね。そこで検索してみると、その用事の場所からほど近いところにあることがわかり、早速行ってみました。 「とんかつ&とり天」の大きな看板が目を引きます。 見つけたそのお店が「しげのや食堂」。この写真にあるとんかつも捨てがたかったのですが、やはり初志貫徹ということで・・・ このとり天にしました。豊後鶏というブランドの鶏肉だそうです。 しばらく待って出てきました、これがとり天定食です。ご飯は一杯だけお替り可能でした。 塩や醤油をつけていただきましたが、肉がやわらかくてとても食べやすかったです。量も多くてがっつりといただきました。ご飯のお代わりも! ところで、私は大分県へやってくるのは1982年以来42年ぶり。中学三年の時の修学旅行依頼でした。その時は、大阪・弁天ふ頭からのフェリーで別府へやってきて、別府周辺を経由して熊本へと向かったのですが、それ以来でした。だから、この後北九州へ戻る前に別府で温泉に入ってと思ったのですが、夕方に北九州へ行かなければならなかったので、泣く泣く大分を後にしたのでした・・・。 いい天気だったら、背景に映る山々がきれいに見えたと思うのですが、残念ながらあいにくの天気。ここから北九州へ戻るのですが、途中から土砂降りの大雨でした・・・。恐怖を感じるくらいの雨で、こわかったですよ・・・。
2024年10月21日
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先日の金曜日の夕方から今日の夕方まで、北九州と大分へ行っていました。その目的の一つが、私の家で使っていたセカンドカーのワゴンRを息子に譲るためです。中古車購入するのかどうするのかさんざん考えた結果、ワゴンRの車検を通して2年間乗ることになったためです。そしてこの度、持っていくことにしました。単に持っていくだけではつまらないので、ちょっとほかの楽しみも入れていきました。 ということで、何日かに分けてレポートしたいと思います。 まず、持っていく前に今回購入したekスペースと新旧並べて撮影。ワゴンRは70000kmの走行になっていました。車検で気になるところなど徹底して点検してもらったので大丈夫かと思います。 さて、今回もフェリーで行くことにしましたが、出発は神戸ではなく泉大津から。今回も利用した阪九フェリーは泉大津からも船が出ています。 この日は、いつも利用する阪神高速6号大和川線が事故で通行止めとなっていたので、少し早めに出て迂回ルートを使って到着しました。 この日は、トラックやトレーラーの積み込みが多くて車両甲板はいっぱいでした。 ちなみに、今回のフェリーは阪九フェリーの「いずみ」。2015年就航の新しい船です。16000tの立派な船で快適でした。 部屋も広々としていて快適。 タオルもいただきました。 そして、定刻の1730に出航、泉北地区の工業地帯をみながら船は進みます。 泉大津を出るときは曇天だったのですが、明石海峡付近では雲が切れて、写真のような見事な月を見ることができました。
2024年10月20日
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俳優西田敏行さんが都内の自宅で亡くなったことが17日、分かった。76歳だった。 西田さんは1963年に地元・福島の中学を卒業後に上京し、70年に劇団青年座に入団。映画「釣りバカ日誌」シリーズなど数多くのドラマや舞台で幅広く活躍した。 ユニークなルックス、確かな演技力で親しまれ、ドラマ「池中玄太80キロ」や、同ドラマの主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットして、紅白歌合戦にも出場するなど、マルチに活動した。 大ファンだという関西ローカルのABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」の2代目局長も務めた。 03年に急性心筋梗塞(こうそく)で入院したが、その後も俳優業、タレント活動に復帰。病気を機に、ヘビースモーカーから「禁煙」を宣言して、仕事を続けていた。 10月8日にも都内で行われた映画「劇場版ドクターX」の完成報告会見に出席しており、突然の別れとなった。【日刊スポーツから引用】 今日の昼休み、食事をしながらケータイのニュースを見てびっくりしたのがこのニュースです。 西田敏行さん、見るからに優しそうな表情で、役柄もそんな感じのものが多かったように思います。初期の特捜最前線では人情派刑事でしたし、西遊記でも猪八戒でイメージぴったりだったと思います。ただ、そんな役ばかりではなく、組織の黒幕とか悪役もこなすなど存在感のある役者さんでした。 私の娘がなぜか西田敏行さんがお気に入りで、最近妻の親戚のおじさんが亡くなり、今度は西田敏行さんがお亡くなりになったということでちょっと落ち込んでいます・・・。 西田敏行さん、お疲れさまでした・・・。
2024年10月17日
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私が過去に撮影していた写真を保存している外付けHDDの中で、ちょっと変わったものを撮影していましたので、今日はそれを紹介します。撮影したのは2008年3月23日と今から16年も前のことです。この日は、大阪市交通局(当時)の緑木車庫でのイベントがあってその時に撮影したものだと思います。「安くて便利な 市電で行ける 海水浴 大浜 出島」と書かれています。高度成長期前の大阪でも海水浴場はあって、浜寺はとくに有名でした。ここに書かれている大浜や出島は浜寺よりも少し北側、浜寺と同じ堺市にあります。今では浜寺も大浜、出島ともに海水浴場はなく、埋め立てられて工場地帯になっています。 浜寺へは南海本線が便利だったのですが、今回紹介している大浜や出島は大阪市内から市電があったのでそれを使えば便利だということなんですね。今では廃止されてありませんが、かつてはなんばなどから今の府道29号線や国道26号線、府道34号線を市電(路面電車)が走っていましたので、それを利用すれば大阪市内からでも楽々、っていうことをアピールしていたんですね。高度成長期前の浜寺の海水浴場の映像を見たことがありますが、南海難波駅では通勤ラッシュ並みに混雑していて列車に乗り込む光景がありましたので、当時は夏は海水浴というのが娯楽として楽しまれていたんでしょうね。それでいうと、この市電を使ってどの程度の利用があったのかわかりませんが、大混雑必至の浜寺よりも大浜や出島の方がマシと感じる人には人気だったのかもしれませんね。 この広告が掲げられていた時期はわかりませんが、1958年に大浜海水浴場は工場建設のために閉鎖されたということなのでそれ以前のものだと思われますが、にぎわっていたころをそ想像させるような広告でした。
2024年10月16日
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先日、白菜とブロッコリーを植えたのですが、まだ畝に余裕があることと、今年度いっぱいで畑を返さなければならないことから、どうせなら空いているところにもっと植えようということで追加で白菜と水菜を植えました。 新3号畝には白菜を6株植えました。前回と同じく二種類を3株ずつです。 新4-2号畝には水菜です。水菜は久しぶりに植えました。新4-2号畝は長さが短いので4株です。 あとまだ新4ー3号畝や新4号畝が空いているので、何か植えようかと思っています。気温が高いので、種まきしても大丈夫かなってね。
2024年10月15日
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今日は久しぶりに練習試合がありました。これまでも練習試合はあったのですが、私が参加できずでした・・・。今日の試合相手は、私の職場のチーム。11月に大きな大会があるのでその前哨戦としてガゼルスと対戦することになりました。 場所は、神戸市のホットもっとフィールド。すなわち、グリーンスタジアム神戸ですね。プロ野球オリックスバファローズが時折試合をするところで、ここで試合するのは久しぶりです。やはりプロの球場はいいですよね。 今日はとてもいい天気で、野球をするには絶好でしたが、ちょっと暑かったかな・・・。 私はガゼルスの方に入ってキャッチャーで出場。H12さんとバッテリーを組みました。試合は、序盤にエラーなどで失点したものの大崩れすることはありませんでした。私も久しぶりのキャッチャーでしたが、けがすることなく所定の4階で交代してもらいました。 試合は、職場チームの若手選手がよく動けていて、先発のH19君とリリーフのH61君が球のキレもあって状態はよく、5-1で職場チームが勝ちました。 私の成績はヒットは出ずで終わりました。〔今日の成績〕1打席目 三失2打席目 遊ゴロ17打数2安打3打点4三振4四死球 打率.118
2024年10月14日
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2025年大阪・関西万博の開幕まで半年となった13日、日本国際博覧会協会(万博協会)は記念イベントを開催し、来場を呼びかけた。コンビニで紙チケットも発売したが、全国的な盛り上がりに欠ける状況に関係者の危機感は募る。機運をどれだけ高められるか、政府と一丸となった取り組みが求められそうだ。 東京・虎ノ門で開かれた記念イベントで協会の十倉雅和会長(経団連会長)は「多くのパビリオン建設が着実に進み、イベント内容も次々と明らかになってきた。開幕に向けて積極的なPRを展開したい」と述べた。石破茂首相は「日本の魅力を世界に向けて発信する絶好の機会だ」とのビデオメッセージを寄せた。 日本世論調査会の調査では、万博に行きたいと思う人は23%にとどまった。協会は開幕半年に合わせポスターやテレビCMを制作。今後、全国的な広報活動を強化する方針だが、効果は未知数だ。 入場者2820万人達成に向け、開幕までに前売り入場券を1400万枚販売する目標を協会は掲げる。現状は700万枚強で、企業によるまとめ買いが多いとされる。【共同通信ネット版から引用】 今日で万博開催まで半年ですか。もうそんなに近づいてきているんですね。半年まで近づいてきているんだったら、何らかの盛り上がりがあるはずなんだけど、大阪では盛り上がっていないですね。駅などのディスプレイにあの気色悪い物体が表示されたり、JRや私鉄の車両の一部にラッピング車両が走っているくらいかな。そのラッピングもあの気色悪い物体が描かれているので、個人的にはそれを見ると「縁起が悪い!」と毛嫌いしているところなんですけどね。大阪で盛り上がっていないものを大阪から遠く離れた地域の人が関心を持てるわけないけどね。そんなところへ行くくらいなら、すぐ近くにあるUSJの方が関心あるかもしれないな。 前売りの入場券も目標の半分しか売れておらず、その売れているものも企業や団体が割り当て分を購入したり、ひどいところになると大阪に支店があるという理由で購入させられているとか・・・。そんなことが本当だったら、株主は怒るだろうね・・・。 本文にあった「万博に行きたい」という人は23%にとどまった、とのことですが、23%もあるんですね。すごいことじゃないですか、何が見られるのかほとんどわからないのに、何を期待しているんでしょうか。今はわからないけど、そのうち明らかになってくる、その時点では出遅れるからという期待値込みなのでしょうか。ただ、元々の目玉であった空飛ぶ車は万博開幕するはるか前に飛ばなくなったし、そもそも吉村大阪府知事が偉そうに語っていた「空飛ぶ車」はドローンだったし、万博の趣旨と関係ないガンダムですら立った状態でないとか・・・。目玉が次々しょぼくなってきているのに、テレビCMを打ったところで関心が高まるとは思えませんけどね。 関心の低さには、メタンガス爆発の件はあるかもしれないけど、それ以上に「入場券とみることができるパビリオンの申し込みが別々で連動していない」というところにあるでしょうね。入場券の日にちが例えば4月16日と決めたのに、パビリオンの申し込みで4月16日が当たらなかった場合はどうしようもないんだけどね。しかも、今から半年以上先の予定なんてわからなし、会社勤めしている人なんかはそんな先の休暇なんてとれないでしょう。一体だれがこんなシステムを考えたんだろう・・・。 万博協会にしてみたら、万博の会場に来てほしいけど、万博までの交通基盤がそこまで余裕があるものではないし、万博会場内で来場者が混雑して滞留して無駄な時間を過ごすことがないように、「効率的に、待ち時間なしのストレスフリー」ということを考えてそのコンセプト自体は悪くはないけど、余りに自由度がなさすぎかと。そんなこともあって関心が高まらないといったところでしょうね。 今回の万博は、維新の連中が自民党を丸め込んで誘致したといわれているし、ちょうど衆議院選挙の期間中なので、維新の連中の口からこの万博にかかることをどのように考えているのか聞いてみたいね。今のままでは赤字必至なんだけど、どう考えているか? 「万博は国の事業だから」というしょうもないコメントはいらないから、大阪府・市も一緒になっているんだからどうするつもりなのかちゃんと答えてほしいね。
2024年10月13日
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最近のバス業界では、減便などが話題になっています。それ以外には、バス会社自体が廃業することもあります。公営交通では民間バス会社へ路線ごと移管することもあります。 私が去年北海道へ行った際に立ち寄った苫小牧市でも、以前は苫小牧市営バスがあったのですが、民間バス会社の道南バスへ路線移管されています。苫小牧市営バスで使われていたバスは塗装変更されたものもあるでしょうけど、市営バス当時のカラーのまま残っているものもありました。 黄色がかったクリーム色に赤いラインの入った苫小牧市営バス当時のカラーに「道南バス」のステッカーが貼られて活躍しています。北海道のバスは、融雪剤のせいか車体にさびが目立ちます。 後姿を拡大しました。シャシーメーカーはわかりませんが、ボディーメーカーは富士重工ですね。 現在では塗り替えられているのか、それとも廃車になっているのかどうかはわかりませんけど、貴重な写真であるのは間違いないなぁってね。
2024年10月12日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、今週食べたカレーです。昨日は大きな研修会がありましてそこで私が講師を務めましたが、その前に気合を入れるために食べたカレーです。 高麗橋のIndyのカレーです。この日のサービスランチは、チーズの乗ったチキンカツカレーでした。サラダ付きで800円、量的にもまずまずで少しピリ辛なところもよかったです。 私の職場から歩いて10分くらいの場所にあるし、次回来店時に50円引きになる券もいただいたので、また行ってみたいと思います。こ
2024年10月11日
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声優の大山のぶ代(おおやま・のぶよ、本名・山下羨代=のぶよ)さんが9月29日、老衰のため亡くなったことが11日、分かった。90歳だった。 ドラえもんは3度も声優が交代している。1973年(昭48)に日本テレビ系で放送が始まった際は富田耕生氏がつとめ、男性の声だった。同年のうちに野沢雅子に交代し、放送は1年で終了した。その後、79年にテレビ朝日系で放送再開したタイミングで大山さんがドラえもん役に。05年までの長きに渡って担当(第1期)したが、大病を患ったのを機に降板を決意し、現在(第2期)の水田わさびに交代した際にはキャスト総入れ替えで若返りし、大きな話題を呼んだ。 現在、テレビ朝日系第1期「ドラえもん」で存命なのは、しずかちゃん役の野村道子(86)の1人となった。ジャイアン役のたてかべ和也さんは15年に80歳で死去。スネ夫役の肝付兼太さんは16年に80歳で亡くなった。野比のび太役の小原乃梨子さんは今年7月に88歳で亡くなったばかりだった。【日刊スポーツネット版から引用】 「ぼく、ドラえもんですぅ」 この言葉をみれば、私の世代くらいの人はあの独特の大山のぶ代さんの声で変換されるのでしょうね。ドラえもんの生みの親、藤子・F・不二雄先生がアニメ版になったドラえもんの声を聴いて「ドラえもんの声はこんな声だったんですね」とコメントしたとか。それくらい特徴のある、一度聴いたら忘れられないくらいのインパクトのある声でしたね。普段のトークは普通の声なんですけど、ドラえもんの時だけ違うんですね。ちなみに、私生活で旦那さんとけんかしているとき、興奮するとドラえもんの声で怒っていたとか(笑)。 それにしても、大山のぶ代さんにだけでなく今年に入ってから多くの声優さんがお亡くなりになっていますね。仕方ないことだけどなぁ・・・。 大山のぶ代さん、お疲れさまでした・・・。
2024年10月11日
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2025年4月13日から開催される「大阪・関西万博」。大阪をはじめ、近畿6府県の児童・生徒などを学校単位で無料招待する予定だが、10月7日に朝日新聞デジタルが《引率する教員が会場を下見した後に引率が困難と判断するなどして来場を取りやめる場合、万博を主催する日本国際博覧会協会(万博協会)が無料としていた下見の入場券代を学校側に請求する方針であることがわかった》と報じた。この「試食して買わなかったら金払え」ともいうべき姿勢に、教育現場から疑問や怒りの声があがっている。 万博協会は、1団体につき最大3人まで無料で下見を認め、「予定どおり来場する場合は請求しない」と説明しているという。現地の小学校教諭は、こう憤る。「報道によると、下見したうえで来場を辞退した場合、会期中の一日券(大人7500円)の金額を、下見した人数分、徴収するそうです。これは規約で定められていると聞いています。 しかし学校側からすれば、生徒の休憩場所、トイレの位置、避難経路などを確認することは当たり前のことで、現地の下見は必須。その結果、参加を見送る学校もあるでしょう。それなのに『参加しないなら金を払え』はあまりにも乱暴です」 万博協会は、朝日新聞の取材に「万博に来るかどうかを決めるための下見ではなく、来ることが前提での下見を想定していた」と釈明しているが……。報道から2日後の9日、今度は大阪府の吉村洋文知事の会見が、波紋を呼んでいる。吉村知事は「これは協会がおかしいと思います」との見解を示したのだ。「吉村知事は記者団に『(下見をする教員は)万博を楽しみに行っているわけではない。安全に子どもたちを引率するための下見であって、その結果、行かないと判断することも当然、あり得る。そのとき下見の入場料を取るのはおかしい。僕は反対』と断言、是正を求めていくとしました」(社会部記者) だが、吉村知事は万博協会の副会長でもある。この発言に、知事にあきれる声が多数あがっているのだ。Xには、こんな声が投稿されていた。《万博協会の副会長なのに、世論の批判を浴びると「おかしい」と言い出す》《協会の副会長が 協会に申し入れですか 組織としておかしくないでしょうか》《世論の批判が強くなると自分の立場(万博協会副会長)を忘れて世論と一緒に批判する》《苦言も何も、入場料取る言うてる側の人! 》《何他人事みたいに言ってるの?あんたも協会副会長じゃないの?》 開幕まで200日を切っているが、トラブルが多発する大阪・関西万博。無事に開催までこぎつけられるだろうか。【FLASHから引用】 「子供を万博に無料招待する」なんてえらそうにぶちあげていたけど、それを行うためには準備がいろいろ必要っていうことがわかっていない単なる思い付きでモノを言われても困るんだよね。聞いているか、大阪府知事よ。当然引率する先生にしてみたら、万博の最寄り駅から入場ゲートまでの動線、入場ゲートから万博の指定されているパビリオンまでの動線、その途中のトイレの位置、休憩スペース、避難通路、パビリオンから駅まで戻る動線等々確認する項目はたくさんあるでしょう。その結果、「やはりこれは無理がある」という判断になるのもやむを得ないと思います。 ところが、「行くつもりだったけど、検討した結果行きません」となった場合における下見のために入場した入場料は、きっちりといただきますとのこと。それは規約に書いているらしいけど、なんだか「そんなことでも金儲けか!」って思いましたね。「万博に来ることを目的としての下見だろうが!」っていうことかもしれないけど、その下見をした結果で「行きません(というよりも行けませんかな?)」という判断をすることだってあるはず。それなのに、しゃくし定規に金をとろうってなんだかなぁ。 もちろん、そのような仕組みで行こうということで万博協会内ではきちんと関係者で決めていたんだよね。だったらまぁ仕方ないかって思っていたら、まさかの「これは協会がおかしいと思います」とコメントする人が・・・。誰なのかと思ったら、大阪府知事! アンタは協会側の人間だろうが、副会長だろうが! ほんと、こいつって調子いいよな。まぁその程度のものなんだろうけど。批判する前に、その仕組みを何とかしてやれって。話はそれからじゃないのか? いろいろケチが付いている大阪・関西万博。チケットも思惑通り売れていないみたいだけど、こんな状況なんだから期待感も高揚感もないのは当然かな・・・。
2024年10月10日
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バスの座席に、大量のゴミが放置されている――。バスの乗務員による投稿が、ネット上で大きな話題を集めている。ネット上では、インバウンドによる観光客のマナーに対し苦言の声も上がっている。今月7日、SNS上に投稿された画像には、大型バスの座席最後尾のスペースに、菓子の袋や旅行案内の冊子、むち打ちなどの治療に用いられる首用コルセットのようなものなど、大量のゴミが放置された様子が収められている。別の投稿では「実は…、この写真からは分かり難いですが、奥のジュースの紙バックの中身が溢れて床が『ニチョ~、ネチャ~』でした」と被害の状況がつづられている。 一連の投稿には「酷すぎる」「これはカオスですわ」「民度低いですね」「ゴミはゴミ箱へと言うルールを知らない人が居るのか」「一番後ろのここってゴミ捨てにされるよね。掃除用具とか置いておいても遠慮なくやられる」「シートの隙間にゴミ詰め込む奴って何なん?」「請求する時に清掃費って事で上乗せできないんですかね?」など、憤りの声が相次いでいる。「写真は中国人の団体客による4日間の利用が終わり、掃除をしていたときのもの。運転席から一番遠い最後尾席の後ろには、このようにリクライニング用のスペースがあって、そこがゴミ捨て場になってました」と投稿者。「首の固定ギプスでしょうか。こんな物まで捨てられてることには驚きました」と話している。【ENCOUNTから引用】 このようなニュースがあがると、「日本人もかつてはひどかったやん、やりたい放題だったやん」っていうコメントがあがるのですが、だからなんなんだ? 今は21世紀、2000年代も半ばにさしかかろうとしている時代なんだけど。確かにひどい時代はあったかもしれないけど、「やはりそれじゃだめじゃん」ということで悔い改めてきた結果が今日にあると思うんだけどね。まぁ、国によってはその辺が1mmもわからず、相変わらずのところも多いようで・・・。私は海外には一度も行ったことがないけど、海外ってこんなことが標準なんですね。「掃除する人がいるんだから、利用者は汚して当然」って思っているのかもしれないけど、そんなバカなことはアンタの国でやっといてくれ! ここは日本なんだからそんなことが通用するわけがないっていうことを「インバウンド受け入れ大歓迎!」なんていうなら、「日本では日本の常識に従っていただきます」という基本的なことも言っとけっつうの!! こんなことが日常茶飯事で起こるのであれば、「インバウンド税」あるいは「インバウンド加算金」のような制度を導入してほしいね。姫路城だったか外国人に対して入場料を割り増しにするようにしていたと思うけど、あのような感じで貸し切りバスやレンタカーなど二重価格にしてやればいいんですよ。「使い方が醜い外国人が多くてね、迷惑なんだよ」っていうことでいいんじゃないかな。文句があるなら借りてくれるな、もっというと「別に日本に来てくれなくていいから」っていうことで。ただ、割り増しにしてもゴミ散らかすヤツはいるんだろうな。「割り増しになっているんだからなにをやってもいい」って考えるバカタレもいるだろうし。 本当に日本が好きで、きれいな町並み、交通機関が気持ちいい、っていうなら、それがなぜ保たれているかっていうことを理解してから来てくれるかな。はっきりいってそんなことが理解できない連中には来てほしくないね。 それにしても、シューキンペーの指導がいいのか、あの国の連中ってどの国でもやりたい放題なんですね。現場では「マジできてほしくない」って思っているんだろうね。ネットのコメントでも醜い内容しか見当たらないし。
2024年10月09日
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私がいつも利用する王寺駅のはずれ、JRの職員用の建物の近くに車庫なのか物置なのかわかりませんが、緑色の構造物があります。以前は単に緑色の構造物だったと思うのですが、いつの間にかこのような状況になっていました。 大和路線で最後の活躍をしている201系に似せたものになっています。特徴をよくとらえていますね。「OJI」の文字が入っていますが、できたらその文字は向かって右側に入れておいてほしかったのですが(笑)。 それにしても車庫か倉庫かわかりませんが、何も描かれてなかったら単なる殺風景なものですけど、車両に見立てて描いてくれていたら楽しいですよね。
2024年10月08日
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今日は定期的に行っている歯医者へ行ってきました。3か月に一回の割合で歯の状況を診てもらっています。歯は大事ですよね、特に私の場合実家の母親が歯が悪いのを子供のころに見ていて、あんなふうにはなりたくないと思っていたので余計そう思います。おかげさまで、私の年代だったら歯が弱っている人もいる中で、虫歯はなくてよい状況を保っています。 それはさておき、今日行ってみると受付のところに「マイナ保険証」の案内がありました。みなさんはマイナンバーカードは持っておられますか? 私はかなり前につくりました。元々住民票などを仕事などの出先でも取得できるようにということでつくりました。ただ、そんなマイナンバーカードもご存じのように使い勝手は別として、「つくることは任意」だったはずなのに前のデジタル大臣が「保険証として紐づける」なんていうことを突然言い出したものだから、現場は戸惑っているようですね。 そもそも、国会議員の連中はマイナンバーカードを作っているのか? そして保険証との紐づけを行っているのか? 近々衆議院が解散されて総選挙になるそうなので、「立候補者がマイナンバーカードを作って、かつ保険証の紐づけを行っているか」を明らかにしてほしいものですな。当然国民に対して「マイナンバーカード作れ」「保険証との紐づけしろ」って言っている現デジタル大臣と元デジタル大臣、もちろんマイナンバーカードも保険証の紐づけも行っていますよね? テレビなどでアピールしているところを見たことがないんだけど、私が見たことないだけなのか? 持っているんだったら大々的にアピールしてほしいし、自民党のほかの議員にも積極的につくるよう指示していかないといけないよね。国民に言うからにはまず自分たちから。当然のことですよね。 衆議院が解散されて総選挙までの間、選挙期間になると投票を呼び掛ける街頭演説や集会、電話での投票の呼びかけがやってくるかもしれませんが、電話にかかってきたら聞いてみたいな。「あなたのところの先生は、当然持っていますよね?」ってさ。
2024年10月07日
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先日、仕事でJR奈良線を利用しました。その際に、JR奈良駅でJR西日本ではここだけで見られる車両を見つけました。まぁ、久しぶりに走っているのを見ただけで、通常運用されているんですけどね。 はい、205系ですね。 JR東日本管内ではごくわずかになっていると思いますよね。JR西日本管内ではもともと投入本数が少なかったこともありますが、JR奈良線の普通列車用に活躍しています。 写真は、0番台のクハ204-37ほかの編成で元々は東海道・山陽緩行線に投入されて、その後JR阪和線を経てここへやってきたものです。このほかにはJR阪和線に投入された1000番台も活躍しています。 この辺は、いつ一気に置き換わるかわからないので、気が付いたときに写真に収めるようにしています。
2024年10月06日
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今日は、札幌からお客さんがやってきました。2015~2017年まで出向していた際に一緒に仕事していたTさんで、それぞれ出向元へ戻ってもつきあいがあって、私が札幌へ行った時も一緒に飲みにつれて行ってくれたりして、遊んでくれています。今回は、Jリーグの試合観戦のためにやってきたのですが、それまでの時間、昼飲みしようということになりました。 まずは、大阪天満宮へ行って、そこから天神橋筋商店街へ。 天神橋筋商店街といえば、南森町にあるこの中村屋のコロッケ。今日は並んではいたけれどもそんなに長蛇の列ではなかったので、少し並んで買うことができました。 そこから歩いてJR天満駅近くにある居酒屋へ。天満酒蔵へ行きました。写真を撮るのを忘れてた・・・。 久しぶりに会ったので、歩いているときもそうでしたが近況の話などをしていました。出向先のメンバーとも連絡をとっているそうで、またタイミングが合えばみんなで会いたいなぁと話していました。 ところで、Tさんからお店のメニューにあったもので、「関東煮って何?」って質問が。なるほど、関西以外の人にはなじみがないかぁって思いました。「関東煮」は「かんとうに」ではなく「かんとだき」というのですが、要するに「おでん」のことです。ついでにいうと、関東のおでんは少し辛めなのですが、関西では少し薄味。しょうゆの違いかと思いますけどどうなんでしょうね。 そんな感じでアルコールもよく進みましたが、楽しい時間はあっという間。お開きの時間になって天六まで歩いてそこから列車で移動しました。 それにしても、10年近く前に一緒に仕事したメンバーと今も連絡を取り合って、タイミングが合えば会って一献傾けるってとてもいいことだなぁって思います。また次に会うのを楽しみにしています。
2024年10月05日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、今日食べることができたカレーです。 無印良品のレトルトカレーで、左側がバターチキン、右側がキーマカレーでした。ごはんは豆ごはんとなかなか贅沢でしたよ。
2024年10月04日
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今日の夜、妻の親戚のところに不幸があってお通夜がありましたのでJR奈良駅近くのメモリアルホールに行きました。その帰り、JR奈良駅で列車の時間待ちをしていたときに、一人のインド系の青年が私の方へやってきました。 「#$%@*>=~#$」 一応英語のようでしたが、ちょっとわからず・・・。いつものことながら情けない・・・。でも、「・・・Toilet・・・」という単語が聞こえたので「Toilet?」と聞き返すと「Yes!」とのことでした。JR奈良駅構内のトイレは、改札の外に出ると1階に下りないとないのです。一応「Under」と答えたものの、私のへたくそな片言の英語ではさらに説明する自信がありませんでしたので、その場所へ連れていくことにしました。 エスカレータを下りるとトイレが見えてくると、その青年も「Oh!」と言っていたのでよかったと思いました。そして、トイレの前まで連れて行って「Here!」というと「Thank you!」と喜んでいました。 私は海外へ行ったことがないのですが、逆の立場だったらちゃんと教えてもらえるんだろうかって気になります。日本語しか話せないので日本語で話しかけても「?」でしょうね・・・。やはり、私は海外には行けないなぁ・・・。行く予定はないけど(笑)。
2024年10月03日
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総務省は、携帯電話向けの新たな電話番号として、「060」で始まる番号を開放することについて、情報通信行政・郵政行政審議会に諮問した。審議会からの答えを経て、12月中に開放される見込み。 ユーザーが増えたことにより11桁になった携帯電話番号は、1999年以降、「090」だけだったが、利用される番号が増えるに従い、「080」「070」が開放されてきた。その結果、2億7000万という番号が利用できる状況となったものの、2024年度時点で080と090はすべて指定済み、070の残りは530万番号となっており、今回、060が開放される方針となった。 10月3日以降、意見の募集が進められ、11月中旬に電気通信番号委員会で検討し、その後、11月末に審議会からの答申を得る。その上で、12月中に公布と同時に060番号が開放されるといった案が示されている。【ケータイWatchから引用】 私は1997年12月に初めてケータイを持ちました。その当時、今はなくなりましたが「TUKA」(今のau)で機種はソニーでしたね。とても使いやすかったのを覚えています。そして、当時のケータイ番号は「090」から始まる番号で10桁でした。だから、「080-123-4567」(←実際の私のケータイ番号ではないのであしからず)のような感じだったのですが、11桁化に伴い、「090-8123-4567」(←実際の私のケータイ番号ではないのであしからず)のような感じになりました。なるほど、一桁数字を増やせばその分だけ電話番号が増えるんだからしばらくは使えるなぁと思ったのもつかの間、急速に増えるケータイ需要のために「090」から「080」や「070」などと次々に増えていきました。電話番号自体が限りあるものなので、解約などで空いた電話番号はそのままほかの人へ流用されるケースもあるようですが、前の人がとんでもない使い方をしていて、間違い電話がかかってくるといったこともあるようですね・・・。番号を使いまわすなら、一定期間は冷却期間を空けて使うようにすればいいのにね。 この度、「060」という新しい区分も使われるようになるようですが、これもどの程度の期間使えるのでしょうね。それでも不足するようになれば12桁化するのか? さすがにそれはできないんだろうな・・・。 ところで、車のナンバーも希望ナンバーの場合は特にアルファベットを組み合わせたものが見られるようになりました。つまり、「神戸330」のような数字部分が「神戸33A]のようになっているわけですが、先日見かけた車は「神戸3A1]のように数字の十の位がアルファベットになっていてかなり違和感を感じました。車のナンバーの場合は、人気の番号はどうしてもこのようになってしまうので仕方ないのかもしれませんが、事故を起こした車のナンバーをとっさに覚えることは難しいでしょうね。数字だけでなくアルファベットの組み合わせですから。 話を戻して、ケータイの「060」が割り当てられた人からそのうち電話がかかってくる可能性があるんですね。なんだか違和感あるだろうなぁ・・・
2024年10月02日
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タイヤ大手のブリヂストンは1日、国際オリンピック委員会(IOC)と結んできた最高位スポンサーの契約を今年いっぱいで終了すると発表した。パナソニックとトヨタ自動車も年末での契約終了を既に表明しており、現在契約している日本企業3社がすべて撤退することになる。【朝日新聞ネット版から引用】 ブリヂストンやパナソニック、トヨタがオリンピックの最高位のスポンサーをしていたのは知らなかったです。今年のパリオリンピックはほとんど見ていなかったので全然気が付かなかったのですが、最高位として契約している日本企業すべてが撤退するって、オリンピックには名前を出してもあまりメリットがない、という判断なんでしょうか。それとも、これまでの実績で十分に認知されたし、役目は終わったということなのでしょうか。いずれも世界に知られた企業ですからね、IOCからの引き留めはなかったのか、それともIOCは去る者は追わず、っていうところなのかな。 それにしても、日本でこの先、再びオリンピックが行われることはないと思うのですが、世界で行われるオリンピックで日本の企業名を見ることが少なくなるのは、さすがにちょっと寂しいかもなぁ・・・。
2024年10月01日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第49回目は神戸電鉄粟生線の木津駅です。先週の金曜日、この駅の近くへ出張してきました。 木津駅はこんな感じの橋上駅、というか山を切り開いて作られた工業団地の一角にあります。 液は立派ですが、無人駅です。 工業団地の一角にあるので、自動車で通勤する人が多いかな・・・。 駅周辺の工業団地は、「神戸テクノ・ロジスティックパーク(神戸複合産業団地)」と呼ばれているそうで、LPガス事業の伊丹産業やQBBチーズでおなじみの六甲バターなどが立地しています。 神戸電鉄も一部の区間が複線になっていまして、この木津駅周辺も複線になっています。 駅名標です。 新開地・鈴蘭台方面からの列車がやってきました。 この車両は1370形ですが、神戸電鉄の車両は1965年に登場した1000形から続く系列で25年間もマイナーチェンジなどを続けながら作られていた車両です、今回の出張では乗車することはできませんでしたが・・・。 そういえば、去年もこの神戸電鉄を利用して三木まで行きました。普段利用することがないのですが、路線的にはなかなか面白いので今度はプライベートで訪れてみたいと思いました。
2024年09月30日
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