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そんなことを考えつつ請求書を見る。良いのか、悪のか、ここもチップが含まれている。チップの計算は面倒くさいが、チップの意味を考えるとやはり腑に落ちない。とはいえ、私達日本人が 〝郷に入っては郷に従え〟というように、チップの習慣を理解できなかった、あるいは郷に入ろうとしなかった人々が多すぎたことの報いだと思うと、仕方がないのかなぁという感じもする。私だってその1人になりうる可能性は十分にある。自分なりにチップのことを調べては見たものの、理解しきれているという自信はない。 ここで、ホリディカードのことを思い出す。先ほどの割引のことなんてもう忘れている。私は 「ねえ、使えるか聞いてみようよ。」 「カードどこだっけ?」 ホースが 「あった!これっ」 と、請算しようとしていたラビットに渡す。するとラビットは何も言わずにそのホリディカードをお金といっしょにウェイターさんに渡してしまう。ウェイターさんはそのまま行ってしまった。 「どうして、何も言わないで渡しちゃうのよ!!お店の人判らないかもしれないじゃない!」 と私。あのままホリディカードが戻ってこなかったらどうするんだあ。あれはトロリーバスの乗り放題の特典もついて、これから使う予定があるのに・・・とハラハラ。またしてもラビットの訳のわからない行動だ。 しばらくするとウェイターさんはお釣りとホリディカードを持って戻ってきた。ホリディカードは無事、ホースの元に戻る。結局、注文の前に見せなかったからか、使えなかった。ラビットは 「割引してくれてるはずだからいいのよ」 しかし、請求書を見ただけでは、どんな特典があったのか判らない。ひょっとすると、割引ではなく、コーヒー&デザートのサービス付きということだったのではないだろうか・・・結局、言葉の不自由な私達にはこれ以上複雑な質問をする能力がなかった。 なんだか、すっきりしない気分でここを後にする。 明日はいよいよ今回の旅のメインイベント。ラビットとホースは早朝出発しなければならないため、そのままホテルに戻る。 部屋にも戻ってくると、就寝の前にちょっとラナイにでてみる。 煌くワイキキの夜景はあらためて素晴らしい。 つづく
2001年12月31日
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とにかく入ってしまった以上注文をしないわけにはいかない。メニューはたしか日本語だったと思う。またもや何を頼んでいいか悩む。表のディスプレーにあった見本はどうみても食べきれそうにない。 ウェイターさんと相談しつつ、シーフードサラダを3人で1つ。マヒを2つ頼んで1つはホースと私でシェアする。あと、ロブスターを薦められたが、昨日も食べたので‘今日はいいや’という感じだったのだが、ウェイターさんがあまりにも薦めるのと、ラビットも 「2人で食べたら」 なんて言っていて、もうどうでもよくなってしまった。 しばらくすると、ウェイターさんがまだ生きているロブスター見せに来る。これから、私達のテーブルに来るロブスターを調理する前に見せに来たのだ。思えば、注文を決めている最中、同じように見せていたテーブルがあったっけ。 店内の雰囲気はまずまず。トロピカルカクテルを飲んでいる人たちもいる。私も心惹かれたけれど、飲みきれないのが目に見えているので、今回は断念。でもどこかで飲んで見たなあ。ハワイ!って感じがするよね。 はやりここも見ていると日本人の姿は少ないように思う。店内もそんなに混んでいない。テロ前はどうだったのだろう? なかなか食べ物は出てこない。店内の時間はゆっくりと流れているようにさえ思える。 そのうち、シーフードサラダが運ばれてくる。 食べていると、次はマヒが運ばれてきた。これはラビットに1つ、私の前に1つきて、私の前のはホースとシェアした。 次はいよいよロブスターくんの登場。ウェイターさんが私達のテーブルの前に台を運んでき、その上に調理されたロブスターが乗った大きなお皿を置いた。そして、私達の目の前でさばいてくれる。さばき終わった所で、私達のテーブルの置かれた。 こうなると先ほどまでのブーイングも忘れ、わくわくしてくる。味の方もまあまあだ。 周りを見渡せば、コーヒーを飲んでいる人たちがいる。‘最後にでるのかなぁ’、と思っていたら、食事が終った頃にコーヒーが運ばれてきた。しばらくして、コーヒーも飲み終わると、そろそろ出ようかという事になったが、精算の仕方が判らない。テーブルで精算のような感じもする。しばらく周りの様子をみていると、アイスクリームを食べている人たちがいた。‘いいなぁおいしそう。デザートもついていればいいのに。’そう思っていたら、しばらくして大勢の分を一度に運んできた。どうも人が足らなくて、なかなか運べなかったようだ。各テーブルまわって、配っている。散々食べきれないのではないかと心配していたわりにはデザートは別腹らしい。 デザートも食べて満足。‘さて、そろそろ’と思ったが、精算の仕方が判らない。途方にくれていると、ようやくウェイターさんがやってきた。やはり人手が足りないようだ。めちゃめちゃ混んでいるというわけではないが、私達が帰ろうとしている頃にはだいぶ席が埋っていた。しかし、お客さんの出入りが激しいわけではない。この対応の遅さはきっと人手が足りないのだろう。同時多発テロの影響でハワイではリストラの波が押し寄せているという。ひょっとしたら、ここもそうなのかもしれない。 つづく
2001年12月30日
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ここでの買い物が終ると、買ったものをもったまま、食事に行くのも嫌だったので、いったんホテルに戻ることにする。今度は来たときの道には戻らず、クヒオ通りから、ロイヤルハワイアン通りを抜けて戻っていった。歩いているとデニーズやセブンイレブンがある。なんとなく日本のとは雰囲気が違う。デニーズの中を除けば、日本人らしき人が見当たらない。日本にもあるから入る気がしないのか、テロの影響なのかは判らない。 買ったものをホテルに置いてきたら、レストラン探しだ。‘今日はどこで食べよう。’といっても、‘何が食べたい’というものはない。ハワイ料理なんてものも食べて見たいが、食べれる所は少ないらしい。世界各国の料理が食べれる環境にはある。ハワイに来てまで日本料理を食べようという気にもならない。とりあえず。ロイアル・ハワイアン・ショッピングセンター内を探し回る。なかなか決まらない。 そのうち「アントニオ」というお店の前を通る。、ステーキ・シーフード・パスタと書いてはあるが、昨日も食べたロブスターがメインっぽい。あまり入る気がしない。ホースと私は通りすぎようとした。ところがラビットは 「ちょっと聞いてみようか?」 と、戻ってしまう。一体何を聞きに行ったのやら。しばらくすると、なにやら商談成立してしまったようで、私達を呼んでいる。 近づいて行くと、ラビットは店員さんに連れられて、どんどん中にに入ってしまう。ホースも私も不満に思いながら仕方なくついて行く。 席につくとふたりでラビットにブーイング。 「昨日も似たようなもの食べたじゃない!!」 「それに量が多そうで食べきれなさそう!」 特に食べたいものがあったわけでもないのに勝手な事ばかり言うふたり。ラビットとしてはこのままではいつまでたっても決まりそうもないと思っての行動だった。昨日使えなかった「ハワイ・バリューパス」が使えるかどうかも聞いたようだったがここは対象外であった。ラビットいわく、それとは関係なく割引してくれるというのだが・・・ つづく
2001年12月29日
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いったん部屋へ戻ると、手荷物の整理をして、夕飯にでかける。どこで何を食べるかまったく決めていない。 ラビットとホースは明日の朝、早く出かけなければならない。なんと、レストランがオープンする前に出発しなければならなくなったので、明日の朝食も調達しなければならなくなった。せっかくの朝食付きツアーなのに・・・と思ったが、朝食券をよく見れば、期限が帰国した翌日までになっている。帰国する日の朝食はついていないので、その時食べればいい。私はといえば、2人といっしょではあまりにも時間が早すぎるので、ひとりでレストランへ行くことにする。 朝食の調達には‘ハワイのスーパーマーケーットに行ってみたい!’ということもあり、スーパーマーケットを探す。持ってきた地球の歩き方を見れば、「フード・パントリー」というスーパーマーケットが、今朝、行ったシェラトン・プリンセス・カイウラニの近くにあるようだ。 地図をたよりに歩き出す。カラカウア通りからダイアモンドヘッド方面へ向かって歩き、シェラトン・プリンセス・カイウラニのプールへの入り口を通りすぎて、左に曲がるとそこはカイウラニ通り。歩いていくと、左側にはシェラトン・プリンセス・カイウラニの正面玄関。今朝、入って行ったところだ。少し歩いて、反対側の車線を見ると、イルミネーションの綺麗な建物がある。このあたりは、カラカウア通りより暗いので少し物騒な感じもするが、クリスマスを思わせる、あの建物の明かりが心を和ませてくれる。そのまま左側に沿って、歩いて行くと、いつのまにかカネカポレイ通りを歩いてる。交差点に出たところで、信号を渡って、左に曲がると、そこはクヒオ通り。あとすこし歩けば、あるはずなのだが・・・・・ 「どこだ~」 3人とも見付けられない。しばらくキョロキョロしていると、私が見つけた。 「あったぁ~!あそこじゃない!?」 もっと派手だと思っていたのだが、「フード・パントリー」はさりげなくそこにあった。中に入って見ると、‘お~!アメリカのスーパーだぁ!’それほど大きいスーパーという感じはなかったものの、日本のスーパーよりビックな感じがする。 売っているものはといえば、とりたてて目につくような物はない。日本の物も揃っており。日本にいるのとあまり変わらない感じさえしたが、よくよくみれば、はやりハワイならではのものも売っている。 ラビットとホースは朝食用に軽食を私はハワイアンソルトとコナコーヒーを探していた。私は2人と探しているものが違うので、勝手に店内をふらふらし始めたが、2人はついてくる。ラビットは関係のないところをうろうろしている私にイライラ気味。どこに何があるか把握しているわけでないし、店内なら迷子になることもない。好きに探せばよいと思ったのだが、3人で同じように行動しないといけないとでも思っているのか、ムッとしている。 そんなラビットを無視して、店内を歩き回る。どんなものを売っているのかも、一通り見てみたいし、どこのお店か判らないが、がかわいくラッピングされたハワイアンソルトが売られていると聞いていたので、お土産にできるかも・・・と思って探していたのである。見つけたのは直径3cmで10cmくらいの高さのボトルに入ったハワイアンソルトだった。7~8ドルもする上にかわいくない。手軽なお土産という感じではなかったので、ここでは買うのをやめた。他で、あるかもしれない。 コナコーヒーもここなら安く手に入るかもと思ったが、よく判らない。いろいろなメーカーのコナコーヒーがあって、どのメーカーがよいのかもやはり判らない。買いそびれる前に買ってしまおうと思い、一番ハワイっぽいパッケージのコナコーヒーを買うことにする。 その頃には2人も好きに朝食を探していた。いくつかのサンドイッチとタロイモのアンパンがあったので、それを食べて見るようだ。 買うものを決めたらレジに並ぶ。前にはひとり並んでいた。前の人は籠から品物を出し、台の上においていた。私達も買うものを置こうとするが、前の人のと混ざってしまいそう。そうしたら、前の人が仕切りを渡してくれた。どうやら、ここでは、前後の人の買うものが混ざらないように仕切って、籠から品物を出し、置くようだ。台は半円系になっていて、仕切りも扇型に仕切られていく。仕切りには文字が書いてあったようだが、なんて書いてあったのだろう?よく読まなかった。 つづく
2001年12月28日
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ここを出発すると後は各ホテルへ向かうだけ。 道中、ピンクの建物が遠く見えたが、病院あるであるらしい。病院とは思えぬ色だ。 そして、カハラマンダリンホテルの近くを通る。このホテルは日本の皇室の紀宮さまがご滞在されたことがあり、世界の著名人やVIPも訪れる。テレビドラマ「HOTEL」で一躍有名になったところでもある。 翌日行くことになっているのだが、イルカもいるというので楽しみ。 通りを眺めていると日本の自動車メーカーがあちこちで見られる。ガイドさんは 「トヨタの社員の方いませんか?」 「・・・」 返事がない。こんどは 「ホンダの社員の方は?」 ホンダの社員はいたらしく、手を揚げているようだ。 「ハワイではホンダの車が一番多いんですよ。」 と、ガイドさん。別にホンダの社員の方がいるからそう言っているわけではないらしいのだが、トヨタがいたらトヨタが一番というつもりだったらしい。 だんだんヒルトン・ハワイアン・ビレッジというホテルに近づいてくる。ガイドさんは 「今日お誕生日の方、いらっしゃいませんか?」 と、聞く。誰もいないようだ。少々ガッカリ気味のガイドさん。 「いらっしゃらないなら話してもしょうがないのですが・・・」 と言いながら、その近くに「トーダイ」という、行列ができるほどのレストランがあって。誕生日の人はただで食べれるということを教えてくれた。65歳?以上人も何パーセントだか割り引きになるという。近くにきて、見てみると、本当に並んでいる。時刻は18時頃だろうか? ヒルトン・ハワイアン・ビレッジで、ご滞在のお客さんが降りると次のホテルに向かう。バスの中から今降りた、老夫婦の様子を見ていると、さっそく「トーダイ」へ行こうとしているらしく、そちらの方に向かって歩いていた。 ガイドさんはこのあとにもおすすめレストランを教えてくれた。このあたりまで、戻ってきてしまうと、説明することもほとんどないようだ。ただ、 「ハワイにはアラブ人はいない!だからハワイは安全だ!日本に帰ったら、そう皆さんに伝えてください。」 と言っていた。このガイドさんは本当は隠居したいが日本語を話せる人が少ないから、パートタイムで働いているという。同時多発テロの前までは土日に働いていたのだが、あれ依頼仕事が減って、日曜だけ働いているということだ。 何件かホテルを回っているうちに私達が泊まっているホテルに到着。ガイドさんともお別れである。とっても楽しい説明だった。もう1日同じガイドさんで同じツアーに参加したい気分だ。 こうして、楽しいオワフ島一日観光は終った。 つづく
2001年12月27日
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いよいよ本日の最終目的地である、アリゾナミュージーアムに到着。 パール・ハーバーにあるホノルル空港から、およそ2マイルのところにある。1941年12月7日、日本の海軍によって爆撃された船に乗っていた1,177人もの多くの乗組員が眠る場所であり、その船体からは、今も重油が流れ出し続けている。 博物館の中には何も持って入ることができない。それを知らずにやってきて、入れない観光客の方も多いらしい。私達は貴重品だけを持ち込むことが許された。その他の荷物は観光バスの中に置いておく。しかし荷物の保障があるわけではない。 中に入ると、ガイドさんが簡潔にいろいろ説明してくれる。 同時多発テロという前代未聞の悲惨な事件の後である今回、この場所をじっくり見学する意味は大きい。まったく戦争を知らずに育ってきた世代である我々にとって、あらためて見つめなおすよいチャンスだ。 日本がこの真珠湾攻撃に成功した影にはアメリカの3つの失敗があった。 1.飛行機を1箇所に集めた。 2.日曜日で休んでいた。 3.飛んでくる飛行機を見方と勘違いした。 本来、飛行機は敵からの攻撃があっても、対応できるようにバラバラに置いておくものなのだが、この時ハワイでは、飛行機を1箇所に集めていた。というのは、日系人が多く住んでいたために、いたずらされることを恐れていたのだ。しかし、このことが裏目に出て、この一回の攻撃で壊滅状態に陥ってしまったのだ。 第2の失敗は日曜日だということでお休みしていたということだ。日本軍はそれを知っていて、攻撃してきたのだが、これが裏目に出てしまう。 第3の失敗は飛んでくる飛行機を見方と勘違いしてしまったこと。飛行機が飛んでくることは判っていたのにそれが敵だとは夢にも思わなかったという初歩的なミスである。 これらのアメリカ側の失敗により、まんまと成功を果たした真珠湾攻撃であったが、日本軍の方にも失敗はあった。 1つは小さい戦艦をやらなかったということ。 1つは油を狙わなかったということである。 これにより修復可能な船は修復し、戦艦として復活してしまうのである。日本軍の言い分としては民家が近く似合ったので意図的に攻撃しなかったということなのだが・・・真偽はいかに。 開戦当時、その光景を目の当たりにしたガイドさんにはいろいろな思いがあるようで、この他にもいろいろ説明をしてくれた。 建物の中での説明が終ると、外に出る。 奥には海中に横たわる戦艦アリゾナ号が見える。夕日をバックに望む船は不謹慎にも美しく見える。ガイドさんは写真を撮ろうとしているお客さんに 「逆光だけど、カメラに日陰を作ってやれば撮れますよ。」 と、言い、そばにあった木を指して、 「この木の影で撮れば、撮れますよ。」 すごい!!写真の撮り方まで知っている。さすがガイドさん。感動しつつ私もそのとおり撮ってみる。ちょっとプロが撮ったみたいな夕暮れの中の船、という感じで撮れた。実際より夕方に見える。 17時に閉館であるここは、ぎりぎりにやってきた私達には見学時間は30分ほどしかなかった。 つづく
2001年12月26日
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このあと、ドールパイナップルパビリオンへ向かう。 ハワイといえばパイナップル。 かつて、ドールさんによって創設されたドール社はパイナップル缶詰で大成功を収めた。しかし、盛んだったパイナップル産業は急速な近代化の波と共に、現在は衰退の一途をたどっている。 ここにはそのドール社のビジターセンターと畑がある。 「ここはパイナップルアイスクリームがおいしいですよ。けっこう大きいので、二人でシェアして食べてもいいですね。」 と、言うのはもちろんガイドさん。早速私達も買う。私はワッフルコーンが好き。大きさも大き目とはいえ、食べきれそうだったので、1人でひとつ食べることにした。カップや普通のコーンもあったが、ラビットとホースも私と同じ物を頼んだ。昨日のパイナップルアイスクリームほど酸味はない。うまい!! しばらく、おみやげ物などを見ていると、同じツアーのお客さんがコーヒーを買おうとしていた。近くにいた、ガイドさんは「ハワイでコーヒーを買うなら、‘コナ’と書いてあるものがいいですよ。‘コナ’と書いてあるコーヒーがおいしいんです。」バスの中でも言っていたような気がする。ハワイといえば、コナコーヒーがおいしいと聞いていたので、私も探していた。いろいろなメーカーのコナコーヒーがあって、どれを買っていいのか判らない。価格も少し違う。しかし、ガイドさんは‘コナ’と書いてあれば、どれでもおいしい。そのくらいの情報しか持っていないらしかった。LOINというメーカーが有名らしかったが、パッケージがイマイチ気にいらない。ここで買わなくても、買えるだろうと思い、もう少し悩むことにする。 一通り見終わって、皆が飽きてきた頃、再びバスに乗り、次の目的地へ向かう。その途中、このドール・プランテーションの畑を見るために下車する。ここは観光客に見せる為の畑。周りには商品にする為の畑があった。 以前どこかの植物園などで見たこともあるような気はするが、全然記憶にないので、初めてかもしれない。あらためて、パイナップルがどうなっているか見る。ある1点の土の中から何本もの細い葉が上に向かって、高さ50cmくらいのびている。外側に広がっているその葉の中央にうずまるようにパイナップルの実はなっていた。 ガイドさんは 「写真は撮っていいですけど、採らないでくださいね。」 と、冗談を言う。そういっていたのに、ダメになりかけたパイナップルを見つけると、 「これは採ってもいいですよ。ほらっ!」 と、近くにいたお客さんに採って渡す。そのあと、そのパイナップルがどうなったかは知らない。 ガイドさんは学生時代、パイナップル農場で、収穫時期にパートタイマーで働いていたそうなのだ。パートタイマーとは日本でいうアルバイトのことである。アルバイトという言葉は外国語のようであるが、日本語なのだ。 当時はまだ、ハワイでのパイナップル産業は盛んで、パイナップルを収穫して箱に詰めるという作業がパートタイマーの仕事だった。時間給ではなく、詰めた箱の分だけ賃金が支払われる歩合制だったらしい。 見学も終り、バスに戻ろうとすると、よく知ってている違うメーカーさんの看板が目に飛び込んできた。隣にはドールさんの看板もある。この見学用の畑はドールさんの畑だとばかり思っていたが、ドールさんの畑は隣だったのかも・・・ つづく
2001年12月25日
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グリーンカーの前には別のバスが止まっていて、日本人でないと思われる方々が乗っている。グリーンカーよりカラフルで綺麗そう。そして、走る音は静かそうに見える。そこに、フォーカス2000のカメラマンが乗りこんだ。そういえば、行きもポイントポイントに待機して、ビデオを撮っていたっけ。帰りは前の車から撮るのだろうか?そう思ったが、前の車は先に走りだし、こちらの車はまだまだ動かない。カメラマンはどこかに消えてしまった。 しばらくして、こちらの車も走り出す。来る時と少し違った道を走るようで、また違った説明をしてくれる。帰りは植物の話しよりも生活文化の説明が多かったように思う。そのうち、先ほど先に行った筈のカメラマンがカメラを構えて待っていた。仕事熱心である。ここは広い。何度も来ているだろうから撮影のポイントも心得てはいるのだろうが、思わず園内を走りまわったにちがいないと思ってしまう。こうなると、‘ビデオ買わないといけないかなぁ。’と日本人らしい感情を抱いてしまうのであるが、最終的にはどうするのやら? つづく
2001年12月24日
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このあと、ダイビングショーを見に行く。 レストランのガーデンを抜けた所にある入園門を通る。個人で来た場合、ここで入場料を払うようだ。ガイドさんは 「門を抜けるとグリーンカーがありますから。皆さんがこれから乗る車はグリーンカーですから、グリーンカーに乗ってください。」 と言っていた。ガイドさんも日本の事に詳しくて、 「日本のグリーン車とは違いますからね」 なとど言っている。ハワイには電車は走っていない。当然これは緑色をした車ということなのだ。 グリーンカーを見付けると、皆が揃うのを乗って待つ。 皆が揃うと、ワイメア滝へ向けて出発。この先戻ってくるまで、ガイドさんを見かける事はなかった。代わって、このグリーンカーの運転手である金髪の白人の青年が、ここから先の案内人である。彼はモルモン教の関係だったか忘れたが、名古屋に2年ほどいたそうで、日本語がとても上手である。一瞬、今までのガイドさんより流暢な日本語に聞こえたが、バスを運転しながらの説明は早口になりがちで、しかも、バスの音はかなりうるさかったので、どんな説明をしてくれているのかよく判らなかった。変な訛はあっても日系二世のベテランにはかなわない。 途中、日本人でない観光客の方がこのバスに乗ろうとするらしく、日本語案内人のこの青年は 「この車は日本語専用です。」 と、もちろん英語で説明している。かなり長い説明で、次にいつバスがくるとかそういったことを説明しているようだったが、よく聞き取れない。 園内あるいろいろな植物の説明をしながら、ワイメア滝へ到着。 滝の前にある階段式の長椅子に座って、ショーを楽しむ。滝より手前にある池?では泳いでいる人たちがいる。彼らがこれからダイビングするのかと思ったが、しばらくすると、その人たちは池?からあがってしまう。 そのうち、先ほどのグリーンカーの青年が英語でこれからはじまるショーに関するアナウンスをする。そのあと、日本語でも簡単に説明し、それが終ると、池?の前で2人の女性によって、フラダンスが披露される。何回か披露すると、いよいよダイビングショーの始まりだ。 フラダンスを披露した女性とは別の大柄の女性がダイバーを紹介する。 ダイバーは2人。1人はチャンピオンらしい。両者は滝を挟んで左右に向かった。左側の人は開始の法螺のような形の楽器でファンファーレを吹きながら所定の場所へ向かう。 まずは低めのところからジャンプ。左側から1人、次に右側にいるチャンピオンの人がジャンプ。綺麗に決まった。ふたりは再び滝の両脇に待機する。今度は少し高めだ。そうやって、少しずつ高い所にチャレンジしていく。ある程度上に行くと、左側にいた人も、右側のチャンピオンの隣へ行き、同時にジャンプした。これも華麗に決める。この同時のジャンプも数回やると、チャンピオンの人が1番高いと思われる難所に向かい、最後の披露をして、ダイビングショーは終った。 このあと、会場にいた皆でフラダンスを踊る。先ほどのダンサーにダイバーを紹介した大柄の女性も加わって、彼女達の踊るように、私達も踊る。場所が狭すぎて踊ったという感じはしなかったが楽しいひとときであった。 そして、ショーの全てが終ると、グリーンカーへ戻る。 皆が揃うのを待っていると、椰子にストローを挿したココナッツジュースを飲んでいる人たちがいた。生まれてから一度も飲んだ事のないココナッツジュース。私も飲んで見たかった。近くに売店はあったが、どうも先ほどのダイビングショーの会場のそばで売っているようで、買いに行くことができない。ここから会場までは数分歩くからだ。もうじき発車するかもしれないグリーンカーを降りて、同じツアーの方にご迷惑かけるわけにはいかない。恨めしく思いながら、バスが走り出すのを待つ。‘まだハワイに来て2日目。どこかで飲めるチャンスはあるさ!’と希望を持ちながら・・・ つづく
2001年12月23日
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その後、~ポロ牧場~クアロア牧場~ポリネシア文化センター~を経て、ワイメアフォールスパークヘ向かう。途中、チャイナマンズ・ハットや、トラの形をした崖を見たり、椰子の木の話し、蘭の畑、パンの木、いろいろ説明を受けたが、このあたりに来ると時差ぼけか、とても眠くなってくる。睡魔との戦い。ガイドさんの言っていた通りになりそうだ。かすかに起きてはいるもののガイドさんの楽しいお話しはさっぱり聞けなかった。サンセットビーチを通る頃ようやく目が覚めてきた。ここはサーフィンのメッカ。夕焼けの美しさからサンセットビーチと呼ばれるようになったそうだ。ここを通りすぎると、まもなく、ワイメアフォールスパークに到着。 まずは昼食タイム。レストランへと向かう。途中、左右の耳に白い花を飾っている女性とすれ違った。蘭の花だろうか?とってもハワイっぽい。‘あのお花どうしたんだろう?’ ガイドさんの指示にしたがって席につく。ここはバイキング形式になっている。ガイドさんはどんな料理があって、これがおいしいとしきりに言っていた。ここではアイスティーはお代り自由だからたくさん飲みなさい。というようなことも言っていた。 葉の形をした木のお皿にサラダやお肉と少しずつ、ほぼ一通り盛った。デザートだけお皿にのらなかったので、食べ終わってから取りに行く。ココナッツのケーキだ!フルーツもある。ラビットとホースはやはりフルーツを、私はココナッツケーキを食べる。ケーキの上に削り節のようにトッピングされたココナッツの舌触りがイマイチだったけど、おいしかった つづく
2001年12月22日
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次にセネター・フォング植物園にやってきた。 ここではレイメイキングをする。作り方はあらかじめバスの中でガイドさんに教わったが、ここでもお姉さんたちが説明してくる。 渡り廊下のような場所には8人掛けのテーブルが20くらいあり、各テーブルにはレイの花材が入った籠が置いてある。皆がテーブルにつくと、糸と針が配られた。 レイメイキングには10cmくらいの長さの針を使う。この針は洋裁用の針と違って、糸を通す穴がない。60cmほどの長さの糸の先端をあらかじめ、輪にしておき、釣針のようになっている針の穴に該当する部分に、引っ掛けるようにする。準備ができたら、いよいよレイ作りだ! まず、大きい花を2つ針に通し、幅2cm、長さ30cm位の葉っぱをくるくる巻いて、針に通し、次に小さい花を2つ針に通す。この段階ではまだ糸に通していない。長い針にこの5つが通ったら、5つを手で覆うようにして、糸の先端へと通す。糸の先は10cmほど残しておく。ガイドさんは 「この作業を8回繰り返す、言われると思いますが、もっとやってやってかまいませんから。10回~12回位がちょうどいいと思いますよ。」 と言う。なんでもお花の数よりハワイに来る人の数の方が多くなってしまって、かつて、生花でできたレイでお出迎えをしていたのに、できなくなってきているようだ。 空港では私達もプラスチックでできたレイをかけて、記念写真だけ撮ると返却するように言われたっけ。 そういえば、州がお出迎えのレイはすべてプラスチックにしよう。という提案を出し、ブーイングにあったという話しを聞いた気がするが、その後どうなったのだろう。かなりの花不足のようだ。 とはいえ、ガイドさんは 「たくさん使ってかまいませんから。どんどん使いなさい。」 私はお言葉に甘えてふんだんに使う。12回はやっただろうか。最後は輪にしてできあがり。短いレイを作った人は冠のように頭にのせていた。私は長めにできたので首にかける。よくよく他の方のできあがったレイを見ると、私のより大きなもっと色のいいお花を使っている男性がいた。いいなぁ。たまたま私の目の前にあったお花は小さめで、少々元気がなかったのが残念。 レイを作っていると突然スコールが振ってきた。ガイドさんは何事もなかったような顔をしている。ここは熱帯地方。よくあることなんだなぁ、と実感。傘だって持ってないのではないだろうか。 その間も黙々と作っていく。仕上りのまではだいたい30分だっただろうか。私も早いほうではなかったが、まだ一生懸命作っている老夫婦がいた。彼らが最後のようである。早く終った人は目の前に広がる植物の前で記念撮影を撮ったり、隣のお店でお買い物などをしたりしている。ここはTシャツが安いらしい。 ここを出発する頃には雨もすっかりやみ、晴れてきた。 つづく
2001年12月21日
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ガイドさんの説明は楽しい。次から次へといろいろな事を説明してくれる。 消防署を見付けると、 「しょうぼうしよー!」 と叫ぶ。 「ハワイは火事がない。だから消防署は暇なんだ。ほら!シャッターが閉まっているでしょ!」 確かにシャッターは閉まっている。ガイドさんは消防署を見付けるたびに 「しょうぼうしよー!」 と叫んだ。その度に ?消防署は暇なんだ!」 と言う。 ハワイの消防車は黄色い。以前は日本のように赤であったが、赤というのは夜になると、見えにくく目立たないため危ない。そこで昼でも夜でも目立つ色として、黄色が選ばれ、現在では黄色に塗り替えられているというのだ。1箇所だけ開いていた消防署があり、確かに黄色い消防車と黄色のヘリコプターを見ることができた。 また、このガイドさんは駄洒落がめちゃめちゃうまい!!絶妙のタイミングで次から次へと繰り広げる。このひっきりなしにつづく数々の駄洒落をご紹介できないのが残念。これは生で聞くから楽しい。日系二世とはいえ、やはりアメリカ人。ユーモアセンスは抜群である。 そのうちNORIKO’S HAWAIIへ到着。 同時多発テロの前までは、いつも観光バスが5台くらい止まっていたらしいが、今、止まっているのは私達が乗ってきた観光バス1台だけである。 ここは黒珊瑚が安い。店に入ると、本物と偽者の見分け方を説明してくれる。ここへ着たら黒珊瑚、と散々説明された。提携してるんだろうなぁきっと。ただ、以前、ここでTシャツを買われた方がいらして、次に行ったところの方が安く売っていたのでガイドさんに文句を言ったらしい。 「どうして教えてくれなかったんだ!」 と。ガイドさんとしては黒珊瑚が安いということを言ったのであって、Tシャツが安いとは言わなかった。買ったのはお客様の自由であるのだが、また、文句を言われちゃかなわないと思ったらしく、 「Tシャツはこれから行くところの方が安いですからね。」 と言っていた。 アクセサリーをつける習慣のない私は特に買うものもなく、珊瑚は買わなかった。持って来たミネラルウォーターがなくなってきたので、ここで買う。 つづく
2001年12月20日
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まずは、ダイアモンドヘッドへと向かう。ダイアモンドヘッドは火山の噴火によってできたクレーターで現在は死火山である。ハワイ語では「ラエ・アヒ(マグロの眉)」と呼ばれていたが、19世紀初めに、イギリスの水夫たちがこの山にごろごろしていた方解石の結晶を、ダイヤモンドと勘違いした事からダイアモンドヘッドと呼ばれるようになったそうだ。ハワイの地名のほとんどがハワイ語である中、異色の英語名である。 標高232mのダイアモンドヘッドはハイキングする事もできる。クレーターの中にるある駐車場のわきの入り口から入場すると、登頂できるが、このツアーでは時間がないので、駐車場から眺めるだけある。このハイキングコースは元は軍事利用のために作られそうで、当時はこの道を使って何かを運んでいたそうだ。その名残か、駐車場の周りには今も軍の戦車などが置かれている。 バスの中からの見学が終ると、ハワイカイマリーナ~ココマリーナ~を経て、ハナウマ湾へ。 ハナウマのハナは「入江・湾・渓谷」、ウマは「曲線状の」という意味があり、ハナウマ湾とは曲がった湾という意味だそうである。ココヘッドクレーターの岩壁が崩れて海水が入りこみ湾状になったそうだ。湾の入り口に珊瑚礁が発達しているので、外海の波が湾内に入らず、穏やかである。そして、オワフ島で唯一お魚を見られるところ、と言っていたように思うが、ハワイではどこでも、ちょっと、海を覗けば見れるという話しも聞いたことがある。果たして真実はいかに。 ここではバスから降りて10分ほど景色を堪能。崖の上から浜辺を一望する事ができる。砂浜でのんびりしている人、海で泳いでいる人などが小さく見える。海は遠浅だと思いこんでいた。実際そうらしいのだが、膝くらいの浅さだと勝手に思いこんでいたため、そこまで浅くない事が判明した。ここではシュノーケルを楽しむ人が多いことを思えば、すぐに気がつきそうなものだが・・・ 持って来た双眼鏡で海を覗いて見ると、小さな魚の群れらしきものがみえる。光の加減のようにも思えたけれど、きっとあれはお魚にちがいない。グレーの細長いお魚に見えたのだ。 曇り空であったため、思い描いていたハワイらしい、南国といった感じは、まだ体感していない。晴れていたらもっと美しい景色だったであろう。 ここでの見学が終ると、次の目的地へと進む。 つづく
2001年12月19日
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今日はオワフ島一日観光をする。7時55分集合だが、少し余裕持って、ホテル正面玄関に到着。泊っているホテルまで迎えに着てくれるのだ。胸にツアー会社から渡された黄緑色のステッカーを貼る。これがツアー参加の目印になる。正面玄関という指定にもかかわらず、正面玄関より西側の長椅子に座って待っていた。 しばらくすると、オレンジ色を基調にした、ド派手なアロハシャツを着たおじさんが、駐車場の方からやってきた。お迎えの人らしい。ホースの胸に貼ってあったステッカーをはがすと、 「これはいらない。今日は青のステッカーだ。」 と言って、新しいステッカーをホース、ラビット、私のそれぞれに配り、 「駐車場に待つ〇〇〇番のバスに乗って待っていてください。」 と言って、正面玄関の方に行ってしまった。 一瞬、シェラトン ワイキキに滞在中の人の参加は、私たちだけかと思ったけれど、駐車場から正面玄関へ向かう途中にある長椅子で待っていた私達を、正規の場所で待っていた人たちより先に見つけたため、声をかけただけのようだっだ。 バスに乗ると、中には他のホテルから乗ってきたと思われる方が2人乗っていた。ガラガラだったため、好きな場所に座る事ができた。景色がよく見えそうな1番前を陣取る。しばらくすると、先ほどのおじさんが7~8人連れて乗車。テロの影響で参加者は少ないのかなぁ、などと思っていたが、このあともあちこちのホテルを回り、最後には満席になった。 しかし、テロの前だったら、こんなに何件もホテルを回らなくてもお客さんはいっぱいになったのではないかと思われる。聞いてみればよかったかな? いよいよ、出発。先ほどからお迎えをしていたおじさんは本日のツアーガイドさんだった。日系二世の方で流暢な日本語だったが、なんとなく英語のネイティブスピーカーらしい訛がある。両親が英語をあまり話せない、生粋の日本語を話していても、日本で暮していないと、変な訛が手でしまうものなのだろうか? 他にガイドのおじさんと同じド派手なアロハシャツを着たドライバーさんと、ブルー系の服をきたフォーカス2000のカメラマンが乗っていた。このカメラマンは旅の記念にその日のツアー全行程を撮影し、ツアーが終ると、1時間25分のVHSビデオに2時間ほどかけて編集するそうだ。はじめの8分は著作権のクリアーされているハワイ紹介フイルムで、その後この日のツアー全行程が、ガイドさんの説明や私達の声と共に収録されてるらしい。1本 US100ドルもするという。 日本人はよくバスの中で居眠りをしてしまって、せっかくの景色を見逃してしまので、そんな人や旅の記念にもなるのでぜひ買って帰ってください、とガイドさん。商売上手である。 つづく
2001年12月18日
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目覚ましを5時半にセットしたが、目覚ましより前に目が覚めてしまった。今日は7時55分集合である。その前に朝食を済ませなければならない。「うれしい!朝食付!ホノルル 8日間」プランで申し込んでいる。出発日の朝食を除く5日間の朝食付きで、シェラトン・ホテルズの4つのレストランから自由に選ぶ事ができる。この日はシェラトン・ワイキキから1番遠いシェラトン・プリンセス・カイウラニの『ピカケ・テラス』へ行くことにする。 通りはまだ、人通りが少ない。道路は一見工事をしているように見えたが、どうやら人通りの少ない朝のうちに清掃をしているらしい。マラソンをしている人が目につく。12月のホノルルマラソンに向けて走っているのだろうか? カラカウア通りを歩いていると、左側にシェラトン・プリンセス・カイウラニのプールへの入り口らしきところを見つける。ここからレストランへ行けるかどうか判らない。入り口の前にはテーブルと椅子が並んでおり、何人か座っている。 ここから入れそうだか判らないので、通りすぎ、カラカウア通りから左に曲がるとそこはカイウラニ通り。少し歩くと、左側に正面玄関らしきところがある。そこから入っていくと、『ピカケ・テラス』をすぐに見付ける事ができた。プールの隣に『ピカケ・テラス』はあった。プールの向こう側には先ほどの入り口らしき所が見える。ここからも出入りは可能であったが、そこからはレストランの入り口を見つけるのは難しかっただろうと思える。 早速、席を案内されて、飲み物を聞かれる。ラビットはコーヒー、ホースと私は紅茶を頼むと、お料理を取りに行く。----カタログには--------------------------------------------------------------「フレッシュな地元の素材を、バラエティー豊かに調理した自慢のコンチネンタル料理やビュッフェ、サラダ・バーなどをたっぷりお楽しみ下さい。」●出来たてワッフル●ハッシュド・ブラウン●ベーコン・ソーセージ・コンビーフ●パンケーキ・フレンチトースト●シリアル●パンの盛り合わせ●フルーツの盛り合わせ●絞りたてジュース●ご飯・日本食●ミルクなど------------------------------------------------------------------------ となっていた。 私はここに着たらパンケーキと心に決めていた。どこにあるか判らない。ラビットが通路の向こう側もこのレストランのコーナーだと発見!ちょっと判りにくい造りだ。テーブルがあって、パンや飲み物のコーナーがあって、入り口がある。その先に通路を挟んで、パンケーキやサラダ、日本食などがおいてあった。『ピカケ・テラス』とは違う別のレストランかと思ってしまう。 1番のお目当て、パンケーキの隣にはベルギーワッフルもあった。パンケーキにたっぷりのメイプルシロップをかけ、ベルギーワッフルにはイチゴのソースをかける。隣にあったハッシュド、ベーコン、ソーセージをちょっとずつ盛り、隣のコーナーからは日本食もあったが、サラダを盛った。 いつも朝食はご飯なので、こういうのに憧れていたのだ。うきうきでテープルに戻る。 ラビットは私のを真似て同じようなものを選んだようだった。ホースはご飯に味噌汁、納豆といった、いつもと変わらぬヘルシーメニュー。食後に果物をラビットとたらふく食べていた。 私はといえば果物の代わりにパイナップルジュースである。 少々食べ過ぎたような気もする。食べ終わると、フールサイドから先ほど通ってこなかった入り口を目指して歩き、そこからホテルへ帰ることにする。時刻はちょうど7時。入り口を出て目の前にあるテーブルの席に座っていた人たちが立ちあがると、左側にあるファーストフードてへ入っていく。ミスタードーナッツだったと思うが記憶は定かでない。2~3のファーストフードが一緒になっているようで、先ほどからいた人たちはオープンを待っていたのだ。私もこういう朝食を・・・と思ったが、最後の日以外は朝食付きにしてしまったため、結局、チャンスがなかった。 部屋に戻り、身支度を整えると、本日のオプショナルツアーの集合場所であるホテル正面玄関へ向かう。 つづく
2001年12月17日
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なにはともあれ、メニューに目を通す。ここは日本語は通じないがメニューには日本語と英語の両方で書かれていた。注文の仕方がよく判らない。前菜とかメインディシュ、のような書き方をしているが、最後のページのものはセットメニューに見える。言葉に不自由な私達はうまく質問する事ができず悩む。へたに注文して大量にきてしまっても困る。何度も「Just a minute」 と待たせてしまう。そのうち一番最後のページにあるロブスター&ステーキがうまいと薦めはじめた。それで、きっとこのページはセットメニューにちがいないと思った私達はこの中から選ぶ事にする。散々悩んだ挙句、ホースと私はハワイアン・ロブスター・チーズ添えを、ラビットは店員が薦めるロブスター&ステーキを頼んだ。ハワイアン・ロブスター・チーズ添えは23ドルくらい。ロブスター&ステーキは19ドルくらいしたと思う。かなり予算オーバーな感じもしたが、たまにはいいだろう。 まあまあおいしかった。 ときどき照明が明るくなったり、暗くなったりする。そのときになってようやく気づいた。このレストランは回転しているのだ。ゆっくり、ゆっくり、1時間くらいかけて1周する。これが360度夜景を見る事のできる レストランの特徴だった。 景色もいつのまにか変わっている。ダイアモンドヘッドが見えるあたりに来ると外は真っ暗。夜景はほとんど見えない。こちら側はあまり建物がないようだ。昼間ならダイアモンドヘッドが見えるのかもしれない。 曇り空で心配したが見えるべき所の夜景はちゃんと見えているようだ。とっても綺麗!! ちょっと多めの夕食も食べ終わり、コーヒーや紅茶はどうかと聞かれる。これもセットなのかと思ったが、別料金かもしれない。そう思って注文して見た。やはり、別料金だったようで、請求書には6ドルだったかな?請求されていた。よくよくみれば、サービス料まで込みになっている。ラビットは面倒な計算がなくてありがたがっていたが、本来チップとはサービスの良し悪しで決めるもの。チップの習慣のない日本人が、きちっとチップを払わない事によって、このようにサービス料込みで請求してくるレストランが増えているという。この事によってハワイ在住の日系の方が迷惑していると聞くと喜ぶべき事ではないように思う。そして、もしサービスが悪かったと感じたときは、請求されているサービス料を減らして払う事も可能なのだろうか?謎である。 精算を終えて、外に出る。雨はやんだようだ。飲み物の調達をするためABCストアに行ってみることにする。ミネラルウォーターと紅茶のTパックを買うとぼちぼちホテルに戻る。まだ、時差ぼけしてる。明日も早い。早く寝て時差ぼけを治そう!! 部屋に戻ると、お風呂に入る。このホテルは隣のお部屋の音が良く聞こえる。あまり遅くまで起きていると迷惑に違いない。早めに就寝仕度する。 寝る前にラナイからちょと外を眺めて見る。夜景が見えるぞ!しかもとっても綺麗!!ひょっとして、いや、ひょっとしなくとも『トップ・オブ・ワイキキ』より綺麗な夜景。なにもあそこのレストランで見なくともこの部屋からは絶景であった。オーシャンフロントでなくてがっかりしたが、このお部屋は夜景の良く見えるとてもいいお部屋だったようだ。今後の日程を考えると、明るい時間に戻ってこれるのは滞在期間の半分。オーシャンフロントよりかえって良かったのかもしれない つづく
2001年12月16日
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そこは「ワイキキ・ビジネスプラザ」の21階にある『トップ・オブ・ワイキキ』。入ろうとしたら、エスカレーターの前にトップ・オブ・ワイキキの大きな看板が立ちはだかる。ワイキキ・ビジネスプラザは18時頃閉まるようだ。一瞬『トップ・オブ・ワイキキ』も閉店かと思うが、目の前に立ちはだかる巨大な看板には営業時間17時~22時となっている。他に入り口がないか探す。 あった!あった!奥の方に・・・エレベーターが!エレベーターに乗り21階と押す。すると18階で止まり、3~4人乗ってきた。そのまま乗っていると、エレベーターは下へ下ってしまった。あれれ?思っていると、18階で乗った方の1人が何やら言っている。「レストランへ行くの?」「レストランへ行くのなら18階で降りないとダメよ!」 そう言っているようだった。どうやら、このエレベーターは18階で乗り換えなければいけないらしい。そう思って降りると、乗り換えるべきエレベーターが判らない。少し歩くと、黒人のカメラマンらしき青年が荷物を整理している。私達が迷っていると、なんと言ったのか判らないが、「レストランはこっちだよ。」 と教えてくれたようだ。 彼に教えられた方へ行く。そこにはエスカレーターがあった。18階から上はエスカレーターを使うらしい。ワイキキ・ビジネス・プラザというビルだけあって、オフィスビルといった感じのエスカレーターを上っていくと、ようやく『トップ・オブ・ワイキキ』にたどりついた。 混んでいる時は行列ができるのか、20人くらい座れそうな待ち人用の椅子がレストランの入り口からエスカレーターのそばまで並んでいる。エスカレーターの入り口のところには受け付けの係らしき女性がいた。 「ここでお待ち下さい。」 そう言っているようだった。待っているのは私達3人だけ。数分待つと、中へ案内される。入れ口のあたりで、 「〇〇〇〇〇」 何やらウエィトレスが早口で言っている。どうもハワイの州知事からのプレゼントである「ハワイ・バリューパス」を持っているかどうか聞いているようだ。同時多発テロ以来、ハワイへ訪れる日本人が激減し、経済的大打撃を受けたハワイ州が再びハワイに来てもらおうという苦肉の作戦のキャンペーンだ。2002年1月31日までやっていて、これを見せればいろいろな割引などの特典が受けられる。カード発行後10日間有効だ。先ほどホリディカウンターでラビットが受け取っている。 「あれ、どうしたの?ハワイの州知事からのプレゼント!」 と私は聞く。ラビットは 「・・・・・」 何の事だか判っていない。 「あれだよ。あれっ!」 と私。言っている事は聞き取れなかったが、「ハワイ・バリューパス」のことに違いないと思った私はささやくか、ラビットは相変わらず、 「・・・・・」 そのうち事態を把握していないような私達を見てウェイトレスは 「何でもない!なんでもない!大丈夫ですから。」 とでも言うように席に案内した。ダウンタウン方面が見渡せる席だ。360度ガラス張りになっていて、どの席からも景色が見える。丸いレストランというのは不思議に感じがする。日本人も多く来るのだろうが、お客さんの中に日本人がいるようにはみえない。やはりテロの影響か? 席に座って落ち着くと、あのカードの行方を尋ねる。ようやく理解したようだったが、ホテルに置いてきたというのだ。ホリディカウンターで受け取ったものがなんだったのか理解していなかったらしい。 私はめちゃめちゃガッカリ。日本にいる時から散々宣伝してたのに、知らないなんて・・・ ハワイではあちこちで割引券などが手に入るイメージがあった。実際、今回使ったツアー自体に見せれば割引などの特典が受けられるホリディカードがある。持ってきた地球の歩き方にもいろいろあるし、ハワイの州知事からのプレゼント「ハワイ・バリューパス」がある事も判っていた。街中にある無料のツアー情報誌などでも見付ける事ができると聞いていた。こうなると、割引特典を受けないとまぬけじゃん、くらいのイメージがあったのだ。私もうっかりしていたが、ホリデーカードなら持っている。精算のときに思い出して聞いてみたが、ダメだった。指定のレストランでなくなったか、注文前に見せなければならなかったのだ。 つづく
2001年12月15日
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しばやく休憩すると、まずは明日からのオプショナルツアーの予約確認&精算をしにワイキキビーチコマーホテル2Fへ行く。 本当はバスなどを使って、自分達でのんびり周りたい所だったが、初めてのハワイ!いろいろ見たいし、5分に1本の間隔であったトロリーバスが1時間に1本に減便していると聞くと、勝手のよくわからないビギナーの私達はぜんぜんバスがつかまらなかったりして、足止め食らったりしてしまうのではないかと、不安になり、ほとんどをオプショナルツアーにしてしまったのである。 手続きが終ると、ワイキキの町に繰り出す。夕食付きではないため夕食をすませなければならない。探検がてら、ぶらぶらする。まずは目の前にあるロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンターヘ。 特に買いたいものはない。ところどころにレストランがある。まだ夕食には早い。4階まであるこのショッピングセンターの1階を歩いていると、ビザ屋さんや和食のお弁当やさんもある。 そこでどうしても気になったデザート屋さん?でアイスクリームを食べることにした。たしかピーチとチョコレートとパイナップルの3種類売っていたと思うが、3人ともパイナップルにした。やはりこれがハワイっぽいでしょう!ちょっと酸味が強い気もする。なぜか口の中が荒れ放題の私にはちょっときつかった。前日のランチに食べたカニクリームコロッケで舌をやけどした上に口内炎ができているようだ。 初めてのハワイ旅行なのに・・・ ロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンターをでると、雨がパラパラ降っていた。ハワイなのに雨!!!!!キンギンの太陽を予想していただけにまだハワイ気分を味わえない。この時期は雨期のようなことを聞いていたが本当に降っている。そのうち暗くなってきて、夕飯をどうするか相談し始める。近くに360度夜景を楽しめるレストランがあるという。空は曇っていて、ちゃんと見えるか判らない。迷ったが、他にめぼしいところもなく、行って見ることにする。 つづく
2001年12月14日
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その後、カピオラニ公園をバスから見学し、ダイアモンドヘッド・ロードへと向かう。3~4時間しか寝ていない私はとっても眠い。運転手さんが説明していることを一生懸命聞こうとするが、眠ってしまいそうだ。このあたりのことはろくに覚えていない。 そのうちDFSギャラリア/ワイキキに到着。免税店である。中は迷子になってしまいそうである。3階より上の階へ行くと降りてくる時に迷いやすいと言われたが、3階より上に行かなかった私達も出口をなかなか見つけることができなかった。 出発時間も近づいてきたので、バスに戻る。あの2人組みがなかなか戻ってこない。もう、他のメンバーは戻っている。どうしたのだろう? 解散した時に言っていた集合時間がイマイチ判りにくかった。あの2人組も別れたとき、イマイチ判らないようだったが、時間を間違えているのだろうか? そのうちバスの運転手さんが呼び出しをしてくると言って、出て行った。しばらくして、2人は戻ってきた。出口を見付けられず迷っていたようだ。やっぱり、ここは迷子になりやすいところなんだ。 そして、市内観光も終り各ホテルへと向かう。まずはシェラトン・モアナ・サーフライダー。ノンノとノンノの旦那が泊まっているホテルだ。ここでは2人組と3人組が降りる。自分達が泊まるホテルだと把握していなかった3人組みはなかなか降りず、運転手さんに 名前を呼ばれてようやく気づいたようだ。 次はシェラトン・ワイキキ。私達が泊まるホテル。 最後に降ろす、4人家族を乗せて、バスは去って行った。 バスを降りるとホリデイの方が出迎えてくれた。正面玄関右側1階ににあるホリデイラウンジに案内され、ルームキーを受け取る。滞在中のこと、帰りの手順やオプショナルツアーなどの説明がひととおり終ると、部屋に向かった。 オーシャンフロントを予約しようとしていたが、朝食付きの方がいいというホースの意見でオーシャンビューにせざるおえなくなった。ホテル側の都合でランクアップされる事もあるといってたので、ちょっと期待する。 部屋は28階。30階建てのホテルで、かなり上のほうの階だ。一般的に下の階よりも上の階の方が宿泊料金は高くなるという。ランクアップされているのかもしれない。期待は高まる。 エレベーターのスピードは速かった。あっという間に28階に到着。三方向に枝分かれしている客室はどちらへ向かえば良いのか一瞬迷う。ラビットかホースが先に見つけた。ここからが長い。行けども行けども私達の泊まる部屋にたどり着かない。エレベーターから一番遠いところに私達が泊る部屋はあった。カードキーを挿しこむ。なかなか開かない。やっと開けると中へ入る。 トリプルルームのベットはちゃんと3人分入っている。エキストラベットではない。どれも同じベットが3つ並んでいる。もともと3人用にできている部屋のようだ。 ラナイ(ベランダ)から外を眺める。 海は4分の1弱だろうか?ほとんどがビルばかり。少々ガッカリ。オーシャンフロントはやっぱりオーシャンフロントで予約しないとダメなのだ。 私達がラナイにいると、あっという間に数羽の鳩が集まってきた。なにやら物欲しげに見えるが、彼らのためにならないと思い、餌は与えないことにする。きっと、餌を与える人が多いんだろうなぁ。 つづく
2001年12月13日
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しばらくして、名前を呼ばれるといよいよ市内観光へ。まずはヌアヌ・パリへ。ここはいつも風が強いということだが、この日は弱いらしい。とはいっても、かぶっていた帽子は飛ばされそうだ。ここからカイルアを望む。 10分ほど見学すると今度はパンチポウルの丘へと向かう。ここは戦死した軍人が葬られているという。平らな墓石には1人1人の名前が刻まれており、多くの日系人も眠っているという。あとで分かった事だが、ここの墓石が平らなのはあたり一面に敷き詰められている芝生の手入れをしやすいようにだという。墓石のまわりには花瓶のようなものにお花が垂直に生けられている。オニズカ氏のお墓もあった。一見公園のようにも見えるこの場所は墓地であり、我々がお参りする墓石もないので、ツアーバスは素通りする。 その後イオラニ宮殿の前を通り、カメカメハ大王像で下車。10分ほど、各自、記念撮影をした後、今度はヒロ・ハッティへと向かう。貝殻のレイで迎えられた。入れ口にはジュースがサービスで置いてある。皆が飲んでいた。工場だというので、安く買い物できるのかと思っていたが、結構いい値段だ。25ドル以上買い物をするとオリジナルのマグカップをプレゼント!というサービス券を貰ったが、あまり買い物予算のない私は断念したため役には立たなかった。 次はマジックアイランドへと向かう。ホノルル港のシンボルとして親しまれてきたアロハタワーを見る。 それから近くのホンコン・ハーバービュー・レストランで昼食。この日初めて会った人たちと1つのまるテーブルを囲み不思議な気分。御年配の夫婦と息子といった感じの3人組みとカップルで着ている2人組み。2~4歳の小さな女の子2人を連れた4人家族。そとて私達3人である。 ウエィターに飲み物を聞かれ、皆それぞれ注文をする。ラビットはビール。ホースと私はブルーハワイを頼む。昼食代はツアー料金に含まれている。この飲み物もその内の1つかと思って銘銘が注文をしてしまったが、注文した後で、別料金だということが発覚した。確認しなかった私達にも落ち度が合ったかもしれないが、昼食代込みのツアーである以上、説明をしてから、オーダーを取ってほしかった。ちょっとサギられた気分である。 日本人好みの味でないのか、私好みでないのか、料理は特別おいしいというほどでもなかった。 食べ終わると、出発時間までは自由時間。私達以外の3人組みが早々にレストランをでてあたりを散歩したいらしい。伝票を持って自分達の分だけ精算を済ませると、レジ係らしき人を連れてきて、「あとは皆さん各自で精算してください。」 という。 中国式回転テーブルでの食事は、4人組み→2人組み→3人組み→私達という順番で食べていた。私達3人が最後だったのである。それでかラビットが「そうすると私達が最後になるのかな?しようがないね。」 なとどいうので、私はすかさず、「ダメダメ!!最後なんて絶対ダメ!」 と言ってしまい、最後から2番目に精算を済ませた。3人組みがとっとと精算を済ませて行ってしまうと、4人家族が精算を済ませていた。最後に残った2人はさぞかし気分の悪い思いをしたに違いない。はじめの3人には悪気はないだろう。ただ早く行きたかっただけだと思うが、残りのメンバーが知らない間に彼らの精算が済まされてしまったとあっては、レストラン側に計算ミスなとどがあって、万が一最後に残った人の分以上に請求があったとしたら、悲惨である。はじめから皆のいるテーブルに呼んで精算をすればよかったのである。結果的には何の問題もなく精算が終ったが最後のお2人にはとても悪い事をしてしまった。私達が犠牲になればよかったのかもしれないが、己の可愛さに勝ってしまったのである。 つづく
2001年12月12日
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ようやくホノルルに到着。飛行機を降りると、前の方にトマト一家が歩いているのが見えた。はっきり顔を覚えていないが、トマトのパパとママにお姉さんのようだ。義兄も近くにいるにちがいない。 まずは預けた荷物を取りに行く。出発の3時間も前に成田に着いたため、預けたのも早かった。そのせいか、なかなか荷物が出てこない。 私達より後から預けたと思われる方々が、次々と荷物を見つけて取りに行く。近くには女性に連れられた犬がうろうろしている。この女性はどうやら空港の人のようだ。犬は道行く人の荷物を嗅ぎ分け、何やら発見したようだ。女性は荷物の持ち主に質問する。「果物などをお持ちではありませんか?」 女性はアメリカに持ち込めないものを持っている人が入ないかチェックしているようだ。荷物の持ち主はここへ来るまでに食べたバナナの皮を持っていたようで、他に持っていたパンを、持ち込めるか尋ねている様子。 ここでのひと仕事が終ると、ワンちゃんはご褒美を貰う。すると、また別の荷物を発見!めちゃめちゃ賢い!!ちゃんとお仕事こなしてる。 私達の荷物はまだ出てこない。トイレにも入っておきたい。あまりにも出てこないので、とりあえずホースが先にトイレに行きその間に荷物を見つけることにする。ホースが行ってしまうと、すぐに荷物は出てきた。やっと荷物を見つけたがホースが戻ってこない。 するとポテトとバッタリ。トマト一家が同じ便なのは知っていたが、ポテトはどうしたんだろうと思っていた。これから式を挙げようという2人が一緒じゃないはずがないよね。 私:「おめでとうございます。」ポテト:「これからホテル直行ですか?」 私:「いえ、これから市内観光に行くんですよ。」 普通の会話をして、別れる。すると、ラビット:「今のがお相手の方?」 私:「そう」 ラビットとホースは2人と面識がないのである。 ホースが戻ってくると、入国審査を受け、入国!! まず、ホリデイカウンターへ行かなければならない。ホリデイカウンターはすぐに見付ける事ができた。パスポートと帰りのチケットの提示を求められる。私は泡を食う。帰りまで必要ないと思って、大事にしまいこんでしまったのだ。慌てて、奥底にしまいこんだそれを取り出す。そして手続きが終ると、携帯電話を借りるかどうかを聞かれた。借りるようなら向かいのカウンターへ行くように言われた。別行動をする時のために借りる事にしていた私達はそちらへ向かう。無料で借りることの得点付きである。通話料は当然有料であるが。 ここでの手続きが終り、指示されたように階段を上っていくと、写真を撮ると言う。プラスチックのレイをかけられて、ムームーを着た綺麗なお姉さんたちといっしょに写真を撮られる。撮り終わると、向こうで待つようにと言われた。入国してからここまで、ぽんぽん流れ作業のようにきてしまい。何をやっているのかよく判らない勢いですべての手続きが終ってしまった感じだ。もう少し降りる前に手順をよく確認しておくべきだった。 ひとまず落ち着き、ハワイを実感してみる。日本から着た時のままの長袖だが案外脱がなくても平気そう。と、思ったがやっぱり暑くなってきたので一番下に着ていた。七分袖一枚になり、着たいた1枚はリュックの中に、もう1枚は腰に巻いた。 空はイマイチ。真夏の太陽を想像していたがこの日は曇り気味であった。あまりハワイに着いたという実感が沸かない。 つづく
2001年12月11日
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そろそろ搭乗案内が流れる頃である。まずはファースト・ビジネスクラスと小さなお子様連れから。次に後ろの方に座る私達が案内された。ちょうど、非常口の前で後ろには席がない。これで後ろの方を気にすることなく、思う存分、リクライニングシートを倒す事ができる。窓側の席だが飛翼のちょっと後ろ。景色は見にくいが、時差19時間。着いたら朝ということを考えると、しっかり寝ておかなければならない。 いよいよ離陸。挨拶のアナウンスが流れる。JALに乗っているとばかり思っていたが、この便はアメリカン航空との共同便であった。出発案内の掲示板に同じ時刻に出発する便があったので、不思議に思っていたが、謎が解明した。 しばらくすると、機内サービスが始まった。私は長嶋がハワイに行くと必ず飲むというグァヴァドリンクを飲んでみる。さっぱりした飲み口である。飲み終わるか飲み終わらないうちに夕食のサービスが始まった。メニューは---<和食>---------------鶏きじ焼き丼厚焼き玉子/蒲鉾海老団子チリソース煮オクラとベーコンのフライ野菜のたきあわせインゲン胡麻和え香の物あずき入り葛ゼリーコーヒー 紅茶 日本茶-----------------------------<洋食>---------------ベンネパスタ ミートソースソーセージの取り合わせクラフトチーズスライスポテトサラダとコールスローサラダチョコレート プロフィトロールグリッシーニコーヒー 紅茶 日本茶-------------------------- である。鶏きじ焼き丼と海老団子チリソース煮に惹かれて和食にした。最近テレビで見たように冷めない工夫がなされていて、暖かいままで出されてきた。さっそく食べて見る。テレビでは‘暖かいまま出す事ができるようになったことで、あまり期待できなかった機内食がおいしく食べられるようになった’と言っていたが、私的には期待外れであった。 食事が終ると、寝に入る事にする。すると前の真中の座席の人が予告もなくいきなりリクライニングシートを倒してきた。ビックリである。私は窓際の席に座っていたのでよかったが、隣に座っていたホースは急に狭くなった。ちょっと不快な思いもしたが、とにかく明日というか今日のために寝る事にする。 それから3時間だか4時間が過ぎた。ちゃんと寝たという感じがしないがそろそろ朝食の時間である。朝食のメニューは--------------------------------リゾオッチャオリジナルバック入りマンゴーデニッシュとアップルジュースコーヒー 紅茶 日本茶--------------------------------である。 食べ終わると飛行機は着陸体勢に入る。 空は曇り気味。機内から見えるホノルルは南国という感じがしない。 つづく
2001年12月10日
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無事、出国審査も終るとあとはコンコースC81へ向かうだけ。21:45までに行けばいい。まだ、1時間以上ある。とりあえず、免税店などを除いてみるが特にほしいものもない。エムパイア免税店でお買い物をするとプレゼントがもらえるというチケットを貰ったが役には立たなかった。また、レストランの割引券もくれたが、どこにあるのかイマイチ判らず、近くのロビーで休憩をする。 50人くらい座れそうな椅子があるが座っているのは私達だけ。椅子たちの隣にある大きなガラスを外国人労働者らしき人達が磨いている。同じアジア系の民族だと思うが、どこの言葉で話しているのか、何を話しているのか判らない。出国手続きが終った今、ここはもう日本ではない。早速海外気分を味わうこととなる。しばらくすると、私達以外にも、何組か座っている人たちがいた。 そのうち、ホースが「これから何時間も座りっぱなしになるから寝たい」と言い出した。たしかこの近くに仮眠室があった。私達は行ってみることにする。あった!あった!しかし、こんな空いている時でも仮眠室は満室であった。しかも30分800円位する。やっぱり有料かぁ。どのみち満室じゃぁ使えないね。ということで、ボチボチ、コンコースC81へ向かうことにした。 私は階段で、ラビットとホースはエスカレーターで2階へと下る。シャトルに乗ると、すかさず数少ない椅子に座る。そこそこ満員になるとシャトルは動き出した。数分で到着。降りるとすぐにコンコースC81は見つかった。先ほどの割引券をよくよく見れば、レストランはこのあたり。入るかどうかは別として、ちょっと探して見る。でもそれらしきものは見つからない。あるのは売店だけ。名前も違うしここではなさそうだけど、このあたりにあるのはその売店だけだった。 まあ、特に飲食したいわけでもなかったので、C81の隣のコンコースと思われる椅子に腰を降ろす。ここからの出発便はないのか人はぜんぜんいない。皆、C81のところに座っている。ホースが寝たいというので、隅っこの人から見えなさそうな席を陣取り、ホースが横たわる隣に、ホースを隠すようにラビットと私が座る。 トマトも同じ便で出発だ。ボチボチ来ている頃だが、私達は外れに座っているので、遭遇しない。トマトのことだから、探しに来るかもしれないが、トマト一族に会うのはちょっと躊躇われた。かなりラフな格好で出てきる。ハワイに着いても着れるように厚手のものは着ないで、七分袖のTシャツに襟付きのシャツを2枚ほど重ね着していたが少々寒い。もっと明るい色のがあればよかったのだがどう見ても秋冬向きの色。ここではちょうどいいがハワイでは不釣合いな感じがする。これからハワイへ行こうとしている人の服装には見えないだろう。 そうこうしているうちに、やっぱりやってきた。予想通り探していたらしい。トマトいわく、時間に厳しい私はとっくに着ているはずたと思っていたらしい。そんなにきっちりでもないんだけど、ここだけの話し、トマトがいつも待ち合わせに遅刻してくるので、多少、遅れて行ってもばれることはない。 お互いの席を確認すると、ひとまずお別れをする。 つづく
2001年12月09日
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まずは、出発ロビー3階へと向かう。長いエスカレーターに乗るが、周りを見渡せば、私達ちだけ。何回か着た時は多くの人が乗っていたような気がする。やはりテロの影響で人が減っているのだ。上まで行くにの2回ほど乗換えるが、ぜんぜん人がいない。 出発ロビー3階に着くと、あらかじめ送っておいた荷物を取りに行く。以前来た時は前に進むのもやっとだったように思うが、急ぎ足で歩けるほど空いている。 荷物を受け取ると、H5~9番ホリデイカウンターへと向かう。前には1組受付をしている。係の方は3人ほどいるように見えたが、私達の担当は今受付をしている人らしく、終るのを待つように言われた。前の人たちが終ると私達の手続きがはじまり、今後の手順についての案内を受ける。 ここでの手続きを終えると、指示されたように、Lカウンターへ行き、預ける荷物の検査を受ける。係員に荷物を見せようとしたとき、スーツケースの角がへこんでいる事に気づいた。ヤマト運輸の配送途中にへこんでしまったにちがいないが、気づくのが遅すぎた。受け取った時に点検しなければいけなかったのだ。ここまで着てしまった以上、引き返すこともできず、そのままスーツケースを開き、係員にチェックしてもらう。 係員は凶器になりうるものがないか確認する。眉毛カットのハサミも機内には持ち込めない。そういったものは預ける荷物の中にいれておかなければならない。手荷物にそういった物がないか再度確認する。 確認が終ると、カウンターに並び、チケットを受け取る。3人並んで座れる席をお願いした。調整に時間がかかる。集合時間より30分は前に到着している。出発まで3時間はある。かなり余裕持って到着したが、席があまりないのであろうか。4便でていた、飛行機は2便に減便しているといっていた。その影響で逆に混んでいるらしいとは聞いていたが、どうやら本当のようだ。 なんとか席の確保ができたらしく、荷物を預けて、出国手続くへと向かうが、20:45までに出国手続きをすればいいと言われていた。まだ、1時間以上ある。少しお店を見て回ることにする。といっても買いたいものがあるわけでもなく、ひととおり見終わると、出国手続きを済ましてしまうことにする。 同時多発テロ依頼、出入国審査が厳しくなっていると聞いている。並んで見ていると、多くの人が引っかかっているようだ。コインなども引っかかるから、小皿に乗せて別にするようにみたいなことが書いてある。洋服のファスナーなどが引っかからないか、どきどきしながら通過するが、あっさり通過。出入国審査が厳しくなっていることで、今までより時間がかかるように聞いていたが、人もあまり並んでいなかったし、思ったほど時間はかからなかった。 つづく
2001年12月08日
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始発なのか、ラクラク座席に座ることができた。向かいには小太りなおばさんが座っている。なにやら持っている手提げの紙袋をごそごそあさっている。そして、おもむろにお饅頭を食べ始めた。この電車はボックス席ではなかった。しかも夕方5時頃。なんとなく食べにくい気もするが、おばさんは無心に食べている。 食べ終わったかと思いきや、再び、紙袋をごそごそ。また、出てきたお饅頭。もう1つ食べるようだ。 一番端の席ではなにやら手話をしている人がいる。でも彼女ひとり。相手がいないように見える。そうホースに言ったら、 「こっち側にいるわよに」と言われた。よくよく見れば、彼女の向かい側の座席に人がいた。知る人が見れば、会話は丸見えだが私には判らない。この距離で声を出して話せば必然的に大声になる。こういうとき手話は他の方に迷惑にならず、よいなぁと思ったりもしたが、彼女たちがそういう事情で手話を使っているとは思えない。ときどき言葉にならない声を発していたように聞こえた。 ふただひ向かいのおばさんに目をやると、今度は履いていた靴を脱いで、足首をぐるぐる回している。ずっと同じ姿勢で座っているのはよくない。ときどきそうやって運動をするのはよいことかもしれないが、だいぶ電車も混んできた。といっても向かいの席から見れるくらいなので、そうでもないが、なかなか勇気ある行動である。ちょっと真似はしにくい。その後、足の運動に疲れたのか、やめて、今度は背負っていたリュックをおろして、何やらやっている。紙袋しか持っていないのかと思っていた。リュックの整理が終ると、眠くなったのか寝に入っていたが稲毛に着くと降りていった。 このおばさんと入れ替わりに乗ってきたと思われる学生服を着た少年がこちら側の座席に向かって少し離れた所に立っていた。なんだか動きが激しい。踊っているかのようにも見えたが、どうやらこの少年も手話のようだ。またしてもひとりで会話をしているように見えるが、向かいに誰か座っているのだろう。初めてテレビではない、生の手話を見た日に2組も遭遇するなんてビックリ。このあたりは多いのだろうか。 しばらくすると、いつのまにかあの少年はいなくなっていた。代わりに黒人と思われる少年っぽい少女がいた。よくよく見るとこの子も手話のようだ。先ほどの少年に座席を譲ったのだろう。とっても楽しそうに話している。声を出していたらきっとうるさいだろうなぁ。と思われるほど、楽しそうだ。やっぱり何を話しているのかは判らない。けど、会話が丸見えである以上、ナイショ話って出来ないんだろうなぁ。そういう不便はあっても大きな声で話せない公共の場ではとても素敵な会話手段に見える。こんなことを思ってしまうのは不謹慎なことかもしれない。 佐倉に着くと、少年は降りて行った。 もうすぐ成田である。成田に着くと少女と横浜から乗っていた2人の手話のおばさんたちも降りて行った。 電車はだいぶガラガラになってきた。 ここでホースが持って来たおにぎりを食べようと言い出した。だいぶ空いてきたといっても、まだ6時過ぎ。ボックス席でもない。そういう雰囲気でもなかったが、空港まで持ち込むのも憚られたため、食べることにした。 なにも機内で夕食がでるのに持ってくることもないだろうと思ったが、残ってしまった御飯を1週間もそのままにすることも出来ず、持って来たというのだ。機内での夕食はあと5時間くらい先であることを考えると、ちょうど良いかもしれない。小さなおにぎりはあっという間に食べ終わった。そろそろ空港第2ビル駅。降りる準備をするやいなや到着! つづく
2001年12月07日
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いよいよ出発の日がやってきた。 少々、早目に家を出て、買いそびれた、靴の乾燥&脱臭剤を買う。 1日中履いている靴の中に、寝ている間入れておけば、翌日は快適にちがいない。 そして、パスポート用の予備の写真を撮り忘れていたので、撮りに行く。 こんな間際になってまだ準備が終っていなかった。700円もする写真は犯罪防止のため500円硬貨が使えないと書いてある。お札も使えない。500円玉が使えればちょうどあったのに・・・仕方なく両替をしに行く。 再び、撮影にチャレンジ!この撮影機は3回まで撮り直しができる。前に撮った写真の方がよかったからといって、それを選ぶ機能はない。高い割には不便である。 1回目も2回目も気に入らず、3回目に突入。気に入ろうがいに入るまいが、これで終りだ。 ようやく撮れた写真はイマイチ。モデルが悪いから仕方がないか? とにかく、最後の準備完了! 撮り終わると、今回いっしょに旅をするラビットとホースと合流。 横浜駅から横須賀線の急行に乗る予定だ。 いつも時間にルーズなホースがいたため、遅れないように早め早めに行動をしており、30分もはやく着いてしまった。 ドトールでコーヒーを飲むことにした。ラビットはブレンド。ホースはアメリカン。私はカフェラテを頼んだ。 隣では3人組みの奥様方がおしゃべりをしている。どうやら買ったばかりの携帯用の小型カメラで写真を撮って、携帯に表示させているようだ。 そうこうするうちに電車の時間が近づいてきた。横須賀線のホームへと向かう。 発車予定の頃の時刻には、なぜか成田エキスプレスが・・・ 調べた時はこの時間に成田エキスプレスはなかったのに。そして成田まで行く急行が見当たらない。駅員さんに聞いてみる。 どうもこの後に出るらしい。時刻表を見間違えたのか?それとも12月号となっていたあの時刻表はダイヤ改正が行われる12月からのだったのではないだろうか?結局、よく判らなかったが、数分遅れで出発。 つづく
2001年12月06日
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なにはともあれ、ぼちぼち荷造りを始める。出発の2日前には宅急便で荷物を成田に送っておかなければいけない。この週末を逃すと、なかなか準備をする時間がないと思い、手荷物以外のスーツケースに入れる予定の物を荷造りする。 出発まで1週間をきった。トマトとノンノから同時にメールが届く。 トマトからは‘その朝、当日のスケジュール表などを郵送した’ということだった。 同時多発テロが起こって依頼、郵便物の配達が遅れているようで、私が送った郵便物のうち3回は通常より時間がかかっていた。到着の確認が取れていないものはどのくらいかかったかわからないが、テロ直後に、‘24時間郵便局で保管してから配達している’とテレビのニュースを見た。それがまだ続いているかもしれない。出発は土曜日。火曜日の朝の投函でいつもなら水曜日には届くが、木曜日になるのではないかと思っていた。翌日には届いたのでホッとしたが、今回のテロに怖気付いた人がやはりいるらしく、当日のメンバーは若干減ったようだ。今回会えると思っていたトマトの後輩ちゃんに会えないことが判り、ちょっとガッカリ。 ノンノの方は私より出発が1日早いのにまだ荷造りができていない様子。しかも当日は会社から成田へ直行と聞いて、ビックリ。かなりハード。時間通り上がれるかどうかという心配もあるだろうし、通常より出国審査が厳しくなっていて時間がかかるというから、早めに行きたい所である。 なにはともあれ、いよいよ明日は出発。 わくわく。ドキドキ。心配な事もあるが、無事に旅ができますように・・・ つづく
2001年12月05日
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毎日、ニュースを真剣に見ることが習慣となった。テレビ、ラジオ、特集番組。ハワイの情報やアフガニスタンの状況をできる限り、知るように心がける。そのうちイスラム教をまったく知らないことに気づく。ラマダンという断食の時期がトマトの挙式と近い事を知り、詳しく調べて見た。私が行く予定の一週間あと、ちょうど帰国する頃に始まるようだ。少々がっかり。ラマダンと日程が重なれば、もう少し安心して行けると思ったのだが・・・ 自分なりに精一杯調べた。 アメリカ本土は同時多発テロの後も炭疽菌など、いろいろな不穏な動きがあったが、ハワイはすでにテロによる経済的な大打撃を受けていて、テロリスト達がハワイを狙う意味はもはやないと思われること。 地理的にもアメリカ本土とは離れており、アフガニスタンをはじめ多くのイスラム教徒がいる場所からも離れている。 少しばかり飛行機に不安が残ると言う問題もあった。私が申し込んだツアーはJAL、ANA、ノースウエストのどれかの便になることは判っていたが、指定することはできなかったのである。今回ばかりはノースウエストはパスしたかった。その思いが通じたのか、JALに決まったのである。そのためこの問題もクリアーした。 この同時多発テロによって、今まで、いかに危機管理の意識が希薄だったか、ということが思い知らされた。まだまだ調べたりない気分。 しかし、そんな心配も旅行が近づくにつれ麻痺してきたのか?平和ボケ※の日本人の資質が表れてきたのか、はたまた度胸が据わってしまったのか、不安は消えてしまう。※ちょっと前にTVタックルで日本人の平和ボケ振りを特集していたのだ。世界の関心事が同時多発テロに向いている中、「今一番不安なことは?」という問いに、このテロにまつわる世界情勢をあげた人はいなかった。番組的に少数派であろうそういう意見はカットされたのかもしれないが、NYの現場近くで、多くの人が追悼のメッセージをメッセージボードに書いている中、‘今日は楽しかった・・・’と日本語で書かれていたのには驚いた。 そうこうするうちに出発の日は近づいてきた。世界情勢も変わってきている。ラマダンの時期は攻撃を控えるだろうと思われていたが、米国は今回の攻撃がイスラムに対するものではなく、テロに対するものだとして、ラマダンの期間中も攻撃は続けると発表したのだ。再び、不安がよみがえる。 そんなころ、旅行会社から旅行の日程表ができたとの知らせ。残金の支払いと日程表を取りに行かなければならない。 支払いは商品券でしようと思って、金券ショップを探し回るが、その旅行会社で使える商品券は見つからなかった。ガッカリである。なにはともあれ旅行会社へ行く。 用意されていた資料について詳しい説明を受ける。同時多発テロによる影響を説明し、ハワイは安全で、すでに行ってこられた方は「行ってよかった」と言っていたということ、テレビなどでもハワイ知事がハワイは安全だと宣伝してましたよね、というような事を力説し、不安な事があれば、電話などでも結構ですので、何でも質問してください。そして不安を取り除いて行ってください。というような事を言われた。不安がっているように見えたのだろうか? つづく
2001年12月04日
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いよいよ9月に入り、トマトの挙式まで、あと2ヶ月となった頃、トマトの方で、諸手続きをすべて完了させたい様子。トマトの日程をまだ知らされていなかった私は、ようやくただ式に参列するだけではなかったと知る。 急遽、休暇の確認等をして、確実に行けそうか確認をし始めた。 しかし、迷う。挙式の友人関係の参加メンバーを聞いて少々引いていたのだ。私以外、3人共夫婦で来ると言う。 1人は面識はないが、たまたまこの時期にハワイ旅行を計画していたということで急遽参列することになった後輩ちゃん。 1人は短大時代の友人で、私も知っているスッチー。 1人は昨年3月に挙式した新婚2年目のノンノである。旦那は休みが取れないだろうと言っていたのに、どうも行ける事になったようだ。ノンノと行ければ良いなあと考えていた私は予定が大幅に狂った。 はじめのひとりは判らないが後の2人は新婚さん。第2のハネムーンのような人たちばかりだ。 さぁどうしよう。 そんなとき、あの世にも恐ろしい同時多発テロが起きてしまった!!どうするか、散々迷った。あと2ヶ月先のこととはいえ、この事件はすぐには解決しないような気がしたのである。 トマトからの催促。テロのあった4日後までに返事を欲しいという。ドル払いをする関係で、安くすむうちに支払いなども完了させたいらしい。 迷った挙句、行きたがったいたラビットとホースを連れて行くとこにする。(行きたがっていたのはテロの前だけどさっ!)とはいえ、連れて行ってもしものことがあったら・・・不安は消えない。 つづく
2001年12月03日
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それから、数ヶ月後、なんとなくのお誘い。ハワイということで、招待はできないが、よかったら旅行がてら来て欲しいということだった。海外挙式の場合、大富豪なら招待もできるだろうが、一般人の場合、招待できるような人はまずいないだろう。当然、参加の場合は実費で行くつもりだったし、はじめてのハワイ!行くからには、観光もする気、満々でした。トマトは来ては欲しいけど、招待ができないので、心苦しい様子。私もトマトの挙式にはぜひ参加したい。海外挙式も初めてだし、ハワイも初めてだし何もかもが初めてで楽しみ。しかし、実際に行くには休暇の問題などがあり、ぎりぎりまで返事を待っていてもらったのでした。 つづく
2001年12月02日
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21世紀、はじめてのお正月。夜明け前に起きて、江ノ島へと向かう。江ノ島桟橋はすでに人だかり。よく見えそうな場所を確保するのに苦労した。待つ事数分。少々曇り空であったが、素晴らしい初日の出を堪能する事ができた。上空に雲がかかっていたため、太陽は顔を出して、ほんの数分で、再び雲の中に姿を隠してしまったけれど、あまりの素晴らしさに人々の感嘆の声があちらこちらから聞こえてくる。日の出も終り人々はそこから立ち去る。帰る人、初詣に行く人、いろいろである。私は混んでいるであろう、電車を避けるため、初詣がてら江ノ島散策をすることにした。江ノ島神社をお参りし、岩屋へと向かう。稚児が淵に着く頃にはすっかりよいお天気になっていた。西の方を見ると、雲一つない富士さんが・・・初日の出と初富士を堪能するとひとまず家に帰ることにする。帰ってみると、いつものように年賀状が届いていた。見ていると、トマトからの年賀状。いつもと変わりない挨拶・・・、と思いきや、付き合っていた彼、ポテトとの結婚が決まったそうだ。かねてより念願のハワイで、挙式をすることにしたらしい。「トマト、おめでとう!!」 つづく
2001年12月01日
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