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尊敬する星読ライターさんの石井ゆかりさんがおっしゃるに、今日は、『今日の占い(11/23) 今、天秤座の月。既にボイドで、10:59に蠍座入りする。太陽は蠍座を抜けて射手座に入った。だから今天王星とガチでトライン。静かに、長期的な変化へのスタートをそっと切るようなタイミング。』 だそうです。 「この長期的な変化にそっとスタートを切る」とありますが、その天が行う変化への船出に対する後押しエネルギーは実はかなり強い様です。 うまくこの日に心の仕切り直しを意識したり、それに向かって行こうとか、新しいことをしていこうとか…。 そんな何かしらの変化を志したり表明すると、 その変化の波に乗りやすい日だそうです。 新しいことに向かう人、 目標を持っている人 変わりたいと思っている人、 そんな時期に居る方で、こんな遅い時間にアップした記事が目に止まった方はご縁がある方かもしれませんですね。 新しい事に向かったり 変化を望むには、 心身にエネルギーがないと中々出来ません。 色々思っても企画倒れになってばかりの方とか、 いざ始めると続かない方。 心でやったほうがいいなと「やった時の結果」を思い浮かべることはできても、いざ行動になるとできない方。 一概には言えませんが、 大体の方は心身、又は心か身のエネルギーが低い場合が多いようです。 そうですよね…、エネルギーが低い中で新しいことをすれば枯渇するかもしれません。「どきどき」したり「えいっ」と活を入れたり、エンジンをブルルンとかける気合も必要です。 特に経験が無いことを行うには「新しい行動パターン」「戦略」を周囲の人や環境のエネルギーや情報収集して、新規に構築しなければいけません。 (自分で新しくソフトを構築していくには時間と集中力と体力が要ります。これって脳みそだけではなく、オーラもチャクラも稼働して変遷していくのです) けれど心身が無意識に持っている最優先事項は「生存」することです。 エネルギー切れでぱたっと倒れる訳にはいかないのです。 人差し指をちょっと切ったら治るまで無意識に人差し指を伸ばして物をつかんだりしてしまうように、人間の心身の中には生存のための「自己防衛本能」が常に働いています。 下手に変わるな、枯渇するぞ。とか、 ここでやめとけ、疲れきるぞ。とかでストップをかけたりします。 これが心身の状況が変化しないうちに度重なると 「固定プログラム」として記憶されます。 ~どうせ出来無い。とか ~けど疲れるし。とか 思う前に打ち消したりしたりします。 そういう訳で、とにかく何か変化を求めようと思うには、 少なくとも心身の何方かが今よりも元気になっていただかないといけないのかなと思いました。 私に降りてきたイメージは「夜寝るときでもいい、明日から新しく頑張るのに自分の体に感謝して、ゆっくり寝よう…。体の力を抜いて、本当に体を楽に深く寝よう。目覚めが新しき旅立ちの出発=ターニングポイントからの出発=生まれ変わりへの第一歩になるように」というイメージ。 自律神経調整法というのはリハビリでも簡単に指導したりしますがそれをして寝るようなイメージです。 難しい事を文章のみでお伝えできないので簡単に書くと、 横向きでも上向きでも下向きでも「自分が一番心地よい体位」になります(始める時は真上を向いて寝ると指導しているものもあります。確かに左右均等という意味では真上向きで寝ることがベストですが、最初に横向きになってリラックスして行って、抜きにくかったら体位を交換することもいいと私は思っています。) 足首でも手首でも、左からでも右からでも、とにかく体の端から力を抜いていくよう意識します。 左が抜けたら右。という様でもいいですし、両側から…というのでもいいです。 次にお腹や肩など体の中心の力を抜いて行きます。 最後は首~後ろ頭です。 これが上手く抜けると「ぽ~」とした感じになる方も多いかもしれません。 そのまま「いつも体さんありがとう~。ぐっすり寝て明日からまた頑張っていこうね。」と思いながら寝る。 という感じです。 心身はつながっています。 例えば子宮という「身体臓器」を手術でなくしても、 チャクラやオーラで「子宮」というエネルギーがちゃんと動いていれば 大きな支障が起きることを防げます。 それは身を心がフォローするからです。 逆に第二チャクラや身体オーラで子宮が閉鎖していたり見えなくても、 その身体にちゃんと「子宮」があれば、心を身がフォローします。 寝ると副交感神経というのが働きます。 http://genki-go.com/autonomic/03.html 寝ている間に身体の疲れをとり、心の疲れをとるホルモンを分泌してくれたりします。 折しも23日は「勤労感謝の日」。 この不況に何とかお仕事あって良かったぁぁぁぁぁ~と感謝する日&お仕事があるって大事だとわかりました、だからもう一度おいで~とラブコールをする日です←。 それと同時に、新しい事を始める前や「変わりたい」と思って、そのスタートを切る前に、この『静かに、長期的な変化へのスタートをそっと切るようなタイミング。』の日にゆっくり心身に感謝して寝てみて頂けたらなと思います。 そう思うと、「日本の暦」に天があわせてきたのですから、本当に凄いかもですね!ゆっくりゆっくりと、人は学び、成長するために生きているのではないかと思うのです。 私もいつも笑える、そして自分を大好きに思える自分にもっと変化していきたいです。*********************** おまけ> 力が抜けないときですが、抜けないと心配しないで下さい。 普段緊張している人程、「抜き方を忘れていたり」します。 結構多いです。なので「力が抜けない事に気がつけた」事を喜んで下さい。 けっこう苦労してるんだな~って褒めてあげて下さい。 逆にすんなり抜ける人も自分を褒めて下さい「わ、私って凄いかもwww」ってw。 そして抜けたか抜けてないか分からない方。 又は抜けれないかたは、こんな方法をどうぞ。 膝を立てて(膝の角度が90度位が一番効果があります)膝から腰を左右に倒してみます。 倒しにくい方向と倒しやすい方向があると思います。 それぞれの方向を確認したら、 ゆっくりと倒しにくい方の限界ちょっと前まで倒してから、 「よ~しw」と倒しやす方に「息を吐きなら」←これ一番重要。 ぎゅ~~~~~~~~~~~~~~~~っと倒して下さい。 倒しきった所で5秒程そのまま「う~ん」と頑張って、ふっと力を抜いてみてください。 ほっとすると思います。 その感覚が「力が抜けた感覚」なので、それを覚えるように3回程繰り返して、また足をゆっくり伸ばして下さい。 それで下半身はokです。 上半身は首を左右に曲げたり、回したりして引っかかる方から引っかからない方にぐ~っと伸ばして5秒ほど溜めてから、力を抜いてください。 この時も「息をしっかりすってから」反対側に動かす時に「吐いて下さい」ね。 息を吐くと、身体の力が抜けやすいです。 それとストレッチのタイミングを合わせます。 これは「人は自分の身体の痛みをなくせる方向を無意識に知っている」という「操体法」という体操方法の理論です。 私もリハビリに活用していますし、自主トレとしても指導しています。 簡単な腰の歪みとか、身体の歪みは直しやすいのでおすすめですよ。 それでは、 この夜にご縁がありました方々、 GOOD NIGHT! にほんブログ村←次の日に観たかたごめんなさい。けど心身のためには何時やってもいいと思うのです。
2011.11.23
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何がチェンジするのかしたのか分からないまま、 今度も叔母の希望で2kmほど先の酒船石遺跡を見に行くことになりました。 途中、昼ご飯がわりにお茶をしたり、遺跡に向かう通りに並ぶお店を覗いたりしながら、のんびりと歩いていると…。 いつの間にか後ろからお囃子の音がします。 山車にお神輿、運ぶ子供たちの声を、号令をかける大人たちの声が、さわやかな秋の日差しの中で賑やかに響きます。 秋祭りのようです。 遺跡に向かう道は飛鳥寺に向かう道でもありました。 そこはずっと一本道ながら細めですので、どちらかと言うと道の真ん中を歩く私達二人(正確には叔母の横を連れ立って歩いたら道の真中だったという感じ)。 どちらかというとのんびり歩いている私たちの後ろを、 これまたのんびりとお祭り行列がついてきます。 どこまでも どこまでも え~っと、もしかして露払いしてます???。 一本道ですから、一緒になるのも分かるのですが、 ゆっくりゆっくり歩いている私達の歩行速度を考えると、 普通はもう追いぬいて居られると思うのですが?。 と、視線をちらっとお神輿の方に移すと、 そこには白髪に長い白鬚を蓄えた翁の神様が乗って居られました。 そして「あ、いらっしゃる」と私が翁の次元にコンタクトがとれた瞬間、 翁は私にこう申されました。 『復縁したいのじゃ』 誰とぉぉぉぉぉぉ?????????????。← 突然の思いもしない願いに、 流石にびっくりする私に翁は続けます。 『姫を迎えに行って頂きたいのじゃ』 何処にぃぃぃぃぃ?????????????。← いや、ごめん。 私達はこれから酒船石遺跡に行くので、何処でも寄れないのですよ。 そう言うと、翁は…。 『いや、そこじゃから』 ・・・ ・・・ あ・・・そうなんですか・・・。 けどお酒作ったとかいう遺跡だけど。 というか、お姫様迎えにとかどうやったら良いのか分からないのですが…。 そう思いながらも、せっかくの翁の頼みです。 出来るだけ頑張ってみよう。 そう思いました。 私達が遺跡に向かうために公園口から小山を登り始めた時から、 お神輿隊はその公園口で一休みを初めました。 そして私が仕事を終えるまで、ぴったりと…。 翁はそこで姫を待って居られたのでした。 酒船石遺跡に着きました。 酒船石は『酒を造る道具、あるいは薬などを造るための道具とも言われ諸説あるが定かではない』と説明にあるように、私にもそういうふうに見えませんでした。 どちらかと言うと「酒」よりも「船」という言葉になんとなく引かれました。 かつて日本の古代神の中には、石船に乗って空を航海していた一族が居られたのです。 どうもそっち関連の様な雰囲気がしますがよくわかりません。 「手を当てろ」という所にそっと手を置きます。 浄化というか、何かしている感があるのですが、ノーイメージです。 これもメタモさんでしょうか。 ほんとに作った人が人だからか、凄いですわ。…使っているのか使われているのか(遠い目。。 そして、一段落ついた時、目の前に綺麗な姫神様が居られたのでした。 >姫?。翁がお待ちですがお連れさせて頂きますか? 姫が頷かれましたので、 私が神輿になりまして、姫をお乗せ致します。 叔母が「帰りはこっちの道から帰ろう」と、脇の小路を指さしました。 叔母は特に見えるという人では無いのですが、直感が鋭いと言うか、 強運の持ち主です。 皆様は結婚の引き出物の車とか新郎新婦が乗った車は、 けっしてバックしてはいけない…という習わしをご存知でしょうか。 正に、小道を行くことは「後戻りをせずに本道に出る」方法だったのです。 ナイス叔母!。 本道に戻りました。 休んでいるお神輿隊の100m程手前に出てきました。 そこはとある宗教の館の横でした。 一応神域な為か、姫はそこでお降りになられました。 私たちは石舞台の方角に戻ります。 すると、ゆっくりと休憩を終えたお神輿隊が後に続くように再び動き出しました。 そして、神輿が姫の横を通る時に…。 姫は神輿に乗られたのでした。 やっと貴女と共になれた。 やっと貴方と出会えましたね。 神輿の上で手を握り合う年老いた翁に美しく若い姫神。 翁神の喜びはひとしおで、涙が流れて居られるように見えました。 姫神は古き神にて、時の信仰と文化の変遷により別次元の居られたのか?。 それとも、男性原理主義に封印されたのか。 姫の時は止まっていたかのように、若く美しいままでした。 しかし、引き離されたか、一度は自ら別れたのか? 男神の方は翁の姿になる程に時は流れに流れ…。 一体どれだけの月日を一人で過ごして来られたのでしょうか?。 そして…、今やっと夫婦として元に戻ったのです。 後ろを振り向きながらそう考えると、 男神が過ごしたであろう時の流れと人の世の流れに感無量になりました。 そのまま私達は一軒の和物の店に入りました。 ゆっくりと、やっと神輿は私達を追い越して行きました。 店の中から格子窓を通して、軽く会釈します。 しかし顔を上げた次の瞬間、目に入った情景に驚きました。 美しく若かった姫の姿は老婆に変わっていたのです。 唖然として驚く私に、姫はこうおっしゃいました。 『夫が力を取り戻せるまで、私も夫と同じ姿になりましょう』…と。 ~高砂や この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて 能の『高砂』 (たかさご) は、相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、 人世を言祝ぐ大変めでたい能です。 また、披露宴でもよく唄われる祝い唄でもあります。 そして、この唄には「夫婦和合の妙(ハウツー)」が込められていると言います。 互いに手を握り合った翁嫗の二人は、 秋の日差しの中、お神輿に揺られ寄り添っていきます。 美しいおのが姿より、相手の労を思う。 共に過ごし、支え合え無えませんでしたね…。 だから今は姿だけでも貴方と同じになりましょう。 貴方の所まで降りましょう。 夫婦ですから。 そう姫の思いが聞こえたような気がしました。 ~高砂や この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて・・・・ ~あひに相生の松こそ めでたかれ ・・・・・・・ ~君の恵みぞ ありがたき ~君の恵みぞ、 ~ありがたき。 二人の姿を拝見して…。 今度のチェンジングは、男性原理から女性性の復活とか、 そんな政権交代の様な「どっちがどう」という感じではなく…。 『和合』 という、さらに上へのシフトだったのでは無いでしょうかと…、 そう思ったのでした。*****************にほんブログ村← 土日はね ちょっとお休み ごめんなさい 。 なれど ポッチリ頂けば 、月曜にねと 思うかも ←
2011.11.11
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石舞台の後は、飛鳥展望台へ。 一番高い展望台まではちょっとした小山の登山。 けど上がってみると、奈良県の約1/4が一望出来るんじゃないかという様な中々の見晴らしです。 大和三山で有名な耳成山や天香具山、畝傍山はもちろん奈良市他幾つかの市を有する奈良盆地が一望できます。 奈良県と大阪府の境である生駒山脈が左に見えます。 (ちなみに生駒山脈には太古の魔物の誇り高き麒麟さんが居られますw。) 左には春日大社のご神体である御蓋山を初め春日山原生林が見えます。 (ここの話は又別の機会にw)本当に奈良盆地って見事に盆地なんですね!←オイw青い空が清々しく穏やかな秋の日が奈良盆地全体を照らします。此処までのラインはもう大丈夫…ということなのでしょうか? それとも此処で何かをすると、此処までのラインで何か達成できるのかな? ふと、そう思ったのでした。 そのまま山を降り、 叔母が見たいと言っていたマラ石に向かいます。 マラ石のマラは・・・・えっと・・・その・・・。 まぁ昔風に言うこれですね→http://www.asukanet.gr.jp/n-ken/maraishi.html その後ろにある山は陰嚢と書いてふぐり山と言うそうで、 マラ石とワンセットの様です。 昔初めて飛鳥に行った時に、奥飛鳥で男綱という男性のものを作った大きな綱を見ました。 それは毎年元旦に神事として架け替えられます。 まだその頃は何も聞こえず見えない私でしたが、子孫繁栄・無病息災を祈り病魔が河を渡り侵入するのを遮断するこの綱に、男性原理的な重厚感と生生しさを強く感じたのも飛鳥に苦手感を持った原因でした。 そして山全体を含む今回の信仰を観た時に、その時と同様に古代この土地にまつわる男性原理の強さをなんとなく感じたのでした。 けど来たからには何かあるのかな? というか、やっぱり見学はしなくちゃね…。 とマ○石さんの前につとつと…。 実にシュールな出来です。 笑っちゃいました(苦笑いの方)。 すると次の瞬間 「ちぇんじ」 と聞こえました。 え? えええ? 何?何が?。 いっとき、世の中では女性性の目覚めとか、 女神の復活とか流行ったけど、男性原理からなんか転換したの? そう訊ねますが、メタモ君は何も答えてくれませんでした。 あ~、やっぱり「これから何かする」方なのですね…orz。 広々と広がる奈良盆地の山頂からの景色を思い出しつつ、そう思った瑚月さんでした。 そして、その後にはやっぱり大仕事があったのでした。 この時点でまだお昼前、まだまだ飛鳥での時間はたっぷりあったのでした。にほんブログ村←「心優しき方々の お陰で 一位に返り咲き」 おかげ様で奈良ランキング一位になりました。ありがとうございました!(びっくり
2011.11.10
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そんなこんなで、気が進まないな~と思いながらも行った飛鳥は「あれ?」っと思うほど、さっぱりした感じでした。 この意外感は実は引越ししてきた歳に奈良市でもありました。 懐かしきは瑚月さん中学生時代の修学旅行。 奈良市は確か3時間程度の自由見学だったのですが、 どんよりと曇り時折雨が降るぐずついた天気。 ひとけも無く、鹿も雨のためか居らず…。 寒いわ暗いわ、ジメッとしているわ…。 子供心に「奈良には絶対もう来ない!」と誓ったあの日は何処へやら。 奈良に引っ越しする時に「ああ、あんなこと昔は言ってて結局奈良なのね…」と、遠い目になりつつ覚悟してきてみたら。 あ~ら不思議。 昔のどんよりした重い雰囲気は大分消えており、 それは1300年祭が近づき、そして過ぎ去ると共に殆ど消えていました。 その時に人が心を一つにする喜びの祭典の威力がどれだけのものか、 凄いな~と思わせて頂きました。 大勢の人が出入りし、 色々な思考や、力、変化を喜ぶ心(商店や仏閣ともども)の作用もあったと思います。 (実に私も1300年祭の時はどれだけ奈良見物=仕事に走りまわった事かw。さつきさんも来られましたしね~w) 昔言った戯言はあっさりと撤回して、今は奈良市が大好きです。 三輪さんは「奈良は奈良時間が流れている」とおっしゃられたそうですが、 私としては奈良は、『神々、仏界の方々、古代獣の方々、山や野はまだ「しっかりと自意識」を持っていて、不満も言えば、喜びも歌う。』 そんな不思議な古い時間と新しい時間のコラボレーションがしっくり来て、住めば都とはこのことか?と、徐々に心惹かれてしまう場所です。 と言っても、奈良の奥の方はまだまだ…←マテ。 飛鳥も私にとってはそんな「まだまだ地方」だったのですが、 今回は空気が違ってました。 実は思えば、昨年は近くの談山神社に3回程行ってました。 談山神社は蘇我氏本家を滅ぼした藤原鎌足さんがまさに大化の改新の談義をした場所とされています。 ここの薬師如来像も良いお仕事をされていますが、 紅葉の時期にある参道いっぱいの柿やしいたけなどの山の幸一杯の屋台が大好きです。 とくに自家製の生姜の奈良漬はここでしか食べれない美味しさw(他の大手メーカーも作ってますが、ここのおじちゃんちのが一番美味しい&滋養にいいのです!)。 って、話がそれた…。 そんなこんなで、ここでも何回かお仕事をさせて頂きました。 蘇我家ゆかりの飛鳥を見下ろす高き山に作られた藤原家の談山神社。 滅ぼしたものと滅ぼされたものがすぐ近くに祀られているのです。 敵討ちと同じですが、「どちらがどこで引くのか」は時と度量によって違うのかもしれませんが、1ヶ月に3度も通ったのは何か飛鳥にもご縁があったのかもしれませんね…。 *********************** 思っていたような、重厚感も、威圧感も、いや~な感じもなく、 あっさりと入った石舞台=蘇我馬子さんのお墓。 同時に「あ、ここ、何処かにエネルギー口あるよね?」と浮かんできました。 地面を見渡すと、『ここ。此処に立って』と合図があります。 立ってしばらくすると、さわやかなエネルギーが下から流れだしました。 地面から上に向かって流れていきます。 このエネルギーの感じは前に覚えがありました。 四国は香川県高松の栗林公園です。 そこでは「地脈のつまりを取って流す」というお仕事がありました。 指定の場所を数回足でけりつけるという、「おいおい」な流しっぷりでしたが、その後で某所から吹き上がったエネルギーがこの活性化系エネルギーでした。 その某所はその公園が一番美しく見えると、松平家の方が大変好まれていた場所でした。 当時の方はご存知だったのでしょうかねw。 また、公園の木々(松)は由緒を聞くと、そんな年月で此処まで大きくなるの???という様な生育ぶりで驚くばかりのものでした。 最初はとても不思議だったのですが、詰まっていた地脈から流れた出した縁ルギーを感じた時に、「ああ、生育エネルギーだからだったんだ」としごく納得したのでした。 そう、このエネルギーがもっと純粋で強かったなら、 きっとトカゲは恐竜になってるねwという感じ。 スモールライトの大きくなる版エネルギーという感じでした。 生きる力を呼び起こすような、痛んだ傷も治すようなエネルギーです。そして後ろにそびえる紫雲山はそのエネルギーを増幅するスピーカーというか振動増幅装置の様な役割をになっていたようです。 ああ、また話がずれた…。 5月のとある朝一番にここを活性化した後、金比羅様に行き、香川から東北に繋がる地脈のツボを押してきたという夢物語があったという事は辞めてきましょうかw。 とにかく、石舞台の床のあるポイントから、それと似たようなエネルギーが流れだしたのでした。 「あれ?何もしてないけどな~」と思った瞬間に「あるもの」思い出しました。 「あああああああああああ~~~~~~~~~~~~」(心の声)。 私のバックの中には、朝、一問答起こして「行きたい!!!」と入り込んだあるものがあったのです。 それは、うちに到着する前からエネルギー体で来て、 大勢の祈りのもとである方の身体の危機をチェンジングするという大仕事をやってのけたアイテム。 メタモルフォーゼス。 自らを「変容」と名乗る石。 「metamorphose=~を変化させる」という意味を持つ子。 尊敬するさつきのひかりさんから来た子でした。「…やってくれたねぇ」と苦笑。 何をどうしたのか分かりませんが、 何かを変えたのは確かなよう。 メタモはこう言いいました。 『連れてきたのは貴女だ。その場に立ったのも貴女だ。私は思いのままに』 そうしれっと言うにくいやつです。 苦笑。 こんな活性化エネルギーが湧いてくる場所だから蘇我馬子はお墓をつくったのかもしれないね。 爽やかなエネルギーで細胞を洗いながら、そう思っていると、 ふわっと小さい光が立ち上るように床から現れました。 え?もしかして…。 『馬子殿ですか?』 『応』 今まで、何処か違う空間にいたが「戻ってこれた」とおっしゃいます。 するとすぐにお迎えの小さな光が天井から現れました。 ああ、彼を愛する誰かでしょうか。 戻ってこれた。 貴女の元へ。 やっと逢えました。 貴方に。 来世で出会うことを互いに望んで別々に亡くなったのでしょうが、 相手がとんだ遠回りをされたよう。 来世は来世でも、こんなに長い時間がかかってしまったのですね…。 長かったね。 良かったね。 二人仲良く。 これからは、お幸せに…。 2つの光は石舞台の上に消えて行きました。 その時、今は何もなくなって岩肌だけが見える墓の天井に、 新しき世で出会いを果たす事を願い、祝福を願う壁画が観えたのは… きっと光のせいでしょう…。 チェンジング石舞台。 一時の夢物語。 けど「おめでとう」を送ります。 ***********************にほんブログ村←良かったら押していただけると いと嬉し。
2011.11.07
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「石舞台みたいのよ」という叔母の言葉で、しぶしぶながら飛鳥へ向かったのは10月の9日。三連休の中日でした。 なぜ「しぶしぶ」かというと、 『飛鳥は重い』という印象ががっつりとあったため。 まだ、ものの声なんか聞こえない時に一回飛鳥を訪れた事があるのですが、 その古代原始エネルギーというか、男性エネルギーというか、 性エネルギー(子宝=豊穣って書くと悪くないのですが…)。 とにかく、ずっしり重たい印象に疲れ果てたという事がありました。 と言いながら、そのあと1回飛鳥周辺は訪れていました。 その時もやはり叔母と一緒で、飛鳥のちょっと外れにある「飛鳥寺」へ行きました。 ここのご本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)は補修が甚だしいとはいえ飛鳥時代と同じ場所に安置されているとのこと。 何か守られているのかな?と思ってみていると…。 本尊の真下、地下の方に巻物が見える。 時代から言えば仏教の巻物だろうけど、 単に巻物ってだけじゃないな?と更に見ると…。 その下に何かゲートの後のようなものがありました。 シャンバラ という言葉が浮かんできたのですが、 どうも、古代、ここは何処かへのルートがあったようです。 飛鳥時代にそこを使用していたのかどうかは分かりませんが、 巻物で結界をはり、その上に本尊を置くという二重結界をはったまま、 現在に至ったような雰囲気でした。 ちなみに、飛鳥寺が立つ前はここは 「飛鳥の真神原(まかみのはら)」という地名だったそうだ。 そして今回目標に行った石舞台は、 その飛鳥寺を立てた「蘇我馬子」の墓なのでした。 にほんブログ村
2011.11.05
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2011.11.1の略。 今日は久々にゆったりとした時間を過ごしました。 けど仕事後で勉強会に出ていたので、帰ってきたのは19時過ぎ。 ご飯を作って、 本当に久々にTVを見て、 「家庭の医学」にうんうん、と頷き。 ながらで見れる間にさっさと洗い物(結構汚れ物出た)。 TVの後は、アップルテーにクッキーをちょっとかじりながら笑える読書(西尾維新の化物語下巻←)。 一話読み終わって、大満足でお風呂。 オイル入のお湯にちゃぽっと浸かる。 女子Dということもあり、 日曜日に一件依頼を済ませて今はリーディングも一休み。 いつもなら帰ってきたらPCを一番に起動させるのですが、 今日はここまで一度もPCを開いていない。 瑚月じゃない過ごし方。 昔は、こんな過ごし方してたな~って言うような、どこか懐かしいようなゆったりとした時間でした。 最近、時間をうまく使う様にあれやこれやと仕込まれているような気がします。 この世では、陽の光や月の光のように、誰にでも平等に24時間という時間が与えられています(概念だけどね)。 けど、歳を取るごとに「時間が経つのが早く感じる」といいます。 私もそう思います。 けど、今日はゆっくりしました。 今日のゆっくりした気分で、「ああ、けっこうストレスある生活してたんだな」って気がつく位、心がゆったりした時間でした。土曜日で半ドンで、午後から友人と遊んでも「ゆっくり一杯楽しく過ごした~。一日分はゆうに楽しんだ感じ~。」という日もあれば、 一日休みでも「ああ、もう夜だ」という日もあります。 オトナになると「しなくてはいけないこと」が多くなります。 同時に「やりたいこと」も多くなります。 「やりたいこと」=「しなくてはいけないこと」になる時もあります。 私の場合は「しなくてはいけないこと」が一杯あると、 時間が凄く短く感じます。 そういう時は、~時までは○○をやって、~分で△△をやって…とか時間管理を始めます。 これは体力や精神エネルギーの状態によっても変化します。 このどちらかが低いと「能率が悪い」という状態になったり「しんどい中でやる」という状態になるために、時間が立っている割に「達成感」がありません。 もっとエネルギーが落ちていると、「管理」が出来ず、「…あ…夜だ。0時だ←」となり「時間枠の外」に行っちゃうこともあります。 けど、ヤラなくちゃいけないことをさっさとやった後の時間は、 とっても有意義な時が多いな~と思ったのです。 今日なんて久々に「やらなくていい」状態だったので、ゆっくり出来た~と思いました。 時間を「のんびりさせる」には、 私の場合は色々ありそうです。 1>「しなくちゃいけない=義務感=労働=シンドイこと」という感覚を変えていく。 対応例A:体力と精神エネルギーを上げると「楽に」「さっさ」とできるのでシンドイ事ではなくなる。 対応例B:家事は週で分担する(土日に全部するのではなく、掃除や洗濯の一部は普段の日に少しやっておく。 対応策C:汚さない・散らかさない・すぐ片付ける 対応策D:切り替えを上手くする などなど。 けど、一番はAとDに尽きるんでしょうけどね:爆。 一人でも仕事があれば、忙しくなります。 (勉強会の資料つくったり、予習したり、勉強したりetc) 家族が増えれば楽しみと同時にヤルことも増えます。 そんな中、優先順位をしっかり決めつつも、 それが「させられている感」や「義務感」でなく、 自然体で出来るようにしなさい、そう言われているような気が最近するのです。 じゃ、何が出来るといいのかなと思った時に、 やっぱりリーディングの時間は欲しいと思いました。 なんだかんだ言って、リハビリの仕事と同じくらい、セッションも好きなようです(産みの苦しみ満載ですが。) 「家庭の医学」を見て、一口に~の症状っていっても原因は山のようにあるもんな~。勉強しなくちゃな~と改めて思いました。 まだまだ、不十分です。 リハビリストとしても、セッションを行う者としても、まだまだだと思います。 じゃ、どんな事がしたい? と自分に問いました。 どんなセッションがしたいの?と。 「人には一人ひとり、起きている現象や悩みに違う理由がある。 生まれたきた理由も皆違う。 私は完全に治す事はしない。 私は完全に悩みを消し去ることはしない。 ただ その人が何故その状態になっているのか、 その人が一番わかり易い言葉で伝えたい。 その人の心にコツンと響くように伝えたい。 雪山で小さな小石が何かのはずみで転がると、 大きな雪だるまになっていくように。 とどまっている小舟が流れに進みだす為のほんの軽い一押しの様に。 水の流を生み出す、一滴の水滴のように。 そんな「進みだす為の手伝いがしたい」。 その人が進みだす為の力を自らが生み出す為に心に響くものを伝えたい。 進みだすための最初の一歩の方法を伝えたい。 助けるのではなく、 その人が自分で自分を助けるために。」 今はまだ不十分ですが、これが私のセッションの目標でした。 そう言いながら、いつの間にか、アフォメーション(宣言)になっていたようでした。 次に浮かんできたのは、最近教えて頂いた「とある事」。 それは関西のある3箇所に行き、そこで出される課題をクリアするとアカシャ(宇宙?)と繋がれる&思ったことを実現する力が与えられるというものでした。 その場に居た人達はそこで出される3つの問を聞きました。 書けませんが、古今東西、あらゆる宗教の課題になってきた人類の問です。 教えてくれた方はその3つの問の共通の答えはひらがな10文字だから、 その場に訪れて解いてみなさい。 とおっしゃいました。 その場所のうち、一箇所は行ったことがある場所でした。 その時に「鍵だな」と思ったものが、その方いわく、課題を提示するものでした。 私の感ですが、その方は答えが決まっているような感じで話されましたが、 私は「多分、答えは問われた人によって違うのだろう」と思いました。 大事なのは何を軸にしているか。 それは揺るぎないものか。 その人にとっての真実なのか。 で、十人居れば十通りのこたえがあってもいいように感じました。 それを思い出した時…、 すっと、自然に両掌が上を向きました。 両手に何かずっしりとした感覚があります。 嫌な感じはありません。 何かを持っている感じです。 答えよ、という事かな?と思い、私が思った「答え」をいいました。 右手の重みが消えました。 では、左手は何が問われているのだろう?と思った時、 こんな言葉が聞こえてきました。 ~問を聞け ?。聞きに行けってこと?。 けど、遠いしな~。 違うな、今聞けってことか。 じっくり集中すると、こう聞こえました。 ~先ほどの問の答えはそうであった。 ではお主の目標は? ああ、そういうことですか。 私の人生も目標は、先程答えた答えと同じです。 それは、 境界線をなくすこと。 左手の重さがふと消えました。 今日は11111。 何か色々な事がありました。 何かが始まるのかもしれません。 そんな不思議な日でした。 にほんブログ村
2011.11.01
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