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意外と…そんなところに“ひっかかり”ってあるんです。今日は、ちょっとしたクイズから始めてみましょう。それでは問題です。次の都市名、なんと読むでしょう?『北京』…「ペキン」。中国の首都ですね。『南京』…「ナンキン」。これも中国にある有名な都市。さて、次の問題です。『東京』…えっ?「トウキョウ」じゃないの?実はこれ、「トンキン」と読むこともあるんです。「えっ!?うそでしょ!?」と声が上がるかもしれませんね。たしかに、私たちは普段「東京」を「とうきょう」としか読みません。でも実は、外国語では“Tokyo”ではなく、“Tonkin(トンキン)”と呼ばれていた時代があるんです。フランス語圏では特にそう。歴史をひもといてみると、日本の「東京湾」一帯を「Tonkin Gulf(トンキン湾)」と呼んでいた時代もありました。でも、今日伝えたいのは、そういう言語学の話よりも、**「思い込みって、案外簡単に裏切られる」**ということ。「北京」「南京」まではスラスラ言えたのに、「東京」でつまずく生徒が実はけっこう多いんです。「日本の首都だから、そんなの当たり前だよ!」と、思考停止してしまう。でも実は、**「東京」「西京」「南京」「北京」**と、東西南北の“京”が揃っていることに気づいた人は、どれくらいいるでしょうか?「東京」は“東の都”「西京」は、かつての京都の別称「南京」は“南の都”で、歴史的に中国の首都だった時代もある「北京」は、現在の中国の首都で“北の都”この四つを並べると、東西南北のバランスが見えてくる。単なる都市の名前に見えて、そこには地理や歴史、言語の面白さがギュッと詰まっているんです。普段当たり前に読んでいる地名にも、ちょっと立ち止まって見てみると、新しい“視点”が見つかります。「知っているつもり」だったことほど、ほんとうは“まだ知らない”のかもしれない。教室でこの話をすると、「えぇ!?トンキンって本当に言うの!?」と笑いながらも、生徒たちの目がちょっとだけキラッと光ります。それは、たぶん「驚き」や「気づき」が心をくすぐった瞬間。そんな“くすぐり”が、学びの第一歩になるのかもしれませんね。だから私は、「えっ!?なんで!?」と生徒が驚く瞬間が、とても好きです。小さなひっかかりが、大きな学びの扉を開く。それを楽しめるかどうかで、勉強って、ずいぶん変わってくるんです。さて、次はどんな言葉に“ひっかかって”もらおうかな?
2006.09.30
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今から、幼稚園の子どもたちとの授業が始まります。やるのは、ちょっとだけレベルの高い、小学生向けの内容。でも、私はあえて挑戦してもらおうと思っています。難しさのなかにこそ、学びの芽があるからです。さて、今日の授業では、ちょっとした“数学リスニングテスト”をしてみます。もちろん、お堅いテストではありません。遊びの中に、想像力と論理的思考を忍ばせた、小さなお話です。さあ、みんな耳をすませてね。『今、お皿に4匹のイワシがあります。そこへ、子猫が3匹やってきて、1匹ずつくわえていきました。さて、お皿には、何匹のイワシが残っているでしょう?』子どもたちは一生懸命、頭の中でイメージします。お皿に4匹のイワシ…そこに、1匹ずつ、3匹の子猫がきて…くわえて持っていく…「1匹ずつってことは、3匹取られたのかな?」「残るのは1匹…かな?」と考える子もいれば、「いやいや、全部取っていくでしょ?だからゼロ!」という子も。でも、正解はこうです。正解:7匹「えぇ〜っ!?」という声が教室に響きます。「なんで!?」「どういうこと!?」それでいいんです。その“なんで?”が、授業の宝物なんです。解説をすると、こんなふうになります。お皿に4匹のイワシ。そこにやってきたのは3匹の子猫。そして彼らは、1匹ずつくわえていった。つまり、お皿にあった4匹のイワシは、そのまま。そこへ新しくやってきた子猫が3匹、それぞれイワシをくわえて去っていった。**……くわえているイワシも、まだ“存在している”**わけです。つまり、お皿の上にある4匹のイワシ+子猫がくわえている3匹のイワシ合計**7匹のイワシが“存在している”**という解釈。もちろん、これは“トンチ”のような問題です。でも大切なのは、**「問いに対して、いろんな解釈ができる」**ということに気づくこと。正解を当てることよりも、「あ、そういう考え方もあるんだ!」という驚きや気づきが、子どもたちの中で“考える楽しさ”として根を張っていくのです。私は、幼稚園の子どもにも、小学生にも、中高生にも、「君はどう思う?」と問いかける時間を大切にしています。答えはひとつじゃない。でも、そこに“理由”があることが、もっと大切。だから、今日の授業の主役は、イワシでも子猫でもなく、「えっ、そうなの!?」と目をまるくしたあの瞬間の、君自身なんです。たった一問の算数リスニング。でもそこには、想像力と論理、発想の転換、そして少しの遊び心が詰まっている。それを、「楽しかった!」「もう一回やりたい!」そんなふうに思ってもらえたら、先生としてこれ以上の喜びはありません。さて、次はどんな問いを届けようかな。笑って、考えて、ちょっと賢くなれるような、そんな一問を──。
2006.09.28
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今日のハイレベル数学の授業が、私にとって大きな感動と喜びをもたらした瞬間となりました。なぜなら、今日の授業では、ひとつの問題を通じて生徒たちの成長が垣間見えたからです。そして、全員が出席してくれたことが、何より嬉しかった。生徒一人一人の顔を見ながら、毎回授業が進むたびに成長している姿を感じられることは、私にとって何よりの励みです。今回出題した問題は、実は至ってシンプルなものでした。「対角線が20cmの正方形の1辺の長さを求めなさい」というものです。この問題、教科書にも載っている標準的な問題ですが、正直言って、解けない生徒が多いのも事実です。しかし、驚くべきことに、N.Sさんは問題をしっかりと解き切りました。三平方の定理を用いて、直角三角形の関係式を立て、見事に解答に辿り着いたのです。この瞬間、私は思わず胸が熱くなりました。「やっぱり、ちゃんと覚えてくれていたんだな」と。私が以前教えた「三平方の定理」を見事に活用し、正解を導き出したことに、私はただただ感心し、嬉しくなったのです。実は、この問題を解ける生徒が意外に少ないので、N.Sさんの姿勢にとても感動しました。彼が使ったのは、私が授業で伝えた三つの「定理セット」です。三平方の定理ミッキーマウスの定理ばっし~の大発見どれも数学を楽しく、かつ効率的に解くために私が生徒たちに教えてきた基本的な方法論です。それをN.Sさんが実践してくれたことは、まさに私が目指している教育の形そのものでした。N.Sさんへ「もう少しで、ハイレベルを越えて、ハイパー中学生ですね。」と伝えたくなった瞬間でした。さて、今年のハイレベル数学受講生たちは、現時点で昨年を上回る可能性を秘めています。この調子でいけば、今度の中間テストは非常に楽しみです。きっと、昨年の伝説を超える結果が出ると信じています。私が目指すのは、全員が95点以上という目標です。これを達成するために、みんなと共に頑張り続けたいと思います。授業の後には、毎回「STUDENT REPORT」が生徒から届きます。今日も素晴らしい報告がありました。Y・Nさんの報告「ばっし~の『全然、心配しなくていい!全員合格できる!』という言葉がすごく心強かったです。いつも、先生の言葉が私の心の支えになっています。中間テスト100点を取ってきます!」返信「Yちゃんが合格しなきゃ、誰が合格する?大丈夫、君なら絶対にできる!」H・Sさんの報告「前回の復習テストで満点を取ることができました!やり直しをしっかりすると、本当に結果が出るんですね。」返信「君は本当に素晴らしい。まだ気づいていないかもしれないけれど、実力テストで数学が9割を超えたこと、おめでとう!一気に2割UPしたんだよ!」こうした報告を受け取るたびに、私の心は温かくなり、もっと頑張ろうと思わせてくれます。しかし、今日の授業では、まだ少し物足りなさも感じてしまいました。全体的に、もっと生徒同士の一体感があれば、さらに良い授業になると思っています。いろんな中学の生徒が集まっていることもあって、まだ一人一人の個性が完全に発揮されていない部分があるのかもしれません。それでも、少し我慢して、笑いをこらえたS・M君の姿はとても印象的でした。笑いたいときは、思いっきり笑ってしまうことが、どれだけ心を解放するかを再確認した瞬間でした。授業が進む中で、もっともっと生徒たちが一丸となり、共に成長していけるよう、これからも全力でサポートしていきたいと思います。中間テスト、みんなの頑張りを期待しています!
2006.09.26
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「反省はするな。そのかわり、思いきり後悔をしよう。」そんな言葉を心に留めたのは、ある静かな夜だった。何気ないメモの一節だったかもしれないし、誰かの口からふとこぼれたひと言だったかもしれない。でも、その言葉は、僕の心に深く残り、何度も思い返すことになった。「反省」と「後悔」。どちらも“過去を見つめる行為”だけれど、似ているようで、実はまったく性質が違う。反省は、理性でするもの。冷静に「何が良くなかったか」「次はどうすべきか」と整理する作業だ。一方で、後悔は、感性の中で静かに波打つ。「あのとき、こうしていれば…」と、胸の奥がズキンと痛む。言葉にできない感情の渦が、何度も何度も心を揺らす。最近、つくづく思う。人を本気で動かすのは、理屈じゃない。最終的には、“感性”なのだと。もちろん、反省も大切だ。それは確かに、失敗を客観的に分析し、次に活かすための知的な営み。でも、人は頭だけでは動かない。自分でもどうしようもない感情の揺れ──それが、次の一歩を踏み出す“本当の原動力”になる。たとえば、誰かにひどい言葉をぶつけてしまったとき。「言い方がまずかったな」と反省するだけでは足りない。「なんであんなことを言ってしまったんだろう…」と、夜中にふと目が覚めてしまうような、あのどうしようもない後悔。それがあるからこそ、人は「次こそ、ちゃんと向き合おう」と思える。後悔は、できるならしたくないものだ。でも、それでも生きていれば、避けられない瞬間がある。だからこそ、僕はこう思うようにしている。「だったら、思い切り後悔しよう」と。ごまかさず、見て見ぬふりもせず。しっかり向き合って、とことん悔やんで、心が擦り切れるくらい考えてみる。なぜなら、それが次の自分を動かす“爆発力”になるから。反省は、頭の中で行われる静かな作業。でも、後悔は、心の底からこみ上げてくるもの。そのエネルギーは、きっとあなたをもっと優しく、強くしてくれる。だから、今日もまた言葉にしたい。反省はしなくてもいい。けれど、後悔はとことんしよう。それが、明日の自分の糧になるのだから。P.S.思いきり後悔して、それを燃料に変えよう。二度と同じことを繰り返さないために。そして、その想いが、きっとどこかで誰かを照らす光になるから。
2006.09.22
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日常的に、僕は女性向けの情報誌をよく手に取るようにしている。なぜなら、僕の仕事では、小学生から中学生、高校生、大学生、そして20代の女性、さらには保護者の方々にまで、多様な年代の女性と接するからだ。彼女たちの気持ちや価値観を理解するためには、彼女たちの視点を大切にしたいと思うからだ。特にファッション誌には、数多く目を通している。今では、ネットカフェなどが普及し、無料で、他人の目を気にすることなく雑誌を読める時代になったことも一因だ。ある日、そんな中で目にした言葉が、今でも忘れられない。『もっとわがままになろう』という一節だ。その意味は「わがまま=生きるエネルギー」だと書かれていた。「みんなは反対するけれど、でも私はこうしたいという気持ちが情熱なんだ。それがパッションだ」と続いていた。この言葉に、強く心を打たれた。さらに続くのは、恋愛にも当てはまるという一説だった。「もし君(あなた)がよければ、付き合おう」という状況で、「きみが好きだ、だから抱きたい」と思っているときでも、それを実行するのは難しい。「もしそれ以上したら、あなたと二度と会わない」という言葉を受けた時、果たして「それでもいい」と言い切れるだろうか。「それでもいい」と言える覚悟こそが、本当の愛情だと言われていた。恋愛においてだけでなく、人生全般において、「わがまま」に生きることが情熱を生み、心からの愛情を育む力となることを、この言葉は教えてくれる。ある時、僕はこのような恋愛をしたことがある。大好きな女性と、雨の夜、一つの傘の下で二人きりになった。でも、その時、まだ気持ちを伝えていなかった。その瞬間、僕は思わずキスをしていた。「嫌われるかもしれない」「ほっぺを叩かれるかもしれない」と不安だったが、それでも、心の中で決心をした。嫌われてもいい、覚悟を決めて行動に移したのだ。その瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。現在、その人とは別れてしまったけれど、今でも彼女のことを一番のファンとして応援している。彼女がどんな人生を歩んでいるのかを心から願い、ファンであり続けているのだ。恋愛における「わがまま」とは、相手の気持ちを無視した自己中心的な行動ではない。それは、情熱と覚悟を持って自分の気持ちに素直に向き合い、時に恐れを乗り越えて行動すること。そして、どんな結果が待っていようとも、その行動こそが本当の愛情であり、自己を深く知る過程となるのだ。P.S「もっとわがままになろう。わがままな君も、好きだ。」
2006.09.18
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