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「ほめる」ことは、甘やかすことではありません。むしろそれは、相手の可能性を信じて、肯定する行為。私は今、「ほめる授業」というものの奥深さに、あらためて向き合っています。教え方がうまい人ほど、自然に“ほめる”教え方のうまい先生というのは、決して「たくさんしゃべる人」ではありません。生徒の理解のスピードに寄り添いながら、一つひとつの問いを生徒自身の力で解き明かせるように導く人。そうした先生の授業では、不思議と「正解」がたくさん生まれます。そして正解が出れば、自然とほめる機会も増えるのです。「そう、それがまさに今日のポイント」「その考え方、すごくいいね」「さっきよりもっと深く考えられてるよ」こうした言葉が、自然と口をついて出るのは、生徒の努力が報われていることを、先生自身が肌で感じているからです。叱る指導が続くとき、それは危険信号かもしれない一方で、叱る場面ばかりが目立つ授業もあります。もちろん、生徒の態度が良くないとき、伝えるべきことはあるでしょう。けれど、叱責が常態化している授業というのは、少し立ち止まって考えてみる必要があります。たとえばこんな風に問いかけてみてほしいのです。「あなたの教え方は、そんなに生徒に伝わらないのですか?」これは、生徒を責める言葉ではありません。自分自身に向けた、静かな反省の問いです。生徒が間違い続けているのなら、その間違いを生んでしまう導き方に課題があるかもしれない。その視点を持てるかどうかで、指導者としての姿勢は大きく変わっていくと思うのです。「叱る」よりも、「導く」方がずっと難しい授業というのは、ただ情報を伝える時間ではありません。生徒の心に火を灯す、コミュニケーションの場です。「なぜこの問題を間違えたのか」「どこでつまずいているのか」「どのタイミングでほめるのが、その子にとって最も効果的か」そんなことを常に考えながら、一人ひとりの理解のタイミングに合わせて舵を切る──それが、本当に“教える”ということなのだと感じています。そして、「叱る」ことよりも、「導く」ことの方が、はるかにエネルギーが必要で、工夫もいるのです。ほめる言葉には、「未来」がある叱られた記憶は、恐怖と共に心に刻まれることがあります。でも、ほめられた記憶は、希望と一緒に残るのです。「自分はできるんだ」「わかってくれた」「この先生の言葉は信じていい」そんなふうに思える経験が、一人の生徒の人生を動かすこともあります。だからこそ私は、これからも「ほめる授業」を目指したい。それは、生徒をただ甘やかすことではなく、成長の可能性に光を当て続けるという、意志ある行為だと信じているからです。最後に──指導者として、問い続けたいこと・あなたは、今日、生徒を何回ほめましたか?・その言葉は、心からのものでしたか?・生徒の未来に、少しでも灯をともせましたか?教育に正解はありません。でも、“伝わる”授業を目指すなら、「ほめる」という技術とまなざしは、これからもっと大切になっていく気がしています。ほめることは、教えることのはじまり。そして、心を育てることの第一歩なのかもしれません。今日もまた、小さな「よくできたね」を、大切に伝えていけたらと思います。
2008.02.26
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受験を間近に控えたこの季節。ふと、教室である生徒を見ながら、思わずこう呟いてしまいました。「もう、教えることがないな」もちろん、それは教える側の放棄ではなく、ある種の“完成”を感じさせる状態に達しているという意味です。■ 「学び終えた」のではなく、「自走できるようになった」この時期、全体的に緊張感が高まる中で、不安と焦りが混在している生徒がほとんどです。それは当然のことで、受験という人生の大きな節目に立っているのですから。でも、その中にときどき、まるで“風のない湖面”のような落ち着きをもった生徒が現れることがあります。その子も、まさにそうでした。授業ではすでに習得済みの内容に静かに向き合い、演習ではミスを丁寧に拾い上げ、自分の理解を自分で深めていく姿勢。もう、私たちが何かを新たに「教える」というフェーズではなく、“共に確認し、共に整える”時間へと変わっているのです。■ 受験が待ちきれない――その言葉に宿る強さその生徒は最近、よくこう言います。「早く受験をしたい」一見すると軽く聞こえる言葉ですが、そこには確かな自信と準備が滲んでいます。この“うずうずした感じ”は、もう十分に力を蓄えた者が次の舞台に立ちたくて仕方がない証拠。まるで、長く続いた助走の先にあるジャンプを、今か今かと待ちわびているアスリートのようです。■ ハイレベル数学受講生とは、こういう存在このような状態こそ、ハイレベル数学受講生であることの真髄だと感じます。ただ問題が解けるようになる、だけではない。「解ける」に至るまでのプロセスを自ら設計し、実行できる力を育む場。学力とは、与えられるものではなく、自ら取りにいくものなのだという姿勢を、この生徒は見事に体現してくれました。そして、その姿勢は周囲にもじわじわと広がっていきます。「あの子みたいになりたい」という小さな憧れが、教室全体の空気を少しずつ変えていくのです。■ 最後に――「完成」は通過点確かに今、教えることはもうほとんどありません。でも、それは学びが終わったという意味では決してありません。むしろここからが、本当の意味での「学び」の始まりです。試験本番、そしてその先の高校生活、さらにそのまた先の人生において、この力がどのように役立ち、広がっていくのか。それを見届けるのが、指導者としてのささやかな喜びでもあります。「教えることがない」状態――それは、私たちにとってもまた、最高の褒め言葉かもしれません。
2008.02.13
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