福岡市個別指導学習塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

福岡市個別指導学習塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

2009.03.17
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カテゴリ: 授業論
授業というものは、本来とても繊細な営みです。
けれど、私たちはつい忘れてしまいがちです。

ほとんどの人が行っている授業は、どちらかといえば
「伝える」ことに重きが置かれています。
たくさんの知識、情報、手順、解法──
黒板に文字を並べ、資料を配り、丁寧に説明する。

それはそれで、悪いことではありません。
でも、私自身が授業を通して強く思うのは、
「伝えた」だけでは、きっと何も変わらないということ。


本当に目指したいのは、
**「伝える」ではなく「伝わる」**という授業です。

声が届いたか。
言葉が心に入ったか。
例え話が腑に落ちたか。
沈黙のあとの小さなうなずきや、目の色の変化。

そんな微細な反応の中にこそ、
「伝わる」瞬間がひそんでいるのです。

雰囲気づくりが、すべてのはじまり
だから私の授業は、最初から多くを教えようとはしません。
むしろ最初に心がけるのは、


生徒たちが「ここでは安心して間違えてもいい」と感じられるように。
「この先生の言葉なら聞いてみようかな」と思えるように。
その空気がなければ、どんなに良い言葉も届きません。

まるで、最初の一音が優しいピアノ曲のイントロのように、
その場をあたためていくのです。


授業をするとき、私はよくCMの技術を思い浮かべます。

たった15秒、30秒、60秒という限られた時間の中で、
どうしてあんなにも心を動かされるのでしょうか。

言葉の選び方、間のとり方、映像の流れ、音楽の余韻、
そして、ほんの少しの「余白」。

それらすべてが組み合わさって、
視聴者の心の中に、確かな“共感”を残していく。

これは、まさに授業にも応用できる考え方だと思います。

教える内容よりも、残る「感情」
思い返せば、自分が学生だったころ。
知識よりも記憶に残っているのは、
先生の一言や、表情、声のトーンだったりしませんか?

「なんだか分かりやすかったな」
「あのとき、ちょっと面白かったな」
「緊張したけど、やってみようって思えたな」

そんな感情の記憶こそが、
「伝わる授業」の証しなのだと思います。

最後に──授業は“作品”である
授業とは、単に情報を配布する行為ではありません。
毎回が、ひとつの小さな作品のようなものです。

誰のために、何をどう伝えるか。
どういう場面で、どんな言葉を選ぶか。
間合い、テンポ、表情──そのすべてが、
生徒一人ひとりに届く「伝わる」の種になります。

私たちは“教師”であると同時に、
生徒との心のやりとりを紡ぐストーリーテラーなのかもしれません。

今日も、伝わる授業を。
目の前にいる生徒と、
一緒に“物語”をつくるような気持ちで。

そしてきっと、その小さな15秒の一瞬が、
だれかの心の奥で、ずっと輝き続けてくれることを信じて。





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