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2024.11.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
(公民館の歴史講座等で講師をして、よくお世話になっている三浦忠司さんが地元紙の賞をもらいました。おめでとうございます。以下は地元紙の記事の転載です。)



「三浦忠司先生。まだ若いが実に熱心。やがて当地の歴史学を背負って立つだろう」八戸の文化に大きな足跡を残した故工藤欣一さんが、1980年に」本紙への寄稿に記した一文だ。

その言葉通り、八戸地方の歴史研究の第一人者として、誰からも頼られる存在になった。

歴史研究の道に足を踏み入れたのは、青森県立高校で政治経済の教諭として働き始めた23,24歳頃だ。知人に明治時代の古文書の存在を知らされ、調査に携わったのがきっかけだった。

研究する中で、後に八戸市立図書館館長になる故西村嘉さんと出会い、県南地方への赴任を機に、研究にのめり込んでいく。

西村さんに「あれについて調べてみないか」と次々誘いを受け、「はちのへ水物語 水道二十五年史」(八戸市、78年刊)や「青森県の地名」(平凡社、82年刊)の執筆に参加することになった。

帰宅後に夜中まで執筆し、朝6時に起きて学校へ行く生活は大変だったが、「やらなければ」という使命感があった。

「最初の大きな仕事で、一番思い出に残っている。本になると充実感があり、『またやろう』という気持ちになった」

やがて、自身の研究の中心は八戸藩の歴史に定まっていく。資料を読み解くだけでなく、「八戸の資料を使って研究したものを、全国の学会誌に発表する」



81年には、西村さんや地元の愛好家と共に八戸歴史研究会を結成した。相互研鑽を積み、会員の論文や書評を掲載した機関紙「八戸地域史」(2023年に休刊)を第60号まで発行した。

「最初の古文書に出会ってなくても、遅かれ早かれ歴史研究はしていたと思う。しかし、西村さんとの出会い抜きには考えられない」と研究人生を振り返る。

92年に八戸市で開催した「安藤昌益国際フェスティバル」の実行委員会事務局長を務めたことも、深く印象に残っている。

専門的に昌益の研究をしていたわけではないが、昌益の資料が多く残されている八戸市立図書館に集まる全国の研究者の話を横聞きして詳しくなっていった。

「学者の大会ではなく、市民を中心にしたい」という研究者の思いを受け、芝居の上演を企画したり、海外からゲストを呼んだりと奔走し、フェスティバルを成功に導いた。

一過性のものにならないよう、その後も安藤昌益基金の設立や催し開催など、昌益の名を広める活動に携わり続けた。

現在も県内外の講演会や原稿の執筆に引っ張りだこだ。「私が受けた恩を若い人に返さなければならない」と後進への声がけ、支援も忘れない。

「あれをやろう、これをやろうという決まったものはない」頼まれて深く調べていくうちに、形にして残そうと論文を書く。ひととの関りから始まった研究活動はこれからも続く。






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Last updated  2024.11.26 09:20:55
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