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偶然、「八戸市民大学」のパンフレットを見ました。久しぶりだなぁ、コロナ禍で休んでいたのを、再開したのかと思いました。以前は小まめに参加していました。早速出かけました。話が始まってすぐ気が付きました。話している内容が聴きにくい、あるいは聴き取れない箇所があります。そうでした、聴き取れないので内容が分からず、時間の無駄だと、聴講をやめたのでした。そのことをすっかり忘れていました。しかし、今回も話が始まってすぐ気づいたように、最初から聴き取りにくかったです。時々はっきりと話します。そこは聴き取れます。しかし、声が低くなり、後ごもごもと話すと聴き取れません。第1回目でしたので、市長が挨拶しました。そして司会の女性がいました。この段階までは問題がありませんでした。ですから、市民大学を聴講しなくなった理由を思い出すこともありませんでした。今回の石田衣良さんに限らず、公会堂での話は、小ホールを含めて、聞き取りにくいです。マイクが悪いとか、スピーカーに問題があるというよりは、音量の調節をする係がにぶいのではないでしょうか。今回も途中から音量を上げました。以前にもそういう事はありました。私も難聴はあります。検診で要精密検査となり、何回か耳鼻科に行きました。そこでは、「確かに難聴はあるが、年相応で、補聴器を使うにはまだ早い」と診断されます。医師を変えても同じ結果になります。普段、市民大学には高齢者が多いのですが、この日は石田衣良さんという作家だったせいか、比較的若い女性、といってもおばさん、も多かったです。石田さんは冗談とか秘密っぽいを飛ばしているようでした。その箇所は、ひそひそ話でもあるかのように、声が低くなります。後の席のおばさんの笑い声が聞こえます。声の質で、おばさんであることは分かります。この人は良く笑いました。ちゃんと聞こえている証拠です。面白くありません。しかし館全体での反応は低く、石田さんは「八戸の人は、冗談への反応が低い」と思ったのではないでしょうか。講師によっては、ちゃんと聞こえる方々もおられます。まぁ、講演だけではなく、普通の会話でも、口ごもって話す人の内容は、少し離れると聴き取りにくくなります。昔から知っている人で、そういう人が複数います。もっとも、昔はそういう印象を抱きませんでしたから、こちらの耳に原因もあることは確かですが・・・。過去、一番最後に聴いたのは女優のIさんでした。この方は最初からごにょごにょと話し、全く聞き取れないので、我慢できず20分で会場を出てしまいました。出口に市の職員がたくさんいましたので、その一人に「聞こえない」と伝えると、確認するために、一人が会場に入って行きました。その結果がどうなったかは分かりません。その時と同様、今回も地元紙が記事を書いていますので、それを転載します。上っ面を撫でたような記事です。記者にも良く聞こえなかったのではないでしょうか。『八戸市民大学講座が市公会堂で開校した。本年度の初回は、市立図書館の創立150周年を記念し、直木賞作家の石田衣良さんが講師を担当した。昨今の出版業界の現状に触れながら、本の魅力楽しさを伝えた。石田さんは1997年に「池袋ウエストゲートパーク」でデビューした。「4TEEN」で直木賞を受賞し、その後も作品を次々と発表している。全国の書店では、95,96年を頂点に売り上げが減少している。書店全体も徐々に姿を消す現状に触れ「様々なエンターテインメントが増えたことで、徐々に厳しい時代になった。紙の本は今後、更に、植木や俳句などのような、趣味のようなものになっていくだろう」と指摘した。一方、本は情報の詰まった力のある道具でありとし、「もし世界の文明が滅んだとしても、図書館があれば再現できると言われている」と強調した。「本はただの商品ではなく、魔法の書でもある。本に触れる習慣を身に付けることで、その力に気付いてほしい」と締めくくった。』(私が聞き取れなかった内容も書いてありますが、聞き取れた部分で、内容が違う部分もあるので、記者自身にもちゃんと聞こえてはいなかったのではないかと疑います。「94年を天井に、本の販売は40%に落ち、書店も2万店が8~9千店に減少しています。しかし、出版社は最高利益をあげています。 これは漫画が伸びているからです。← ←この部分が記事では「様々なエンタメが増えたために、本は厳しい時代になった」と書いています。最近の情報源は、インターネットと漫画でしょう。昔は読書でした。その後、出版社が使っている銀座のクラブの話が出て来ます。この話が長く、ひそひそ話になるのですが、ほとんど聞こえません。〇〇が仙台から出て来ました。もちろん誰か、分かりません。大分のちに、「伊集院」というのが聞こえましたので、伊集院静さんの話をしていたのかと思うわけです。ただ、伊集院さんがどうしたとか、どうなったのかは全く分かりません。ところが後席にいる例のおばさんは、頻繁に笑うのです。面白い話なのでしょう。しかし私の席の周囲では、笑い声は出て来ません。館内での笑い声も少ないのでした。講演が始まってすぐ、前の席のおばあさんが「聞こえない」と知り合いらしい隣に告げて、最前列の席に移りました。演劇のように肉声なら、前の席に移れば聞こえる可能性が高くなりますが、マイクで話しているのですから、聞こえが良くなるとは思えません。近づくべき相手ははスピーカーでしょうが、どこにあるのかは分かりません。それでも、おばあさんは最前列の席からは移動しませんでした。良く聞こえるようになったのか、それとも諦めたのか・・・。)
2024.06.02
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地元紙の記事の転載です。世界的に患者が増加する前立腺がんのうち、特に治療が難しい型について、放射性同位体の一種を用いた臨床試験(治験)を始めると阪大などのチームが27日、発表した。使用する放射性同位体は国内製造が可能で、チームは日本発の治療法として世界に広がることを期待している。大阪大学によると、2019年に日本で前立腺がんと診断されたのは約9万5千人で、国内の男性で新しくかかる人が最も多いがんだ。チームは前立腺がんの細胞膜にある膜タンパク質に狙いを定めた薬剤を開発した。薬剤にアスタチンという放射性同位体を結び付けて投与すると、薬剤ががん細胞にくっつき、アスタチンから出たエネルギーの高い放射線が、がん細胞を攻撃する。マウスの実験では、がんが小さくなり、大きな副作用がないことも確認できた。チームは今年6月から約3年かけて、標準的な治療の継続が難しい患者15人をめどに、治験を実施する。アスタチンの安定供給や、薬としての実用化に向けた共同開発も進めている。大阪大学の渡部直史講師は、27日に開いた記者会見で、「前立腺がんは患者数が多く、患者さんからの期待を強く感じている。早く実用化にこぎつけるよう、治験に臨みたい」と話した。
2024.06.02
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地元紙の連載の転載です。中園裕さんが書いています。今回は「交差点」です。八戸市の中心街は、三日町や十三日町を経由する「表通り」と、六日町や朔日町を経由する「裏通り」が並行しています。双方を繋ぐ道路が交わるため、交差点がたくさんあります。中でも三日町交差点は、八戸市庁のある内丸と、歓楽街の六日町や長横町を結ぶ中央通りが交わるので、今も多くの人々が行き来します。1966(昭和41)年の三日町交差点付近の地図です。1987(昭和62)年発行の昭文社の地図です。現在の三日町交差点の姿は「こちら」からご覧ください。1956(昭和31)年3月26日、この交差点に、八戸市で初めての交通信号機がお目見えしました。一方通行となっている現在とは異なり、当時の表通りは対面交通でした。設置当初、信号機に慣れない人は少なくありませんでした。そのため、信号機の青(緑)色下に「進め」、黄色下に「注意」赤色下に「止まれ」の文字が書かれていました。1960年代に入って自動車が急増し、1967(昭和42)年に渋滞解消の一環として、表通りと裏通りが一方通行になりました。それから半世紀以上経った現在も、この一方通行の流れは変わっていません。1968(昭和43)年の丸光、緑屋両百貨店の同日開店は、八戸市の中心街に大きな影響を与えました。2年後の1970(昭和45)年11月6日、三日町交差点の八日町側の一角に、長崎屋が開店しました。この時も、開店前から長蛇の列ができ、記念行進が行われ、お祭り騒ぎになりました。(容易に想像できます。三春屋の向いにいイトーヨーカ堂が新規開店した時にも、両店の前には大行列が出来ました。そして私も、三春屋側の行列に参加していました・・・。何を買ったかは、今でも鮮明に覚えています。養殖物ですが、真鯛一匹の安売りチラシに引かれました。数に制限がありました。行くと既に大行列で、買えるかどうか、不安でした。開店すると、皆が一斉に地下の売り場に走りました。真鯛は買えました。競争相手と思っていた多くの人は、トイレットペーパーとかティッシュペーパーをぶら下げていて、拍子抜けしました。真鯛はうろこが硬く、取る時に飛び、周囲を散らかしますので、台所ではなく、外に出ておろしました。新聞紙をたくさん広げて、真ん中にまな板を置き、サンダルはぬいではだしになり、新聞紙の上にのりしゃがみ、出刃包丁でおろしました。真鯛の肉質は硬いので、おろすのは簡単です。最初の頃は、当時は価格が安かったサバで身おろしを練習していたのですが、肉質が柔らかいので、上手におろせませんでした。練習のかいあって、魚のおろし方は上手くなりましたが、最近は面倒なので、もっぱらさばいた後の物を購入しています。)地階と1~7階に売り場を設け、丸光百貨店を上回る規模を誇った長崎屋は、高級路線の丸光とは異なり、手ごろな価格の商品を前面に出して、人気を得ました。話題を集めた長崎屋と丸光が向き合ったので、三日町交差点は大混雑となりました。客足が三日町に流れることを恐れた十三日町の商業関係者は、当時人気だったアーケードの設置を急きょ決定しました。この年の暮れに、十三日町はアーケード街になりました。混みあう交差点で交通事故が起きるのは、三日町も例に漏れません。1972(昭和47)年9月22日、歩行者と自動車の横断を振り分けるスクランブル信号機が導入されました。青森県内では、弘前市土手町の「かくは宮川百貨店」前に続く、2番目に早い設置でした。大勢の人々が集まる交差点だけに、周辺にはいろいろなお店や施設が出来ました。八日町の番町寄りには、1951(昭和26)年に青森銀行八日町支店が開業しました。向いの三日町側には岩手殖産銀行(現岩手銀行)八戸支店がありましたが、後に丸光百貨店になりました。その後青森銀行八日町支店を廻送する形で、おもちゃ屋が出来ました。店名は、かわいらしい「タンタン」です。子供たちのあこがれの場所でした。2回にはパーラーがあり、親子で楽しめる憩いの場でした。(このような店に興味がないせいか、記憶にありません。場所は一等地ですから目立つのですが。そういえば、現在はダイワロイネットホテルになっていますが、その前は何だったかも想い出せません。加齢現象が出ているのかもしれません。)喫茶店やパーラーといえば、長崎屋の誓いにコーヒーショップの「凡」が入店していました。長崎屋の向かって左隣には、1974(昭和49)年に八戸グランドホテルが経営する「サンフラワー」が開業しました。1階がパーラーで、軽食とパンやケーキを販売しました。2階はグリルサンフラワーで、フランス料理を提供していました。賑わう交差点を象徴したのが、1973(昭和48)年の暮れに、長崎屋の正面付近に設置された騒音測定器(公害測定器)でしょう。高度成長を遂げて以来、全国各地の都市部で問題視されていましたが、郊外のデパートと揶揄された八戸市も同様でした。写真を見ると、デジタル掲示板に数値を表示していました。単位が「ホン」であるのも時代を感じさせます。今は「デシベル」ですからね。交通信号機の左下にあります。本紙の昨年2月17日付コラム「天鍾」欄には、「これから賑やかになっていくであろう八戸の街の象徴に思えて、どこか誇らしくもあった」と紹介されていました。現在、長崎屋は郊外へ移転し、タンタンやサンフラワーは既になく、いずれも跡地はホテルやマンションになって、随分と様変わりしました。それでもマンションの1階には大手のカフェが出店。丸光は「さくら野百貨店八戸店」になり、盛田カバン専門店もニューバッグモリタとして営業を続けています。交差点は人と人が交わる場です。それは出会いの場になるかもしれません。出不精にならないよう、体力の維持も兼ねて、まずは街に出てみませんか。(四半世紀の差がある1966年と1987年を比較しても変化は激しいですが、半世紀以上前の1966年と現在の三日町交差点付近は、全く別の場所のような感じです。1987年の地図には、現在の面影があります。)
2024.06.01
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テレビ朝日の記事の転載です。ブラジルでは大洪水で甚大な被害が。 ブラジル南部では、4月末から続く記録的な大雨により各地で大規模な洪水が発生し、ロイター通信によると、死者149人、行方不明者は108人にのぼり、『ブラジル史上最悪の水害』と言われる事態になりました。今回のブラジルの水害により、鶏肉が値上がりする可能性があります。というのも、ブラジルは日本に輸入される鶏肉の約7割を占めていて、ブラジルの鶏肉の生産地域である南部が今回の大雨で大きな被害を受けたからです。資源・食糧問題研究所の柴田代表は、「南部は鶏だけでなく、鶏の飼料も生産しているため、影響は大きい。価格は上がらざるを得ない」といいます。また、ブラジルで2023年の秋から2024年の春まで続いた猛暑や干ばつの影響も出ています。ブラジルは、日本に輸入されるコーヒー豆の約3割以上を占めていますが、2023年1月に1トンあたり2000ドルほどだったものが、2倍以上になり、日本のコーヒーメーカー大手は4月に即席コーヒーを約2割値上げしました。そして、先日もお伝えしましたが、日本に輸入されるオレンジ果汁の約6割を占めるブラジル産のものが不足し、ジュースの販売休止が相次いでいます。また、約2割を占める大豆の生産量が減少したため、大豆油の価格が高くなる可能性もあります。
2024.06.01
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地元紙の記事の転載です。●秋田県鹿角市の山林でタケノコ採り中に行方不明となり、23日、遺体で収容された三戸町の無職Sさん(64)について鹿角署は、司法解剖の結果、失血死の可能性があると発表した。首や背中、腕や足などに噛み傷やひっかき傷があり、クマに襲われたとみて、調べている。署によると、Sさんの衣服には動物の黒い毛が付着しており、秋田県が回収して分析している。Sさんは15日に入山し、18日には捜索していた警察官2人がSさんの遺体を発見した直後、クマに襲われて負傷した。安全確保のため、遺体収容は22日になった。●最近はクマの出没が多過ぎて、いちいちブログには書いていないのですが、上の記事の隣に「クマ目撃情報」がありましたので、ついでに書いておきます。八戸市鮫町骨沢付近 23日午前11時半ごろ、1頭●市街地でクマ銃猟可能にするために法改正へ方針提示昨年度過去最多の人的被害が出たクマ対策に関し、環境省の専門家検討会は、一定の条件下で、市街地での銃猟が可能となるよう、鳥獣保護管理法の改正を柱とする対応方針案について議論した。大きな異論は出ず、法改正を目指す見通しとなった。検討会は夏ごろに、方針として正式に取りまとめる予定にしている。近年、市街地へのクマの出没が相次ぎ、人的被害が相次ぎ、人的被害が増えているにもかかわらず、現行法は住宅が密集する地域や、公共施設周辺などでの銃猟を原則として禁じている。環境省によると、クマが市街地に現れた場合、ハンターらが銃猟できるのは、警察官が警察官職務執行法に基づき命じた場合などに限られており、警察官が現場にいない時などには、銃猟できないことが懸念されている。こうした事情を踏まえ、方針案では鳥獣保護管理法を改正し、クマによる人的被害の恐れが生じている場合、市街地での銃猟を特例的に行えるようにすべきだとした。環境省によると、2023年度のクマに人的被害は、把握できる2006年度以降で最多の198けんだった。岩手県の達増知事らから、市街地での銃猟に関し、規制緩和を求める声が上がっていた。●指定管理鳥獣猟の費用を国が援助人間が住む地域にクマが近づき、出くわした人が攻撃され、怪我をするなどの被害が増えています。国は対策として、4月からクマを「指定管理鳥獣」にしました。野生動物の数が増え、住む地域が広がると、動物に畑の農作物を食べられてしまったり、人が被害を受けることがあります。指定管理鳥獣になった動物について、都道府県は済んでいる地域や数を調べ、捕まえて数を減らすなどの対策を進めます。国は費用を援助し、禁じられている、夜間に銃を使用する猟も出来るようになります。これまで指定管理鳥獣は、ニホンジカとイノシシでしたが、クマを加えました。昨年度、クマの被害を受けた人は全国で200人と、これまでで最多となり、被害の多い県などが国に指定を求めていました。ただ、捕まえ過ぎにならないかと心配する声や、人が暮らす場所にクマが入らないよう、生活地域を分ける取り組みが必要だという意見もあります。
2024.05.31
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●地元紙の記事の転載です。八戸市北白山台地区で28日、クマ1頭の目撃が相次いだ。早朝に北白山台2丁目の事業所敷地内、昼過ぎには北白山台6丁目の白山台公園に出没した。公園近くには複数の小中学校があり、学校側は保護者への引き渡しや一斉下校などの対策に追われた。八戸市によると、最初の目撃は午前5時20分ごろ、白山台2丁目にある事業所の駐車場に、体長1m程のクマがおり、従業員と遭遇すると、直ぐ林の中に逃げたという。次は午後2時25分ごろ、白山台公園南東部の遊歩道付近を歩いているクマを、通行人が目撃した。通報を受けた八戸市は、職員と市鳥獣被害対策実施隊におる現地調査を実施した。八戸警察署もパトカーによる警戒監視や、住民への注意喚起を行った。クマは27日にも八戸市田面木前平で1頭が目撃されており、同一個体が近辺をうろついている可能性があるという。八戸市農林畜産課は「必要があれば捕獲を含めて対応する。脱出毛色は塞がず、極力山に帰すようにしたい」という。白山台公園に近い白山台、西白山台、田面木の3小学校と白山台中では、28日午後の目撃情報を受けて保護者に連絡し、子供を引き渡す措置を取った。白山台中学校は委員会活動や部活動を中止し、迎えに来られる保護者には生徒を引き渡し、残りの生徒は午後4時半に一斉下校させた。M教頭は「子どもたちに被害がないことが第一と考え、時間が遅くなる前に下校させた」と説明した。迎えの保護者は「子どもが一人で帰る状況にならなくてよかった。誰もけがをしなければいいけれど・・・」と不安げに話した。グーグルマップで白山台付近の地図は「こちら」をご覧ください。クマが出没した地域は、最初は白山台2丁目と白山台6丁目と報道されましたが、後に、どちらも北白山台と訂正されました。●青森県深浦町や深浦消防署によると、29日午前10時35分ごろ、同町上長慶平薄月でつがる市の夫婦が山菜採りをしていたところ、夫(86)がクマに襲われた。夫婦は近くの民家に駆け込み、妻が「夫がクマにかまれた」と同消防署に通報。夫は右耳から右顎まで裂創を負い、五所川原市内の病院に救急搬送されたが、命に別条はない。県によると、クマによる人身被害は県内で今年初めて。●FNNニュースオンラインの記事の転載です。群馬・安中市で31日未明、住宅に侵入したクマに襲われ夫婦が重傷。 午前0時半ごろ、安中市の住宅で住人の男性(74)が物音に気づき窓を開けたところ、侵入してきた体長1メートルほどのクマに襲われ、頭に重傷を負ったほか、妻(72)も腕を骨折し重傷。 クマはその後、立ち去っていて、警察が警戒を呼びかけている。
2024.05.31
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城下町八戸の大火として前回は文化3(1806)年を取り上げた。今回は、それ以降の大火を述べることにする。文政8(1825)年1月の大火は、六日町周辺の裏町を中心に焼失し、十三日町、三日町、八日町という中心街も類焼した。焼失家屋241軒。二十八日町に住む西町家は被害の大きさに驚き「誠に前代未聞」と書き留めている。文政12(1829)年4月の大火は規模が大きかった。404軒(かまど数493軒)の家々が焼けた。折しも西寄りの強風が吹く中、風上の新荒町から火の手が上がり、瞬く間に城下の中心街を総なめにした。火勢が強く、「その早き事、飛ぶが如く」というほどであったという。文政8年の大火後、町民の中には未だ粗末な仮住まいを強いられ、裏長屋居住の者が多く、人家の過密化が大惨事を招いた。この惨事を受けて、藩では都市改造策ともいえる対策を打った。まず家造りの規制を行った。建て揚げ(軒高)は表町14尺(4.2m)裏町12尺(3.6m)とし軒先に出す小見世(こみせ:ひさし下の通路)も、それぞれ4尺(1.2m)と3尺(0.9m)幅に統一した。次いで屋根葺石置き屋根が多かったが、これを柾葺き屋根に統一した。これらの規制は、建物の高さを均一化して、消火作業時の上り下りを容易にし、屋根の石を撤去して、火消しの屋根移動を妨げないようにする狙いがあった。これによって城下の防災化が図られ、整然とした街並みが整えられた。他の対策としては、表町通りと裏町通りの街路を拡張するとともに、今まで片側にしかなかった町堰を両側に開削して、防火用水としての機能を高めた。このように藩では大火を防ぐ手立てとして、城下の都市問題解決の施策を打ち出した。そして八戸城下最大規模の火事といえるのが、元治元(1864)年12月の大火である。焼失家屋317軒で、町家被害は文政よりも少ないが、武士の家49軒も焼失した。従来の大火は、町人だけの被害であったのだが、この時は武家町にも及び、全城下的大火災に至った。火事は城下端の二十三日町から起きた。火災は冬場の乾燥の中、西からの激しい風に吹きつけられて、城下の表町から裏町のほとんどを焼き尽くし、未曽有の大災害を引き起こした。火災の規模を文政12年大火と比較すると、文政の延焼時間は約8時間、焼失家屋は約430軒(町家以外も含む)、元治は約10時間、約370軒(同)を焼失した。延焼時間に比べて焼失戸数がやや少ないが、焼失面積が大きかった。風にあおられて火の粉が四散し、極めて火勢が強かったことを意味する。大火後の藩の対策は、表町通りだけにあった町堰を裏町通りにも延長し、全城下的大火災に対応した、防火用水を街中に張り巡らせた。慶応元(1865)年に、十三日町から六日町、朔日町、十一日町まで開削工事を進めた。更に武家町も多くの焼失家屋を出したことから、武家町の街区改良を行った。同年に長横丁、鷹匠小路、鳥谷部丁、本鍛冶丁の街路拡幅のために測量を実施している。こうしてみると八戸城下は、度重なる大火災を契機として、過密解消のための町家移転をはじめ、消火作業に資する家造りや、屋根の葺き方規制、防火用水としての町堰の延長、防火機能としての道路拡張などという施策を積み重ねていた。それ程大規模な都市改造ではないが、都市構造の見直しに踏み込んでいたことがうかがえる。明治・大正といった近代につながる都市問題を解決するための懸け橋として、役割を果たした。
2024.05.30
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JIJI.KOMの記事の転載です。 東京慈恵会医科大の研究グループは24日までに、水虫と、皮膚がんの一種である足の裏の「メラノーマ」の発生に相関が認められたと発表した。これまで足裏のがん発生には物理的な刺激が関わっていると想定されていたが、感染症である水虫との関連が初めて示された。水虫の治療や予防により、これまで困難とされてきたメラノーマ予防に一定の効果が期待できるという。研究成果は6日付の国際学術雑誌「ジャーナル・オブ・ダーマトロジー」に掲載された。日本人はメラノーマが足裏に発生することが最も多く、進行すると致死率も高い。胃がんはヘリコバクター・ピロリ菌などの慢性感染症から引き起こされるため、グループはメラノーマも白癬(はくせん)菌の感染症である水虫から発生する可能性があると考え、両者の関係を調査した。研究では、日本人のメラノーマ患者30人とそれ以外の皮膚病患者84人を調査。足裏を顕微鏡で調べた結果、メラノーマのグループは60%、非メラノーマは29.8%が水虫に罹患(りかん)していた。解析の結果、水虫がメラノーマの発生に関与している可能性が示されたという。研究グループの延山嘉眞・慈恵医大教授は「今後は発がんとの関連を分子レベルで解明したい」としている。
2024.05.30
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前回は大正13(1924)年の八戸大火の様子を見て来た。今回からは、城下町八戸における大火について述べる。大正13年の鯛かは、八戸の都市構造がもたらした災害であると指摘したが、江戸時代の八戸城下町も年という共通の基盤を有していたことから、そこには同じような特徴が見て取れる。江戸時代は、今以上に火事が多かった。八戸藩時代、大雑把に約30件の大火が記録されている。ボヤを含めると、相当な数の火災があったはずである。城下に大火が頻発した理由は、住居が木造であること、屋根が柾(まさ)葺きないし茅(かや)葺きであったことが挙げられる。まして八戸城下は西から東へ細長く、帯状に形成された地形、いわゆる”ふんどし町”であったことも大きな要因だ。その上、冬場には太平洋岸特有のフェーン現象の乾燥が起き、西から強い風が吹き付ける。西の方の上町から出火すれば、たちまち東方に延焼し、遂には城下の全てを焼き尽くすという大惨事をたびたび引き起こしてきた。八戸城下で被害の大きい火災は、文化年間(1804~18年)以降に多い。文化3(1806)年11月、文政8(1806)年1月、同12(1829)年4月、元治元(1864)年12月のことである。文化年間以降に大火が集中したのは、都市居住者が増加したことによる。裕福な家持ち層ではなく、都市商業の底辺を支える日雇いなど下層町民(大正期の無産者に当たる)の増加である。背景には、八戸藩経済が、この時期から著しく発達して、江戸と往復する大型回船が何艘も八戸に入港し、都市商業にかなりの潤いが出ていたことがある。それに伴い、下層町民の住居数も増大した。その多くは表通りではなく裏通り、しかも路地裏の裏長屋である。町家は必然的に立て込んだ。町人町は武家町に比べてここの屋敷地が狭く、かつ人家が隣り合うように折り重なっていたから、いったん火事が起きると瞬時に延焼して、焼失区域が次々と拡大した。町家の密集化、いわば都市の過密化が大火を引き起こしたとすれば、城下の大火は大正大火と同様に、都市特有の災害にほかならない。そこで文化3年大火の事例を見よう。この大火は、都市の過密化が大火を引き起こした典型的な都市災害である。被害は家数170軒、かまど数(世帯数)229軒で、六日町を中心とした裏通りの大半が焼失した。「火勢至って強く」「火先のまま焼け行き」と当時の史料に記されるように、火勢が強かったのが特徴だった。翌4年、藩では大火の原因として町家の密集があったと考えて、町人町の街地の拡大を図ることにした。中でも札ノ辻(三日町、八日町交差点)より以西、三日町から二十三日町にかけての上町通りの密集が著しいとして、下組町を東へ拡張して町人町域を設け、ここに町人を強制移住させた。武士は新設の柏崎新町へ移した。この都市拡張によって、上町通りの町家密集を解消しようとしたのである。ところで、火事が起きると、町火消が火事場に馳せ参じた。火消以外の町民も、延焼防止の手伝いをするのが習わしだった。だが、この大火の際には、町衆は消化に出ず、各自勝手に家財を運び出した。そのため現場の消火人員が不足し、延焼を防止することができなかった。町衆の不可解な行動に対して、町奉行の遠山平馬は「不思議の次第到来」と遠山日記に書き残している。(現代の火消しは、燃えている建物に放水し、更に延焼を防ぐため、隣の建物にも放水します。江戸時代の消火は、建物を壊すのが中心でした。)八戸大火から100年 (6)最終回へ続きます。
2024.05.29
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HTB北海道ニュースの記事の転載です。(猟友会に報酬が出ていることを初めて知りました)空知の奈井江町の猟友会が報酬が低いことなどを理由にクマの駆除に参加しない方針を示している問題。後志の島牧村でもかつてハンターの報酬を巡り猟友会が出動しない事態となりました。島牧村のその後を取材しました。北海道猟友会砂川支部奈井江部会 山岸辰人 部会長) 「高校生のコンビニのバイトみたいな金額でやれ。ハンター馬鹿にしてない?って話ですよ」。猟友会の奈井江部会トップの山岸辰人さん。メンバーらと話し合い、クマの駆除などを行うチームに参加しないことを町に伝えました。理由のひとつが出動した際の報酬額。町から提示された日当は8500円で、発砲した場合は1万300円でした。北海道猟友会砂川支部奈井江部会 山岸辰人 部会長) 「やっぱりヒグマは相手が違う。この条件ではちょっとやっていられない」。道内ではかつて別の町でもハンターの報酬を巡る問題が起きていました。北海道猟友会寿都支部島牧分会 花田雄二さん) 「私たちとしてはその金額では納得できないので、私たちは出ることができませんっていうのが2年ぐらい続いたんです」。 2018年の夏、島牧村ではクマが連日出没し被害が相次ぎました。発砲許可が下りず事態は長期化…夜間の出動も重なりおよそ2か月間で猟友会の報酬は1000万円を超えました。村議会は報酬が高額すぎると上限を240万円とする条例を可決。これに反発した猟友会は村への協力をやめました。北海道猟友会寿都支部島牧分会 花田雄二さん) 「やっぱり危険を伴うので対峙するわけですからある程度の報酬がないとそれは向かっていく気にはなりませんよね。捕獲した後も捕獲した獲物を私たちが全部運んで解体して捨てる前までそれまでは全部猟友会の会員がやるので」。 その後、再び上限が撤廃され協力を再開した猟友会。報酬は毎年見直されることになり、今年度は8時間の出動で2万6900円が支払われることになっています。今回問題になっている奈井江町の提示額は半額以下の最大1万300円。この金額について花田さんは… 北海道猟友会寿都支部島牧分会 花田雄二さん) 「低すぎます。命を張っているので。低すぎます。絶対出ません。(自分が)その金額で 出てくださいっ言われて命張って出ます?っていう話だと思うんですよね」」自治体によって異なるハンターへの報酬額。役場の担当者もどの金額が妥当なのか頭を悩ませているといいます。島牧村役場企画産業課 栗田翔 主幹) 「国や道で基準みたいなのを作っていただいて、参考になる単価というのを出していただけると行政側からするととても助かります」HTBの取材に対し「猟友会と改めて話し合いをしたい」とコメントした奈井江町。しかし、猟友会の山岸さんによりますとその後、町からの連絡は何もないということです。●ABEMA timesの記事の転載です。北海道奈井江町では、2023年にクマ目撃情報が20件あったため、猟友会に「鳥獣被害対策実施隊」への参加が呼びかけられた。北海道猟友会 砂川支部 奈井江部会の山岸辰人部会長は、町役場から2024年4月中旬ごろ、「参加してください」と連絡があったと語る。役場からは「基本的に『箱わな』で捕る。皆さんが鉄砲で撃って殺してくれればいい」と言われたものの、実際には「トラックで処理場まで持っていき、北海道に検体を出さなければならない」。死体はその後、隣の砂川市の火葬場で焼却処分する必要があるが、「動物用の釜に50キロくらいしか入らない。1頭200キロなら解体しなければいけないが、4つにバラしても、それだけで8時間かかる」。そもそも猟友会は、都道府県が管理する鳥獣駆除の資格を持ったハンターの集まりで、害獣駆除のために結成されたものではない。「これじゃまるで(町役場の)下請け。我々は仕事を持っていて、ヒマではない。猟友会は『狩猟趣味を一緒に楽しもう』というのが基本的理念で、お金稼ぎをするところではない。私たちは税金を払って、狩猟というスポーツを楽しむ。駆除を役場から頼まれても、それは我々の自由意志で、金銭をもらわない代わりに、何の拘束も受けない。法律の範囲でやるだけ」(北海道猟友会 砂川支部 奈井江部会・山岸辰人部会長)クマが出没すると、必ず猟友会が出てくると思っている人も多い。しかし本来は、自治体が招集をかけても、猟友会は必ずしも応じる義務はない。その上で、山岸氏は「クマとシカの猟は別次元」と説明する。 「シカの駆除での死亡は、あまり聞いたことがない。事故で死亡した人の半分はハンター。正直駆り出されたくない。自ら進んで寿命を縮めるようなことはしたくない。ちぎられた腕が戻ってくるわけではない」(山岸部会長)山岸氏ら猟友会は、町役場が増額要求に応じなかったため、町長宛に辞退表明を行った。これを受けて奈井江町は、「金額の増額も含め、猟友会と改めて話し合いを行い、町民の安全を確保できるよう努めていきたい」としているが、山岸氏は報酬を増額しても、辞退の意思は変わらないという。ハンターたちの実情を聞いて、スピードワゴンの井戸田潤は、駆除について「自衛隊や警察がやるべき仕事」ではないかと指摘する。「猟友会がやることではない。現場のことがわかっていない感じがする」。
2024.05.29
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八戸町は、明治維新から半世紀を経過したこの時期、周辺各地から多くの人々を引き受け、爆発的に戸数と人口を増加させていた。明治9(1876)年は戸数1714戸、人口は9667人であったものが、大火のあった大正13(1924)年には戸数3595戸、人口は1万9315人となり、戸数は2.1倍、人口も2倍に急伸していた。八戸の町域は、城下町時代の空間と同一の狭い都市空間に、多くの人口流入を抱え込んだため、町全体の家屋の密集度が極めて高まった。このような戸数と人口の膨張が、大火災を引き起こす背景にあったと言える。それでは、戸数と人口の膨張という背景の中で、どこの腸内に大火被害が多く、しかもどのような改装に被害が集中していたのであろうか。大火後、八戸町役場は「八戸町火災救済誌」を編纂したが、この中に罹災者調が掲載されている。この罹災者調は、焼失戸数における町内ごとの無産者、中産者、資産者の階層に区分して、被害者数を記録している。それによれば、焼失戸数に占める無産者数割合は、1393戸中869戸、実に62%も占めていた。この無産者とは、人口増加によって形成された低所得者層であるから、間借りや借家、あるいは家があったとしても、小規模な家屋に住んでいたはずである。このような家屋に住む無産者が、6割を超えるほどの被害を受けていたのである。これは、八戸町の家々は軒を連ねるように立て込んでいたことを意味し、一度火災が発生すれば、たちまち延焼の危険度が高まったということだ。また罹災者調から町内ごとの被災者を見ると、罹災町内のうち無産者の焼失比率が高い町内は、本鍛冶町(91%)、十一日町(89%)、下大工町(87%)、下組町(85%)、窪町(85%)、二十六日町84%)、岩泉町(82%)、鷹匠小路(80%)と続く。主に裏町や場末の下町地域が多い。これは、それらの地域に小規模な家屋が密集していたことを示している。焼失地図を一見すれば、延焼地域が十三日町などの表町よりも、無産者の多い裏町や下町地域に、帯状に広がっていることが読み取れる。以上のことから、急激な人口の増加により、手狭な場所に住居が立て込み、とりわけ無産者が住む裏通りや下町地域の密集こそが、風の激しさと相まって、大火に至らしめた大きな要因であったといえる。その外、当時の一般民家の多くは板葺き屋根の木造建築であったこと、街路は狭い上に、城下町特有の入り組んだ街区が多く、町全体を有機的に貫く幹線道路がなかったことなども理由に挙げられる。こうしてみると、八戸は大火は単に強風がもたらしたものではなく、都市特有の災害であったことは明らかである。この火災を契機として、町の課題として浮かび上がったのは、住宅地の供給であり、防火帯としての機能を併せ持つ道路の拡幅と幹線道路の開設、消防用水に対応できる水利施設の充実、建物の不燃化などだった。わけても緊急なものは、街路の拡幅と上水道の敷設であった。街路の拡幅は進められたが、火事の切り札ともいえる上水道の着工は、大火から24年経った昭和23(1948)年まで待たなければならなかった。八戸大火から100年 (5)に続きます。
2024.05.28
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東奥日報の記事の転載です。「自分が求める最高の笑顔が見られて、本当に帰って来て良かった」。大相撲春場所、新入幕力士として110年ぶり、青森県出身者では27年ぶりの優勝から1カ月余。凱旋(がいせん)パレードに臨んだ尊富士(25)は「地元ファンに向き合いたい」との願いをようやく実現させ、場所中の厳しい表情とは打って変わって柔和な表情を浮かべた。次は三役、大関、さらには師匠伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士、つがる市出身)以来県人7人目の角界最高位へ期待は高まる。「県民が喜ぶ相撲を」が信条の新星は、古里の後押しを力に再び歩み出す。今年の初場所、頂点に立った部屋の横綱照ノ富士の優勝パレードの旗手、続く自身の春場所直後のパレードを「ドラマを見ているよう」と例えた。その一大セレモニーの第3幕となる地元五所川原市への凱旋。名峰岩木山、別名・津軽富士を望む古里で、大相撲史に名を刻んだもう一つの「富士」は、市内2カ所の沿道に陣取ったファン約計5万5千人(五所川原市発表)による万雷の拍手と「最高」「日本一」の大声援に包まれた。尊富士は同市金木小の卒業文集で「強くなっていき将来日本を、明るくして…」と思い描いた。史上最速、右足のけがを乗り越え初土俵から10場所目で現実にした勝負師は「青森県で応援してくれる全ての人の夢になりたい」「地元の応援があるからこそ相撲を続けられる」と古里への思いも人一倍強い。同市金木町地区では「皆さんの良い笑顔を見られるよう、これからの相撲人生、精いっぱい頑張る」と述べた。市中心部では「年配の方の夢になり、お子さんの希望になりたい」と決意を語った。春場所では日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)をはじめ親方衆や専門家、好角家をスピード感あふれる出足でうならせた。尊富士は「雪道を歩いたから。雪しかない街と思っているぐらい」と話すなど、故郷で培った土台が今につながる。厳しい冬を経て、春から夏へ、暑い季節を控える古里で「もっと強くなり、青森県、五所川原市、金木町の活性化につながるような相撲を取り、全国から(地元に)人が訪れるようにしていきたい」との熱い思いを口にした。右足の痛みはまだ残り、夏場所(12日初日、両国国技館)への出場はまだ不透明な尊富士。だが古里の熱狂に包まれたホープの闘争心はより一層燃えたぎる。「スポーツをやっている以上、けがはある。それを超えないと強くなれない」。当面の目標とする三役挑戦への闘いは続く。(金木出身の有名人は①太宰治、②吉幾三、そして三人目に③尊富士が登場しました。田舎町ですが、有名人が生まれやすい雰囲気でしょうか。旧岩手県水沢市も有名人が出たことで有名ですが、どちらかというと歴史的な人物です。高野長英、斎藤実、後藤新平は水沢の三偉人と呼ばれています。政治家の椎名悦三郎、小沢一郎も水沢の出身です。)
2024.05.28
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この大火を当時の新聞は次のように生々しく報じた(奥南新報5月17日付)「八戸町大火 目抜き通りの場所 廿余ケ町千四百を焼盡(しょうじん)十六日午前零時五十分八戸町大字本鍛冶町・・・から出た火が、暴風警戒中の西南西の烈風にあおられ、乾き切った屋根から屋根へと燃え広がり、火の手は見る間に四方八方に移って、消防全員の出勤も上記ポンプの活動も、全局に対して何の功もなく、目抜きの場所二十余ケ町千三百五十六戸を焼失し、湊町に近い下組町まで焼き盡(つく)して午前六時漸く(ようやく)鎮火した。」この記事によると、東西に長い八戸町の西端、本鍛冶町で出火したところに、西南西の烈風が吹き付けたため、風下に位置する東側の市街地が瞬く間に壊滅する結果になったという。つまりここでは、強風が大火の原因として強調されている。だが八戸町が大火に至った理由を、自然現象だけで片づけてよいものであろうか。まず、そもそも消防力に限界があった。大火に動員された消防隊員は、近隣市町村を含めて二千有余人、消防装備は腕用ポンプ49台、蒸気ポンプ2台という近代装備を有していた。腕用ポンプは、荷車の上に水槽と、シーソー型の腕を取り付けた手押しポンプだったが、火事の際には10台そこそこしか稼働しなかったとされる。蒸気ポンプは当時の最新鋭の装備であったものの、蒸気が吹きあがって作動するまで長時間かかった長しかも「筒先より散水するも距離3間(6m弱)にも及ばず」という始末で、この程度の性能では、強風による火勢の前には全く歯が立たなかった。さらに水をくみ上げる水槽などの消火用水源は八戸町には備わっておらず、江戸時代に掘った町堰があるのみで、これを堰き止めて放水せざるを得ないという、至って粗末な消防水利であった。書房用水に使うべく、大杉平の、非常用のため池は設置されていたものの、町堰に水を落とし込んでも、火事場近くに水が到達するには時間を要した。せっかくの近代設備を使うにも、水の絶対量が不足していたのだ。そして被害が広がった最大の要因は他にあった。大正13(1924)年5月16日に起きた八戸大火が大きな被害につながったのは、八戸町の膨張、戸数と人口の激増により、都市としての基盤整備が追い付いていないところにこそ、真の原因があった。八戸大火から100年 (4)に続きます。
2024.05.27
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日本農業新聞の記事の転載です。太陽表面の爆発現象「太陽フレア」による地球の磁場の乱れで衛星利用測位システム(GPS)が影響を受け、米国の一部地域では農機の自動操舵(そうだ)機能が使えなくなるなどの事態が発生している。日本でも一部で自動操舵の精度に“ずれ”などが報告されているものの、農作業の進捗(しんちょく)には大きな影響はないとみられる。千葉県内で自動操舵田植え機を使う農家によると、14日の作業中に「これまで経験したことがないずれ」が出たという。ずれは大きい場所で20センチほどで、隣の条に重なるほどではなかった。水稲の生育には問題ないとしつつ「大豆やジャガイモの中耕でこのずれが出ると畝を壊す恐れがある」とも話した。他の農家や農機各社への取材では、いずれも作業不能となるような大きな影響はないという。あるメーカーは「今まで見たことがない挙動」とし、モニター上は直進していても、実際はうねって進むという報告があった。一方、こうした事象が「多発しているかは不明。太陽フレアの影響かどうかも断定できない」とした。米国ニューヨークタイムズは太陽フレアによる磁場の乱れが「GPSを破壊」と報じ、自動操舵が使えなくなった農家を紹介。アイオワ州の発表でも、現地の販売店には農家からの電話が殺到、農家は作業中断を強いられたという。太陽フレアは、8日から15日までに大規模なものが13回連続で発生。無線や通信網への影響が懸念されていた。一方、太陽フレアは2025年にピークになるとの予測もあり、今後も警戒が求められそうだ。(以前、農作業でのトラクターなどの自動運転に関し、以前の誤差は1mあったのですが、新しい衛星を、確か4個打ち上げることで、誤差が10cm以内になるという報道に接し、驚いたことがあります。太陽フレアでのずれが20cmほどだったということは、現在は新しい衛星が実用化されているらしいです。)
2024.05.27
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大正13年5月30日、午前0時30分、本鍛冶町(七ツ屋とも呼ばれていました。神明宮の近くです)の民家から火災が発生した。西南西の強風にあおられた火の手は、二十六日町、二十三日町に拡大し、八戸中心街の十三日町、三日町の表通りと、十六日町、六日町の裏通りを次々と焼き尽くし、街の東端の下組町に至ってようやく鎮火した。中心街の地図は「こちら」をご覧ください。わずか6時間で25町内、人家1396戸、公共建築物(郡役所、銀行等)や土蔵など383棟が焼失し、罹災者は6967人に及んだ。当時、八戸町の戸数は3595戸で、人口は1万9315人であったが、このうち焼失戸数は町域の39%、罹災者数は36%を占めた。町長は「商工業の中心地を焼き尽くしたるを以って、八戸町の8割が壊滅したと言っても過言ではない」と嘆いたという。朔日町の来迎寺にある阿弥陀仏像は、町中心部を飲み込んだ八戸大火の痕跡を今に伝えている。来迎寺は1280年に創建された浄土宗の寺院で、約340年前に現在の場所へ移転した。本堂に向かって左側にある阿弥陀仏像は、1700年に初代八戸藩主南部直房の火葬地に建立され、後に来迎寺へ移された。K住職によると、1924年の八戸大火では、当時のB住職が、本堂内の本尊を運び出すことができたものの、建物は火の海に包まれた。この時、阿弥陀仏像も焼けただれたという。その後、火災に強い鉄筋コンクリート造りの本堂が新たに立て直されたが、阿弥陀仏像は痛ましい姿になりながらも、今も大切に残されている。上の写真は八戸大火で焼きただれた来迎寺の阿弥陀仏像(青霞堂絵葉書より)。下は、石碑と共に残されている現在の姿。八戸の大火 (3)に続きます。
2024.05.26
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マネックスメール・大橋ひろこさんの転載です。退職代行サービスが伸びているのだそうです。「退職代行」で検索するとズラリと退職代行サービス業者の比較サイトがヒットします。現状では100社を超えるまでに拡大している業態とあって利用者も増えているのでしょう。退職の意思くらい自分で伝えればいいではないか、という指摘もご尤もですが、私も会社員勤めの経験があり、会社を辞める時はずいぶん思い悩み時間がかかったものです。自筆の退職願をオフィスの引き出しに潜め、部長に提出する勇気が出るまでにも数ヶ月要した記憶があります。なぜ今、退職代行サービスが伸びているのでしょうか。「退職の意思を伝えても会社を辞めさせてもらえない」「ハラスメントを受けていて会社の人と会いたくない」「有給消化、未払賃金交渉」など利用者の動機は様々ですが、要はパッと辞めても次があるという時代になったということではないでしょうか。いよいよ日本でも賃金上昇の機運が高まっていますが、インフレというだけではなく労働力確保のために必要だという側面もあるでしょう。企業側としては辞めてもらいたくないが、雇われる側とすればもっといい条件の会社がある、圧倒的な売り手市場となっています。そしてZ世代が重視する「タイパ(タイムパフォーマンス)」。無駄な時間を使いたくない、時間は効率的に使いたいというデジタルネイティブ世代にとって、私が経験したような退職の経緯は効率が悪いものに映るでしょう。なかなか辞めさせてくれない会社とのやり取りに時間を使うなら別のことに時間を使いたい、ということなのかもしれません。私の会社員時代にはなかった退職代行サービス隆盛、次はどんなサービスが来るでしょうか。
2024.05.26
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(八戸は風が強い地域です。昨日も、最大瞬間風速29mを記録しています。こういう強風は八戸では、不思議ではありません。よく起こる現象です。ですから、大火も多く発生しています。「八戸大火」はもちろん経験してはいないのですが、中学校の時に起きた「白銀大火」は鮮明に覚えています。健康診断の日で、校舎の外に停めてあったレントゲン車に行くために行列をしていました。この日も強風が吹き荒れ、巻き上げられた土ぼこりが空一面を覆い、色は茶色で、太陽光はさえぎられていました。白銀地区一帯が燃えました。それは高校受験にも影響しました。自宅が燃えてしまったのですから。白銀中学校から、地元の進学校へ入学できた女性は、たった1人だけでした。以下の記事は、地元紙の第1面のほとんどを占めている力作です。他面にも、紙面の関係で書ききれなかった追加記事があります。全ての記事を、何回かに分けて転載したいと思います。書いているのは三浦忠司さんです。三浦さんは八戸歴史研究会会長・安藤昌益資料館館長です。以下が本文です。)今の八戸の街並みから想像できるだろうか。民家から出た火が、屋根伝いに火柱を上げて燃え広がる。強風にあおられて暴れた炎は、6時間にわたって街を焼き尽くした。城下町の風情を残した町中心部は、消化もままならずに焼け野原になってしまった。呆然と立ち尽くす人々の姿が痛ましい。1924年5月16日未明の「八戸大火」から今日で100年が経った。「空が明るかったから昼かと・・」「すごい勢いで炎がこっちに」。10年前に証言してくれた、当時100歳の女性は、着の身着のまま逃げた少女時代を鮮明に覚えていた。猛烈な火勢になすすべもなく、都市機能の「8割が壊滅した」とされる町中心部。八戸はこの大火から復興を遂げる中で、近代都市の形を作り上げ、全国に誇る消防運用の基盤も築きあげた。いわば都市防災の原点となったのが八戸大火だ。いつ起こるか分からない災害と隣り合わせの生活は、現代も、何も変わらない。地震、火事、津波・・。能登半島地震で発生した輪島朝市大火は、記憶に新しい。家中を見渡してみよう。備えは充分か。避難経路は頭にあるか。今一度、命の重みを確かめたい。大正13(1924)年の八戸大火から今年で100年を迎える。現代の私たちには記憶さえないが、この大火はどのようなものであっただろうか。ちなみに記憶に新しい大火では、今年の元日に起きた能登半島地震に伴う輪島朝市の大火事がある。一昼夜かけて、家屋約240棟が消失するという、痛ましいものであった。消防庁は大火災に至った理由を、古い木造の建物が密集し、火が急速に燃え広がったためだとし、対処しようにも、防火水槽ががれきに塞がれ、消火栓は断水のために全く機能しなかったと分析する。そこで八戸大火を振り返り、この火災はどのようにして起き、原因は何であったかを述べてみたい。八戸大火の後、各地からの義援金なども受けながら再建し、道幅の拡幅や建物の不燃化、防火水槽の整備も進められた。ただ上水道の敷設は、戦後まで実現できなかった。また、前年に発生した関東大震災からの復興を優先する国の支援は充分ではなく、大規模改造はできなかった。その結果、今も江戸時代からの町割がほぼ残っている。八日町にある八戸酒類蔵元販売所は、大火の年に再建された旧河内屋橋本合名会社の事務所だったところだ。焼け出された子供たちを癒そうと始まった、長者山下での「森のおとぎ会」は、現在も続いている。八戸大火から100年(2) に続きます。
2024.05.25
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スポーツ報知の記事の一部転載です。「苦しいのに笑えないだろって思っていたけど、入院生活中に『苦しい中でも笑いをちゃんと感じる』というのは良いメンタリティーだと実感した。笑ってがんが治るかは分からないけど、悪い方にいかなければ十分。実証してみようと思ってね」いまでこそ、ニコニコと笑みを浮かべているが、昨年8月には、コーンの笑顔を消す出来事が起きた。左胸の乳首付近にしこりを感じ、異変を感じた。「似たようなしこりを背中に感じたことがあって、その時はただの脂肪の塊。今回も同じと思い開業医に行ったら『大学病院の乳腺外科に行って調べた方がいい』って」すぐに主治医がいる大学病院で検査を受けた。結果が出た時には乳がんのステージ2だった。「『えっ俺、男ですけど』と声に出ちゃったね。まさに寝耳に水だった」。医師からは早期治療を勧められ、9月から抗がん剤治療を開始した。当時使っていた抗がん剤が体に合わず、副作用の影響であらゆる毛が抜けた。下血も止まらず、苦しい闘病生活となった。「口内が渇いて口内炎ができるし、目まいも起きるし、フラフラ。毎日毎日赤ワインのようなものがトイレにドバドバ出て、貧血で歩けなくなった。入院して内視鏡で検査したら、腸がズタズタでした」。下血を治すために1週間で2回も腸の手術をした。1月には左胸の切除手術を行った。リンパにまでがんが及んでおらず、わきの下まで切除せずに済んだ。ただ「覚悟はしてた」ものの、コーンの左乳首はもうない。「リンパまで行くとわきの下までえぐられるから、女性だと乳房の切除となってしまう。僕は男なんで切っただけで済んだ。女性はつらいよ」つらい闘病生活で支えとなったのは、「この闘病は僕なりの恩返し」という信念だったという。「がんで入院し手術し、闘病することで、他の人の嫌な気持ちを少しでも背負って、一瞬だけでも恩返しできるかなって。偉そうな言い方に聞こえるかもしれないけど、本当にそう思っていた。苦しむことによって、他の人が少しでも苦しみが和らげばいい。僕が治ればまたその人たちと一緒に仕事ができたり、楽しいことができるからさ」 2002年頃には腎不全を患い、3年間の人工透析を経て05年に腎臓移植。妻が臓器提供者となり、回復した。06年には前立腺がんを患ったが寛解した。「腎臓を悪くした時は、余命1年を宣告されていた。前立腺がんは放射線治療で治っちゃったんで、公表せずに終わってしまった。今回の乳がんのようなだるさだったり、つらさっていうのは、なかったですね。前立腺がんは男性ばかり、乳がんは女性ばかり。僕はどっちとも患った。“持ってる”よね」病気を重ねたことで死生観も変わった。「やっぱり人に優しくなれるようになった。なれたっていうか、自分の生きざまって死にざまだと思うんで。今まで好き勝手にしてきた人生。やっぱりツケが回ってきたなって思う時もある。感謝とかなんかジジくさいですけど。そんなことをよく考えるようになったかな」現在は抗がん剤で治療を行いながら、今年3月には復活ライブも行い、順調な回復を見せている。「あの日は朝から体がだるくて。マネジャーに支えられながら楽屋に連れてってもらったり、体調は良くなかった。ライブは立って歌えないかなと思ったけど、お客さんを前にしたらパワーをもらって、どんどん元気になった。だから、みんながびっくりして『元気じゃん!』と言われて。実際はそんな元気でないけど…」 「なんか生きられる気がしてね。ある占い師に『4回ぐらい死んで生き返ってる』って言われたけど、バイタリティーは生き返るごとに増えているんじゃないかな。前立腺がん、バイクの交通事故、今回の乳がん、腎臓の移植や人工透析…。確かに4回は軽く死んでるかも。手術した回数なんて数えてない。体はブラックジャックみたいにつぎはぎだらけ。もう病気のデパートだね」今では新たな夢もできた。ボウリングが趣味で、プロテストも一昨年に受けたが、不合格。だから次回テストの受験を狙っているという。(男性が乳がんにかかりやすい人に、前立腺がんを罹患したことがある人が挙げられています。逆も同様で、男性が乳がんにかかると、前立腺がんにもかかりやすくなります。原因は傷ついた遺伝子だといわれています。)
2024.05.25
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ITmediaビジネスONLINEの記事の転載です。しゃぶしゃぶ食べ放題のチェーン「しゃぶ葉」が、4月からフードロス削減を目指した「こまめどりプロジェクト」をスタートした。一般的に、食べ放題の業態では利用客がついつい注文しすぎて、食事を残してしまうケースも多いが、どういった方法を採用しているのか。そして、開始から1カ月でどういった反響があったのか。しゃぶ葉を運営するすかいらーくホールディングス(HD)の担当者に聞いた。同プロジェクトは、食べきれる量を少しずつ小まめに取ってもらうことを目的としている。 利用客がきれいに食べ終わったテーブルの写真を撮影し、会計時にスタッフに提示するとドリンクバー110円券を提供する仕組みだ。通常、大人1人のドリンクバー価格は299円だが、次回以降の来店時にドリンクバーが110円で利用できる。 食べ残しの判定基準についてはそれほど厳密に考えていないようだ担当者は「プロジェクトに参加していただくことに意義があるので、基本的に写真を撮って提示していただければOKです。明らかに食べ残しが多い場合は、お席の確認などをするルールになっております」と説明する。食べ放題で大量に残した際、利用客に何らかのペナルティーを課すと宣言する飲食店も散見されるが、しゃぶ葉ではなぜ食べ終わったテーブルを撮影する方式にしたのか。この点については「利用客の手間があまりかからない」「残さず食べているか、従業員が判断しやすい」といったことを考慮したからだという。また、「良い食べ方をしていただいた方に感謝をお伝えすることを大切にしたい」(担当者)ことも理由だとしている。こまめどりプロジェクトに参加してるのは、お店を利用する全組数の3~4%だ。利用客が取り組みに参加したことをSNSに投稿したり、「子どもの食育に良い影響がある」といった声を同社に寄せたりしているという。すかいらーくHDは、グループ全体でさまざまな方法で食品ロス削減に取り組んできた。例えば、2020年には食べきれなかった料理の持ち帰りを推奨するため、「もったいないパック」を無料で提供するようになった(2023年から有料化)。デジタルメニューブックに「お持ち帰り容器」のボタンを設置したり、公式Webサイトに説明動画を掲載したりと、積極的にアピールしている。 しゃぶ葉のチャレンジは始まったばかりだが、今後どれほど利用客の支持を得られるか。【2024年5月21日午前10時15分、「もったいないパック」が2023年から有料化したことを追記しました】(もったいないパックを用意したのは素晴らしいのですが、有料化したのは残念です。容器の金額にもよりますが、無料の時に較べて、食い散らかしていく人が増えるでしょう。全世界では、5億人が飢餓状態にあるそうです。残さないように、丁寧に食べたいという気持ちは充分にあります。しかし、そうでない家族がいるのも現実です。ひどくだらしがないのを目撃しています。特に子供がいる場合、好き勝手にしていて、そのことを見ながら、親は注意しません。こういう家族は、食べ放題の店以外でも、たくさん見かけます。)
2024.05.24
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女子!SPAの記事の転載です。最近ますます人気になっている外食チェーンがあります。それは、「しゃぶ葉(よう)」というすかいらーくグループ(ガスト、バーミヤン、ジョナサンなどを運営)のしゃぶしゃぶ食べ放題のレストラン。2007年にスタートして以来、現在は国内に282店舗にまで拡大(2024年5月1日時点)。売り上げはすかいらーく全体でガストに次いで2番目という好調ぶりで、注目を集めています。このしゃぶ葉について、「しゃぶしゃぶは高そうで、まだ行ったことがない」という人から、「数年前に、ニュースやバラエティ番組で女子高生に大人気と紹介されていたような……」というイメージを持つ人までさまざまでしょう。実は最近ますます進化を遂げて、女子高生のみならず、おひとり様から海外観光客まで幅広いターゲットに愛されるように……。そこで今回は、数あるしゃぶしゃぶ食べ放題店の中で、しゃぶ葉が圧倒的な人気を集める理由について考察し、その魅力を5つにまとめてご紹介していきたいと思います。実はしゃぶしゃぶ食べ放題の専門店は50年前からあり、高級和食であるにも関わらず、お財布を気にせずに思う存分食べられることで、じわじわと市場ができつつあるカテゴリー。競合店としては、「牛角」と同グループの「しゃぶしゃぶ温野菜」や、「かつや」と同グループの「和食さと」などがあります。3店の最低価格を比較してみると、しゃぶ葉が圧倒的に安いことがわかります。 【しゃぶしゃぶ食べ放題の最低価格を比較】・しゃぶしゃぶ温野菜→3058円 ・和食さと→2189円 ・しゃぶ葉→1539円 ドリンクバーをつけても2000円に収まってしまうことは、女子高生などの若い世代の心をつかむだけでなく、ファミレスや居酒屋に近い金銭感覚で無理なく通えるという強い魅力になっているのです。すかいらーくが掲げるミッション「ひとりでも多くのお客様に、安くておいしい料理を、気持ちの良いサービスで、快適な空間で味わっていただく」をもっとも実感しやすいブランドのひとつと言えるでしょう。さらに、平日ランチは時間が無制限であること、女性にも人気のアルコール飲み放題が16時までは1319円という細やかな設定も高感度につながっています。しゃぶしゃぶ食べ放題が成功している要因の一つとして、肉だけでなく野菜も食べ放題である点があります。しかしながらそれだけでは十分な顧客満足にはならず、“実際にたくさんおいしく食べられた”という成功体験こそが決め手になっていると考えられます。つまり、ヘルシースープで野菜を加熱しながらたっぷり食べられるしゃぶしゃぶのスタイルが、野菜不足を実感している現代人の欲求を罪悪感なく満たしてくれるのです。しゃぶ葉で食べられる野菜は、常時約20種類。しゃぶしゃぶ用に千切りされたミックス野菜をはじめ、チンゲン菜、ニラ、オクラ、ナスなどの野菜類や、きくらげやしめじなどのきのこ類までそろっています。同じ人気肉料理である焼肉食べ放題と比較した場合、しゃぶしゃぶの魅力はヘルシーに食べられることだけではありません。焼き過ぎて固くなってしまう心配がなく、どんな人でも失敗なく肉を扱えることが満足感の底上げにもつながります。また、網をたびたび交換するなど店側の対応も必要なく、お客がアクとりさえすればスープがどんどんおいしくなっていく魔法の料理とも言えます。しゃぶしゃぶを彩るタレや薬味も充実。たれBARというコーナーにはたれが5種類以上(定番以外にきざみ玉ねぎの香味たれ、自家製梅だれなど)、薬味BARには10種類以上(刻みオクラやザーサイまで!)がそろっています。 店内のサラダバーにはロメインレタスとサラダ菜があり、「しゃぶギョプサル」という食べ方を紹介しています。つまり、しゃぶしゃぶ肉を使ったおいしい食べ方を発見できることもたのしい食体験に。私はお店自慢のカレー(サラサラとした肉の旨味が効いた和風カレー)に肉を浸して食べるのが気に入っています。さらにスイーツコーナーも充実していて、ソフトクリームやワッフル、かき氷などを自分で手作りできるのもワクワクポイントに。隣のテーブルの女子大生に教えてもらい、レインボーソフトクリームを作ってみました。店内をスマートに動き回るのが、ネコ型配膳ロボット「BellaBot」。実はこのロボットが店内の雰囲気向上に大きく貢献しています。子どもから高齢者までがかわいい、楽しい、新しいと高評価で、料理配膳が大幅軽減される従業員にもサービス対応の余裕が生まれます。しゃぶ葉でのロボット導入は、しゃぶしゃぶというシンプルな料理配膳と、食べ放題という特性(従業員に関与され過ぎず自由に食べたい)をバランスよく実現できる成功事例と言えるでしょう。(ロボットの導入は、以前、焼き肉レストランで初体験し、最近は、おいらせ下田イオンショッピングセンター内のサイゼリアで出会っています。人手不足での対策として、需要が伸びているのだと思います。)ちなみに誕生日祝いとして事前予約すると、「ハッピーバースデイ」の音楽を流しながらケーキを運んでくれるサービスまであり、これが新しいスタイルのおもてなしとして人気を集めています。このように、しゃぶ葉は圧倒的な低価格と品質バランス、楽しいサービスやしかけ作りを実践しています。今後はファンコミュニティによって顧客満足度をますます向上することを目指しているそうで、新たな取り組みに注目していきたいところです。 【スギアカツキ】 食文化研究家、長寿美容食研究家。東京大学農学部卒業後、同大学院医学系研究科に進学。基礎医学、栄養学、発酵学、微生物学などを学ぶ。現在、世界中の食文化を研究しながら、各メディアで活躍している。
2024.05.24
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TBS NEWS DIG の記事の転載です。(大部前から続いていることですが、みどりの窓口の対応には不満を抱いています。八戸駅、福島駅で経験したことです。窓口は3カ所あるのですが、担当者がいるのは2か所だけです。その1カ所に、どういうわけか、とても長い客がいて、そのため、実働しているのは1カ所だけになっています。八戸駅も同様です。1カ所を占領している人は多くの切符を手配しているようで、終わりそうにありません。そのため20分後発の列車の指定券を購入入することが出来なくて、購入を諦め、とりあえず列車に乗ってしまうということがありました。また甲府駅でも、同様のことがありましたが、こちらは自動販売機のそばに立っている、駅員のお姉ちゃんに助けてもらい、何とか希望の列車に乗り込むことが出来ました。大人の休日の乗り放題の切符を持っていました。新潟に宿泊していて、上杉謙信の居城・春日山を訪れ、その後、川中島で闘った武田信玄の故郷・甲府を訪れました。この日は天候が不順で、鉄道が止まる可能性がありました。どうしても新潟に帰らなくてはなりません。新潟に予約してある宿を無視して、甲府に泊まるという方法もなくはありませんが、新潟の宿には荷物が置いてあります。甲府駅の窓口には、しつこい客がいて、窓口の一つを占領していました。そのため、並んでいる行列は、なかなか進みません。列車の出発が迫って来ました。松本から甲府を経由して東京に至る中央線の特急は、全て座席指定に改悪されていました。そのため、どうしても指定券を購入する必要がありました。この改悪は、常磐線の水戸・いわき方面、北陸新幹線の金沢方面、そして我が東北新幹線の「はやぶさ」でも実施されています。中央線や常磐線では、頭上にランプがあり、空席・途中から乗ってくる・現在使っている、という3表示があり、一目瞭然になっています。車掌がそれを見ながらやって来て「お客様、どうなっているのですか?」と質問して来ますので、とても困ります。甲府駅のお姉ちゃんは、私の希望に応じて、自動販売機を操作してくれました。その操作がとても複雑で、私が直接自動販売機と対面したら、絶対に出来ないと思われるものでした。操作を10通りぐらいしました。慣れない人は、そのたびに考え込んでしまうと思われました。お姉ちゃんのお手伝いで、私は希望の列車に乗り込むことが出来、天候の問題があるにもかかわらず、無事、新潟に戻ることが出来ました。新幹線は、在来線時代の距離感に比べて、長距離の移動でも短時間で済むし、列車本数も多いので便利です。)訪日外国人の増加や、年度末や年度初めにみどりの窓口が混雑することを受け、JR東日本は、削減する方針だったみどりの窓口の数を当面、維持する方針を示しました。JR東日本は駅の窓口や券売機に立ち寄らずにインターネットやスマホできっぷを購入するチケットレスのサービスを向上させていて、2021年に440駅にあったみどりの窓口を、2025年には140駅にまで削減する計画を進めてきました。しかし、日本を訪れる外国人の増加や、年度末や年度の初めには定期券を購入する客で窓口が混雑するため、長い待ち時間が発生し、客から苦情が寄せられているということです。こうしたことから、JR東日本はみどりの窓口の削減を見合わせ、現在、209駅に設置されているみどりの窓口は当面、維持する方針を示しました。また、すでに閉鎖したみどりの窓口でも販売機器が残っているところは、混雑時に臨時の窓口を設置するということです。一方で、訪日外国人向けには、来年春からスマートフォンで入国前にアプリを操作することでSuicaの発行、チャージができるサービスを開始するなど、今後もチケットレスのサービスを拡大していく方針は維持していくということです。
2024.05.23
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ネトラボの記事の転載です。デリバリーピザチェーンの「ドミノ・ピザ」が5月19日、山形県内すべての店舗を閉店したことが分かった。あまりの急な閉店に利用者からは困惑の声があがっている。 山形県内の店舗は「山形南館」(山形市)、「酒田山居町」(酒田市)、「米沢金池5丁目店」(米沢市)の3つ。3店舗とも5月19日までに事前情報なくいきなり閉店した。公式サイト上では「臨時休業」となっているが、実店舗前には「閉店」のお知らせが掲げられており、移転情報などもない。なお、Googleで検索すると当該店舗は閉店となっている。同日の閉店は山形県だけでなく全国でも報告があがっている。「音更木野店」(北海道河東郡)や「青森市役所前店」(青森県青森市)、「聖蹟桜ヶ丘店」(東京都多摩市)など。運営元のドミノ・ピザ ジャパンに相次ぐ閉店について取材すると、「優先順位の高いエリアでの今後の成長を見据えて、一部店舗を閉店させていただくこととしました」と回答。「影響を受けた従業員とは緊密に協力し、近隣の店舗で就労機会を提供する予定」と対応も検討していると明かした。突然の閉店については「店舗をご利用いただいていたお客様には、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。デリバリーの距離が許す限り、近隣の店舗のデリバリーエリアの見直しを行い、デリバリーサービスを引き続きご提供させていただく予定です」と説明した。なお、山形県の近隣のドミノ・ピザとなると秋田県や宮城県、福島県、新潟県の店舗となる。ドミノ・ピザ ジャパンが掲げる「2033年までに国内2000店舗」まで拡大する長期プランに変更はないという。地方を中心に平日の営業時間を夕方に限定した「コンパクト店舗」の出店も続けていく方針だ。「今後も変わらぬご愛顧をいただけるよう、邁進してまいります」(ドミノ・ピザ ジャパン)(数年前、家の近くにもドミノ・ピザが新規出店しました。開店当初は賑わっていましたが、間もなく、閑古鳥が鳴くようになりました。その対策としてでしょう。店員さんが大幅に減っています。道路から中が見えますので、前を通るたびに覗いているのですが、普段は男性が一人だけいます。たまに女性が1名、加わっていることもあります。似たような状況の店は、近くにもう1軒、あります。回転寿司屋です。こちらも通りがかりに外から覗くのですが、客もいないし、従業員も1人しか見えません。どちらも、間もなく撤退すると想像し続けているのですが、今でも頑張っています。でも、ドミノ・ピザの報道を見ると、この店も撤退しそうな気が・・・。やはり利用客がほとんどいなかった「てんや」は2年も待たずに、素早く閉店しました。この店も、外から店内が丸見えの構造になっていました。元々は「これだけ混んでいるんだから、あなたも一度、食べてみませんか」という魂胆があったのでしょうが、これが裏目に出ました。「不味い」という宣伝になってしまいました。)
2024.05.23
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ABA青森朝日テレビの記事の転載です。国内最大の「アカイカ」の水揚げ港八戸港では、太平洋沖の漁場を目指し今シーズン初めて漁船が出港しました。八戸市の館鼻漁港では、八戸港所属の「第二十一正進丸」184トンが、正午前に9人の乗組員を乗せ、大漁旗をなびかせながらゆっくりと動き出しました。岸壁には、家族や友人などがカラフルなテープを持ったり手を振ったりして、一時の別れを惜しみながら見送っていました。アカイカ漁は毎年、5月から9月に掛けて太平洋沖で行われています。「正進丸」は、太平洋沖の日付変更線周辺の漁場におよそ10日間掛けて向かい、そこから7月末までおよそ2カ月間、操業を続けます。1回の出漁で、船には最大140トンほど積載でき、金額は1億円ほどにもなるということです。【丸吉 関川順悦常務】「乗組員の健康、無事が大事なのですけれども、大漁で(船に)満載してもらいたい。それで、次の航海もちゃんと出られるような水揚げをしてもらいたい」八戸港では、18日にも15隻ほどの船団が、太平洋沖の漁場を目指し出港する予定です。
2024.05.22
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TBS NEWS DIG の記事の転載です。依然として、歴史的な円安が続く日本。円安は、一部の企業に好決算をもたらす一方、深刻な負の側面が見えてきました。トヨタ自動車・佐藤恒治社長(5月8日)「これほど車を作ってお客様にお届けして、ということが、こんなにありがたいことだと―」 5月8日、昨年度の連結決算を発表したトヨタ自動車。売上高は45兆円を超え、営業利益も5兆3500億円に達するなど、いずれも過去最高を更新したのです。好調な実績の背景には、ハイブリッド車など新車の販売増に加え、円安によって、営業利益が押し上げられたことがあります。こうした円安がもたらす恩恵の一方で… 最大10連休といわれた今年の大型連休最終日、帰国した人々が口をそろえてぼやいたのも、やはり円安。(ロンドンなど10日間旅行)「ロンドンはすごく高かった。(フィッシュ&チップスが)飲み物なしでポテトとフライで1人4000円くらい」円安に打撃を受けたのは旅行者だけではありません。フィリピンから、日本に働きに来ている女性のもとを訪ねると…。フィリピン人女性・ヘイゼルさん(29)「毎年円もずっと安くなっているから、ちょっと大変。生活の方がもうお金も足りない」2年前から、家事代行の仕事をするフィリピン人のヘイゼルさん。月収はおよそ20万円、そこから毎月5万円以上をフィリピンの家族に仕送りしています。ところがこの円安で送金額が大きく目減りしたのです。 ヘイゼルさん「円も今年、全然安くなったから5万円では全然足りない」この会社の家事代行スタッフは現在およそ120人で、全員がフィリピン人。円安の影響で退社する人も出てきているといいます。ピナイ・インターナショナル 茂木哲也代表取締役「円安が進んでいる中で、単純に仕送りできる額が、同じ働きをしても減ってしまう。もっと貨幣価値の高い所、例えばカナダとかオーストラリアに転職するということで辞めて行かれる方も、ちらほら出てきている」 こうした円安をなんとか食い止めようと、政府・日銀は先日、為替介入を行ったとみられますが、その効果も一時的。円安傾向に歯止めがかかりません。 そもそも、円が安いということは、日本の国力の弱さを示している、との見方もあります。実際、今月の企業の決算会見でも、経営者からは… 丸紅・柿木真澄社長(5月2日)「為替というのは国力を体現しているものでもありますし、やっぱりこれだけ円安が進むということは、日本の体力が落ちてきている」三菱商事・中西勝也社長(2日)「円は国力を表すので、円安が進むと国力が弱くなる側面もある」 かつて世界第2位の経済大国と謳われた日本。ところがバブル崩壊後、失われた20年、30年という歳月を経て、日本経済の地盤沈下が顕著となります。 その例としてあげられるのが、日本のGDP=国内総生産。日本は、すでに中国に抜かれ、さらに去年、ドイツにも抜かれました。おちていく日本の国力。去年、ドイツに抜かれた日本のGDP。来年にはインドにも抜かれる見込みで、一人あたりGDPに至っては、G7で最下位となる世界34位にまで後退しています。 そんな日本の国力低下は、人々の暮らしからも垣間見えます。労働者の実質賃金は一向に上がらず、今年3月までで過去最長となる24か月連続で減少。こうした状況に至った背景を、専門家は… 加谷珪一さん・経済評論家「90年代になって世界経済のルールがガラッと変わるんですね。グローバルに事業を展開しましょうということが一つと、IT化・デジタル化。日本企業の多くがこの動向を見誤って、80年代までの物作りのやり方に固執してしまった、というのが最大の失敗の要因」日本はグローバル化の中、これまで利益を上げてきた製品について、アジア各国との激しい低価格競争にさらされます。また80年代、日本が世界をリードしていた半導体分野でも、これまでの製品分野にこだわり、高付加価値の先端分野への投資がおろそかに。 いずれも、これまで売れた製品、過去の成功体験にこだわるあまり、新しい時代への対応につまづいたといいます。そんな日本が今後、取るべき道について加谷さんは…加谷珪一さん・経済評論家「一つは日本は元々物作り工業国ということで、工業をちゃんと復活させて 立て直す、工業製品で高いシェアを維持してやはりボリュームを追求する。もう一つは人口が減ってくると、サイズはコンパクトになりますが、内需を活発にして豊かな国を目指す。この二つはかなり方向性が違いますから、 ここは日本人の選択なのかなと…」円安によって明らかとなった日本の国力低下という現実。私たちはそれをどう受け止めていけばいいのでしょうか。
2024.05.22
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地元紙の記事の転載です。18日午後1時ごろ、秋田県鹿角市十和田大湯で捜索活動をしていた鹿角署員2人がクマに襲われた。男性巡査部長(25)が顔や肩を、男性巡査長(45)が両腕や胸を負傷したが、命に別状はない。県警や消防によると、山林ではタケノコ採りをしていた青森県三戸町の60代男性が15日から行方不明になっており、署員らは山林で身元不明の遺体を発見した直後に襲われた。18日午前に山の管理人から「山林で倒れている男性がいる」と通報があり、警察と消防が現場に向かった。山林の斜面で、外相のある男性を発見し、救急隊が死亡を確認した。運び出そうとすると、クマに襲われたため中断し、下山した。猟友会は同行しておらず、クマはその場からいなくなった。遺体の身元確認もできていない。タケノコ採りに訪れていた秋田県能代市の60代女性も、18日朝から行方不明になっている。秋田県は緊急対策会議を開催した。鹿角市は現場の山林を入山禁止にした。19日は秋田県警などがヘリコプターやドローンで上空から女性の捜索を行う。(タケノコはヒメタケとかネマガリタケと呼ばれる小さなタケノコです。茹でた食べますが、美味しいです。このタケノコは、クマも大好物で、今頃の時期に、何かの理由で死んだクマを解剖してみると、胃袋には、ネマガリタケがびっしり入っているそうでます。人間とクマが夢中で作業している間に、ふいに出くわすと、事件が起きます。私も、このタケノコの軽いえぐ味が大好きなので、よく買います。舘鼻岸壁朝市で見かけたヒメタケ=ネマガリタケの写真を添付します。)手前にあるのがヒメタケです。このキリタンポ屋さんは、クマのいる鹿角市大湯から、山道を抜けて、青森県田子町か新郷村経由で舘鼻岸壁朝市へ来ているものと思われます。同じ山中ですから、もちろん青森県側にもクマはいます。私が買ったタケノコです。茹でてありました。容器に入れるために、切ってあります。
2024.05.21
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朝日新聞DIGITALの記事の転載です。孤独・孤立の問題への対策をめぐり、政府は13日、今年1~3月に自宅で亡くなった一人暮らしの人が全国で計2万1716人(暫定値)確認され、うち65歳以上の高齢者が約1万7千人で8割近くを占める現状を明らかにした。年間の死者数は約6万8千人と推計される。政府は「孤独死・孤立死」の実態把握を進めており、本格的な推計に向けて今回のデータを生かしていく考えだ。13日の衆院決算行政監視委員会で、立憲民主党の長妻昭氏の質問への警察庁の答弁で示された。同庁によると、今回のデータの公表は初めて。今年1~3月、警察への通報や医師からの届け出で警察が取り扱った一人暮らしの遺体(自殺も含む)のうち、65歳以上の高齢者は1万7034人だった。年齢が上がるほど死者数は増え、85歳以上は4922人となった。今回の3カ月分のデータを単純に年間ベースに置き換えると、65歳以上の死者数は約6万8千人と推計される。ニッセイ基礎研究所の推計(2011年)では、65歳以上の孤立死は年間で2万6821人。東京都監察医務院によると、20年に東京23区内で自宅で亡くなった一人暮らしの65歳以上は4207人で、15年と比べて1.35倍に増えた。
2024.05.21
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5月の連休明けは暖かくなりました。半袖姿も見られます。この時期は、山菜が旬を迎えています。ということで、今回は屋台に並ぶ山菜を中心に紹介します。都会に住んでいると、馴染みのないものもあるでしょうが、八戸では盛んに食べられています。シドケとボーナ(あるいはボンナ)は、おひたしにして食べます。どちらが好きかは人によりますが、私はボンナの方が好きです。どちらも美味しいです。容器に入れるために、切っています。フキとワラビの水煮です。茹でたあと、水に浸して、あく抜きをしています。フキノトウは終わりましたが、フキにもほろ苦さがあって、美味しいです。コシアブラは天ぷらにするんですかね。食べたことはありますが、買って来て調理をしたことはありません。知識不足です。かっくいの水煮です。大根おろしと和えて食べると美味しいのですが、大根がなかったので、そのまま食べました。充分に美味しいです。ぬめりがあります。皆さんがよく目にするタケノコです。朝市では売っている屋台は2軒ほどです。ヒメタケの方が多いです。ボーナ、あるいはボンナと呼ぶこともあります。おひたしにすると美味しいです。タラの芽がありました。地元ではタラッポとも呼びます。天ぷらにすると美味しいです。大好きなフキノトウの季節が終っているのが残念でした。以上、山菜の紹介でした。
2024.05.20
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TBS NEWSの記事の転載です。「大人=永久歯」だと思っている人が多いと思います。ですが、32歳の筆者は上の犬歯がどちらも「乳歯」のまま頑張っています。乳歯なだけでなく、生え変わるはずの永久歯がどちらも存在しません。意外なことに「大人乳歯」を持つ人は多いようです。なぜ大人乳歯が存在するのか、対処法はあるのか、専門家に聞いてみました。「大人乳歯」について教えてくれたのは、いなげ矯正歯科医院(横浜市青葉区)の稲毛滋自さんです。 そもそも乳歯はいつまで働くことを想定しているのでしょうか。一般的に、5歳ごろに乳歯は生え変わり始め、11歳までに生え変わります。上手に使えば、50代まで乳歯が残っている人も中にはいるといいます。大人乳歯になってしまう一因に、永久歯が存在しないことがあげられます。乳歯が残っていてもいなくても、生まれつき永久歯がない状態を、永久歯の「先天性欠如」といいます。まさか人間は進化の過程で永久歯を失ったのではないか、などと思っていましたが、稲毛さんは「先天性欠如歯を有する人の割合は、あまり変わっていないのでは」と一蹴します。日本小児歯科学会が2007~2008年度の2年間、7歳以上の約1万5000人(男子約7500人、女子約8000人)を対象に実施した「日本人小児の永久歯先天性欠如に関する疫学調査」によると、先天性欠如の子どもは約1割います。すなわち10人に1人です。 稲毛さんによると、この割合は、どういった集団を見るかによっても変わるといいますが、感覚として大きく変わることはないそうです。■永久歯が欠如する原因は諸説あり 遺伝の可能性も否定できず 永久歯がなぜ欠如するのか。原因は分かっているのでしょうか。歯科医師に親しまれている「口腔病理学」(永末書店)などを読んでみても、先天性欠如になる原因ははっきりと分からず、諸説あるといいます。稲毛さんは「遺伝も否定はできません」といいます。その上で稲毛さんは「永久歯がなくても、生き死にには関係なく、そんなに気にしても仕方がないと思います。むしろ、乳歯を大事にすることが必要です」と強調します。当たり前ですが、永久歯がないということは、乳歯を永久歯の代わりに使わなければならないということです。歯を失う原因としては、外傷を除くと、虫歯や歯周病などの細菌感染がほとんどだそうです。 「歯磨きをする」「甘い物を食べ過ぎない」といった基本的なことを徹底する必要があります。また、キスは細菌を交換する行為なので、稲毛さんは「エチケットとして、普段から歯みがきをきちんとして」と推奨し、「外出先で歯磨きができない場合、水で口をしっかりゆすぐだけでも良いです」と話します。 ■自分の歯、全部生え変わった記憶ある? 欠如していることが多い歯先天性欠如の人しか興味がないかもしれませんが、永久歯が欠如していることが多い歯についても調べました。2011年の研究「永久歯先天性欠如の発現様式のメタアナリシス」によると、日本人の場合、「前から数えて5番目の奥歯」の先天性欠如が一番多く、次に、「前から2番目の歯」が多いといいます。さらに、女性の方が男性よりも永久歯が欠如している割合が高いといいます。 筆者のように犬歯の永久歯が欠如しているのは、稲毛さんによると、かなり珍しいそうです。通常、乳歯は上下合わせて20本。親知らずを除いた永久歯は上下合わせて28本だそうです。一度、自分や子どもの歯の本数を数えてみても良いかもしれません。■生まれつき永久歯が欠如!対処方法は今ある歯をとにかく大事に 生まれつき永久歯がなかった場合、隙間を埋める必要があります。対処方法を稲毛さんに聞いてみると、「ブリッジやインプラントといった歯を失った時に行う方法や、矯正歯科治療で歯を移動する方法などで対処できる可能性があります。心配だったら早めに相談してみてください」とアドバイスをくれました。その一方で、永久歯が10本以上ない子どももいます。この場合、ブリッジなどの技術を駆使しても、必要な歯の本数が圧倒的に足りずに対応できないといいます。逆に、6本までの欠如であれば、歯を寄せることで対処できることがあるそうです。 最後に、興味深い話題が。それは「歯が生える薬」です。大阪市にある医学研究所北野病院などでつくる研究チームが、世界初の「歯が生える薬」の治験を2024年9月から始めると発表しました。歯の構造は複雑で、すぐに歯を生やすことができるようになるといった期待は薄そうですが、ひとまず、今ある乳歯を大事にして生きていこうと思います。
2024.05.20
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舘鼻岸壁朝市には、遠方から来る人たちがいます。今回は車のナンバーで見てみました。先ず大型オートバイですが、2回連続で見かけています。同じ人たちかどうかは不明ですが、今回の人たちは近場の三沢から来ていました。朝6時半には既に朝市に停まっていましたから、八戸に泊まったのかもしれません。ツーリングだとすれば、1時間ぐらい前には出発しなければなりません。八戸にはバイク客専用の、、安い宿泊所があります。大型バイクの奥にあった、前回見かけたテントのようなものは今回ありませんでしたので、やはりテントだと思われます。真ん中のヘルメットのあるバイクは秋田県大館のナンバーです。その左側は「青森市」ナンバー、右側は「青森」ナンバーです。こちらのバイクは八戸市の南に隣接する「階上町」のナンバーです。左奥のキャンピングカーは昨夜寝た蒲団を片付けています。左は「函館」、右は「滋賀」です。左は「青森」右は「札幌」です。「室蘭」と「宮城」です。連休後の日曜日ですが、依然として遠くからも車出来ていることが分かりました。舘鼻岸壁朝市は旅行者が多いです。
2024.05.19
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JIJI.COM の記事の転載です。国立がん研究センターなどの国際共同研究チームは14日、日本を含む世界11カ国の腎臓がん患者962人のがん細胞について全ゲノム解析した結果、日本人患者の7割に特有の遺伝子変異があったと発表した。他国の症例ではほとんど検出されなかった。原因は不明だが、未知の発がん要因が関与した可能性が高いという。論文は1日付の英科学誌ネイチャーに掲載された。国際共同研究チームは、腎臓がんで最も多い「淡明細胞型腎細胞がん」について、発症頻度の異なる欧米など11カ国から962症例を収集。全ゲノム解析を実施して、塩基配列から変異の特徴的なパターンを抽出し、がんの原因や地域差を分析した。その結果、「SBS12」という遺伝子変異が日本人患者36人のうち26人から検出された一方、他国の患者では2%程度にとどまった。変異の特徴は加齢や肥満、高血圧などとは異なっており、未知の発がん要因による可能性が高いとしている。この変異は、以前に行われた日本人の肝細胞がんの遺伝子解析でも多く検出されていたという。同センターによると、腎臓がんのうち8割程度が腎細胞がんで、このうち60~75%を淡明細胞型が占める。中欧や北欧で罹患(りかん)率が高く、近年では国内でも増加傾向にある。 今後は世界保健機関(WHO)とも協力し、発がん要因の特定や分布調査などを進める予定。同センター研究所の柴田龍弘・がんゲノミクス研究分野長は「新たな予防法や治療法の開発に向けた一歩」と話している。
2024.05.19
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八食センター「春祭り」に出かけました。この日は「子どもの日」でした。けん玉をしています。街角ピアノは健在です。水槽にはたくさんのカキがありました。普段は様々な貝類を入れていますが、この日はカキ一色でした。濃い占いは100円です。高いか、安いか・・・?奥では京都のお菓子などを売っていました。大型連休期間中で、舘鼻岸壁朝市ほどではありませんが、観光客で混んでいました。八食センターでは、店の入れ替えがありました。新しい店です。この店は休憩所の前にあります。巨大な「八戸せんべい」が目印です。こちらは丼物の専門店です。日替わり定食があります。焦点が合っていません。申し訳ありません。巨大な綿あめです。八食センター内の店には、ウニやアワビも並んでいます。少々高いです。観光客相手の価格のような気がします。観光客の方々は、どんどん買って、八食センター内にある運送屋さんを使って、自宅に送っています。「あわび」1個500円は安いと思います。小粒なのでしょう。手前は「トゲクリガニ」です。味噌の味は毛ガニに負けないと自慢しています。むつ湾の根元にある野辺地町産が有名です。奥にあるのは毛ガニです。津軽地方では、花見の弁当に、必ずトゲクリガニが入っているそうです。「ケンミンショー」で知りました。偶然、カプセルホテルに空きがあるのを楽天トラベルで発見し、弘前公園の花見に出かけました。コネを使って、地元の方から自転車を借りて、弘前市内を走りました。弘前には貸自転車がありますが、冬の間は中断し、何故か花見が終ってからになります。以前は無料でしたが、現在は有料です。開始時期は変わっていません。とあるスーパーに入ると、トゲクリガニを売っていました。八戸に持ち帰りたいというと、店員さんも大喜びで、氷詰めにしてくれました。当時、八戸ではトゲクリガニは店頭では見かけませんでした。現在は八戸のスーパーでも陳列したあり、普通に、蟹として食べらています。こういう所で買って、炭火で焼いて食べます。八食センター内には「七輪村」という場所があって、賑わっています。手前には既に魚介類を組み合わせたものも並んでいて、選ぶのがめんどうならば、これを購入すれば簡単です。割引価格になっているのかは不明です。こちらが「七輪村」です。七輪1個の貸出料が500円ですから、数人ですと割安になりますが、一人旅では高くなります。団体や家族連れが多いです。ここは、地元の人もたくさん利用しています。わいわい騒いで食べるのは楽しいでしょう。私は利用したことがありません。箸や塩などは用意してあります。大型連休の最中でしたので、普段よりも混んでいました。リュックを背負っているのは、多弁、一人旅の方でしょう。回転寿司の店です。順番待ちの人たちのため、通路に椅子を用意してあります。こちらは向いにある、競争相手の、普通の寿司屋さんです。奥の方まで30人以上が並んでいました。これらの店は、地元の人たちもよく利用しているようです。並ぶのが苦手な田舎の人たちも、連休中は我慢していました。お疲れさまでした。
2024.05.18
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翌朝、そそくさとまた火葬場へ行った。この日はSさんを頼まなかったので、前田くんと2人で行ったが、彼は私を遠巻きに見守る役に徹してくれた。前夜より火は相当少なかったが、3、4か所は燃えていた。明るいから、全景が見える。火葬の流れをありありと見た。一例はこうだ。1:死者が、体を布で包まれ、竹で作った担架で運ばれてくる(棺は使用されず)2:「最後のお別れ」のごとく、死者がまとう上半身の布が開けられ、遺族(男ばかり8人)が対面する3:遺族がお祈りをする。ご遺体は裸。肌がテカテカしている 4:担架ごと、ガンジス川の水に足元を少し浸ける5:担架、キャンプファイヤーのように薪が組まれた場所へ移動 6:遺族(男8人)が遺体を囲み、祈りを捧げる 7:遺族代表が、火のついた藁で、遺体の肩のあたりに点火する8:徐々に燃え広がって行く間、遺族たちは火の周り(遺体の周り)をぐるぐる回って祈りを捧げ続けるすべての行いが、朝日を浴びて輝いていたからだろうか。非常に敬虔な「お見送り」だと私の目に映った。“人力”のみで行われているのは「やさしさ」ゆえと思えた。 この日は写真を撮っていなかったのに、またまた「写真ノー」と言う男の人が近づいてきた。 「24時間焼いている。1体3時間、1日200体」前夜の人と同じことを口にし、「私はこの火葬場の正規スタッフのPです。シヴァの神のところ、高級のところ、どちらも案内してあげよう」とおっしゃる。私はもう慣れてきた。「おいくらで?」と聞く。 「3000ルピーでいい」とPさん。3000ルピーは、その日のレートでは日本円にして約5000円だ。値切ったら2000ルピー(約3300円)となり、「じゃあ、お願いします」。Pさんにくっついていく。いわく「シヴァの神のところ」は野外火葬場の背後に聳える建屋の一隅。白い長い髭を蓄えた、相当高齢な男性が、藁の倉庫のようなところにいて、火を燻らせていた。「これを皆が取りに来て、点火に使うわけさ」。得意げな声だった。 「高級のところ」は、野外火葬場の背後の高台に立つ、建屋の中にあった。とはいえ、窓なしのオープンエア、相部屋のような感じだ。遺体を置くのは、薪で組んだ台ではなく、コンクリートで組んだ台で12台。足元には灰が溜まり、「白い床」となっていた。私が行ったとき、たまたま「高級のところ」では1件の火葬も行われておらず、犬と水牛がのんびりといて、犬が水牛のお乳を飲んでいた。 ――なんでここに水牛がいるの?「火葬中に水牛のお乳をふりかけると、火の勢いが良くなるから」 ――昔から? 「そう、たぶん大昔から。あと、この『高級のところ』では火葬中に白檀の粉もかける。匂いがきれいになるし、火の勢いも強くなるからね」英語のハンディキャップがあり、聞き違いもあるかもしれないが、私がPさんから聞き取ったと思えることを列挙する。〇バナーラスのホスピス(末期癌に限らず、「死が近い」と悟った老人たちの施設)に来て、死ねる日を待っているお年寄りが大勢いる。〇ガンジス川は今も昔も「天国」そのものだから、死者がインド全土から列車や車で運ばれてくる。〇遺体には燃焼効果を高めるために蝋を塗る(前夜見たご遺体がテカテカしていたのは、そのためだった)。〇遺体の一部をまずガンジス川の水につけ(天国に「ご挨拶」=清めの儀式)てから、焼く。3時間焼いて、頭蓋骨と腰の骨が残り、あとは灰になる。〇頭蓋骨と腰の骨と、あと全ての灰をガンジス川に流す。〇ここでの火葬が理想だが、他の町でエレクトリックによって焼き、灰だけを持って来て、ここからガンジス川に流すケースも増えてきている。〇ここで焼くのと、エレクトリックで焼くのとの違いは、生まれ変わり。前者はミツバチやアリ、蝶々、樹木など人間以外のものに生まれ変われるが、後者はまた人間にならなければならない(Sさんの私見かもしれない)。〇「お墓」の概念はない。 〇火葬場内へは、女性遺族の立ち入り禁止。昔、夫の火葬のとき、「私も死ぬ」と取り乱して火に飛び込む妻があとを絶たなかったから(前夜階段のところにかたまっておられた女性たちは、やはり遺族だったのだろう)。なお、火葬場内の女性遺族立ち入り禁止に関して、Pさんの言う「昔」は、おそらく19世紀のこと。近代まで、インドには寡婦が夫に殉死するという、まさか女性が好き好んでするとは思えないサティーの風習があり、美徳と考えられていたが、「サティー禁止法」(1829年)の制定以降、姿を消した。しかし、1987年に1件が発生したことを受け、1988年、新たに「サティー防止法」が制定されたと、後に前田くんがインド発のWEBサイトで調べてくれて、分かった。「あなたも火葬場で働いているの?」とPさんに逆質問された。「違うんだけど、興味あるの」 「ジャパンの火葬はどんなふうに?」すべて屋内の火葬場で、マシーンで焼く。燃料はエレクトリックのところもあれば、ガスや灯油を使うところもある。1体40分から1時間くらい。火葬を待つ間、遺族はじっとしているか、コーヒーを飲んでいるか。火葬が終わったら、「骨上げ」を行って、それを後日、墓に埋める――。と、ざっくり説明したが、Pさんが腑に落ちなかったのが、「火葬を待つ間、遺族はじっとしているか、コーヒーを飲んでいるか」のところだったようで、「なぜ、祈らないのか」と執拗に聞いてきた。「……たぶん、心の中ではみんな祈っている。形に表さないだけだと思う……」 と、心許なく答えるしかなかった。私は「ガンジス火葬」のしきたりの数々に「ありえない」と感じたが、「ガンジス火葬」の人たちは私たち日本のしきたりを「ありえない」と思うのだから、「おあいこだ」ととらえなくちゃ、と思った。
2024.05.18
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●地元紙の記事の転載です。14日午前6時半ごろ、三戸町の国史跡三戸城跡・城山公園で、体長約1メートルのクマ1頭を目撃したと、付近をウオーキングしていた60代男性から三戸署に通報があった。クマは公園北側の斜面を駆け下りたという。公園は町中心部に近く、周辺には住宅や商店が密集している。町農林課は、クマの行動が活発になる夜間や早朝の外出に気を付けるよう呼びかけている。 クマが目撃された場所は、公園北東に立つ三戸城の看板付近。通報を受けた同署は付近をパトロールし、町農林課は公園内を調べたが、クマの足跡や立木への爪跡は確認されなかった。城山公園内でクマが目撃されたのは2015年6月以来。ただ、公園南方の目時地区の山林では昨年、秋を中心に目撃情報が10件以上寄せられている。 町は防災無線や一斉メールで注意を喚起した。他の目撃情報がないことから、付近の学校の集団下校措置などは取っていない。公園近くに住む女性(73)は「自宅の目と鼻の先でびっくりした。まさか町中でもクマが出るとは。夜の外出には十分気を付けたい」と話していた。●地元紙の記事の転載です。「またまたクマ目撃情報が・・・」三戸町中心部で、国史跡三戸城跡・城山公園に続き小中一貫三戸学園駐車場など2カ所でも新たにクマの目撃情報が寄せられた。町と三戸署、町教委、町消防団は15日、住民に危害が加えられることを防ぐため、夜間早朝巡回の実施など警戒態勢を強めることを申し合わせた。クマは14日早朝に城山公園で目撃されたが、三戸署によると、同日午後9時15分ごろ、三戸学園駐車場で、体長1メートル弱の1頭を目撃したとの通報があった。加えて町農林課によると同日午後6時ごろ、町梅内の山林でもクマ1頭が目撃された。城山公園から三戸学園駐車場までは南に約700メートル、町梅内の山林までは南に約2キロと近接している。これらの目撃情報が同一のクマのものであるかは不明だが、日中は付近の林の中に潜んで夜間や早朝に住宅地を含めた範囲で行動している可能性がある。しかし居場所は特定できないため、猟友会による捕獲に踏み切れない状況だという。 このため当面は三戸署が朝晩のパトロールを強化。町教委は学校を通じて保護者に注意喚起し、町消防団は中心部を管轄する分団が夜間巡回を行う。15日朝は三戸学園の通学路で三戸署が警戒活動を実施し、警察官が登校する児童・生徒を見守った。町農林課は「警戒活動でクマを怖がらせて山に帰ってもらうのが、人とクマにとってベストだと考える」と話している。
2024.05.17
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デイリー新潮の記事の転載です。(所変われば、火葬の仕方、考え方も違うことが分かり、参考になりました)日本の火葬率は99.99%(2022年度衛生行政報告例厚生労働省)。「故人を火葬場で火葬する」のが、ほぼ必須の国だ。私はかつて『葬送の仕事師たち』(新潮社)を書くにあたって、火葬場を取材した。遺族にとって故人と最後のお別れとなる、悲しみのピークの場だし、働くスタッフにとってもデリケートな働きが必要な場だ。「火葬開始」のボタンを押せば、遺体はすべて自動的に焼かれると思われがちだが、火葬炉の担当者は、いわく「きれいに焼く」ために、燃焼具合を小窓から目視し、炉温の調整に余念がない。もっと言えば、小窓から鉄の棒を差し込んで遺体の部位の位置を動かすこともある。人間は心臓が止まった時点で、即物的にはモノになる。しかし、感情的には割り切れないものがあるから、遺族も葬送の仕事人も一所懸命に故人と向き合っている――。そんな感想を持ったことを、このほどインドのガンジス川の川岸に位置する町、バナーラス(バラナシ、ベナレスとも)で思い出さずにはいられなかった。そして、ところ変われば「しきたり」も変わる、とつくづく思った。報告したい。【ノンフィクションライター/井上理津子】首都・デリーから南東に約800キロ、空路2時間弱。バナーラス空港に着くと、赤や黄などカラフルな色の花々に迎えられ、「南国に着いた」と心躍った。デリー郊外に在住して10年の親戚、前田くんが同行してくれた今回のバナーラス旅は、日本語ガイドのSさん(38)と空港で会い、始まった。「ようこそ。バナーラスは日本で言うと京都です。3000年の歴史あるヒンドゥーの聖地ですから、インドに来たからには絶対に来てほしい町。大歓迎します」「ガンガー(ガンジス川)の雄大な流れに身を置ける。あなたたちは幸せ」「絹織物の産地です。金銀銅をあしらった厚手のバナーラスシルクがスペシャルです」などと、Sさんは立て続けにバナーラスの町をアピールする。「なんでも聞いてください」とおっしゃるので、さっそく質問してみた。「あなたもヒンドゥーですか?」と。「もちろんです」「あのー、ご両親はご健在?」と婉曲に問いを重ねた私の本当に知りたかったことをすぐさま察してくれ、「いいえ。父は亡くなり、バナーラスで火葬しました」「バナーラスで火葬、が意味するのは、ガンジス川の川岸にある野外火葬場で火葬することですよね?」「はい、もちろん。私自身もいずれバナーラスで焼いてもらうつもりですよ」そんなSさんとのやりとりと、前田くんが「仕事仲間のヒンドゥー5人にヒアリングしたら、全員が『自分もバナーラスで火葬を望む』と言っていた」と話してくれたことが、今回の旅の最大の目的である火葬場見学の伏線となった。車で移動し、1時間ほどで旧市街の中心地に着く。道という道に人があふれ、犬もあふれ、時おり牛が寝そべっている。そんな光景も、迷路のような路地に小さな店がひしめく光景も堪能。夕方からプージャ(ヒンドゥーの礼拝儀式)を見に行き、東京ドーム5つ満杯になるくらいの人数(あくまで私の感覚です)が、200メートル四方(同)の中で蠢く人熱に圧倒され……の後だから、夜の8時半過ぎだった。ガートが連なり、チャイや花の売り子が数多いるガンジス川の川岸をそぞろ歩いて、火葬場へ行き着いたのは。ガートとは、岸辺から階段状に川水に没している堤のことで、バラーナスには84カ所あり、そのほとんどが沐浴場となっている。夜なのに水ごりする人たちがちょこちょこいた。暗いので、水はきれいとも汚いとも、いまひとつ分からなかったが、「赤ん坊の死体や牛の死体がどんどん流れてきて、悪臭が漂っている」などと言われるのは、ずいぶん誇張があると思うに十分で、少なくとも悪臭はしなかった。「ガンガーでの水ごりはヒンドゥーにとって最も尊いこと。インド全土から来ていますね、ま、朝の方が多いですが」と説明してくれた後、Sさんがあまり喋らなくなり、歩みが重くなった。その先に煌々と炎が上がる火葬場があった。「2か所ある野外火葬場のうちの1か所、マニカルニカー・ガートのようだね。運ばれてきた死者はまずシヴァ神を祀る寺院に安置され、それからここへ来る。ここでの火葬は肉体から魂を解放して、輪廻転生するための儀式なんだって」と、前田くんがスマホをさくさく調べ、伝えてくれる。火葬場内に立ち入ることに、Sさんも前田くんも積極的でなかったようで、私は一人で近づいて行ったのだが、「うわー」と何度声を上げたことか。階段上の通路の両側、あちらにもこちらにも橙色の炎が「ごおー」と音をたてて上がっていて、呆気にとられた。炎(すなわち火葬中の遺体)を取り囲む、遺族らしき人たちも相当数いる。あ、鉄の棒を手に、遺体がよく焼けるように働いている(と直感した)スタッフさんたちも。遺体を担架で運んできて、「これから焼く」感じのグループもいた。スマホで写真を撮っていると、男の人がやってきて、「写真ノー」と怒られた。「ごめんなさい。つい」と応じると、なぜかその人は、「OK。いいよ」とすぐさま許してくれて、「24時間焼いている。1体3時間、1日200体」と言った。「もっと知りたいなら、私にお金を。私はすぐそこのホスピスのスタッフ。ここは普通の人を焼く場所だけど、私にお金を払うと金持ち用の火葬場も見せてあげる」と営業トークをなさった。私はまだそういうのに慣れていなかったから、怪しい、と思って断って、その夜はただただ静かに見学して、火葬場のエリアをあとにした。火葬場から100メートルほど離れた階段のところに、サリーを着た6、7人の女の人がかたまって座り、全員に涙の痕跡があった。遺族だ、と思った。「Sさんはお父さんを見送ってからまだ日が浅いから、火葬場が苦手なのでは。バナーレスで火葬できたことは誇りだけど、リアルを思い出すと辛い。そんな感じみたい」と、待っていてくれた前田くんが、Sさんが去った後で言う。「Sさんの気持ち、なんとなく分かるよねー」と言い合いながら、ホテルに戻る(仕事とはいえ、しんどい思いをさせて、Sさんごめんなさい)。インドのヒンドゥー教徒が誇りとする「バナーレスでの火葬」。お墓の概念がない地域ではどのように遺骨を扱うのか? また「女性遺族は立ち入り禁止」の理由とは? 後編では火葬の具体的な手順などをお伝えする。
2024.05.17
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近所にある歯科医院で白板症があるとの指摘を受けました。白板症は前がん状態です。この歯科医院では、定期的に歯の掃除をしてもらっています。普段は歯科衛生士さんがするのですが、偶然、白板症を発見した日は、歯科医がやりました。その結果発見されました。この歯科医院は夫婦共に歯科医です。白板症を発見したのは奥さんの方ですが、御主人も覗いて見て、「大きさを計測しておいて、大きくなったら口腔外科を紹介する」「とりあえず、口腔外科を紹介する」で意見が割れました。その結果、患者である私の意向を聞くことになりました。「大きくなる前に口腔外科に診察してもらいたいです」ということで、総合病院の口腔外科に通うことになりました。白板症ががんに変化する割合は5~25%と幅があります。手術の可能性の話もありました。喉の奥に出来ているので、普通に手術すると嘔吐反応が起き、手術の邪魔になる。やるとすれば、全身麻酔になると宣告されました。その後は手術することもなく、経過観察で、今年の7月には、2年が経過します。前回の医師の説明です。「最初は手術しようかとも思いましたが、経過観察で、間もなく2年になります。9月を最後の診察とししましょう。その後は近くの歯科医に、歯の掃除の際に、ついでに観察してもらって下さい」「がんに変化する可能性は低いですか?」「大丈夫でしょう」「歯の掃除は歯科衛生士がするのですが、一緒に観察するということになるのですか?」「手紙を書きます。歯科医に見てもらって下さい」9月に予約を入れました。これで口腔外科とはお別れになります。白板症が発見された時はどうなるかと心配でしたが、どうやら、一件落着となりそうです。現在悩んでいるのは、昨年9月後半から続いている、全身に拡がっている湿疹です。湿疹そのものは消えましたが、黒い色素沈着が残っています。更に、後こちが痒くなるので困ります。妙な湿疹が新たに出来たりしています。次回の皮膚科診察で相談しようと思います。
2024.05.16
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デイリーの記事の転載です。今年になって食道癌(がん)で亡くなった著名人の悲報を時々耳にします。食道癌は私の外科医時代前半の専門領域でありましたので、たくさんの患者さんの治療を担当させていただきました。徐々に治療成績も向上していますが、いまなお予後の悪い癌として悪名高い病気です。その原因として、非常にリンパ節転移の頻度が高いことが挙げられます。比較的浅いところまでしか発育していない粘膜下層癌でも40%と高率にリンパ節転移をおこします。胃の粘膜下層癌のリンパ節転移率は10%程度ですので、実に4倍転移を起こしやすいということになります。加えて食道のリンパ網は頚、胸、腹部の3領域にわたって張り巡らされており、容易にこれらの部位に転移し、さらに転移先から全身に転移し命を奪われるのです。食道は心・大血管、肺、気管など重要な臓器に隣接しておりこれらに癌が直接浸潤して切除不能となることが多いのも予後不良の原因です。通常は、手術は申込み順に日程が決まるのですが、食道癌は特別進行が早いからと、順番抜かしをして早めに手術されていたのを思い出しました。最近ではすぐに手術をせずに、抗癌剤治療(ときに放射線治療の併用)を先に行った後に手術する方が予後が良いとの報告が多くみられます。もちろんごく浅い層までの発育でとどまっている粘膜癌の状態でみつかれば内視鏡切除で完治するのですが、この状態では通常症状がでません。したがってハイリスクの方に内視鏡をすすめるのが我々内視鏡医の役目です。ハイリスクとは中年以上の男性、喫煙、飲酒歴、アルコールで顔が赤くなる人、咽喉頭癌、口腔内癌の既往のある人です。複数の項目に当てはまる人はすぐに内視鏡をうけましょう。◆西岡清訓(にしおか・きよのり)兵庫県尼崎市の「にしおか内科クリニック」院長。呼吸器、消化器疾患を中心に一般内科診療などを行っている。
2024.05.16
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日刊スポーツの記事の転載です。<大相撲夏場所>◇2日目◇13日◇東京・両国国技館 幕下の取組で、体重94・3キロの欧山田(24=鳴戸)が体重差2・7倍の相手をひっくり返した。252キロの出羽ノ城(30=出羽海)を足取りで破った。立ち合いはお互いに静止して見合いながら、すきを見て素早く両手で左足を取ると、深く懐に潜り込み、そのままあおむけに倒してみせた。体重差158キロ差をはね返しての勝利に、館内も大きく盛り上がっていた。(原文には写真が数枚あります。「こちら」でご覧ください。)
2024.05.15
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ブラジル日報の記事の転載です。 4月28日、自宅近くのレストランで、しばらく使ってなかった日本のクレジットカードを使って会計を行った。表示された金額が390レアルだったので「ああ、1万円は切るな」と思いながら日本円での会計ボタンを押したら「1万2千円」と表示され、「えっ?」と思った。 このカードを使ったのは約1年ぶりで、当時は「1レ=25円」の感覚で計算していた。一時期よりは高くなっていたが、それでもコラム子の中では「1レは20円台前半」のイメージだった。それが、気がついたら30円台になっていたわけだ。 翌日、日本のSNS上で「ついに1ドルが160円台に突入した」と大騒ぎになっていることを知り、「ああ、通りで」と先日の値段の理由に合点がいった。 160円台を記録したのは34年ぶりのことだという。「高校の時に200円くらいしてなかったっけ?」と思ったが、それは1987年のブラック・マンデー前の話で37年前のことだった。なんだか浦島太郎になったような感じがする。 コラム子が2010年にサンパウロ市に移り住んできた時には1ドルは100円を切っていた。今から考えたら、かなりの円高ドル安だと気づかされる。 2010年当時はレアルがやたら高かったことも思い出した。あの当時、1レアルは40円ほど。日本で貯めた貯金を入れたクレジットカードを使うと残高の減りが早かったことを思い出す。あの頃はまだルーラ政権がジウマ政権に代わったくらいの頃で、伯国の国際的な景気も良い頃だった。 それが、ラヴァ・ジャット作戦の始まった2014年くらいから急速にレアルが落ちだし、気付けばレアルは30円を切っていた。ボルソナロ政権の頃になると1レは20円近くまで落ち込み、20円を切った時もあった。その間、パンデミックであまり金を使うようなことがなかったのは確かだが、日本での貯金をうまいくらいに使って重宝していたことは確かだ。 2022年の終わりくらいに「前ほどは安くないな」と感じて日本のカードの使用を控えるようになったが、短期間でかなり上がってきているように感じられる。ブラジル経済としてはレアル安も困るのだが、円安にもなんとかなってもらいたいものだ。
2024.05.15
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東奥日報の記事の転載です。八戸市内などの料理店でつくる八戸日本料理業芽生(めばえ)会(竹中亨考=ゆきたか=会長)は、10日から6月25日までの日程で「八戸前沖ふぐ福まつり」を開催する。期間中、同市と青森市内の計10店で、八戸港などに水揚げされた天然トラフグのコース料理を手頃な値段で提供。八戸市内のホテルで特別企画もあり、八戸地域のブランド定着を図る。同まつりは今年で11回目。1人前6600円、8800円、1万1千円(税込み)の3コースを基本に、てっさ(刺し身)、焼き白子、から揚げ、てっちり(フグ鍋)などを味わってもらう。料理は各店で異なり、各店オリジナルコースを設けたり、ランチを行ったりする店もある。一部店舗でフグ料理の宅配も実施する。同会によると、八戸市周辺では昔から4~6月に天然トラフグが水揚げされていたが、西日本を中心に取れる冬場と異なり、首都圏に安値で取引され、地元での消費は少なかったという。竹中会長は「地元産天然トラフグの知名度はまだまだ。おいしいフグを味わってもらい、市民に定着するようPR活動を継続していく」と話した。5月29日には、八戸パークホテルで特別企画「八戸前沖ふぐを愉(たの)しむ夕べ」を開き多彩なフグ料理を提供する。昨年8月に東京都内で初開催の「全国ふぐ料理コンテスト」で最優秀賞を取った「赤坂 四川飯店」の濵邉一樹さんが受賞料理を振る舞うほか、芽生会の屋台コーナーも設ける。同会、同ホテルでチケットを販売中で1人1万8千円。(和食の雰囲気があるフグ料理ですので、特別ゲストが四川料理の調理師というのには、少々引っかかります。まぁ、美味しければ構いませんが・・・。一人18000円ですか。以前このホテルの催しで、中国の広州から招いた特級料理士の料理を、一度だけ食べたことがあります。コロナ前は毎年行われていました。一人2万円でした。知り合いも参加していましたが、その人も含めて、私以外は全員と言っていいくらい、経費で落とす客でした。相席になった人も、社長の都合が悪くなり、代わりに来たのだと話していました)このホテルの関係者は、他にも手広く事業をしています。「参加しませんか」と声を掛けられれば、断りにくい人もいるでしょう。この催しの客も、似たような感じになるような気がします。まぁ、お付き合いだとしても、美味しいものも食べられるのですから、政治資金パーティなどに比べれば、気が楽でしょう。)イベントの問い合わせは同会事務局(アイズ内、電話0178-47-3575)へ。 まつり参加店は次の通り(3日前までの事前予約が必要)。▽八戸市 金剛、銀波、おはな、しはん、ぼてじゅう、丹念、きんき、八戸パークホテル ▽青森市 菜のはな、白樺(ある店のお持ち帰りメニューです)
2024.05.14
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現代ビジネスの記事の転載です。2024年、全国民の3人に1人以上が65歳以上になる。2033年、3戸に1戸が空き家になる。2040年、自治体の半数が消滅する――。将来の人口を分析してみると、日本の未来はかなり正確に予測できるのだ。人口減少問題の第一人者・河合雅司氏によるシリーズ100万部の大ベストセラー『未来の年表』があばいた「不都合な真実」の正体。「老老介護」の傾向は要介護者が70代になるまで続く。「国民生活基礎調査」(2016年、熊本県を除く)によれば、65歳以上の「老老介護」は54・7%。75歳以上の「老老介護」も30・2%と、初めて30%台に突入した。年齢階級別でみると「70~79歳」を介護しているのは、同じ「70~79歳」が48・4%と最も多い。ところが、要介護者が80代になると、50代による介護が32・9%(女性21・7%、男性11・3%)と急増する。70代を介護する50代(8・6%)の4倍だ。60代も22・6%(女性15・4%、男性7・2%)だ。配偶者が亡くなった後、自身が要介護になると、50代の娘か息子の妻の世話になる人が多いということだろう。80代以上の高齢者が増え続けることを勘案すれば、「地域包括ケアシステム」を機能させるには50~60代に大きく頼らざるを得ないが、問題は50代、60代の女性が引き続き介護の担い手となり得るのかという点だ。60代のほうが50代に比べて配偶者の介護にあたる可能性が大きいとすれば、とりわけ期待されるのは50代の女性となる。家族の介護に割く時間を見ると、要介護5では「ほとんど終日」と「半日程度」を合わせて69・0%だ。要介護4は67・5%、要介護3も48・9%に及ぶ。総務省の「就業構造基本調査」(2012年)では、50代女性の有業率は50~54歳が73・2%、55~59歳は65・0%である。半数はパートやアルバイトだが、「地域包括ケアシステム」が普及したとしても、家族の拘束時間が極端に短くなるとは考えづらく、中重度の要介護者を抱えて仕事もしていくのはどう考えても厳しい。政府は労働力不足の対策として、女性の活躍推進に力を入れるが、その成果が上がれば上がるほど、在宅介護の担い手不足が深刻化する。将来的には、状況はさらに深刻化する。未婚化も懸念材料である。上昇カーブを描く女性の生涯未婚率は、2025年には18・9%になると推計されている。彼女たちは、働かなければ自分の生活を維持できず、介護離職や休職をしようにもできない。50代女性が介護の中心となるのが困難な時代が来るだろう。もう1つ見落とせないのが晩婚・晩産の影響である。2016年の第1子出生時の母の平均年齢は30・7歳だ。第2子以降の誕生も考えれば、「50代で子育て中」という人は増える傾向にある。これでは、とても介護にまで手が回らない。現状でも、育児が一段落する前に年老いた親が要介護状態となり、育児と介護を同時に行わざるを得ない「ダブルケア」に直面する人は多い。内閣府が2016年4月に、政府としては初の推計をま とめたが、ダブルケアをしている男性は8万5400人、女性は16万7500人の計25万2900人に上っていた。年齢別では40代前半が27・1%で最も多いが、30代後半が25・8%、30代前半も16・4%で続く。約80%が働き盛りの30~40代であった。育児と介護の両方を主に担う者は、男性が32・3%に対し、女性は48・5%だ(2016年の内閣府の調査による)。より多くの負担が女性にかかっている。仕事をしていた人の うち、業務量や労働時間を減らさざるを得なかった女性は38・7%で、その半数近くが離職に追い込まれている。晩婚・晩産の影響の中でも、とりわけ経済的・肉体的に厳しい環境に置かれるダブルケアの悩みは深刻だ。少子化で相談できる兄弟姉妹や親族がおらず、精神的に追い詰められる人も少なくない。「育児と介護」という組み合わせだけではない。両親が同時に要介護状態になり、介護する側も60代といったケースも見られる。これは晩婚とは無関係だ。ひとりっ子同士の結婚が珍しくなくなった今、夫と妻の親が同時に要介護となる「ダブルケア」もある。「ダブルケア」のさらなる問題点は、親の晩婚・晩産が世代を超えて子供に影響を及ぼし得ることだ。50歳と40歳の両親から生まれた子供が20代後半で結婚したケースを考えれば分かるだろう。その子供は晩婚でないにもかかわらず、結婚時に両親が高齢化しているためダブルケアに直面する可能性がある。これは、夫が晩婚で妻との年齢が大きく離れた「年の差婚」でも起こり得る。最後に、晩婚・晩産の誤算はダブルケアだけではない。夫の定年退職後も、子供が大学などに在学するケースでは、早くから収入面の計画を立てておかないと、学費の支払いと生活資金確保の両立を難しくする。人生設計に"予期せぬ悩み"をもたらすのだ。晩婚・晩産といえば「少子化の要因」としてばかりクローズアップされるが、このように「超・高齢者大国」とも密接に関わっているのである。
2024.05.14
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2024年5月5日、舘鼻岸壁朝市に行ってきました。6時半ごろ到着し、8時過ぎまでいましたが、大混雑でした。早朝の4時半に行った人の話では、駐車する場所を探すのが一苦労だったそうです。普段、行列が出来る店は決まっているのですが、この日はほとんどの店に行列が出来ていました。失礼ながら、普段は閑古鳥が鳴いているような屋台にも、長い行列がありました。普段から混んでいる店の行列はその数を増しており、溢れた客が別の屋台に並んでいる感じでした。奥に食べる場所を設けている屋台は、席がなくて順番待ちをしていました。要領の良い屋台は、お客さんの名前と順番を用紙に控えて、物が出来次第、声を掛けていました。馴染みの店も、従業員を増やしていましたが、てんてこ舞いでした。2日前の3日も、日曜日ではありませんでしたが、連休ということで、特別に朝市を開催しています。例年、この時期は大混雑するから準備したのか、あるいは2日前に混んだので学習効果が出ているのかは不明です。私が食べた「ふうか」の焼き餃子では、箸がなくなり、爪楊枝2本で食べさせられました。焼き餃子だと、何とか食べられるもんですね。この日、観光バスはいませんでしたが、代わりに大型オートバイの集団がいました。ツーリングの途中に寄った雰囲気でした。更にその奥にはキャンピングカーと、なんと、その隣にはテントが張ってありました。左手奥に見えます。大型連休では宿が取りにくいので、レンタルキャンピングカーの需要が高いとの報道に接していましたが、実際に見たのは初めてです。舘鼻岸壁には朝市のためのトイレがありますし、水も使えますから、キャンプには便利だと思います。キャンプしても誰も文句を言わないでしょう。舘鼻岸壁朝市の様子です。相変わらず旅行者が多いです。この日は、外国語はほとんど聞こえませんでした。季節がら、山菜を売っている屋台が目立ちました。食べる場所が空いていないので、順番待ちです。このような状況は、見たことがありません。歩くのも、流れに任せなければなりません。両隣と肩が頻繁にぶつかります。服装が凝ってきた、八戸市南部にある南郷大森の人参ジュース屋さんです。このような行列が当たり前の、この日でした。市場の最も外れにある屋台ですが、この通りの行列です。この店は高価な海産物を扱っています。地元民は躊躇する値段ですが、旅行者は意に介しません。行列が出来ていて、次々と売れていきます。山菜を売っています。完売御礼の鍋が並んでいます。残っているものも、あとわずかで売り切れです。馴染みの屋台です。従業員を増やしていますが、顔を上げる余裕もないくらい忙しいです。左側にある卵スープには、ワンタンを2~3個追加投入します。「八戸学院大学の学生さんに評判のスープです」との貼り紙があります。200円で、人気商品です。小籠包3個で300円です。美味しかったのでもう3個、追加しました。台湾の桃園から来た人がやっている「かふう」の焼餃子です。ただ、朝市には、本人は来ていないようです。箸がなくなってしまい、爪楊枝2本で、食べさせられました。自転車を置いてある場所の近くでは、毎回朝7時半から催しがあります。お嬢ちゃま歌謡グループの「パッチ」が歌っています。今日は、おそろいの服ではありませんでした。周辺にはおじさまがたくさんいました。中には、私と同年代らしき人も・・・。人疲れして、帰宅しました。
2024.05.13
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テレビ大阪の記事の転載です。最長で10連休となった2024年の大型連休。多くの人が7日から仕事となるこのタイミングで、利用が増えるサービスがあります。その現場を取材しました。【電話を掛けるスタッフ】「お世話になります、退職代行『やめたらええねん』の西山と申します。実は御社でお勤めの〇〇様より退職の申し出がありまして」 こちらは大阪・北区にある退職代行を行う企業です。本人に代わって勤め先などに「会社を辞める」と伝えるサービスで、近年注目されています。 【退職代行企業 内藤亮代表】「(退職代行依頼が)LINEで都度入ってくる形で、本日は20件以上依頼いただいている」 実は退職を決断をする人が一年のうち最も多いのが大型連休の前後。まさにこの時期です。 【内藤代表】「大型連休になると、帰省して友人や家族と話をして、『いまの仕事、本当にいいんだろうか?』と思い返して、仕事を続けられないと思い詰めて、退職代行依頼をいただくことが多い」 7日は朝から依頼者の退職意向を企業側に伝える作業に追われていました。 【電話をするスタッフ】「ご本人様の希望で、即日での退職を希望されていまして…。お借りしている物として、エプロン、ポロシャツ1着ずつと入館カードについては後日郵送で返却すると伝言を預かっています」一体、どんな人から依頼が来るのでしょうか? 【内藤代表】「もともとアルバイトで就業していて、雇用期間は1週間しか経過していないが、就業環境が合わず退職したいと決意された」 ギリギリまで悩んだのか、中にはこんな人も。 「こちら30代前半の方で、本日の午前2時46分に依頼がありました」代行の料金はアルバイトの場合9800円、正社員なら2万2000円。いまはどの業界も人手不足で、辞める決断をしやすい環境にあると言います。 【内藤代表】「2024年は急激にドンと上がっている。退職自体のハードルが下がってきているというのがあるので、コロナ禍が明けて、求人数も増えて、転職しやすい環境ができたのも大きい」
2024.05.13
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地元紙の1面最下段のコラムの転載です。「ある時は私立探偵、ある時は奇術師・・・。」先日、演芸番組『笑点』を卒業した林家木久扇さんがよく物まねをしていたのが、片岡千恵蔵演じる探偵の多羅尾伴内だ。1946~1960年に作られた連作映画の主人公だ。本家を見た記憶はないが、多くの声帯模写芸人が真似をしていたのを覚えている。変装が見どころの一つで、別名「七つの顔の男」だ。それぞれの役柄に名前があることもあり、”七つの名前を持つ男”でもあった。植物にも、いくつかの別名を持つ品種がある。春、朝市などで売っている山菜のカンゾウもその一つだ。八戸市周辺での呼び名はカンショウ、カンショ、カッコなどだ。クセがなく、おひたしにして食べると美味しい、と知ったのは数年前だ。実家の庭にも生えていたが、我が家に食す習慣はなかった。代わりに夏、ダイダイ色の花を摘んだ。ユリ科の花で、長持ちはしないものの、仏壇に添えると映えた。花を図鑑で調べると、中国では萱草(かんぞう)と書き、花やつぼみも食べるそうだ。ワスレナグサ、キスゲの別名もあり、種差海岸に初夏を告げる黄色いニッコウキスゲも仲間だとか。ちなみに青色や白い花を咲かせ、「私を忘れないで」が花言葉のワスレナグサは全く別の品種だ。一方、1時違いでやや認知度が低いワスレグサだが、ある時は食用、ある時は観賞用と、名前も用途も多彩だ。そんな植物が身近にあるのを忘れないでほしい。(多羅尾伴内については、以前、ブログで書いたことがあります。私らは、子供の頃、この映画を見ています。この映画の再放送を見て、幼い頃を思い出しました。遊び仲間でガキ大将だった「ケンちゃん」が、ガバッと上の服を脱ぐ格好をして正体を現す真似をするのが印象深く、記憶に残っています。「ケンちゃん」の妹さんとは、小学校の低学年で同じ組でした。途中で四国に引っ越していったのだそうで、姿を消しました。二人と会ってみたいものです。多羅尾伴内を演じていた片岡千恵蔵は、時代劇の主役を演じていました。主演する忠臣蔵や清水次郎長役の映画を見たことがあります。戦後、日本を占領した米軍は、時代劇を禁止しました。それで困った東映が、多羅尾伴内をつくったのだそうです。当時、高価で珍しかった自動車を走らせる場面があります。何度もしつこく、速度計を映します。これだけ速いんだと強調しているのは明らかでした。また、多羅尾伴内は変装していて、相手はそれに気づかないことになっているのですが、どこから見ても多羅尾伴内自身であることは明々白々で、不自然にも程があるといわざるを得ません。当時はこれでも問題なかったのでしょう。この再放送の映画を見るのは初めてでしたが、あの頃の自分が思い出されて、「懐かしさ」を感じました。カンゾウです。この写真ではサンショウとなっています。舘鼻岸壁朝市にありました。先日、八戸駅そばにある南部町産直で買い、茹でてそのまま食べました。スーパーでは見かけません。
2024.05.12
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JIJI.COMの記事の転載です。「健康寿命」を延ばすには1日9000歩が目標―。京都府立医科大の研究グループが1日の歩数と健康状態との関係を、人工知能(AI)を使って開発した指標などから分析したところ、こんな結果が出た。「自分は健康だ」と自覚するには1日1万1000歩となった。いずれも年齢や性別による違いは見られなかったという。論文は1日、英医学誌電子版に掲載された。健康寿命は健康上の問題なく、日常生活を支障なしに送れる期間を示し、厚生労働省の2019年調査では、男性72.68歳、女性75.38歳だった。研究グループは昨年、AIを使った機械学習で年齢や性別、病気の有無など約40項目から健康寿命を予測する指標を開発。今回は19年の国民生活基礎調査と国民健康・栄養調査の両方の対象となった成人約4900人のデータを基に健康状態や同指標と、歩数との関係を調べた。その結果、歩数が増えるにつれて指標が改善。「生活に活動制限があるか」では1日9000歩、「健康と自覚しているか」では1日1万1000歩までは指標が良くなる一方、それ以上ではほとんど変わらなかった。研究グループの京都府立医科大大学院の西真宏助教(循環器内科学)は「今より1歩でも多く歩くことが健康寿命を延ばすが、目標値を超えてもそれ以上の効果は期待できないことに留意が必要だ」と話している。
2024.05.12
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丸亀製麺釜揚げ半額の日です。 2024年5月1日、出かけました。先日、新井田公園で八重桜を見物しましたが、新井田川に架かる橋を越えた新井田公園側の土手の八重桜は、まだきれいに咲いていました。日持ちが良いです。桜の手前には、白い花を付けている木が植えられています。丸亀製麺新井田店です。「半額」の旗がまぶしいです。丸亀製麺は流れ作業に特徴があります。流れ作業と言えば、すぐ自動車の制作現場が連想されます。流れているのは制作中の自動車です。丸亀製麺で流れているのは、お客さんです。この関係で、店への入口と出口も別になっています。とても興味が湧く、面白いやり方だと思います。入口を入ると、麺を茹でる所があります。ここで注文と、量の多さを聞きます。この時は担当のお姉ちゃんが右隣にいて、麺を丼に移す作業をしていました。普通、この場所は1人2役です。釜揚げうどんを注文し、その後は量を聞かれるので並・大・得のうち、一番量が多い得を注文しました。この店には、一般の従業員よりは格上の「麺職人」がいます。先日城下店に行ったら、この店にも遅ればせながら「麺職人」が配置されていました。回転が早いので、茹であがった麺も、ザルに入れたまま、ゆで汁の中に入っています。こちらでは、たれは冷たいものか、温かいものかを聞かれます。その後、麺を受け取ります。その右側には天ぷらが並んでいます。好みのものを自分で取ります。取らなくても構いません。この列を反対側から見ています。焦点が合っていませんが、角には会計をするお姉ちゃんが写っています。右側には食べた食器等を返却する場所があります。箸とその他は別の場所に投棄します。食べ終わった食器をテーブルに放置している人も、少数ですが、います。すばやく、おばちゃんが来て、かたずけます。ネギ、揚げカス、すり下ろしたショウガなどは、お客さんが好きなだけ、自分でとるようになっています。この辺が、はなまるうどんと違うところです。ただ、はなまるうどんでも「ネギをたくさん下さい」と頼むと、普通の3倍ぐらいは入れてくれます。観察したところ、ネギと揚げカスはトングで2回取り、ショウガは小さいスプーンで少しだけという人が多いです。私はネギとショウガは大量に取り、揚げカスには目もくれません。釜揚げの量には、並、大、得の3種類があります。いつも得を頼みます。並みの倍ぐらいの量でしょうか。普段660円のところ、この日は330円です。天ぷらは銀あなごと、ちくわにしました。どちらも揚げたてのようで、温かくて、カリッと揚がっており、美味しくいただきました。時間が経つと冷えてきますが、回転が早いので、そういうことは少ないです。一度キスの天ぷらを食べてみたいのですが、お品書きの看板はぶら下がっているのですが、商品を見たことがありません。食べ終わったら、テーブルに置いてある台拭きで軽く掃除をして、食器を戻し、その隣にある出口から帰ります。丸亀製麺は通路もせまいし、客の流れもうまく制御していますから、サイゼリアやしゃぶ葉のようにロボットを導入する必要は、当面ないようにみえます。天ぷらを取った後に、お姉ちゃんがお盆を見て素早く金額を伝えてきます。ですから、自動会計機の導入もないでしょう。ただ、とにかく従業員さんたちは忙しいですから、そちらの方面からの苦情が出ると、いろいろと考慮することになるのかもしれません。会社側は、なかなか行動を起こさないとは思いますが。●東奥日報の記事の転載です。国内屈指の桜の名所・青森県弘前市の弘前公園でソメイヨシノに続いて咲く八重桜7品種「弘前七桜(しちざくら)」が大型連休中、次々に見ごろを迎えている。7品種がリレーのように満開となるため、ソメイヨシノが散った後も5月5日までの弘前さくらまつり会期中、桜を楽しむことができる。(下の写真は、桜見物の際、弘前公園内でのアンケートに答えて、お礼にもらったクリアファイルに印刷されているものです)●青森テレビの記事の転載です。歴代で最も長い期間での開催となった2024年の弘前さくらまつり(青森県)は、推計値で2023年より41万人あまり多い、245万人の人出となりました。2024年の弘前さくらまつりは、4月12日~5月5日までの24日間の会期で行われ、期間中の人出は推計値で245万人となりました。弘前市によりますと、コロナ禍前の水準に戻った2023年よりも、さらに41万人多くなっています。2024年は園内のソメイヨシノが4月19日に満開となり、その土日で62万人が弘前公園を訪れました。(19日は、私が観桜に行った日です。)また、大型連休中も遅咲きのサクラや出店を楽しむ観光客が多く、会期の終盤、5日までの3日間で20万人が訪れました。早咲きに対応して、当初の予定よりも開幕を1週間前倒ししたことや好天に恵まれたこと、インバウンドの回復などが2024年の人出につながったと見られています。●青森県五所川原市の金木商工会は7日、同市の芦野公園で開かれた金木桜まつり(4月29日~5月5日)の来場者数が約3万1千人だったと明らかにした。桜の早咲きで人出が会期前に集中したため、前年の本会期より約8300人少なく、コロナ禍前で最も多かった2019年の約11分の1にとどまった。●弘前さくらまつり(4月12日~5月5日)の期間中に青森県弘前市内に宿泊したインバウンド(訪日客)がコロナ禍前の2019年に比べて約3割増えたことが8日分かった。市役所本庁舎での定例記者会見で、桜田宏市長が市内宿泊関係者からの聞き取り内容を説明した。欧米などから訪れる割合が高まっているという。(弘前公園の桜まつりの期間中は、どこの宿泊所が満室になってしまいます。これは青森のねぶたや、大曲の花火大会、札幌の雪まつり、富山のおわら風の盆などでも同じです。わたしも実際に宿を取ろうとしましたが難しかったです。運よく、札幌では国際ユースホステルが、富山では魚津に1部屋だけ空室があり、確保することができました。八戸の三社大祭でも同様のことが起きているようで、ホテル関係者に聞いたら、別の空室がある宿があれば紹介しているとのことでした。外国人が独力で、日本国内で宿を取るのは困難でしょうから、旅行社を通しているものと思われます。逆の面から見ると、旅行社がずいぶん前、多分1年前から宿を押さえていることが想像されます。一人旅の人が宿を確保するのは難しいです。)
2024.05.11
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地元紙の記事の転載です。(今までの手術用ロボットは、執刀医の手の代わりをロボットが行うものでしたが、この新型ロボットは、助手の医師2人の代わりをするものです。)名古屋市立大病院は23日、新型手術支援ロボットを用いて、腹腔鏡下で胆のう摘出手術に成功したと発表した。このロボットを使った胆のう摘出は世界初という。若て外科医が減少する中、通常3人の医師が必要とされる、内視鏡による外科手術で、助手2人の役割を1台で担うことができ、働き方改革や教育環境の充実に資するとしている。手術支援ロボット「ANSURサージカルロボット」は、医療機器製造の旭インテック(愛知県瀬戸市)が、人間以上の精密な動きが目的の、従来型支援ロボットと異なり、石の省力化のために開発した。執刀医がメスなどを使いながら操作する3本のアームが助手代わりになり、1人での手術も可能だ。価格は約5千万円で、外科医不足に悩む中小病院での導入も期待される。執刀したT教授は、捜査に一定の慣れは必要としつつ「2人の先生がロボットに置き換わる。医療の質を維持しながら、生まれた時間を大学病院としての別業務や休暇に宛てられる」と強調した。
2024.05.11
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移動して、南部町に隣接する三戸町の城山に来ました。聖寿寺館が赤石備中により放火され焼失したあと、三戸南部氏は城山に移って来ました。ここは本格的な山城です。三戸町同心町の観福寺には会津白虎隊の供養碑があります。また悟真寺には会津藩士の招魂碑があります。更に、責任をとって切腹した家老・萱野権兵衛の位牌があります。悟真寺では、大黒さんが現れて、丁寧に説明して頂きました。ありがとうございました。実は招魂碑や位牌なども実際に写真を撮ったのですが、失敗して残っていません。前日、スマホのChromeが更新されました。この関係で、カメラのアプリも新しくなり、変わった画面に当惑し、あちこちいじってしまい、その結果、行方不明になったり、動画になったりしてしまいました。大黒さんによると、萱野権兵衛さんの位牌は、会津だけでなく、東京、そして三戸の悟真寺にあるそうです。仏教の知識がないもので、失礼ながら位牌について質問してしまいました。位牌には「魂(たましい)入れ」ということをするのだそうです。ありがとうございます。勉強になりました。三戸町と会津との関係については三戸町の詳しい説明があります。是非とも御一読願いたいです。「こちら」にあります。三戸町周辺は斗南藩領になっていて、会津藩士の一部が移住しました。以上で、聖寿寺館跡の見学は終わりました。
2024.05.10
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カンテレの記事の転載です。歯の数が足りない人に、薬で歯を生やす治験を大阪市の北野病院などの研究グループが始めると発表しました。生まれつき6本以上歯が足りていない「先天性無歯症」は、人口の0.1%程度患者がいて、遺伝の影響が強いと考えられています。食べ物を噛んだり、言葉を発したりする力が弱く、子どもの成長に悪影響をおよぼす一方、治療は成人になってからの入れ歯やインプラントに限られていました。北野病院などの研究グループは、マウスを使った実験から特定のタンパク質の働きを抑えることで歯が成長することを発見。この仕組みを活かした薬で、歯が欠損している健康な成人の歯を生やす治験を、ことし9月から京都大学医学部付属病院で始めるということです。【北野病院 歯科口腔外科 高橋克主任部長】「既存の治療とは一線を画す。それぞれいい点、欠点があるので。3番目のモダリティとして診療の中に浸透していくことを目指しています」 薬は口腔内ではなく、腕から点滴で投与するというこの治験。体の思わぬところから歯が生えてしまう…なんてことは起きないのでしょうか。【北野病院 歯科口腔外科 高橋克主任部長】「よく聞かれる質問なんです。頭や手からは歯が生えないのかと聞かれますが、基本的にはこの方法ではゼロから歯をつくることはできない。つまり、歯の根がないと生えない。頭にも手にも歯の根はないので生える心配はありません」研究グループは今後治験を先天性無歯症の子どもにも広げ、2030年の実用化を目指すということです。また、この薬を使って乳歯や永久歯に続く「第3の歯」を生やすことに成功したということで、虫歯などで永久歯を失った人への治療にも活用したいとしています。
2024.05.10
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聖寿寺館跡案内所に着きました。案内所のそばにある大きな看板です。聖寿寺館跡案内所に寄ります。ここで南部利康霊屋を見るための入場料を払います。室内には出土品などが展示されていますので、見学しました。聖寿寺館跡案内所を出て、近くにある南部利康霊屋(たまや)に着きました。今見えているのは霊屋を風雨や雪から守るための建物です。平泉の金色堂と同じ仕組みになっています。南部利康は南部利直の四男です。盛岡南部の初代藩主は、八戸などでは南部信直となっていることが多く、その結果、長男の利直は二代目になっていますが、盛岡に行った時には、利直が初代になっていました。盛岡の不来方に城を築き始めたのは信直ですが、完成を待たずに死去しました。盛岡に最初に住んだのは利直です。この霊屋に葬られている利康は利発で、父親の利直も大いに期待していたのですが、24歳の若さで、この世を去りました。死去の翌年(1632)、三戸郷中1か年の収納高を当てて、この霊屋を創建しました。中は撮影禁止ですので、パンフレットの写真を転載します。実物はこんなに光っていませんでした。利康死去の翌年の忌日に殉死した八木橋藤十郎の墓です。聖寿寺館跡です。名久井岳が見えます。こちら側は崖になっています。空堀の跡です。南部利康の父、利直の霊屋もありますが、非公開です。利直は最初はこちらに祀られていましたが、のちに盛岡に移したため、現在は建物だけが残っています。昼食は三戸道の駅に、仮に開業した「白山」の支店で、ガニ汁と海鮮丼のセットを食べました。蟹は沢蟹を使っています。出汁を取るために使っているようです。このあたりの名物になっています。後編に続きます。最終地、三戸町に着きます。
2024.05.09
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Merkmalの記事の転載です。コロナ禍前を上回る訪日外国人観光客の殺到で観光公害が深刻化するなか、「宿泊税」などの検討に入る地方自治体が相次いでいる。背景に厳しさを増す自治体の懐事情がうかがえる。たこ焼きをほおばりながら歩く若いカップル、グリコの看板前でポーズを取って記念撮影する家族連れ。4月末の土曜日、大阪市中央区の道頓堀かいわいは足の踏み場もない人出で埋め尽くされた。そのほとんどが欧米やアジア各地からやってきた訪日客だ。台湾から初めて来た女性(23歳)は「たこ焼きが大好き。やはり本場の味は違う」とにっこり。戎橋近くで営業するコンビニの店員は「このところ人出がすごいが、今日もびっくりするほどいる」と目を丸くしていた。京都市下京区の四条河原町では祇園方面へ向かうバス停で20人以上の市民が立ち尽くしていた。バスは次々に来るのだが、どれもほぼ満員状態。2、3人乗せては発車の繰り返しでなかなか乗車できない。なかにはバスをあきらめて歩き出す人も。千葉県浦安市から来た30代の夫婦は「街全体がディズニーランドみたいな人出。歩いたほうが早い」。日本政府観光局は3月の訪日客数推計値がコロナ禍前の2019年3月比で11.6%増の308万人に達したと発表した。単月で300万人を超えたのは初めて。1~3月期も856万人で、第1四半期として過去最高を記録している。その結果、人気観光地は訪日客であふれ、観光公害が深刻さを増している。自治体はごみ箱やトイレの整備、交通整理、観光案内などで大忙し。想定外の支出も次々に発生する。これらの予算を捻出するために、自治体が相次いで新たな財源の模索に動き出した。自治体が観光客から税金を徴収する方法としては、・宿泊に課税する「宿泊税」・温泉入浴に課税する「入湯税」・指定された地域に入ることに課税する「入山税」「入島税」などがある。これら法定外税は条例で定めたうえ、総務相の同意を得て導入される。宿泊税は東京都、大阪府、京都市、石川県金沢市など、入湯税は神戸市、大分県別府市、神奈川県箱根町など、入島税は広島県廿日市(はつかいち)市、沖縄県渡嘉敷(とかしき)村などが導入し、インフラ維持や環境保護などに充てている。入山税は山梨県が富士山を対象に夏から導入をに向け、徴収金額や方法の検討を急いでいる。真言宗の聖地・金剛峯寺(こんごうぶじ)があり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する和歌山県高野町は、入山税か宿泊税の徴収を検討している。2023年に高野山で宿泊した観光客は約22万人で、うち9万人余りが欧米中心の訪日客。日帰りも含めた観光客総数は町の人口約2600人を大きく上回る約140万人に上った。観光客受け入れに欠かせない上下水道の維持や警備員の配置に必要な経費は、それぞれ年間2000万~3000万円。高野町計画公室は「金剛峯寺とも協議し、高野山と文化財の価値を守るため、観光客に協力を求めたい」と説明した。宿泊税は北海道ニセコ町が11月、静岡県熱海市が2025年4月からの導入を決めたほか、広島県、宮城県、仙台市も検討を急いでいる。観光地を抱える自治体は導入ラッシュの状態だ。2018年から宿泊税を導入している京都市は、税額引き上げに向けて4月から有識者会議で議論を始めた。引き上げは2月に初当選した松井孝治市長の選挙公約で、有識者会議は今後、宿泊事業者にアンケート調査するなどして8月中に答申をまとめる方針。京都市税制課は「混雑対策には財源が必要。有識者会議でよく協議してほしい」と述べた。大阪府は訪日客に一定の負担を求める全国初の徴収金制度創設を検討中だ。有識者会議の初会合が24日に開かれ、本格的な議論に入ったが、2025年の大阪・関西万博開幕に合わせた導入に向け、徴収金額や方法の検討を急いでいる。自治体が法定外税の検討を急ぐ背景には、厳しさを増す財政事情がある。首都圏を除けば大半の自治体が急激な人口減少に入り、税収に影響している。バブル経済の約30年前、自前の税収が予算の3割しかない自治体が財源と権限を国に握られている現状を「3割自治」と呼んだが、いまや自主財源が1割前後の自治体も珍しくない。しかも、高齢化の進行で2023年度、国全体の社会保障給付費は134.3兆円まで膨れた。社会保障費は国だけでなく、自治体も負担している。国民健康保険だと都道府県が2割強、市町村が1割弱、介護なら都道府県、市町村とも3割弱を受け持つ。2025年には戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代約800万人が全員、75歳以上の後期高齢者になる。社会保障費のさらなる増加が避けられず、自治体財政はますます困窮する見込み。観光地を抱える自治体が法定外税導入へ動くのはやむを得ない一面もある。ただ、法定外税の導入が観光公害の緩和につながるかといえば、それは期待しにくい。訪日客が殺到するのは日本旅行が「安上がり」だからだ。バブル崩壊後、日本人の所得が増えないなか、海外では賃金上昇が続いた。その結果、欧米との経済格差が広がり、アジア諸国に追いつかれたところへ円安が追い打ちをかけている。京都市東山区の五条坂で串に刺した宮崎牛や神戸牛の小さなステーキが1本2000円で販売されていた。日本人観光客が尻込みするなか、訪日客は「安い」と大喜び。日本が“格安の旅行地”である限り、訪日客ラッシュに終わりが見えない。自治体は当面、訪日客の増加を覚悟して財源を探すしかなさそうだ。
2024.05.09
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