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2005年05月21日
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今日は委員長が道楽者の世界に入るきっかけとなった事件をお話ししましょう。


育ちは思い切りビンボーでしたが、なんと無謀にも、高校は日本大学付属桜ヶ丘高校などという坊ちゃん学校に行ってしまったことが、道楽道へ入るそもそもの発端だったと言っても良いでしょう。
(フリーページの委員長と縁のある人々もご参照下さい)

すでに高校二年生にして、新宿歌舞伎町のディスコなぞに出入りを始めておりました。
今でこそ中学生だって夜の繁華街に簡単に遊びに出ますが、70年代当時としては、かなり勇気のいる修行で、所謂「踊り場」で知り合った不良は皆、グレードも高く、学校なんぞは当の昔にコキ辞めたような、そりゃもーどーしようもないようなバカばかりでしたから、ここでいっぱしの顔になるっつーことは、イコール不良の顔役になるっていうことでした。ここらでしっかりと不良のいろはを学習して、将来は立派な不良になることを目指す馬鹿者達の巣窟のようなところでした。
(当時の不良の話もフリーページに書いてありますから是非読んで下さい)

そんな委員長もしっかりと不良のお勉強を重ね、高校三年生には梅が丘駅前のスナックを借り切って「パーティー」などを開催し、一躍地元のバカ自慢のTOPに躍り出ました。
パーティーに来ていた女子高生が万引きで捕まり、その彼氏が暴行事件を起こしてしまい、芋づるで委員長も世田谷警察署に任意出頭を求められました。


それでも何とか学校もクビにならず、生まれついての調子の良さで、何とか大学目指して頑張ろう、などと一週間くらいは受験勉強もしたりしました。
一応、委員長は無難な線で、日大経済学部、日大農獣医学部の二つを受けることにしたのです。もうひとつは高校の隣にある日大文理学部が、内申書と推薦で拾ってくれるという先輩の言葉にわずかな期待もしておりました。

さて試験当日、まずは農獣医学部ですが、なんと試験中に牛の鳴き声が聞こえるではありませんか。
「むぉおーーーーーー!」
試験中の教室に押し殺した笑い声が聞こえ、委員長は一気にブルーになりました。
しかも、当日は午後から関女の彼女と待ち合わせをしておりました。
午前の筆記試験の後は、もちろん面接です。
筆記試験にまったく手も足も出なかった委員長は、彼女との待ち合わせの時間が近づく面接会場で決断しました。
「俺には牛や馬は似合わねぇんだよ」
面接の順番を待つ学生たちを尻目に、彼女の待つ世田谷線山下駅前の喫茶店に向かった委員長でした。

続いて経済学部の入試試験は、当時のバカ仲間、井の頭線の三鷹台駅前で酒屋を営む家の次男坊と、新宿西口地下交番前で落ち合って試験に向かうはずでした。

「おっせぇーな、あのばかは」
などとブツブツ言いながら、タバコの本数も増えていきます。
と、そこへアイビー姿のアホづらした酒屋の息子がくわえタバコでやってきました。
「わりぃ、わりぃ、ちょっとねぼーしちまってよぉ」
そんな奴の後ろから若手のバリバリおまわりさんが付いて来ました。

「お前ら、歳いくつだ?」
えっと言う感じでしたが、そこは年季の入った不良の委員長は、
「19」と平静に答えました。
(注)この19歳という表現が微妙なニュアンスで、20歳というとウソ臭い、18歳だと完璧に引っ張られるし、その中間が警察や補導員をかわす不良のテクニックだったわけですね。(ほんとかよ?)

「学生か?」
「いや、働いてんの」
「どこで?」
「親父の仕事手伝ってんスよ」
「まぁ、良いからちょっとこっち来い」
そう言って若手は委員長たちを交番の中に連れ込みました。
嘘を突き通せると信じて疑わなかったバカ二人ですが、若手の次の言葉に一瞬青ざめました。
「おめーら、なんか変なもの持ってねーだろうな。ちょっと上着脱いでみろ」
委員長は、常に大事なモノは上着の合わせ部分に付いている隠しポケットにしまう習慣がありましたから、しめたっ、と思い上着を脱ぎました。
「変なものなんか持ってないっすよ」
若手は上着を脱いだ委員長の体を手で触り、身体検査を始めました。
内心、「へっ、ばーか、こっちにゃなんもねぇーよーだ」などとタカを括っておりました。
何も出てこなかった若手はがっかりしてイスに腰掛け、
「でこれからお前らはどこ行くんだ?」
と尋問しながら委員長の脱いだコートを触り始めました。
やっ、やべー。
コートの上から手探りする若手の手に何か手ごたえがありました。
「おっ、なんだこれは」
遂に若手の手によって、隠しポケットから掘り出された財布と共に受験票が現れました。
受験票の写真の委員長は、七三横別けの真面目な学生ヅラをしておりました。
「なんだおめーら高校生じゃねーか」
偶然にも若手の出身校が同じポン大ということで、何とか大目には見てくれましたが、一時限目の試験に間に合わなかったことは言うまでもありません。
「おめーがそんなつっぱったカッコしてくっから、こんなことになったんだよ」
このわずか2ヵ月後、酒屋の息子にこの落とし前をしっかり取られる事になります。

さて、委員長の最後の望みは文理学部の内申テストです。
これは学級担任の力の見せ所ですから、バカ学生の将来は担任で決まると言っても過言ではありません。
そして、委員長の担任は見事期待に応えてくれたのです。
「第一次補欠合格」
体の良い寄付金集めと知ったのは親子面談の時でした。
とは言うものの、この知らせが母親の元に入ったとき、委員長はダチのアパートで彼女と同棲ごっこなぞしており、親の心配をよそに踊り場で覚えたステップの練習などに明け暮れておりました。携帯電話などない当時のことですから、運良くダチが家に電話をしてくれなかったら、そんまんまバカが昇天しただけのことでしょう。
委員長の家は母子家庭で筋金入りのビンボーでしたから、担任との親子面談で補欠合格寄付金70万円を切り出されたとき、人生の何たるかを理解したといってもけして大げさなことではありませんでした。

親はどんなにバカな子でもかわいいもんです。
後年、委員長も子供を持って初めて親の気持ちがわかりました。

早速借金の段取りを付けている母親の姿を見た委員長は、こんな道楽者にこれ以上金を使うのは勿体無いことだからやめてくれ、と生意気にも親を諭しました。
そんな二人だけの家族会議の中、酒屋の息子から電話がありました。
「今さぁ、担任から電話があってよぉ、文理の二次補欠に引っかかったって言うんだよな。何でも、俺の前に一次補欠がいるらしくてよぉ、そいつが止めねぇーと繰り上がんねーらしんだよな」
委員長の決意は確かなものになりました。
これでこいつへの借りも返せるし、親にも無駄な金使わせずに済む、一石二鳥だ。
ということで、この日を境に委員長は道楽者の道を歩むことになったのです。

なんて多少カッコつけてますが、実は内心、寄付金払うくらいだったら、その金で思いっきり遊びたいと、不純な思いがあったのも事実でございます。
この発想こそが道楽者の道楽たる由縁ですね。

酒屋の息子は大学へ。
そして委員長は東京デザイナー学院へ、ファッションデザイナー目指して突き進んだのです。
3ヶ月目には授業料使い込んで除籍されてしまいましたが、専門学校という道楽者養成学校ではそれなりに楽しいキャンパスライフを送ることができました。





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最終更新日  2005年05月21日 20時43分48秒
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