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2005年05月28日
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というわけで、委員長はついに新宿南口パブディスコ・ビバヤングでアルバイトを始めました。もちろん高校時代からのバカ友、三鷹台駅前の酒屋の次男坊も一緒です。
お店は、新宿駅南口を出て甲州街道方面に向かって徒歩5~6分のところにありました。
現在はビジネスホテルか何かになっているようです。
当時の人気ディスコ「GET」の隣にあった、光会館というビルの4階で、そうですね、広さはかなり大きかったですが、トゥゲザーとかには敵わなかったですね。
トゥゲザーが1500人収容と言ってましたから、ビバヤングで500~600人くらいのキャパだったのですかねぇ。
ビルの1階はパチンコ屋、2階が大型喫茶「穂高」、3階が同店の同伴席、5階は事務所だったかな。

しかし、この同伴喫茶ってのが当時は随分とアチコチにありました。
二人がけのボックスシートをパテで仕切ってある、ちょっと薄暗い喫茶でしたね。
コーヒーが1杯百円の時代に、ここで呑むと五百円になってしまいます。

なんだか、いかにもって感じですが、当時はこんなトコで怪しいことしてたんですね。
レンタ・ルームなんてのもありましたね。3畳くらいの部屋を時間貸ししてくれるんですね。
カウチとテーブル、ティッシュボックスなんか置いてあって、何するんでしょうか?
もちろん委員長も、トンコ修行に明け暮れた高校時代は時々お世話になりました。
それでも今時の子供たちに比べたら可愛いもんですね。
せいぜいボックスに並んで座って、イチャイチャしながらチューするくらいのことですから。
それでも二人で千円は結構なプライスでした。
まあたいがいは新宿西口中央公園あたりがデートスポットでしたから、たまに麻雀で小金を稼いだときとかは奮発して同伴に行きました。
「御苑」とか「西武」とかいう店名が記憶に残っています。
一度、彼女と踊りの帰り、盛り上がってしまいレンタルームに入ったことがありましたが、閉店時間の午前1時を過ぎてしまい、終電にも乗遅れて深夜の歌舞伎町に放り出されてしまい、根性決めて「旅館」(ホテルじゃありませんよ旅館です)に突入したのは良いのですが、案内してくれた婆さんに前金で四千五百円を請求され、ひえーっとばかりに追い出された苦い想い出もあります。
仕方なく近所の深夜喫茶で始発待ちしたことも、逆に純愛風のほのぼのとした良い想い出となりました。(じゅうぶん不純だろ)



ここの面接は、事務所でちゃんと店長がしてくれました。
長身で結構男前の店長はハキハキとしたしゃべり方で、履歴書と顔を見比べながら質問をしてきました。

「えーと、君は日大の1年生」
酒屋の息子は、いわゆるコンチってな感じのスリーピースのスーツなぞ着ておりまして、まあ無難な大学生のフリをしておりました。
「で、君はデザイナー学院、専門学校生だね」

店長はまず委員長の頭に眼をやり、次いで服装のチェックです。
委員長も一応は面接ということで、ニットフレアーにダブルのブレザーなど着込み、それなりに真面目そうな学生のフリをしておりました。(どこがやねん)
「ふーん、デザインの勉強しているの?」
真面目な顔で質問する店長の目が笑っているのを、見逃さなかった委員長でした。
「はい、一応服飾デザインをやってます」
胸を張って応える委員長。
「うーん、そのモミアゲはまあ良いけど、ウチは客商売だから、その髭は剃らなきゃダメだよ」
そうです、この頃の委員長はアフロを渋く見せるため、モミアゲと口ひげを伸ばしていたのです。
「はいわかりました」
ということでパートタイムは午後6時から終電ギリギリの12時まで、食事は一切なし。
時給は350円くらいだったかなぁ。休みなしで働いて月7万円くらいだったと思います。

実はこの面接の前に一度、東口二幸のマクドナルドに二人して面接に行ったことがありました。
新しモノ好きの道楽者ですから、時給も良いし、なんかアメリカっぽいし(当時のイメージとしてはかなりカッチョ良かったですね)、ハンバーガーという言葉の響きに釣られて、自分たちの身分もわきまえずノコノコ出かけて行きました。
精悍な顔つきのユニフォームを着た店長は、バカ二人の顔を見るなり、深夜のメンテナンスはどうだといきなり切り出してきました。
時給は500円、夜中の12時から朝の6時まで。
おおーっ、と声を上げた二人ですが、次の言葉にさっと頭を下げて退出しました。
「ただし、ウチは食べ物商売だから、まず頭はスポーツ刈り、髭はダメ、清掃着は毎日洗濯、店長の掃除点検で合格が出なければやり直し、こんな条件だけどどうする」
要は、黙って帰って欲しかったってことなんですけど、しかし世間知らずというか向う見ずと言うか、いい根性をしていたバカ二人でした。

さて、ビバヤングのバイトは順調にスタートし、黒ズボンに白ワイシャツ、蝶ネクタイに赤いベストを着せられた委員長は、まずウェイターのお仕事を覚えさせられました。
トレンチ(ステンレス製お盆のことですね)を小脇に抱え、左手にダスター(テーブル拭き)を持って、ホールを見回り、空いたアイスペールや灰皿の交換、黒服が案内したテーブルに飲み物やおつまみを運ぶ、単純な作業です。

ホールを担当するのは数人の本職ウェイターとボーイ長、そして委員長たちバイトのウィターです。黒服は入り口でお客様を案内して、ホールの客席に誘導してオーダーします。
受けたオーダーは、キッチンとドリンクカウンターのあるデッキに持っていってオーダーを通します。
「ボトルセット4、ポテト2、ピーナッツ2お願いします」
てなことで、ボトルセットというのは、当時のパブはほとんどがこのパターンで、来店時にウィスキーのボトルをキープさせます。
サントリー・ホワイトが千円、角瓶が千八百円、オールドが二千二百円、全て一般小売価格でした。これに水割りセットとして氷が入ったアイスペールとサントリーのミネラルウォータが付きます。
伝票には、テーブルチャージ(TC)が一人300円、ミネラルウォーターが1本100円、おつまみは300円より各種、強制的に一人一品取らされます。
アイスはTCに含まれていますから、水割りのセット4というと、TCが4人で1200円、ミネラルが4本で400円、おつまみが最低1200円、これに一番安いサントリーホワイト千円で合計3800円、これに税サービス料10%がついて4180円ナリ。一人頭で割ると1045円。安いですねえ。

さてアルバイトと言っても、それはそれなりに一応はサパーのサーバント・マナーくらいは知らなくてはいけません。
早速、ボーイ長から教えを受けます。

ミネラルウォーターは瓶だけで中味は水道水。
プラスティックのケースに入った瓶の上からホースでじゃぶじゃぶ注ぎます。
ボーイ長は、瓶の中の水の位置を揃えるように指導します。
いかにも今蓋を開けたように見せるわけですね。
水の位置にばらつきがあると、水を入れ換えて使っているのがばれてしまいます。
良心的なお店は水といえども、ちゃんとお客の前で栓を抜きますね。
ただ、この店のテクは、ボトルだけはお客に封を切らせました。
これですべてが良心的だと思い込ませる演出ですね。
ボトルは一般小売価格そのままですから、なおのこと良心的だなぁ、と思い込みます。
もちろんこれはサントリーの営業戦略にバッチリ乗ってますから、原価割れは絶対してませんね。
そりゃまあ、千円のボトルをそのまま定価で売っているのですから、100円のミネラルウォーターを細かくいう人はいませんよね。
しかし、水道水1本100円で売りゃ儲かりますね。

それでもこの後、色々な店を転々とした委員長は、ビバヤングはまだまだ良心的なお店だったなあ、と感心したくらいですから、そりゃ当時はスゲーお店がいっぱいありました。

ボーイ長弱冠20歳、北海道出身、北島三郎先生的風貌の小柄のあんちゃんでした。
お正月にお目にかかるおサルの二郎君に瓜二つ、赤いベストがよーく似合う先輩でした。
その上に沖縄出身のウチマ主任という方が、委員長たちバイト社員の直属の上司となりました。
更にバイトの先輩二人が細かな指導をしてくれました。
二人とも現役大学生、歳は委員長たちより二つくらい上だったと記憶しています。
どこの職場も同じですが、新入りは気合を入れてよくコキ使われます。
ボーイ長はおサルだったので言葉使いは少々乱暴でしたが、別段さからいさえしなければ、それなりのどこにでもいる働き者の先輩といったところでした。
問題はバイトの先輩でした。
根本的に要領よく、楽して時間を稼ごうってな魂胆がありますから、新人には教えるフリして何でもやらせます。
黒服やボーイ長がやってくると、やたら忙しく動き回って働いているように見せますが、いなくなるとすぐに近づいてきて、「週末は忙しいから覚悟しといたほうが良いぞ」とか、「XX主任はそーでもないけど、○○主任はうるさいから気をつけろ」などと耳打ちをする傍ら、「ほら、あそこの灰皿溢れてるぞ」とか「オーダー上がってるから4番テーブル運んで」とか要領よく指図します。
最初のうちは先輩ですから、そんなものかと言うことも聞いていましたが、自給も待遇も一緒のこいつらになんで指図されなきゃなんねぇーんだ、と不良のあんちゃんの血が蘇ってきます。

道楽者は順応性が早いことと、適応能力が優れていることが特徴のひとつです。
出金時間の午後6時、委員長と酒屋の息子が待ち構える、正社員がホールに出た後の誰もいない裏の狭いロッカールーム、そこへやってきた先輩二人。
暴力こそはふるいませんでしたが、東映映画「仁義なき戦い」でしっかり覚えた広島弁が炸裂し、ただ者ではない証拠をしっかりと見せ付けたのでした。
すっかり恐縮した先輩方はおずおずとホールに出て行きました。
と、そこへ小柄でひ弱そうな沖縄出身のウチマ主任がやってきたのです。

「わしのライター見よらんかった? ここらで落としたと思うんじゃけぇ。ありゃ高かったんよ。ワシゃのう、普段はここでタバコ吸わんもんで、置くわけないと思うんじゃが」

沖縄出身は間違いないらしいのですが、なぜこの人が広島弁を使うのか知る者は誰一人おりませんでした。
しかし、広島言葉も使う人によっては、迫力のない単なる方言に成り下がるということを知った委員長でもありました。





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最終更新日  2005年05月28日 12時30分14秒
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