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2005年06月30日
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時代はいよいよ1976年に突入です。
この年の出来事をざっとピックアップしてみましょう。

まず1月15日に委員長の成人式がありました。(って関係ないか)
ちなみに、V-oneの支配人だったワカバヤシさんにネクタイを貰いました。
大人になれよ、という意味のプレゼントだったのですが、先輩からの気持ちがありがたかったです。当時の流行、やたら太いタイでしたが、今でも大事にとってあります。
「ロッキード事件」これは凄かったですね。でもロッキードっていう踊りは生まれませんでしたね。ウォーターゲートがあるんだから、ロッキードだってあってもよさそうなもんですが、やっぱニッポンはこういった遊びのセンスに疎いですね。
学校教育関係では「偏差値」ってなもんが幅を利かすようになりました。
後年、深い後遺症を残すことになる、数字で人を計るシステムのスタートでした。
(早く見切りをつけて、人並な人生捨てといて良かったなぁ、ってほんとかよ)

(実は委員長も1杯千円のコーヒー飲みました)
肝心の試合は「何だかなぁ~」って、皆ムカついてましたよね、実際。
梶原一騎や格闘技評論家みたいな人たちがワーワー言ってましたけど、ありゃ詐欺みたいなもんでしたよね。世界最高の話題の凡戦ってなもんでした。
日本専売公社の新製品マイルドセブンが発売になったのもこの年でした。
アフロ小僧はみなKOOLかSALEMでしたが、ちなみに委員長はブラザー・カーターにベンソン・メンソールをよく買ってきてもらってました。当時日本じゃ売ってませんでしたから、ちょっとスノッブしてましたね。しかし、当時はLIGHTとかなかったから、かなりキツかったですよね、ニコチンとタールの量。
でもって、レコード大賞は都はるみの「北の宿から」でした。
「あなた寒くはないですか~、毛糸のパッチを編んでます~」ってくだらない替え歌も流行りました。
更に、後年ディスコにも壮絶な影響を及ぼした、おピンクレディがデビューしました。
「ペッパーーーけいぶッ~」って、まさかディスコでこんな踊りをするとは、当時の業界の誰もが予想し得なかった出来事でした。
でも、よく考えてみりゃ、GETでも松尾ジーナとか山本リンダとか、ステップまで作って踊ってたんだから、そうバカにはできませんね。「可愛い人よ」とかだって、ジャニーズのはしりみたいなもんだし。
そして、V-oneのM浦さんが、なんとアフロヘアに大変身、ついにここまで来てしまったのか、相当に遅れたデビューでしたが“バロンM浦”SOUL MAN登場でした。

まあ、こんな時代背景のもと、委員長のディスコ人生は粛々と進んでいきます。(笑)

総合企画「ひとやすみ」は社名どおり、ひと休みばかりしていて中々進展しません。
深夜、白馬車に集まっては、奥のボックス席でおいちょかぶに興じる単なるバカに成り下がっておりました。一打ち千円で朝まで盛り上がって、始発に乗って帰るってなことの繰り返しで、人生こんなんでいいのかなぁ、と薄暗い新宿駅で始発に乗り込む委員長でした。
後輩のトオルは、イサムちゃんの下でDJ見習いを始めてましたが、ヒデトの方はジョイ吉野のところへは現れず、結局ここで縁が切れてしまいました。
そんないつもの深夜集会に、ジュリーがある男を連れてきました。

そして、このYという人物が大変興味のある話を持ち込んできたのでした。
Yの知り合いの社長が蒲田にディスコをオープンしたが、素人経営で営業がままならぬ状態に陥ってしまい、プロの手助けを望んでいる、というような経緯で、以前に新宿のディスコで働いた経験を持つYが相談を持ち込まれ、昔馴染みのジュリーを頼ってきた、というよな話でした。
この話を聞いて、道楽者の一団の瞳は大いに輝きました。
総合企画「ひとやすみ」にいよいよ本格的な仕事が舞い込んだぞーってなことで、中味も確かめずに全員が夢の世界へとワープしていったのでした。
しかし、下手すりゃ「蒲田」が何処にあるかも知らないような連中が、勝手に想像を膨らませてあーだのこーだの言ってるんですから手に負えません。
早速、社長のマチャアキが現場を視察して、その社長と詳しい話をしてくるというような段取りになりました。

こうやって、社会からドロップアウトした仲間の力を結集させれば、俺達でも何か大きなことができるんだと、勝手な想像に夢膨らませる委員長でもありました。
半端者がいくら集まったところで、所詮は半端なことしか出来るはずないんですが、そこは皆筋金入りの道楽者ですから、漫画の世界と現実の世界をごちゃ混ぜにしたような夢の世界で楽しんでいたのでした。(夢見ることにに夢見るってやつですか)

そんな話が進む中、委員長は毎夜V-oneのプライベートタイムを楽しんでおりました。
この頃、またひとつのV-oneオリジナルHITが生まれておりました。
それがスウィート・チャールズのStranger’s Nightです。
このSweet CharlesってのはJBファミリー、PEOPLEレーベルから登場した色男です。
声はちょっとハスキーなファルセットで、「SOUL MAN」ってダンスナンバーがミディアム・ヒットしました。そのアルバムのトップナンバーがこのSTRANGER’S NIGHTっていうスローバラードでした。イントロにちょっとしたトークが入っていて、「ハンサムでセクシーなソウルブラザーは?」って問いに、数人の女性の声で「スイート・チャールズ」って答えが入り、さらに「えっ、誰だって?」と聞き返し、「スイート・チャールズ」って声がリピート、そしてメロウなバラードに入っていくという、あのJBショーのMCみたいな感じですね。
でもって、この”Good Handsome Looking Do”ってところでカーターが、”Carter”と自分の名前を叫びます。”Who?”って問いかけに再び「カーター」と叫びます。
このタイミングが妙に可笑しくて、デュースや他のブラザーも色々と合いの手を入れて掛け合いになります。その雰囲気が非常にBLACKっぽくて(?)、委員長はそのフィーリングに酔いしれておりました。(自分がブラザーになったみたいで)
曲はたぶんフランクシナトラの「夜のストレンジャー」(だったかな)のカバーではなかったかと思いますが、マニア好みの洒落たアルバムでした。ジャケの写真も良かったですね。
あと、当時の輸入シングルで強烈な印象が残っているのが、デヴィッド・ボウイのFAMEでした。(アイリーン・キャラじゃありませんよ)
HOT100(R&B)にも60位からランキングしてきていました。
曲は暗~い、ミディアムテンポのダンスナンバーでしたが、なぜ白人、しかもイギリス人がビルボードR&Bチャートにランキングされているのかちょっと不思議でした。
気になったのでカーティスに尋ねたら(こういう話はカーターじゃダメでしたね)、一言「ファンキーだからさ」だって。そのまんまですね。で、しつこく、なぜ白人なのにR&Bでランキングされてるんだ?って聞いたら、「ファンキーだからさ」って、意外とつまらない答えでした。要は、ブラザーがFUNKYと認めたってことですね。普段、人種(白人)については敏感なくせに、こういったことではあまりこだわらない彼らの感覚は、正直言ってちょっと理解できませんでした。
ただ、この会話は委員長に一筋の光を与えてくれました。(大袈裟やのう)
「じゃオレでもFUNKYと認めてくれれば、本物のブラザーとして受け入れてくれるってことか?」
ってことで、ようし、やるぞ、やってやろうじゃねぇーの、って力が入ったのでした。
(何をやるのかは、ようわからんかったのですが)

そんな希望の光を見出した頃、「ひとやすみ」のスタッフに召集がかかりました。
深夜の歌舞伎町、白馬車の奥のボックス席で行われた緊急会議で、社長のマチャアキから驚愕の発表がありました。

「どうやら向こうは本気らしい。全て任せても良いとまで言ってる」

ええっ、と一同顔を見合わせ、どういうことなのか、一斉にマチャアキに質問が浴びせられたのでした。





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最終更新日  2005年09月22日 12時16分01秒
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