非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2005年07月04日
XML
蒲田ブルドックの夢はたったの一週間で終了し、青春の野望に賭けた馬鹿者たち、いや、若者たちはそれぞれに新しい道を模索しなければなりませんでした。

まがりなりにも社長を名乗っていたマチャアキですから、その責任に於いて一生懸命に皆の仕事の斡旋に駆けずり回ってくれました。

「おまえらのことはちょっと待ってくれ。まずはナベちゃんと高橋さんを何とかしなきゃなんないからな」

すまなそうに言うマチャアキに、少々同情していた委員長とジョイ吉野は、俺達のことは心配しなくていいよ、と空元気で励ます以外に出来ることはありませんでした。
俺達はとりあえず遊んでるから、みたいに突っ張ってはみたものの、今更V-oneには戻れないし、どーしょうかなってなとこでした。
二人してトゥモローのジュリーを頼って行ってみましたが、相棒の松本みつぐを紹介されて、暗にここにゃ空はないよって言われ、仕方なくタダ酒飲んで踊るしかない二人でした。

ちなみにこの当時、バスストップという新しいステップが入ってきてまして、時代に遅れちゃいけないってことでせっせと覚えたりもしてました。
ここまで、バンプ、ウォーターゲート、オールドマン、レゲエ、ポイントと流れてきたフリーダンスが、ここでまたステップに戻るのか、って感じでちょっと違和感というか抵抗感がありました。

ステップの流れは横須賀、ミッドウェイから入って来て一気に広まっていきましたが、昔のステップほどにはブーム全体を塗り替えるほどの勢いはありませんでした。
この頃はもう皆が自分たちそれぞれのスタイルを持ち始めていましたから、ひとつのステップ、パターンで全員が右へ倣えするってことは少なくなっていたからでしょうね。
確か、ジュリーがトゥモローの店長に頼まれて、お客に新しいステップを教えてやってくれってことで相談を受け、カーティスやマーティンを連れて来て一緒に踊ったこともありました。まさかね、このマーティンが後にもんた&ブラザースで太鼓を叩くことになるとは思いもしませんでした。それでも、その種類があまりにもたくさんあり過ぎて、3つ4つ踊ったらもう沢山って感じでしたね。基本的には動きは同じだし、バリエーションもあまり多すぎると、何も皆で合わせる必要ないじゃん、みたいなことになって、結構あっという間の流行でした。
「この曲にはこのステップ」とういうような、昔のステップ・ダンスと違ってステップと曲がきちんと決まってなかったからでしょうね。
このあたりをカーティスやマーティンに聞いたことがありましたが、彼ら曰く、特別、曲の指定は無いし、その場所、その店の流行りだそうで、難しさを競った遊びでもあるってなこと言ってましたね。ニューヨークスタイルとかマンハッタン、シスコあるいはディスコの店名とか、それぞれに命名して呼んでいたようです。

そんなこんなのうちに、ついに委員長の金も底を付き、白馬車にも行かなくなって1週間ほどが過ぎました。
エンバシーにでも就職しようかな、などと考え始めていた頃、マチャアキから電話がありました。

「仕事見つけたから出て来いよ」

そう言われて、しばらくぶりに新宿白馬車へ出向いてい見ると、そこにはなんとあの梅ちゃんがいるではありませんか。
戸惑いながら席に着くと、マチャアキが唐突に切り出しました。

「Q&Bで良いだろう?」



驚いたことに、梅ちゃんはいつの間にかQ&Bの支配人になっていて、マチャアキが昔のよしみで委員長の就職をお願いしてくれていたのでした。
梅ちゃんも、以前とは大分態度が和らいでいて、「まあ、いいから来いよ。もうひとり素晴らしいDJもいるから」そう言って、早速委員長をQ&Bに連れ出したのです。
店に入ると開店前のがらんとした清掃中の店内、奥にあるDJブースに人影が見えました。

「あにき~、元気だった?」

ブースの中、ターンテーブルの前でニコニコと笑っていたのはジョイ吉野でした。



そう言って梅ちゃんが委員長の肩を叩き、こうして委員長はジョイ吉野とQ&BのDJを始めることになったのです。
いやー、しかし、このジョイ吉野ってヤツの芸風は面白かったですね。
なんだかんだ言っても、委員長より生活力があるっつーか、要領が良いっつーか、ホント中々見上げたやつでした。

さて、「ひとやすみ」の他のメンバーですが、ワタナベさんは無事ムゲンに復職(もちろん主任の職には戻れずヒラから出直しです)、マチャアキはトゥモローヴィラ、池ちゃんは歌舞伎町の裏のサパーへ、そして残る高橋さんは、白馬車の最後のおいちょかぶ大会以来消息不明とのことでした。
この最後のおいちょかぶというのは、就職先を探して白馬車に集まっていた数週間前のこと、ありったけの金を賭けて最後の博打をやろうということになりました。
みな、持ち金も少なくなってきていますから、たとえ仲間内とていくらかでも稼ぎたという欲望が交錯する中、深夜のおいちょかぶ大会が開催されたのでした。
博打なんてものはキリがない遊びですから、始発までと言う約束で皆大勝負に出たのです。取ったり取られたり、熱い戦いが続きましたが、いよいよこれが最後のいっちょう、高橋さんが親を取り、掛け金もあるったけ行けってなもんで、カードの上に札の山が出来上がりました。
さあ、男は一発チャンスにかけろ。
なんと高橋さんが「シッピン」で親の総取りです。

あ~、終わった。これで総てが終わったんだ・・・。

皆なけなしの金を失い、いよいよ人生のトドメを刺されたような重い夜が明けていきます。
札束を引っつかんだ高橋さん、すっくと立ち上がって手にした札をテーブルにばら撒いたのです。

「みんなで分けろ」

そう言い残してひとり店を出て行ってしまいました。
ぽかんとして高橋さんを見送った一同、テーブルの上に散らばった札を拾いながら、どうしたんだろうと心配しつつも、しっかりと自分の財布に札を入れ込んでいたのでした。

マチャアキの話によると、この日以来白馬車にも顔を出さなくなり、自宅に電話しても誰も出ないとのことでした。

「死んでたりしなきゃいいんだけど」などと物騒なことを言うマチャアキ。
彼との最後の会話で、
「帰るトコもないし、お袋も歳だし」
と呟いていたのが気になって仕方が無いと言うマチャアキでした。
委員長もこの日以来、高橋さんには会っていません。
トッポジージョに似たひょうきんな人でした。

ジョイ吉野とのコンビで始まったQ&BのディスコDJは、蒲田ブルドックの反動で思い切り黒っぽい、かなりマニアックなSOUL DISCOとなっていったのです。
V-one時代のお客さんもこちらに流れてきて、いきなりFUNKY色の色濃い店となってしまい、ツッパリ系の常連は隣のブラックシープやアップルハウスへと流れていったのでした。ちなみに委員長たちがハコ入りする前は、V-oneにいたテリーがDJをしていたと聞いて驚きでした。可愛そうに、また梅ちゃんにいびられたんだろうな、と同情しました。
その梅ちゃんがQ&Bに来た理由ですが、聞かされた話によると、この店には非常口を出た3階にボトル倉庫なる個室があって、当時の主任がここにおねーちゃんを引っ張り込んで悪戯をした、というようなことでした。もちろんこの主任はクビ、責任をとって支配人は降格、そこでV-oneに引き続きまたもピンチヒッター梅ちゃんの登場となったとのことでした。
(結局自分も同じ道を辿ることになるのですが・・・・)
実はこの時の梅ちゃん、ビバヤングでドイさんというボクサー崩れのコワーイ店長の下にいて、相当に窮屈な仕事場だったせいか、Q&B転属で一気に開放された気分になったのか性格も以前とはだいぶ変わって、かなりさばけた態度になっておりました。
さて、このドイ店長は元々Q&Bの支配人で、昇格してビバヤングの店長になったという人で、ジュリーがQ&Bをトンコしたのもこのドイさんの過激な性格についていけなくなったことが原因というくらい、それはそれは過激な塊のような方でした。
なんせ、ホールの丸テーブル(かなり厚手の板)をパンチで叩き割っちゃたり、歌舞伎町でチンピラ相手に大立ち回りしてしまうようなトッポイ人でした。
笑いながら喧嘩して「新宿のドイちゃん、知らねーのかテメェ」とか言って、片っ端からぶん殴っていっちゃうようなチョイと狂ったおっちゃんだったそうな。(梅ちゃん談)
ところが、この後ジュリーが一時ビバヤングに入り、ドイちゃんと一緒に仕事をするようになったのですから、世の中ってのは本当にわからないものですね。
死んだバーちゃんに昔よく言われました。

「人は相身互い、どこでまた出会うかわからないのだから、どんな人にも親切にしておきなさい」

含蓄のある言葉に、今更ながら人との出会いの不思議さを思い知った委員長でした。

さて、委員長がQ&BでDJを始めたこの頃は、バスストップの影響か、チラホラとステップダンスが混ざってきておりました。
中でも特に印象的だったのが、レディバンプでしたね。
手を打って片手を開いて上にあげ、もう片方の手は腰の後ろに回す振りが、妙な感じでした。ファンキーフルーツとかのバリエーションで、こんな感じのダウンがあったので、これを真似たのか、取り入れたのか、中学生っぽい子供たちが踊っていたのが強く印象に残っています。
ちなみにこのレディバンプ、ジョイ吉野が妙に気に入っておりまして、よく踊ったりしてました。自分のお気に入りだったせいか、子供たちがステップ踊ってるのを見て、結構ムッとしたりなんかしてましたね。
「ゲロンッパッブーギー!」シルバーコンベンションもこんなことになるとは思いませんでした。
セイブミーからフライロビンフライのHITで一躍人気者になったシルバーコンベンションですが、あのエレガントさというかソフトな感じというか、不思議なノリがいきなり歌謡曲になってしまったような感覚でした。
フライロビンフライなんて、ブラザーたちもよーくポイントで踊ってましたから、ホントにフラーイって翔んじゃってましたケド(^。^;
それがいきなり、That’s Right!ですからね。
このあたりから踊りも混ぜこぜになっていったんでしょうね。
確かに中学生も多かったなぁ。
ジーンズにバンダナってファッションも多かった。
変なヤツは手にバンダナ巻いて、ステップ踊ってましたね。
手を挙げてバンダナ振って、アルプスの少女ハイジってかフォークダンスってか、なんかよく分かんなかったけど、流行だったんでしょうか。
もちろん大箱の台頭も理由のひとつだったですね。
今までの暗い怪しい雰囲気から、明るいエレガントなお店って感じの大衆パブ系ですか。
なんでもそうですが、流行ってのはアンダーグラウンドから大衆に露出しはじめた途端につまらないものになっちゃうんですよね。
だから先端を走るヤツとか仕掛けるヤツってのは、大衆にブームが移った時点で、また新しいことを始めているんですね。でもって、これを追いかけていく流れがブームになっていくというような、ある一定のパターンがありました。
最近はこのパターンはまったく当てはまりませんが、それでも日本人ってこの流れが好きというか、この流れに乗るのが一番楽で安心なことを知っているんですね。
この年代の人は特にこの体質抜けきれてませんね。(ヨン様とかね)
やっぱり農耕民族の血なのかなぁ~。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年07月04日 12時05分40秒
コメント(4) | コメントを書く
[1976年の頃のディスコのお話] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: