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2005年07月28日
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国鉄(現JR)中央線立川駅からおんぼろ車輌の青梅線に乗り換えて、ようやくたどり着いた福生駅は古き良き武蔵野の田園風景に、アメリカ人がちらほらと彩を添えて独自の匂いの漂う町でした。
木造の古い田舎駅を出ると目の前に幅広な道路があるだけで、こじんまりとした商店がぽつんぽつんと点在し、それを商店街と呼ぶにはちょっと寂しすぎるほどの駅前通りでした。ゆるやかに左に折れた大通りを進むと、時折チョッパー風の自転車に乗ったアフロ頭の青年や、ヒッピー風の長髪ROCKERなどとすれ違い、田舎というのか異国と言うのか一種独特の雰囲気がありました。
普段自分たちが歩くところは必ず行き交う人々の視線を浴びるはずであるのに、何故かここでは、そういった目立つ自分たちをちっとも構ってくれず、日常の景色の中のごくあたりまえな出来事としてさりげなく溶け込んでいきます。
それが嬉しいのか嬉しくないのか、複雑な心境になるのは、やはり自分たちのその格好が世間では、普段から特別扱いされていることへの優越感を持っているからかもしれません。
さて、大通りを抜けると長く続くフェンスが物々しく、その向こう側に米軍基地の建物が見えてきます。
フェンスに沿った国道は埃っぽく、さほど車も走ってはおりませんが、時折アメ車に乗ったアメリカ人と遭遇したときは外国に来たような錯覚も起きます。
更にゲート近辺は国道沿いに商店が立ち並び、駅前よりよっぽど商店街らしく、まさしく基地の町といった感じで、横須賀や横浜とはまた違った趣のあるところでした。
この埃っぽい国道をアフロ頭の男女混合東洋人グループ6人は、SOULファン御用達のラッキー・テーラー目指してテクテクと歩いて行ったのです。

人通りもほとんどない昼間の国道、BAD CHILDREN OF SHINJUKUの刺繍入りの革ジャンを羽織ったアフロ小僧はフェンスの中を眺めながら、自分たちが特別な存在であるかのごとくその雰囲気に酔いしれていたのでした。


「あー、新しい生地入ったヨ、ソレソレ」

と積み上げられた生地山のてっぺんに乗っているシルバー色のニットを指差しました。

とにかく生地があちこちに積み上げられていて、ほんのわずかなスペースに応接セットのような小さなカウチとテーブルがあるだけの小汚い店で、委員長たちメンバーは生地を物色し始めました。

「おっちゃん、6人まとめて作るんだから安くしてよ」
トオルが交渉します。

「あー、あんた達もディスコ協会の人?」
おっちゃん、答えになってません。

「違うよ、俺達はこれだよ」
トオルが革ジャンの背中の刺繍を見せます。

「あー、BAD CHILDREN OF SHINJUKU・・・」
おっちゃん、英語の発音はちょっとマジです。


トオルが突っ張ります。

「あー、新宿ね、勝本さん先週来たよ、新しいUNIFORM作った」
おっちゃん、ボケが上手です。しかも英語の部分だけ発音がマジになります。

「それって協会のダンサーズのこと?」
ヒトミがおっちゃんに尋ねます。


指差した生地は赤のなんのことない生地でした。

「なんだよ、こんな生地で作ったの?」
トオルが小馬鹿にしたように生地を摘んで見せます。

「あー、あんた達EMBASSYの人?」
よくわからんおっちゃんですが、英語の発音はマジ。(しつこい?)

「違うよ、俺達は新宿のナンバーワン・ダンサーズだよ」
トオルがまたもムキになります。

「あー、ダンサーズね、エモリさんたちも作ったよ」

さすがに会話に疲れたトオルも生地選びに専念します。
おっちゃんからアメリカの通販カタログを借りて、デザインを皆で選びます。
黒人専門の通販カタログにはニット製のBlack Fashionが満載されています。
すったもんだしたあげく、最初のユニフォームだからオーソドックスにジャンプスーツが良いということで落ち着き、おっちゃんが奨めてくれた新着生地を使って全員赤のニットにしました。女の子はノースリーブでSEXYですが、男の場合は動きが大きく見えないので、白のサテンでちょうちん袖のシャツもオーダーしました。
当時委員長たちは、六本木グループがニット・ファッションで派手な格好をしていることに対抗して、全員ジーンズに上げ底運動靴(ハイヒール・スニーカー)を着用していましたが、これが新宿界隈ではちょっとしたファッションの流れになって、新宿のアフロ小僧はなぜか皆ハイヒール・スニーカーを履いていました。
ジャンプスーツのデザインはトオルのアイディアで、中央のファスナーはありきたりだから、横で止める形にしようということになり、仕立てのおっちゃんと打ち合わせです。
このおっちゃんがまた曲者で、言葉が通じないと言うか、人の言うことを聞かないというか、なんでこんな変な店が重宝されるのかよく分かりませんでしたが、やっぱり人柄なのでしょうか、大方のアフロ小僧はここで仕立ててましたね。
実際、委員長はアフロ小僧以前に、コンポラをここでよく仕立てましたが、生地の豊富さと値段の手頃さだったような気がします。

ユニフォームをオーダーして意気揚々と新宿に引き上げた委員長たちは、ここでまたまた新しい展開を迎えることになります。
USAのDJ山本さんが辞め、なんとあのジュリーが入ることになったのでした。
ジュリーはこの頃、委員長の古巣ビバヤングに入っていて、相変わらずキングレコードのバイトも続けておりました。
ビバヤングも時代の流れには勝てず、ついに閉店の兆しも現れ、このあたりに非常に敏感なジュリーはタイミングよく山本さんの後釜に入り込んだわけです。
遂にあの幻の企画会社「ひとやすみ」のゴールデンメンバーがここで再会となりました。
マチャアキ、ジュリー、ジョイ、そして委員長、なんの因果か巡り合わせか、夢見る馬鹿者、いや若者たちが再びここに集まってきたのでした。





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最終更新日  2005年09月22日 12時37分54秒
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