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2005年08月06日
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心機一転、三人のパッケージ・ショーを目指したBAD CHILDRENは、お立ち台の踊り子役を演じつつ、休憩時間は振り付けと練習に集中しました。
今回のショーは、オープニングからエンディングまで全てきちんとした振り付けで、パッケージ・ショーとしての演出を決めていくことにしました。
もちろん振り付けも委員長の独断ではなく、各自が全体的に見たイメージや、各自の持ち味をどうやって見せるか等を真剣に考えつつ進めていったのです。

それは、ショーに入る前のイントロダクションの選曲から始まりました。
フロアで踊る客を席に戻すことと、次はショーが始まるということを期待させる方法を考えなければなりません。スローにしてしまえば簡単ですが、チークを踊る客をフロアから蹴散らしたのではあまり良い印象を与えません。
そこで、ショータイムのテーマソングを探し、踊れず、チークにもならない、そんな曲を選びました。
これは以前SECのショータイムで使用した、映画「キャバレー」のサントラ盤から、ピエロが登場しそうな鳴り物入りのショート・バージョンをピックアップしました。
ワーナーブラザースのLOONEY TUNES SHOWみたいなノリの楽曲です。
ライブの雰囲気と、曲の終わりには観客のかけ声や拍手なども入っていて、まさしくショーの始まりを促すイントロにはぴったりでした。


オープニングはKOOL & THE GANGのLOVE AND UNDERSTANDINGです。
ちょっと重めのミディアムFUNK、ブレイクダウンで登場。
三人のバンプやロボットを交えて、キメはヒトミを挟んで縦一列に並びます。
ここでEW&Fの「Sun Goddess」ライブバージョン。
オリジナルはラムゼイルイスの名曲ですが、ライブバージョンはややビートアップしていて、ドラム&ベースのメリハリが効いています。
キーボードとサックスのアドリブパートを生かして、三人の踊りの掛け合いをストーリー仕立てにしてパントマイム風で1曲丸々踊ります。
エンディングの拍手に重ねて、スリーディグリーズのDO ITでファンキーフルーツをメインにしたアクロバットダンスを見せて、エンディングは一気にアップテンポ、チェイスの黒い炎GET IT ON。ヒトミをメインにしてモダンダンス風なスピードある踊りでCUT OUT。
この曲は昔からモダンでよく踊られてましたね。クロスオーバー・サウンドの先駆けではなかったでしょうか。

踊りはちょっと粗かったし、自己満足的なトコもありましたが、全体のまとまりはまあまあでなんとなく三人の構図がつかめました。
マチャアキやジュリーからも褒めてもらったし、JOEからはもう少し客にアピールしろ、とかのアドバイスも貰ったりして、ようやく形が見え始めた感じでした。
数日踊ってみては、選曲を組み替えてみたり、途中で二枚重ねのジャンプスーツを脱ぎ捨てて衣装を変えてみたり、チャチャ系サルサ(出ましたサルサ、こんなところで生きてくるとは思いませんでした)、ビートルズまで取り入れて、試行錯誤、実験的なショーがしばらく続きました。


そんなこんなで独自の世界で勝手に盛り上がっていた委員長でしたが、DJの方はというと、ジョイが抜けた後釜を入れることなく、ジュリー、マチャアキ、ジョーの三人で回すようになり、いよいよダイタン商事も終わりが近いとか、もうすぐ潰れるぞとか、あちこちから噂が入ってくるようになりました。それでもBAD CHILDRENはここ以外に潰しは効きませんから、選択の余地なしってことで余計なことは考えず踊りに集中する以外ありませんでした。あいかわらずジュリーとジョーはちょっとわがままですから、二人が早番とメインの時間帯を取って、深夜はマチャアキの担当になりました。
相変わらずマチャアキは麻雀にドップリ浸かっていて、深夜番になったことも麻雀人生に傾き始めた契機となったようでした。
このころの麻雀仲間には、あの蒲田ブルドックで一緒に路頭に迷ったイケちゃんなども顔を出していて、彼は蒲田を最後にディスコ業界から離れてサパー(いわゆるホストクラブ)を転々とし、更にゲイバー(彼はゲイじゃありませんよ)に行き、その後はプロの雀師として食い繋いでいました。
これら博打うちが集まる歌舞伎町裏の雀荘にマチャアキも始終入り浸るようになり、USAでメンバーが集まらないときは流れの雀師と打ったりして、私生活もだいぶと乱れ始めてきました。はっきり言って弱かったからね。鴨ネギでした。
精神的に追い込まれると、行き場のない若さはそんなところに走ってしまうのが業界人の性みたいなものでもありました。

あの三鷹バンド騒動で登場したムラちゃんが、ジュリーの紹介で照明係としてやってきたのです。USAのフロア照明は、設計デザインした会社から照明技術者が派遣されて来ており、DJ同様三交代勤務で照明専門のエンジニアとして調光を担当していたのでした。
バンドにも行き詰って、そろそろまっとうな道を考え始めていたムラちゃんは、ジュリーの紹介でこの照明器具を扱う会社に就職し、USAへの派遣社員としてやってきました。委員長とはしばらくぶりの再会でしたが、相変わらず温和なムラちゃんはあらためて新人社員としての挨拶を済ませると、地味な仕事に就いていったのでした。
新人ですから当然、彼のパートは深夜番です。
ここでマチャアキ、ムラちゃんのちょっと変わったコンビが生まれることになりました。
マチャアキも元々はプロのドラマーを目指していたミュージシャンですから、話が合わないわけがありません。しかも年齢的にも性格的にも相性が良く、お客の少ない深夜ながら中々味のあるディスコタイムを醸し出すようになっていきました。
人はそれぞれ、道もそれぞれ、時代の転換期を迎え、委員長の前にまた道楽者が集結しはじめ、その道楽者の各々がまた新たな夢を見て始動し始めていったのでした。





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最終更新日  2005年09月22日 15時04分20秒
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