非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2005年08月09日
XML
1970年代の新宿歌舞伎町、ディスコ産業を席捲制覇したダイタン商事はチェーン全店共通会員権の健闘も虚しく、コマ劇場隣の東宝会館4階Big Togetherと7階tomorrow USAの大箱2店を残し、すべての店舗の処分が決定しました。

Tomorrow USAは辛うじて生き残りはしましたが、相変わらずの荒んだ状況は全く変わらず、なんとか毎日の営業を続けていただけでした。
まあなんと言っても水商売ですから、とりあえず日銭が入りますのでたちまちに営業が立ち行かなくなると言うことはありませんが、給料が出るのか出ないのかという不安が解消されたわけではありません。
そんなこんなでマチャアキがまず脱落。
榊田主任の時もそうでしたが、どうもこの人は九州男児の浪花節みたいなところがあって、何故か一人突っ張って辞めていきました。とは言うものの、結局は麻雀で身を持ち崩したみたいなトコがあったのも事実です。

さて、委員長率いるBAD CHILDRENはというと、チャーリーの急性アルコール中毒事件で2日ほど穴を開けてしまったこともあり、また、店全体的に漂う退廃的ムードに流されてか、チャーリーが脱退を表明しました。
ガキの遊びもこれまで、といったところでしょう。
放っておいてもそれなりに皆歳喰って大人になっていきますから、一般的な生活をしたいと思うのも無理はありません。
もちろん委員長には引き止めるだけの資金繰りや目途もありません。

「あたしは辞めないからね。ロニー、二人でもいいじゃない、辞めちゃダメだよ」
わずか17歳の彼女がここまで執着するとは思ってもいませんでした。
とは言っても、いくらなんでも二人じゃどうにもなりません。
正直言って、こんな状況下で江川店長にまたもやお世話になるのは忍びなく、ここは潔く身を引くことを決意したのでした。
まさに終わった、という感じでした。
ついにBAD CHILDRENもこれで終わりです。
新宿の踊り場で遊んでいた悪ガキが集まり、一応はその世界で頂点を極めた長いようで短かった2年でした。
江川店長に挨拶を済ませ、楽屋の衣装を片付けてすべてが終わりました。

不完全燃焼のまま終わった気持ちもありましたが、SOULが好きで黒人に憧れ、踊りに夢中になってディスコで働き、気が付けばガキ大将になっていた、そんな自分をあらためて冷静に見直す時がきたのでしょう。
ある意味、緊張が解けて気が抜けたような数日を過ごしましたが、音楽を聴けば振り付けのアイディアが浮かんだり、テレビを見ればこの踊り使えるとか、未だ頭の中からはダンサーズ根性が抜けていませんでした。
そんなこんなで、仕事を辞めて2~3日もしないころ突然ヒトミから電話がありました。



「会いたいって、何で?」

「仕事のことだよ、とにかく一度会ってくれる?」

「ああわかった」

何だかよく分かりませんでしたが、ヒトミの親父が芸人ということは知っていましたので、なんかのコネでも紹介してくれるのかと思い、興味もあったので会うことにしました。
待ち合わせの新宿三丁目の喫茶店には、ヒトミと父親の二人が委員長を待ち構えておりました。結婚の許しを請いにいくヤツはきっとこんな感じかなぁ、などとくだらないことを考えつつ席につきました。


「なんか楽器はできる?」

「はあ、ギターなら少し」

「唄は?」

「唄ですか?あんまり自信はないですけど」

「じゃ、コーリューブンゲンを買ってきなさい」

「コーリューブンゲン?」

「ああ、基本は私が教えるから」

「ちょっと待って下さいよ。教えるって、一体何をするんですか」

「二人で漫才をやりなさい」

「ま、まんざい?」

いやー驚きましたね、ヒトミの親父さんは漫才師だったんですね。
シャンバローっていう3人組の楽団漫才です。
しかもこの親父さん音大出のミュージシャンでもありました。
奥様(ヒトミの母さん)は残念ながら離婚してご一緒ではありませんでしたが、宝塚歌劇団に籍を置いたことのある芸人さんとのことでした。
こりゃ、ヒトミがここまで執着するのも無理はありません。
両親揃って本腰の入った道楽者ですから、血統書付きみたいなもんです。
しかしなあ、漫才じゃなあ、嫌いじゃないけど、今やれって言われてもなあ、心の準備だって必要だし、と頭の中でパニックが起きている委員長を見かねて、ヒトミが割って入ります。
「ちょっと待ってよ、あたしたち漫才なんてやりたくないよ」

「やりたいことをやるにはメシ喰わなきゃならんだろ。まずはメシを食うことが先決だ」

「第一、あたしらにできるわけないじゃん」
(そうかなぁ、俺は出来そうな気がするけどなぁ)

「明日、米丸さんに会わせるから」*ちなみに米丸さんは当時の協会の会長でした。
(そ、そんな、いきなりですか)

「親父、ちょっと待ってよ、勝手に決めないでよね」

いやいや、冷や汗ものでしたが、まあ何とかその場は収まって(どう収まったんじゃい)、とりあえず漫才師の話は保留と言うことになりました。(ちょっと残念)
しかしこの親父さん、さすが芸人と言うか、話の最中で見せる顔の表情に年季というものを感じましたね。真剣な話をしているときは怖いくらいマジなんですが、笑ったときの表情は顔が崩れるというのか、営業用の顔になるというか、別人のように変身します。
すげーなってのが印象でした。パッと笑い顔を作れる、というか楽しそうな顔になる。
ほんと芸人魂みたいなものを見させてもらいました。

さて、この後ヒトミと二人で相談です。
委員長としては、もうすでに自分自身の中ではケジメがついていたので、今更何をする気にもなりませんでしたが、ヒトミの執着というか、あまりの情熱に根負けしてしまったのです。
とは言うものの、特別なコネがあるわけでもなく、いっそのこと本気で漫才師をやってみるか、ってなもんでした。彼女はもちろん頑なに拒否しましたが、委員長は結構本気でやってみたいと思ったりしました。根がお調子者ですから、舞台なら何処でも良いじゃないか、みたいなね。アフロして派手な漫才師って、想像しただけで結構面白そうでしょ。しかも夫婦漫才みたいな。(もちろんヒトミとはそういう関係ではありませんでしたよ)
新宿末広亭の舞台に立っている自分を想像したら、それだけで結構笑えましたよね。
当時はまだ若手漫才師みたいなのはほとんどいませんでしたからね。
Wけんじさんとかてんやわんやさんとか、まだツービートなんか出てくる前のことでしたから、もし本気でやってたら結構売れてたかもしれませんね。
唄って踊れる漫才コンビ、なんちゃってね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年08月09日 06時50分12秒
コメントを書く
[1977年頃のディスコのお話] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: