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2005年08月16日
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まさにこの混沌としたアメリカ文化がそのまま当時の日本の踊り場にも反映され、ROCKバンドと黒人音楽が共存していたり、長髪ヒッピーとコンポラのリーゼントが同じ店で遊んでいたりと明確な色分けができていませんでした。
この時代のアメリカにおけるヤング・ジェネレーションが起こしたカルチャー・ムーブメントは、世界的な規模で同時代の若者たちに多大な影響を与えました。
ロック史上最高のコンサート「ウッドストック」、ミュージカル「ヘア」、ワッツ市で行われた黒人による黒人のためのコンサート「ワッツタックス」などなど。
音楽による文化革命が行われたといっても過言ではありません。
特に黒人について言えば、アフロ・アメリカンを強調し、今まで無理やり押し付けられてきた白人文化と決別すべく、「Black is beautiful」のスローガンと共に大きなアフロヘアと右手の握り拳(ゲンコツ印ですね)を高々と挙げるポーズが、瞬く間に黒人社会に広まっていきました。ミュージカル「ヘア」のテーマは髪を伸ばそう、でしたから、自然に生えてくる美しい髪を伸ばそうとアジって、ミリタリーの短髪に対して挑発したわけです。

そして黒人の合言葉は「I AM SOMEBODY!」でした。
「私は誰か」じゃありませんよ。Somebodyというのはひとかどの人物をさす言葉です。
立身出世したようなひとのことを、He became somebodyといった具合に、彼はひとかどの人物になった、といったような表現に使われるSOMEBODYです。

俺たちはすばらしい民族なんだ。我々はアフリカ系移民アフロ・アメリカンであることを宣言したわけです。
アメリカは移民の国ですから、潜在的な民族意識から各コミューンが形成され、これを統一するための宗教が必要でした。
しかし黒人には、この何々系移民と言う潜在的な拠り所となる民族意識が無かったというか、ないがしろにされたというか、彼らの存在そのものの拠り所とする意識がありませんでした。元々自分たちの意志によって移り住んできた民族ではありませんし、その血統と言うか、出自と言うべきアフリカのどの部族とか、どの国とかも極めて曖昧なわけです。
更に言えば、民族的な象徴である祖国の言語というものを持たない特殊な存在でもあります。イタリア系、アイリッシュ系、アジアン系etc.それぞれの移民は原語を持ち、それぞれの源文化を引きずっています。ところが、黒人にはこれらの回帰する明確な源がありません。
黒人特有の発音や言い回しが特殊であることの理由が、何となく頷けるような気が致します。民族に根ざす共通の言語を持たないために、英語文化のなかで独自の言語を主張しているように思えます。
宗教に関してもゴスペルというものがありますが、公共の場で政治と宗教を語るのはタブーと言われていますから、これはまた別の機会にしたいと思います。
(私自身も今はこれについて語るほどの力量がありませんので)
一応こういった新しい民族意識の流れから、民族としての源流を辿る動きも起こってきます。アフロアメリカンがアフリカでコンサートを行った「SOUL TO SOUL」や、後にアメリカの黒人文化に強烈なIMPACTを与えたアレックス・ヘイリーの「ルーツ」など、失われたアフリカとアメリカの道を修復する動きも活発になっていきました。
(しかし彼らの源流回帰は、この両者とも彼らが思うほど単純ではなかったように見受けられます)
そしてさらに、泥沼化していくベトナム戦争を背景にして、あのマービン・ゲイの名曲「WHAT’S GOING ON」に代表されるように、単なる反戦運動から自国への不信感への告発とつながっていきます。
このあたりからR&Bも次第にメッセージ色が強くなり始めていきました。


日本の踊り場では、どちらかというとメッセージ色の強い白人系ROCKより、POPなダンス・ミュージックが支持を得て、次第に色分けが出来上がっていきました。
ようやく踊りを踊るためのクラブが形になっていったのです。
ダンス・ミュージックとステップの時代の幕開けです。
踊る楽しさを分かち合うためのステップなるものが生まれました。
日本人には未だ馴染みの薄いダンスは、ある一定のパターンを覚えることによって次第に順応し始めていきました。

なんにせよ、その踊る姿が格好良いからこそ、皆がこぞって真似を始めたわけで、それがつまらないものだったら流行にもなりません。
そして、日本でステップがスムーズに浸透していった理由に、日本民族の血と言うか、農耕民族特有の「村」意識が作用していたのではないかと思います。
まさしく盆踊りのコンセプトとほぼ同類のものです。
その共同体(店)の一員である認識が同じステップを踏む行為であり、ひとつの儀式のようなものだったわけです。
ところが、ダンス文化を広めようとして始めたことが、実際にはその目的とは裏腹に排他的なものへと進み始めてしまったのでした。
さらにこの排他的意識は権威主義的共同体へと発展していきます。
同じステップを踏めない者は共同体の一員と認めない、だからステップを覚えろ、といったような抑圧的な傾向を持ち始めました。

しかし、日本人と言うのはこの形式というものにとにかくこだわりますね。
やはり日本文化の持つ特性なのでしょうか。形式美といったものでしょうか。
何にでも形式を見出したり作り出したりするのが好きですよね。
特にアメリカ文化(及びヨーロッパ文化)が日本に入り始めた頃、これを仲介あるいは紹介したINTERPRETERの責任は重大だったと思います。
このブログのはじめの方にも書きましたが、本人の勝手な解釈で形式を作り出し、偉そうに文化人を気取って庶民に間違った情報を流した権威者は、日本人の国際意識を少なくとも10年は遅れさせた張本人と言えます。

誰ですか、ナイフでゴハンを取ってフォークの背に乗せて食べるのが、洋食の正式なマナーだなんて教えたヤツは。私は19歳になるまで信じて疑わず、この諸式に則って洋食を頂いていましたよ。
たまたまアメリカ人(黒人ですよ)と知り合い、レストランでディナーをシェアしたときに、「日本人はライスをマッシュポテトの代わりに食べるのか?」と訊かれ、「何でそんなムツカシー食べ方をするんだ」とも言われてしまいました。
日本人はもっと早く気付くべきでしたね。ナイフ&フォークの文化圏ではゴハンは食べないのですよ、フツーは。だからライスの食べ方なんてもの自体マナーにないんです。
ちょっと考えればわかることなのにですよ。
正直言って、私はこの時無性に腹が立ちました。
それはマスに乗って流される情報に振り回された自分に腹が立ったのです。
それからです、ひとつずつでも良いからマスの情報を鵜呑みにせず自分の目で、感性で判断していこうと思ったのは。
ドラマティックスの名曲にもあります。
すべては自分の目で見て確かめろってことですね。





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最終更新日  2005年08月16日 07時50分17秒
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