じょんとらさん

いやいや、本当にあの頃はDJらしいノーガキを偉そうに喋ったりしてましたよね。
後年のヒットチャートはビルボードからオリコンに移っていきましたよね。
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(2005年08月17日 14時56分44秒)

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2005年08月17日
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少々話が逸れてしまいましたが、70年代半ばある種のスノッブを作りだした踊り場のステップのこういった流れも、結局は踊る楽しさを知り始めたいわゆる一般人によって表舞台へと引きずり出されていくことになるのです。
もちろん引き金になったのはベトナム戦争の終結ですね。
死からの恐怖から開放され、反戦運動も収束し、ストレスの捌け口となっていたダンスが人生を楽しむためのダンス、本来の姿に戻っていったのでした。
それまで地下に潜っていた不良の遊び、溜まり場はここで一気に大衆化していきます。
ディスコブームの始まりです。
特権意識にも似たひそかな遊びだった踊り場が一般大衆に解放されたのです。
踊りも今までの暗いイメージのステップではなく、男女でお尻をぶつけ合うバンプが登場して「踊り場」のイメージを一掃しました。
バンプは古い踊り場のしきたりをぶち壊したのです。
しかも今までの踊り場にはなかった男女ペアで踊るという新しい風が吹き込まれました。


ある時、ミュージシャンのカーティスという黒人が、ダンスフロアでシュープリームスのSTOP IN THE NAME OF LOVEを踊っている高校生とおぼしきグループを見て、委員長にこう尋ねてきたのです。

「彼らは何でこんな古い曲が好きなんだ?(時代年齢が合わないってことですね)」
「なぜ同じ踊りを皆で揃ってするのか?クラスのダンスコンテストでもあるのか?」
「なんで(男女)ペアで踊らないのか?これじゃまるでアーミーじゃないか(笑)」
全員で鏡に向かって横一列に並んで踊っている姿は、まさに軍隊のように彼の目に映ったのでしょう。SOUL C.C.なんて言って説明しても彼にはチンプンカンプンです。
この時もまた委員長は腹が立ちました。
確かに自分たちが楽しんで踊ってきたステップとはいえ、これじゃ形だけが後輩に受け継がれただけのことじゃないかって、しかもこの曲はこの踊りじゃなきゃダメだという、悪い風習というか権威を彼らの頭の中に植え付けてしまいました。
音楽も踊りも、もっともっと自由なんだということを何で伝えられないのだろう、という自身に対する腹立ちでもありました。

幸いにして、この後の踊りの流れはバンプに始まりウォーターゲート、オールドマン、レゲエ、ポイントなどと、フォーマットはあるものの、すべてが個人の個性で曲を選び、踊るカタチのものとなり、いつのまにかこれらの古いステップの形式は忘れ去られていくようになりました。(昔ゃ~ヨカッタって言う人以外は・・・・笑)
ただ並んで踊る習慣はあまり変わりませんでしたね。皆鏡に向かって黙々と踊ってた。(笑)
そういえば、昔のパブ・ツゲザー(こう云う表記だった)には、ステップ禁止令みたいな張り紙が入り口に貼られていました。確か、「ステージに向かって一方向横隊になるメダカ・ステップはお断りいたします」みたいな文面だったと思います。(図入りで描かれていました)

ふ~ん、俺達はメダカなのかぁ~と妙に納得した委員長でもありました。

さて、話がだいぶ遠回りしましたが、この時代のSOULブームはディスコブームと相まってDJのスタイルにも相当な影響を与えました。
流行の踊りはすべて在留米軍基地の黒人たちによって日本に直輸入され、音楽もその殆どがR&B/SOULでした。これは米国本土でも同様で、ビルボード誌の主流もR&B/SOULとなり、POPSの上位はすべてSOULが占めるといった現象になっていきました。もちろんディスコのDJは新譜の情報に血眼になり、黒人の集まるお店へとせっせと通うようになっていきました。
現在のように情報が溢れた時代ではありませんでしたから、DJはみなビルボード誌のチャート・コピーを少しでも早く入手しようと躍起になりました。
それまでは輸入盤を扱う業者から、ひと月遅れは当たり前のチャート・コピーと新譜で満足していたDJも、いち早くヒット曲を見極め入手していくようになっていったのです。


もちろんどのお店もチャート上位曲が欲しいわけで、ランダムに入ってくる30枚セットにヒット曲が何枚入っているかというようなお楽しみ袋のようなものには、次第に満足できないようになってきていました。
チャート・ランキングは吉岡さんの選別に頼らざるを得ないわけで、少ない予算で最新情報を仕入れるにはシングル購入しかなかったわけです。(当時の輸入盤は高かった)
つまりアルバム販売前にシングルが先行して発売になりますから、シングルヒットの目安でアルバム購入が検討されたわけです。(結構苦労してたんですよ昔は、お金も無かったし)
超ヒットはいきなり50位くらいからランキングしてきて、1ヶ月もしないうちにBEST10に食い込んできたりするので解り易いのですが、90位あたりから入ってきてジワジワと上昇していくような曲もあるわけです。
「赤丸急上昇中」なんてDJのコメントによくありましたよね。懐かしい~。
赤丸で登場しても途中でランキングダウンするのもあったりして、なんといってもチャートがレコード購入のバロメータでした。
さらに、HOT 100の他にも州別のランキング・チャートがありますから、ニューヨークやカリフォルニア、ワシントンDC、フィラデルフィアなどのCASH BOXチャートも見ておかないといけません。

アメリカはデカイ国ですから、州といっても、彼らにすれば州が一国なんですね。
だから野球なんかもワールド・リーグって言ってますよね。
州(国)を束ねたUNITED STATES=アメリカが世界なんです。
ちなみにアメリカには外務省って管轄がありません。国務省なんですね。
凄いですね、ここら辺が日本人にはちょっと理解できない奥深さです。
ですから、州で第一位のヒット曲になっても、全米でランキングもされてないなんてことが実際にあるわけです。(まあ、そこまで極端なことは少なかったですが)
このあたりのことも後にまたお話しますが、日本のディスコヒット=全米ヒットだったということでもないんですね。
それは、ベースの黒人たちから持ち込まれる流行というのが、彼らの所属する共同体、軍であったり州であったり、を前提にしているからです。これが直輸入の真髄です。
軍隊の黒人はプロのDJではありませんから、多分に個人の趣味に作用されます。
中にはミュージシャンなんかもいて、独自のヒット予想なんかも盛り込んだりしていましたが、大抵はやはりビルボードのランキングを参考にしていました。

フィラデルフィア出身のブラザーはサウンド・オブ・フィラデルフィア、地元のアーティストを優先して紹介するだろうし、踊りだって地元で流行っている踊り方を持ってきます。
それが日本人の感性に合えば、まずはそこの店で流行るだろうし、それを伝え聞いた他店のDJが真似したら自分の店ではウケなかったとか、逆に連鎖反応して日本国内のディスコでヒットしたとか、これは日本のオリジナルヒットになるわけです。
更に所属する隊や、マリーン、ネイビー、エアフォース等々、各共同体にもカラーや流行がありましたから、彼らが持ち込んできた情報がすべて全米ネットワークかというと、これもちょっと違っていました。以前お話した「ダッチ」(ゲンコツぶつける挨拶)だって、横田と横須賀は違っていたし、日本風に言えば県人会みたいなのもあって、出身地別とかマブダチ同士のダッチとか、とにかくベース経由で入ってきた情報は「生」な分、それが全て全米共通のモノではなかったのも事実です。
このあたりをよく勘違いして、全米ブラックの流行だと思っていたっていうことが随分ありました。日本の場合だって同様にスケールの差こそあれ、ローカルのブームが中央に上がって全国ネットで流れる頃には、当のブームはもう終わってたなんてこともしばしばあるわけです。

例として適切かどうかわかりませんが、例えばカラオケブームに沸くフィリッピンに日本の東北地方のちょいとした遊び人が訪れたとします。お店の人は、日本人客を一人でも多く取り込んで売上を上げたいので、何とか日本人の喜びそうな情報を仕入れようと一生懸命になります。でも彼の持っている情報は自分のテリトリーの範囲ですから、東京で今流行っている曲は何だとか、どんな店が流行っているんだ、とか聞かれても、それはテレビで見た情報とか雑誌で読んだ情報とかでしかないわけです。
あるとき、旅行者が立ち寄ったマニラのカラオケ屋さんでは、千昌夫、吉幾三がニッポンを代表するシンガーだと信じており、店の女の子が歌って聞かせてくれるのは演歌ばかりみたいな店だった、と。(笑)
ここまで極端なことも無いでしょうし、今の時代ではありえない話ですが、情報の少ない時代の限られた情報網から入ってくる流行は所詮このようなものです。
それはそれで良いんです。それはその地域の流行りであるし店のカラーなんですから。
ただ、そのカラーが日本全国共通なものと思い込まれてしまうと、これはちょっとした悲劇を生んでしまいますよね。(笑)

当時はとにかく黒人のやることなすこと、全てを崇めていたような感がありましたから盲目的に受け入れてしまったようなものです。
これも仕方の無いことで、情報が非常に少なかったからすぐに洗脳されてしまいます。
ベースにはPXという軍隊専用のスーパーがあって、ここで調達したLP(シングル盤なんか売ってませんから)も貴重な新着情報のひとつだったのですが、PXの仕入れだって、ビルボード誌のランキングに影響を受けているし、買い手のブラザーにしてみれば自国(州)のアーティストに目が行くのは当たり前です。
ということで、ここでもINTERPRETERの役割が重要なポイントになってくるわけです。
なぜInterpreterを強調するのかというと、DJこそがこの重要なInterpreter(仲介役)だったからです。
たんなる情報を右から左に流すだけだったら、それはメッセンジャー(伝言)でしかありません。
きちんとした解釈を持って相手に伝える、という意味から言えばやはりDJはInterpreterだと思うんです。





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最終更新日  2005年08月17日 07時33分32秒
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赤丸急上昇中  
じょんとら  さん
なつかしい響きです。
あの頃はDJが赤丸急上昇!って解説した新曲は、片っ端から買い集めてました。
でもさほど流行せずに終わってしまう曲もたくさんありましたね。
B級ヒットなんて言ってましたけど、チャートで50位前後がピークの曲。
でも、このへんの小ヒットが今となっては「久々に聞く」なつかしい曲だったりします。 (2005年08月17日 08時42分49秒)

赤丸急上昇中  
じょんとら  さん
なつかしい響きです。
あの頃はDJが赤丸急上昇!って解説した新曲は、片っ端から買い集めてました。
でもさほど流行せずに終わってしまう曲もたくさんありましたね。
B級ヒットなんて言ってましたけど、チャートで50位前後がピークの曲。
でも、このへんの小ヒットが今となっては「久々に聞く」なつかしい曲だったりします。 (2005年08月17日 08時43分14秒)

Re:赤丸急上昇中(08/17)  
RONNYジイ  さん

日本未発売  
じょんとら  さん
よくDJが「○○のファーストアルバム××からのセカンドシングル、赤丸急上昇中△△をご紹介!」ってしゃべってたので、真に受けて△△って曲のドーナッツ盤を血眼で捜したところどこにもなくて、後からそれは日本では未発売だったなんてこともよくありましたっけ。 (2005年08月17日 16時54分49秒)

Re:日本未発売(08/17)  
RONNYジイ  さん
じょんとらさん

そうですね、あの頃はまだ新譜輸入盤を扱っている店も少なかったし、輸入すらだいぶ遅れていましたよね。しかもシングルの輸入盤なんて市販されてなかったし。「シングルカット」と紹介する前に、「アメリカで」って断りを入れるべきでしたよね。(笑)
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(2005年08月17日 23時09分25秒)

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