非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2005年08月23日
XML
新宿歌舞伎町東宝会館7階アメリカン・ディスコ・トゥモローUSA
世界最大のダンスフロアーを持つこのディスコはビルボード誌にも紹介されました。
76年8月に堂々オープンしたUSAは順風満帆とはいかずとも、なんとか年の瀬を乗り切って77年を迎えましたが、ここでまたひとつの転機を迎えることになります。
それは同ビル4階にあった姉妹店「ビッ・トゥゲザー」の閉店と、同時にトゥモローUSAとの合併でした。
遂にダイタン商事はその命運をトゥモローUSA一本に絞り込んだのでした。
トゥゲザーの従業員のほとんどがUSAになだれ込み、7人の主任と5人のチーフ、4人のセコンドと8人の正社員ウェイター、5人の厨房で一気に膨れ上がりました。
USA江川ファミリーの須貝主任、館山主任、渡辺主任に、トゥゲザーからやってきた小林主任(江川店長の実弟)、尾田主任、菊池主任、長友主任の7人衆を束ねる糸数支配人。同じく江川ファミリーの田中チーフ、に加えて橋本セコンド、小園セコンド、更にトゥゲザーから鈴木竜司チーフ、小松原チーフが入って多少の派閥争いのような小競り合いもありましたが、なんとかまとまり8月1日にリニューワル・オープンとなりました。
リニューワルと言っても、ダンスフロアの中央の柱4本を取り外しただけでしたが、ダンスフロアの実質的面積は確かに当時世界一ではなかったでしょうか。

同じ会社で同じビルにあった姉妹店とはいえ、そのカラーは随分と違っていて、社員のカラーが統一されるまでには多少の時間がかかりました。

特にトゥゲザーはバンドがメインであったためか、トゥモローUSAのスポットを浴びるDJに対して反感が持たれたりしました。
特にアイドル系のジュリーがよく槍玉に挙げられ意地悪をされたりしました。
フロントでジュリー目当てにやってくる客を捕まえては、「あいつは足が悪くていつもヒールを履いているが、脱ぐと左右の足の長さが違うんだぞ」とか吹き込んだり、委員長にしても、「歳ごまかしてて既に大きな子供がいるんだぞ」とか言われたりしました。
事実ジュリーは小柄で身長もチョイ低めだったので、確かにヒールの高さはだいぶ高かったので、聞いた方も結構本気にしたりしてました。
でも、所詮はアイドル系ですから「かわいそう、私が支えてあげたい」みたいな、それはそれで盛り上がっちゃったりして、噂を吹き込んだヤツの思惑通りには行きませんでしたね。委員長にしても、自身がMCで「独身子供一人」とか言ってましたから、あってもおかしくはない噂で、逆にジョークとして随分と使ったりもしました。
まあ、今にして思えばこのあたりから開き直りというか、SOUL馬鹿もヤケクソになってバラエティー系になっていたのかもしれません。
ところが、ジュリーってのはこういったことにやたらと過敏反応するタイプで、噂の出何処、流した張本人を突き止めようとしたりして、スタッフと多少の小競り合いもあり、さらに対立の溝を深めてしまったりしました。

閉店に追い込まれた店の従業員は大抵心がいじけていますから、江川ファミリーの明るい雰囲気とは対照的に、店全体の緊張はしばらく高かったような気がします。
また、77年は前述したとおり色々なことが次々と起こって、ディスコ産業自体がみな行き先を模索していたような時代でもありましたから、上り調子の勢いはなく、皆不安な気持ちが混ざった日々を送っていたといえるでしょう。
当時のトゥモローUSAのヒットチャート(これはもう完全にジュリーの作ったデッチあげですが)が、手元に残っているので紹介してみたいと思います。(ジャーン!)

リクエスト・ベスト20

(原文のまま、さらに)
ディスコで、最高にハッピーになれるときは、お気に入りの曲がかかった時。
キミも。ヴァイブな曲にはボディを、メロウな曲にはハートを感じてみないか?
(誰だろ、このコピー書いたのは。ジュリーかなぁ)

第一位(先月5位) アット・ミッドナイト/ルーファス 票数342(本当かなぁ)


第二位(先月3位) ブギー・マン/KC&サンシャイン・バンド 票数301
このあたりは本当のような気がしますね。ステップ系もソウル系もミーちゃんハーちゃんも気軽に踊れたナンバーです。

第三位(先月4位) ベイビー・シッター/ソウル・イベリカ・バンド 票数294
でた~!日本フォノグラム。もう完璧に出来上がってますね。しかも赤丸急上昇。
しかし、委員長もシッター・ダンスなんてのをイラスト図解付で紹介してますね。TVのソウルトレインでも踊っている新しいステップなんてキャッチ・コピーが付いてます。でもこれは本当ですよ。ステップというより左右に手を振ってツイストするような踊りなんですが、ソウルトレインで何人かのギャングが踊っていたのを見て紹介しました。ステップを飽きさせようとした委員長のヤラセでしたが、あんまり流行んなかったなぁ。これも結局変なステップがくっついてきて、結局は大ヒット。この後、日本フォノグラムはジュリーとのコンビでディスコヒットを増産していくことになります。

第四位(先月2位) 愛するデューク/スティービー・ワンダー 票数210
これって確かにランキングはこんなものだったと思うけど、これってリクエスト集計でしょ。
こんなに沢山はリクエストこなかったと思う。かければ誰彼なく踊ったのは確かだけど。

第五位(先月9位) ダブル・ダッチ/ファット・バック・バンド 票数208
これは嘘だろ、どう考えても。ポリドール・レコードって試聴盤あんましくれなかったから、ジュリーのヨイショかもしれない。あと、委員長の言うところのSOUL系DJへの多少の気遣いがまだこのあたりまではありました。現場で反発食うのを恐れたみたいなね。
前にも書きましたが、ジュリーが理論武装、委員長が実技武装っていうこのコンビ、今にして思えば最高だったかもしれない。この時代あたりはまだSOUL系業界人がブイブイ言ってたから、カチこまれても委員長やモノホンSOUL MANジョーなんか結構盾になっていたような気がしますね。

第六位(先月10位) ディスコ・インフェルノ/トランプス 票数206
う~ん、これは多分レコード会社直径のUS情報からだと思う。ビルボード・チャートとかから選んだじゃないかなぁ。しかも赤丸急上昇になってる。委員長の記憶では、日本でヒットしたのは確か翌年の映画サタデーナイトフィバーからだったと思います。
これはちょっと時代を先取りしてるんだぞぉ、みたいな見栄みたいな気がするなぁ。

第七位(先月1位) 2人のホットライン/シルヴァーズ 票数185
先月1位で今月一気に7位転落って、ほんとかなぁ。でもUSAではステップ派に人気あったし、確かにリクエストも多かったですね。もちろんSOUL系もフリーで踊ってたし。ブギー・マン同様八方美人的な曲でしたから、踊りを踊らない(踊れない)DJ系にとっては便利な曲でした。

第八位(先月6位) 恋のチャンス/エモーションズ 票数173
エモーションズの記念すべき再デビュー、プロデュースはEW&F、モーリス・ホワイトですね。これはエンバシーとかハレムでもよく踊ってたヒットソングです。委員長やブラザー・ジョーもよ~くかけました。

第九位(先月8位) もうひとつの愛に・・・・/ウィリアム・ベル 票数172
はいはい、日本フォノグラムですね。ヨイショっと。スローバラードです。
172人もリクエストした人がいるなんてスゲー!

第十位(先月7位) サタディ・ナイト/EW&F 票数170
うん、確かにリクエストは多かったですね。でもベイシティローラーズと間違ってリクエスト入れたものも混じってんじゃないの(笑) ステービーの回想(I wish)とか恋のチャンスとか一連のダンス・シリーズって感じでよく踊ってました。

この他15位にボニーMのダディ・クール(パパさん冷たい)とかがまぶしてあって、とりあえずはまだSOUL系といった雰囲気ですね。
以上はトゥモローUSA発行の情報誌「さーち」からご紹介しました。
(このご紹介しました、ってフレーズ、当時のDJはみな良く使ってましたよね)
せっかくですから、もうちょっとPICK UPしてみましょう。

推薦文を書いている人が数名おりまして、渋谷プリンスDJ渡辺寛氏推薦ウィリアム・ベル「もうひとつの愛に・・・」超プッシュですね、更に日本フォノグラム、ソウル制作渡部光一氏推薦デルズ「ワンステップ・モア・デルズ」結成25年記念アルバム(これは本当に良い出来でした)、続いてRCVソウル制作石原孝氏推薦シャラマー「アップタウン・フェスティバル」60年代のタムラ・モータウンのヒットメドレーでつなぎ合わせたシャラマーのデビューアルバムです。ソウルトレイン・レーベル、もちろんプロデュースはドン・コーネリアス。更に新宿クレージーホースDJ松本みつぐ氏推薦ジェームス&ボビー・ビューリファイ「恋のあやつり人形」日本フォノグラム(またまたまた登場)デビューアルバムらしいですが、はっきり言って忘却の彼方です。
もう一人、新宿白馬車DJ渡辺たかし氏推薦アレサ・フランクリン「甘い熱情」ワーナー・パイオニアは大御所ってことで何故かナベちゃんこと渡辺氏が書いてます。後にこの方はエスメラルダというDJ養成機関虎の穴(笑)で講師を務めました。いい声してたんですけどねぇ、ルックスがどうも・・・・・・。(だからDJなんだろ)
最後にもう一人だけ、新宿インディペンデントハウスDJジョイ氏推薦スレイブ「宇宙の奴隷」ワーナー・パイオニア、ってタイトルが凄いですね。確かにジャケ写真は奴隷風黒人が地球のような球体を担いでおりますが、宇宙の奴隷なんですか我々は?
このヒットシングル「スライド」はかなり渋い曲でした。途中のギターソロがディストーションの利いたROCKぽいノリでかなりカッチョよかったですね。

ということで、非常に数少ない委員長の当時の資料からご紹介致しました。
今振り返って当時リクエストが多かった曲を思い出してみると、委員長自身が覚えていて強く印象に残っているものって意外と少ないもんですね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年09月22日 15時15分48秒
コメント(7) | コメントを書く
[1977年頃のディスコのお話] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


シッター  
YUKI さん
忘れてました、シッターダンスって呼び方!
そうなんですか?!委員長が日本の封切だったんですね!ちゃんとやりましたよ。。。で、辞めてから半年ぐらいして(80年頃)元職場に顔出したら、違うステップが・・・恋は火の鳥と同じになってました。当時はシングル盤でかけてましたが、今 何故か店には試供盤のLPがあります(当時のDJの誰かが持っていたとは思えないんですが)。
千葉では、サニー/ボニーM も同じ運命を辿りました。(モデルウォーク→ステップ) (2005年08月23日 14時46分07秒)

 訂正します  
YUKI さん
恋は火の鳥ではなく、恋のショックですね・・・?
毎日聞いてかけてるのに 書き込んでてもあやふや。。。(大汗) 失礼しました。 (2005年08月23日 15時14分07秒)

Re:シッター(08/23)  
RONNYジイ  さん
YUKIさん
>忘れてました、シッターダンスって呼び方!

初めの頃は皆この踊りをテレビのソウルトレインとかで見てたので、結構フリーダンスっぽく踊ってくれてたんですけど、楽曲自体がね~、やっぱりダメでしたね。そのうち誰かが作ったステップで踊るようになっていってしまいました。でも、そっちの方が流行ったおかげで大ヒットで日本フォノグラムが調子付いた、ということですね。

>千葉では、サニー/ボニーM も同じ運命を辿りました。(モデルウォーク→ステップ)

はいはい、覚えてますよ。サニーってのは原曲からして名曲ですからね、委員長も結構好きだったんですけどね、いつの間にかこれもステップ課題曲になっていましたっけ。
恋は火の鳥ってのも覚えてますよ。
I'm on Fire って、私のハートは大火事だって歌ですよね。確か5000ボルトっていう取ってつけたようなグループでしたよね。でもオリジナルは別にあったような気がするなぁ~。
やたら忙しい曲で踊りづらかったから覚えてます。
-----
(2005年08月23日 16時19分41秒)

えっ・・・?!  
YUKI さん
委員長も「恋は火の鳥」踊ったんですかぁ~?!
チョットびっくり・・・です。
私は今でも、ご要望とあれば踊らざるを得ないんですが。。。(色んな意味で大汗) (2005年08月24日 13時39分11秒)

恋は火の鳥  
RONNYジイ  さん
YUKIさん
え~と、確かGIL SCOTT?ジル・スコットだかギル・スコットって男の歌手が歌ってたのがオリジナルだったと思います。まだ、V-oneにいたころ吉岡さんとこの30枚セットシングル輸入盤に入ってたんです。この時の黒人DJがジルっていうヤツだったんで、記憶にあるんですね。でもちょっとテンポが速くて、ポイントじゃきつかったですね。そのうちにしばらくしたら日本盤(5000ボルト)が出て、知らぬ間にステップ課題曲になってました。
ということで私ゃステップは踊れません。残念!(X.X)
-----
(2005年08月24日 15時02分20秒)

Re:道楽者の昔話その89(08/23)  
おー さん
1位、3位、7位はシッターでしたね。TVのソウルトレインでも大流行って感じでした。アイズレーの曲でも踊ってたような気がします。 (2006年08月11日 03時41分00秒)

シッターダンス?  
RONNYジイ  さん
おーさん

元々はソウルトレインギャングが踊っていた踊りをパクッたに過ぎませんね。
当時勢いに乗っていた日本フォノグラムの渡部氏と私のヤラセ共同企画ですね(笑)
当時はこんなんばっかりでした。 (2006年08月11日 15時04分40秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: