非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2005年08月28日
XML
さて、ビッグ・トゥゲザーと合併したトゥモローUSAは10月に入って、またまた大変動って、ちょっと大げさですが、ついにダイタン商事は解散となり、トゥモローUSAは江川店長が社長となって「小林商事」の経営となりました。
糸数支配人は店長へと昇格し、江川さんこと小林さんは直接の現場指揮から退き、社長業に専念することとなって行きました。

そして10月から、システムも本格的に大型店の特色を出し始めていきます。
平日の客の入りでは、360度開放型のダンスフロアはガラガラ状態が目立ってしまうという欠点を補うために、入り口から向かって正面にアコーディオン・タイプの鏡を取り付けました。週末の混雑時はオープンしてフロアを全開にできるカーテン・タイプの鏡で、高さ4m長さ25mの大型鏡で、更にこれをスクリーンにしてフィルムを上映するようにしました。
料金は平日、男性\1,870女性\1,540で、毎週月曜日はバンザイ・ディスコデー男性女性共に\800、毎週水曜日はウーマン・ポテト・ディスコデー男性\1,000女性\500という独自のシステムを打ち出しました。
更にポテト食べ放題、水割り・ジュース飲み放題の話題付きです。
当時はまだ、バイキング・スタイルは主流にはなっておらず、先陣を切ったインディペンデント・ハウスが注目されてはおりましたが、各店このスタイルを模索していたような状況でした。恐る恐る始めたような雰囲気が覗えますね。フレンチ・フライド・ポテトが食べ放題、水割りとジュースだけ飲み放題という限定付きフリードリンクも試行錯誤といった感じです。しかし、この水曜日の女性500円は大当たりしました。とにかく平日水曜日だというのにもの凄い人だかりでした。売上こそ上がりませんでしたが、これは大当たりで、女の子が集まればほっといても男は集まるって、典型的な客寄せで大成功を収めました。
(これって、アメリカだったら人種差別で訴訟の対象になりますね。女性が男性の半額って何の根拠も無いんですから)
「水曜日はユサ(常連はUSAを皆こう呼んでました)でナンパ」が合言葉のように、とにかく水曜日は土曜日にも劣らず大盛況。溢れんばかりのおねーちゃんに群がるアホな野郎がどんどん集まり、すっかりお馴染みイベントとなりました。

この後ディスコが食堂と合体されていくわけですが、あの頃の熱狂は踊りだけではなかったような気が致します。

さて、新生トゥモローUSAの販売戦略はこれだけではありません。
なんとラジオ番組を作ってしまったのです。(っていうか番組スポンサーになったんですね)
深夜の時間帯でしたが、ラジオ関東で毎週日曜日30分のディスコミュージックを主体としたジュリーの番組がスタートしました。毎回ゲストを交えてディスコシーンの話題を提供する番組でした。ゲストはもちろん日本フォノグラムの渡部氏他業界の方々です。
CMには委員長や従業員代表などもコメントしたりして、それなりに業界では注目を集めたりしました。常連の中には毎回録音して保管してたヤツもいましたね。今風に言えばヲタク系ですか。ジュリーの親衛隊みたいなのもいたなぁ。カワイコちゃん系お嬢ちゃん女子大生が多かった。
この時点で、ディスコDJ業界ではジュリーが頭ひとつ飛び出したわけです。
勿論こうなってくるとレコード会社の面々もジュリーに対する態度が変わってきます。
当然厚遇されますから、本人もメージャーの仲間入りみたいな感じになっていきました。

幻のDJバンドの後、本格的なメージャーデビューを飾ったジュリーと委員長の関係は、このあたりからちょっと噛み合わなくなっていきました。
別段、委員長はラジオのDJ目指していたわけではありませんから、ジュリーのステーション・デビューは仲間として誇らしかったし、チームUSAとしてもチーフDJが番組を持ったということがひとつのプライドでもありました。
ところが、このあたりからジュリーのわがままが次第に目に付くようになっていったのでした。相変わらず日本フォノグラムでのバイトを名目に遅刻常習。店内に開設した輸入盤の販売コーナー。これは歌舞伎町白馬車のチーフDJ・渡辺たかし氏とジュリーが始めた輸入レコードの販売店でした。さらにディスコ・プロモーションの代行などをレコード会社各社から請負いはじめ、思いつくまま手当たり次第にコトを起こしていくジュリーに皆振り回されるようになっていきました。



委員長もこのころは、DJスタイルがようやく深夜番なりの形になり始めていたし、ジュリーの手伝いの傍らムラちゃんとのバンドごっこもそれとなく続けていました。
また、プライベートでは道楽の不始末にまったく懲りない委員長は、彼女のドリーから愛想を付かされ結局フラれてしまい、多少フラストレーションの溜まった状態でもありました。いい加減に目を覚まして落ち着きなさいよ、みたいに言われたのですが、これからはバンドだぁ~などと、またまた夢みたいなことを言い出す委員長を尻目に、さっさと子供を卒業して大人になっていってしまった彼女でした。
いや~、女は強いし、割り切りも早い。委員長は結構ショックだったんですけどね。
同じ夢を見れなくなったというか、まさしく愛想付かされたみたいな感じでした。みじめ~。
(あなたは少女の時を過ぎ~って歌のセリフみたいな感じですか)


というのも委員長は元来道楽者ですから、人がどう思おうが、何をしようがあまり関係ないといったマイペース型なのですが、リトやジョーからもジュリーの横暴さを聞かされると、友人として情けないというのと、義侠心みたいなものが頭をもたげてきて、つい大きなお世話を焼いてしまうことになったのでした。
オレしか言うことができない、そう勝手に思い込んだ委員長はジュリーを呼びつけて説教をかましてしまいました。しかも、リトやジョーの実情を引き合いに出したものですから、ジュリーもこれには激怒して反駁してきました。

「オレは自分のことだけじゃなく、USAや皆のことを考えて業界の関係を作っているつもりだったのに、そんな風に思われていたのならもう金輪際一緒には仕事したくない」

「ジュリーが思うほど、皆業界の関係まで期待してないし、自分たちの生活を犠牲にしてまでジュリーをカバーする必要はないと思う」

一旦マイナスの方向に歯車が回りだすと、箸の上げ下げさえ腹立たしくなっていくのが人情です。お互い子供のようなものですから、突き詰めるところ意地の張り合いになってしまいました。
委員長としてみれば、やりたいことやるなら人に迷惑かけずにやれよって思っていたし、ジュリーにしてみれば多少なりとも皆のことも考えつつ手を広げているのに、まるで嫉妬されているようで困る、みたいな感情が先立っていました。
根は悪気ないんですけどね、軽いから、思いつきで突っ走るタイプだったから、結構誤解もあったんですね。それにまだ若かったから、責任の重さもあまり感じていなかったのではないでしょうか。
マイペース型の道楽者とアイドル王様タイプですから、うまく理解して共存すれば最強のコンビなのですが、半目に回ると弾け合ってしまい全てが陰陽になってしまうわけです。
生活のリズムも完璧に対照的でした。

レコード業界とディスコ業界の接点に立って上手く立ち回るジュリーは、お店でもメインの時間帯で人気者を演じ、後半の玄人っぽい時間帯でアウトローを気取る委員長は、ミュージシャンの世界へと出入りするようになってゆき、次第に両者の個性がはっきりしてきました。ライバルと言うよりは、お互いに別の道を歩み出したとも言えます。
この頃からお互い満足に口もきかなくなり、お互いの仕事やプライベートに関しても一切触れなくなっていきました。
委員長はムラちゃんとバンドごっこへの道をひた走り、ジュリーは業界から表稼業への転進を目指して突っ走りました。
ジュリーは地下から表へ、委員長は更に地下深く潜る、というような感じで相反する動きでもありました。
手堅く足固めしていくジュリーと、一発大穴狙うロニーみたいな感じでしたね。

今あらためて冷静に振り返ってみると、二人の根本的な野心というか本質は「貧乏生活からの脱却」だったわけで、行き方こそ違うものの人間として奥底に流れるものは同じだったような気がします。
学歴もなく、世間一般で言う家柄もなく、親の縁に薄く、生活が立ち行かなくなる将来の不安が常に心の片隅に息づいていて、それはひとりで生きて行かねばならない孤独さだったのかも知れません。
突き詰めて言えば、自分以外は信じられない人間不信のようなものだったとも言えます。
とは言うものの、それだけ冷めていたかと言えばそうでもなく、お互いお人好しなところも随分有り、結構くだらないことでよく騙されたりもしました。
敢えて言えば、委員長の方が金銭に対する執着心が多少薄かったせいか、遊び人みたいなろくでもない人間ばかりが集まってきていました。類は類を呼ぶってやつでしょか。
反面、ジュリーは当時からしっかり貯金とかしていたし、車なんかもローンで買って頑張っていましたから、遊ぶ余裕なんてのはありませんでしたね。まあ強いて言うなら女遊びくらいかなぁ。なくて七癖って言いますから、人間は何か弱点がありますよね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年09月22日 15時17分51秒
コメント(0) | コメントを書く
[1977年頃のディスコのお話] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: