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2005年09月04日
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ディスコ親爺の昔話もとうとう100回目を迎えることになりました。
これもひとえに本人の努力の賜物、皆様にはお礼の言葉もございません。
ございませんので言いません。(すんませ~ん、綾小路キミマロさん、パクりました)
いやーしかし、よくもまあこれだけ書くことが次から次へと出てくるものだと、当の本人も飽きれかえっている始末です。
言うなればそれだけ真剣に道楽に打ち込んだというか、人生賭けて遊んだと言うか、馬鹿なことばかりして楽しかった時代だったということの証でもあります。
とは言うものの、これらの話の全てが貧乏自慢と申しますか、馬鹿自慢の話ばかりで、どう考えてもまともな生き方であったとは到底思えませんが、どんなにくだらないこととはいえ、なんにせよ自慢のできるものがあるということは素晴らしいことでもあります。(なんのこっちゃねん)
これだけムチャクチャな生き方をしてきた割には、結構フツーの親爺になった(でもないか)今の自分を思うと、ことさらに可笑しさがこみあげて参ります。
まさに「親は無くとも子は育つ」の言葉どおりです。(ちょっと意味が違うと思うけどなぁ)
幼い頃から言われ続けてきた、「そんなに遊んでばかりいると立派な大人になれないぞ」とかいうお説教にもメゲズ道楽道を貫いて遊び倒してきた委員長の人生訓でもあります。

まあ、何を持って「立派な大人」というのかわかりませんが、少なくとも手鏡で女の子のスカートを覗いてみたり、女子トイレにビデオカメラを隠したりするような立派な大人にはなれなかったことがせめてもの救いです。
現在道楽道を突き進んでおられる若手の皆様、なんにせよほっといても歳は取れますし、最低でもフツーの親爺くらいにはなれますからどうぞご安心下さい。

もちろん道楽者がフツーの大人になるためにはそれなりの苦痛や苦労も伴いますが、少なくとも人の倍以上は楽しい思いをしたことと引き換えにしても損はなかったのかなぁ、とも思える今日この頃です。
(何が得で何が損かはわかりませんが)
人生には損得で測れる規準なんてもの自体がありませんから、自分の心のままに生きていくことが全てであると断言できます。まして生き方の教科書なんてものもありません。
人間なんてものは息を引き取るその瞬間まで感情があって、喜んだり悩んだりし続けますから、その時代時代で、人の人生が良く見えたり、自分の人生が良く見えたりと絶対的な尺度では測れませんし、一生ひとつの感情で生きているわけでもありませんね。
人が生きていく上で悩むこと、苦しむこと、更に、喜ぶこと、感動することはどの人間にも与えられた共通の機能ですから、良いことばかりで生きてきた人なんてのは存在するはずもなく、また、苦しいばかりの人生なんてのも有ろうはずがないわけです。
ひとつだけ確かだと思えることは、「若さ」とは全ての人間に与えられた唯一平等な「才能」であるということです。どんな人にでも、もれなく付いてくる「才能」、それが「若さ」です。
とにかく「若い」ってことは、もうそれだけで「才能」なんですね。
この才能をどのように、何に使うかはその本人の自由であり、生きている以上例外なく万人が持つ特権なワケです。

今日は何故こんな話をしたかと言いますと、委員長の昔話もいよいよこの「若さ」と言う「才能」が開花する時代に突入しつつあり、まさに馬鹿自慢も頂点を極めていくことになりますが、残念ながらこの「若さ」には賞味期限と言うお約束があるということをお伝えしたかったからです。この「若さ」という「才能」はその人の人生において、一生際限なく与えられているわけではありませんから、本人がどんなに抵抗しようが、しがみつこうが終わりは否応無くやってきます。なんとか誤魔化しながら多少の延長も認められますが、これも言うなれば疑似体験のようなもので、次にやってくる「若さ」という「才能」を持った人と交代する日は泣こうがわめこうが必ず来てしまうのです。

特にこれから続く昔話の後半は、こういった時代との決別、「若さ」という「才能」の終焉に直面していく道楽者の「その後」を書いていきたいと思っていますので、馬鹿を自慢する道楽者が一体どのようにしてフツーのおっさんになっていったかというような真実の告白(笑)、はたまた、大馬鹿野郎が一般人社会への復帰に向けたリハビリなどの大変興味深い(?)内容が盛り込まれておりますので、道楽道を目指す方々にとって何かしらの人生のヒントを示すことができれば道楽者冥利に尽きるというものです。
ということで、道楽者の昔話は続いて行きます。

1977年暮れ、ディスコ業界には新たな旋風が巻き起こりました。
オカマ・ダンスの登場です。
凄いですね~、オカマ・ダンス、初めて耳にされる方には想像もつかないのではないでしょうか。

踊り方はいわゆるモデルウォークが基本で、ファッション・ショーでモデルが衣装をまとってステージでショーアップする独特のポーズと歩き方を真似たものです。
当時新宿で一世を風靡した「エル」というニューハーフ?が広めたことからオカマ・ダンスと呼ばれるようになっていきました。彼(彼女)が実際にゲイだったかどうかは知る由もありませんが、男が化粧して踊るところからそう呼ばれたのでしょう。
時代背景にも、ブリティッシュ系ロッカー(今で言うビジュアル系)とか、YMOとか、男性が化粧をする風潮もあり、着飾ってディスコで踊るというひとつのムーブメントが新宿から巻き起こっていったのでした。(詳しくは昔話その86参照して下さい)

DJもこのあたりからちょっとした新風が吹き込んできました。

「さあ、手拍子いっちゃいましょ~う!」(もちろんこれって男性DJですよ)

ってかけ声と共にフロアで踊っている客が両手を挙げて手拍子打ったり、

「さあ、まんなかあけて輪になりましょ~う!」

とか言いながら客を扇動していくという、まるでコンサート会場さながら、まさにライブ風なノリが現れました。
(幼稚園のお遊戯みたいだったですけどね)

このDJの喋り方も、おすぎとピー子風?って感じのやわらかい口調が、フロアで踊るファッションマニアと重なって一種独特のムードを醸し出しました。このあたりもオカマと表現された理由ではないでしょうか。
今までソウルやステップといった輸入文化の上で遊んでいた子供たちが、遂に自力で生み出したというか自然発生した新しい文化がこのオカマ・ダンスでした。
もともと盆踊りとかお祭り好きな日本人ですから、扇動する者があれば団結力は強烈な底力を発揮します。
新宿界隈のOL(今風に言うとデパガ)とか女子大生とかが、このブームに一気に感染していきます。

今でも印象に残っているのが、大橋純子さんの「シンプルラブ」ですね。
この曲で全員オカマ・ダンス(モデルウォーク)してうねるようにフロアーを踊り歩きます。
ここですかさず「手拍子いっちゃいましょう!」なんて煽った日には、全員で両手を挙げて手拍子打って爆発です。
この光景を目にした週刊誌の取材記者が「ディスコという宗教」と表現したのも頷けます。
彼らの目にはこの群集を煽るDJはまさに教祖様に見えたのではないでしょうか。

マニアっぽいオカマ族はそのファッションも益々エスカレートしていき、中近東ファッションや、無機質なテクノファッション、YMOなどが中国の人民服などをアレンジしたアジア系のエスニックファッションなど等、この時期から流行も一色に染まることなく、各自のパーソナリティや持ち味、個性を主張する時代へと変わって行きました。
これらのニュー・ムーブメントに加え、従来のSOUL系ファッション、ROCK系、パンク系なども混じり、まさに新宿は文化鍋のごった煮状態となり、独自の街文化を形成していくことになりました。
当時の一般的なファッションの流れから行くと、女性はニットのワンピースにロングブーツ(踝の辺りがちょっと垂れた感じですね)とか、バギートップなどが主流でした。

音楽の方もごちゃ混ぜ状態、踊る曲全般をひっくるめて「ディスコサウンド」と呼ぶようになったのもこの頃からでしょう。
委員長が特に印象深かったのは、YMOの「コンピューター・ゲーム」という曲がビルボードの上位にランキングされ、これを黒人たちがFUNKYと言って踊っていたことでした。
音は、確か風船を割るゲームのBGMをベースにした単調な音楽だったと思います。
でもビートのメリハリが確かに重くてヘビーな感じで、踊ってて心地よいサウンドでした。
後年、「東風」とか「勇者ライディーン」とかの一大ブームを巻き起こすことになるのですが、その片鱗を見せた一曲と言えるでしょう。

そしてこの77年の年の瀬、メッシュ入りのアフロの委員長はナンパ技術の全てを屈指して新しい彼女を遂にGETしたのでした。
ダイアナロスのような顔立ちをしたカーリーヘアの彼女C子は、委員長のナンパの手練手管の罠にはまり道楽者人生へと巻き込まれていくのでした。
バンド・デビューを目指して大きな夢と期待に胸膨らまた委員長は、しっかりズボンの中も膨らませて道楽者の王道を行く1978年を迎えることになっていくのでした。





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最終更新日  2005年09月22日 15時21分44秒
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