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2005年10月09日
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サタデーナイトフィーバーに続く第二次ディスコブームは、スタジオ54から火が付きました。
曲間をビートでつなぐMCなしのDJスタイルが日本に紹介されると、早速日本でもピッチコントロール付のターンテーブルが普及し始め、スターターもワンタッチで立ち上がるディスクドライブなど、テクニクスを筆頭にDENONなど各社がこぞって新しい技術を続々と発表しました。

サウンドの方でも、いわゆる黒っぽい(黒人系)サウンドからオーケストラ張りのイージーリスニング・ダンスナンバーのようなものが主流となってきたのもこの頃でした。
「サンフランシスコ」でデビューを飾ったビレッジ・ピープルは「マッチョマン」「YMCA」と大衆ディスコのアイドルとなりました。この背景にはLAやシスコでのゲイパワーの台頭や、性差別に対する運動がありました。

そしてこの時代の立役者はなんといってもCHICの登場でしょう。
ダンスダンスダンス~おしゃれフリークの一連のヒット快進撃は世界的なディスコブームの起爆剤となりました。
いや~カッコよかったですね、このサウンドは。まさしくシックでエレガント、そしてちょっぴりファンキー、今までのダンスフリークも勿論シビれました。
更に彼らがプロデュースしたシスタースレッジの華麗なる変身には旧ファンも度肝を抜かれました。

グレーテスト・ダンサー He’s a greatest dancer 強烈なインパクトでした。

個人的に委員長は、EW&Fによるエモーションズの復活と、このCHIC(ナイルロジャーズ)によるシスタースレッジの復活は、音楽史に残る最高の出会いであったと思います。
そして「We are Family」の大ブレイク超ヒットで一躍トップに踊り出た彼女達、この年の最高傑作アルバムの1枚と言えそうです。

その他、セリビーの愛の翼とかイブリンシャンペンキングのシェイムとか、FUNKとPOPが融合したディスコサウンドのようなものが主流になり始めていきました。
このあたりからはレコードの方もジャイアント・シングルなるものが続々と出始め、ビートでつなぐためのロングバージョンがDJ業界を席巻しはじめました。
さすがに新しモノ好きの委員長もこれにはちょっと閉口しました。
だってドラムとパーカッションだけで延々と続く間奏部は、正直言って何の意味もありませんよね。ただ音をかぶせてつなぐためだけにとってつけたようなものです。
まあ、いまにして思えばデジタル化への幕開けだったのでしょうかね。

この当時で個人的に印象に残っている曲と言えば、何と言ってもチャカカーンのWoman in a man’s worldですね。シングルヴァージョンではアルバムタイトルのI’m Every WomanにカップリングされていたB面でしたが、中々粋なサウンドとチャカのパワフルなヴォーカルがイカしてました。サックスはデヴィッドサンボーン、バックはほぼスタッフです。
真赤なアルバム・ジャケットも印象的でした。
ちなみに、しばたはつみさんが日本語でカバーした「はずみで抱いて」ってのもありましたが、原曲が素晴らしすぎましたからイマイチ企画倒れでした。

当時のトゥモローUSAはその店名と、日本一のダンスフロアー面積が売り物だったせいか、よく内外のタレントが遊びに来たりしてましたが、ちょっと面白いエピソードがひとつありますのでご紹介しましょう。

時間ももう既に10時を回って、早番出勤のお客様などは早々と退店された後、やや閑散とした店内でありました。
そんなDJブースの委員長の元へ地味なオバちゃんがやってきて、ジャクソンファイブの曲はあるかと聞いてきたのです。

「あることはあるけどかなり古いのしかないよ」

と答えると、オバちゃんは、

「何でも良いからかけて下さい」



うーん、弱ったオバちゃんだなと思いつつ、こんな時にこんな古い曲かけたらフロアはシラケルだろうなぁ、それでなくても客少ないのに、などとブツブツ独り言を言いながらレコードラックから取り出したアルバム「モータウンヒット全集」2枚組でした。
かなり年季の入ったレコードは、往年のモータウンヒットがぎっしりと詰まった博物館の骨董品のようなシロモノです。ジャケットはボロボロ、シングルジャケの写真が適当に散りばめてある、いわゆるオムニバス盤ですから、音源もあまりよくありません。

時々、大昔のステップ愛好家の歳喰ったねーちゃん、にーちゃんが来た時用の非常用でした。選曲を見るとジャクソン5はABCとさよならは言わないでの2曲の他、マイケルのベンのテーマ、アイルービーゼアなどが入っておりました。(ABC以外はスローですね)
こんなことなら自分のレコード持ってきたのになぁ、と思ったりしましたが選択の余地はありません。
仕方なく年季の入ったABCをプレーすると、案の定お客はパラパラと席に戻っていきます。
あーあ、だから言わんこっちゃない、とリクエストに来たオバちゃんを妬ましく思いつつも、こうなったら懐メロで攻めたろかいってなもんで、同LPから選曲していると、いつの間にかフロアにはさっきのオバちゃんとちょっと太めのスーツ姿の黒人がフロアで踊っているではありませんか。

へー、中々変わった芸風やね、と思いましたが、どうも黒人のオッサンの方は中々の紳士で、委員長がいつもお相手するようなGIとかミュージシャンという感じではありません。
うーん、黒人のインテリって感じだねこれは、だから古い曲が好きなんだろ、などと勝手な理屈で自分を言い聞かしながら、そんならこれもいけるだろうってことで、次はスティーヴィーの迷信・スーパーステーションをかけました。
スーパー・ステーションってすげぇ駅があるのかって、くだらないこと言ってる場合ではありません。フロアのオバちゃんと黒人のオッサンはスタスタとフロアを下りてしまいました。そしてオバちゃんはまたしてもリクエストにやってきたのです。

「ジャクソン5かけて下さい」(こりゃ相当のマニアだね)

「ごめんなさい、あとの曲は皆スローナンバーで踊れる曲がないんですよ」

「じゃあ、そのレコード見せて下さい」

えっ、レコード?見るの?
一瞬躊躇した委員長でしたが、こんな汚いレコード見たらあきらめるだろうと思ってレコードをジャケットごとオバちゃんに手渡しました。
するとオバちゃん、レコードを手に持ってスタスタと自分のテーブルに行くではありませんか。(こらこらどないするんじゃい)

あーあ、何か変な客に当たっちゃったなぁ、みたいな目が点になった委員長。
しばらくするとオバちゃんレコードを戻してきて、今度はブースの裏手から中に乗り込んできました。(こらこら勝手に入ったらあかんがな)

「あの、ジャクソン5が来ているんです」(突然何を言い出すのでしょうかこのオバちゃん)

「えっ?どっかでコンサートでもあったんですか?」

「いえそうじゃなくて、ここに来てるんです」

「えっ?ここに?」(どこにおるんじゃい!)

「はい、ちょっと紹介していただけませんか」

「しょ、紹介って、どうすれば良いんですか」

「ですから、マイクで言ってあげて下さい」

弱っちゃったなぁ、誰だよこんな変なバーさん連れてきたヤツは~。

「この人です」と言ってオバちゃんはレコジャケの写真、ジャクソンファイブの集合写真の一番後ろに立っている大男を指差しました。

「これってドラムのティトでしょ?」

やっと解ってもらえたというような安堵の表情を浮かべたオバちゃん、
「そうです、そのティトさんが来ているんです」

ようやく委員長の頭のランプがチャイムを鳴らして点灯しました。ピンポーン!

あの品の良い黒人のオッサンがティト・ジャクソンだったのです。

「えー、今夜はなんと、あのジャクソンファイブのメンバー、ティト・ジャクソンさんがトゥモローUSAにお見えになっています」
委員長がば~ん!とアナウンスを入れます。
照明係の本○君が再びジャクソン5のABCを回します。

客席からスーツ姿の黒人、さっきのオッサンがフロアに現れました。
照明が煌びやかに輝く中、ちょいと太めのティトが踊りながらフロアで客席に向かって手を振っています。
場内からはパラパラと拍手が巻き起こりました。
だだっ広いフロアにぽつんと立ったままのティト・ジャクソン、フロアの対角線上に交差する七色の照明、空ろな表情の委員長。(どう収拾したら良いのでしょう)
しかし、そこは何と言っても苦労人の委員長です。早速フロアに出て行って握手を求め、更にボロボロのモータウンオムニバス(ビクターレコード社製)にサインを頂きました。
ジェスチャーで彼を客席に戻すフリと客席に拍手を求める委員長。
またも客席からはパラパラと拍手が閑散としたホールに鳴り響き、黒人音楽の歴史的なグループの元リーダー、ティト・ジャクソンは満足気に自分のテーブルへと引き上げて行ったのでした。

ブースに戻ってナイスフォローの照明係本○君に礼を言うと、
「いくらなんでもこれじゃ可哀想だったよね」とポツリ一言。
せめてジャクソンズのジャケにすれば良かったかなぁと反省しましたが、すでに現役引退している彼には失礼だろうなぁ、などと大きなお世話や心配をしましたが、人知れず店を去っていたお二人でした。

「一体なんだったんだろうね」と問いかけてきた照明野郎の本○君。
彼は生粋の裏方職人。しかも親父と二代続く舞台照明のプロでしたから、ステージの演者さんの気持ちが非常によく解る人でした。歳は委員長と同じでしたが、中々根性の入った職人志向のタフなヤツでした。
せっかくですから明日は彼のお話をしますね。





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最終更新日  2005年10月22日 22時47分30秒
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