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2005年10月26日
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この頃、地方都市でもディスコブームは浸透し始めており、企画や営業に関する相談事もよく持ち込まれました。
石川県金沢のバナナビーチへ派遣したトモミは十分期待に応えてくれ、エスメラルダの信用も付き、近日オープンする姉妹店の面倒も頼まれました。
更に茨城県日立市にオープンする「ピント」というディスコからも依頼があり、開業準備から携わることになりました。

この「ピント」というお店は、ある輸入業者が並行輸入で仕入れたディスコ機材を販売しながらフランチャイズを狙っていたもので、すでに茨城県では水戸市に1軒開業しておりました。その肝心な機材というのが、映画「サタデーナイトフィーバー」の舞台となったディスコで使用されたそのままの機材というのが謳い文句で、田舎のオーナーを相手にした格好の商売といえそうでした。照明といっても天井からつるした円形スポットが回転するだけの、さほど目新しいものでもなく、確かに映画の中で使われているものと同様でしたが、肝心な床下照明もなく、DJブース機材とセット販売されていることが唯一のセールスポイントでした。素人ではこれらの機材を揃えるには専門家のアドバイスが必要ですし、参考となる店舗も近くにありませんからコスト的にリーズナブルな価格のセットは重宝されたのでしょう。

ということで、今回は開業から立ち会うという話でしたので、社長のジュリー自ら委員長とヒロシを伴って茨城県日立市へ乗り込みました。
上野駅から常磐線に揺られてたどり着いた日立駅は、田園風景が広がるとてつもない田舎でした。
駅名からも解るように、ここは日立製作所が作った街であり、すべてがこの工場によって成り立っている土地でした。
依頼主の日立ピントの専務の車で10分ほど走ると、商店街らしきものが見えてきました。まるで砂漠の中の街といった感じです。

その商店街の中央に立つ雑居ビルの地下が日立「ピント」でした。

未だ改装が終わっていない店内に入ると、件の業者が照明器具の取り付けや、DJブースの中のシステムの取り付け工事を行っていました。
まず委員長たち一行はDJブースを覗き込み、機材を見せてもらいました。
中央にミキサーがあり左右にターンテーブル、ポジションは通常のDJブースですが、ミキサーがちょっと変わっていました。
フェーダーが横一文字になっており、左右に動かすことでターンテーブルの音源をクロスオーバーさせるという横型フェーダーでした。フェーダーを中央の位置に持ってくると、左右の音源が半々に被ります。
更にターンテーブルとこのフェーダーはユニットになっており、フェーダーの上にはインディケーター、その上ミキサーの中央からはマイクが1本突き出ています。
ジュリーはじめ委員長やヒロシも初めて見るタイプの機材にちょっと戸惑いました。
特にジュリーや委員長は古いタイプのDJでしたから、所謂「ツナギ」をさほど重要視していませんでしたので大変陳腐なシステムに見えました。

取り付け作業を行っていたシステム販売業者の社長にジュリーが紹介され、ここは未だ取り付けが完了していないので、先ごろオープンした水戸店を見て欲しいということになりました。上野駅から電車に揺られてようやく辿り着いた目的地から、再び業者の車に乗せられて小一時間ほどかけて水戸ピントへと出向きました。
日立に比べて地方都市としては十分に大きな町で、ディスコもそれなりにお客が入っておりました。
システム自体は無難なそれなりのもので特別目を引くものでもありませんでした。


こじんまりとした地方都市のディスコですから、音がどうした、照明がどうしたというほどのモノでもありませんが、俺らはディスコのプロだぜ、といった得意のハッタリでした。
おかげで業者さんたちに置き去りにされてしまった委員長達一行は、またしても電車に乗って日立まで戻ることになってしまったのです。(やれやれ)

午後9時を過ぎると一斉に店じまいしてしまう水戸の商店街はしんと鎮まり返っていて、
なんとか閉店間際の蕎麦屋で暖かい蕎麦を啜って一息つきましたが、なんの因果でこんな寂しい木枯らしの吹く寒空の水戸駅でドンコウ列車を待たねばならないのか、新宿のディスコで華々しく活躍する花形DJ(笑)二人は凍てつく水戸駅で白い溜息を吐いたのでした。

「おい、ヒロシ、電車来るのか?」



「お前ちょっと時刻表見て来いよ」

「何か懐かしいな、田舎思い出しますよ。ボクもこの常磐線で仙台から東京に来たんですから」

「そんなとこで雰囲気出してんじゃねぇよ。このままじゃ三人とも凍え死ぬぞ」

秋とはいえ、夜の茨城はもうすでに冬そのもので、三人はようやくやってきた鈍行に乗って日立駅へと戻って行きました。

かくして日立ピントはDJ派遣と企画を任されることになり、1年契約のおいしい仕事にありつきました。
東京に戻ったエスメラルダ幹部は早速、一番の問題である誰を送るかの人材選定に入ったのでした。
余談ですが、この「ピント」のフランチャイズ構想は残念ながら水戸と日立の二店舗で打ち切りとなりました。
このシステム販売業者さんは茨城県のパチンコ業界オーナーを狙っていたようですが、乗ってきたのは二社だけだったようです。
ちなみにこの二社ともに地元ではちょっとした名士で、パチンコ屋、レストラン、喫茶店等など手広く商売をされていた在日の方々でした。

しかし、さんざっぱらバカにしたこのディスク・システムですが、後年スクラッチの流行でこの横型フェーダーが一般的になっていくとは、この時のジュリーも委員長もまったく想像が付きませんでしたね。ってことは、このあたりの時代からすでに委員長達の感性はズレ始めていたのかもしれません。

さてこうして地方都市のおいしい仕事をセコセコとこなしている間に、都内でも相当な動きが出始めていました。
まずはハローホリデーを何故かチェングがハコ取りして、委員長との裏取引で当時エスメラルダの見習いだったマモルを送り込みました。
続いて上野スパングルのオープン。
ここは花見とホリを行かせて、後にM島を送りました。
赤坂シンデレラも手中に収め、続けて新宿シンデレラも取りました。
ちなみにこの頃の赤坂シンデレラには委員長の戦友テリーがいたらしいのですが、エスメラルダがハコ取りした時には既に戦死していたようです。(合掌)
ここは中村マーちゃんからリト、そしてモリへと引き継がれていきました。
新宿の方はサム岡田が入りました。
そして更なるハコ取りはB&Bへと続いて行きます。
(はっきり言って時期的な記憶が曖昧なので多少のズレはあるかもしれません)
そしてこのB&Bが新宿DJ戦争仁義なき戦いの火種となったのです。





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最終更新日  2005年10月26日 06時47分18秒
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