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2005年10月29日
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企画事務所エスメラルダの初めてのDJ派遣として、当時ワンプラスワンにいたトモミが飛びました。
期待通りの仕事をこなしてくれたトモミですが、当初の約束3ヶ月が過ぎても中々後任が見つからず、だらだらとひと月が経ち、ふた月が経ちするうちに彼の苛立ちも限界に来て、仕方なく間に合わせにサム岡田を送ることになりました。
ところがこのサム岡田がとんでもない不始末をしでかしてしまい、その償いも含めエスメラルダを代表する委員長が出張ることとなったのでした。

当時の金沢ではこのバナナビーチは異常なほどの盛況振りで、ライブコンサートなどでこの地を訪れた大物アーティストの方々なども必ず顔を出すといったような、地元では大変人気のあるプレイングスポットでした。
また、地方都市では東京に少なからず憧れやコンプレックスのようなものがありますから、東京からやってきたDJが人気者にならぬはずがありません。
もちろん東京から来たといってもそれが東京人であるかどうかは別問題で、その雰囲気に夢見る若者が多かったってことだけです。
その東京ですら地方人の集合体ですから、一体何を持って都会というのか難しいところですが、まあいつの時代でも若者は未知の世界に憧れるものです。

トモミの後釜が見つかるまでという約束でイヤイヤ飛ばされたサム岡田でしたが、なんとこいつは店の従業員と出来てしまい、しかも東京に連れて来てしまったものですからジュリーの逆鱗に触れたのは言うまでもありません。

当事者はお互い軽い気持ちで合い通じたのでしょうが、こちらとしてみればスポンサーの信頼を失墜させる一大事です。
結局のところ彼女が抱いていた夢の東京生活も、サム岡田のだらしなさを目の当たりにして一週間も持たず喧嘩別れの後、彼女は金沢に戻りお店にもそのまま復帰しました。

かくして、この落とし前は責任者の委員長が出張って行って直々にお詫びするしかないだろうということになったのでした。
と同時に、この頃バナナビーチのあるビルの地階に姉妹店として大人向けの「つなぎ」専門のディスコがオープンしたということもあり、ゲストDJ&ダンサーということで委員長が無料奉仕にお伺いいたしますという話になったのでした。

小松空港に降り立った委員長を出迎えてくれたのは新米DJ○弘君でした。
彼は高田馬場リチャード三世で実施していたブル渡辺講師のDJ教室を優秀な成績で卒業し(笑)、見事ここ金沢でDJデビューを果たした大学生でした。
そしてもう一人バナナビーチのオリジナルDJのXX君が、自分の車を運転してはるばるやってきてくれていました。

霙の降る小松空港からXX君の軽自動車に乗りこんだ委員長は、車中で○弘から店の状況や金沢の土地柄などを聞かされましたが、目の前を過ぎゆく景色はどんよりと暗く、いつになく不安な気持ちに苛まれました。
委員長は金沢到着と同時に関○部長にサム岡田の一件を詫び、新たにオープンした姉妹店の派遣DJが決まるまでの間、両店のお手伝いをさせて頂くということで何とか丸く収めて頂きました。

この関○部長という人は、バナナビーチがオープンした頃のマネージャーだったのですが、当時出演していたフィリッピンバンドのメンバーが急病で倒れた際に、音楽の心得があったことからメンバーのトラを務め、以後バンドとマネージャーを兼務したという中々異色な才能の持ち主でした。
そんな才能を会社に買われてバナナビーチ店長となり、そしてこの第二次ディスコブームを契機にして部長に昇格、姉妹店のオープンとなったというような経緯でした。


当時はやはりスタジオ54から始まった「つなぎ」という新しいタイプのDJスタイルに皆が関心を持っており、関○部長も自身がチャレンジすると共に若手の育成にも力を入れておりました。そこで紹介された関○部長の秘蔵っ子がモンチ田中でした。
まさしくモンチッチ、小柄のお猿さんというような風貌の彼は何故かすでに委員長の名前だけは知っており、初対面ながら先輩として立ててくれたその態度に好感を持ちました。
関○部長も「彼はルックスはペケだけど音楽性が優れているから、裏方つなぎ向きだね」と彼の評価を付け加えてくれたりしました。
まさかこの彼が後に東京で一旗上げるとは、この時の委員長には想像もつきませんでした。まわりの従業員にも陰口でサル、サルと呼ばれていた彼は、何だか豊臣秀吉のようでしたね。(笑)

その晩は取りあえず社員寮に泊まることになった委員長、その寮として使われていたアパートに行って驚きました。

アパート自体はモルタル造りとはいえ中々しっかりとした建物だったのですが、部屋の中に入った途端に北陸の冬の夜は委員長の体を凍りつかせました。
異常に高く積み上げられた綿布団が一組ぽつんとある四畳半に通された委員長、空港まで迎えに来てくれたXX君が親切にも小さな電気ストーブを運んで来てくれましたが、もうすでに手足の先は凍りついておりました。
更に後輩の○弘が追い討ちをかけます。

「明け方は異常に寒くなりますから、ストーブはつけっぱなしにしておいた方が良いですよ」(凍死するのか?)

「お前もここに住んでんのか?」

「いやぁ、ボクはちょっと・・・・、あの彼女ができたもんで・・・」

あー、そーかい。こんな牢獄のような部屋でオレ一人寝かせようってのかい。
などと心の中で八つ当たりしても仕方ありません。
委員長の殺気をそれとなく察知した○弘君、恐る恐る委員長に尋ねました。

「そうっすよね。ロニーさんじゃ、ここには住めませんよね。取りあえず今夜はボクんトコへ来ますか?」

「別にオレはどんなとこでも住める男だけど、寒いのだけはダメなんだよな。とにかくもう一度街まで連れてってくれる?」

ということで、委員長は片町に引き返して店の近くの金沢プリンスホテルにチェックインしました。まさかホテルに泊まるとは思ってもいませんでしたから、フロントで滞在日程を聞かれたものの返答に困ってしまい、取りあえず2日、あとは状況によって変わります、と説明すると「それでは2日分前金でお願い致します」と言われ、なけなしのお小遣いを支払いました。

やれやれって感じで、早速C子に電話して至急に金を送ってもらうことにしましたが、どうもホテル側は委員長を胡散臭い客と思っているような感じでした。
金沢到着初日から北陸の厳しさを体験した委員長、この前後のビータ(旅)が南方系の暖かい仕事だったせいか特別にそう感じたのかもしれません。
慌しい一日が終わり、ようやくホテルで落ち着くと今度は空腹感が襲ってきます。
何か食い物はないかフロントに電話すると、「館内の食堂はすでに閉店しております」とちょっと訛りのある職員のそっけない返事。
それじゃ仕方ないから外で食うか、ってことで外出しようとするとフロントの職員がジロっと委員長を睨んで「カギをお預かりします」と事務的対応。

「この近くで食事できるところありますか?」

「さあ、商店街は9時でほとんど閉まりますから」

と、またもそっけない態度。

外に出てまたまた驚きです。
本当にホテルの従業員が言うように、街は暗く静まり返っています。
横丁の裏通りに提灯がいくつか見えたので路地裏に入ると、バーだかスナックだか数店が営業していましたが、委員長はあまり酒が飲める方ではないし仮に入っても食べ物が無かった日には泣きっ面に蜂です。
とにかくお腹を満たす食べ物を口に入れないことには寝付けませんから、更にあたりをウロつくと冷たい夜の路地裏から暖かそうな湯気の気配。
ラーメン屋が一軒委員長においでおいでをしています。
Oh、神様!
店内は非常に混み合っていて、きっと委員長のように9時までに夕飯を取りそこなった奴らがやってきているのだろうと妙に納得して、早速チャーハンと餃子を頼んでパクつきました。
しかし、満員の店内の客はみな一様に静かに食べ物を口に運んでいます。
そういえば今日は朝からメシ喰ってなかったなぁ、としみじみと噛みしめながら暖かいチャーハンをむさぼる委員長でした。

小さなラーメン屋は旦那と奥さんの二人で切り盛りしているようで、カウンターの中でせっせと料理を作る旦那さんと忙しく動き回る女将さん、そしてただひたすら黙々と食べる客たち。北国のラーメン屋ってのはこんなもんなのかなぁなどと思いつつも、これでようやく眠れそうだな、と満腹の委員長は席を立ってカウンターの中の女将さんに千円札を渡しました。確か5~6百円だったと思いますが、無愛想に札を受け取った女将さんはどんぶりを片付けたり、コップを洗ったりして中々おつりを用意してくれません。
そのうちにテーブルのお客からオーダーの声が掛かったりして、相変わらず委員長のおつりは無視されています。
どうやらこれは、旅人はチップを置くのが当たり前と言っているのだと理解し、委員長はそのまま店を出ることにしました。
店を出て門戸を閉め終わるまで、とうとう委員長の背後から「ありがとうございました」の声は聞こえませんでした。

寒い国の人は体力を消耗させないように言葉はできるだけ喋らない、とどこかで聞いたような気がしましたが、まさにこのことだったのかと納得した委員長、ホテルに帰ってフロントでキーを受け取りましたが、ここでも「お帰りなさい」とか「おやすみなさい」とかの声は聞けませんでした。

北陸の皆様にとってこれは偏見かもしれませんが、委員長が二十数年前に体験した実話ですのでご不快に思われた方は何卒ご容赦下さい。
それでも、昼間訪れた兼六園と武家屋敷は大変趣があり、日本の歴史を生きたままこの目で見たという感じでした。
あれから二十年以上が経ちますが、日本の歴史遺産がそのまま次世代にも受け継がれていくことを祈っております。





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最終更新日  2005年10月29日 11時55分53秒
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