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2005年11月17日
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リトの通っていた上智大学の卒業が決まり、いよいよ就職の準備に入るということでした。すでに内諾を受けている会社があり、五月から正社員として働き始めるので四月一杯でDJは辞めるということでした。
こうしてリトも手堅くきちんと自分の人生を歩み出していました。
回りの人間が着実に自分の人生、生活を築いていっているというのに、自分は相変わらずのボヘミアン生活を続けていて、目標すら持てずにいる苛立ちや焦りがつのるばかりの委員長でした。
それでもまた夜が来て、ターンテーブルにレコードを乗せればいつもの一日が始まってしまい、いつものように流されていってしまうだけのことでした。

赤坂シンデレラには専属のダンサーというのがいて、毎週土曜日にショータイムがありました。
専属といっても、リーダーのヒロシ(またヒロシかよ)という大柄の男の子がダンサーとして働いているだけで、後のメンバーは常連とか身内とかが道楽で集まってきてやっているようなダンサーズでした。
これも縁を辿ると、その昔委員長がトゥモローUSAで踊りを教えたカズヤという子が始めたショーだったようで、そのメンバーの中にはロニーという偶像を崇めるような子らもいて、失意の真っ只中にいる委員中にとっては追い討ちをかけられるような気分でした。

ダンサーズのショーはそれなりのFUNKYモノでありましたが、もうその時代はサーファー・ファッション全盛でしたのでちょっとかわいそうな感じはしました。

KOOL & The Gangもレディースナイト以降はおしゃれになってしまいましたし、クインシー・ファミリーの台頭もあって、従来のFUNKとは一味違った音楽となりつつありました。
そしてサーファーといえばやはりソーラー・レーベルでしょうね。
ウィスパーズの AND BEAT GOES ONなんてのは異常に人気が高かったですね。
「そしてビートは流れいく」みたいな感じですか。
玉置ヒロシの司会(知らねぇだろうな)みたいなタイトルですが、シャラマーとかダイナスティーとかちょっとポップな軽めのファンキーって感じが受けたんでしょうね。

あとはレイ・パーカーですね。この人はデビュー当時からユニークだったんですけど、やはり時流に乗った音創りで白人迎合路線でした。
カーティス・ブロウなんてのもいましたね。「おしゃべりカーティス」ってもの凄いセンスの邦題ですね。ラップはおしゃべりなんでしょうか。

Crap your hands everybody~ って出だしがウケました。
Break down, break down, break down! って煽っていくヤツですね。

ラップで言えばやっぱりシュガーヒルギャングが相当に知名度がありました。
委員長の頃だと「8th Wonder」かな。エイス・ワンダーって発音が洗剤の名前みたいで変だった覚えがあります。

ちなみにクインシーはルーファスのドラマー、ジョン・ロビンソンがお気に入りでしたね。

「愛のコリーダ」はもう完全に客寄せの餌になりきっていたし、KGの「セレブレーション」、SOSバンドのテイクユアタイムとかチェンジのパラダイスなんてのも使えました。
とは言うものの、サファー系とでも言うのでしょうか、ROCKも結構使っていました。
代表選手はドゥビーのWhat a fool believes でしょうね。これ聞くと、なんかサーファーって感じがします。よく意味は判りませんが、マイケル・マクドナルドのファルセットとあの軽いリズムが海っぽいんですかね。(よくわかんねーぞ)
ちょっと異色といえばポリスの「The voices of inside my head」とかトーキングヘッズなんてのも興味深くて面白かったですね。

スローで言うとカラパナなんかが南国っぽくて良かったですね。

委員長は個人的にBOZのバックをしていた頃のTOTOなんかが好きでした。
ポーカロ兄弟とスティーブ・ルカサーは当時の音楽シーンでは色々なジャンルのミュージシャンに影響を与えたのではないかと思います。
委員長は1980年10月武道館で行われたBOZの日本公演を見に行ったんですが、あまりにもROCK‘N ROLL過ぎて期待はずれだったという記憶があります。
やはりLOW DOWNとかHARD TIMESとかタイトな音を期待して見にいったのに、いきなりBreakdown Dead Aheadでぶっちぎって、リドシャッフルとかでしたからちょっとがっかりでした。
ファッションも赤のウィンドブレーカーに白のコットンパンツでしたからね。
シルクディグリーズやミドルマンのジャケットみたいな印象があったので、あれっ、て感じでした。
それでも名曲ハーバーライトには泣かされまました。
「東京ローズを母に持ち~」って出だしで目頭が熱くなりました。(母子家庭育ちにはぐっとくるものがありましたね)

どっちにしても、委員長がお相手していたお客様はすでに5歳以上の年齢の開きがありましたから、もうこの頃はムキになってFUNK論を振りかざしたりはしませんでした。
この歳になってようやくDJという本来の仕事に納得したといったところでしょかね。
自分が踊らなくなったっていうのもあるのでしょうが、踊らせることや、音楽の傾向を引っ張っていくっていうことに専念できた時代でもあります。
委員長にしてみれば、愛のコリーダとカメオが同じサークルで囲まれたりすることに抵抗はありましたが、今更爺の屁理屈をこねたところで感性が違うのですから、それはそれで良いのかな等と思えるようになったそんな自分自身に驚いた反面、つまり熱意が無くなったってことを悟るに至ったわけでもありました。
(道楽というものはムキになれなくなったらお終いですね)

店に居る間は音楽に浸かっているからそれはそれで楽しいのですが、閉店とともに虚しさと不安はやってきます。またウォークマンを聞きながらヘトヘトになって疲れるまで歩き回って寝る。起きたら仕事。そんな日々を繰り返していましたが、リトが辞めて後釜に後輩のユウジを入れたことで、赤坂に再びバカが集まり出してしまいました。
馬鹿野郎軍団始末記最終章の始まりです。
そしてそれは委員長の突っ走ってきた過去のツケの清算の始まりでもあり、それは一気にやってきた道楽者の最後のあがきでもあったのです。





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最終更新日  2005年11月17日 06時43分38秒
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