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2005年11月16日
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タイトルTUNEになる「スターティング・オーバー」は、皮肉にもジョンとヨーコが新たな人生の局面を迎えた記念すべき曲でした。
そしてこの曲は委員長の胸にもずしりと響くメッセージでもありました。

Starting Over!

一体何から始めたら良いものか、どこから手を付けたら良いものなのか。
そして自分はどこに行けば良いのか。
失ったものの大きさを嘆くよりも、先の見えない辛さの方が精神的には堪えます。
たとえ身の回りの全てを失ったとしても、眼の先に光るものさえ見えていれば、またそれに向かってスタートを切れますが、行き先がないというのは本当に辛いものです。

赤坂シンデレラの仕事は可もなく不可もなく、過去の委員長の派手な経歴に比べればどちらかというと地味な生活でした。

この時はリトが親身になって面倒を見てくれたおかげで、週のうちの大半は彼の代々木のアパートに転がり込ませてもらいました。
いや~持つべきものは友ってよく言いましたよね。でも実はこれにもリトの複雑な理由があってのことだったのですが、この話はまた後でしますね。
あとはシンジやユウジのアパートに押しかけては寝泊りするという、まるでボヘミアンのような生活でした。

どうにも行くあてがなくなった場合は、年老いた母親の住むアパートにも時々は厄介になったりしましたが、まさか深夜とか明け方に帰るわけにもいかず、どうしても行き場のない時はギターを抱えて近くの公園で時間を潰したりしました。
いい年コイてしょうもない放蕩息子がまた帰ってきたみたいな感じですか。
たぶんご近所ではそんな風に思われていたのではないでしょうか。

とにかくこの時の委員長は本当に失意のどん底にいましたから、「こんな暮らしが今のオレにはお似合いさ」みたいな半ばふて腐れた精神状態で、恥も外聞もなくとことん落ち込んでやろうとも思ったりしていました。
深夜2時に仕事が終わってからウォークマンを聞きながら、テクテクと歩いて深夜の東京を徘徊したり、地下鉄のホームに入りこんでギターを弾いたりと、一歩間違えるとホームレスのような暮らしでした。

I LOVE TOKYO

それにしても東京の夜はやっぱり委員長にとっての癒しでした。

夜の青山通りは特に綺麗でしたね。


新宿の高層ビル群の中も良かったです。
ビルとビルの間を、春の香りを乗せて吹き抜けていく風に煽られながら聞いたクルセイダースも最高でした。ジョー・サンプルのピアノはやはり都会にフィットしてましたね。

代々木公園で見たSUN RISEも美しかった。
映画ロッキーに出てくるあの名場面、フィラデルフィアの夜明けのような感じでした。
原宿表参道から千代田線代々木上原にかけて歩きながら、約1時間ほどナベサダとディブ・グルーシンのライブ・アルバムに聞き入ってしまった記憶があります。


そして地元世田谷の自分が育った街を歩いたとき、そこには素のままの自分がいました。ようやく帰ってきた故郷のようでした。ここには自分の歴史、ルーツがあります。
なぜこんな自分になってしまったのかわかりませんが、ごくありふれた街でありふれた悲しみを抱いて育ち、背伸びばかりしていた悪ガキはありふれた毎日に嫌気がさして家を飛び出し、ありふれた夢を追いかけ、時にはありふれた過ちを犯し、時にはありふれた栄光も手にし、そして今、ごくありふれた人生につまづいていたのでした。

ダウンタウンならず者懺悔(宇崎竜童事務所無届無許可掲載)

オレがこの街に住み着いたのは
あれはほんのガキの頃だったぜ
縁日、ベーゴマ、自転車泥棒、
まったく手のつけられないガキだったぜ

人に後ろ指を指されちゃならネェと
親父の言葉を背中に聞いて
学校飛び出しゴロ捲いてたっけ
あんときゃ若さの意味すら知らなかったぜ

可愛い女が好みのタイプだと
きいたセリフで騙しちゃ捨てた
裏切り、やさしさ、ただそん時だけ
一度はどこかで詫びたいヤツばかり

オレが信じ続けた誇りとやらは
束にしたって二束三文さ
いきがってばかりで満たされないのは
馬鹿な悲しみ重ね過ぎたせいか


まさにここからが委員長にとっての懺悔の日々の始まりでした。
今まで傲慢に、奔放に、好き勝手に生きてきた見返りは、きちんとそのままの形で自分の目の前に現れ、逃げることもできず、ただ受け止めるだけの毎日が始まって行ったのです。
今まで自分が見過しにしてきた人のやさしさや、ないがしろにしてきた人の思いやりといったものを、身を持って学ぶ時期だったのでしょう。





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最終更新日  2005年11月16日 07時16分12秒
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