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2006年01月12日
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正確に言うと、国立淡島総合病院の一室で母体からこの世に現れました。
当時の記憶はかなり漠然とはしておりますが、4歳あたりからのいくつかのシーンが今もしっかりと脳裏に焼きついております。

意識が芽生え始めた頃、私は井の頭線の池の上という駅前にあった2階建ての家で暮らしておりました。
池ノ上駅の下北沢寄り踏み切りの真ん前、東北沢から淡島通りに抜ける駅前商店街、当然、現在もその跡地には建物が立っており、道路を挟んだ反対側には「佐久間葬儀店」が昔のまま残っているようです。
この佐久間葬儀社の息子と私は同い年で、我家の裏手にあった古材木置き場で遊んだ覚えがあります。

踏み切りを渡って線路沿いに進むと池の上小学校があり、正門へ続く小道に「金鳥」という駄菓子屋がありました。
お店は二軒並んでいて、向かって右側が駄菓子屋、左手が文房具屋と分かれていて、学校帰りの子供達の溜まり場でした。
その頃の近所の遊び友達といえば、佐久間葬儀社の倅、その隣の床屋の倅、我家の隣で反物を扱っていた家の倅、駅前のすし屋の倅、踏切を越えた乾物屋の倅などでした。

今でもそうですが隣駅の下北沢には立派な商店街がありますから、当時池ノ上駅前は猫の額ほどの商店街でしかありませんでした。

私の家は祖父が一代で起こした運送業を営んでおり、門前には荷物を置く広い土間があり、時々そこには炭俵が高く積み上げられていておりました。
というのも、その頃すでに祖父は他界しており、運送業は廃業、土間はそういった業者さんに場所を貸していたようです。
しかし、こんな物心付くか付かないうちでもすでに子供社会のヒエラルキーは形成されており、もちろんこれは力関係で明確な序列が出来上がっているわけです。
私達のグループでは、まずひとつだけ歳が上だった反物屋の倅が気性も荒く手が早かったせいか、みな一目置く存在でした。
そして何故か次が私で、私の場合は力関係というよりは遊びに対するその発想力や先導性のようなものが評価されていたようです。

一度、私はこれら鼻たれグループを扇動して、井の頭線の線路脇を歩いて鉄橋を見に出かけたことがありました。
残念ながらご近所のオバちゃんの通報により、血の気の失せた青鬼のような形相の父母連の追っ手が入り、志半ばで連れ戻されてしまう結果となりましたが、当時の私はいつも目にしていた下北沢茶沢通りにかかっている鉄橋を、この足で歩いて渡ってみたいという
夢に突き動かされ、その話に目を輝かせた鼻タレ軍団を率いて先頭を行ったのでした。
当然、各自が家に連れ戻されるや否や頭といわず尻といわず殴られ、ある者は大人の拳ほどもあるお灸を据えられるというような、厳しいお仕置きを受けたことは言うまでもありません。

そんな当時の商店街小僧達のパラダイスはなんといっても渋谷でした。

もちろんメインスポットは玩具売り場、次に屋上にある遊園地、締めくくりは最上階にあったお好み食堂のお子様ランチが鼻タレ小僧のフルコースでありました。

都内の電鉄駅はどこも随分と様変わりしましたが、井の頭線渋谷駅だけは今も当時の面影が多少残っています。
改札をでて左手の窓からセンター街ビルの上に電光掲示板が見え、切符売り場で券を買う間ここで待たされる子供はみな小さな窓ガラスから電飾文字や絵が動くのを覗いていました。

デパートという言葉に郷愁とほのかな憧れを未だ持ち続ける私は、あのエスカレーターに乗って売り場を巡った子供のころの興奮は潜在的に私の中で確実に生きています。
「おでかけ」という言葉の響きも良いですね。


渋谷駅といえばハチ公像です。
あのあたりもレイアウトは随分と変わりましたが、雰囲気的には当時の面影を引きずっているように思えます。
まあ一番様変わりしたのは道玄坂あたりでしょう。
昔は百軒店(ヒャッケンダナ)と呼ばれるテント村みたいな一角があって、ここらは駅前のモダンな雰囲気とは別に終戦後の闇市の影を引きずる雰囲気がありました。
回りには空き地もたくさんあったし、駅前を外れると閑散とした住宅地みたいな感じでした。このあたりは確か昭和50年頃まで残っていて、不良が吊るしのコンポラとかヨウラン(丈の長い背広)などを買いに来ていました。
当時はまだ不良のヒーロー安藤組の伝説が、不良の間では憧憬を持って語り継がれていましたから、このあたりを徘徊することで一丁前の不良を気取るバカが沢山おりました。

ちなみに私の祖父母は戦前戦後にかけて、運送業の傍らこのあたりで焼き鳥屋を営んでいたこともあり、闇市時代の話は多少耳にしたこともあります。
ご近所の娘さんがヤクザに憬れてズベ公のグループに入ってしまい、足抜けが出来ず親御さんに請われて祖父が話をつけに行ったこととか、後年は安藤組の若い衆が店によく出入りしていたことなどを聞いた覚えがあります。

まあ、とにかく私の中では渋谷は特別に思い入れの深い町です。
思春期には新宿の方に入りびたりとなりましたが、渋谷は心の奥底に流れる故郷のような気がしてなりません。
旧国鉄(今のJRですね)のガード下を渡って井の頭線乗り場に続く階段の下には、不二家があって、ぺこちゃん、ぽこちゃんの人形の前でえんぴつチョコやパラソルチョコを買ってもらうのが帰路最後のおねだりでした。
当時、ガード下には傷痍軍人がアコーディオンを引いてたり、ゴザ敷きのテキヤさんなども居て、公衆便所から漂ってくるアンモニア臭など、まだまだ胡散臭い街並みでした。
そんな渋谷の町に燦然と輝く希望の星が東横百貨店と不二家で、幼い子供の目には憬れの地、そこはまさに異国でした。
今も忘れない東横デパート玩具売り場で見たブリキ製の宇宙探検ロボットが欲しかった。
銀色に塗装されたコルト45も欲しかった。
拳銃無宿のショットガンも欲しかった。
ララミー牧場のウィンチェスターも欲しかった。
ライフルマンのライフルも欲しかった。
ローハイドの・・・・・・。





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最終更新日  2006年01月12日 09時50分40秒
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