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2006年04月08日
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しかしまあ、よくこれだけ次から次へとアホネタが出てきたものです。
ただ不思議なもので、ふと思い出す当時のシーンはかなり鮮明なビジュアルで甦ってくるんですね。精神的にも当時のままの状態が一瞬にして飛び込んでくる。
ただ、さすがに時代の脈略がないというか、断片的にフラッシュバックしてるようなもので、前後の辻褄とか、その当時の背景なんかは結構曖昧ですね。
その瞬間のシーンだけがリアルな映像として記憶に残っているみたいな(笑)

ということで、今日は私と「FUNKY STUFF」の出会いについての回想です。
確か1972年の夏頃だったと思うのですが、当時踊り場でもいっぱしの顔を売り始めていた頃のことです。
馬鹿の集まりマタンキ団というのがありまして、そのメンバーの一人に立川在住の石坂という小柄な少年がおりました。
彼は高校生バンドのメンバーでベースを弾いており、私が少なからず音楽的な影響を受けた友達の一人でありました。

店の名前もすっかり忘れましたが、松坂屋の裏手にあった二階建ての喫茶店というかスナックというか、店の中央にステージがあって、毎日2~3バンドが出演しておりました。

踊り場とはまたちょっと違った感じで、バンド演奏を聞くということがメインのお店でした。
当日は、その夏マタンキ団が遊びに行った新島で知り合った御茶ノ水界隈の女子高校生と待ち合わせなんぞをして、みな意気揚々と銀座に繰り出したのでした。
まあ所詮新宿がメインの不良少年達ですから、彼女等にしてみればそこはそれやはりイマイチ垢抜けない不良少年グループみたいなもので、テキトウに相手されたような感じだったワケですが、普段あまり見たことも触ったこともないようなカワイコちゃんグループにみな目が血走って、思いっきり背伸びして出かけたのでした。

私はいつもながらのコンポラでしたが、他の奴らは何を血迷ったのかアイビーというかトラッドというか、えーとこのボンみたいなカッコして現れたのには大笑いでした。
所詮は川崎の生田の土建屋の息子とか、高田馬場の商店街で煙草屋を営む家の倅とか、向丘遊園のフツーのサラリーマンの倅みたいな奴らですから、恰好だけはそれなりでも額には剃りこみ後から飛び出した間抜けな槍毛がイモにーちゃん丸出しを物語っていたのです。

とまあ、ちょっとした集団見合いみたいなものだったのですが、当然店の前で会った途端に「お呼びでない」状態で、マタンキ野郎達は必死こいてアプローチするのですが、何を言ってもねーちゃん同士が顔見合わせてクスクス笑うばかりで、相手にされていないことも悟れず往生際の悪いアホ野郎たちでした。

そんなこんなで会場で和気藹々(って野郎たちだけで喜んでたんですが)で2階席に陣取り、石坂君の出番を待ったのでした。
石坂君のバンドは3人編成で、ギター、ドラム、ベースのトリオでした。
バンド名は「レッドゾーン」。赤道?みたいな感じですか。
レパートリーは当時不良少年の人気を一気にさらったキャロルの「ルイジアナ」とか「ファンキーモンキーベイビー」とか、さらにサンタナのエビルウェイとか、グランドファンクとか、編成が編成だけにレパにも限界があって、どちらかというとROCK系のバンドでした。


一応はプロとしてギャラ取ってましたから、演奏はまあまあ、アマバンドの域はチョイ超えていたと思います。
さて私の昔話のメインは彼らのバンドではなくて、対バン(もうひとつのバンド)の方で、こちらはフルメンバー6人の本格的な大人バンドでした。
ドラム、ギター、ベース、キーボードの4リズムに管楽器サックス1名を加え、女性ヴォーカル一人の計6人、当時でも管が入ったバンドは珍しかったので、その登場は踊り場を彷彿とさせました。

オープニングはサンタナのブラックマジック・ウーマンで、すぐにマタンキ団のハートわしづかみにしました。
お調子者野郎たちですから、テーブルの前のちょっとしたスペースでチャチャなんぞを踊り出す始末です。

ピーッ!
いきなりどこからかホイッスルの音が響き、ドドーン、ドドーン、ドーン!パラララーッ!
ギターのシャープなカット、リフが続きます。

Can get enough! Do the funky stuff, try,try,

いやー、びびりましたね。
調子くれて踊っていたマタンキ団も一瞬棒立ちでステージを見ていました。
なんじゃこりゃ?って感じでした。

「なんだよこれ?JBか?」

「知らねぇ、聞いたことねぇな」

「どーする?踊るか?」

「ステップは?」

「知らねぇ、ブレイクダウンでも踊るか?」

なんていってるうちに、元は踊り好きの馬鹿達ですから、なんだか知らぬ間に乗りまくっていたわけです。
そんな姿を見て、山の手のお嬢チャンたちも見る目が変わってきました。
やはりこの当時、踊りを踊れるってことがいかに凄いことだったのかということですね。(そうなの?)

ということで、演奏が終わった後ヴォーカルのおねえさまから説明がありました。

「これは今横須賀で最高に受けている曲で、クールアンドザギャングというグループのファンキースタッフと言います。私たちいつもは横須賀や横浜のクラブで演奏しているんで、今はみんなこの曲で踊っています」みたいなことを教えてくれました。

ファンキースタッフかぁ。
マタンキ団の全員がすでにこの曲の虜になっておりました。
この後、私は早速レコード屋さんに足を運んでこの曲を探しましたが、どこの店でも「ありません」「わかりません」で、踊り馬鹿の好奇心は更に膨らんでいきました。
確かその1~2週間後だったと思います。
ようやく新宿の踊り場でもファンキースタッフが流れ始めました。
それでも私がようやく輸入盤のワイルド&ピースフルを手に入れたのは、その3ヶ月後でした。日本発売は更に遅れること半年だったですかねぇ。

しかしこのサウンドは衝撃的でした。
今までのダンスナンバーはどちらかと言えばR&B色が強く、泥臭い感じでブルージー、なんとなく暗い感じが背後にありましたが、このファンキースタッフは底抜けに明るく、しかもどことなくJAZZの雰囲気も漂わせていて、とにかく新しい踊り場の幕開けといったイメージがありました。
そしてまさにその頃の踊り馬鹿達が感じたように、時代はディスコへと移っていったのでした。若さは常に古いものを壊していきますからね。
私自身、このレコードは本当によく聞きました。レコードの溝が擦り切れてなくなるくらい聞いたし、踊りました。アルバムのほぼ全曲ヒットしたんじゃないですか。B面1面に入っていたワイルド&ピースフルも、当時JAZZなどまるっきり知らない私でも聞き入って感動したものです。
そんな私の青春にとってもコンポラとの訣別、ステップ・ダンスからの卒業、お水の道へまっしぐら(笑)そんな思い出深い曲との出会いでもありました。

ちなみに、山の手お嬢チャンとはどうなったかといいますと、いくら踊りで目立ったからってそんな上手い話があるわきゃありません。
その後ピザ屋でピザ食って解散です。
石坂君だけは、この中のプロボウラー目指していたお嬢ちゃんとしばらくお付き合いしていたようです。石坂君、天パーで小柄のファンキーなヤツでした。
今もミュージシャンやってるのかなぁ。
私は彼からセブンスやシックス・コードの使い方を教えてもらいました。
当時の私にとってはかなり強いインパクトを持ったキャラクターの刺激的な人物でしたネ。

オマケ

不良少年の海自体験のお話など、また一風変わった戦友のお話をお楽しみ下さい。
ディスコとはジャンルを超えていますが、中々興味深くて面白いですよ。





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最終更新日  2006年04月08日 08時18分44秒
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