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2006年04月25日
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私は、この侠気というものは強弱の差こそあれ日本人には誰にでも備わっている気質だと思っているのですが、最近の情けない不祥事の数々を見ているとこの気質もすでに失われつつあるのかなとも思えてきます。

私の祖父は福井の百姓の出でしたが、祖母は新潟の武家の出で、共に東京で縁が結ばれ渋谷で一旗あげた成り上がり者の典型でした。
色々な商売をしながら一家を成していったわけですが、最後は運送業として小さいながらも若い衆を抱えて世田谷に看板を掲げるまでになったようです。
そんな血筋ですから、私も幼い頃からしっかりと義理と人情の浪花節を聞かされて育ちました。

母子家庭で育った私の隣には常に祖母が付き添っており、「話」といえばとにかく浪花節、時代劇なら忠臣ものか股旅もの、現代劇でさえ義理と人情の侠客伝みたいなものを四六時中聞かされておりましたから、否が応でも侠気が育まれる環境にありました。
まあ、テレビを見てても東映の股旅物(長谷川伸シリーズですね)や、主君の仇討ち美談、たまに連れて行かれる渋谷の東横劇場では弁天小僧菊の介ですから、ものごころ付く頃にはもういっぱしの侠客像が出来上がっておりました。

とにかく子供の頃から叩き込まれた教えには、「卑怯なことはするな」と「義理を果たせ」更に「弱いものへの人情を忘れるな」といった具合に、この徹底教育された「侠気」はたぶん私の中で一生変わることなく生き続けていくことでしょう。
男親がいなかったせいもあるのでしょうが、祖母は孫である私にはかなり厳しくこの躾を施してくれました。


また、その頃よくつるんで遊んでた長屋の幼馴染も、親父が網走帰りの筋者で、どっちの家でも「卑怯」だけはとにかくご法度でしたから、たとえガキの遊びといえども卑怯なやり口は決して見過ごしにはされませんでした。

今思えば近所同士がそうして子供の教育を見守っていた良い時代だったのかもしれませんね。人のうちの子供だろうがなんだろうが、悪いことしたら出張ってきて怒られたりしました。そんな環境で育った子供たちがいっぱしの不良を気取る頃には、妙な仲間意識なども芽生えて、ちょっとした任侠の世界に近い付き合いにもなっていました。
思春期近くなると、同級生と言えども家庭環境の違いなどもひしひしと感じ始め、結局は幼い頃から同じ環境で育った者同士が自然と群れを成すようになり、学校の中でもいくつかのグループに分かれ始めます。原始共同体の発生ですか(笑)

最近の子供たちは、家庭環境といっても昔のように極端な貧富の差もないし、片親とか共働きとかも当たり前のようになってきてますから、こうした群れ方というのも今はなくなってきているのでしょうね。
私の時代では、商店街の子供、サラリーマン家庭の子供の二種類に大きく分かれて、その他貧乏人の子供というのが最下位に控えておりました。(笑)
当然私は下層階級に所属しておりましたが、一番結束が固かったのもこのグループではなかったかと思います。

まず、このグループには平和な家庭というものがほぼ無く(笑)、絶えず何かしらのトラブルに見舞われており、イザというときにモノを言う「金」が常に無いというお決まりのパターンが恒常的に押し寄せてくるという、そのような悲惨な環境下で育まれた友情ですから、すでに人生の縮図を見せ付けられた者同士の固い絆ともいえるものでしょう。
そんな修羅場に生きていながらも、卑怯を嫌い、義理と人情に生きることを叩き込まれていくのですから、そのままやくざになっていく仲間がいたのも不思議ではありませんね。
まあ言うなれば「お互いの痛みがわかる」ってことに尽きます。

しかし、今にして思えば、「銭金の問題じゃねぇんだ」とか「金で片付く問題じゃねぇんだ」とかいう台詞は、確かにカッコ良い啖呵ですが、元々唯一の解決策であるべき金が無いのですからそう言う以外に無いわけです。(笑)
同じ貧乏で苦しんでいる仲間が苦境に立っているとき、銭金のない仲間ができることは体を張ること以外にないのです。


その思いやりが世間一般で言う常識はずれだったり、世の中の法に触れることであったり、あるいは破壊的な力の行為であったりしても、その絆、いわゆる仲間の掟を守ることが侠気であり美学でした。
もうひとつ言わせてもらえば、貧乏だからこそ体を張れるということであり、守るものが「生き方」以外の何物でもないからこそ仲間の絆が生まれるってことです。
下手に金や物を持っていると判断が鈍るし、見えるものも見えなくなったりしてしまいます。だから同じ不良で育った者同士でも、ちょっと金回りが良くなってきたりすると「守り」に入っていってスケールが小さくなってしまうヤツや、いっぱしの顔を持つようになって親分のような立場になって、いわゆる世間一般当たり前のこと、人並みな常識みたいなわかりきったことを言い出したりするつまらないヤツになったりしてがっかりさせられることもありました。

世の中が定めた「良」からはじかれることが「不良」なわけで、そう考えると不良とは呼ばれるものの誰しもが良を基本に持っているということになります。
それは生活する世界や時代で「良」を選別する規格が違うだけのことで、「不」はいつでも「良」に成り得るということです。


昭和の伝説的人物、不良の神様と言われた万年東一氏の言葉を借りれば、

「任侠とは、損とわかっていてもやること、損とわかっていることに賭けることができること」

そして

「だからよく考えてみるとバカなんだよ」

というように、いまや世の中からこうした馬鹿さ加減が忘れ去られようとしているように思えてなりません。(俗に言うそろばんずくってやつですか)
大体不良と言うのは「良」を見限ったこの馬鹿さ加減に美学を持つ生き方ですから、既成の価値観を見下したところでカッコをつけることが不良ということにもなります。
ですからこの侠気、任侠と言うのは、ヤクザやアウトローだけが持つものではなく、その職業ではなしにその生き方にこそ存在する、誰もが持っている資質であります。
さて最後になりますが、「良」より更に複雑で一番厄介な「善良」という存在にはどうかくれぐれもご注意下さい。





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最終更新日  2006年04月25日 07時15分53秒
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