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2006年05月12日
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相変わらずの爺の昔話は多少時代のズレがあるかもしれませんが、記憶だけが頼りで書いてますのでその点は御了承下さい。

さて、スリーディグリーズの爆発的ヒット「荒野のならず者」ですが、このタイトル、凄いですねぇ、西部劇の主題歌のようです。
マカロニウェスタンみたいな感じもしますが、現代は「Dirty old man」ってことで、スケベ親爺って意味ですね。
ニュアンス的には、「エッチね、このスケベ親爺は~」みたいな感じでしょうか。
老練な軟派師が若い娘をたぶらかすやり取りを歌ったような、チョイセクシーなダンスナンバーですね。

ちなみにこのアルバムは見開きになっていて、縦型のピンアップで三人がシースルーファッションで並んで立っているという豪華なものでした。
しかも、シースルーっていうだけにスケスケで胸が見えるんですよね。
アルバムジャケット開いた途端に目が釘付け、ドキっとしたのを覚えています。


スリーディグリーズは元々ストリッパーの流れから這い上がってきたグループですから、色気を売りにした戦略がバッチリ当たったってことでしょう。
彼女達のデビューアルバム「メイビ(MAYBE)」なんかも、語りが入っていて当時にしてはかなりきわどいものでした。アルバム自体は可も無く不可も無く、フツーのコーラスグループのアルバムでしたが、このデビュー時からすでにお色気作戦は決まっていたようです。

まあ、アメリカではメージャー志向のアーティストが、その下積み時代にどんなことをしていたかなんてのはあまりスキャンダルやゴシップにはならないようで、このあたりは「芸」のみを評価するという厳しいながらも業界の奥行きの深さを感じます。
要は現在の「芸」を評価することと、過去ナニをしていたかとは別問題という捉え方が非常にはっきりとしています。
マドンナも売名行為のために実験的なポルノに出たりしてましたし、古くはバーバラ・ストライザントなんてポルノ女優から道を切り開いた人ですね。
今でも彼女が出演したポルノが売られていますが、もちろんマスコミも含めてそのこと自体でとやかく言う人はいないし、誰も気にもとめませんね。
ここらへんはニッポンの業界とは雲泥の差があります。
その昔、天地マリがソープで働いてたとか、そんなゴシップがジョークのように思えます。
(ってか、ちょっと古すぎてついてこれなかったりして・汗;)

え~、またも話が脱線しましたが、70年代の終わりから80年代初めはディスコブームの頂点とも言える時代だったわけで、その波紋は色々なジャンルの人々に影響を与えたと思います。
昨日は日本のミュージシャンが海外録音に出かけた話をしましたが、逆に日本に出稼ぎに来ていた海外のバンドを使って日本デビューさせたりすることもありました。


懐かしいでしょ。
「イキナクロベェー、ミコシノマ~チュニ」
キングレコード製作、深町純アレンジの和製ディスコサウンドでした。
しかし、くだらねー企画だよね。ホント、ニッポン人の発想、特にレコード会社とか企業人の考える企画なんてこの程度ですね。
バンドは当時赤坂ムゲンに出演していた黒人バンド・エボニーウェッブ。


そーいえばこれも、なんだか妙なステップとか考案したヤツとかもいましたっけ。
私的には、この企画の第二弾「民謡シリーズ」が好きでした。
特に花笠音頭のイントロのメローなノリと抑揚のあるレディスヴォーカルの甘さが何ともイイ感じでありました。もちろんヒットなんかしやしませんでしたけどね。(当たり前だろって)

あとは、ディスコ業界ではないんですが、もんた&ブラザースもちょっと異色だったし、フライング・ミミ・バンドとか、井田リエさんとか笠井キミコさんなんかも顔を覗かせていました。笠井キミコさんはハービー・ハンコックがプロデュースした「チェイン・リアクション」なんてのはもうかなりFUNKYなディスコバージョンでした。
オリジナルはマイケル・フランクス、クルセイダースもこの曲は取り上げていました。

とまあこんな感じでとにかく世界的な規模で「ディスコ」というものが浸透していった時代でもありました。
ここらへんが、解釈の違いというか、商業ベースというか、一般大衆路線というか、ディスコという言葉がどんどん独り歩きを始めていってしまった時代でした。
レコード製作者はディスコを単なる踊るサウンドという見方しかしていなかったし、後にユーロと呼ばれるようになったヨーロピアンサウンドも、リズムキープ、単調なビートにオーケストラ風の音で厚みをつけたデラックス・ダンス・ナンバーみたいな感性で捉えていたように思えます。

特にニッポンでは、覚えやすいコーラスのリフと軽やかなメロディーがウケ易いってことに注目した各社は続々とこの手の「音」を導入してきました。

「はろー、はろー、みすたーもんきー」って、ハローキティのルーツでしょうか。(笑)
まったく意味がわかりませんね。
「じん、じん、じんぎすか~ん」って、最近のモンゴルブームの先駆者ですね。
そのうち、ラスプーチンだのモスクワだの北欧系も登場してきて、ララバイだのフライデーナイトだのサンチャゴラバーだのと、とにかく覚え易いゴロ合わせみたいなのが沢山、沢山出てきました。ここで踊り場⇒ディスコの流れは完全に絶滅して、踊る宗教となっていったわけです。(笑)

最近ではズンドコ・サウンドとか呼ばれてますが、この当時を遊んだ方々にはそれなりに想い出になる楽曲なんですからバカ系とかいう表現はいけませんね。(笑)
私のようなSOUL=FUNK系で育った親爺の感性とは随分と違った持ち味ですが、理解できないからといって見下してはいけません。たとえ体が受け付けなくても(^。^)

ということで、アラベスクだのドゥーリーズだのボニーMだのと色んなのが出てきましたが、簡単に言えばニッポンは稀にみるマーケットで非常に儲かったってことでしょう。
ボニーMはどうだか知りませんが、アラベスクやジンギスカン、ドゥーリーズなんてのは多分ニッポン人の間でしか語り継がれていないと思います。(笑)
実態も不明ですね?
そんなこたぁどーでも良いのですが、80年代初頭、こうした実験的サウンドがディスコに数多く投入されましたが、結果的にはニッポンのディスコ業界の寿命を縮めてしまったのも事実と言えそうです。(自分たちの手で時分達の首を絞めたってことでしょう)
でも、怪我したのは現場の人間だけですね。商業的に関わってきた人たちは、次のステージに進んだというだけで、残された者はそこから本当に意味で地獄が始まったと(笑)

もう少し時間をかけて、ディスコダンスというものを育てていったとしたら、ニッポンの音楽業界も随分と変わっていたのではないかと思います。
といっても所詮は結果論ですから、言ってみればFUNKYじいちゃんの単なる思い入れとぼやきなのかもしれませんね。





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最終更新日  2006年05月12日 07時57分36秒
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