非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2006年05月20日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


もちろん時代背景にはベトナム戦争があったし、黒人の人種差別問題も絡み、アメリカの歴史がひとつの節目を迎えた時代でもありました。

とにかく次から次へとブラックミュージック、いわゆるソウルミュージックがヒットを連発し、それまで地下に潜っていたR&Bがダンスミュージックに生まれ変わり、ファッションも黒人色がどんどん強くなっていきました。
もちろんアフロヘアが流行り、やたらと裾幅の広いパンツ、踵が10cm以上もあるハイヒールなど、ニッポンのあちこちにも文字通りBLACK POWERの波が押し寄せてきました。

そんな飛ぶ鳥を落とす勢いに乗ったディスコブームの真っ只中、新宿南口にまた1軒新しいお店がオープンしました。

ディスコティック「ソウルトレイン」

もうそのまんま。ソウルトレイン。何の説明も必要ないってくらいの店名です。
確か1974年の暮れだったと思います。
南口と言えば老舗のGETがあり、その隣には近年オープンした大型店ビバヤングが近隣のデパート関係を一気に吸い込んで、新宿の新しいプレイングスポットとなり始めた、まさにそんな時代でした。


もちろん当時アフロ小僧1年生だった私も、こりゃ修行の身には持って来いの店だな、などと一人合点をして、あわよくばビバヤングから転職したろかい、などとほのかな夢を抱いてそのドアを開けたのでした。

ところが、お店に入った途端にアフロ小僧の描いた薔薇色のソウル・ドリームは音を立てて崩れ落ちたのでした。
正面に箱のようなDJブース(と呼べるようなもんじゃなかった)、中央のダンスフロアの周りはこじんまりしたボックスが囲んでおり、二十人も踊ったら一杯になりそうな、せせこましい店でありました。

ソウルトレインというからには従業員も皆アフロでBLACK一色のお店かと思ったら、突然リトルビーバーのパーティダウンがかかって、全員でチャチャです。
ありゃ?何じゃこりゃ、ってなもんでした。
頭の中でアフロ小僧は絶対に大歓迎されると信じて疑わなかった自分自身がとてつもなく恥ずかしくなり、当時ほぼふられかかっていた年上の彼女とふたり仲良くチャチャなど踊って暗~くなりました。

しかもフロアが狭いので、チャチャを大振りで踊ると周りの人たちが迷惑する、というようなシュチュエーションに、自己顕示欲爆発型人間の委員長は非常に悲しい思いをしたのでした。まして従業員にはアフロは一人もおらず、これじゃビバヤングのアホタレウェイター達の方がずうっとマシじゃん、てな結論を得て、1時間と遊べずにお店を後にしました。

ずっと後で知ったことですが、このお店はゲットのニックさんに対抗して、クック、ニック&チャッキーのメンバーのひとりチャッキーさんが開業したお店だったようです。(クックさんだったかも知れない)
まあ、どーでも良いことなので記憶は定かではありませんが、ニックさんに対抗して作った店ってことは確かだったようです。

そんな店名だけが勝手に一人歩きしたお店に、ある日一人のアフロ小僧が働くようになりました。委員長の働くビバヤングの目の前で白いニットパンツを履いた小柄なアフロ少年がチラシ巻きをしていたのです。
後に彼はディスコ協会に所属し、エンバシーで働きながら全日本ソウルトレインダンサーズのメンバーとして華々しく(笑)デビューを飾りました。


残念ながら私との接点は殆どありませんでしたが、今にして思えば彼もあの時代の渦の中で「全日本ディスコ協会」という金看板に踊らされたアフロ小僧の一人だったような気がします。
その後、私がバッドチルドレンなどというダンサーを引き連れてブイブイ言い始めた頃、ブラザーの踊りを盗みに六本木エンバシーへよく出没しては彼と顔を合わせることがありました。
ある日などは、閉店後のエンバシーで店長のユキさんとSOUL談義に花咲いてウダウダしていると、フロアーから大騒ぎの喚声が聞こえます。
何事かと目をやると、檻のようなダンスフロアでボクシンググラブをつけたアフロ小僧たちがボクシングの真似事で盛り上がっているではありませんか。
もちろん先導しているのは会長です。



「おう、ロニー来てたのか。タコがパンチ食らって墨の代わりに鼻血出しちゃったよ。ガハハ」

多少はライバル意識もあったタコ氏ですが、この時の私は彼のことを簡単に笑う気にもなれず、少なくともSOULが好きで黒人ダンスに憧れて此処まで来た彼の気持ちを考えるとやるせなくなりました。
その後、この全日本ソウルトレインダンサーズはビクターレコードのプロモーションで各地のディスコを巡り、セクシーバスストップのステップなどを広める重要な任務を務めたのでありました。

ファンキー・タコと呼ばれた彼の名前、確か井上君だったかなぁ。
言葉こそ交わしませんでしたが、今にして思えば、やはり同じ時代を同じような世界で生きた仲間の一人でありました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年05月20日 08時54分20秒
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: