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つい先日(確か9月26日だと思います)、NHKニュースで「東京ローズ」の死が伝えられました。
海外ニュースとして放送されたわずか1分程度のニュースでしたが、二つの祖国を持つ悲劇の女性の死に心から哀悼の念を捧げたいと思います。
東京ローズの本名は戸栗郁子(とぐりいくこ)と言い、ロサンゼルス生まれの日系二世で、第二次大戦中に米軍向けの謀略放送ゼロ・アワーでDJを担当し、将兵たちから東京ローズの通称で慕われましたが、戦後になって反逆罪で逮捕されました。
米国人として裁かれて有罪になったのは、中国人として裁かれた金璧輝・川島芳子の場合と一緒です。(アジアのマタハリと呼ばれたこの女性も数々の伝説を残していますね)
もう一人、中国人であるはずが日本人であると証明され、無罪となって銃殺刑を免れた李香蘭・山口淑子さんもいますが、このようなケースは特別でしょう。ミュージカル「李香蘭」がロングラン、幾度も再公演を続けているのはご存知かと思いますが、東京ローズの名を知る人は殆どいないのではないでしょうか。
(コロンビア・ローズじゃありませんよ)
当時、二つの祖国をもつ戸栗郁子は両国の関係に、当然ながら無関心ではいられなかったのでしょう。南カリフォルニア大学大学院を卒業して同盟通信に入社し、ジャーナリストの道を歩みだしたところで日米開戦となりました。軍からNHK海外局勤務を命ぜられ、選択の余地はなく謀略の一端を担いました。DJではアンと名乗っていましたが、東京ローズと呼ばれて有名になってしまったことから、人生が狂ってしまったのです。
李香蘭・山口淑子と東京ローズ・戸栗郁子に共通しているのは、卓越した能力で幾百万を越す人たちを魅了したことです。手懐づける宣撫工作と戦意を喪失させる懐柔工作には、二人はまさに好都合だったのでしょう。
戸栗郁子は禁固刑判決を受けてから、大統領特赦になるまで10年も獄中にいましたが、その時期には李香蘭こと山口淑子はハリウッド女優として近くにいました。二人が出会う機会があったならばどんな言葉を交わしたのでしょうね。
戦争で誰もが苦難を強いられ多くのものを失いましたが、慰労や償いの対象となった人たちはごく限られた人たちのみです。数奇な運命に弄ばれたこうした女性たちも、いずれは忘れ去られ時代の渦の中に呑み込まれていってしまうのでしょうね。
ご興味のある方はドウス昌代著「東京ローズ」という本がありますのでお読みになってみて下さい。ちなみに東京ローズは一人ではなかったというのが、どうやら事実のようですが、結局は戸栗郁子さんがその罪を全て負って服役したようです。
もちろん私は戦後生まれ、戦争を知らない子供として育ったのですが、なぜか終戦直後の東京の風景に大変心惹かれてしまいます。私が物心ついた頃はすでに「もはや戦後ではない」といった時代に入っており、ヤミイチや進駐軍、繁華街の風景など、どれも直接自身の目で見たものなどひとつもないのですが、何故か古い写真などを見ると郷愁を感じてしまうのです。不思議ですね。
東京ローズについては、ひときわ思い入れがあるのはボズ・スキャッグスの詩のせいかもしれません。ハーバーライトという曲の出だし、「東京ローズを母に持ち~」ボズの物悲しい独特の声、その歌い出しを聴いて背筋がゾクっとしました。港に立って海の向こうを見つめる少年の姿が、当時の自分の母を思う気持ちとダブったのかもしれません。
それともうひとつ、カタチこそ違いますが、自分もディスクジョッキーという仕事に携わっていたことも感情移入した理由かもしれません。一人対不特定多数という構図、本人の意思とは関係なく、その場所でその時代が作られていく不思議さみたいなものを感じていました。
そんな、思い入れの深かった「東京ローズ」、戸栗郁子さんの訃報にあらためて故人のご冥福を深くお祈り申し上げたいと思います。(合掌)