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2006年11月07日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

えー、昨日はディスコDJの話をするつもりでいたら、そこに辿り着く前に脱線してしまい、ゴーゴーとバンドの話で終わってしまいました。
まあ、実際に委員長もゴーゴー喫茶とかゴーゴーハウスとかで盛り上がった時代は、未だ小学生~中学生でしたから、実体験として知っているわけではありません。
かろうじて、グループサウンズ全盛期、新宿のアシベやアングラなんたらとかいうところに、従兄弟のにーちゃんと行ったことがあったというくらいのものです。

話がまた脱線しますけど、当時の流行言葉「アングラ」ってのは未だにインパクトが強く残っています。UNDER GROUND(アンダーグラウンド)の略でアングラですね。
なんか当時は意味もよくわからぬまま、知ったかぶって口走っていたような気がします。
アングラ劇団とかアングラ喫茶とか、思春期真っ盛りの少年の目にはちょっといかがわしさとエロっぽさが漂う淫靡な言葉でした。

そういえば映画「ウッドストック」で、みんなで素っ裸になって泳ぐシーンとか、遊ぶシーンがありましたけど、憧れましたねぇ(笑)、いいなぁ~、オレも仲間に入りたいなぁ~みたいな。(笑)
フリーSEXとかいう言葉も、少年の心に強烈な妄想を掻き立てるキーワードでした。
とまあ、そんな時代を経て(ってどんな時代やねん)、ベトナム戦争も終わり、ちょっとひと息つく時代、そんな中で急速に流行り出したダンスミュージックがR&Bでした。


そういえば、この頃だったかなぁ、衛星中継ってのが初めてテレビに登場して、なんとそこで不良少年たちが目にしたのは「テンプテーションズ」だったんですね。

白黒テレビでやたら光沢のある映像に移った彼らの姿は、そりゃまあ、なんと言って良いものか、ニッポン人にとってはたぶんよくわからない音楽だったのではないでしょうか。
黒人がお揃いのスーツをビシッと着込んで歌いながら踊るそのステージは、従来の裸にジーンズ、長髪を振り乱しながら叫ぶ怪しげなロックバンドとは一線を画す、ちょっとしたエンターティメントのショーとして、認知されていく第一歩だったような気がします。

ということで、当時の踊り場にも、こうした黒人グループのコーラスと踊りを真似するムーブメント(笑)が起こり始め、いわゆるステップ時代の到来となっていくわけですね。
ドン勝本さんがおっしゃられているように、当時のゴーゴーからR&Bのダンスミュージックへの移行は、その踊り方に遊びの全てがあったということで、ステップというカタを作ることで初心者にも踊りの楽しさを解ってもらおうというような意図もあったと思います。

なんせそれまではゴーゴーっていうくらいですから、とにかくワーワーいって体くねくね動かしたりしていただけで、ポップミュージックで踊りを踊るなんてことはまだまだ特別な世界だったのだと思います。
今にして思えば、それまでデカイ音だして、サイケだアングラだハナだチョーチンだって騒いでたあんちゃんたちが、フォークソングなる、ちょっと軟弱な方向に進み始めた時代でもあったので、このあたりから若者(笑)の方向性が分かれて行ったのではないでしょうか。

従来のゴーゴー系から踊り場へ移行して行った若者は、文字通り地下に潜り「踊り場」なるちょっと不良っぽいムーブメントを形成し始め、地下から地表にオーバーグラウンドしていったグループはフォークの御旗の下に集結し、ニッポンのポップスへと進んで行ったのでしょう。(ってかテキトーな推測ですから、テキトーに聞きましょう・笑)

まあ、そんなにきっちりと境目があったわけでもなく、大きな塊としてみた場合、そんな流れで進んで行ったってことですか。
だから当時の踊り場も、ゴーゴーの流れを汲むお店にはまだバンドが出ていて、相変わらず永久のヒットメドレーみたいのやってたし、小箱の店では最新輸入盤みたいな感じで次から次へと新曲が掛かっていたし、きちんとカテゴライズされるにはまだまだ時間がかかったわけですね。

ですから、不良の1年生みたいな委員長くらいの年代のガキたちは、音楽性そのものよりも、薄暗いダンスホールで、ビシッと細身のスーツで決めた先輩方の並んで踊るステップを憧憬の目で追っていたようなわけで、その根本にはそこに屯する色っぽい先輩のおねーさま方に遊んで頂きたいという、好奇心とスケベ根性の塊だけが原動力となって不良修行に励んで行ったのです。


そうこうして踊り場に通っていくうちに、だんだんとお店の事情もわかってくるようになると、踊りを踊れることと、その音楽を知っていることがセットにならなくてはいけないと勝手に思い込んでいくようになります。

それは、ラジオの音楽番組の影響とかもありますが、ディスクジョッキーはその曲についての知識があって、それなりのノーガキを垂れるからですね。
では踊り場ではどうかというと、別にそこでノーガキを聞くようなマジメな子供はいませんから、踊りが上手いことの方が重要なファクターでしたし、この当時はDJなる認識もあまりなかったのではないでしょうか。
レコード係のおにーさんみたいなもんですか。(笑)
ただ、ステップの上手いお兄さんがレコードを回すときは、やっぱり真剣に聞いたし、そのお兄さんが回す曲を知っているということがその場所で優位に立てるひとつのステイタスみたいなものだったわけです。


そのうち、それが次第にエスカレートしていくと、自分もそこの店のお仲間に入ってみたくなるのが馬鹿のパターンですね。いわゆるドツボにはまるというやつでしょうか。(笑)

かといって、高校生の分際でアルバイトもないだろうってことで、悶々とした気持ちを抑えながらも、その手の本を見つけてきては読んでみたり、黒人音楽の好きな先輩のところでレクチャーを受けたりしつつ、一生懸命に予備隊としての実力をつけていったのです。
もう完璧に馬鹿の典型ですね。
ガッコの勉強などろくすっぽしたこともないくせに、輸入盤の英語を読みたいがために熱心に辞書引いて意味調べたり、まあ夢中になりましたね。

委員長の場合はバンドマンもヒジョーになりたい職業(笑)のひとつでもありましたので、英語の歌詞の訳など結構マジメにやりました。その合間を縫ってギターの練習などもしつつ、ステップのお勉強もしたりして、そりゃ大忙しの青春でした。
高校を卒業する頃になると、自分の心の中ではしっかりとしたある種の方向性というか、趣向が芽生えておりました。
バンドマンになって踊り場に出演するか、踊りを見てもらうことでオカネを貰う仕事につくか、とにかく目立ったことで一旗挙げたいと夢見るようになっていたのでした。
もちろん、それらの夢は、将来有名なアーティストになるための下積み修行のような、避けては通れない道だと信じて疑わなかった、何処にでも居る大バカヤロウのひとりだったのです。

あれっ!?
また今日もDJの系譜に辿り着く前に話がそれましたね。
えー、しつこいと言われそうですが、続きはまた明日。(爆!





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最終更新日  2006年11月07日 08時12分02秒
コメント(14) | コメントを書く


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第2次馬鹿の典型でぇす!  
YUKI さん
この馬鹿製造空間が、次世代(と言うほど離れていませんが)のおバカを着実に増殖させる基礎を作り、まんまとハマった 下積み期間4年を経ての76年デビューのわたくしです。
そして、デビュー2年目にして ロックとフォークに分岐していったのと同じような感じで現場はソウルとユーロに分岐していって・・・その真っ只中が
私のおバカ育成鍛錬所だった訳です。。。 (2006年11月07日 11時43分54秒)

なるほど!  
くにさん さん
う~ん、、、思えば、他のコトだと人の言う事
なんて聞かないのに、自分が楽しいとかカッコイイ
と思った事の先輩や先駆者には、素直なのが
バカ野郎達の特徴ですよね(笑)。私もそうだったな、、、 (2006年11月07日 12時44分01秒)

Re:第2次馬鹿の典型でぇす!(11/07)  
RONNYジイ  さん
YUKIさん

>私のおバカ育成鍛錬所だった訳です。。。

連綿と受け継がれる馬鹿の遺伝子と馬鹿の進化・・
いつの時代も始まりはいつも馬鹿ですねー(BOMB!
-----
(2006年11月07日 13時00分26秒)

Re:なるほど!(11/07)  
RONNYジイ  さん
くにさんさん

>自分が楽しいとかカッコイイと思った事の先輩や先駆者には、素直なのがバカ野郎達の特徴ですよね(笑)。私もそうだったな、、、

ほんとにそーですよね。
当時の憧れの先輩っていうのは、そこらへんのタレントや映画俳優なんかでも適わない様な不思議な魅力を持ってましたよね。
そーいえば、最近はそういう不良少年のカリスマみたいなヤツって見かけなくなりましたね。
-----
(2006年11月07日 13時04分28秒)

追伸~クニさま  
RONNYジイ  さん
戦友便り届いてますか?
「Sade」と「BB&JB」はクニさんに是非見てもらいたかったもので。。。。

戦友会の皆様も、まだまだ続きますのでどうぞお楽しみに~。なんつってもスゲー「ブツ」が手に入りましたからねー。 (2006年11月07日 13時14分02秒)

時代背景。  
KYさん さん
時代がちょっと、「ん?」っていうところがあったので、あえて書きます。
というのも、RONNY氏のこの「日記」を楽しみに読んでいらっしゃる方々がいるからです。
ですから、あえて、「嫌味な女」になりましょう。(^^)
まず、「アングラ」と言う言葉は1960年代で終わったと思うんですよ。
渋谷に構えた「天井桟敷」の「サイケ」な看板を思い出します。
「R&B」と言う言葉を追いかけていたのが1966~69年頃です。
70年に入ると、自然に「SOUL」と言う言葉が出てきて「マーヴィン.ゲイ」の72年のヒットWhat‘s Going Onで堰をきったように、ブラックパワーが日本でも盛り上がります。
「ベトナム戦争」終結は1975年です。

私は『ステップ族』(笑)は全く相手にしていなかったので、RONNYさんが暮らした『DJ生活』は知らないので、楽しくよんでます。

あ、あと一つ。
新宿にあった「アングラ.ポップ」に出入りしていた、私は親に見つかり。。。
で、母=「ばば」が「兎に角、どういう所なのか?」というわけで、深夜二人で行くわけです。
(1969年かな?)
新宿署のマッポを母に紹介し、(変な話だね)母に私の「靴」を持たせ(アングラ.ポップは靴を脱いでたのだ)『母さん、黒人に声かけられたり、何かあったら言ってね。』とか。。。。
ま、踊り来るって帰って来た。
翌朝、叱られるのは覚悟の昨夜の出来事。

母の一言:『な~んだ、暗闇のピカピカの中の盆踊りじゃないか。』
私は「グレル」ということができなかった。

はい。お後がよろしいようで。 (2006年11月07日 13時19分23秒)

フィードバック現象?  
RONNYジイ  さん
kyさん
資料提供ありがとうございます。(笑)
まあ、私自身も業界へ入る前の時代は、きちんとした記憶があるわけじゃないんですが、たぶん流行のフィードバック現象ではないかと思うんですね。
60年代後半、私はまだ中学生だったし、70年代に入って「踊り場」に出入りするようになった頃だって16~17歳ですからねー、時代の流行はかなり頭の中で錯綜していたと思います。
でもって、アングラって言葉と共にその時代をリアルタイムで遊んでおられた先輩方を、憧憬の眼差しで見ていた少年は、たとえその言葉自体の生命は終わったにしても、かなり後々まで持ち続けていたのですよ。現に私の高校の文化祭では、サイケなイラストを私が描いて「アングラ喫茶」模擬店なんぞをやろうとして、教育指導のセンセにぶん殴られた思い出もあります。ゲバゲバ90分に登場した「為五郎」さんだって、サイケファッションに身を包んでましたよね。あれだって、私らの時代の子供には、それほど時代のズレを感じてはいませんでしたから、まあ、子供がインパクトのあるカルチャーに触れた衝撃はかなりフィードバックして次の時代のカルチャーと融合していったのかなぁ、なんて思うんですね。絨毯パブとか絨毯喫茶みたいなのに憧れた歳だって15~6歳でしたからね。石庭とか渋谷のキャビンとか、チョイ背伸びした不良少年の遊び場でした。 (2006年11月07日 14時57分04秒)

オマケ(^^;  
RONNYジイ  さん
確か17歳で青山のパルスに出張ったとき、常連だった一文字眉毛のマサシがピンホール・シャツの袖に「SOUL POWER MASASHI」っていう刺繍を入れてましたから、確かにこの頃すでにSOULってキーワードは出回ってましたネ。1972年頃のお話です。
まあ、しかしky姐さんとは、ひと時代違ってますからねぇ~(笑)受け止め方も違ってて当然でしょう。だって姐さんが現役バリバリの頃、私は小学生から中学生になったくらいですからねぇ~(爆!
もうちょっと時代を進めても、まだ坊主頭でしたよ、私は。。。。
まあ、不良の大先輩方の後追いってトコじゃないでしょうか、ワレワレは。(笑)
マーヴィン・ゲイだってリアルタイムでの印象はヒジョーに薄いです。「愛のゆくえ」って邦題になってからのお話ですね、私の場合は。
そー考えると、R&BとSOULの違いってので結構悩んだ覚えがありますよ。サム&デイブとコモドアーズはどー違うんだ?みたいなね。
ミニコミ誌で「SOUL ON」とかいう雑誌に輸入盤の解説とかが載ってて、さかんにR&Bって書いてあったし、その頃創刊されたアドリブとかにはソウルミュージックとか書いてあって、結構ワケわかんなかったですね。子供心には、「踊り場」と「ディスコ」の違いかななんてね、理解をしていましたっけ。 (2006年11月07日 16時42分16秒)

おまけのオマケ。  
KYさん さん
そうやって、「姐さん」「姐さん」言われると、裏寂れた新宿の路地で「パチンコ景品」を「金」にしている「おばさん」を想像してしまいます。(^^)
ただ、歴史だけは曲げれないんです。
でないと、「ドクト島」になってしまう。

ほら、ダンスの【ウォーターゲート】と言えば思い出すことでしょう。
あの時に、まだ「ベトナム戦争」は(アメリカ敗戦のニュースは流れていても)まだ終結してなかったのです。

ね。RONNYさんも、「友人Brother」を思い出してきたでしょ?

では、『DJストーリー』楽しみにしております。

PS.昨夜「会議」で疲れ果てたアタマをいやしてくてたのが、VIDEOのMOTOWNでした。
見ながら、いつの間にか眠りに入りました。 (2006年11月07日 18時07分16秒)

Re:フィードバック現象?(11/07)  
たま さん
>石庭とか渋谷のキャビンとか、チョイ背伸びした不良少年の遊び場でした。

ここに反応してしまいました。( *^艸^)
懐かしい言葉です!

追伸:BEOTHERS 1980'Sがみられませ~~ん!
(2006年11月07日 18時49分50秒)

Re:70年代ディスコDJの系譜?続編(11/07)  
しげしげ★ さん
どうもです~
ウッドストック!こちらの田舎でも、影響力大でしたね。大過ぎて、日本のウッドストックといわれる・・・ONE-STEP-FESTIVAL・・・なんぞも開催しちゃいましたくらい!
当時手伝いも兼ねて、合間に1番前で踊ってました。アフロになる前のロン毛姿で( >ω< )
NHKの特番では、その姿が何回も映っていて・・・若き日の、ちょい恥ずかしい思い出です(///ω///)
その当時平行して、GET・MUGEN・EMBASYなどなど・・・BLACKな世界に、どっぷりになって行く訳ですが。。。 (2006年11月07日 20時34分36秒)

70年代  
おー さん
ゴーゴーの思い出というと小学生のころの昼間のテレビ大橋巨泉の「ビートポッス」に出てきたゴーゴーガール。
巨人の星の飛雄馬が花形に大リーグボールを打ち込まれ、やけになって行ったゴーゴークラブなどですね。そこで不良グループと知り合うきっかけに。
などですね。

私がディスコに初めて行ったのが1974年。地元吉祥寺の「城」でした。
当時の吉祥寺はアングラムードに溢れてて有名な「ぐわらん堂」とかフォーク喫茶などがひしめいていました。
左翼系の本屋「ウニタ書房」なんかでは平気で火炎瓶や爆弾の作り方なんて本が売られていました。
新宿西口ではパンパンにビニール袋をふくらませて(当時の吸い方?)シンナーを吸ってた連中がうじゃうじゃいて、少し怖かったw (2006年11月07日 22時37分35秒)

1973年  
Supercops-2 さん
中学の先輩の喫茶店で行ったパーティをきっかけにして、Soulがどうだとかと言う感覚ではなく、(女)にモテタイ一心で踊りを覚える目標を立て、踊り場通いが始まった自分ですが、R&Bと言う表現よりはSoul(New Soul)とレコードジャケットや帯に書いてあった記憶あります。確か、マーヴィン=ニューソウルの旗手とか。そして、踊りもそこそこ覚えてからはアーティストや曲(アルバムで)も覚え、Soulにもはまり始めたと思います。('75)

そして私の時代、コンポラはそれこそPartyでは決めるときに着ましたが、通常ではほとんどベルボトム(ブーツカット)にヨットパーカー、ジャンプシューズ(スニーカー)と時々カツラ(アフロ)で、何故か?デニムのベストもパーカーの上に着てたと?思います。
見る人によっては、フォーク系?にも見えたかも知れません。
その後、'76年高校3年あたりに黒のWニットのフレアーパンツと白のイタリアンカラーのシャツを踊り場用にCops仲間とお揃いで作った記憶もあります。
そしてその頃はRONNYさんと同じく、英語の歌詞を必死に辞書で直訳しながら意味を膨らませては周りに自慢げに話していた自分もいました。
それと、当時の教科書はSoulTrainとアドリブくらいで、DJ用に配られるレコード会社のPRESSコピーはお願いして見せてもらい、書きとめていた事もありました。新曲情報はこれが一番だったと思います。
(2006年11月07日 23時26分06秒)

やっぱ皆さん戦友でしたね。(^^)  
RONNYジイ  さん
kyさん
あはは、ではおねーさまなんてどうでしょうか(爆
おっしゃるとおり時代背景に偽りがあってはいけません。ですから決して「イヤミ」だとかは思っとりませんので、これからも生き証人の一人として語って頂きたいと思います。(笑)
実際に私らの年代じゃ「ベトナム戦争」の実感もそれほど持っていないんですよね。
だから、「そーだったんだぁ」って思う方が強いんですよ。大先輩としてRESPECTしてます。ホントですよ。

たまさん
石庭で反応するということは、ケッコー危ないじゃないですかー(笑)
キャビンは入り口の下駄箱が銭湯みたいでしたよね。でも店内はホントにキャビン風でムードありました。

しげしげさん
ワンステップフェスってパッパラルディが出たヤツですか?ジョー山中氏との競演で。
ってことでTVデビューですか、しかもNHK、スゲー。

おーさん
ぎゃははー、巨人の星には参りましたねー。
確かスケバンお京でしたっけ。ゴーゴーガールっていう設定も凄かったですよね。ミニスカートから出てる足がケッコー筋肉系だった。(笑)
ちなみに私も新宿騒乱で機動隊と衝突した事件後、記念に投石拾いに行きましたよ。ブロックの破片だったですけどね。私はてっきり川原の石だと思ってたら建築建材だったのにはちょっと意外だったですね。(ってナニが?)

supercops2さん
当時のファッションって微妙でしたよね。
鶴ベェさんだってアフロしてたし、南こうせつさんも頭膨らましてましたよね。
当時のSOULファッションって入手がヒジョーに難しかったですよね。ロンドンブーツとか、ROCK系は多かったけど、アフロに似合う既製服って少なかったですよね。女の場合は、紀伊国屋の1階にあったエマってブティックが結構FUNKYだったかな。風呂敷の生地でできたブラウスとか(笑)
(2006年11月08日 07時53分58秒)

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