非生産活動推進委員会

非生産活動推進委員会

PR

×

プロフィール

RONNYジイ

RONNYジイ

コメント新着

バンドマン@ Re:昔の歌舞伎町スケッチ・フォーカス(笑)(03/29) 懐かしすぎる会話に感激しております、 こ…
沖縄県宮古島出身です、@ Re[21]:赤坂シンデレラの最後(08/18) 樋口 和彦さんへ 本当に、次郎さんと五郎…
アミちゃん@ ジョイの訃報😢 nikumaruさんへ 連絡有難う御座います。ジ…
マチャアキ@ 想い出 岸本さんですね 懐かしく読ませて貰いまし…
マチャアキ@ 岸本さんだよね このブログを読んで昔の記憶が蘇って来ま…

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2006年11月07日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


まあ、実際に委員長もゴーゴー喫茶とかゴーゴーハウスとかで盛り上がった時代は、未だ小学生~中学生でしたから、実体験として知っているわけではありません。
かろうじて、グループサウンズ全盛期、新宿のアシベやアングラなんたらとかいうところに、従兄弟のにーちゃんと行ったことがあったというくらいのものです。

話がまた脱線しますけど、当時の流行言葉「アングラ」ってのは未だにインパクトが強く残っています。UNDER GROUND(アンダーグラウンド)の略でアングラですね。
なんか当時は意味もよくわからぬまま、知ったかぶって口走っていたような気がします。
アングラ劇団とかアングラ喫茶とか、思春期真っ盛りの少年の目にはちょっといかがわしさとエロっぽさが漂う淫靡な言葉でした。

そういえば映画「ウッドストック」で、みんなで素っ裸になって泳ぐシーンとか、遊ぶシーンがありましたけど、憧れましたねぇ(笑)、いいなぁ~、オレも仲間に入りたいなぁ~みたいな。(笑)
フリーSEXとかいう言葉も、少年の心に強烈な妄想を掻き立てるキーワードでした。
とまあ、そんな時代を経て(ってどんな時代やねん)、ベトナム戦争も終わり、ちょっとひと息つく時代、そんな中で急速に流行り出したダンスミュージックがR&Bでした。


そういえば、この頃だったかなぁ、衛星中継ってのが初めてテレビに登場して、なんとそこで不良少年たちが目にしたのは「テンプテーションズ」だったんですね。

白黒テレビでやたら光沢のある映像に移った彼らの姿は、そりゃまあ、なんと言って良いものか、ニッポン人にとってはたぶんよくわからない音楽だったのではないでしょうか。
黒人がお揃いのスーツをビシッと着込んで歌いながら踊るそのステージは、従来の裸にジーンズ、長髪を振り乱しながら叫ぶ怪しげなロックバンドとは一線を画す、ちょっとしたエンターティメントのショーとして、認知されていく第一歩だったような気がします。

ということで、当時の踊り場にも、こうした黒人グループのコーラスと踊りを真似するムーブメント(笑)が起こり始め、いわゆるステップ時代の到来となっていくわけですね。
ドン勝本さんがおっしゃられているように、当時のゴーゴーからR&Bのダンスミュージックへの移行は、その踊り方に遊びの全てがあったということで、ステップというカタを作ることで初心者にも踊りの楽しさを解ってもらおうというような意図もあったと思います。

なんせそれまではゴーゴーっていうくらいですから、とにかくワーワーいって体くねくね動かしたりしていただけで、ポップミュージックで踊りを踊るなんてことはまだまだ特別な世界だったのだと思います。
今にして思えば、それまでデカイ音だして、サイケだアングラだハナだチョーチンだって騒いでたあんちゃんたちが、フォークソングなる、ちょっと軟弱な方向に進み始めた時代でもあったので、このあたりから若者(笑)の方向性が分かれて行ったのではないでしょうか。

従来のゴーゴー系から踊り場へ移行して行った若者は、文字通り地下に潜り「踊り場」なるちょっと不良っぽいムーブメントを形成し始め、地下から地表にオーバーグラウンドしていったグループはフォークの御旗の下に集結し、ニッポンのポップスへと進んで行ったのでしょう。(ってかテキトーな推測ですから、テキトーに聞きましょう・笑)

まあ、そんなにきっちりと境目があったわけでもなく、大きな塊としてみた場合、そんな流れで進んで行ったってことですか。
だから当時の踊り場も、ゴーゴーの流れを汲むお店にはまだバンドが出ていて、相変わらず永久のヒットメドレーみたいのやってたし、小箱の店では最新輸入盤みたいな感じで次から次へと新曲が掛かっていたし、きちんとカテゴライズされるにはまだまだ時間がかかったわけですね。

ですから、不良の1年生みたいな委員長くらいの年代のガキたちは、音楽性そのものよりも、薄暗いダンスホールで、ビシッと細身のスーツで決めた先輩方の並んで踊るステップを憧憬の目で追っていたようなわけで、その根本にはそこに屯する色っぽい先輩のおねーさま方に遊んで頂きたいという、好奇心とスケベ根性の塊だけが原動力となって不良修行に励んで行ったのです。


そうこうして踊り場に通っていくうちに、だんだんとお店の事情もわかってくるようになると、踊りを踊れることと、その音楽を知っていることがセットにならなくてはいけないと勝手に思い込んでいくようになります。

それは、ラジオの音楽番組の影響とかもありますが、ディスクジョッキーはその曲についての知識があって、それなりのノーガキを垂れるからですね。
では踊り場ではどうかというと、別にそこでノーガキを聞くようなマジメな子供はいませんから、踊りが上手いことの方が重要なファクターでしたし、この当時はDJなる認識もあまりなかったのではないでしょうか。
レコード係のおにーさんみたいなもんですか。(笑)
ただ、ステップの上手いお兄さんがレコードを回すときは、やっぱり真剣に聞いたし、そのお兄さんが回す曲を知っているということがその場所で優位に立てるひとつのステイタスみたいなものだったわけです。


そのうち、それが次第にエスカレートしていくと、自分もそこの店のお仲間に入ってみたくなるのが馬鹿のパターンですね。いわゆるドツボにはまるというやつでしょうか。(笑)

かといって、高校生の分際でアルバイトもないだろうってことで、悶々とした気持ちを抑えながらも、その手の本を見つけてきては読んでみたり、黒人音楽の好きな先輩のところでレクチャーを受けたりしつつ、一生懸命に予備隊としての実力をつけていったのです。
もう完璧に馬鹿の典型ですね。
ガッコの勉強などろくすっぽしたこともないくせに、輸入盤の英語を読みたいがために熱心に辞書引いて意味調べたり、まあ夢中になりましたね。

委員長の場合はバンドマンもヒジョーになりたい職業(笑)のひとつでもありましたので、英語の歌詞の訳など結構マジメにやりました。その合間を縫ってギターの練習などもしつつ、ステップのお勉強もしたりして、そりゃ大忙しの青春でした。
高校を卒業する頃になると、自分の心の中ではしっかりとしたある種の方向性というか、趣向が芽生えておりました。
バンドマンになって踊り場に出演するか、踊りを見てもらうことでオカネを貰う仕事につくか、とにかく目立ったことで一旗挙げたいと夢見るようになっていたのでした。
もちろん、それらの夢は、将来有名なアーティストになるための下積み修行のような、避けては通れない道だと信じて疑わなかった、何処にでも居る大バカヤロウのひとりだったのです。

あれっ!?
また今日もDJの系譜に辿り着く前に話がそれましたね。
えー、しつこいと言われそうですが、続きはまた明日。(爆!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年11月07日 08時12分02秒
コメント(14) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: