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2006年11月09日
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ジジイの話はすぐに横道に逸れちゃうから長くなってしまうんでゴメンね。
ということで今日は完結編です。(笑)

まあ、委員長がナニを言いたかったのかということを突き詰めて言っちゃうとですね、70年代後半に巻き起こった空前のディスコブームの中、雨後のタケノコのように乱立していったディスコと共に、雨後のタケノコのように登場してきたディスコDJという職業が、極めていい加減な成り立ちであったということ、そして私自身の中でずっとトラウマ(笑)となっていた「偽者」劣等感みたいなものを皆様に伝えたかったからなんです。

このニセモノというのは、もちろんラジオやテレビなどメージャーなメディアで活躍されているディスク・ジョッキーの方々に対して抱いていた感情。感覚であり、それは決してディスコ業界の中で自分を卑下していたということではありません。
逆にディスコ業界では持ち前のツッパリ根性で、「オレが一番すげぇーん」だみたいなプライドだけはずっと持っていましたから、劣等感というのは一般社会における自分の位置付けという意味です。

そうですね、一般の皆様には理解しにくいかもしれませんが、言ってみりゃ学歴みたいなものに近い感覚ではないでしょうかね。
中卒のセールスマンが時流に乗ってバンバン成績を上げてチヤホヤされていくんですけど、ある時ふと周りを見渡してみると、地道ではあるがきちんとルートに乗って出世して行く仲間がちゃんと存在していて、彼らはみな大卒のごくフツーの一般人であった(笑)みたいな、そんな感じでしょうか。(なんだかなー)

昨日までの日記で書いてきましたように、ディスコDJなんてものは元々きちんとしたレールの上を走っていたわけではなく、その業界にいた、数人の音楽好きの趣味が高じて成り行きでドツボにはまっていってしまったみたいなものなわけです。(笑)


まずはディスコの乱立から始まっていったディスコDJの誕生は、もちろん70年代初期にその原型を作った諸先輩方の流れが主流でした。
皆様ご存知のドン勝本さんとかニック岡井さん、ポップとかジ・アザーとかゲットとかのスタッフの流れですね。
(委員長は新宿のことしかよーわからんので、他の地区のことは知りません・笑)
もちろん音楽的にはリズム&ブルース~SOULってことで、いわゆる黒人音楽と踊りの好きな人の集まりですね。
同時に、この時代の白人ROCK系のお店から出てきた流れもありました。
まあいずれにせよ、どちらも専門職みたいな人がいなかったこともあり、そんなお店に関わってきた人たちが創始者みたいなことになっていったのではないでしょうか。

委員長の経験から言うと、この2大潮流(笑)が後年まで続いてDJの大きな二大系統になっていったのではないかと思います。
当時、ラジオの音楽番組や音楽雑誌なんかでも、白人系ROCKの専門家と名乗る方々はすでに随分といたし、タイプ的には音楽を聞かせて紹介する音楽評論的DJですね。
この手の評論家やDJが後年メージャーになって地位を確立していくわけですが、ただ、この当時でもすでに白人系ROCKは、SOULに比べてある程度市民権を得ていたと思うんですね。情報的にはかなり一般にも浸透していたと思います。

この手のDJが、前述したような音楽喫茶とかでサテライトDJなどをしていたメージャー予備軍、二軍のような存在でした。これはもう明らかにステーションへの進出を目指す下積みDJグループであり、ディスコDJとは志向性を異にする流れに乗っていたと思います。
片や、ディスコDJと言えば、その形態がDJというだけで、別に喋る技術に秀でるとか、評論的音楽知識を蓄えるとかいう必要性も薄く、要はダンスフロアでお客を踊らせることをメインとした、結構いい加減な(笑)ものだったわけです。


(えーと、ちなみに北海道の姐御kyさんもこの時代お名前がチラホラ出ていたようです)

えー、相変わらずにすぐ話が脱線しますが、早い話、当時はちょっと詳しいってくらいの人たちが専門家として君臨(笑)していた良い時代だったのです。
これは音楽だけに限らず、ファッション業界なんかも似たようなもんで、メンズクラブが創刊されたり、VANジャケットとかが流行ったりと、若者文化(笑)の黎明期みたいなもんだったんじゃないでしょうか。今、メンクラのバックナンバーなんかたまに目にすることがありますが、くろすとしゆきさんでしたっけ、ケッコーしょーもないこと言ってますよね。(笑
そんなの皆、頭から丸呑みしてたんですから、SOULだディスコだ花だ提灯だって騒いでた頃を振り返ると恥ずかしくなるのと同時に、なあんだみなテキトーなこと言ってメシ喰ってたんじゃねーか、みたいなね、素人相手にハッタリかますみたいな、まるで新興宗教ですよ。まさに Sweet & Bitter ですね。(えっ!?)(笑)

でもって、委員長の時代で言うと、同期の赤シャツのみつぐ氏や新宿のジュリーこと鈴木昇治氏なんかが、メージャー志向DJグループの代表格でした。

彼はマジでステーションのDJ目指してたし、合間をみて歌舞伎町にあった音楽喫茶「白馬車」で深夜のアルバイトとかもしてました。その時白馬車のチーフDJだったのがブルこと渡辺たかし氏ですね。彼もヒジョーに良い声してましたね、ルックスはブルドッグでしたけど。(笑)ブルさんにしてもジュリーにしても、当時、かなりプロっぽかったですね。
お茶飲みながら音楽の話してても、アーティストの名前が出ると、すぐにヒット曲のタイトル、年代、メンバー構成とかバイオグラフィーみたいな話になって、まるで勉強会みたいな感じでした。まじめにベンキョーしてんだなぁ~って思ってましたね。

こうしたメージャー志向系DJを総称してROCK系と呼んでましたが、彼らの特徴は、ほとんどが踊れなかったってことですか。(笑)
それに比べて、委員長のような、ディスコでウェイターとかしてるうちにDJみたいなものになってしまったグループを、SOUL系と呼んで区別してましたが、こちらの特徴は踊り好き(笑)ってことでした。このあたりが線引きになるのでしょうが、SOUL系はどっちかというと、DJは好きでなったというよりは、楽して金稼いで、余った時間は踊っていたい、あわよくばおねーちゃんをナンパして気持ち良くなりたい、というヒジョーに不純なモチベーションによって成り立っており、ROCK系の生粋のDJ志望とはその本質がまったく違っていたと思います。このあたりが、委員長の言うところの「ニセモノ」なんですね。
(Plastic とも言いますねー)

ただひとつだけ、同じ時代を生きた仲間として言えることは、それでもこの両者は結局ホンモノにはなれなかったっていうことでしょうか。
ROCK系の中にもやはり血統みたいなものがあって、その入り口からメージャー系とマイナー系の分かれ目は存在していて、某有名DJの付き人とか弟子とか、あるいは放送局系(ブロードキャスティング)社員とかがあくまでも主流で、新宿の水商売上がりは所詮何処まで行っても二軍扱いだったことは事実でした。
結局、実力の世界とか言ってはいるものの、放送局という縦割り企業の中にあってはたとえDJとは言えども、学歴や人脈などの枠外から切り崩せる限界があったわけです。
まあ、言うなれば何処の業界もこの体質はあまり変わりはありませんね。
今、自分自身を振り返ってみると、委員長の持つメディアへの不審とか広告業界の偽善とかは、この時代に形成されたものだと思います。

あれっ!?また話が終わらなくなっちゃった。
えー、もうちょっと書きたいので、最終回おまけ編ということで明日につづく。。。。。
(ってか、もうちょっと頭でまとめてから書けよ!)





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最終更新日  2012年03月27日 20時38分23秒
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