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2007年10月27日
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やっぱりバリエーションの名前は全然覚えてな~い(笑)ってか覚える気ないみたいデス。踊れるんだから別に良いだろ名前なんかどーでも、みたいな感じですか。
相変わらずいい加減なヤツですみません(爆!

ということで、「踊り場」から「ディスコ」へと変身して行った頃のヒットソングをちょっと思い出してみました。
時は1974年~1975年頃のお話ですね。

大きな流れでいくと、小箱と大箱でヒットメドレーが違ってました。
ひとつには、大箱はたいていバンドが入っていましたから、ヒットチャート上位曲がステージごとに演奏されるようなパターンが多かったので、どっちかというと、御馴染み定番フルコースみたいな感じでした。
片や小箱はレコードのみに頼ってましたから、定番メドレーじゃすぐに燃え尽きてしまうので(笑)、アルバムの中から次のシングル・カット候補、あるいは踊り易くてノリの良い曲をDJがチョイスして流していました。

まあ、言うなれば、このあたりがDJの目利きとしてのプライドを張り合うベースだったと思います。これに加えて、新しい踊りをいち早く仕入れるってのが、当時のDJやソウルマンと呼ばれた人々の突っ張り合いでした。

特にブラザーの居るお店がやっぱプライオリティが高かったですね。

どっちにしろ、この「流行」はすべてベース(米軍基地)経由でしか入って来ませんでしたから、どうしてもブラザーが集るお店が流行の先端を行くということになるのは仕方なかったですね。現在のようにインターネットみたいな便利なものはないし、当時はFAXだってまだ登場してませんからね。テレックスとかいうテープで情報が送られて来るのが、スゲーことだったですもんね。今考えれば結構笑えます。だから私のようなヤツでも、ノーガキ垂れて「プロ」顔していられたのでしょう(笑)

ってことで、やはり当時の名門というか、最先端のお店と言えば、アフロレイキとエンバシですか。その流れでいくと赤坂ムゲンはちょっと毛色が違っていたかな。
なんせブラザーがウヨウヨ(本当にそんな表現がぴったりでした)してるってだけで、もうとにかくそれだけでスゲー事だったし、なんせアフロだってホンモノでしたから(当たり前だろ・笑)、そんなところに出入りしている自分もスゲー奴なんだって、暗示にかかっちゃうみたいな(笑)そんな感じでした。(ってか言ってることよくわかりませんが・笑)

とまあ、そんな古き良き時代を思い出して、当時の定番ヒット曲を挙げてみましょうか。
レコード・ヒットの方は、もう既に散々語り尽くされているので、私は生バンド編で取り上げてみますね。しかしこの生バンドっていう表現も凄いですよね。今どき「生」なんて表現するとちょっと危ない感じがします(笑)

さっきも言いましたが、箱の違いで定番も多少異なりますが、バンドが演奏する曲が当時の定番ヒットというパターンが多かったですね。
ってことは、バンドが演奏しやすい曲ってことにもなるんでしょう。
当時のバンドは殆どが4リズム+ヴォーカルでしたから、管楽器(ブラス)が入ってるバンドが出ているお店はチョイ格上でした(笑)
といってもサックスが1本とかね、たまにヴォーカルがトランペットを吹くとかね、所詮そんなもんなんですけどね、それでもスゲーって感じで、音に厚みが出ましたっけ。

ちなみに4リズムといっても、当然今のようにシンセやデジタル音源なんてありませんでしたから、ギター、ベース、ドラムの3リズムにエレクトーンがくっ付いてようやく4リズム、これにヴォーカルでなんとかカタチにしていたようなもんです。


楽器編成がレパの基本となりますから、当時の定番はどこ行っても定番でした。
当然と言えば当然で、演奏可能な中でヒットチャート(所謂ビルボード誌ですね)から選ぶんですから、誰もがムツカシー曲はやりたがりません。まあ強いて言えば、ダンスミュージックってことで、踊れれば良いってなトコがありますから、いわゆるコンサート系のロックバンドに比べたら、多少は雑でも仕事になったってことではないでしょうか(笑)
そんなところが、バンドが当時のディスコ・ヒットを作ったとも言えるんじゃないですかね。
だって、すぐに頭に浮かぶ当時のヒットっていうと、やっぱサンタナですよね(笑)

「ブラックマジックウーマン」と邦題「僕のリズムを聞いとくれ(オイェコモバ)」の2曲はチャチャの課題曲みたいなもんでした。

ちなみに当時のシングル盤はこの2曲がカップリングされてて、ステップ入門者にとっては嬉しいシングルでした。BLACK MGIC WOMANのオリジナルは確かフリートウッドマックでしたよね。私個人的にはこっちの方が好きだったなぁ~。
それにしてもサンタナの曲は随分と重宝されたんじゃないですかね。サンタナも当時はアフロっぽい髪型してたし(笑)

そういえば、当時はこうしたカバーも結構ディスコヒットになってました。
どこのバンドも必ずと言って良いほど演ってたのがエリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」。当時はまだボブ・マーレィーなんて殆ど知られていなかったんじゃないかな。もちろんレゲエ自体の知名度もありませんでしたね。
ジミー・クリフなんてのが注目されるのはまだまだ後のことです。

あとブラザー・ルイとか、プラウド・メアリーはCCRとアイク&ティナ両ヴァージョン、キープミー・ハンギングオンは、バンドがバニラファッジ・ヴァージョンでレコードはオリジナルのシュープリームスという具合に使い分けてたかな。
ゲットレディもレア・アース・ヴァージョンのコピーでした。テンプスみたいにコーラスなんてできなかったもんね(笑)
そして永遠の定番ヒットがドゥビー・ブラザースの「ロング・トレイン・ランニング」。
ギターのリフがカッコ良かったし、これって白人のロックバンドがやってるとは思ってなかったですね。ヴォーカル(トム・ジョンストン)の声も渋くてソウルっぽかったし。

あと、「ヴィーグル」ってのも良くみんなやってました。たぶんこれはゴーゴーの流れからなんでしょうが、「踊り場」は別として当時のディスコって、ロックとR&Bの境目ってあんまり無かったような気がします。
マンドリルの「フェンスウォーク」、カーティス・メイフィールドの「フレディの死」、スライ・ストーンの「サンキュー」「テイクユーハイヤー」なんてのもメドレーっぽくやってましたっけ。
それと案外知られていないのがウォーですね。
当時は「ゲットダウン」とか「世界はゲットーだ」「暗闇を突っ走れ」「シスコキッド」などなど佳作も多かったです。
R&Bの方でも定番はサム&ディブの「ホールドオン」「ソウルマン」の2曲は不滅のヒットでした。当時は意味も解らず歌ってましたが、「HOLD ON I’M COMING」ってちょっとエッチですよね(ばかやろう)
ルーファス・トーマスのナンバーも結構入ってましたっけ。ブレイクダウンとかファンキーチキンとか。JBはセックス・マシーンくらいかなぁ~、ってかこれは歌がね、付いていけませんよねやっぱ。

ということで、大雑把な回想ですが(笑)、それでも当時のバンドマンって、それなりに頑張ってたんですよね。それでも75年後期からはすっかりDJにその栄光の座を奪われてしまいました。あの頃のバンドマンってその後どんな人生を歩んで行ったんでしょうかね。
ちょっと興味ありますね。





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最終更新日  2007年10月27日 17時32分51秒
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