セイヤのblog

2015.06.06
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テーマ: 徒然日記(25174)
カテゴリ: 教育

「ドッジボールは暴力」に賛否


この手の論議は昔からあるのですが、私が大人に成ってからつくづく自分の体験した「学校教育」というもののデタラメさを実感したのも斯うした部分に関連するものです。
ドッジボールのシンプルな競技性は非常に解り易いので論じる事例としては良いかもしれないですね。

競技である以上、攻撃側が相手チームの弱いところを集中して狙うのは当たり前ですね。 一方、守備側は自チームの弱点をカバーし合いながら攻撃に転じるのが合理的で当然な事なハズなのです。戦略的にチームが勝つ為の施策を皆で考える内に包摂的な意識も生まれ、チームメートだけでなく相手チームへのリスペクトも生まれるものだと思いますね。
そして終わればノーサイド。
運動能力に劣りカバーされるだけの子供は少々情けの無い思いもするでしょうが現実は現実として認識して、自分が置かれた状況で最善の道を探らせる事が重要なんですね。
運動能力に余裕のある子供には頭を使わせて「全体最適」を図る様に仕向ける。
「不得意」は恥では無いですし、「得意」も広く生かさなければ本人にとって真に有効なものにはならないんですね。

私自身は幼児・児童の段階での「ドッジボールの教育的有効性」はあると感じますが、能力がバラバラな体育授業に加えるのですから当然に教師の指導方針や指導力は問われるのですね。
自分の体験もありますので言葉が汚くなりますが・・・


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最終更新日  2015.06.06 13:13:00
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Re:ドッジボールは野蛮なのか?(06/06)  
kopanda06  さん
いわゆるいじめ的になる可能性はたしかにありました。
ただ、ドッジボールは、ボールに当たれば外に出ます。
外に出れば、それ以上に狙われることはありません。
執拗ないじめとは別世界のものと感じます。
(2015.06.06 23:37:57)

RE kopanda06さん  
セイヤ777  さん
「お手々繋いでゴール」なんていうニュースが話題になった事もありますが、この手の問題が話題になる度に賛否の両論に閉塞感を覚えるのです。
教育の一貫なら競争原理も博愛主義も関係の無い話です。
走力のタイムやボール投げといった個別の能力差が評価差となるのは他教科と同じで当然なのですが、それだけなら定期的な身体測定と同じで体育は教科としての存在意義は無いですよね。おそらく今回のドッジボールの様な団体競技にこそ教育としての意義も醍醐味もある様に私は思うのですが、残念ながら体育の授業の効用で何かが特別に進歩したという事例を私は自他共に知らないのです。

身体能力が不揃いな体育授業での団体競技では結果を出す為に「与えられた環境での最善策を考える」という指導がされるべきで、「チームの全体最適」が授業課題となれば「イジメ」ほどに非生産的な行為は無い事を知る事に成るのではないでしょうか。
弱点とされる者を最初に外に出してサポートに回す戦術が最善手なら、出る者も自分を最適化する策として共有し能動的に自らサポートに回る選択をする事が出来ます。

「教育」に限りませんが、良くも悪くも漠然としたイメージだけで物事が進んでいる印象が拭えないのですよね。特に現在の体育教育が教育の態を成していると私には思えないのです。

(2015.06.08 23:48:00)

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