全31件 (31件中 1-31件目)
1
今日の10月23日は,稜真(りょうま)君の2歳の誕生日.昨日は,去年と同様ディズニーランドに行ってきました. 1年ぶりのミッキーマウスとの再会.去年はミッキーにびびって大泣きだったのに,今回は問題なく写真撮影.帰り際にも,「バイバイ」と手を振る.成長した稜真君でした. アメリカはハロウィンの前とあって,パンプキンの飾りもの.結構かわいい.まあ,それにしても昨日のディズニーランドはめちゃくちゃ混雑.人気のアトラクションは40分待ちとか.年間パスを買ったのでいつでも来れるので,4時間くらい遊んで帰りました.そして,今日.一応バースデイケーキを用意して,自宅で誕生日を祝いました.稜真君大喜び. 「おいしっ」と大喜びでした.っとまあ,こんなかんじで2歳の誕生日を祝いました.明日からはテキサスのダラスに1泊の出張.そして,金曜日からは待ちに待った日本へ出張.めちゃくちゃ楽しみですわ... さんま!秋刀魚!サンマ!さんま!秋刀魚!サンマ!さんま!秋刀魚!サンマ!さんま!秋刀魚!サンマ!さんま!秋刀魚!サンマ!
2006.10.24
コメント(2)
僕の両親は昨日5日間のロサンゼルス滞在を終え,僕の姉が住んでいるデトロイトへ向かった.この5日間,いろいろ話ができとても楽しく有意義な時間を過ごせた.僕の両親はこのブログの熱狂的な読者なのだけども,あたらめてブログというのは,アメリカと日本に住む親子間の距離を狭めてくれる.僕のかみさんのブログでは稜真(りょうま)君の近況をほぼ毎日伝えているので,いちいち細かい説明をしなくてもいい.僕の仕事のことや考えていることなども,このブログを通してすでに理解してもらえているので話が早い.この滞在中でも父親と会話との会話で, 「ああ,それってブログに書いたKさんのこと?」 「ブログにも書いてあったように,・・・」みたいに,「ブログ」の日記内容を参照して,説明すればいいのでとても楽だ.■ 正しいことは控えめに...そんななか,11.22.2005の日記で,「正しいことを言うときには控えめに言う」と書いたことで,「どこから知った?」のかと父親に聞かれた.この「正しいことを言うときには控えめに言う」という教訓は,僕らが結婚するときにかみさんの友達からもらった吉野弘の「祝婚歌」という詩からえた. 「祝婚歌」吉野弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目を使わず ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい2人でこの詩を読んで,「正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい」という言葉に感動し,それから「正しいことは控えめに言う」というのは僕ら夫婦のポリシーとなった.■ 言うは易く行なうは難し そんなエピソードを話したら,実は父親も同じ詩を読んで,同じ場所で感動したらしい.結婚式の祝辞でも「正しいことは控えめに言う」ようアドバイスしていると父親はいった.実は,僕も友達が結婚するときに同じように「正しいことは控えめに言う」ようレターで祝辞を贈ったりしている.親子といえども,こんな偶然に気がついたのは面白い.さらに面白いと思ったのは,この教訓とは裏腹に,父親が「正しいことを控えめに言えず」,母親との夫婦喧嘩をよく見ていたことだ.僕がこの吉野弘の詩を読んだときに,真っ先に両親の夫婦喧嘩を思い出したのだが,これは気のせいだったということにすればよいか.
2005.12.27
コメント(4)
稜真君、1歳の誕生日おめでとう!いろいろあった1年だったけど、やっぱり感動的な1年前を思い出しますね。 1年の出産の慌しさを思い出しました(→稜真出産の物語) あと、生まれたての稜真は小さかったな(→稜真誕生) そんなことで稜真君の1歳記念を祝う週末。昨日は夫婦で、稜真君の誕生日パーティ。そして、今日はディズニーランド。ミッキーにもあって、稜真はご機嫌?とまあ、本当は家族時間の週末と行きたかった。。。のだけど、それと同時にメキシコ出張のレポートを書き上げなければならなかった。週末の時間の合間をぬってレポートを書いたのだけど、結局12ページの大作になってしまった。製品品質不良でのレポートで12ページってどうゆう意味か分かります?もう、製品不良の問題だらけ。そして顧客は怒る(当たり前)。こうゆうときは、客観的事実にもとづいて問題点を分析して、会社が解決しなければならない課題を突きつける。「工場を動かす」レポートを作らなければならず、これが結構時間がかかって面倒だ。こんなけ一生懸命書いたのだから、工場はちゃんと対応し品質を向上してもらいたい。さて、明日からはテキサス出張。また、ブログさぼりま~す。おやすみなさい。
2005.10.24
コメント(4)
9月11日の日曜日は、Mさんの家に遊びに行ってきた。ちょうど、サンディエゴで一緒に住んでいた僕のルームメイトT君とその奥さんKさんがMさんの赤ちゃん(ランス君)をみに遊びに来るということだったので、一緒にMさんの家のパティオでバーベキュウをしようという話になっていた。彼女の家は、ロサンゼルスから車で1時間30分ほど西にあるオックスナードという 町にあり、リビングからはヨットハーバーが望め、どっかのリゾートホテルにきたような気分にさせてくれる。(Mさん自宅のパティオから望むヨットハーバー。とってもいいでしょ?)(バーベキュウはこんな感じ。ビーフに、野菜とマッシュルームの串さしとソーセージ。自宅のパティオでBBQができるのだからアメリカはいいよね)さて、肝心のランス君。 以前会ったときからすでに一ヶ月が経ったのだが、問題なく育っている様子。生後1ヶ月にも関わらずランス君の髪の毛は稜真よりふさふさ。ちょっとうらやましい。。。2005.09.07日記のとおり、海兵隊に勤めるMさんの旦那はカタリーナの復興任務ニューオリンズへ行ったこともあり、Mさん一人で子育てをしている。しかも、オックスナードには最近引っ越したこともあり、友達が一人もいないのだ。一人での子育て+話すママ友もいないとなると、相当しんどい生活をしているのではないかと思う。ちょうど去年会社のKさんのアパートでのクリスマスランチのとき( 2004.12.19日記)、ヴェンチュラに付近に住んでいるママ友が来ていたことを思い出した。その人をMさんに紹介できれば、地元のママ友を作れるかもしれない。さっそく、Kさんに連絡をとってもらうようお願いした。Mさんにそのことを話すと、「私のことを気にしてくれる友達がいると思うだけで、うれしいわ」と喜んでくれた。僕ら夫婦が帰るときMさんの一言を思い出す。「長居してくれて、ありがとう」その言葉には、ちょっとして寂しさが感じられた。やはり彼女には地元のママ友が必要だ。僕には友達を紹介することしかできないけど、もしヴェンチュラ、オックスナードあたりに住むママさん・お友達いましたらご連絡ください。
2005.09.12
コメント(1)
あすは子どもの日。稜真が生まれて初節句となるのだけども、「そもそも節句とは何だろう?」とおもって調べてみた。 端午の節句ー 五節句の一。五月五日の節句。もと中国の行事。軒に菖蒲(しようぶ)や蓬(よもぎ)を挿し、粽(ちまき)・柏餅を食べて邪気をはらう。近世以降、男児のいる家では鯉幟(こいのぼり)を立て、甲冑(かつちゆう)や武者人形を飾って祝うようになった。 まあ、中国の行事で男の子のためにするお祝いの日と理解したが、僕は「粽(ちまき)・柏餅を食べて邪気をはらう」に注目した。ちまき・・・あのもちもちした感触のお菓子。久しく食べていない。想像しただけで、超ウルトラスパーデラックス食べたくなってきた。明日、日本のスパーにいって探しにいこう。ちまきが食べられるのであれば、いくらでもだそうではないか・・・端午の節句にあわせて、僕の両親がはるばる日本からやってくる。とはいっても、今はデトロイトに住む姉夫婦と落ち合いニューヨークで観光している。明日からロスに1週間滞在して日本に帰国する。まあ、僕の親にしてみたら、稜真君には4ヶ月ぶりで楽しみにしているだろう。以前から稜真ははるかに成長した。寝返りはするし、人の顔をみて笑うようになった。おもちゃにも興味をしめし、ものをつかんだりする。そんな稜真君(しかも初孫)にあうのも楽しみにしているようだ。今回はとくに精力的には動くつもりはないけど、今週の5/8-9にサンディエゴ・ティワナに観光(全員)。5/10に僕と親だけでユニバーサルスタジオへ行く予定。それいがいは自宅でゆっくり稜真君ともらい予定だ。まあ、そんなわけで、僕の両親が帰る5月12日まで、しばらく日記はサボる予定でいます。
2005.05.05
コメント(0)
家に帰ってきたのは夜10時頃。稜真はちょうど寝る前のぐずる状態。たぶん眠いのをこらえて、パパが帰ってくるのを待っていたのだろう(←妄想?)「稜真ただいま!」といいながら抱きかかえると、黙って僕を見つめた。3日ぶりの稜真との再会となるのだが、以前よりもさらにかわいくなったように思える・・・かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。心のやすらぎとともに、今日はぐっすりと寝ましょう。おやすみなさい!PS うちのかみさんがブログを始めました。稜真の写真ものっているのでよかったら訪問してみてください。 ↓Ryoma's Mommy 育児日記 in L.A.
2005.03.12
コメント(0)
先週の1月26日に稜真の3ヶ月検診に行ってきた。身長は60.96cm 体重5760g。小児科の先生によると既に身長・体重ともに「標準」の平均領域に入り、順調に育っているらしくホッと一安心。 生後から3ヶ月を下記にまとめると。。。10/23/04(誕生)45.72cm 2,184g 11/5/04 (2週目) 47.63cm 2,780g 11/19/04 (1ヶ月) 48.90cm 2,930g 12/15/04(2ヶ月) 55.88cm 4,313g1/26/05 (3ヶ月) 60.96cm 5,760gいろいろ稜真が生まれてからバタバタしていたら、あっという間に3ヶ月が経った。ぅギャッとかわいい泣き声だったのだが、最近の泣き声は力強い。赤ん坊にも時差ぼけというものがあるのか、日本から帰ってきたら、夜の寝つきが悪い。なんとかして稜真を寝かしホッとしたところで、パソコンにむかいカチャカチャ打ち込んでいると、また目をギョロと開けて「お前うるさいぞ~」と言わんばかりに泣き出す。ヴギャーアアアアアそんなわけで最近は2時くらいまで起きていることが多く、ちょっと寝不足気味。まあ、体調を崩すこともなく健康にいてくれる稜真にも感謝しないとね。
2005.02.03
コメント(2)
Sometimes one must travel far to discover what is near(人は身近なものを発見するために遠くへ旅をする必要がある).- Uri Shulevitz "The Treasure"シュルビッツのこの言葉を読んだとき、旅する意味というものをあらためて気づかせてくれた。旅をすることによって、違う土地の文化と人に接するからこそ、自分の住む町の良さや悪さが見えてくる。今回2年ぶりに日本に帰って、新たにアメリカの良さを発見したところがあった。■ 赤ちゃんに温かいアメリカアメリカで赤ん坊と一緒にあるいていると、見ず知らずの人が声をかけてくれる。「かわいい~」「何ヶ月?」「男の子、女の子?」から始まり、「私の子供は・・・」などと自分の経験談まで話が膨らむときもある。 この出張帰りでロサンゼルス空港について入国審査で長蛇の列で並んでいるときは、誰も並んでいない入国審査官のところに「こっちこっち」と呼ばれ、優先的に審査してくれた。 スーツケースのピックアップするところでも、ANA従業員と思われるアメリカ人のおばちゃんも稜真をみるやいなや、「まあ、かっわい~いわね。」の声をかけてくれた。かみさんが手荷物をカートにのせようと寝ている稜真の乗っているベビーカーを動かそうとすると、おばちゃんが「起しちゃだめよ!」と手伝おうとしてくれる。 こんな人々の対応に接すると、アメリカに戻ってきたきがする。■ 赤ちゃんに冷たい日本の皆さん初めて子供と一緒に日本に帰ったからかもしれないが、日本の皆さんの反応はあまりにも冷たく感じた。 かみさんの実家に向かう江ノ電に乗っているときのこと。車内はある程度こんでいて、ラッシュほどではないが満席の状態だった。11時間のフライトに、成田から鎌倉まで2時間半。へとへとに疲れきった中、あと残りわずかなのに、稜真の機嫌は最悪。稜真をベビーカーの中で落ち着かせようとするが、一向に稜真は泣き止まない。かみさんが稜真をベビーカーから取り出し抱っこするが、これまた電車のゆれが怖い。もし稜真を抱えながら倒れてしまったら、大事故になるかもしれない。僕らは周りの人に「席をゆずりましょうか?」の一言に期待をしていたのだが、全くその気配はない。むしろあまりの無関心さに冷たい視線を感じたのは僕だけだろうか?かみさんのお友達Yさんが日本に帰ったときの心が狭いババアとの体験話を思い出した。Yさんは地下鉄銀座線のホームで1歳弱の子供をベビーカーに乗せて歩いているときのことだ。ベビーカーを押しているのだがら、人よりは遅いペースで歩かなければならないのに、50代くらいのババアが邪魔そうにYさんを抜かして抜かしていってボソッと一言。「ベビーカーって危ないのよね~。」ほんとうに言わなくてもいいことを言うババアだ。こんなババアがいると思うと、やるせない。子供を持っていないババアか、それとも本物の悪ババアか。いずれにせよ心が狭い。電車の中のサラリーマンを姿をみていて顔の表情に明るさが感じられず、みんあ疲れている様子だった。そんな環境が赤ちゃんに対する心のゆとりがない環境を作り上げているのか。やっぱり稜真を育てるならアメリカがいいな。
2005.01.26
コメント(5)
稜真の成長には目を見張るものがある。その成長とともに稜真への愛情は日に日に強くなっていく。もう単なる「かわいい」などという単純な言葉では表現できなくなった。美しい。。。輝かしい。。。まぶしい。。。天使のよう。。。いとおしい。。。■ 笑う最近の成長として笑うようになったことだ。純粋な笑顔でみつめられると、僕の心の中に暖炉のような暖かい火をともしてくれる。先月から時々笑うようになった。その決定的瞬間を写真に撮ろうとしていたのだが、カメラを準備している間に笑うのを辞めてしまう。。。そんなことを1ヶ月くらいしていたら、昨日やっとその瞬間をキャッチした(↓)。 美しい。。。輝かしい。。。まぶしい。。。天使のよう。。。いとおしい。。。■ 声を上げる最近の稜真はただ単に泣くだけじゃない。機嫌のいい時には、手や足をバタバタさせならが、声を発する。あ~ぅあ~ぅあ~ぅ 美しい。。。輝かしい。。。まぶしい。。。天使のよう。。。いとおしい。。。■ 見つめる昨日くまのがらがらを振りながら稜真と遊んでいた。大きな目をぱっちり開けながら、くまのがらがらを見つめている。ちゃんと見ているのか興味深く、音を鳴らしながら上下左右に動かした。稜真の透き通った目はがらがらを追いかけるではないか。稜真をお風呂を入れているときも、最近を僕のことをじっと見つめる。うっ 美しすぎる。そんな純粋な目で見つめられると、胸がキュンとしてしまうではないか。 美しい。。。輝かしい。。。まぶしい。。。天使のよう。。。いとおしい。。。今年の稜真はどのくらい成長するのだろう。その成長とともにさらなる深い愛情が生まれてくるのだろう。 今年の目標:パパと言わせてみせる!!人気blogランキングへ
2005.01.04
コメント(2)
会社の女の子(Kさん)からクリスマスランチに誘われ参加してきた。彼女の住むアパートが主催するクリスマスランチで、サンタクロースの衣装を着たおっちゃんが来ることになっていた。彼女の住むアパートは結構高級。ゆとりのあるアパートコンプレックスの中には、プール、ジャグジー、テニスコートや、プールの目の前に建つレクリエーションセンターには、スポーツジム、ビリヤード、卓球、サウンドシステム内臓のDVDルームなど設備はホテル級といえる。サンドイッチやスナックから、ジュースなどの飲み物が用意され、思ったより豪華な昼飯。そのレクリエーションルームの入口にサンタクロースの衣装を着たおっちゃんが座っていた。稜真を抱いてもらい早速記念撮影。サンタクロースの衣装を着たおっちゃんは期待したとおりだった。ふさふさした白髭に、サンタクロースらしいめがね、そしてなんといっても赤いサンタクロースの衣装だ。 いいぞ~!っと思いきや、そのサンタクロースの衣装を着たおっちゃんの隣にもう1人座っていた。サンタクロースの隣に座っているのだから、サンタおばちゃんたるものか?しかし、赤い服(衣装?)をきた普通のおばちゃん。サンタクロースといえば、トナカイやソリーそしてプレゼント。しかし、サンタおばちゃんがプレゼント配りを手伝っていた話というのは聞いたことがない。このサンタおばちゃん、サンタらしい赤色の服装を着ているが、寒さを凌ぐような服装ではない。かなり軽装で、どうみてもカルフォルニアから来た人間としか見えない。雰囲気を出しているつもりだろうが、このおばちゃんがサンタクロースと並んで座っているのは、とても強い違和感を感じた。(↓)かみさんと稜真の3人でサンタクロースと写真を撮ってもらおうとしたが、このサンタおばちゃんが余計なことをいう。「私のひざの上に座りなさい」と満面の笑みで僕にいう。そんな笑顔で言われてしまえば、断るわけにはいかない。僕のイメージは、寒い中トナカイと一緒に子供達の幸せ(プレゼント)を配りに動き回るのが僕のサンタクロース。それにカルフォルニア風サンタおばさんは必要ない。結局僕の中で、サンタクロースの衣装を着たおっちゃんは、サンタクロースにはなりきれなかった。 人気blogランキングへ
2004.12.19
コメント(2)
稜真の泣き声が診察室に響きわたった。おそらく稜真の人生(2ヶ月)で一番大きな声を出した瞬間だろう。先日、2ヶ月検診に稜真を連れて行き、予防接種で初注射をうけた。注射の針を足にさした瞬間、稜真は動きは完全に止まり、完全なる真顔になった。がっ、突然眉間にしわをよせ、次第に表情が険しくなる。口を大きくあけ、泣き出した。稜真の泣く姿はかわいそうではあったが、力強い泣き声に成長を感じた。身長体重にも問題なく成長している。やっと2ヶ月目で身長も体重も赤ちゃんの標準範囲に入ったので、ひとまず安心というところだろう。10/23/04(誕生)45.72cm 2,184g11/5/04 (2週目) 47.63cm 2,780g11/19/04 (1ヶ月) 48.90cm 2,930g12/15/04(2ヶ月) 55.88cm 4,313g生後から53日目となるから、1日身長2mm、体重40gのペースで増えていった計算。子供の成長っていうのはすごいな。これからの成長をみるのも楽しみ楽しみ。ウッふっフ幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸幸 人気blogランキングへ
2004.12.18
コメント(1)
いつものように稜真をあやしながら、「パパだよ~。パパって言ってみな」と語りかけていた。「なんだよ、パパ」稜真は眉間にしわをよせながら、めんどくさそうにしゃべった。いきなりの言葉に腰を抜かした。「稜真、いつからしゃべれるようになったの?」かみさんは目を丸くしながら聞く。「ずっと前からだよ、ママ!」生後1ヶ月半でしゃべれる稜真をみて、僕ら夫婦は大喜び。「キャ~!稜真パパとママどっちが好き?」 「パパだよな」 「いやっ、ママだよね~、稜真!」「パパもママもうるさいよ~、静かにしてよ!」稜真の怒った目でにらみつけられた時、はっと目が覚めた。稜真は気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。夢だった。なんとも奇妙な夢だった。赤ちゃんは欲望も意思もない純粋な目が美しい。しかし、その純粋な赤ちゃんがいきなり自分の意思というものを持つと、いかにも人間らしい稜真の目が怖かった。そんな怖い目を見てしまったあと、まだまだかわいい赤ちゃんでいて欲しい。それにしても、稜真の成長はとても早い。大きすぎたベビー服も、最近はぴったりになってきた。体重は重くなり、抱っこしていると腕に疲れをかんじるようになった。なんといっても、僕の夫乳を吸わなくなった(11.09日記を参照)。父親と母親の乳首の違いが分かるようになってしまった。悲しい現実だが、父親として稜真の成長を認めなければならない。 人気blogランキングへ
2004.12.13
コメント(6)
今日、大学の同窓会主催のクリスマスパーティーに稜真と一緒に参加。パーティーはディズニーランドのすぐそばにあるシェラトン(ちょっと高級)で行われた為、会場にはでっかいクリスマスツリーが飾ってあった。以前購入したクリスマス衣装を稜真に着せ、ツリーの前で写真を撮った。かなりかわいい。会が用意した抽選会(ラッキードロー)では、お目当てのデジタルカメラが大当たり。おもちゃみたいなカメラだが、使えないわけではない。ラッキー。ただ、稜真を外に連れて行くのは、結構世話がやける。家に帰ってきたら、疲れがど~っとでた。もう寝よう。そんなわけで、お休みなさい。人気blogランキングへ
2004.12.05
コメント(1)
今日は稜真にクリスマス衣装を着せ、写真撮影をした。稜真の写真をクリスマスカード兼年賀状に載せたいからだ。 寝起きのまどろみタイムが写真を撮る絶好のタイミングだ。手や顔を微妙に動かす。眉間にしわを寄せたり、最近は笑うようになってきた。まどろみタイムはいろいろや表情を捉える宝庫だ。しかし、お腹がすいて泣き出したらおしまい。そのすくないまどろみタイムを使うのが難しい。しかも、ひたすら動くので決定的瞬間を捉えるのも難しい。 いろいろ格闘したあげく、納得のいける写真を撮ることができた。ほっと一安心。明日、コスコへいってカード作りをしてきます。
2004.11.28
コメント(2)
乳首を吸わせたくなるという日記(11.06)を書いたところ、NYのゆーみんさんから「吸わせてみてばでょうでしょう?」と貴重なコメントを頂いた。さらに、ゆーみんさんの弟さんは自分の子供に乳を吸わせたというのだ。このような衝動にかられるのは自分だけではないという安心感をえられたと同時に、母乳なる夫乳(?)を与えて父性愛というもの感じたくなった。よし、僕の乳を吸わせよう、そう決意した。そのチャンスは昨日の夜12時前にやってきた。僕らの手伝いに来てもらっているかみさんのお母さんはベッドルームに寝てもらい、僕ら夫婦と稜真はリビングルームに寝ている。すでにお母さんはベッドルームで、かみさんはリビングで寝ており、僕だけが起きていた。そのころ稜真が「あっあっあっ小さな声をあげ、手や足を振り回し体を動かしだした。 稜真を抱っこして、机のいすに座った。寝起きの稜真はうつろな目をしながら、僕を眺めた。なんとかわいい子供だ。稜真が起きているときは、ずっと眺めていても飽きることはない。口をむにゃむにゃ動かしたり、手や足をぐるぐる回す。ラッキーなことにめったに大声をだして泣くことはない。お腹がへれば、「ぅぎゃ」と小さな声をだす。腕に稜真の頭をのせ抱いていると、次第におっぱいをさがすしぐさをする。よし、そろそろ時間だ。稜真が落ちないよう丁寧に抱えながら、Tシャツを脱いだ。なぜだか、心臓の鼓動が強くなる。上半身裸になり、稜真を抱く。左腕に頭をのせ、ゆっくりと僕の左乳首に近づける。稜真は口を大きく開け、頭を揺さぶる。乳首を捜しているのだ。右腕で頭を支えながら、稜真の口を乳首にあてた。稜真は唇を上下に動かし、吸い始めた。乳首は稜真の口の中に吸引され、引っ張られる。想像以上に稜真の吸い込む力は強かった。たまに、稜真の舌が僕の乳首をなめる。きっ、きもちいい!くすぐったいのではなく、きもちいいのである。気がつけば、僕のあそこは完全に勃起していた。これが父性愛なるものか?よくわからないが、人間の神秘を感じた瞬間でもあった。10秒ほど夫乳を与えたが、稜真にはすぐに泣き出した。「ごめんごめん稜真、今のは父親からの愛だったんだよ!」
2004.11.09
コメント(5)
皆さんこんばんは。 14日前のちょうど今頃の時間に我が子稜真は生まれた。てんやわんやの出産劇から早2週間。時がたつのは早い。今日は2週間検診で小児科医につれていった。体重は340g増え、稜真の成長は順調とのことで安心した。出産直後はどのように母乳を与えればよいのか分からなかったのに、最近ではお腹がすくと手や足、口もむみゃむみゃ動かす。「あっあっあっ」と声を出し、合図をおくってくれるようになった。ちょっとした変化でも、子供の成長は親とってはうれしい。お腹がすいているときに僕が抱っこをしていると、母親と間違えて口を胸に近づけ僕の乳を吸おうとする。そんなとき母性本能なる父性本能か、上半身裸になり僕の乳首を吸わせたくなる衝動にかられる。自分が生産した栄養をこんなかわいい子供に与えられるなんて、なんと神秘的なことか。稜真よ、オレの乳を吸え!残念ながら男にはそれができない。初めて女に生まれたらよかったなと思った時だ。生理はやだ、出産もやだ、ただ乳を吸わせたい。なんとも自分勝手な発想だ。かみさんにそんなことを言うと、「それは母親の特権だわ」と一言。もっともだ。稜真を見ながら、そんなことを思う1日でした。
2004.11.06
コメント(6)
(昨日の日記からの続きです)10:50pm ロス到着 United715 便はロサンゼルス国際空港に着陸した。やっと着いた。 2 時間の遅れもあわせ、 4 時間機内に閉じ込められていたので、肉体的にも精神的にも疲れきっていた。 携帯電話の使用許可のアナウンスを聞き、さっそくかみさんに電話した。 「いまロスに着陸したよ。どうしていた?」 「いま寝てた」と聞き、ひとまず安心した。 かみさんの話によると、陣痛は8時 30 分から始まって 30 分くらい耐え、すぐに麻酔を打ったということだった。今は麻酔が効いて痛みは感じないということだった。とりあえず安心だ。 9 時 30 分の時点で子宮口は5 cm まで開いているらしい。とりあえず、出産までには間に合うだろうと安心した。 10 分ほどでゲートに到着した。荷物引取りへ急ぎ、チェックインしたカバンが出てくるのを待った。ここからも長かった。いつまでたってもコンベアーは動かない。カバンを待つ乗客はコンベアーに座り、いらだっているようだった。僕もその 1 人。早くしろ! 「ビーッビーッビーッ」コンベアーの動く合図音が鳴った。 30 分は待たされただろう。遅いと思いつつ、カバンがでてくる場所で待っていたら、なんと一番最初に出てきたカバンは僕のではないか。本当に信じられない!!奇跡だ!! 11:45pm タクシーで自宅へ 空港から自宅までは 15 分。タクシーの運ちゃんは、無愛想で態度の悪い黒人だった。「この道路で下りてくれ」「 2 番目の信号で右」などと道順に指示を出すが、 Yes とも言わないしもうなずきもしない。頭に来る奴だ。こんな無礼な奴にチップをあげたくない!と思うが、今はもめたくない。会社の金だ。しょうがないから最低限の3ドルだけあげるよ。 10 月 23 日 稜真誕生の日 0:00am 帰宅 急げ!出張で使ったカバンから工具や資料を放り出し、かみさんに頼まれたものを放り込む。忘れ物があれば後で取りにこればよい。急いで着替え、いざ病院へ出発。 0:15am 病院へ到着 家から病院へは車で 5 分。歩いてもいける距離だ。緊急用出入口から入り、窓口のおばちゃんに出産の立会いに来たことを伝えた。おばちゃんは産婦人科に電話し、名前が一致するか確認をする。早く早く!確認ができると、セキュリティーの鍵を開けてくれた。結構厳重に管理されていた。 0:20am 病室へ 産婦人科の受付で名前を告げると、部屋番号を教えてくれた。急いで向かい、部屋をノックし恐る恐るドアを空けた。 「間に合ったわ( You made it! )。たった今あなたのことを話題にしていたのよ」と 2 人の看護婦さんが歓喜を上げた。すでにかみさんは足を広げて出産の体制に入っていた。たくさんの管がかみさんの体に取り付けられていた。腕には陣痛促進剤とブドウ糖の管が,背中には麻酔の管、膣には羊水を補う管、導尿などなど。かみさんの口には酸素マスクをかけ、膣からは血が流れていた。分娩監視装置から、稜真の心拍を捉え部屋中に聞こえる。ドクン・ドクン・ドクン。 「大丈夫かい?」 かみさんは笑顔で「もう間に合わないかと思った」と答えた。 看護婦さんに現状を尋ねると、子宮口は全開大で、2・ 3 回いきんでいた。とても順調で、すでにドクターを呼んだらしい。出産が間もないことを悟り、心臓がドキドキしてきた。しかしデンバーでの足止めの不安感はもうない。かみさんのそばにいる。 4 度目のいきみがはじまった。かみさんは大きく息を吸い、次に 10 秒間息を止めお腹に力を入れる。その瞬間膣は大きく膨らみ、稜真の頭半分くらいが出てきた。おっお~!稜真と初体面だ。薄い毛がはえており、地肌は青黒かった。今すぐにでも出そうだった。とっさに看護婦さんがいきむのを止めてリラックスしろと指示した。稜真の頭は膣の中にゆっくり戻っていった。稜真の出産はもうすぐだった。ドクターがくるまで待つことになった。 かみさんからビデオカメラを準備してくれと頼まれた。ビデオをカバンから取り出す。オンにするが電源が入らない。やばい!バッテリーが入っていない。 「バッテリーどこ?」とかみさんに聞く。さすが僕のかみさん、ビデオの袋の中にバッテリーをしっかり準備していた。バッテリーを取り出す。やばい!どこに入れるか分からない。出産まじかのかみさんに頼み、バッテリーをセッティングしてもらう。 「テープも入っていないから」とテープのセッティングも頼まれた。テープを取り出す。やぱい!ボタンがいっぱいありすぎて、テープ入れ方が分からない。機械を扱う技術者でありながら、ビデオカメラの操作が分からないとはなんとも情けない。パパしっかりしなさいよと言われそうな看護婦さんの視線が気になり、冷や汗をかいた。 0:30am ドクター到着 いよいよドクターがきた。ドクターは緑色のオペ着を着ながら、いきむよう指示した。かみさんは深呼吸をし、いきんだ。 「 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・・・」と 10 秒間数える。膣が大きく膨らみ、稜真の頭が出てきた。深呼吸して、さらにいきむ。 「 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・・・」その調子だ。半分以上頭が出てきた。いいぞ。 「 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・・・」丸々顔が出てきた。稜真の顔だ。「がんばれ、その調子だ」 「 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・・・」 準備しておいたビデオを急いで取る。稜真の誕生の瞬間をカメラに収めたかった。 頭が出てからはあっという間だった。ドクターは顔を丁寧にもち、ゆっくりと稜真の体を取り出した。稜真よ、泣け! 0:37am 稜真誕生 ぅギャー、ぅギャー、ぅギャー。僕とかみさんの子供が生まれた。カメラ越しから、稜真を眺めた。手が震えた。稜真が誕生してすぐ、へその緒がついたままかみさんの胸にあたりに稜真をおいた。かみさんの笑顔が美しかった。看護婦さんが「顔にキスをしたら」といわれ、チュっと稜真の頭にキスをした 僕はただ呆然としていた。人が生まれるすごさを理解していたつもりだが、喜び・感動というよりも、安堵感でいっぱいだった。 稜真よ、よくがんばった。それは僕たち夫婦に与えてくれた 2004 年最高のプレゼントだった。 「おつかれさま」とかみさんに。 「この世界へようこそ」と稜真に。 Welcome to the world!
2004.10.31
コメント(2)
明日、僕はパパになります。新しい一つの命が始まり、新しい家族ができる。 2004 年 10 月 2 2日 20 時 59 分 今はデンバー空港で足止めをくらい、 United715 便の 41D の座席。この便は 20 時 0 7分に出発予定だったが、管制塔トラブルのためユナイテッド航空のターミナルがすべて遮断されたのだ。約 1 時間機内で待たされているのに、復旧の見通しは立たない。人生最大のイベントが始まろうとしているのに、僕はついていない。 「今日稜真を産むことになったの。」 19 時 30 分頃、かみさんからの突然の知らせに、僕は動揺した。 「えっ、今日なの?」予定日より 2 週間も早い。 「病院の検査結果で、羊水がすくないみたいで、このままだと胎児に悪い影響を与えるの。すぐに入院して、これから陣痛促進剤をうつんじゃない?」 心臓の鼓動が強くなりつつあった。「わかった、ロスに着いたらすぐに病院へ向かうよ。」 病院へ持っていくべきものをあわててメモ書きした。ペンを持つ手が震えている。 ●ストーブの前においてある紙袋(赤ちゃんの服、) ●黒いポーチ(かみさんのくし、化粧液など) ●歯ブラシ ●デジタルカメラ ●ビデオカメラ 他に持っていくべきものを聞いたが「あなたが病院にきてくれればいいから」ということで電話をきった。 もうすぐ僕はパパになる。いてもたってもいられない。 4 日間のアイオワ、コロラド出張で体はかなり疲れきっている(21日のロッキー山脈国立公園での観光も含めて)。少しは眠って体を休ませようとするが眠れない。そんなわけで気持ちを落ち着かせるために、文章でも書こうというわけだ。 かみさんの妊娠がわかったのは、今年の 3 月9日だった。 「私、妊娠しているかも」 生理は遅れているし、体温はいつまでたっても下がらないというのだ。正直驚いた。少なくとも 2004 年のプランに子供という項目は考えていなかった。とにかく、妊娠しているかどうかは、早く知りたかった。 「今すぐ妊娠検査薬を買おう」 妊娠検査をやったことがある人ならわかるかもしれないが、結果をまつ 3 分ほど長く感じるものはない。かみさんと僕は検査薬をじっと見つめた。検査薬の窓に赤いラインがあらわれるのか。この 3 分で喜ぶカップルもいれば、絶望するカップルもいる。とにかく 3 分は長かった。 赤ラインがあらわれた。信じられなかった。色をじっと眺めた。光をあてる角度をかえ色を確かめた。説明書を何度何度も読み返したが、かみさんが 99.9% 妊娠していることにはかわりなかった。言葉が出てこなかった。子供ができたという意味を把握するのに時間がかかった。2人とも黙ってその意味を理解しようと必死に考えた。最初は驚きで言葉にならなかったが、しだいに落ち着きを取り戻すと、新しい命を授かった喜びの気持ちでいっぱいになった。まあ、 30 歳までには子供が欲しいと考えていたのだから、遅かれ早かれうれしい話だ。 「男の子だったら、名前は“りょうま”にしよう」 坂本竜馬は僕ら夫婦のマイブームだった。去年の年末に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、すっかり竜馬の人間性に感動してしまったのだ。坂本竜馬のようにリーダーシップを発揮する人間になって欲しいという願いが込められている。漢字の画数でみてみると「竜馬」は凶。最悪だ。画数のよい「稜真」という漢字を採用した。~後から書き加えるが、「竜馬がゆく」の物語と歴史的事実は異なるという記事を読み、ちょっとがっかり。( HEAT さんの日記「近代日本とフルベッキ 第ニ章 坂本龍馬」を参照)~ 21 時 25 分。 「 10 時前には出発できそうです」パイロットは申し訳なさそうに機内アナウンスをした。よかった。今日中にはロスに帰ることができる。とりあえず一安心。 もうちょっとで出発できそうだとかみさんに連絡した。病院ではすでに破水させ、陣痛促進剤を打っていた。 「それで陣痛は始まったの?」 「うんちょっと痛くなってきた」 1 人で病院にいさせるのはとても不安だった。近くに住む仲のよい友達に来てもらおうと考えていたが、「とりあえずいいや」と断れた。あともうちょっとだ、待ってろよ! 10 時頃、 United 715 便はロサンゼルスに向かって飛び立った。 2 時間の遅れだった。この緊急時に限ってトラブルがおきるとは運が悪い。まあ、出産が出張から帰る日であったのはよかった。とりあえず、飛行機が飛んでくれたことに感謝しなければならない。稜真がこの世に誕生する瞬間をこの目で見たかったのだ。なんとか間にあうだろう。 飛行機は激しく揺れた。カルフォルニアで大雨をもたらした嵐の影響だろう。スチュワーデスが飲み物を準備していたトレーが倒れ、ガシャーンと大きな音が機内に響きわたった。揺れるたびに書くことをやめ、目を閉じた。揺れにより機体のきしむ音が聞こえる。飛行機が揺れ、体が揺れる。暗闇の中で、心が大きく揺れる。 無事に生まれるのか? 健康な子供で生まれるのか? 帝王切開になってしまうのか? 稜真を育てられるのか? 子供を養っていけるのか? 突然の出産に落ち着かない。考えれば考えるほど、僕は混乱した。後すこしで、ロサンゼルスに着く。とりあえず、目を閉じて体を休ませよう。
2004.10.30
コメント(2)
皆さん、こんばんは。■血液をなくした病院のミス昨日、病院で黄疸の血液検査を受け、その日にドクターより検査結果を報告すると言われていました。しかし、昨日中に連絡がなく変だなと思っていました。今日ドクターの初検診に行き、ドクターに検査結果を聞いたのですが、病院から検査結果の報告がなかったということでした。すぐにドクターが病院に状況確認をしたのですが、病院で 昨日採血した検体(血液)をなくしてしまったというミスが発覚。もう一度病院で採血してくれということでした。治療すれば治る黄疸とはいえ、検査結果を気にしている患者に対しては本当にお粗末な管理だ。ありえない。昨日採血した検査技師のおばちゃんは申し訳なさそうに「検査室が血液を無くすなんて、信じられないわ」と言っていた。ずさんな病院のおかげで、稜真はもう一度痛い目にあわなけならないのは、かわいそうだった。ドクターから検査結果の報告をうけたのは、採血してから1時間後。さすがに今日は早かった。結果として、 血清ビリルビン値は通常値におさまっているようで、入院の必要はないそうです。とりあえず一安心。ただ、小さい赤ちゃんは引き続き気をつけなければならないということなので、これからも気は抜けません。■ 「育てられる」から「育てる」 パラダイムの転換稜真は生後4日目。稜真が生まれて、気がつけば私生活が100%変わっていました。寝不足で会社に通い、帰宅しては稜真と家事のケアー。出産間もないのに母乳を毎日2~3時間おきに与えるかみさんに感謝。僕がオムツや家事などをサポートしないと、とてもじゃないけどやっていけません。「育てられた立場」から「育てる立場」へのパラダイムの転換は、非常にいい勉強になっています。本当に子供ができてから親のありがたみが分かるというのも、やっと今になって理解しつつあります。お父さん、お母さん、ここまで育ててくれてありがとう!稜真を立派な人に育てて、自分も人としての幅をもっともっと広げていきたいです。
2004.10.28
コメント(4)
皆さん、こんばんは。出産してから2日目の今日、無事に稜真とかみさんは退院しました。かみさんが入院している間僕も一緒に泊まりましたが、入院してからの2日間は大変でした。病院では看護婦さんが母乳の与え方やオムツの替え方などを赤ちゃんを育てる学校みたいなものでした。みんなやさしく教えてくれるのでとても安心できました。最初はまったく母乳を吸わなかった稜真が、しだい吸い方を学んでくれたみたいで一安心してます。僕は頻繁に病院と自宅を行き来し、稜真を迎える為の家の準備しました。ベビーベットの組み立て、荷物を置く棚作り、大掃除などなど。。。稜真に体調を崩されるとこまるので、特に掃除は念入りにやりました。夜は病院の落ち着かないベットで寝るので、疲労がたまるたまる。もうクタクタ。まあ、いろいろ大変でしたが、家に戻ってくるととても落ち着きます。人が1人増えるだけで、家の雰囲気や自分の気持ちに大きな変化を感じることができます。ただ、気になることが一つ。黄疸がでて血液検査をしたところぎりぎりセーフでしたが、明日再検査があります。血清ビリルビン値が14以上であれば、また入院して光線療法することになります。しばらくは落ち着けないでしょうね。
2004.10.26
コメント(3)
本日の朝(10/23/04 12:37am)、我が家の稜真が無事生まれました。 体重2180g、身長45.5cmで、とても小柄な赤ちゃんでした。 予定日の2週間前の37週目出産でした。 検診をしたところ、「羊水がすくなく胎児に危険な状態になりかねない」という 理由で、突然昨日の夕方に稜真を生ませることが決まりました。 7時に陣痛促進剤をうち、9時半に麻酔、夜12時には子宮口が全開に なっていました。プッシュは3回を1セットとして、合計6セットで無事出産 されました。とてもスムーズな出産で母子ともに健康で一安心しました。今は、母乳を上げたり、おむつ交換したりすることで四苦八苦していますが、 自分の子供はかわいくてしかたがありません。 PS 僕はデンバーからの出張帰りで、稜真が生まれる17分前に病院に到着し、 間一髪出産を見届けることができました。こんな緊急時に限って、 飛行機の出発が2時間も遅れ、1人で 泣きそうになっていました(笑)。
2004.10.24
コメント(12)
皆さん、こんばんは。今日はマタニティークラスでご一緒したM夫妻の娘さんの命名式(お披露目会?ただの飲み会ともいえる?)にお邪魔してきました。3600gで産まれた生後1週間の赤ちゃんはとても小さくやわらかく、実際に抱いてみると「かわいい~」という言葉しか出てきませんでした。親になる実感を少しかみ締めた1日でした。■狭い世界M夫妻の旦那さんは現在ロースクール(法律学校)に通っていて、たくさんの学校友達が参加していた。日本では役人・弁護士・銀行の仕事をしている人達で、1年~2年間留学している方々だった。M夫妻の旦那さんと出身地の話題をしていたら、同じ鎌倉出身の弁護士Mさんがいた。「え?中学は?」「深中ですよ」と僕。「僕 玉中ですわ」地元ネタで盛り上がった。たとえ知らない人でも、中学・高校時代を隣町に住んでいた人とロサンゼルスで偶然出会うのは本当にうれしいものだ。僕はMさんの2年年下ということがわかったとき「Sさんって知っている?」とMさんが聞いた。Sさんは宇宙人みたいな人間離れの顔をした中学の野球部の先輩だった。大学受験で2浪し、僕と同じ大学に入った。S先輩は、大学1年のときウィンドサーフィンの同好会で一緒になり、いきなり同学年になり対応に困ったときがある。中学のときの2年上の先輩は神様みたいなもので、同い年の同級生がS先輩にタメ語でしゃべっているにも関わらず、僕はS先輩には敬語でしゃべるしかなかった。MさんはS先輩と仲良くしていたみたいで、現時でも連絡をよく取っているという。いや~、世界は狭いと感じた1日でした。
2004.10.16
コメント(0)
皆さん、こんばんは。昨日出産体験談を紹介したM夫妻から、今週金曜日に自宅で行われる「お披露目パーティー」に誘われた。やったぜ。そうこなくっちゃ!マタニティークラスに参加した本当の目的は、育児をともにシェアできる友達をたくさん作ること。クラスに参加した11組夫妻の中でも、M夫妻は見た目で年齢も近そうだったので、本当に友達になりたかった夫妻でした(実は9.11の日記で「熱い視線をおくった」カップルはM夫妻でした)。新しい出会いというのは、わくわくしまよね。今週の金曜日が楽しみになってきました。
2004.10.12
コメント(0)
皆さん、こんばんは。5週に渡って行われたマタニティークラスが今日で最終回でした。このクラスでは陣痛、出産の呼吸法、新生児の育児まで幅広く授業が行われ大変ためになりました。正直、「出産はこんなに大変なのか」と自分の考え方が甘かったことを痛感しました。 ■出産の体験談 このクラスには11組の夫婦が参加していましたが、すでに2組が無事に出産していました。その1組M夫妻の旦那が出産記(20ページにも及ぶ大作)をEmailで送ってもらい、体験談を読ませてもらいました。 M夫妻は胎児の成長が早すぎ、帝王切開の危険がある」ということで、10月7日までに産むことなっていた。7日の出来事。 6:00am: 病院到着、陣痛促進剤を投入 8:15am: 人工的に破水させる。徐々に陣痛が開始 11:50am: 子宮口5センチ 12:10pm: 陣痛本番 1:15pm: 子宮口まだ5センチ。看護婦が硬膜外麻酔(無痛分娩)を提案されるが、奥さんは自然分娩を希望。 1:30pm:ドクターにも麻酔を薦められるが、拒否。 1:50pm: 子宮口6センチ 2;11pm: 子宮口8センチ。奥さんは陣痛の限界に近い。 3:30pm: 無痛分娩を決意。麻酔投与。 4:10pm: 麻酔が効き始め、ひと時の休息。睡眠で一休み 6:20pm: 無事出産。 奥さんはもともと自然分娩を希望しており麻酔は使わないといっていたが、結局とてつもない痛みに耐えられず麻酔を決意したそうです。この出産記によると、3:50pmに麻酔を決意したころには、奥さんがつかんでいた旦那の腕に「やや切り傷に近いミミズ腫れが4本ばかり残っていた」そうだ。この体験談を聞き、出産の大変さをまた痛感しました。この世のすべての人々が出産というプロセスを経てこの世界に登場してきているのだから、人の命の大切さというのが分かったような気がします。それにしても、M夫妻、出産おめでとうございます。そして、貴重な体験談ありがとう!かみさんの予定日まであと4週間。出産まではいろいろ不安がありますが、健康な子供が生まれてくるよう祈る毎日です。
2004.10.11
コメント(1)
皆さん、こんばんは。今日は4回目のマタニティークラスに出席してきました。■ マタニティーブルー「みなさん、ストレスをどのように発散するか話し合ってください」。マタニティークラスの先生は3組ずつのグループを作り、ストレス発散方法についてディスカッションし各グループが発表した。 寝る 話す 運動する 買い物する お笑い番組をみる 旦那にあたるストレス発散方法はさまざまでしたが、今日のトピックは出産後のマタニティーブルーについてでした。産後の母体はホルモンの急激な変化するのにくわえ、慣れない育児への緊張、不安からうつの状態(マタニティーブルー)に陥ってしまうそうです。ひよこクラブによると 、51%のママがマタニティーブルーになっているのですから、アメリカの生活になれていないママでしたらなおさらです。講師のナースの話では、出産後に急に家事をしない、子供の面倒も見ないという兆候が見られたら要注意だそうです。それに対してやはり旦那のサポートが不可欠のようです。旦那は家事や育児を手伝ったり、かみさんを褒めてあげるなどのやさしいサポートが必要なんだそうです。出産まであと1ヶ月ですが、そろそろ私も心の準備を始めないと。今日は、洗濯・掃除・食器洗いをやりました。いい旦那でしょ?
2004.10.04
コメント(6)
皆さん、こんばんは。3回目のマタニティークラスでは、陣痛開始から分娩までの流れを学びました。■出産のビデオ鑑賞出産の流れを頭で理解していたつもりでしたが、出産時のドキュメンタリービデオを見て、私の心の準備を進めなければいけないと痛感しました。赤ちゃんが出てくる瞬間の画像を初めて見たせいか、ちょっと具合が悪くなりました。出産の大変さをあらためて感じさせられました。残りあと1ヶ月で出産を迎えるので、しっかり勉強します。■病院見学マタニティークラス終了後、4組の夫婦と一緒に病院見学をしました。分娩を行う部屋、帝王切開用手術室などを見学。1組の夫婦が「旦那は立ち会う必要あるのか」と質問。「旦那さんは出産のコーチですから、コーチがいなくてどうするの?必ず立ち会ってください」とキッパリ。アメリカでは旦那が立ち会うが原則みたいです。あと驚いたのは、陣痛がはじまったら食事は禁止らしいです。たまごクラブでは、陣痛がはじまっても「余裕のあるうちは食事をしっかり食べましょう」と書いてあるのに。。(←アメリカでは無痛分娩が多いので、麻酔をかけるときに胃が空になっていないといけないためだそうです) それでも、かみさんはショックを隠せない様子。1ヶ月くらいで出産を迎えるので、そろそろ赤ちゃん用品を準備しないといけません。明日にでもべビザラスに買い物に行こうと思います。
2004.09.27
コメント(2)
皆さん、こんばんは。昨日、赤ちゃんの検査ーNST(Non Stress Test)ーのため、初めてアメリカで病院へ行ってきました。産婦人科の先生は病院(Hospital)に常勤せずクリニックに属するため、妊婦さんはまず先にクリニックへいきます。出産の時と、今回のように医者の指示があった場合病院(Hospital)へ行くことになります。昨日の朝病院へいってきたのですが、以下のことで驚きました。 患者がいない日本の病院はたくさんの患者が待合室で診察を待っている状態をイメージしますが、アメリカの病院は患者を全く見かけませんでした。外来の患者はクリニックへいくので当然のことなのですが、あまりにも殺風景で驚きました。 暇そうなナースステーション患者がいないので、目立つのは看護婦です。ナースステーションには7~8人いたのですが、出産の人がいなかったのかどの看護婦も暇そうでした。同じく検査室のナースステーションでも同じでした。かみさんが超音波で検査しているとき、私はナースステーションで待っていたのですが、ただひたすら世間話をしているだけ。有り余る看護婦をみると、なにをやっているのかとても疑問に思いました。 きれいな病院病院の中は高級ホテルなみにきれいでした。美術館のような入り口、ごみ一つおちていない輝かしい廊下、ヒルトン級ロビーのような待合室(もちろん誰もいません)。べちゃくちゃしゃべっている看護婦たちともてあましている数々の医療機材を見ていたら、人と資産の効率性は非常に悪いように見えました。病院は利益をあげるため、お客である患者から高額な医療費を請求するという仕組みでしょうか。普通の人は保険でほとんどカバーされるので関係ないのですが、かみさんの入っている保険は妊娠がおりないないので請求額が気になってしかたがありません。(要するに、全額自己負担です) いくら請求されるのか。。。ちなみに、クリニックでNSTを行った場合1回につき$180、超音波検査で$160かかるそうです。ドクターはクリニックよりも病院のほうが検査は精密だけど金額は高いと言っているので、請求書が届くのがこわい。。。
2004.09.23
コメント(4)
皆さん、こんばんは。かみさんと一緒に2回目のマタニティークラスへ行ってきました。今回は複数の夫婦とお話ができ、ちょっとずつクラスメートの交流が深まっているような気がしました。■ ドクターへの不信感クラスに参加した夫婦3組は、3人ともに担当医(Dr. L)に対して不信感があり、興味深く話しを聞きました。その1組は赤ちゃんが大きすぎるといわれ、米・麺類は一切食べるな、肉と野菜だけ食べろと指導されたそうです。また、3組とも赤ちゃんが大きすぎるという理由で、陣痛促進剤を投与し予定日の1~2週間前の出産(計画出産)を提案されたそうです。その中の1人のサンフランシスコに住む友達は、担当医に出産前に3800gで大きいと言われていたそうです。実際に陣痛促進剤で産んでみたら、胎児は3080gだったそうです。胎児が大きいからという口実で、計画的に出産スケジュールを組もうとしているのではないかと不信感を懐いていました。次回の検診で計画出産についていわれれば、他の先生に検診してもらい意見(セカンドオピニオン)をもらいに行こうと考えている夫婦もいました。マタニティークラスの先生は、休暇スケジュールをあわせるため、計画出産をする先生はいるとのことでした。自然分娩がいいのであれば、自分の意思を先生に伝える必要がありますとコメントしていました。ちなみに私たちの担当医について、予定日前の計画出産を奨励しているという噂は聞きません。また、私たちの赤ちゃんは小さいといわれているので、おそらく予定日前の計画出産はないでしょう。
2004.09.20
コメント(4)
皆さん、こんばんは。今日からマタニティークラスがはじまりました。ハリス式出産準備のクラスで、日本人講師が教えてくれます。既にこのクラスに参加した友達の評判はあまりよくありませんでした。先生の話がよくとぶし余談が長いので、クラスの内容としては評判どおりあまりぱっとするものではありませんでした。ただ、同じ時期に出産する友達ができるのではと、友達を作る場としては非常によい環境だと思います。参加した夫婦は11組で、ほとんどの方が年上でした。見た目で同じ年代のカップルは1組しかおらず、「ターゲットはあいつだ」と思いつつ熱い視線を送ったのですが、シャイな私は声をかけることができませんでした。「くそっ」と思いつつ来週必ず友達になろうと、かみさんと作戦を練って来週に挑みます。今日のクラスは、以下の話がありました。 自己紹介 なぜ人は結婚はするのか 3億分の1の精子と卵子の出会い 破水の対処方法 陣痛の定義 父親の心得 ハリス式出産準備ー呼吸方法
2004.09.13
コメント(4)
皆さん、こんにちは(大学の友達と高校の友達がLAに訪問中。昨日の夜は、私の大学の友達とエルセグンドに住む友達とでパーティー(日本でいう飲み会)に参加。 めちゃくちゃで飲みすぎ。。。かみさんに「うざい」と、友達には説教され、さんざん。。。酔っ払いすぎで日記の更新ができず、今日の更新となります。)先週の金曜日に、かみさんのお腹の赤ちゃんをもう一度のぞきに行ってきました。今回は前回よりはっきりと顔をみることができ、いい写真がとれました。よく口をむにゃむにゃ動かしていました。すこし笑っているように見えます。 自分の子供をみるのが、たのしみです。
2004.09.06
コメント(7)
皆さん、こんばんは。今日は、かみさんのお腹の中にいる赤ちゃんを覗きにいってきました。通常の超音波とちがい「4D Sonogram(4次元超音波?)」という技術をつかって赤ちゃんの姿を立体画像で見ることができます。(www.firstlooksonogram.comをご参照ください)そして、我が息子の姿がこちら↓↓↓↓↓かわいい~! (赤ちゃんが顔を手で隠していたので、来週のもう一回覗きにいきます) 担当の産婦人科の先生は、「女の子だと思う」といわれていましたが、今日は男の子だったことが発覚。かみさんは女の子を望んでいただけに、ちょっとショックを隠せないようでした。でも、私は男の子が欲しかったので、超ウルトラスーパーデラックスうれしいかったです。
2004.08.29
コメント(10)
全31件 (31件中 1-31件目)
1