今ここが幸せ!
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【イエス、5000人にパンを分ける】のお話にコメントやトラバ、リンクをいただきありがとうございます。 このお話を直感イメージとして受けられた飛鳥さんからの説明がありますので、ご紹介します。---------------------------------------------------------------------<飛鳥さんからみなさんへのメッセージ> これが、私に届いた直感イメージです。 このイメージを得てから、聖書に関するさまざまな本をめくり、この奇蹟に関する箇所を見てみました。 一般的には、この奇蹟はどう解釈されているのだろうか。 もしかしたら、私が得たイメージのような説明があるのだろうか。 そんな気持ちで二十冊くらい目を通しましたが、このような説明は見当りませんでした。 残念なことに、この奇蹟が紛れもない歴史的事実であると、はっきりと言い切った本さえもなかったのです。 明らかに解釈を避けていると見られるもの、単に不思議なエピソードの紹介といった感じの記述が多かったことは事実です。 私は、それ以上、本を見ることをやめました。 人の解釈を当てにするのではなく、自分の魂に「疑いようのない真実」として飛び込んできたイメージを大切にしたいと思います。 そして、二十冊ほどの書物のどこにも、このような「解釈」がないということは、私がこのことを伝えることに、少しは意味があるのではないかと思っています。 この奇蹟は、たとえ話ではなく、歴史的事実だったのです。 わたしは、その場にいたのと同じ経験をしたのです。 夕日と丘をわたる風、イエスの神に対する絶対の確信、弟子たちの逡巡、人々の胸を駆け抜けた鮮烈な感動、涙ながらに隠しもっていたパンを差し出す人々、しかもそのなかの多くは未だかつて他人に施しなどしたことのない人々だったのです! その場面を、私自身が追体験したのです。 逆に、この「解釈」を読んで、何だ、キリストの奇蹟とはその程度の話かと思われる人もいるかもしれません。 しかし、冷静によくよく考えてみていただきたい。 5000人とも伝えられる群衆(この数が正確かどうかはわかりません。数千であることは間違いありません。 なお、ついでながら聖書では、イエスが人々を50人ずつほどの輪に座らせたという記述もありますが、私のイメージでは、そうではなく、前から順番に説いていったように思えました)、それも疲れきって、空腹で、互いによく知らない者同士を、ことごとく感動させ、喜んで自分の持っている食物を供出させるということ、そしてそこに居合わせたすべての人々に魂の奥底からの感動を与えるということ、こんなことが誰にできるか、ということです。 イエスは、結果がこのようになると、はっきり見通していたわけではありません。 ただ、神の祝福によって、空腹感からくる いさかいや、不安、憤り、嘆き、悲しみから人々を解放させることができると確信していただけです。 迷いはありませんでした。 たとえ肉体は空腹であっても、魂が満たされることを教えたかったのです。 ちなみに、初期の伝承では、「イエスがパンと魚を割いて人々に分け与えると、次から次へと新しいパンと魚が出てきた」となっていたようです。(この表現は完全ではありませんが、間違っていません) 時が経つにつれ、次から次へと出てきたということの意味が不明になり、この部分が省かれてしまったようです。 そしてイエスが魔法でも使って、(孫悟空が髪の毛を吹いて無数の分身をつくったかのように)パンを増やしたのではないか、というような表現になってしまったのではないでしょうか。 ちなみに聖書はイエスの没後、100年ほどしてから編纂され、その後、教会(?)によって何度も書き改められたと聞いています。 輪廻転生の部分が数百年して削除されたというのは有名な話です。 飛鳥守
Dec 24, 2005
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