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大連には、いわゆる中国の伝統的な歴史建造物が数多くあるわけではない。しかし、この街に身を置くと、不思議なほど心が深く落ち着いていくのを感じる。それは、中国のなかでも特に多くの日本人が在留し、街の至る所に日本語がありふれているからなのだろうか。それとも、かつて私たちの祖先がこの地に築き、残していった美しい街並みが今も息づいており、そこに無意識の郷愁を覚えているからなのだろうか。
ご存知の通り、大連は日清戦争後の三国干渉によってロシアが租借した地である。帝政ロシアの手によって都市の礎が築かれ、その後の日露戦争を経て、ポーツマス条約により日本へと租借権が移った。そうした数奇な運命を辿ったからこそ、現在の街並みの中には、優美なロシア式の建築と、大東亜戦争以前に日本人が心血を注いで建設した近代的な都市遺産が、今なお大切に溶け込んでいる。
大連には、反日感情を持つ中国人が極めて少ないと言われている。かつて南満洲鉄道(満鉄)の幹部や、銀行、一流企業の日本人エリートたちが多く居住していた歴史があり、現地の人々と接する日本人に粗暴な者が少なかったことも、その一因として語り継がれている。
友好広場に出てきた、正面に見える建物がインターコンチネンタル。以前宿泊したホテルだ

中山広場へ
旧横浜正金銀行大連支店1909年建設

旧大連市役所1919年建設。祇園祭のだしをイメージしている

中山広場に位置する旧大連民政署(警察署)1908年に建設

旧大連市役所1919年建設。これも中山広場の代表的な建物

旧満鉄本社。現在も大連鉄道有限責任公司が利用している
