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沖縄から日本が見える。実践から導き出された本質。人間関係、家族、経営、あらゆるコミュニケーションの根っことなり得る愛の実践。試してみたくなる!沖縄から貧困がなくならない本当の理由
2023.10.24
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ついに一回目の脱皮をする日がやってきた・・・昨年6月に左肩の動きが不自由になって以来9か月・・・仰向けに寝ると肩がズキズキと痛む夜も痛みで2度3度と目覚めてしまう接骨院・鍼灸院・整形外科・指圧院低反発マット 購入五十肩に効く「肩の痛み解消プログラム」購入ヒアルロンサン、コンドろいチン系のサプリメント 試飲フット・スチーマー(足湯) 購入ネット、本、テレビでの情報収集・・・よいと思えば即、実践右がよくなるに連れて、痛みは怖れていた右へ移動このころには、固まっていたからだをほぐすには、時間が必要なんだろう。。と思うように動かないからだを受け容れることができたそれと並行して、更年期の捉え方を再度見直そうと思い立った40代初めに購入した、「メノポーズ革命」
2019.06.28
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芽柳の風吹け母の海馬へと 母を看る向うに我が死桐の花 蓬籠頭痛肩凝り腹に瘤 若冲の五百羅漢と暮の春 暮れなずむ白馬三山花あんず やまんば
2019.06.27
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蠟梅やおとうとの戸の未だ固し啓蟄や細胞もんぞもぞもんぞ 母乗せて枕末黒野かけるらしふらここやふくらみゆくものに妬心 やまんば
2019.05.06
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雑巾をぎゅうと絞れる寒露かな鳴く百舌の我が家は彼のテリトリー沐浴のたらいの湯垢つるし柿授乳する親子や秋のカフェテラス誕生の記念樹に選るななかまど 新聞の情報断ってみん石榴 やまんば
2015.10.31
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明日食べる米がなき夢スゥイッチョ貝割れがニョキニョキ伸びる良夜かな娘との時差七時間渡る月台風一過産声の上がりけり竹竿におむつはためく庭の秋 やまんば
2015.10.03
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村上春樹翻訳の本夏のバスわが視線とらへて蜘蛛の動きけりひゅるひゅるひゅると追善の大花火海が空にとけゆく熊野灘晩夏秋風とゆく月曜の朝の街 やまんば
2015.08.29
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養老乃瀧のしぶきを浴ぶ不動珈琲を淹れ旅の荷を解く梅雨入 ついりマイマイガのいのちぼとりと落ちにけり日本が鎧帯びゆく梅雨寒し玄関の顔やそれぞれ梅雨晴れ間梅雨晴れの冠着山にひびく法螺貝 やまんば
2015.06.30
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人生の午後の風吹く柳かな電話の向こうの離婚の話葱坊主孫と子に持たすおにぎり芹青し郭公を今日も待っている日記山頂から望む野尻湖風青し やまんば
2015.05.29
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金峰山寺へ駆け上がってゆくさくら 君が代に身じろぎ覚ゆ桜かな美術館への階段の錆落下踏む国境を超えてゆく子や薯を植う鳥獣戯画のためらわぬ線春深し やまんば
2015.05.01
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愛人たりしひとの来歴春の旅 菜の花も麦も応ふる汽笛かな トンネルを抜けて熊野の春の月 春星を残し消えたる花火かな鶯や馬越峠を杖と越す四十八の滝抱く熊野山ざくら花冷えのバス停那智の滝の空 やまんば
2015.03.31
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最近の長女、つわりの時期の不安定さと重なって心の辛さはかなりのもの。安定していた生活のリズムも不規則になりがち、夜ゆっくり眠れないこともしばしばあるようだ。出産までのこと、出産後のこと、考えるほどに自分が本当に子育てして行けるのだろうかという不安に押しつぶされそうになっているにちがいない。 何か対策が必要だそこで、昨夜は長女を迎えに来た婿殿も加えての作戦会議と相成った。 作戦その1:「つらさ」を数値化し、支援者と共有する。 早めに休んだり、SOSを出したりする。 その2:周りに理解者、支援者を増やす。 そのために、自分の苦手なこと、特徴的な行動、 支援者にお願いしたいことなどのトリセツ作成。 その3:一番近い支援者である婿殿も、いっぱいいっぱいの時は周りにヘルプを求める。 これまでずっと長女の良き理解者であった婿殿には、改めての覚悟と安堵の表情が。娘の目にも生き生きとした輝きが戻っていた。 これから様々な問題が起きてくるにちがいない。でも、怖れることはない。あたふたしながらも心とこころを通じ合わせて、生まれてくる子どもを真ん中に据えた温かいネットワークを創り出しながら一つ一つ対応していけばいい。やまんばも最優先でサポートする心構えでいることを伝えた。
2015.03.14
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長女と一緒に産婦人科に行ってきた。ソフロロジー式分娩法を謳っている病院で、我が家から40分ほどのところにある。 新築の建物の中は明るく、広々とした開放感があった。キッズスペースも充実。待合室には子連れも夫婦連れもいて、院内の雰囲気は上々♪ 肝心の娘の感想はというと、スタッフの対応に安心感が生まれたとのこと。人との対応に心のエネルギーを“超”使う長女にとって、これからお世話になる人たちへの安心感は何より大切。付き添ったやまんばも一安心 直接的な摂食障害の症状は改善したけれど、非定型うつの傾向があり今でも精神科のクリニックに通院中の娘。そのこともちゃんと伝えたようだ。 自分のことだけでも精一杯なのに、出産・育児なんてとうてい無理なのではないかと、これまで子どもを持たないことを選択をしてきた娘。 その娘の心境の変化にびっくり。喜びはそのあとジワジワと^^*自分のペースでできる仕事を持ったことが彼女の何かを大きく変えたのだかもしれない。クリニックの先生と相談しながら、子どもをもうける決意をしたという。 今日はまどみちおさんの命日。娘に届いたまどさんの言葉・・・「苦しいことの先にはいいことが待っている。だから今やっていることを頑張りなさい。」 娘は、がんばっていいんだ。無理したっていいんだ。って思ったんだって。 もう長い間、意識して「がんばらない」ように生きてきた娘が、がんばることを再び手にした。 がんばりすぎないように、がんばってね。
2015.02.28
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まどさんが遺した「ぞうさん」福寿草霜のしごと土竜のしごと春の土くだものナイフ春光も剥いている「文官統制」廃止への記事霞みける身ごもりし子を迎えたる雛の部屋 やまんば
2015.02.25
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新春の居間クリムトの黒と金漢(おとこ)らの目に棲む少年どんどの火大寒の屋根から屋根を渡るオリオン空っぽの湯呑みにじっとしてる寒寄せ鍋や身ごもりしこと告げらるる
2015.01.31
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十二月八日しずかに過ぎにけりじめっ子いじめられっ子みかんむく孫に手を引かるる夫つまの冬帽子 祖父の家の匂ひや冬の骨董店大門を抜けて駅まで冬の雨購あがないしひとりの夕餉冬北斗 やまんばの修行愉しき冬至かな やまんば
2014.12.21
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深大寺の黄昏の鐘そばの花小春日の書庫を除籍になった本投函を終へしレポート草紅葉冬の地震見舞う幾本かの電話友の胸に冬日集むる珊瑚かな やまんば
2014.11.30
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落花生土と話していた時間菊まくら鳥獣戯画がうごきだす子ら縛る見えざる紐や秋夕焼けオフレコの情報彼は柿が好き小春日の書庫を除籍になった本 やまんば
2014.11.15
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九条を読む向日葵に杭立てて署名するしないも自由からす瓜集団的自衛権成る夏寒しゆるく着て手より踊りの輪に入る やまんば
2014.08.29
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たまたま知ったゆるキャラ、もんじゅ君。自己紹介住所:福井の原発銀座職業:高速中性子で核分裂(成功体験なし)特技:お仕事をさぼること予算:一日当たり国費5500万円野望:廃炉になれたら、サハラ砂漠のソーラーパネルに生まれかわりたい。 「もんじゅ」のことを知ろうとすると、必然的に日本の原発全体を考えることにつながっていく。 興味を持って購入した「さようなら、もんじゅ君」を読んでいたら、これも最近読んだ「やめられない・・・ギャンブル地獄からの生還」帚木蓬生の内容と重なって、随所でなるほどなぁと、ひとりうなずいてしまった。 核燃料サイクルはギャンブル依存症と似ている。 もはや、やめたくてもやめられない。 目先にぶる下げられた人参のことしか考えられない。推進している組織、係わる人たちは病的依存状態と言っていいのではないか。 また、ギャンブル依存症には特筆すべきことが二つある。 嘘まみれ、借金まみれ。 反原発のために、小さいけれどやまんばが今できること。「もんじゅ君」のことを周りに知らせる。節電。 (^J^)ご無沙汰しています。元気です。ノルディックウォーキング、続いてます。4月から学生証がもらえます。仕事はほどほどに。子どもに関わる活動も始めました。今後、ブログとの距離はどうなりますことやら。。当面はコメント欄を閉じようと思います。
2014.03.15
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雪の予報が出る中、一人で試写会に出かけた。上映の数日前に知り、数人に声を掛けたのだけれど、師走の中旬のこと、皆予定が詰まっていて結局一人で行くことに。米軍のヘリパッド建設に反対している高江地区のことは聞いていたし、テレビの報道で観たこともあるけれど、実際のところをもう少し知りたかった。琉球朝日放送制作、ドキュメンタリー関係の9つの賞を受賞している。にも関わらず、日本本土の私たちのところには届かなかった情報ばかり。何者かによって目隠しされている・・・としか思えない。反対運動にもかかわらず、高江にヘリパッドは完成し、現在はオスプレイの訓練が行われている。授業中の子どもたちにお構いなくヘリの騒音が響く。夜間訓練が行われる。1960年代、高江には「ベトナム村」と呼ばれる訓練場があった。ゲリラ戦を模しての訓練が行われ、高江の住民が度々ベトナム人の役をさせられていたという。今また、形を変えて高江の人々はヘリの訓練の仮想の「標的」とされている。。「SLAP裁判」という言葉も初めて知った。国策に反対するとして、国は高江の住民を訴えたのだ。(被告住民の中には小学生の女の子の名前も)力のある団体が、声を上げた個人を訴える弾圧・恫喝目的の裁判をアメリカではSLAPP(strategic Lawsuit Ageinst Public Parteicipation)裁判と呼び、多くの州で禁じられている。反対運動を繰り広げる沖縄の人たち、それを取り締まる沖縄の警官。同じうちなんちゅうが国策によって分断されている。取材中の記者も同様に排除されていく。報道の自由、知る権利など、無残に踏みにじられている現実。他所の国で日本人の記者やカメラマンがこんな扱いを受けたら、きっと大手のジャーナリズムは黙っていまい。豊かな自然の中でのびのび遊ぶ子どもたちの笑顔が眩しい。どんな過酷な状況であれ、そこを生き抜く人の魂の温かさたくましさ。さて、これを見てやまんばのできることは。。考えている。「標的の村」公式サイト
2013.12.21
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去年作ったシクラメンの苔玉、今年また花を咲かせてくれた。 2013 2012 これまでにも、翌年また咲かようと何度か挑戦したことがあるが、前年以上に株が大きくなって花を咲かせたのは今回が初めて^^*ガーデンシクラメンだったからかもしれない。 でも、もう1つの方は夏を越せなかった。知人にあげた他の4鉢もダメだったようだ。 この鉢、特に気を使って管理したわけだはないのだが。。きっと置かれた環境が良かったのだろう。 花にかぎらず、育てるということには試行錯誤が伴う。子どもの育ちも、大人の思惑通りにはいかないものだ。一人ひとりの特性にあったサポートが出来るに越したことはないが、それを見極めるのは簡単なものではない。でも、その子が咲きたいように咲く、その邪魔をするような環境にはなりたくないと思えば客観性が保てる。関心をもつこと、信じること、任せること、待つこと。。。子育てが終わる今見えることだ。 でも、遅くはない。子どもとの関係は死ぬまで続くのだから。最後は、やまんば自身が見守られる側になっているのだろう(^J^)
2013.11.28
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ハリー・ポッター最終章、「ハリー・ポッターと死の秘宝 part2」を観た。 かつて、「スター・ウオーズ」のシリーズが一挙に放映された時、どうしてこの作品が若い人たちに人気があるのだろう、実際に見てみようと思って見始めたところ、エピソード3で一気に惹きこまれたという経験があって、ハリー・ポッターも全作通して見てみようと思ったのだった。 「スター・ウオーズ」の時は、題名にあまりいい印象を持っていなかったのだが、実際に見たら、絡み合う「愛と葛藤」も重要な要素となっていて、そこにいたく心を打たれたのだった。今回、実はその時ほどの感動をおぼえなかった^^;…やまんばの年齢のせいであるのかも。それでも、子役の成長や、大人たちの老いの過程には興味深かいものがあった。 やまんばのアンテナに引っかかったのは、ダンブルドアの言葉。 「わしはことばを操るのに長けておってのう。。ことばとは、 言わせてもらえば、 尽きることのない魔法の源だ。傷つけることも 癒やすことも できる 力がある。」 ダンブルドアの言っていることは決して新しいことではなく、これまでも目にしたり、耳にしたり、また自分でも常々そう思っていること。 こうしてブログに書いてみようと思ったのは、「今、人々は、ことばを求めているのかもしれないね」、というようなことを、最近知り合った編集者の方と語り合ったばかりだったからだと思う。 コミュニケーションの80パーセント以上は、表情や身振り手振りなど言語外の情報に依ると言われていることを承知のうえで尚、ことばの持つ力を強く信じているやまんばなのだと、改めて思う。 ここのところ毎日耳にする「アベノミクス」という言葉、ここに将来への成長や希望を見出す人もいれば、懲りない経済至上主義を感じ取る人もいるだろう。同じことばであっても、人により状況により異なった意味を持つということだ。 また、私たち一人ひとりが言葉を受け取る側であると同時に、言葉を発する側でもあることを忘れてはならないと思う。 どんなことばを自分の支えとするのか、どんなことばに惹かれる自分であるのか、感じる力、選ぶ力、発信する力、自分の軸、磨いていきたい。(^J^)
2013.11.17
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11月10日は誕生日、やまんばもめでたく還暦を迎えることができた。 11月2日には、沖縄のフレンチレストランで家族に祝ってもらい、誕生日当日の11月10日の夕食は四国、ブロ友に案内された料亭で。 旅の仲間のひとりとブロ友が揃って11日が誕生日という偶然も重なり、三人の名前が書かれた大きなケーキが用意された。今年は2回もローソクを吹き消すことができて、ラッキー♪ 新たな人生のファーストステージは幸せの場面から始まった。平均寿命まで生きるとすれば、まだ25年以上あるこの命。来年の春には末っ子も大学を卒業し、子育ても一段落。 一人の人間としてのやまんばの人生、これからが本番なのかもね(^J^)
2013.11.12
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「秘密」には、恐い秘密と恐くない秘密がある。恐くない秘密というのは、例えば、誕生日のサプライズを内緒にしておくような秘密。仲間同士の秘密基地もそうかな。 恐い秘密の例えとしては、他人の物を無断で借りて失くしてしまったことを黙っているとか、暴行された被害者が加害者から黙っているように脅迫されるというようなもの。こういう秘密を抱えていると、良心の呵責に耐え切れなくなったり、不安になったりして、心身に悪い影響が及ぶようになる。 「特定秘密保護法案」が衆院に提出された。このまま成立してしまいそうな勢いである。公務員が「恐い秘密=黙ってはおれない情報」を内部告発できなくなる。マスコミの取材にもブレーキがかかりかねない。息苦しい世の中となってしまうだろう。 「特定秘密保護法」を皮切りに、「国家安全保障会議」発足、「国家安全保障戦略」をガイドラインとする海外派兵への道が。「新防衛大綱」策定。「安全保障基本法」、集団的自衛権容認、日米軍事協働本格化。。国防軍を持ち、戦争の出来る国へというシナリオが見えてくる。 そうなって欲しくないし、そうさせてはならない。しかし、これが参院選でねじれが解消した結果だ。では、次の国政選挙までの3年、手をこまねいていていいのか。いや、支持率を低下させるという案はどうだろう。でも、アベノミクスを支持する人が多ければそれもかなわない。 2年前のある集会でのこと。敗戦を二十歳の時に迎えた一人が言った。「戦中にこんな風に集まったら捕まっているわよ。」と。その時は皆笑ったが、笑ってはいられない現実が今、突きつけられている。「知る権利」、ひいては「言論の自由」が脅かされつつあるのだ。 政府を暴走させない責任は、私たち主権者一人ひとりにある。「武力行使に頼らない日本」を、戦争を知らない私たちから、次の世代へ、また次の世代へとバトンタッチしたい。 何もできない小さな「ひとり」ではあるけれど、こういう思いの人間がここにいるということを発信しておきたかった。(^J^) 戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉
2013.10.27
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図書館から『一葉日記』のCDを借りた。一昔前、文学作品の収められているカセットを借りだしては台所仕事をしながら聞いたものだ。一葉の作品は、それこそ繰り返し繰り返し聞いた。 さて、今回借りた『一葉日記』、これまで読んだことがなかったので、とても新鮮。半井桃水とのやりとり、生活ために小間物屋を開く経緯、「たけくらべ」が認められた時の文壇の様子など興味深い。 苦しい家計を補うための借金の話は聞いていたけれど、日記に綴られた実情は聞きしに勝るもの。質屋はもとより、友人知人からもかなり頻繁に用立てもらっている。それも、けっこう上手に!一葉の暮らしがそのまま小説であるかのようだ。作品が認められ、これからという時にはすでに結核におかされ24歳という若さでこの世を去らねばならなかった。もっと長生きしていたらどんな作品を残したことか。 しかし、類まれな才能が開花したのも、二十歳前にしてすでに戸主であったという家庭の事情と、筆一本で一家を養おうという覚悟があったればこそとも思う。 作品が世に出た時、清少納言、紫式部と並び称された一葉である。だが、平安時代の宮中で暮らしたふたりと一葉では、生活の土台が全く異なる。「にごりえ」に描かれる場末の酌婦に読む者が心動かされるのも、借金に奔走しなければならなかった一葉であったからだと改めて思う。 家計のやりくりをし、実質的に一家を支える働きをしている女性は、今も昔もたくさんいる。でも、世の中が家制度で動いていた時代、女戸主に求められたものは、今の私たちの想像を超えるものであったにちがいない。いまや5千円札になった一葉さん、本人が知ったらなんと思うかしら。 鏑木清方の描いた、背筋をシャント伸ばした一葉がますます好きになった。一葉の気概にあやかって、明日からまた気持ちを新たに(^J^)
2013.10.26
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10月17日の日記に、「絶望の虚妄なること 希望と相同じい」と魯迅が書いているともろさわようこさんが紹介してくれたことを書いた。 どんな流れの中でこの言葉が出たかというと、 7月の参院選で自民党が圧勝したことをうけ、九条改正への動きが加速、知る権利の制限、国防軍、集団的自衛権、TPP、アベノミクス、原発の再稼働・輸出等々、憂慮すべきことがらが次々と参会者から挙げられた時のこと。 「絶望的な状況にも思えるけれど」と言って、魯迅の言葉を紹介してくれた。「希望は永遠に続くわけでもないし、常に叶うわけではない、それは虚妄と言っていい。同じように、絶望だって虚妄に過ぎない。今生きていることが希望なのよ。」と。 「そして、今生きていることが希望であるなら、今を疎かにしてはならない。」 と言って引いたのが、カミュの「シーシュポスの神話」だ。 シーシュポスは、オリンポスの山に岩を持ち上げる刑罰を与えられた。しかし、押し上げた岩はまたすぐに落ちてしまう。この押し上げては落ちるが、永遠に続くという刑罰だ。 もろさわさんは言う。「今、押し上げているという、この実存の厳しさが生きている証であり、命の手応えなんです。」と。 今年になってから、もろさわさんの話を聞く機会が3回あったが、これまでに増して、力強い声で深い内容を語っている気がした。言い残しておきたいというような何かが伝わってくるのだ。そんなやまんばの思いを話したら、「遺言のつもりで話しているのよ。」との返事。 カミュの「異邦人」は読んだことがある。ただ難解という印象だけが残っている^^;今回は、「シーシュポスの神話」に興味を持ったのだけれど、買っても積んどくだけになりそうなので、図書館から借りた。 人は皆、いずれ死んで全ては水泡に帰すことを承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける。シーシュポスの姿が自分の人生に重なって見えてきた。遅ればせながら、カミュは不条理の哲学を解いた人だということを知った。 「生き方で示す」というその生き様の見事さをもろさわさんから学び、ここ数年、日々の行動や関わりを大切にしようと心がけて暮らしてきた。 今回読んだ「シーシュポスの神話」はやはり難しかったのだけれど、現実の厳しさの中にこそ今を生きる手応えがあるということに関しては、体験的に肯けるものであった。災い転じて福となす、ピンチはチャンス、両義性など、人生を楽ちんにしてくれる言葉の泉に、豊かさが加わった気がしている。(^J^)
2013.10.19
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アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが亡くなった。 でも、アンパンマンはこれからも愛され続けるだろう。 絶望のとなり やなせたかし 絶望のとなりにだれかがそっと腰かけた絶望はとなりのひとに聞いた「あなたはいったい だれですか?」となりのひとはほほえんだ「私の名前は 希望です」 8月の「志縁の苑」で、もろさわようこさんから聞いた言葉が思い出される。魯迅が書いているそうだ。 「絶望の虚妄なること 希望と相同じい」 もとは、ベテフィ・シャンドルという人のことばだ。魯迅が感銘し、もろさわようこが胸にいだき、やまんばの耳に残り、いまこうしてブログに書いている。 言葉の力って偉大だ。
2013.10.17
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「雨ニモマケズ」の英訳に出会った。これまでにも英訳を読んだことがあったのだが、今回ほどワクワクした訳に出会ったことはない。役者はロジャー・パルバースさん。賢治の作品との出会いが彼をして日本と日本語の虜にしたそうだ。 彼の訳にグッと来た理由を2つ。一つは、strongという語。strongは強いと訳されるが、体が丈夫であることと、心が丈夫であること両方の意味が含まれる。 賢治はもともと体が丈夫な質ではなかった。花巻農学校の職を辞し、自分で農業を始めたものの、無理がたたり、2年でからだをこわしている。なくなったのは37歳。結核であった。そういう賢治だからこそ、「丈夫ナカラダ」が欲しかったのだろう。冒頭のSrtongからは、賢治の思いがインパクトを持って伝わってくる。訳者の賢治への深い愛と理解の賜物だろう。 2つ目は、主語の扱い。Heという三人称の主語を用いて書き進め、最後にきて、This is the person I want to be.と一人称にしている。 「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」という賢治の祈りが際立つ。He はあくまでも賢治の願う理想の姿なのだ。Heだと、「男性と限定されてしまうな~」と、女であるやまんばはちょっぴり残念だと思っていたら、パルバースさんもそのことを指摘していた。でも、作者の賢治は男性なのだから、やっぱり He だよね。こういう、英語と日本語の発想の違いが訳詞の行間から感じられるのも面白い。 パルバースさん:劇作家、演出家、東京工業大学世界文明センター長をこの春退官。 米国出身。オーストラリア国籍。カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業後、ハーバード大学大学院ロシア地域研究所で修士号を取得。1967年に初来日。現在はシドニー在住。 パルバースさんを通して、賢治のグローバルな思想の普遍性と新鮮さとを改めて感じさせてもらっている。また花巻に行ってみたくなった。(^J^) STRONG IN THE RAINStrong in the rainStrong in the windStrong against the summer heat and snowHe is healthy and robustFree of all desireHe never loses his generous spiritNor the quiet smile on his lipsHe eats four go of unpolished riceMiso and a few vegetables a dayHe does not consider himselfIn whatever occurs...his understandingComes from observation and experienceAnd he never loses sight of thingsHe lives in a little thatched-roof hutIn a field in the shadows of a pine tree groveIf there is a sick child in the eastHe goes there to nurse the childIf there's a tired mother in the westHe goes to her and carries her sheavesIf someone is near death in the southHe goes and says, ‘Don't be afraid'If there's strife and lawsuits in the northHe demands that the people put an end to their pettinessHe weeps at the time of droughtHe plods about at a loss during the cold summerEverybody calls him ‘Blockhead'No one sings his praisesOr takes him to heart... That is the kind of personI want to be 付け足し:安倍さんの所信表明演説にも「強い」が強調されている。「強い日本」「意志の力」・・・求められる「自助自立」。違和感を禁じ得ない。賢治も、みなが幸せな世界を希求していた。二人の視座は大きく異なる。
2013.10.16
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『誰も知らない』以来気になっている人だ。 『そして父になる』はまだ見ていないけれど、様々なメディアで取り上げられているからあらすじや子役との関わりなど興味深く見ている。 監督自身へのインタビューなども目にする。見る度聞く度、是枝裕和監督の人となりへの関心が深くなっていく。 今朝のTV番組で、フランケンシュタインが好きだということを知った。仕事場の一角に、百体を超すのではないかと思うほどのフィギュアが並んでいた。 惹かれる理由とは。。生んだ人にも愛されないという根源的な哀しみをもった存在だから。 共感。 弱い立場の人の側、マイノリティの側、常識や権力の反対側に身をおいて世の中を見ると、「存在のかなしみ」が漂う生き様が浮かび上がってくる。そこに胸を打たれるのは、自分の中に存在する「根源的かなしみ」が共振するからであう。 でも、哀しみだけに終わらないのも人間。哀しみを引き受け、温もりのある関わりをひらいていくところに光がみえる。 社会や世界を考える時、考える力を深めようとする時に拠り所となる言葉を再構築しようとしている、そんな自分の姿がふと浮かんだ。しばらくは、この内発的な欲求に身を任せてみることとしよう。 賢治ともろさわようこの存在がいよいよ大きくなっていくのを内に感じている。
2013.10.14
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少し前のNHK「心の時代」で、落合恵子さんの話を聞いた。 震災後、反原発の運動が盛んに行われている時、彼女は母親の介護をしているので、集会にもデモにも参加できなかった。その時彼女が仲間に伝えた言葉が、深く胸に落ちた。 私はそこに馳せ参じることはできない。今は、母の介護を大切にしたいから。あなた方とは行動を共にすることはできないけれど、「命に関わる」という点では同じ。目の前の一つの命に精いっぱい関わることは、命を大切にする社会を創ることにつながっている。 というような趣旨であった。 番組を見た時の私はというと、体調を崩す前に参加していた市民活動から離れてしまっていることに、自分の中でまだきっぱりとケリをつけてはいなかった。積極的に外に出かけての活動を再開することはもう考えてはいないのだが、未練というか、後ろ髪をひかれるというか、そういった気持ちが残っていたのだろうと思う。 心のなかでは、塾の子どもたちやその親との関係の中にこそ、子どもの人権に関わってきたこれまでの経験が活かせると思ったし、その手応えも感じていたのだが、落合恵子さんの話を聞いて、自分の気持がはっきりした。 私はここで、目の前の命一つ一つと丁寧に関わっていこう。直接は勉強を教えるという行為なんだけれど、その関わりの中で、「あなたは世界に一人しかいない大切なひと」だと私は思っているということ、自分の人生は自分で選んでいいんだよということ、こういう考えのちょっと変わったおばさん(おばあさん)もいるんだよということ、そんなことが伝えられたら。。と願う。私なりの私らしい社会との関わり方にちがいない。 今日も、午前中一人のお母さんの話を聴いた。来るものは拒まず、去るものは追わず。それが許されるのも私塾なればこそ。(^J^) テーブルのあけびも耳傾けていてゐる やまんば
2013.10.07
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「核廃棄物処理の問題が解決していないのに、原発を推進するのは無責任だ」という、小泉さんの主張を支持する。 これまでの主張を翻したのは、8月に視察したフィンランドで廃棄物の処理場を自分の目で見たからだという。昨日の日記で、「ひとの言葉を軽々しく鵜呑みにしない。自分の目で見、感じたものを信じる」と決意して敗戦後を歩みだした人達がいると書いたが、小泉さんも自らの感覚を信じての考えの転換であったのだと思う。 これだけでは小泉さんの思想の根っこそのものが動いたのかは分からないが、反原発への意見表明については、彼の感覚と決断力を歓迎したい。 慣れ親しんだ習慣や自分の主張を変えるのはとても勇気のいることだ。断捨離にしても、ただ捨てればいいのではなく、物や人、仕事などとの関係性ときっちり向きあうことが求められる。これまで大切に思っていたものを手放すことには勇気も要る。だからこそ、手放すことで初めて見える景色にも出会のだろう。 小泉さんは「原発推進」を手放した。ひとは死ぬまで変わりつづけることができる。(^J^)
2013.10.06
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揺るがないと思っていた自分軸が今揺らいでいるのかもしれないと思っていたけれど、もしかしたらそうではないかもしれない。より研ぎ上げられようとしているのかも。 「愛を持って怖れを手放す」ここは変わらない。 しかし、社会を見る判断基準がグラっと動いた。価値体系、立脚点、依拠するところ、パラダイム、というような言葉で表されるのだろうが、まだまだ自分の言葉にするまでに思いが熟成していない。 ただ、敗戦によってもたらされた価値の転換は、一人ひとりの人生に深く関わるインパクトがあったであろうと、今、他人ごとでなく思えてくる。昨日まで信じていたことが覆されたのだから、「人の言葉を軽々しく鵜呑みにしない。自分の目で見、感じたものを信じる。」という信念を持って戦後を歩み始めたという人の気持ちがよく分かる。
2013.10.05
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昨日ブログを書いてから思い浮かんだ言葉が「愚直に生きる」。 宮沢賢治が花巻農学校を辞め、自らが畑を耕す農民になったこと。 もろさわようこが身過ぎ世過ぎの全てを捨てて、世の中のいちばんつらい人たちの立場に立とうと、アイヌと沖縄の旅に出たこと。 暮らしのいろいろを考えると、思いを行動に移すのは簡単なことではない。ふたりには生涯独身という共通項がある。またまそうなったのだろうか。いや、愚直さこその結果が独身であった気がする。 やまんばの今の迷いが生じたのは、末娘の就職も決まり、会社に近い新居への引っ越しも済んだというちょっと肩の荷が下りた状況が手伝っているのかもしれない。
2013.10.05
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その理由を自分に問うてみたいと思う。きっかけは、ブロ友(やまんばはこう思っている)の日記を読ませてもらったことにある。そして、以下のようなコメントを残してきた。 「ブログは日記の形態をとっているけれど、表へ向けての発表の場として機能してますね。最近コメント欄を閉じたのですが、ただただ「語る場」が欲しかったのかもしれません。自分と対話し、その理由を意識化、言語化してみたいと思いました。」 これまでは、コメントのやりとりの中で多様な考えを聞き、自分の思考の幅を広げたり磨いたりすること自体が楽しかった。ところが、ブログにかつてのようなときめきを感じられなくなっている自分を無視できなくなってしばらく経つ。確かに日常の出来事や思いを綴り、それに対してコメントをもらうことは有難く楽しいことなのだが、何かが足りない。。 ブログを初めて3年が経とうとしている今、当初のブロ友の更新が途絶えたり間遠になっているのも寂しいというのも一因ではある。しかし、大きく変わったのは自分自身なのだろうと思う。人生は移ろいやすいもの、状況も変われば気持ちも変わる。ブログにときめかなくなっている今の自分、そこに耳を澄ませという内なる声がきこえてくる。だったら、その手段としてブログを使ってみようと思った。 自分を深く見つめるためには 鏡が要る。語るためには、安心の関係の中で聴いてくれる人が要る。月に一度の15分間のミニカウンセリングを続けてきた友人がいるのだが、彼女の身辺が忙しくなり、もう一年半途切れたままだ。たった15分なんだけど、余計なアドバイスはせず傾聴しあう時間を持つことで、今ここの自分を見つめることができた貴重な時間だったと改めて思う。 コメント欄を閉じることで、ブログが語る場になるのではないか。ひとに見せない日記は閉じているけれど、ブログは読まれることを前提に書かれる。ただ、コメント欄はアドバイス的な働きをするのでカウンセリングには適さない。物は試し、コメント欄を閉じて書いてみよう。そういう判断を、その時自分はしたのだと思う。 「ミニカウンセリング」の師、きくこ先生の柔らかく厳かな顔が懐かしく思い浮かぶ。まだ声にならない「思いの卵」を温めていきたい。
2013.10.04
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今年は20年に一度式年遷宮。第一回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のこと、それから1300年にわたって続けられ、今年は第61回目にあたるという。 昔から不思議に思っていたことがある。伊勢神宮は天照大御神、すなわち女の神様を祀っているということだ。 皇室は男系で継承されるべきだと考える人たちにとって、皇室の祖神が天照大御神であるという点は矛盾とはならないのだろうか。 持統天皇も元明天皇も女帝であった。卑弥呼は言わずもがな、おんなである。月の障りがあるゆえに穢れてものとされた女の歴史があるが、その昔、命を産むおんな は神聖なものとして崇められ、またシャーマンとして一族の守り神の役目を果たしていた。その証を、もろさわさんは沖縄の祭祀の中に見つけた。やまんばの場合は、1994年に訪れたアメリカののニューメキシコ州において、先住民族の遺跡をめぐる中で現地のガイドの説明にそれを聞いている。年長の女たちが車座になって政をしていたしていたという話に、同じモンゴロイドのルーツをもつおんなとして、驚きと感動に心が揺さぶられた感覚は褪せることはない。 日本の女性議員や企業の役職に就いている女性の割合は、世界的に見て非常に低い。是正が叫ばれながらも、なかなか実効性が伴わないのはどこに原因があるのだろうか。「女子供」という言葉に象徴されるように、おんなも子どもも、男の所有物として扱われていた長い歴史がある、男の側だけでなく、おんなの側にも、そのメンタリティのしっぽが残っていて、女性の社会進出を阻むものの一つとして働いている。 皇位継承権が男性にしかない現状は男尊女卑の象徴とも思われる。男らしさ、女らしさに縛られず、誰もが一人の人間として自分らしい人生を拓いていく世の中創るためにも、女性天皇の道をひらいてほしいものだと、式年遷宮の話題を聞きながら、頭のかたすみでひとり考えている.
2013.10.03
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9月28日(土)、「歴史を拓くはじめの家」改め財団法人「志縁の苑」となってからの二度目の集いに参加した。 苑のテーマは、~愛に満ちて 歴史を拓き 心華やぐ 志縁を生きる~ 根底に流れるのは「愛」。怖れを手放し愛をもって関わることは、やまんばの選択の軸とするありかただ。 もろさわさんは言う。自然と出会い、歴史と出会い、自分と出会い、ひとと出会う、「志縁の苑」はそういう「場」であると。 自分に出会えてこそ、ほんとうの意味で他者にも出会える、というのもわかる。自己対決がなければ、ほんとうの自分にも他者にも出会うことはできないだろうし、苦しい作業ではあるが、それを経てこそ新たな境地もひらけようというものだ。 今回、集いから帰る車の中で、「歴史と出会う」ということはこういうことだったのかという深い気づきの感覚を得た。 このところ、もろさわさんの初期の著作を読んでいて、「おんなの歴史・上・下」と「おんなもまた天皇制をつくった」も、「ああ本物だ!」という感動をもって読み終えていたのだが、集いの場で、2時間に及ぶ話を実際に聞いたことで、体の中で何らかの化学反応が起きたのかもしれない。 ずっと気になっていた疑問がすっと解けたようなあの感覚。原発、沖縄の基地、アベノミクス、オリンピック、法人の減税、TPPなどなど、そうか、そういうことだったのか~と。「今この世の中で起きていることはそういうことだったのか」と、合点がいったのだ。だからといって解決の道が示されたというわけではないが、先ずは気づけたことに感謝。 「おんなの歴史」は、学校で習った歴史とは質的に大きく違う。権力の側からみた歴史ではなく、被支配者の側の視座をもって論じたおんな論であり、結婚・家族論であり、権力とそれを支える体制を論じた歴史研究の書である。 縄文の暮し、源氏物語の時代の暮し、戦国時代の暮し、明治の暮し、それぞれの時代の男と女のあり方が、やまんばが暮らしているこの社会のあり方に直結するものであり、今まさに歴史の潮流の只中にいるのだという、気づきの瞬間をもたらした本であり、場であった。 また、女という差別される側にある者として感じてきた理不尽さへの怒り、一方で、気づかないまま差別する側に組み込まれている身のやりきれなさ、そういう感覚を生み出す根源が何であるかをも、論中に見た。偏った見方だという人もいるかもしれない。しかし、宮沢賢治と同じ地平に立っている人だ。命と人権をベースにした、ブレのない生き方を選んでいる人である。
2013.10.01
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11月に60歳になる。ブログを始めた時まだまだ辛かった体調も、今ではウォーキングを楽しめるまでに整ってきた。 一人暮らしで、自由になる時間はたっぷりある。経済的には、なんとか食べてはいけるし、自分のために使える余裕もちょっとはある。 断捨離を心がけつつ、家の中はだいぶ片付いた。昨年作ってもらったベランダを中心に庭仕事もボチボチ楽しんでいる。ハーブもベリーも元気に育っている。夏には野菜がたくさん採れた。ゴーヤときゅうり、インゲンはまだ収穫中。サツマイモも大きな葉っぱを茂らせている。 塾の仕事に関しては、「来るものは拒まず、去るものは追わず。」の姿勢で。もう区切りをつけようかという思いも浮かんだこともあったが、柔らかな魂をもつ子どもたちを目の前にすると、 通ってくる子がいる限り続けたいとも思う。 望んでいることができていることへの感謝はある。しかし、本当にこれでいいのかと問う自分もまた存在する。この夏、庭仕事の最中にふとそんな思いに駆られることが何度もあった。 もろさわようこさんの著作を一冊一冊読み終える度に、この内なる声は大きくなった。もはや、放っておくことができないほどに大きい。 ここで、今ここの思いを改めて見つめ直してみたいと思う。自分でもどんな言葉が飛び出してくるのか見当もつかない。楽しい作業になるのか、はたまた辛い作業になるのか。。 当面、コメント欄は閉じてさせてもらい、思いのままを書き連ねてみたい。(^J^)
2013.09.29
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新しいPCでの初めての更新。帰省中の次女が、やまんばの希望を聞いてこれならというものを選んでくれた。 タッチパネルを初めて体験。マウスなしで使いこなせたらと思っている。まだ慣れないので打ち込むのに時間がかかるけれど、とても便利。指への負担も軽減されそう(^^♪ スカイプも開通。昨夜は孫との「ご対面」!デジカメの画像もwifiでPCに送れるようにもなった。 便利にはなったものの、これまで慣れ親しんだものとの操作性の違いに戸惑っている。娘が帰るまであと一週間。分からない時はすぐに聞ける贅沢な環境、せいぜい利用させてもらおう(^J^) 我が家にPCがやってきたのは次女が小学2年の時。学校でもPCの授業が始まっていたので、すぐに馴染んだ。4年生の時にはHPを作り、やまんばのPCの知識の上の上を行くようになった。 インターネット上では簡単にOKをクリックしちゃダメだよ!」「時間を決めてやるんだよ!「困ったことがおきたら、すぐに言ってね。怒らないから。」などといくつかのルールをつくり、口を酸っぱくして注意したものだ。 Lineなどという便利なソフトがある現在、子育て中の親の心配はやまんばの時代の比ではないにちがいない。 中学一年生の時、WEBデザイナーになりたいと言っていた次女。その後、高校で通信制に転入したりの紆余曲折はあったものの、 いや~、大変だった(^。^;) でも、だんだん生き生きしていく娘に逆に励まされたなぁ。受験勉強で思わぬ力を発揮、希望の大学で学ぶことができ、来春からは社会人。PCゲームで怒られていた娘が、PCを飯の種にすることになった! 自分が今あるのは人に恵まれからだと言う娘、親としても感謝である。 ネットの海にひとりで漕ぎ出す子どもへの不安は尽きないと思うけれど、大切なのは、子どもへ信頼と関心を失わない親の存在なのかもと思う。自分を大切に思える子は、他人も大切にできる。そういう自己肯定感を育むのも家庭でできること。困ったら相談できる関係性があれば、いざという時、親を頼ってもくれるだろう。中学生、高校生は仮免中。いろいろな失敗があって当然。そのためにこそ、助手席に親がいるのだから。 今や、立場が逆転。次女に教えを請いながら慣れないPCに向かっているやまんばである。子育てのおまけかな(^J^)
2013.09.08
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今日の目的地は姨捨。姨捨伝説は、棄老伝説が有名だがもうひとつ、木花咲耶姫にまつわる伝説も言い伝えられている。 姨岩うばいわ (さざれ石) 古くは古今和歌集にも詠まれる月の名所である。 わがこころ慰めかねつさらしなや 姨捨山に照る月を見て」(詠み人知らず) 姥岩から望む 「鏡台山」 中秋の名月はちょうど正面の山のくぼみから昇り、満月が鏡に、山が鏡台に見えるのでその名がある。 芭蕉も、中秋の名月(旧暦8月15日)を見ようとこの歌枕を訪ねている。その旅をつづったのが「更科紀行」。奥の細道の旅に出るのは翌年のこと。 「面影塚」 おもかかげや 姨ひとりなく 月の友 芭蕉 姨捨駅 この駅舎は大正時代に建てられたものが保全されていて、破風の窓が亀の形をしている。ボランティアガイドをしている仲間の一人が、下から見上げると駅舎が鶴に見えるので、ファンも多いと教えてくれた。 この後もう少し登って、姨捨サービスエリアに立ち寄る。 善光寺平を望む 帰りは、姨捨の棚田の間をぬうように下る。まだ日差しはきびしく暑かったけれど、風はすでに秋のもの。女郎花、水引、秋海棠、秋明菊、ホトトギス等々の花々が朝露にぬれる姿もまた確かな秋の到来を告げていた。
2013.09.04
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Forgiveness is letting go of the past. Venetia Stanley-Smith許すとは 過去を手放すこと ベニシア・スタンリー・スミス ベニシアさんのお気に入りの本の中には、お父さんに読んでもらった「宝島」などとともに、「老子」、「コーラン」、「トットちゃん」も並んでいるよ♪ 手元にあるベニシアさんのエッセイ集の中から、グッと心をつかまれたフレーズをひとつ。 Coming from a broken family, as many people in this age do, I think we need to work harder, to strengthen the family ties. 愛がすれ違う家庭で育ったので、そして 同じような経験をした人もたくさんいるこの世の中、私は思うのです。誰もが 家族の絆を深める努力をすべきだと。 次女が帰ってきた。帰省中に新しいPCを今日入予定。 boroken family ・・・自分の育った家庭をベニシアさんはそう言い切っている。痛みを知る人がもつ 深い優しさを思う。 boroken family を、「愛がすれ違う家庭」と訳してみた。依存症の医療の分野では、Dysfunctional family(機能不全家族)と言う。長女の摂食障害は、彼女の育った家庭がそうだったからだと言えよう。今、やまんばと「おとう」が仲良くしていると、「仲良のいいお父さんとお母さんでありがとう」と言ってくれる。今ある幸せを、子どもたちに感謝。(^J^)
2013.09.02
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下鴨・上賀茂神社の清流もそうだが、今年の夏は、「水」にまつわる場所に縁があった。 つくづく日本は水に恵まれ、水とともに繁栄した国だと思う。勿論、水害も忘れてはならないが。 7月の初めの敦賀の帰り、この時は、かねてゆっくり歩いてみたいと思っていた奥の細道の結びの地「大垣」を経由地に。川に沿って配置されている、22の句碑がお目当て。大垣はかつては水運が盛んで、芭蕉もここから桑名までは、この水門川を舟で下っている。 川は、途中で2つに分かれまた一つになるのだが、こうすることで、大垣城の堀としても利用されたのだという。 矢立の初めの句碑から、結びの蛤塚まで約2キロ。「奥の細道むすびの地記念館」には、ゆかりの自治体から送られてきたパンフレットや、全国の俳句結の結社誌がズラ~と並んでいて、大垣市の力の入れようがうかがわれる。わが市にある姨捨にも、更科紀行の折に芭蕉は訪れているのだけれど、市民の認知度は低いのが実情なので、ちょっと羨ましい。 歩いて気づいたのは、湧水が数箇所にあって、水汲み場になっていること。花の水くれに使っている人もいる。やまんばも冷たい水で喉を潤し、ペットボトルに補充。 枡形や大垣宿の水まんじゅう 八幡宮では茅の輪をくぐり、川に胸まで浸かって水草を刈っている人たちの作業を眺め、城下町のたたずまいを堪能。朝の8時に大垣駅に降り立ち、城を中心にぐるっと回って、12時半。ゆっくりたっぷり歩いた(^J^)*水を大切に暮らしに活かしている大垣、「水都」の名に恥じない町だという印象。 その数日前は、「おとう」と琵琶湖を一周。 何箇所か散策した、その一つが大津。目的は、「琵琶湖疏水」の取水口。あった、あった♪長い距離ではなかったが、疎水に沿って歩くことができた。 大津から彦根に向かう途中で「おとう」に頼んで寄り道したのが、旧東海道沿いにある義仲寺。芭蕉の墓所を訪れることができて、良かった。義仲寺のくちなしの白さかな 話を、琵琶湖疏水にもどして。「琵琶湖の水を京都へ」明治の初めに、この大事業を実現させた一人が、「八重の桜」の八重の兄、山本覚馬。興味のある方は、 NHK「歴史秘話ヒストリア」 を。 (再)9月3日 深夜1:45~やまんばも録画予約しました(^J^) つづく
2013.09.01
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下鴨・上賀茂神社散策の後、電車の時間まで時間を過ごすのに、どこか涼しい所は…と、近くにある美術館を探して見つけたのが「高麗美術館」開館時間10:00 韓ドラで見る朝鮮の塀だ! 少し早めに着いたので入り口周辺を見ていたら、若い女性が、「用意ができていますからどうぞ」と、声をかけてくれた。 好印象♪ この仏様たち、30~40センチほどの小さなお姿。 その表情に魅了され、ポストカード購入。ブロ友の皆さんにもお見せしようと、撮影。いかがでしょうか。 ポジャギがカーテンのように窓に掛けられている。実物を見るのは初めてで、その繊細な美しさに感激。他にも興味深い展示をいろいろ見ることができた。 何度か京都を訪れるうち、渡来人との関わりの深いものが多くあることに気づく。廣隆寺は、秦氏との関わりが深かった。下鴨神社は、同じく渡来人賀茂氏の氏神をまつる神社だという。河合神社には、 八咫烏(やたがらす)を祀る神社がある。八咫烏は、韓ドラ「朱豪」では高句麗の守護神だった。そのあと、日本サッカー協会のシンボルだと知って、ちょっとビックリ。 やまんばの住む近くに、渡来人の古墳がある。もしかしたら…やまんばにも渡来人の血が混じっているかもしれない。 日本と朝鮮との関わりは、長くまた深い。今また、外交上の問題で韓国とのあいだの緊張感が高まっているが、反日、反韓を煽る報道を見ると胸が痛む。韓国にいる娘の友人のことを思い、また、いつか韓国を旅をしてみたいなどと思うと、両国の関係回復を願うばかりである。仲良き事は美しき哉。
2013.08.30
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下鴨神社の清流 「瀬見の小川」 鴨長明の方丈 : 下鴨神社の一角にある河合神社 下鴨神社からバスに乗って上賀茂神社へ。景色を見ていたら歩きたくなって途中下車。 上賀茂神社 ここ上賀茂神社にも、音を立てて流れる清流が。 「御手洗(みたらし)川」に沿って歩いていたら、川の中を裸足で歩いている親子の姿があった。涼しげ~^^*女の子は2歳くらいで、ピンクのワンピースが周りの緑にひときわ映えている。父親の手にしかとしがみついている様子も微笑ましい。 上賀茂神社を流れる 「御手洗(みたらし)川」 この左手のベンチで一休み♪ だんだん暑くなってきた(^_^;)上賀茂神社を出て、御薗橋へ。橋の上からも魚の姿が見える。鯉もいる♪そういえば、7月に大垣を歩いた時鯉に餌をやっている女の人と話をしたなぁ。。と思い出し、バッグから食べかけのパンを取り出す。ちぎって投げていたら、さっきの女の子がそばまで来ていて、「わたしもやりたい」とパパさんに言っているのが聞こえた。で、一緒に投げた。「ホントはパンなんかあげちゃいけないのかもね~」などと言いつつ、楽しんだ^^*お父さんは、送り火の話などをしてくれて。こういうふれ合いが歩く旅の醍醐味(^J^) 親子と別れ、次の目的地は、歩いて10分足らずの「高麗美術館」
2013.08.28
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ここ2,3日、秋を思わせる涼しい風が吹いている。それでも、日中の日差しはまだまだ夏のもの。いただきモノの冬瓜を干した。 金曜日、仕事を終え、初めて体験する夜行バスに乗り込む。三列のゆったりシート。リクライニング、フットレスト付き。湯茶のサービス、車内トイレあり。明りと音に何度か目を覚ましたものの、けっこう眠れた。でも、二度目はないかも。。(●^o^●)夫の住む晩夏の町へ夜行バス バスを下りて・・・夜明けの京都駅 下鴨神社行き 賀茂川 6:30am ホタルが飛び交うそうな 賀茂大橋 高野川(左)と賀茂川(右)が合流。 ここからは鴨川。とにかく、水がきれい^^ 「おとう」の住む敦賀への経由地、京都。今回は、朝の下鴨神社・上賀茂神社を歩いてみようと、身軽なウオーキングスタイルでやってきた。実は、去年、京都駅から出町柳まで歩いた時に、たまたま通りかかった下鴨神社。その時、世界遺産だとういうことを知って、いつかまた来ようと。今回、念願が叶ったという次第。^^* 下鴨神社まだ人影もまばらな糺の森。平安時代の祭祀の遺構などをゆっくり見て回った。縄文時代の土器もみつかっており、今後の調査が待たれる。 遺跡眠らせ糺の森の木下闇 やまんば
2013.08.27
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6月の初旬、まつやまふみおの遺作展に出かけた。日本漫画家連盟、日本プロレタリア文芸連盟に参加した人で、風刺漫画や挿絵の作品を遺している。 彼の作品のひとつとして並んでいたのが「まけうさぎ」という絵本。しかも、作者は斎藤隆介。 斎藤隆介作・まつやまふみお絵 もしかして、あの、カメと競争して負けたウサギのこと?と思いながら手にとってみると、案の定あのウサギの後日談。 まけうさぎは、ウサギの仲間の面汚しだと白い目で見られている。一方、かの今昔物語の説話にでてくる「焼けうさぎ」。こちらは、老人に身をやつした神様のために火に飛び身を捧げ、その献身的な行為を認められ今は月の住人に。今や、ウサギ族のヒーローだ。まけうさぎは、何とかして汚名挽回をと狙っているいるのだが。。そのチャンスがやってきた。人身御供を要求する狼に、立ち向かう決意をしたのだ。その勇気ある行動をもって、再び仲間に迎え入れてもらうことができましたとさ。 カメに負けたという汚名を着せられ、その上仲間に外れにされたまけうさぎのこころの痛みに共感。そして、そこに思いを寄せた斎藤隆介の人権意識の高さに、改めて彼の作品に流れる温かさの源を見た思いがした。後半は、そのいじめから脱却する勇気が描かれているのだが、なぜかその辺りの印象は薄い。なぜだろう?取ってつけた感じがしたのかもしれない。いずれにせよ、「うさぎとかめ」や「アリとキリギリス」の道徳的匂いに違和感を感じているやまんばの心をグイと掴んだ絵本でありました。(^J^) ミソハギ
2013.07.30
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らいてうの家 訪れたのは、2ヶ月も前の5月25日。先ごろ見つかった「青鞜」の原本(50冊)の展示が5月27日までということで、会期中最後の土曜日、仲間4人で菅平高原へ。 わらび たまたまその日は「らいてう忌」の翌日で、東京から米田佐代子館長もみえていて話を伺うことができた。図書閲覧室に掛かっていた、「若いツバメ」の由来となった年下の画家奥村博史の絵がとてもよかった。 偶然はもう一つ重なり、らいてうの生涯を語る企画を持つグループと一緒になった。思いがけず、美しいステンドグラスのホールで、急仕立ての語りと音楽のひとときを過ごす。 斎藤隆介「花さき山」 その後、図書館でらいてう関係の本を数冊借り出す。「平塚らいてう自伝」を読むと、らいてうの思想と実践の根っこには、禅における「見性」が息づいているということがわかった。 らいてうが「手かざし」で病を癒したとことを聞いていたが、それも肯ける。 原本 奥村博史が60代後半に書いた詩からは、しみじみとした夫婦の関係性がしのばれる。 黒いといってもブリュネットの妻の髪二人が結婚した頃はシルクのようにやわらかかった妻の髪同棲五十年近い今はあらまし輝く白髪となって一層ぬめのやうなるやわらかさを加へて何にたとえやうもない手ざわりわたしは日にいくたび妻のこの髪に手をふれてなでることだろう妻の髪をなでるたびにおのれの心はなごみ妻もやさしいまなこをわたしに向ける妻よ、おたがいになんとしてもせめてもう十年を一層よく生きやうよその頃にはほんたうに世界に平和がもたらされるだらうか 「もう十年」という彼の願いは叶わず、七十三才で亡くなった。没後五十年になろうとする今、世界の平和は。。
2013.07.29
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ブログに不向きな話題?と思いつつも、 ここのところ気になっているので。どう気になっているかというと、臭い!便の調子は悪くはないのだけれど、どうも胃腸の働きが弱っているようだ。少し前は、お腹の奥の方が冷たくなっている感じがしていた。ちょっとした夏バテかも。食べ物に気をつけたり、体を温めたりして、だいぶ良くなってはきている。 空蝉…デッキ横のメドーセージ原因は?食べ物かストレスか、冷えか。思えば、今月は週末ごとに出かけることがあって、今日のようにゆっくり家にいるのは久しぶりのこと。「おとう」訪問。琵琶湖巡り・大垣街歩き娘に誘われて飛騨高山へ・家具デザイナー「フィン、ユール」の館・街歩き叔母の納骨 参院選叔父の葬儀加えて、留守にした後に追われる庭仕事。そして生業である塾の仕事。一つ一つはそれぞれに心に残るものだったんだけど、これだけ立て続け動きまわってはからだも悲鳴を上げるというもの。 百日草と金蓮花それでも、長引く五十肩で孫も思うように抱けなかった昨年の夏に比べれば、今年は全体的にかなり調子がいい。自然治癒力に働いてもらえるように、今日はゆっくり「骨休め」としよう(^J^)
2013.07.28
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胃ろうより叔父を解きたる大暑かな やまんば 八歳年上の叔父が亡くなった。5月の連休に「おとう」と見舞った時の叔父の姿が目に焼き付いている。修理工場をやっていていつも真っ黒だった叔父の手、その時はもう油汚れの一つも残ってはいなかった。やまんばより、車が好きな「おとう」に会えたことの方が嬉しそうだった。母は八人きょうだいの2番めで、叔父は末っ子、跡取りでもあった。やまんばは叔父を○○○ちゃんと呼んでいた。○○○ちゃんの子どもたちとやまんばの上の二人の子どもは年も近かったので、小さい時はよく遊びに行かせてもらったものだ。灰寄せの席で(お斎・佐久地方独特の言い方)隣り合わせた4番目の叔母がポツリともらした、「親がなくなった時よりさみしい」と。 「死ぬ」ということは、人生最後の大仕事なんだとつくづく思う。「 胃ろう」についての知識は無いわけではなかったけれど、自分の口からものを食べられない叔父の姿を目の当たりにして、本人の思い、家族の思い、周囲の者の思いなど、いろいろ考えさせられた。○○○ちゃん、いまは美味しいものをお腹いっぱい食べているのかな(^J^)
2013.07.27
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久しぶりの更新(^J^)ブログを開くと画面に警告のメッセージが出て、動きが超遅くなるという状態が続いていたので、放っておいたところ、知らないうちにまた元に戻った。^^ さて、明日の参院選、誰に、どの党に一票を投じようか、なかなか決められずにいたのだが、数日前にようやく心に決めた。 話は戻るが、5月、開設30年の「歴史を拓くはじめの家」が財団法人化され、名前も「志縁の苑」に。その設立総会にはやまんばも参加。翌月、開設者もろさわようこさんのインタビュー記事が信濃毎日新聞に掲載された。心を打たれる一節があったので、ここに書き留めておきたい。 「歴史を拓くはじめの家」の看板は、戦前、女性参政権を求める「普選運動」の先頭に立って闘い、戦後も女性の人権や平和を訴えた市川房枝さんの筆による。・・・女性が参政権を手にしたのは、敗戦の翌年、1946年の総選挙だった。同じ年、人権を平和を掲げた憲法が公布される。それから70年近くを経た今、「憲法改正」を主張する勢力が支持を広げ、「平和の砦」が脅かされていることに、危機を感じている。「女の有権者は男より多いのだから、この政治状況を招いた責任の半分以上は女にある」。7月の参院選は「女たちが、一票の権利を生かして、平和を守れるかが問われている」。 「責任の半分以上は女にある」、確かにそうだ!女性に参政権があることが当たり前の時代に生まれ育ったこの身にも、自身の一票を行使する重みがズシンと伝わってきた。女が日常の暮らしにかかわる政治に関心を持ち、学び、考え、行動する時だ。そう、 「いまでしょ」(^_-)☆ 自分の支持する政党の新聞を送ってくれた友がいる。山形からは、沖縄出身の全国比例区候補を応援する葉書が届いた。ともに60代のふたり、頼もしい女友だちだ。明日、やまんばはやまんばなりの思いを一票にこめたい。未来をどうしていくかを真剣に考えた一票の重み、若い人たちにも伝えていきたい。
2013.07.20
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