五月中、フジTVの新聞広告で「千の風になって」の体験談募集! があった。今日このページを開いてみたら全国から3,884通の応募があり、ドラマ化されることになったのは九州地方の40代男性に決定したという。
投稿してみたものの採用されるということは思ってはいなかったが、その文章を自分の気持ちとして今日はその書き込みを日記に書きとめておこう。
千の花になって
おかあさんお別れの日から一年がたちましたよ。元気で生活していますがやはり独りだけの夜はまだちょっと寂しいです。
一緒に暮らして37 年。人様に「真面目の字に頭に一字か2 字つく人なの...」といいながら子供のようにまっすぐに行動してしまう私をいつも戦場の社会へ送り出してくれたよね。
なんたって結婚を決意したのは危険な山登りをしていて「いつ死ぬかもしれない人間です...」という私のことを受け入れてくれたことです。
55 歳の選択定年のとき、次の職場への斡旋を断って収入は期待できない「自然ガイドをしたい! 」という気持ちも素直に認めてくれ、今年で8 年目に入りましたよ。
41 歳の厄年のとき生死をさまよった髄膜炎、「この人は絶対に世間に役立つ人です。生かせてください...」と祈り続けてくれ、蘇ったあとの私は少し変わったよね。
それから一緒に行くようになった山登りは200 回くらいかな? 良い仲間に恵まれていつもお墓に行くと誰かがたむけた花がありますよ。
今つくづく思うのは、あなたの支えで多くの仲間ができて生きてこられたことです。里山活動で作った炭を加工しながら、みんなと料理や家事の話しをしている姿が見えますか?
あなたは私が勝手に連れてくる仲間をどれくらい面倒みてくれたでしょう。泊まり、食事、お酒...。今その人たちのおかげで楽しく生活しています。ありがとう。
乳がん術後の定期健診で何も発見されなかった2年間、これで卒業と思った最後のMRI 検査で再発転移宣告を告げられて診察室から出てきたときのしぐさ、目に焼きついています。
あの日から真剣に肝臓への再発転移の勉強をしていくたびに、生存の可能性がないことを知って落ち込んだ日々、あとはいかに生存日数の新記録を更新するか! だけが目標になったよね。
支えになった「乳がんネット」でも同じ転移の人は次々に星になっていき、いつかあなたの番になるとは思っていたものの、ホスピス5 日目で別れるなんてちょっと急ぎすぎたよ。
自分の命の時間を知ったとき、「いなくなったら良い人を探してね...」と言ってくれたけれど、そのとき返す言葉がみつからなかった。
最後の入院になるとも思わないで送っていく日の車の中で「おとうさん ありがとう 幸せだった...」といってくれた場所もはっきり覚えています。
今思えばあの時、あなたは「これで最後...」の覚悟をしていたのだと思うと、胸が張り裂けんばかりの気持ちになります。
でも私からもありがとう。再発を告げられてからの25 ヶ月が2人で生活した時間の中で一番充実した日々でした。
いま「千の風になって」という詩がヒットチャートです。あなたは風でもあるけれど、何より「千の花になって」の方が似合うよね。アルプスの花、森、庭、湿原、いつも花に出会っている時の君の笑顔は素適だった。
花になったあなたに会いに、まだずっと山に行っているよ。家の周りにもあなたが蒔いた野の花たちが季節を告げています。
「男やもめは長生きできない! 」といわれているけれど、あなたの墓にできるだけ長く花を飾ってやりたい。料理も家事も板についてきました。安心してくださいね!
来週から今年の尾瀬ガイドが始まります。あなたと一緒に見た花たちに会ってきます。私がそちらに行くまで見守っていてね!
そうだブログのフリーページにも書き込んでおこう。
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