ヤ ン パ の ク ニ ャ ン に ょ

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

yanpa555

yanpa555

Favorite Blog

城下町ウォーク 第… New! 三河の住人さん

「トゥア」収穫 New! はんらさん

転んだ母 ちーこ♪3510さん

ききょうのブログ kikyou4503さん
韓国ソウル!文家の掟 shaquillさん

Comments

nenene@ Re:見方を変えてみる。(09/23) この写真を"反日"と思っている…
AveryGubre@ накрутка твич streamhub shop <a href=https://streamhub.shop/>н…
JosephSeege@ Накрутка Twitch <a href=https://streamhub.shop/>Н…
ヤンパ555 @ Re[1]:エイプリルフールじゃないんだよ。^^;)(04/01) エルマチャイ13。さんへ ごめんごめん …
エルマチャイ13。 @ Re:エイプリルフールじゃないんだよ。^^;)(04/01) 久しぶりに楽天を開けてみました~。 ヤ…
ヤンパ555 @ Re[1]:エイプリルフールじゃないんだよ。^^;)(04/01) 三河の住人さんへ >とっくに台湾と断交…
三河の住人 @ Re:エイプリルフールじゃないんだよ。^^;)(04/01) 日本なんてとっくに台湾と断交して中共に…
yanpa555 @ Re[1]:エイプリルフールじゃないんだよ。^^;)(04/01) ざおりんさんへ >数は力とはよくいった…
yanpa555 @ Re[1]:エイプリルフールじゃないんだよ。^^;)(04/01) ちーこ♪3510さんへ >式典会場も広ー…
ざおりん @ Re:エイプリルフールじゃないんだよ。^^;)(04/01) やっぱり人間が多いと、ちょっと人間が動…
January 30, 2006
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
1980年3月、ひとりのディレクター(NHK)がネムリザメの取材で訪れた奄美大島名瀬市のダイバーの家で、1枚の熱帯魚のデッサンに出会った。

彼のこころを捉えて離さない1枚のデッサン。

すでにその3年前に奄美で孤独死したひとりの男。
田中一村との出会いだった。

誰も知らぬ日本画家、田中一村とは何者か。
その後NHKの日曜美術館で「黒潮の画譜」として紹介され人々を魅了していった。

私はその8年後に出された最初の作品集(日本放送出版協会、20刷ですが…)を持っている。
私が知ったのはたぶん月刊誌「サライ」誌上だったと思う。
何年か前、鹿児島に「田中一村記念館」ができたとき、ぜひ行きたいと願っていた。



たまたま今、地元のきもの専門店で「田中一村展」をやっているのできのう妻とでかけた。当地では初なのでこの機会を逃したくなかった。
きもの屋さんのねらいはもちろんたったひとつ。

マダム^^たちに一村の絵を大島紬にアレンジしたものを買っていただくためだ。
帯もあったかもしれない。

私も妻も着物にはまったく関心がないし、もとより金もない。
こちらのねらいもただひとつ。
彼の絵を間近で見てみたかったのだ。

きもの屋さんはうまくできている。
会場に近づくには靴をぬがなければならない。靴は番号札とともにどこかへ持っていかれた。
お金のありそうなマダムたちをしり目に、さっさと会場へ入る。

会場には2組みの客しかいない。

いかにものポーズで言葉をかけるタイミングを狙っている。

きっとこんなぐあいだろう。
「いかがですか?素敵な絵でしょう」
「ご夫婦で日本画に興味がおありですか?」

私はといえばギンギンの『オジマビーム!』(来るな光線)をもりもり出しつつ一村の絵に魅入った。


本気で盗んで帰ろうかと思った。
これならかかえて走れるな。しかし靴がなあ…なんて思いながらしげしげと絵をながめた。

ジャニーズのガキどもは私のオジマビームにたじろいで近づけない。ざまみろ。

ひとり奄美出身と思われる着物屋と提携してるようなジジイがすり寄ってきてウンチクたれはじめたけど、金のありそうなマダムの方へ行ってしまった。

日本画なのかデザインなのか、ゴーギャンなのかロートレックなのか、田中一村。やはり静かな美術館で見たいものだ。

彼の絵。
(ネットから持ってきたので美術館の名前が入っています)





2isson





記念館のアドレスはこれ。

http://www.amamipark.com/isson/isson.html

田中一村(いっそん)は東京美術学校に(現芸大)に入学して2ヶ月後に退学している。同期はあの東山魁夷。東山はのちに「そんな男は知らない」と語ったそうだが、その当時は名が知られていたらしい。奄美では日給450円の紬工場で働きながら絵を描き続け、自給自足のような生活をしていたようだ。一年を通してパンツとシャツ姿だった。亡きがらもパンツいっちょうの姿だったらしい。享年69。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  January 30, 2006 12:46:39 PM
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: