不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2006/05/05
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カテゴリ: 日本旅行記
関ヶ原鍾乳洞 からレンタサイクルで戻ってくる途中の道から少し入った所に、 奥平貞治の墓 がありました。
家康はかねて反応を約束をしていた小早川秀秋を監視するために、奥平貞治を松尾山に派遣をしていました。
決心を促された秀秋は、ついに山を下りて友軍の大谷隊を攻撃しました。
その時、貞治は陣頭に立ち戦いましたが、奮戦後戦死しました。
墓は子孫により建てられました。

民家の間に少し大きめの墓と碑がありました。
説明がなければ、名前ぐらいしかわからないですけどね(笑)。

国道365号線を通り、看板にあるとおり進みました。
石田三成陣址 には小高い山にあり、駐車場もあります。
他の碑の所では人には出会いませんでしたが、ここには車が4台も来ていました。
小高い山(笹尾山)には、竹矢来(たけやらい)で当時の状況を再現しています。
竹矢来は、竹や丸太を粗く組んで作った臨時の囲いのことです。
すき間が四角になったものを角矢来といい、菱形になったものは菱矢来といいます。


島左近(勝猛)陣址 があります。
石田三成が家禄の半分を与えてまでも仕官させたといわれる左近です。
関ヶ原の戦いでは、奮戦後、銃弾に当たり討ち死にしたといわれています。


小高い山ですので3分ぐらいで登れたと思います。
石田三成陣址 は、国史跡になっていました。
陣址の山に登ると、この辺り一帯が一望できます。
わずかですが関ヶ原の雰囲気がでてきますね。
一度、陣址を回った後に来ると、もっと雰囲気が出るかもしれませんね。

この近くに、 史跡関ヶ原古戦場決戦地 の碑があります。
石田三成隊は裏切りにより敗戦濃厚となり集中攻撃をうけ、関ヶ原の最大の激戦区になりました。
この辺り一帯が、そうなんでしょうけどね。
この碑には、あまり意味は無いですね(笑)。


関ヶ原旅行は、まだ続きます
岐関ヶ原21





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Last updated  2006/05/05 11:21:08 PM
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