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著者の意図とは違うだろうけれど、愛国心の使われ方について著書から引用するのね。以下↓引用。------------------------------------------- 西南戦争に話を戻す。これは最後の日本最後の内戦だった。西郷軍は手強かった。西郷というカリスマがいたからだ。西郷のもと、死をいとわぬ薩摩武士たちの勇敢な戦いの前に政府軍はてこずった。西郷軍は、明治政府の過ちを正すというが、根底にあるのは西郷への帰依だ。そして愛郷心だ。政府軍は寄り合い所帯だが、国家の軍隊だ。藩と国家の戦争だ。愛郷心と愛国心の戦争だ。そして、愛国心は攻めあぐねた。 その時、政府軍を救ったのは会津の愛郷心だった。明治政府の警官の中に、薩長に滅ぼされた会津出身の武士が多くいた。彼らが、「戊辰戦争の敵!」と言って西郷軍に斬り込んだ。会津にしたら、屈折した愛郷心だ。明治政府に滅ぼされながら、その新政府に使えるだけでも屈辱だ。しかし、「かっての敵」西郷軍には、「戊辰戦争の敵!」と言って斬り込む。本来ならば、西郷軍と合体して、新政府と闘ったらいいのに、と思うが、そういう発想はない。 新政府のほうが一枚上手だったのか。愛国心だけでは勝てないとみるや、会津の愛郷心を持って西郷軍の愛郷心にぶつけた。かつての藩同士の憎しみを利用することによって、政府軍はやっと勝った。-------------------------------------------以上↑引用。大きく見ると、なんか、過去の遺恨みたいのを、愛国心におっかぶせているような感じだと思うのね。んで、うまく利用されたって感じ。今、どうなってるか知らんけれど、ようちゃん2号の小さい頃は、「会津人と薩摩の人は交われない」っていうようなことを、したり顔で言う大人の人がいたよ。こんだ、中国とか韓国とか、北朝鮮とも同じ関係にしたいってことかね?って思うんだよ。
2007年01月26日
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この本、著者の一代記とも呼べるものではないかと思った。右翼を40年やってきて、国旗掲揚・君が代斉唱を5千回以上してきたという人が、「愛国心」について書いているんだけれど、じゃあ凝り固まっているかというとそうではない。ただし、そうなるためにずいぶん遠回りしたんだな…。って思った。(そこが一代記かな…?って思うところ)人には選択的不注意があり、それをもしかしたら本人が好んで選んでいるのではないか?そんな風に思ったよ。まずは、著者の選択的不注意の箇所…。著者は本の中で、三島由紀夫の文章を紹介している。三島由紀夫の著作ってのは、著者が右翼学生だったときの知的武器だったということなのね。その三島の文章に、「愛国心」という言葉は嫌いだと明言してある。それを著者は当時、読んだはずなのだけれど、その頃は読み飛ばしていたのではないか?としている。最近、三島全集を読み返して、発見したと驚いているわけ。以下↓引用。(「愛国心―官製のいやなことば」昭和43年(1968)1月8日『朝日新聞』-------------------------------------------<実は私は『愛国心』といふ言葉があまり好きではない。「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のぞっとするやうな感じを覚える。この好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また、少し違ってゐる。ただなんとなく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである><この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押し付けがましい。反感を買ふのももっともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる><日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であって、「愛」ではない。もしキリスト教的愛であるなら、その愛は無限定無条件でなければならない。従って、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国境を以って閉ざされた愛だからである>-------------------------------------------以上↑引用。著書は、今になって読み返して、「国境を以って閉ざされた愛」にアッと思ったと書いている。これ、著者を笑いたいのではないのね。それより、60歳過ぎてる人がアッと思えるってところが、すごい!って思うのよ。なまかまな右翼(「にわか愛国者」「アマチュア愛国者」「オタク愛国者」←著者の用語)は、この境地には行けないと思うんだよね。いかんせん自身の選択的不注意っていうことに対する脇が甘いような気がするよ。んで、著者については、やっぱり…遠回りって感じはする。(たいへんだったね…って感じ。)三島は小説家だから、情緒的に振れている…っていう指摘をするかもしれないけれど、「愛国心」を盛り込もうっていう審議会っての…?その人たちが言葉に対する、せめて三島ぐらいの感性を発揮してもらえればと思う。(ところで、ようちゃん2号は三島由紀夫ってあんま読んだ印象がない)この本については、もう少し書くつもり…。
2007年01月26日
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ベストセラーなんだから、ありきたりのことを書いてもしょうがないと思う。図書館に予約して11ヶ月弱待った。自分の年齢もそうだけれど、40才過ぎっていうの、自分の中で統合が起きてくるときなのかと思う。(自分自身の中の世界観みたいなもの…。)それ以前の年齢は、まだまだ手探りの状態なんじゃないかな?これ読んで、著者はその手探りだったときの感覚を大切に持っている人だと思った。以下↓引用。------------------------------------------- そして、美術大学というところは特殊な価値観の中、学生が温度の低い優越感を抱いている。もう、そこに入学しただけで自分が芸術家にでもなったような気分でいる。 ボクはそんな環境をくだらないと思い、個性という言葉の好きな没個性の集団に最大級の軽蔑を抱いていたが、その連中と自分の違いはどこにも見つかることがなく、自己嫌悪と劣等感は消えることがない。-------------------------------------------以上↑引用。美術大学に限らず、そして自分も含めてなのだけれど、どこかに属して温度の低い優越感を抱くっていうことを、人は、やりがちなんじゃないかな?自己嫌悪と劣等感を「見ないようにする」ためにね。そして、ちょっとすっ飛ぶかもしれないけれど、「いじめ」って、そういうところから発生している感じがする。あるいは、人から見ていい女を彼女にしたいと思う気持ちなんかもそういう感じかな?「ネット右翼」なんていうのも、なんかそういう帰属感がある感じ。(本人としては、個性的なつもりでいる気がするけれど、ようちゃん2号から見ると、画一的で、幼稚ということもだけれど、埋没しちゃっているように思う。)「美しい国」って言いたがる心性も、根っこではつながっている感じ…。(「自分のいるところは美しい国であってもらわなければ困る」っていう感じ。…そんなこと言い張ってもしょうがないんじゃないかな?)あるいは、「ここ、笑うところ」というようなウケどころに簡単に乗りたがるところなんかもそうかな?(テレビ出演者総バウワウ状態。←by小田嶋 隆)以下↓引用。------------------------------------------- 結局、青い鳥は自分の家の鳥籠にいる。チルチルミチルが探し歩いた幸せの青い鳥がやっぱり我が家の鳥籠にいたように、「幸福」は「家庭」にある。 この法則から、人間は逃れることはできないのだろうか?だとすれば、人間は本当につまらなくて、可能性も意外性もない生き物だけれど、だから、温かくて、愛しい生き物であるのだろう。-------------------------------------------以上↑引用。今まで独身だったみたいだけれど、なんか、著者の中で準備ができてきたって感じがする。(結果として結婚するかどうかはわからないけれど、少なくとも、どういう人と結婚したいか?という、イメージ…?みたいなものが、本人の中にしっかりできたという感じ。…ちょっとようちゃん2号、えらそうだね。)著者の別の本を読んで、「今までいい女と付き合ってこなかったんじゃないか?」って思った人もいるみたいだけれど、見ようによっては、本人にこのイメージができあがるまでは、誰と付き合ってみても続かないということがあったのではないか?って思う。
2007年01月25日
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ただで使わせてもらっているから、あんま、文句は言いたくないんだけれど、リンクさせてもらっている人の更新がタイムリーに読めないって言うのが、かなりこたえるな。んで、コミュニティーに入れ!ってか?(これが今回の管理画面のそれ以外にない意図なんだろうね。)相互リンクじゃなくて、こちらが本当に読ませてもらいたいんで、勝手にリンクさせてもらっている人と、どうやってコミュニティーを作れっての?(…分かろうともおもわんの。こちとら、それほど暇じゃないんでね。)あんまり、人を馬鹿にしないでもらいたいな。
2007年01月24日
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この日記、個人の批判ではないので、よく注意して読んでもらいたいな。(誤解のないようにトラックバックをつけておくね。投稿欄のほうを読んで欲しい。)よく分からんのは、当選したとたん、そのまんま東が東国原英夫?ってなるのがわからんの。投票した県民は「そのまんま東」って記入したんじゃないかな?…えーと、名前の上に○印を付けるだけ…なのかな?…芸名だから…?ったって、当選したのはその名前でしょう?気になっているのは、例えば、ようちゃん2号が立候補するあかつきには、候補名を「へのへのもへじ」ってしていい、って事…?(投票用紙に、へのへのもへじ、書きたい人って多いような気がする…。)んで、当選したら、元の名前にする…。「『へのへのもへじ』は芸名じゃない!」って言ったって、…ハンドルネームって言うのかな…?それで、ちょっと多めの来客者があれば、芸名みたいなもんじゃないのかな?確かに、「ウラが県の知事は、『そのまんま東』です。」とは宮崎県民の人も口に出しては、言いたくない日本語かもしれないけれど…。(んで、↑ウラっていうのが宮崎弁かどうか知らんのだけれど…)でもね、それだったら、「きっこの にっき」って候補名だったりしてもいいだろうし、他にリンクさせてもらっている人で言うと、「銀魂 うさぎ」、「あき あかね」、「しょうし みん」(↑勝手に名前出してすみません)とかってセーフ?…なの?ただね、その場合、自分、ハンドルネームがようちゃん2号だから、「よう にごう」とか「にごう よう」とかになるかな?うーん、あたらしく、立候補用のハンドルネームを作ろっかな…?(↑作るんか…!?の前に、立候補するんか??)えーと、誰がやっても同じなら、○村退蔵のかわりってのが、気が楽かも…?(あえて、変換間違いをしているのね↑。)
2007年01月23日
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「戦後最も長い景気回復。」ってテレビでコメントしているんだけれど、「戦後最も長い景気拡大」ではないということなんでしょう?落ち込んだものが戻りきっていないってことで、それが長くかかってんだったら、微増が続いているって言うことでしょう?嘘をつかないように、っていうような配慮をしているだけ、少しはましなのかな?こういうのも、まやかしなんじゃないのかな?
2007年01月22日
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昨日分の日記に書いたように、納豆に罪はないと思うのだけれど、ちょっと気になっていることがあるのね。それは、その番組が『関西テレビ』によって作られたっていうところ…。どっちかっていうと、「納豆」って関東圏の食べ物でしょう?手っ取り早く売り上げを拡大するためには、関西の人に食べてもらうのが一番だよね。なんか、そういう目論見があったんじゃないかと邪推するんだけれど…。
2007年01月21日
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ようはデータの捏造が問題なのかね?でもね、データなんて、作ろうという気さえあれば作れるんじゃないの?「あるある大辞典」(←番組名、これでいいのかな?)の放送中止をする前に、ちゃんと、そのスタッフには2週間納豆を食べてもらって、その人たちがそれなりの効果を出せばいいことなんだと思う。それ食べて、石にかじりついてもやせてもらえば…?(…今からでも遅くないと思う)再発防止、っていうことを本気で考えるんだったら、こういうのが一番手っ取り早いんじゃないかな?なにが問題って、そういうことをまったくやる気のない人間が、「健康にいい」だのなんだのってテレビでぬかすこと自体がおかしいんじゃないかな?てめえで信じてないものを人に押し付けようなんていう了見が、またまたヤラセを作るんじゃないかね?再発防止が口だけだと、たぶん、みんなどこかでわかっているんだろうな。…空々しい。
2007年01月20日
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新しい人がトップになると、気分が変わって、なんかよくなるっていう思い込みがあるような気がする。トップをすげ替えるだけじゃもう、どうにもならなくなっているんだと思うんだけれど…。まやかし…?、から脱する必要があると思う。
2007年01月19日
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少子化をなぜ問題とするかってことを考えるのね。そんで、なんとなくわかってきたことを簡単に言うと、「若い世代から広く浅く搾取することができなくなる」ってことを問題と見ているんだと思う。
2007年01月18日
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前の仕事に戻ったのだけれど、ちょっとポコポコ仕事が来て、追い掛け回されている感じ。うーむ、これってワーキングプア…?
2007年01月17日
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ちょっと気になった言葉があって辞書を引いたのね。【割れ鍋に綴じ蓋】 破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通ったもの同士であることのたとえ。気になったのは、蓋は壊れてはいないんじゃないか?ってこと。あるいは鍋が壊れる前にも、蓋は前からその蓋だったんじゃないか?ってこと。(ようちゃん2号、変なこと気にするよね。)ここは一つ、○イモイさんにご意見を聞きたいところだな。ことわざに関して鋭い考察↓があったからね。 目糞は鼻糞を笑うけれど、 鼻糞は目糞を 笑わないんだなぁ ○イモイ【目糞鼻糞を笑う】 汚い目やにが、鼻くそを汚いと言って笑う。自分の欠点には気がつかないで、他人のことをあざ笑うたとえ。
2007年01月16日
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うちの場合、うまいことは間違いないんだけれど、ギョウザの具の量と皮の枚数のバランスがいつも合わないんだよね。母、皮が何枚あるから、具はこんだけ作ろう、とかそういう風には考えないみたい。今回は皮が足らなくなって、ようちゃん2号が近くのスーパーに買いに行った。んで、書きたいのはギョウザの皮のことではないの。日記で書いてあるのを読んだり、うわさでは聞いていたけれど、最近、健康に良いっていうんで納豆が流行っているみたいだね。なんか2週間食べ続けると痩せられるとかって、テレビでやっていたんでしょう?確かに納豆の陳列棚が空っぽだったな。たぶんそのうち普段に戻るんだと思うんだよ。健康への効果より、流行に乗ろうっていうことへの効果のほうが覿面っていうのが、なんだか笑える感じ…。
2007年01月15日
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誕生日は忘れていないけれど、ジョゼの年齢、4歳も間違って覚えていたよ。ゴメン。
2007年01月14日
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前の仕事に戻って一週間が過ぎたけれど、ちょっと勘が取り戻せていない感じ。っていうかズレている。そういうことを認めたくなくて、かえってズレを大きくしている感じがする。あせる。っていうか、その前にまず、悔しいんだろうな。悔しいっていうことを見たくないんで、平気なフリをしちゃっているかな?ちょっと自分自身に正直じゃないかも…?
2007年01月13日
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ニュースをチラッと見たのね。んだら、大臣さんみたいだね。のっけから「人間だから間違うことはある。間違っていたかもしれないけれど、恥ずべきことは何もない」…って言ったみたいじゃな~い?でもね…、はじめから間違いだとわかっていることを、間違いとは呼びませんから~!残念~!!はじめから「間違い」って言うの、中身がよくわかっているから言える言葉なんじゃないかな?中身がわかっていないのだったら、間違いだって、何を根拠に言えるのかね?根拠のないまま間違いだ!と言えちゃう人って、どうなの?んで、恥ずべきことは何もないっていうの、本当にそうかな…?小さいころ、○んこ漏らしたとかそういうこと、なんもない人っていないんじゃないかな?「恥ずべきことは何もない」ってわが身省みずに言い切っちゃえる人って、ようちゃん2号的にはよっぽど恥知らずなんじゃないかと思う。その場しのぎで、言い切っているようにしか感じられないよ。その場しのぎで言っているんだとしたら、そのほうがよっぽど問題だと思う。ここら辺の論理に関しては、リンクさせてもらっている人たちのほうがよっぽど得意だと思うのだけれど…この人、文部科学大臣なの…かな?…ちょっと科学的でないかもしれない。単純に、子どもにマネをされたくないのね。真似されたくないことほど、子どもって、マネするからね。子どもに「人間だから間違いはある。間違っていたかもしれないけれど、恥ずべきことはなにも無い」って言われたら、俺、どーしようかな?ちょっと、大人に対して教育改革をしなくちゃいけないかも…?「美しい国」って言うの、そこからなんじゃないかな?
2007年01月12日
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年が明けてからかな?道、走っていると普段より白バイがずいぶんいる感じがする。「いるなー」としか思わなかったんだけれど、今日、外での仕事が終わって溜池って交差点を右折するとき、白バイじゃなくて、制服のおまわりさんがいたの。んで、「う、ヤバい。シートベルトしていない!」ってあわててシートベルトを探したのね。…なんのこっちゃない。乗ってんのバイクだということにすぐに気がついた。おしまい。
2007年01月11日
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「もう一度、自分を愛してみよう」と思い直すことかな?
2007年01月10日
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今日が正月明けの本格始動。バイクでお仕事。慣らし運転も並行してやっているから、高速はなるべく乗らないようにって思っていて、行きは鎌倉から海沿いを走り、高速は帰りの逗葉新道にだけ使った。バイクだと50円区間。今、手と腕が若干つっている。
2007年01月09日
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「抱きしめられても、身を硬くしている感じがする」と教えてもらった。どこかで、愛されるに値(あたい)しないって思っているんだと思う。
2007年01月08日
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決勝前に当たることが多くて、そして、いつも負けていた学校に、今回決勝で対戦して勝った。この対戦チーム、怪我をする人が多いせいなのか、レギュラーが大会のたびに少しずつ変わっている感じ…。だから、ベストメンバーではなかったかもしれないけれど、まあ、良かったな。合同合宿していたチームとは準々決勝で当たったみたい。途中、仕事があって抜け出したのでその試合と準決勝は見れなかった。(それまでの3試合と決勝は見たの。6試合勝てばいいんだね。)表彰式のあと、合同合宿のチームの監督さんが父兄のところに来て、「差し入れありがとうございました」って、お礼を言いに来てくれた。(差し入れしたときに、このチームの子や監督さんは別メニューの練習をしていて体育館が別だったから会っていなかったの。)他の父兄さんには、ようちゃん2号が差し入れたとは伝わっていなかったみたい。そんで、「はい、私です」とも言えなくて、ちょっと、もやっとした感じになっちゃったな。こういうかしこまった感じって、ようちゃん2号って苦手なんだよね。でもね、こうやって後からでもちゃんとお礼できる人って、見習わなければならないな、って思う。こういう監督さんの姿勢が、ちゃんと子どもたちにも伝わるんだと思うんだよね。今度の日曜日には1年生だけが出場資格の大会があるということだよ。いつものフォーメーションとはまったく変わるんだろうし、小学校でやってなくて、中学から始めた子も入るから、強いってわけには行かないだろうけれど、またそれはそれでKにとって、いろんな意味のある大会になるんだと思う。
2007年01月07日
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元妻から夜7時過ぎに連絡があって、「お金は後で払うから今日の夜10時までに○カリスエット500mlを2ケース、差し入れして」と言われた。こういう、いきなりの電話がたまにあるのね。急場の方が何とかすると思うのかな?…何とかしたよ。近くのディスカウントの酒屋さんにはケースでの在庫が1箱もなくて、チェーン店なんで、そこから合宿場所に行く方向の店にも電話で当たってもらったのだけれど、箱では置いていないということだった。あきらめて銀座の○ンキホーテに行ったのだけれど、近くに車を駐められるところがなくて断念。合宿所からちょっと方角がずれるけれど、別のディスカウントの酒屋さんがあるの知っていたから、そこに行ったら、一箱在庫があった。一本115円。そこにも、別の店舗に聞いてもらって…。…やっぱり在庫がない。そのお店に、「近くで知っているところがないか?」って無理やり教えてもらって行ったのだけれど、お酒専門のところだった。そんで、一つ心当たりのところに行ったら、「ケースがあるけれど6本欠けている」って言われたのね。(一箱は本当は24本入り)買ったよ。一本116円。あとの6本は、一箱在庫のあった店に戻って、バラで購入。…うーん、6円の節約。一つは開いていたけれどとにかく箱があって良かったな。箱がないと運びづらいからね。(←しゃれになってしまった)それ持って体育館に入って行って監督に挨拶したら、チームの子を集合させて…、キャプテンが、「ありがとうございます」って言って、みんなが一斉に「ありがとうございます」ってね、言ってくれた。(立て替えただけで、お金払うの自分じゃなくて元妻なんだけれどね。)ここで、かっこよく、なんか訓示でも垂れられればよかったのだけれど、「がんばってください!」としか言えなかったな。監督と少し話をして、そんで帰ったよ。ちょっと気になってもう一度、○キホーテに寄ってみたのね。一本104円だったけれど、やっぱり箱での在庫はなかったな。別の中学一校との合同合宿。その日は合宿の打ち上げ日で、夜10時に終わって、みんなで銭湯に行くことになっているということだった。
2007年01月06日
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はじめはなんにもなくていいから、部屋を借りたら、蒲団とコタツから始めよう。
2007年01月05日
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ロト6、ジョゼと決めた番号で5等、1000円が当たった。
2007年01月04日
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誰に謝るってことでもないけれど、毎年、箱根駅伝、見ちゃうのね。今年は、年末にできなかった掃除をしながらだから、許してくれる?バカ番組が多いから、そうなっちゃうってこともあるかな? 世の中に箱根駅伝なかりせば 新春(はる)の心はのどけからまし
2007年01月03日
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「あたしが欲しいものはあなたの心だから…」と言ってくれる、そのあなたの心が欲しい。
2007年01月02日
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あけましておめでとうございます。今年はジョゼをいっぱい愛する年にしようと思います。
2007年01月01日
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しょせん、「占い」って「政治」って何かとか、「教育」って何か?とかいうことについては、何も示さないんじゃないかな?そういうことを考えたくもないという小手先だけで生きる人の、その手放せない幻想が「占い」で、それがいろいろなことをうまく行かせない原因になっているように思う。
2006年12月31日
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29日が出向の最終日だった。少しずつたまって行った小物をダンボール一箱に詰めて宅急便で送って、会社の人に一人ずつ挨拶をして、最後、部長に内線電話で挨拶をして会社を出た。会社を出てからもやることは他にあって、定期を解約したな。電車通勤もその日で終わりだからね。電車が信号故障で定時に会社に入れなかったことが一度あったけれど、それ以外は無遅刻、無欠勤で平日は休まず5ヶ月間通ったよ。はじめからそんな目標を掲げていたわけではないけれど、終わってみて達成感みたいのがむくむく湧いてきたな。…開放感なのかもしれない。そんなんで、けっこう早く寝て…。…夜中、下痢になって、1時間半ごとに起きていた。翌日もちょっと調子が悪かったのだけれど、手配していたバイクを受け取りに行った。来年からまた、以前の仕事に戻る。…というより、新しい仕事が始まるという心境。
2006年12月30日
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「プレゼント」と「ギフト」の違いを、奇特な人の誰かが、バカなようちゃん2号に「わかるように教えやがれ!」っていう質問なだけのような気が…しないでもない。
2006年12月29日
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今日、テレビを見ていたら『代理出産』っていうことを扱ったものがあった。そんでキャスターが、ちからこぶを出してなんか、のたまわっていたのだけれど、論点がずれまくっているような気がした。(倫理があーたらとか、法整備がどーのとか…)そういうことがあって、ふっと思ったことを書くのね。そして、皆さんのご意見がもらいたいな。…脈絡があるようで、まったくないのかもしれないけれど、そのテレビの中で「ギフト」とか「プレゼント」っていう言葉がちょろっと出たんだけれど、ようちゃん2号のボキャブラリーとしては、ともに日本語への訳語とするなら「贈り物」としかならない。(「子どもはプレゼント」とか「ギフト」とかの脈絡なのかな?…ともかく英語、よくわからんのよ)ところが、ようちゃん2号自身の中で、この二つの語には、なんか厳然として違いがあるような気がしている。…英語がほんとに得意な人ならこの違いを厳然と日本語で表現できるかな?あるいは、日本語のスペシャリストのみ(学者ということではなくてね)が、この違いを表現できるのではないか?とも思う。(勘だけだよ)辞書での模範的回答から、本当に感覚的なものまで、ちょっと、みなさんにお聞きしてみたいような気がしたの。よろしくお願いいたします。…難しい質問なのかな…?むずかしい質問なのだとしたら、そのこともぜひ、教えてね。何に、ようちゃん2号が悩んでいるのか少しわかるようなものとして、ひとつトラックバックを付けておくのね。(そう書いときながら、探せないかもしれない…)
2006年12月28日
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昨日分の日記に書いた、お昼にもらった白菜のことなんだけれど、実はけっこう困ったのね。会社の人は車で通勤している人が多いから、持ち運びっていう事に関しては苦にならないのだろうけれど、そういう人に限って知り合いに農家の人がいたりする…。奥さんの実家が農家だったりしてね。そして、たとえば男性で単身赴任の人は、白菜一玉もらっても使い切れなくて腐らしちゃうってんで、もらっても困るという感じ…。こっちは電車通勤だから、裸の白菜、東京に持って帰るっての、ちょっと恥ずかしい。そんで、その日の夕方に面談に行くことになっている人が子どもが多そうだったから、その人にあげようって思ったの。電話でアポイントをとるとき、何人かの子どもの声が聞こえたからね。行ってみたら、やな予感がしたな。新築のモダンな家だったけれど、隣に畑があったからね。んで、案の定、白菜を車に積んでいることを言ったら、「なんだったら、うちのも抜いて行きます?」って言われた。(白菜だけじゃないらしい…白菜なら「抜く」とは言わんだろうからね。)雨が降っていなかったら、ほんと、持たされかねなかったな。そういうわけで、結局、白菜、東京まで持ち帰ったよ。芯の詰まった白菜って、ほんと重かったな。
2006年12月27日
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車を走らせていたら、通り沿いに看板見つけて、行き過ぎてからちょっと考えて、昼ごはんをそこにしようと思った。引き返して小道をずっと入って行ったら、のれんは出ていたけれど、店名も書いていないような、そんな店。店に入ったら、農家の納屋状態。12時10分ころだったのに客がいなくて、おじさん、おばあさんがテレビをつけながら二人で農作物の選別をしていた。手前のカウンターは汚れている感じで、やめようかと思ったのだけれど、出て行くのもなんだか気が引けて、覚悟を決めて中に入って行った。(雨が降っていたということもやめなかった原因の一つだな)奥にちゃんと大きな座敷があったけれど、客がようちゃん2号一人だから、部屋は温まってない。ばあちゃんがストーブを持ってきて、「寒くて悪いね」って、めいっぱい近づけて置いてくれた。俺、専用。頼んだのは、おおもりだよ。この秋から、昼に外にいることがわかっている日は、あらかじめ弁当を作らないように母に言っておいて、そういう日はだいたい、蕎麦屋に入っていたの。用事のある場所から近いところの蕎麦屋をあらかじめネットで調べておいて入っていたのだけれど、今回は勘だけ。出てきたのは、ほんとの田舎そばって感じだった。農家の人の出すおそば。ぶっといし、太さばらばら。つけ汁にはキノコが入っていた。ネットで調べて入った蕎麦屋は洗練されていて、細いし、太さにばらつきがないものだったけれど、この店、「そんなもん関係あるか!?」って感じ。野太いというか…。んで、味はどうだったかって言うと、うまかった。これも、そばなんだよな。本当はね、ここのは「もり」じゃなくて、温かい汁で食べたほうがおいしいそばなんだと思う。どういうか、ひさしぶりに田舎に帰って、「寒い中、よく来たな」ってその家で打ったそばを出してくれたというような、そんなそば。店自体の構えが大きいから、一旦は蕎麦屋として成功しようという気持ちがあったのだと思うのだけれど、なんか、そういうのはあきらめた感じ…かな?蕎麦屋じゃなくてもうまいそばは出せるってことかな?温かいそばで食べなかったことを残念に思ったわけではないのね。あたりはずれは、はじめから計算の内だもの。接客として、まずいということはいくらでも言える要素はあったのね。で、そういうことは、向こうも感じていたんだと思う。勘定をして外に出たら、おじさんが「お兄さん、白菜持っていくか?」って追いかけてきて、でっかい白菜を裸で一玉くれた。これで、おおもり500円は安すぎる…!?
2006年12月26日
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会社からの帰り、JRから乗り換えて地下鉄の日比谷線に乗っていたら、仲御徒町で電車が止まった。プラットホームのアナウンスを聞いて、乗客の一部はすぐに電車を降りて改札へと向かった。改札で振り替え乗車切符を黙々と、というか粛々ともらって、ある人は銀座線、そしてある人はJRへと歩を進めていた。ようちゃん2号は改札を出ていろいろ考えて、都営大江戸線に向かった。その通路を歩いているとき、自宅なのか友達なのかに電話している男の人の声が聞こえたのね。「日比谷線が事故った。築地でマグロ。…マグロ!大江戸線に向かっているところ…。今、日比谷線は全線停まってる。」振り向いたら、学生服を着た高校生だった…。(…この子のブラックなセンスはたっぷりだな)この子だけ…?ではないと思う。なんかどうも、みんなこういうことに慣らされているみたい。(自分も含めてかもしれないけれど、みんな不平をぶうぶう言うんじゃなくて、あたかも当然のようにね…)…なんかね、築地駅と築地市場駅は連絡していないけれど、ようちゃん2号、気分的にそこで降りる気にはならなくて、ひとつ手前の「勝どき」で降りて、勝鬨橋を歩いて渡って家に帰ったよ。この間、いつもは帰る時間の電話なんかしないんだけれど、大江戸線で電車を待っている間に母の携帯に電話したのね。そしたら電源が切れていて、家の電話にも誰も出なかった。しばらくして電話しても一緒…。ちょっと心配になったな。(自殺するようなタマじゃないけれど…事故はあるかも…でしょ?)そんで、勝どきに着いて電話したら今度はちゃんと出て、その答えが、「タダの観劇券をもらったので、ちょっと前まで日比谷にいて、日比谷線で帰ってきたところ」って言われた。うーん、…母のタイミングでは、なんもなかったらしい…。…ちょっと不思議…。築地だからマグロの処理は早かったのかな?…自分までブラックジョークを言いたいんじゃなくて、ちょっと他のこともあって、冗談を書くしかない心境なんだよね…。
2006年12月25日
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>どっかの痴事の治めているところの「徒眠」(「とみん」・いたずらに眠っている…?)です。東京の恥っだ!てのは、昔から思っていることですが、そういうのを引き摺り下ろせないのは、政治意識が足らんとか言われるのはちょっと心外ではあります。自分のことを「もしかして自分ってバカなんじゃないだろうか?」と疑うことのできないバカが数多く投票したというだけのことなんだと思います。そして、そういう人たちにわかるように、自分になら教えてあげられると簡単に考えてしまえる人がいるんだとしたら、申し訳ないんだけれど、そういう人もけっこうバカ(おめでたい)人のようなだけのような気がします。「余人に変え難い」と考えられる人は、そもそも、わが身を省みない人が多くて、そういう人がただ単純に増えているっていうことだけなんじゃないかな?そしてこれは、どの痴呆でもあることで、もしかしたらそれは、全体の抱える問題なんじゃないかと思います。
2006年12月24日
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いま、年の瀬で大掃除とかもしたいのだけれど(大晦日になってこの日記書いているの)、どうしたわけだか、今は空いた日記を埋めていたいのね。今年のことは今年のことで表現しておかないと、ちゃんと終われないような気がするせいなのかな?出向していて大変だったことは、本当なら昼に済ませられることが、ほとんどできなかったということだな。たとえば、この日記を書くことだったり、リンクしている人の日記を読むこと。時間の合間を見て、ちょっと整理するために文章にしてみるっていう事ができなかったり、人の日記を読ませてもらえないっていう事が、けっこう苦痛だった。リンクさせてもらっている日記、携帯で見れないこともないんだけれど、ようちゃん2号のリンクしているところには、ものすごく長い文章を書く人がいる。そういう人の日記、携帯の一行10文字では、なんだかその人の伝えたいことが分断されちゃうような気がしていた。長い文章でないにしても、クリックでジャンプする人、美しい画像を貼る人、日記本文は読めてもコメント欄が携帯からは読めない人とか…。いろいろな人のいろいろな考え方を知ることが、自分の気持ちの整理をする助けになると思うのだけれど、時間的、あるいはそういう機能的なことの制約からできなくて、なんか消化不良を常に抱えているような感じだったかもしれない。朝の7時前に電車に乗って、帰ってくるの夜の10時だとかだと、定期を買う時間や、銀行に行くっていうようなこともままならなかったりするね。ようちゃん2号の使っている都市銀行、向こうにはなくて、給料を一旦下ろして郵便局に移し変えたりしないと不便だったりもしたな。でもね、書いていて思ったんだけれど、そういうのもちゃんと思い出になって行くんだと思う。ちょっと昔とは、過去の捉え方が変わってきているような気がしている。
2006年12月23日
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まったく違う別の用件で話をしていたのだけれど、自分が聞きたかったことは他にあったのね。郵政民営化が現場でどういうことになっているか?ということが聞きたかったことだよ。そもそも郵政民営化については、現場の話が聞こえてこないのに論議が進められていること自体に問題があると思っていた。「地方の郵便局がなくなるということにはならないのか?」ということが、ただの漠然とした懸念としかなっていないことが問題のような気がしていたわけ。(漠然とした質問だから、「そんなことにはならない」って言われて終わり、みたいになってたと思う)郵便局はとりあえずは独立採算でやっていけているらしい。ただし、リストラがけっこうあって、配達員はアルバイトが多くなっているということだね。(実態は、配置の人数が減らされることとともにアルバイトの割合が多くなるという仕組みみたい)それで、仕分け作業に時間がかかって、配達に出るのがどうしても遅くなって、夜になっても配っているっていうことが今の現状のようだよ。実際、出向していたこの5カ月の中でも、会社に来る郵便が8月中は朝10時台に来ていたものが、だんだん来るのが遅くなって、12月には、11時半過ぎにならなくては来なくなっていた。独立採算でやっているのに、配達員が途中、缶コーヒーでも飲んでいようものなら「人の税金で食ってるくせに…」って罵声を浴びせる人もいるらしい。現実の問題として、過疎という表現は当たらないけれど、立地として不便なところ、たとえば山の頂上に一つの物を届けるという場合、○マト運輸や○リカン便は、現地郵便局に丸投げしちゃうということだった。そして、郵便局としては、それを断る理由がないようだよ。で、郵便局がなくなれば、不便なところはやっぱり料金を高くするか、拠点をなくすしかないだろうね。本当は、公務員はこういう内部状況を言ってはいけないんだろうね。でもね、それでも言わずにはいられなかったのは、現場がそれほど過酷になっているという現実なんだろうと思う。郵政民営化論議のときの参院選前に、どっかの党の支持母体のある人が、「私たちが、民間で苦労しているのに、郵便局の窓口のサービスの悪さっていったら何事か!…だから民営化しなくちゃいけない。」ぐらい言っていて、「なんかこの人、わかっていないんじゃないかな?」って思ったことがあったけれど、そのときは自分の勘だけのことで、言語化はできていなかった。郵政にかかわらず、民営化っていうのは「現場の人はこまねずみのように働かなくちゃいけない」という空間を強めているということかな?「アルバイトはこき使え!」というのが格差社会の特徴だということかな?自分が、格差を助長していることに気がつけないで、なんかわかったようなスローガンをぶち上げるっての、そして、それが通用しちゃっているってのが、今の現実かもしれない。弱いものが弱いものを叩く、あるいは被害者が被害者を作る社会というのかな?
2006年12月22日
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亀田vsランダエタの再戦、あまりに予想通りだったな。んで、試合途中に仕事仲間から電話があって、そっちの方が主になっちゃった。もともと、2つのことを同時にするっていうの、苦手なんだよね。自分としちゃ、「今、テレビで亀田が試合している」と言えば、電話切ってくれると思ったんだけれど、興味のない人にとっては、「それが何?」って感じなんだろうね。一応は向こうでもテレビをつけてくれたのはいいけれど、「なんだ、ウド(鈴木)が出てんジャン」って言われて、もう、まじめにテレビ見るのやめちゃった。この人、いつもスポーツ新聞を車に乗せているのに、亀田、知らんのね。そんなわけで、あんまよく見ていなかったのだけれど、昨日の日記分のご返事に書いたように、なかなか上手だと思った。少なくとも現役時代の鬼塚よりチャンピォンとしての試合運びはうまかったと思う。
2006年12月21日
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立ってりゃ勝てるんだから、あまり無理しちゃだめだよ。深追いせずに、やらずぶったくりで行くのがいいと思う。青山のコンニャク戦法(←知らんだろうな)とか、方法はいろいろあるはずだよ。(今から言ってもしょうがないか…?)
2006年12月20日
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石原真理子って、ようちゃん2号より2歳ほど年下みたいだね。40才を過ぎると、「本当は何が大切か」というようなことが自身の中で統合されて行く感じになってくるのかな?それで、清算というか、過去あったことにそのまま向き合えるということになって、書いてみたものではないか?ってね。…本を読んでいないのだけれど、そんな風に思う。読んではいないし、買うつもりもないし、図書館で今から予約してもたぶん読めるのは早くて6ヶ月後で、じゃあそれを待って日記にするかどうかわからん。今の時点で、反響その他から感じていることを書いてみる。本人自身が、あった事実をそのまま覚えているということを期待するのは難しいと思うけれど、実名を挙げられた人も事実についてはあまり否定していないみたい。聞こえてくることは「今になって書かれるのは悲しい」とか「自分の娘に顔向けができない」とかいうことみたいだからね。これ、単純に後になって言われるようなことをそのときにはしたとか、自分に娘に顔向けできないようなことを、そのときにはしたということなんじゃないかと思う。そんで、じゃあ告発とか復讐が本人の意図か?というと、どうもそうでもないみたいだね。そんな感じが、自分にとっては先に書いたように「自身の統合」っていうふうに感じられるみたい。本人自身が、良いも悪いもなく、そのときそれでいいと思って選んでいたことが、今のその人それ自身を作っているような、そんな気がするし、そういうことの振り返りなんじゃないかな?そこには、例えば、「演技の指導をする」というような、一見もっともな理由付けが片方だけじゃなくて双方にあったんじゃないかな?今で言えば、パワーハラスメントとかアカデミックハラスメントというようなこともあったんじゃないかと思う。人は人に対して、それとわかるようには振舞わないからね。そもそも、一見華やかなところには、そういうことがたくさんあるような気がする。細木数子のやっていることも、視点を変えてみるとハラスメントに通ずるものがあるような気がする。大竹しのぶの『私一人』に書いてあったことから見える娘に関して言うと、顔向けできないことをしている父親の素顔も、父本人が思う以上に良く見えているような気がする。…暴論だからね。
2006年12月19日
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日付はあまり気にしないでね。実際に今、書いているのは大晦日だし、ニュース自体は12月20日ことのことみたいだからね。その日(たぶん20日)、「総理にとって今年の一文字というのは、どういった文字になりますか?」って聞かれて、安倍さん「今年は変化の年でした」って答えたんだね。そんな答えだから、インタビューアーが重ねて「一文字にするとしたら?」って聞いたんだけれど、「…責任ですかね」って答えているネットの映像を今さっき見たよ。「字余りの感想を述べた」とか番組の方のフォローが先に入っていたけれど、苦しいっていうか…そこまでフォローが必要なのかな?聞いているようで聞いていないって印象があって日記にもしたことなんだけれど、やっぱりその通りなんじゃないかな?…トラックバック。
2006年12月18日
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ちょっと頭にきているのは、パソコンと冷蔵庫の違い…。冷蔵庫の中を冷やす仕組みなんぞ、ようちゃん2号は知らんのね。確かに、冷蔵庫が冷えないと冷蔵庫は途端に無用の長物になるんだけれど、そしてそれはパソコンも一緒なんだけれど、なんだかパソコンに限っては、電話してさんざん待たされた挙句、「冷やす仕組みも知らないんですか?」っていうような対応をされるの、なんか、我慢ならん!冷蔵庫が冷えないときに電話して、「ここをこう、いじってください」って能書きたれられようもんなら、「てんめー、うだうだ言っていないで、さっさと引取りに来い!」ってようちゃん2号だったら言いそうだな。コンセントにつなげれば、とりあえず何でもできるっていう風にはならんのかしらん?…結構、我慢していると思うんだよ。
2006年12月11日
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ノロウィルスが流行っていることとは関係なく、PCには本当はアンチウィルス対策とかしなくちゃいけないんだろうね。そこまで、手が回っていないのが現実。
2006年12月10日
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データがなくなって困るのは、自分の作った文章というよりは、その規格というのかな?下敷きになるようなもの、原稿用紙のマス目みたいなものがなくなることが、残念だった。(それはあらかた取り出せたとは思うのね)それ以外で惜しいものは、メールアドレスとか、人と連絡を取るためのデータだけで、それ以外は、それほど惜しいものではなかった感じ。普通に使えているうちは、データが飛ぶこと自体、恐ろしくて考えたくもなかったことだけれどね。なんだか、余計なものは極力持たないということをPCに力技でさせられた感じ。1月になればまた、前の仕事に戻るというより、新しい仕事をするという風に捉えているので、今のうちに、膿を出しておけるということは、いいことだったんじゃないかな?
2006年12月09日
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いきなり引用↓以下。-------------------------------------------論理とは、自然な推理によって導いた結論を正当化するための知識にほかならない。ここで強調したいのは、このような自然な推理が起こるには、意識は必要ないということだ。私たちが論理を必要とするのは、推理の大半はまったく意識されていない、まさにそのためなのだ。-------------------------------------------以上↑引用。人間が発生したときには、自然界の動物がそうであるように、自然との協調が保たれていたと考えてもおかしくないと思う。そして、言葉が発生したときに、自然の声を聞いて生きていた人間が、それを言語化してもおかしくないんじゃないかな?(あくまで仮説だからね)自然に関しての古い叙事詩って、ほんと、まだ(自分の)意識っていうところまで入っていなかったと思う。以下↓引用。------------------------------------------- 世界には大昔から決まり事と務めが存在した。それらは神が定め、人が従うものだった。しかし、正邪という概念や、善良な人間、贖罪、神の許しといった概念は、なぜ幻覚による神の導きの声がもはや聞こえてこないのかという、不安な問いかけがあってこそ初めて芽生えるのだ。-------------------------------------------以上↑引用。いつしか、神の導きの声が聞こえなくなって、そして意識が生まれたということのようだよ。神の導きの声っていうのは、今、統合などを司るとされている右脳が聞いていたということらしい。この本を読んで、だいたいそういう理解をした。また図書館で借りて、もう少し噛み砕いてみる必要があると思う。
2006年12月06日
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扉に著者の写真が載っていたけれど、太っとったのにまず驚いたな。ナンシー関が取り憑いたとギャグにしておったが…。著者のたとえって、好きだな。以下↓引用。------------------------------------------- いずれにしても、ワイドショーは、上品ぶった瞬間にその生命を失うメディアだ。高品質になると魅力を失うあたり、なんだか、夜店の焼きそばみたいだが。-------------------------------------------引用↑以上。…みたいなところ。著者とナンシー関と共通するところは、面白さの質が大阪漫才じゃないってところにあるように思う。じゃあ大阪漫才ってのが何か?ってのは、まだ、うまく説明ができるような気がしない。ぱっと思いつくところで言うと、「ここ、笑うとこですよ」っていうようなところ…。この大阪漫才っていうの、けっこうようちゃん2号の気になっているところなんだな。
2006年12月05日
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出向先に電気式の魔法瓶があって、インスタントコーヒーを自分で作って飲むことが多かった。そのポット、いつも98℃で保温されていたのだけれど、ようちゃん2号的には、お湯を注ぐ温度は100℃でないとなんか納得できなかったのね。そんでボタンを押して再沸騰させて、100℃になるのを待つのだけれど、結局は覚ましてから飲むことが多かったな。たぶん、ようちゃん2号は猫舌なんだよ。そのくせお湯は熱くなくちゃいけないっていうところに変なこだわりがあるんだね。
2006年12月04日
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出向しているとき、なんでだったか出先の支店みたいなところで30分ほど時間をつぶしていたことがあったのね。男性社員が出払っていて(と言ってもそこは男性社員が2人しかいないの)、やることがないから、女性のしている仕事をぼーっと見ていた。んだら、ボールペンを使って書き終わるといちいち胸ポケットに差していたのね。ほとんどの人が当たり前のことだと思うようなことなのかもしれないのだけれど、そのときに使い終わったものをちゃんと取り出しやすいところにしまっておくっていうことが、ようちゃん2号ってできていないって思い当たったんだよ。そんで、そういうこと、見習いたいなって思った。自分自身にそういう基本的なことの習慣づけが必要だと思ったわけ。
2006年12月03日
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その時代にはその時代の空気があるはずなのに、そう言ったものを描かずに、出来事をすべて現代人の感覚で捌いているということに、小説家?脚本家?自身がまるで気づいていないような感じがする。そこに陳腐さの原因があるような気がする。
2006年12月02日
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ようちゃん2号としては「イナバウアー」より、インパクトのある言葉があったのだけれど、それはやっぱり、ドン引きギャグみたいなもので、やっぱ候補にも上がらなかったみたいだな。流行語…って言うのとは確かに違うもの。ただ、流行語というからには、この1年、「ああ、そういうのあったね」っていう振り返りができる要素もあっていいと思うんだよな。…悔しいので、トラックバックをしておくのね。
2006年12月01日
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