What do I know?

What do I know?

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

muti_no_ti

muti_no_ti

カレンダー

コメント新着

グレムロン@ オオオオオオッキしたwww ちょww まだ4人しかヤってないのに既…
御座候@ ちょー気持ちいい!! スッゲーー!! 疲れないし気持ちいいし…
竹田君@ これはひどいwww 最近俺の彼女がやたらとフ ェ ラうまいと…
フェミー@ 風★俗で金払うなんて勿体ね! なぁ、金払わなくて・・ってか、金貰えて…
サリ→@ 日本フ○ラチオ協会 やっほ→☆ おしゃぶりが好きすぎて・・・…
 つまり、人間はひとりひとり

このような状況にあってもなお、

収容所に入れられた自分が

どのような精神状態になるかについて

なんらかの決断を下せるのだ。

フランクル
2010年12月12日
XML
カテゴリ: 今日のできごと
無罪判決がでた。

当初私は無罪判決がでたら喜ぶ側の人間だと思ってた。
しかし、釈然としない思いがもわもわと湧き上がってきた。

私は、検察の奢りを叩きのめすという意味での裁判員制度に賛成していた。
知っての通り、村木事件のような、ストーリーありきで
客観性を欠いた非科学的な捜査がまかり通っている現実に
人々が気づき始めるきっかけになると思ったからだ。

裁判員制度こそが、
刑事事件の有罪率99.9%という馬鹿げた数字を叩きのめしてくれる


しかし、釈然としない。
「これでよかったのだろうか。」
という問いが頭をぐるぐる廻り続ける。
釈放された元被告は会見で喜びをあらわにする。
それを凝視し、
「ほ ん と う に
殺していないのだろうか・・・」
と考えてしまう自分。
私には結局なにもわからない。
裁判官と、「裁判員」という 不特定多数 を信じるしかない。

被害者遺族らは「彼が真犯人だと思ってる」らしい・・・。

「冤罪は絶対にいけない。」
という鉄則を貫くならば、
例え、めちゃぐちゃ怪しい人だったとしても
証拠不十分なら罰せず、同じ空気を吸って生活する覚悟が必要だ。

この釈然としないモヤモヤは、
検察のさらなる徹底した捜査への叱咤に換えるしかなさそうだ。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年12月13日 01時08分40秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: